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2019.8.30 ツイッターから転載…日々雑感、気分が仙覚さんの小説に戻ったり・・・いろいろ片づけ物をしています

8月27日

スマホのスケジュール帳 ふっと見たら9月が目にはいって(もう8月の最終週になったんですね) 9月1日は 氷艶! の放映日 見逃してしまわないか今からはらはら

 

伊吹山 大垣駅前バスロータリーで入手したチラシです 車で青墓に向かう途中 車窓に山が見えて 運転手さんに あの山は何ですか と尋ねたら 伊吹山と 白拍子さんたちはあの山を見て生きてたのか~ と心に留めたのでした

 

怒りのミッションひとつ終了 といっても表面は穏やかに ここのところ理不尽なことに対する怒りはもっと表明してもいいかな っていう気が萌しています これはその最初かもしれない(今までずっと下手下手に出てたからもっとすっくと屹立していいところにきた気がする)

 

8月28日

おはようございます 再RTさせて頂いたINTERMEZZO様の保苅瑞穂氏「ポール・ヴァレリー 現代への遺言」連載開始のご案内が嬉しく氏の『プルースト・印象と隠喩』を出してみました どれほどこのご著書にのめり込んで読み 影響を受けたでしょう 開いたら書込みがぎっしり 研究を離れまたこの世界に戻ります

 

表紙です

 

こちらは高遠弘美先生の『プルースト研究 言葉の森のなかへ』 こちらのご本もむさぼるように夢中になって拝読させて頂きましたが たぶん ずっと昔に 保苅瑞穂氏の印象と隠喩を拝読していなかったらそこまで深くのめり込めなかったと思います

 

と 保苅瑞穂氏と高遠弘美先生のプルースト研究のご本を二冊投稿させて頂きましたが 懐かしくて涙が出そう 鎌倉の源氏物語でこういう世界から20年も離れていたのでした ある意味こういう言葉の通じない世界 思い出すと 辛かった(泣)or(笑)です

 

帰宅後のご報告やお礼の手紙行脚 今日も でも今日は清浄な方々に 心引き締まっています

 

もうお一方に 砂子の金が綺麗です

 

今頃になって頂いたモロー展の絵葉書 これは買ってきてなかったから嬉しい

 

8月29日

おはようございます いろいろ片付いたので写真の整理に入ったらこの写真が 岩崎茂樹様写真集『妙本寺の四季』 妙本寺様の故貫主早水日秀様からお送り戴きました 日秀様もお気に入っていらして私に「差し上げたかった」と 私が『鎌倉の源氏物語』を上梓し 妙本寺様境内の仙覚さんの万葉集研究碑の

 

写真掲載を快く許して戴いたお礼に本を持参したのが最初の出逢いでした 当時妙本寺様境内にその碑があることを 鎌倉のほとんどの方がご存じなく 日秀様も私の本で詳細を知ることができ「感銘を受けた」と 以来折に触れお手紙を頂いたりお電話で話させて頂いたり 遷化された時は本当に悲しかった

 

鎌倉では令和記念に妙本寺様を中心に万葉集への取り組みが始まっていますが 十年前の日秀様の御時代にそれは叶わなかった でも日秀様がお励まし下さったから今も私は仙覚さん研究を続けられています こんな時にこの写真が出てきて ああやはり日秀様はお空から見守って下さっていると思ったのでした

 

写真の整理がついたので久しぶりに仙覚さんの原稿を開きました 気持ちが変わっているかどうか確かめる意味もあって 大丈夫 変わっていませんでした 基子さんの独白で書き直し始めたバージョン 早く進めたい気持ちになりましたが 今日もまだお礼ご報告の手紙行脚の続き 今日は楽な方々で気楽です

 

樹の年輪がくっきり 板干しの手漉き和紙だそうです 小川町の方が資料に混ぜて送って下さいました

 

時房と基子さんを光源氏とだれか女君 朧月夜か空蝉か浮舟かどなたか にしたいのだけど 関係をどこまでにするかの決断がまだつかなくて 書いているうちに自然に書けてしまうと思うのですが 理性で考えていると「そんなことさせちゃダメ」ってなります笑(気分が原稿に戻りました)

 

時房はずっと後年竹御所を殺める人物 でも比企の乱以前は基子さんたちとこんな優雅な関係だった 蹴鞠をしたり 仙覚さん以前のことです

 

なんか 闘ってみるものですね をRTさせて頂きましたが ほんと 闘わなくては と思います

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2019.8.27 ツイッターから転載…日々雑感、青墓や『尾州家河内本源氏物語』のこと&Twitterで高橋文二先生の教え子さんと繋がったり

8月26日

おはようございます 写真は大垣市青墓町の円興寺境内より見下ろした光景 梁塵秘抄の聖地の寺院です 実は円興寺は織田信長の焼討にあっていて 現在の円興寺はその後の再建 元円興寺はここから見える向こうの山にあって 多宝塔もある立派な伽藍だったそう 朝長の菩提寺だからお墓もそちらに

 

都幾川の慈光寺もそうですが 慈光寺も戦火にあって現在の寺院はたしか江戸時代にどこかから移築した建築 私は小説を書くので当時の雰囲気を感じたいから 時代の違う建築空間にいるのは辛い ご住職様とは親しく接しさせて頂くから それを言うのは申し訳ないのですが(今はじめて告白しました)

 

奈良の円成寺だったと思っていて写真に残っていないので記憶違いのようですが 訪ねた時に「こちらは当時の建築」と説明された」寺院があって この建築が後白河院当時の雰囲気を残すと飽かず眺めていた寺院がありました 元円興寺、登って気配に浸りたかったです

 

帰宅してまだ二日だから仕方ないけど 発表が終わったら原稿に の思いも 帰宅後の諸々のご挨拶 お礼やご報告等お便りを書くことがいっぱい 昨日は後片付けでできなかったし 籠りたいけどこれが社会に生きること と諦めて頑張ります

 

気象庁によりますと、8月25日(日)19時28分頃、浅間山が噴火したもようです

 

RTの千葉一の宮 ずっと以前私が文学関係で大変な目にあって悩んでいた時に いつもここに書いているご高齢の文学の先輩が ご自分が信奉されている占い師の方に占って頂いて 千葉一の宮に行ってお祈りなさいと言われ その方は遠いのに行って お砂と清めの塩を頂いてきて下さって これで大丈夫よと

 

今もその方に相談したいくらいいろいろな目にあうけど もうご相談できるご体調ではないし 一人で解決して頑張っているのだけれど 今だって問題を抱えて必死の時 TLで千葉一の宮を見るなんて なんか 以心伝心で彼女に力を頂いたみたいな気分で感涙 頑張ります

 

今年のひとつの節目の学会が終わって まだ後処理の整理がついてないけど いろいろ気分は総括 朝のTLで思いがけず源氏物語享受史研究の世界に踏み込むことになった恩師を思い出させて頂いてお電話しました 研究に決着ついてもう思い残すことないから小説に戻ります とご報告 絞られていっています

 

写真は円興寺様を訪ねての帰り 大垣駅に向かう途次の車窓風景 国分寺跡とか朝長墓 青墓宿等々 ところどころ標識が現れます 私が見るのは遠くの山 青墓に住んでいた白拍子たちに山はどのように見えていたかなど 一帯の空気感が大切だし 好きです

 

RTさせて頂いたヨーロッパの教会 素晴らしすぎて目をみはるばかりですが それに比べて私が書いている中世日本の世界は・・・ と考えて そうっか 青墓から出た白拍子が宇治の平等院を見た時の驚きがこれなんだと 白拍子の風はそういう出だしでした 極楽いぶかしくば宇治のみ寺をうやまえ ですね

 

点と線 再掲ですが総括で 今回の発表の事跡を年表にしたものです 鎌倉幕府四代将軍頼経から 室町幕府九代将軍義尚までの時代に ぽつんぽつんと 点として 『源氏物語』写本の事跡が残っています それを人脈と写本の大きさから推して線として繋ぎました

 

その人脈です 要は「孝行」という人物ですが 「河内本源氏物語」を作った源親行の弟でありながら 知られていません 彼が 鎌倉で実時(小侍所別当)から『尾州家河内本源氏物語』を借りて同じ写本を作り 京に運んで 為家にご覧に入れた 知られていない人物の功績って 陽が当たらなすぎと思う

 

有名かどうか が 評価の分かれ目 とか 研究対象や注目の的 とか とにかく有名かどうか が問題なことに疑問を抱く昨今です それは論文も同じで 無名の研究者さんだから無視されたままで 最悪潰されてしまったり でも有名な方が書いたのだと一躍新聞の一面に なんてこともありそう

 

研究の世界を離れることにしたから さばさばと思っていることを書けるようになりました笑

 

8月27日

おはようございます もう論文にして残す時間がないのでここに書きます どなたか研究者さんのお目に届くことを 『尾州家河内本源氏物語』のことです 「河内本源氏物語」の由緒ある写本として研究者さん方はこの写本を親行重視の視点で研究されてきていますが この写本に親行は関わっていません

 

これが今回の年表と人脈をもとに『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』についての研究発表で見えてきた結論です 写本は人がその人の存在する時間のなかで作るものですから 年表と人脈で見えた世界を忠実に信じるなら親行重視の視点は無理です 素直に実時の奥書を実時のものとして読むべき

 

であって 現代の研究者さん方が「河内本源氏物語」の評価が固まった現代の視点から見るから研究が錯綜したまま結論に至っていないのでしょう 孝行 というほとんど無視されている人物を投入して見えてきた世界です 写真はこの春の菫 この頃からTwitterで私自身の感性や視点を変えて頂いた記念に

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2019.8.25 ツイッターから転載…日々雑感、岐阜県大垣市の青墓に行きました&国文学学会の研究発表を無事に終えて

8月23日

桃山晴衣氏『梁塵秘抄うたの旅』を拝読中なのですが 青墓は「おうはか」と読むらしい 歴史散歩の本の索引 「お」の項を見たらあるのかも 独学で本からだけで学んでいると 音読がわからなくてこういうことが

 

青空!

 

凄い雲 このあたり富士山じゃないかなあ 新幹線が止まったりの何かあるといけないから 研究発表は明日ですが 前日の現地入りです

 

名古屋はすぐだから 乗り過ごしたら大変で ゆっくり読書もできてません笑

 

スマホを出すのが遅かったから過ぎてしまいましたが 天竜川です(右側)

 

浜名湖 を渡ったと思います

 

車窓に二川宿本陣 って見えたのですが このあたり瓦屋根の家が多いですね 瓦 って なんか産地があったような

 

熱田神宮様を案内して頂きました。恐縮以上の畏怖でもうひと仕事以上の仕事をした気分。これから岐阜なんですけど、緊張で精力使い果たした感じ。いい経験をさせて頂きました

 

感動! 青墓の道標です

 

歴史散歩の本を持って来なかったのでまだ索引を見ていないのですが、地元では「あおはか」が町名でした でも ほんと 音読は耳から入ってないと難しい いくらチェックしても まず疑わなければ調べませんものね

 

境内をくまなくご案内頂き 宝物館でも丁寧に解説して頂き 足の疲れか緊張かわからなくなっていますが 疲労困憊で ホテルに入るなりベッドで休んで起きられませんでした 明日が本番というのに

 

そういえば 宝物館に中世の熱田神宮の絵図があって 当時は五重塔と宝塔があって 境内を僧侶が歩いてる 当時は廃仏棄釈されてないからこの光景だったわけで びっくりして ではとはずがたりで二条が参拝した時に目にした光景がこうだったってことなんですか って思わず尋ねてしまいました そうだそうです

 

Twitterを見て家族が歴史散歩の本を調べてくれましたが 「お」の項にもないそうです

 

大垣市青墓町 梁塵秘抄の聖地「円興寺」様境内に建つ「遊びをせんとや」の歌碑 桃山晴衣氏の書だそうです

 

青墓の道標の傍に白百合が 不思議なのですが 史跡を訪ねるとよくそこに まるで訪ねた目的の創作に登場する女主人公を象徴するかのように 綺麗な花が咲いています 今回も 創作白拍子の風の二人の白拍子みたいに百合が

 

円興寺は白拍子の長者大炊氏の菩提寺で 義朝と一緒に逃げてここで命を落とした次男朝長の菩提を弔う寺院 近くに朝長の墓 という道案内がありました

 

円興寺は白拍子の長者大炊氏の菩提寺で 義朝と一緒に逃げてここで命を落とした次男朝長の菩提を弔う寺院 近くに朝長の墓 という道案内がありました

 

と 気ままにツイートしてたら なんとなく元気が出てきました

 

8月24日

おはようございます 寝過ごさずに起きられて まずはほっとしている朝です ほんとうは発表の練習をしなければと思っているのですが まだなんか切出し口が決まらなくて取りかかれず です笑 写真は大垣駅のコインロッカー 驚きました

 

バス停 墨俣!

 

長良川です

 

発表が無事に終わって懇親会は失礼して帰途のバスですが 昨日が雨でつくづくよかった と晴れた車窓を眺めて思う 熱田神宮様 雨にお社の杜の緑が綺麗でした 猛暑のあとの久々の雨に 案内して下さった神宮のお方も眼をみはられてそう仰られてました 暑かったら玉砂利の参道も辛いそう

 

新幹線 窓外に緑一面の稲田 昨日訪ねた青墓の風景の余韻を思い出しています

 

空は雄大

 

8月25日

おはようございます 学会から一夜明けて今日から活動の第二段階 何から始めようと頭の中がめまぐるしく回転しています 熱田神宮様の近くのお店で美味しいひつまぶしをご馳走になったものですから 昨日は名古屋駅でひつまぶし弁当を買って家族のお土産に お夕飯に間に合ってみんなで美味しく頂きました

 

RTのボルヘスの言葉「屈辱や不幸、恥と思える出来事もすべて芸術作品の原材料となる」私はそれを今しています 少し前までは敗北は屈辱だったし世間的に恥ずかしかった 今は あ! また素材を頂いたと思って達観できる 書いているからですよね (そもそも書くための闘いをしてなかったら敗北もないけど笑)

 

TLを追いながら気持ちを整理していました 発表用に頑張っている時はこれを残しておかなければの思いで論文を書こうと思っていたのですが 発表が終わったら ツキがすとんと落ちて小説に戻ろうと どうしてかなと昨日からずっと考えているのですが 論文で残すということは 学問として残さなくてはと思って

 

いること 昨日 発表していて 学問でなくても小説でそれを書くのだから それでいいのでは? の思いが兆したのでした だんだん仙覚さんの小説に戻るほうに気持ちが絞られていっています かなりの量になるのでしょ これからだと生きている間にということになるから お互い頑張りましょうね と名古屋の友も

 

写真は名古屋駅で見たポスター 青墓にいく途中も車で中山道赤坂宿を通りましたが このポスターそのままで素敵でした 青墓の余韻が強かったから帰ったら白拍子の風にかかりたい気持ちがありましたが それも抜けました

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2019.8.22 ツイッターから転載…日々雑感、研究発表の岐阜へ行くことで

8月20日

吉祥寺にでたついでに 書店に寄って新幹線で読む本を探したら 九条兼実があって 十一月の講座の準備にもなるしと思い購入しようと思ったのだけれど やはりもう書籍は増やさないことにしてるし 兼実は後で図書館で借りればいいことだしと見送り 文学に浸りたいけど今はそういう状況ではない と種々無聊

 

私のなかには仙覚さんがいるし 終わったら最勝光院滋子さんをやはり完成させたい思いが兆しているし 早く没頭したいです

 

ゴロゴロ鳴ってます 大きな雨が来そうです 来ませんように

 

とりあえず持っていく本はこれ(定家の明月記)にして こういう時こそ本当は玉葉とか吉記を読めばいいんだと さっき最勝光院滋子さんが気分に浮上したことで思う 両方とも手軽な本になってくれないかしら 仙覚さん関連でこういう本がないのがつまらない 吾妻鏡とか そういうのしかなくて

 

8月21日

おはようございます お預かりしていた古筆切の源氏物語断簡 届いたとメールを頂いて 今後発表の折に使って頂こうと思ってましたので返却しなくてもよかったのにと いくら断簡が素敵でも 個人の私が持っていていいものではないし 家にあるのが怖いくらいでした それにもう私は発表はしないつもり

 

今回の発表で長年の『尾州家河内本源氏物語』奥書問題に決着がついたし 多くのことが明らかになった そしてやはり原点が金沢文庫だったことを確認 それでもうよしとして 私は文学に帰らなくちゃ これ以上 書く書く書く を繰り返して寄り道してたら 私は不言実行の正反対の人になってしまいます

 

といいながら 発表の内容を活字にして残しておく使命も脳裡にひっかかっているのですが 写真は石山切伊勢集 書道のお店のワゴンで買ったものです どなたか書道をされてた方が手放されたのでしょう で これが印刷物だから 染めか刷りかわからない 今度展示を見る時にはそこに注意します

 

鎌倉ペンクラブでは毎年11月に四回の連続講座をします 今年のテーマは【万葉集】 私も一回講座を持たせて頂いて 9日に決まりました 頂いた課題は仙覚さんで「仙覚律師の生涯―京・鎌倉の文化交流―」 仙覚さんがどういう人間関係の中で生き それが万葉集にどう繋がったかをお話させて頂きます

 

チラシを制作中だそうで 詳細はその時にまたアップさせて頂きます

 

8月22日

おはようございます 持って出る本はこれにしました 桃山晴衣氏『梁塵秘抄うたの旅』 青墓を検索していたらみつけて なんと地元の図書館にあったので借りてきました 荷物を整理していると なんか人生の一画期を迎える気分 これで終わりなのだなあと 随分いろいろ試行錯誤してきたけど やっと整うと

 

仙覚さんの小説 書く書くと言って書けないでいたけど 自分自身や周囲の事情で書ける環境でなかったことは確かだけど 解決しない問題を先送りにしてたことが大きい 今回の研究発表でそれが解決した今 心からそう思う 人は心に迷いを抱えていると 毅然とした態度になれないんですね 今 なれた気分です

 

それにしても 岐阜って 私には青墓のイメージしかなかったけど 例えば大垣市青墓町というくらいに青墓の地元である大垣市のサイトでさえ 青墓の文字を見つけるのに苦労するくらい「売り」になっていない 松尾芭蕉が奥の細道に出て何周年とか義朝がとか… なんでだろう 私のイメージが間違ってるの?

 

いつも 京都へ行く時 新幹線で岐阜を通過する時に ああ青墓の地 と思って窓を食い入るように見て過ごして 過ぎてしまうと なんか一つの旅が終わったみたいな寂寥感の後に京都に着く という その岐阜にいくことが 今回の研究発表の最大のポイントみたい笑 新幹線ではその続きに 比叡山を見る期待感が

 

大垣市は 奥の細道の結びの地でした! 知らなかった あれほど中学生の時浸って読んでいたのに 奥の細道といえば東北 のイメージしか残ってなくて 『岐阜県の歴史散歩』を借りてきて見ています

 

私が何か勘違いしてたのかしらと 義朝の説明ページを見たら やはり青墓は大垣市 でもこのページでも青墓宿の義朝との関係が書かれているだけで 梁塵秘抄の文字は皆無 なんなのこれ 梁塵秘抄はもっと知られてしかるべき

 

ネットで青墓宿の道標を見て その場所を探しているのですが この地図の範囲内のはずなのに 歴史散歩の本なのに その道標が記されてない って なんか私がどこかで大いなる勘違いをしてたかのような 狐につままれた気分

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2019.8.20 ツイッターから転載…日々雑感、発表のパワポが終わって

8月17日

発表のパワポ 写本の大きさの比較です 左の正方形が通常サイズ 掌に馴染んで読める大きさです 真ん中が少し大きいサイズの縦長 右の藍色のが『西本願寺本万葉集』と『尾州家河内本源氏物語』 並べると如何にこの二つの写本が大きいか 30㎝越えの大きさは異常です 並べてみて今更に思いました

 

ちなみに 『西本願寺本万葉集』と『尾州家河内本源氏物語』は 料紙もサイズも 装丁が同じです 同じ時期に同じ人物が作ったとしか思えませんよね

 

全部『源氏物語』で揃えたかったのですが 右の2サイズの写本 手持ちの本がこれしかなくて 藍色のは展覧会で観た実物の色に近い紙を買って作りました

 

前からそうなのだけど 尾州家河内本源氏物語だと赤 西本願寺本万葉集は緑 とフォントの色が私的に決まっていて 源氏物語は華やかだからなのですが ならば万葉集は青でもいい? と思ってもやはり緑 なんか印象があるのでしょうね

 

8月18日

おはようございます 起きて唐突に 私は修羅を見たのかもしれない という思いが湧きました 青墓に行く日が近づいているからと思います 修羅を経て静かなる時あかときの底に棲みたるおおいなる修羅 これは文学で挫折して苦しんだ泥沼から抜けた時にふっと湧いて出た一首ですが 白拍子の風で主人公

 

の境地にちょうどいいので作中に使いました 歌は 私は短歌の会に所属させて頂いていますが 私にとって歌は作るものであり苦しみでしかないのに ふっと湧く一首には自分でどきっとします 白拍子の風ではもう一首 書いている文中にすらすらと湧いて出た一首があり 歌って本来そういうものだなあと

 

とにかく青墓に行く日が近づいているから ずっと白拍子の風を引きずっていて気持ちがゆたかです 遠のいていた二人の主人公がまた自分のなかに戻ってきて。 写真は以前講演で使ったスライド 十年の活動で大分鎌倉に源氏物語受容の文化があったことを認知して頂きましたが 当初は衝撃といわれました

 

発表のパワポ 配布資料をスキャンしてスライドに 一昨日アップした「あまりに複雑なので年表にしました」ということの資料です

 

再掲ですが その年表

 

今日はパワポに集中 気魄が戻ってきています 昨夜パワポが不調でどうしようかと思いました 今朝直っていることを祈りしながらPCを開いたらちゃんと昨夜の分まで保存でいていてほっと 作業が順調に進んでいます この調子で今日中に仕上げられたらいいです(恐いので頻繁に保存しつつ)

 

ふう~っと一息 どっと疲れが パワポひとまず終わりました 講演と違って短時間だから枚数も少ないので楽 結局私は活動の原点が金沢文庫だから 文庫の歴史や当主の方々を通暁してたからこそ見えてきた世界 文献だけでは無理と思います 添付は『尾州家河内本源氏物語』に奥書を残す実時について

 

スライドについて 講演はとにかく聴いて下さる方が眠くならないよう 派手に派手に作っていました 家人が 学会の発表でもそうするの? というのではっとし 渋く渋く作るよう心掛けたのですが 気がついたら全くいつものようになっていました笑 これでUSBに入れて 後は出かけるだけになりました

 

出発まで 何しようかしら

 

こんばんは 今回の発表では『尾州家河内本源氏物語』奥書に名を残す北条実時の外に 孫の貞顕も登場します 先ほど実時のスライドをご紹介したので貞顕も 鎌倉の文化に多大な貢献をした人ですが 執権になっても迫害に怯えてすぐ辞したなど 歴史家さん方から侮られて人物の本当の評価がされてません

 

実時を祖とする金沢文庫の当主方は 政治の表舞台では主流でないから評価がされてなさすぎる気が 今までの鎌倉の歴史観は政治が主流であり過ぎたんですよね 金沢文庫の当主三人はもっとほんとうのところを知られてしかるべきと思います なんか有名でないと顧みられないのが従来の評価観みたい

 

私は 十六夜日記の阿仏尼が鎌倉に下向して訴訟を起こしても敗訴を繰り返したのに 子息の為相の時代になって勝訴したのは 貞顕が六波羅探題時代に為相と交流があって それで二人が鎌倉で再開した時に為相の訴訟の勝利につながったと思っています 六波羅探題時代に為相が提出した書類に貞顕の署名が

 

8月19日

私は 十六夜日記の阿仏尼が鎌倉に下向して訴訟を起こしても敗訴を繰り返したのに 子息の為相の時代になって勝訴したのは 貞顕が六波羅探題時代に為相と交流があって それで二人が鎌倉で再開した時に為相の訴訟の勝利につながったと思っています 六波羅探題時代に為相が提出した書類に貞顕の署名が

 

に私はそう呟く勇気がなかったとしみじみ 最初にそれを味わった時 歴史の先生にご相談したら しばらく鎌倉を離れなさいとのアドバイス そうして距離をおいて救われました 今も 離れているから救われているし 自分の本領は自分自身にしかないことの確認に 書いています とツイートしてちょっと

 

力がでました 気がついているのですが 私に欠けているのは勇気ではなく 社会的に力がないとという分析力 戦う怒りって原動力ですよね 写真は横須賀線で鎌倉駅に近づいた時に車窓に見える阿仏尼の慰霊碑 線路をはさむ対岸に子息の冷泉為相の墓がある浄光明寺があって 互いに見守っているそうです

 

投稿の阿仏尼の慰霊碑 最後に鎌倉に行ったこの最近 いつものとおりにこの慰霊碑を見ようと車窓を見守っていたら なんか洞窟の入口が塞がれてこの写真のようには拝観できなくなってました 一時的なのか 気になっています (私が鎌倉に通うようになってたかだか二十年でもどんどんいろいろ劣化)

 

名古屋を通るから熱田神宮に参拝したいと思っていて 今名古屋在住の文学の友と連絡がついて 一緒に行って頂けることになりました 何年ぶりかの逢瀬 楽しみに

 

今日 名古屋の友と話していて 会場の大学が大垣だからというと ああ三重に近いところと言われ え? 三重県って愛知県の下(地図で)岐阜は上 と訝しがったら 岐阜は三重県と接してるのよと まさかの思いで地図を見たら確かに 私にとっての三重県は桑名以南で 岐阜とは遠いイメージでした

 

十一月の講座 二日か九日か待って下さいということで待ちながら 連絡がないなあと思ってたら メールで チラシを作る時期に入ったのでタイトルと副題をお願いしますって どっちかわからないけど決まってるらしいです笑

 

今日 お預かりしていた古筆切をお礼状とともにお返ししました 最初のその方の私へのお計らいは 尾州家本と関係した一枚の古筆切でした なのに 初心者の私が古筆切の世界を知るためにと 一緒に添付して下さった別の古筆切で私が閃きを得て一気に研究発表に 最初の一枚には触れられない結果になって恐縮

 

返却のために恐る恐る触れた古筆切の和紙の感触 一生忘れません 古筆の筆跡も 一生眼に焼きついて忘れません 古筆切 凄いです

 

お預かりした古筆切は枡形本源氏物語の断簡数枚だったけど 料紙が色がついていて でもそれは私が知っている染めではなく 上から一律に刷いたもの 手触りがそうでした 展覧会でケース越しに見た和漢朗詠集など 今迄染めだとばかり思って見てたけど どうなんだろう実際は たぶん印刷ではわからないです

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2019.8.17 ツイッターから転載…日々雑感、研究発表のパワポ制作に&青墓の地が呼ぶ白拍子の風への思い

8月15日

『尾州家河内本源氏物語』の八木書店様カラー版影印本を繰っていて 粉熟 と振り漢字してあるのを見て何だろうと気になっていたら TLで奈良の方がお菓子だとアップされていて これだあ~ となったのですが そのツイートが今探し出せなくてネット検索しました ふずく って読むんですね 

 

やっとパワポに気持ちが入りました 今までどうしても入らなくて・・・ 発表がもう来週に迫っているのにどうしようもありませんでした 昨日図書館で確認した作業は この発表で見えてきたことの確認で 発表そのものとは無関係なんです でもこれでやっとツキが落ちてパワポに なのでしょうね

 

あまりに内容が複雑なので 最初に通しでざっと説明することに それで年表を作りました やっと いざ 始動

 

8月16日

シュトルムの湖がある意味私の文学の原点で もうひとつデュラスのアンデスマス氏の午後があるのだけれど こういう短編を書きたいとずっと思っていて ある日の将軍頼経 を書こうとしたこともあったけれど 今日ふと 親行の内面はこの種の文学でないと書けないことに気がついて いつか書きたいと思います(年表を見て 親行の存在の影が薄くて・・・)

 

親行は大いに魅力ある人物なのだけれど 仙覚さんの小説では脇役でしか書けない気がして

 

研究発表のパワポ 登場人物が複雑なので図化しました 人間関係を把握していないと見えてこない今回の発表 光行の子の孝行が 定家の子の為家に家司として親近だったこと ただの家司でなく 父親どおしの定家と光行が親友で その子供たちの話 として見ることが重要

 

そういえば今日 岐阜には絶対来られなくて聴いて頂けないとわかっているある方に 当日の配布資料を送らせて頂いたのを お返事頂いて 面白い視点と思いました とありました そうだと思いますと自分でいうのも変ですが これは『源氏物語と鎌倉』でこのあたりの人間関係を網羅したからこそだから

 

寝ようとして 思い出してつぶやきました

 

8月17日

おはようございます 昨日から発表が終わったら何をしよう という思いが萌して(まだパワポもできていないのに笑) もうずっと鎌倉の源氏物語以来 研究も含めて 自分のためでなく他人事のためのことばかりしてたから 自分のためのことをしよう という気持ちが強いです 研究も 研究者になるわけ

 

でなく 見えてしまった世界を残しておこうというだけでしてきました 活字にしておけば いつか必要になった方の眼にとまるから でも自分が生きているあいだに自分の成果を残しておかないと の思いは強いです 岐阜は白拍子の風の舞台です 行くのが楽しみ そこで かつて書いた主人公たちの息吹を

 

感じて帰ってきて そうしたら 白拍子の風をkindleでダイレクト出版しようかな など昨日から思い始めました 研究をいくらしても当代の研究者さんたちのお心に響かなくて虚しさばかり(実際はそんなことはなく見て下さる方は見て下さっていますが) 出版すればダイレクトに反応いただけるかしら

 

「暴流(ぼる)というのだそうよ」と歩き出してしばらくすると、唐突に銀嶺姉さまが言われました。「阿頼耶識というのだけれど、人にはおのれの預かり知らぬ深いところで延々と引き継がれていく流れがあって、それが深い河のように悠然とわたしたちを古から未来永劫の世まで運んでいるの。人の一生は

 

そうした流れの中のほんの一瞬に過ぎないのだけれど、そうしてそれはふつうでいけば静かに終わるはずなのだけれど、あるとき突然暴れ出すことがあるんですって。それはどんなに修行を積まれた偉いお坊さまでも、その一生を根本から揺さぶられかねない、荒々しく激しいものなの。だから人はそれを恐れる

 

のだけれど、わたしはそこに真実というものがある気がする。人として一度でもそんなふうな真実の人間に出逢って死ねたら……。それが生きてきたことの本望というものではないかしら……」←白拍子の風の一節 早朝の新幹線車窓で眩い朝陽に輝く川面を渡った時に湧いたフレーズ 懐かしい新幹線の思い出

 

発表が終わったら仙覚さんの小説 と思っていたのに 気持ちがどんどん白拍子の風に引きずられていく 青墓の地に呼ばれているのかも 青墓から出て京で生き 失意でまた青墓に籠ってまた出てきた京である感慨を持つ それがラストの小説です まさか今頃になって現地に行くなんて 思ってもいなかった

 

後悔先に立たずとか 失われた時間を取り戻すことはできないとか 知ってはいても人はその時その時に求められた任務のようなものの中で時間を費やす 今更に鎌倉で活動してなかったら白拍子の風はとっくに本になっていたと思うと 涙ぐみそうにな気分 失った15年間は長いです

 

発表は 青墓が呼んだのかもですね 岐阜の会場と知って

 

思い出しました なぜ 鎌倉の歴史に首を突っ込むことになったか それは白拍子の風で見るものを見た主人公の白拍子が 別天地を求めて鎌倉に下る第2篇を書こうと思ったから 第一冊が京都の章 第二冊が鎌倉の章 になるはずだったのに…

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2019.8.15 ツイッターから転載…日々雑感、広尾の図書館に行って『尾州家河内本源氏物語』を!

8月13日

おはようございます 炎天下の外出は危ないから金沢文庫の図書室に と思ったのですが 台風の影響で当分炎天下はなさそう なので広尾で済ませられるのだけれど 昨日の金沢文庫への気づきは今後の活動を明確にしてくれるためだったみたい 物事には決断の時があり そういう時やはり気づきの何かが

 

ペルセウス座流星群 もうずっと以前 小学生だった娘とベランダで一時間以上見ていたことがありました 結構流れていて楽しんでいたら どこをどう流れたか火球が それが飛び込んできたかのくらいだったので悲鳴をあげて よそを見ていた娘は見なかったから どうしたのと驚いて 火球 怖かったです

 

母の母 田舎の祖母ですが 田圃の道を歩いていて 火球を見て驚いて腰を抜かしたという言い伝えが ベランダで火球を見た時 祖母が腰を抜かしたという話を思い出しました 歴史は繰り返すというのか 血筋というのか そんなことを思ったのでした 今夜 空を見ようかしら

 

RTの足利将軍像 六代義教が尾州家本54冊の内 欠けている13帖を補瀉して 九代義尚の時代に三条西実隆がその源氏物語に関わる日記を残しているんですよね 尾州家本は鎌倉で作られて金沢文庫に収められていたのが 滅亡時に持ち出されて足利将軍家の所有となりました 尾州家本がそれほど寵愛されたのは

 

河内本だから ではないことがここでもわかるでしょう 鎌倉で作られた立派な写本だからです 高価な料紙を使っていますし

 

8月14日

おはようございます 過小評価 の語が浮かんで飛び起きてしまいました 尾州家本の実時奥書の件です 自筆か否かで論争になっていましたが そんなこととは関係なく そもそもそこに実時の奥書のあることを重要視しなければいけなかったんです それを由緒正しい河内本の写本だからと 従来親行の観点で研究

 

いたから無理があったということ 河内本が重要視されるのは この写本ができた時代よりずっと後 この写本が作られた時に親行の立場はまだ評価されてなかった 評価していたのは 長く親行に源氏物語を学んでいた実時だけ だから実時は尾州家本の本文を親行の河内本本文に書き換えた 奥書が意味するのは

 

二人のこうした麗しい師弟関係です 古筆切の世界を加味して尾州家本を考えたら こういう結果になって それを発表するのですが 過小評価 の語がどうしても浮かばなかった なのに今朝浮かんで 実時の過小評価が事態を誤らせていたんだなあと 写真は関係ありませんが 定家の御物本更級日記です

 

私が研究者でもないのに研究発表などということをしているのは もともと小説のために歩いた調査やロケハンが 従来の説とは相容れないものがあって それでは整合性ある登場人物たちの動きを書けないからでした 今度の実時の過小評価の発見も これでやっと当時を正確に書けます 仙覚さんの小説で

 

都立有栖川宮記念公園内にある都立図書館に行って 尾州家河内本源氏物語の八木書店様刊カラー版影印本全十巻を全ページ眼を通してきました 本文を読む訳でなく ひたすらページをめくっていたらさながら般若経の転読 読んでいないのに字面から物語が浮かび上がって 読んでいる気分 ご利益あるかしら笑

 

写真は最上階の食堂からの眺め 東京タワー方向です 夏空ですね 台風の影響で炎天下を避けられるかと思ったのに バッチシ炎天下でした

 

@有栖川宮記念公園

 

もう一枚 @有栖川宮記念公園

 

帰宅しました 三鷹では一時的に猛烈な雨が降ったみたい 地面が水が流れた後の濡れ方で濡れています 源氏物語54帖 全ページチェックして コピーしたのはこの10枚程度 状況もわかりました 活字でしか原文を読んでないから 写本で全ページ見たのはいい経験 書き手それぞれに特徴あって

 

ほんとうは今日の図書館の整理をしたいのだけど 疲れたのと諸々集中力が切れて 今からはもう無理 図書館の収穫はたしかにあって 実時の奥書に関してそうではないかと思っていたことが やはりそうだったと確認できました コピーしてきたから その文字を拡大して撮って パワポに 今日はひとまず寝ます

 

8月15日

おはようございます 昨日図書館で転読ふうに全ページ眼で追った『尾州家河内本源氏物語』 八木書店様の刊行が第一巻がちょうど私の『源氏物語と鎌倉』と一緒でした 私はその前に「北条実時と『異本紫明抄』」を書いて実時の源氏物語との関わりを知っていたから 夢浮橋巻末の実時奥書について研究者

 

様方とちょっと違った見方をしていました それが今回古筆切の世界を加味して考えた研究発表で納得できる状況になり それで図書館に確認に行ったのでした 奥書が実時の自筆か否か問題で 私は筆跡に馴染むようにずっとコピーして手帳に入れて持ち歩いていたのですが 気がついたらそれは八木書店様の

 

影印本からのではない 第十巻が刊行されたころには私は鎌倉の活動に忙しくて見ていなかったんですね どこからコピーしたのかも覚えてないけど 『尾州家河内本源氏物語』の正式の配列でその奥書を見たのははじめて それに気がついたのも今朝 なんか いろいろ時間が経って記憶が錯綜しています

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2019.8.13 ツイッターから転載…日々雑感、絶対的孤独とか、青墓とか、鎌倉の源氏物語のこと

8月11日

起きてなんとなく熱中症っぽい気がして冷やしたら治ってきた 冷房を効かして 外には出ないで暮らしていてもこうなる 熱を使う料理のせい? 怖いですね ツイッターで徐々に熱が蓄積されて沸点を越えると発症と読んだから早めに処置しました 昨夜気づいた孤独感 まだ引きずっていて これぞ絶対的孤独と

 

そうしてこの絶対的孤独こそ仙覚さんの孤独だったのだと認識 これは頭ではそうだと理解していても 自分で経験してみないとほんとうのところはわからない 絶対的孤独のなかにいたからこそ 仙覚さんのあの万葉集研究があった その集中力はそれに支えられていた と そんなことが実感できました

 

自分のなかの 精神の 深い深いところにおりていって その先に見出したひとつの曙光 そんな感じが実感としてわかりました 仙覚さんの小説が 今の私にとってそうだから 写真は武蔵国分寺の国分寺境内にある万葉植物園にて なんという花でしょう ひとつひとつに名札があったはずですが

 

書く人は ほんとうに不幸に追い詰められないと真実のものが出てこない 追い詰められればられるほど 書くものが真実に近づきます だから 今はとてもいい状態 (小説はまだ仙覚さんでなく なんと 頼朝を書いていたりするのですが笑 頼朝が比企尼に比企谷を与え そこで起きたのが比企の乱)

 

研究発表の大会が岐阜だから 青墓だけはどうしてもと思っていて まず会場の大学に近い大垣にホテルをとって それから青墓を検索してたら なんと 青墓は大垣市青墓町 ラッキーというか こんなふうにいつも出たとこ勝負なのですが なんとなくいつも上手くやってます

 

青墓・・・ 楽しみ 「白拍子の風」という小説で 主人公二人の出身地にしたけど訪ねてなくて これはいつか本にするから 一度は訪ねておかないと ピンポイントの「どこ」でなく このあたり一帯の風景を見て感じるだけでいい

 

いつか本にする って 仙覚さんの小説が終わったら と思い始めてからのセリフだけど 仙覚さんの小説がこんなに長引くと思っていなかった いつか が実現する前に体力が果てそうだから 白拍子だけでも先にkindle出版しようか って考えたり

 

8月12日

おはようございます 今日からパワポの編集に入る と考えたら後一回図書館に行く用ができ この炎天下 嫌だなあと思ったら そうだ文庫の図書室にしよう あそこなら駅から車で行けるし となって そうしたら文庫関連で そうっか あの方に謀ってみればいいかもと思い出すことがあり そうしたら みるみる気持ち

 

が固まって いろいろ動き出しています 大詰め そして集大成 今回の発表はこのためにあったようなもの 内容的にも 繋がりの意味でも 昨日までがなんか死んでいたような気分 覚醒しました

 

写真はいつも書く方とは別の文学の先輩の絵 父が早世したせいで社会を知らずに育ったから この方がいろいろ教えて下さって 日本画の画家さんです 私のお守り

 

『源氏物語と鎌倉』への道ー過去のエッセイ①: 頭が冴えわたってきました 物凄くめまぐるしく頭が回転しています 鎌倉ペンクラブの方々が私の活動を応援して下さって 折に触れ書かせてくださいます そんなエッセイを二枚 興味あったらお読みいただきたく 2013年「理想の書物への憧れ」

 

『源氏物語と鎌倉』への道ー過去のエッセイ②: 2017年「『源氏物語と鎌倉』、その輪廻の旅」

 

『源氏物語と鎌倉』の刊行が2011年12月。この本で鎌倉ペンクラブの入会をお勧め頂き 以来ご支援頂いています 鎌倉に源氏物語の受容文化があったこと それは鎌倉の歴史観を変えるほどの重要な問題です それを金沢文庫から発信していただきたいと思い これから活動していきます 全て準備整ったかも

 

いろいろお送りする資料を一式ずつ揃えていて 順次投函してたのに 封筒がなくなって ロフトに買いに行くあいだ保留になっていたお二方 そうしたら 今朝の決断に大変関わってくる方で送らせて頂く内容も変更に なんでこうなるの たまたま封筒が切れてただけなのに と目が覚めるような展開に驚いています

 

ツイートはしたけど 今日TLを追ったのははじめて 物凄くざっと遡って見ました

 

最後にお会いしたのは鉢の木の宴席からの帰り 一足先に帰ろうとしたら では僕も行くと 北鎌倉の駅まで一緒に歩きました その時ご病気を打ち明けられて… 今日その方の訃報を聞きました 私を鎌倉に繋いで下さった方です それ以外の日常的繋がりがないから 何方からも連絡がなくて今日まで知らなかった

 

短歌の会の主宰の親友でいらして 私とは何の繋がりもないのに私の鎌倉の源氏物語への取り組みに支援して下さって 八王子で写真展をした時にいらして下さって 会場でめんめんと取り組みの成果が上がらないことを訴えたら じゃあ僕がいい人を紹介しますよと そうして紹介して頂いた方が最初の講演の企画

 

をして下さった方 今日その方からお電話を頂いて 彼女も旅行に出てらしたから今日ご訃報に接して それでお電話頂いたのでした 私が鎌倉を離れて小説のために籠った今 私のその方へのご恩返しは小説の完成 700枚くらいになりますね と仰って頂いたのもつい昨日のことのよう 心からご冥福をお祈りします

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2019.8.11 ツイッターから転載…日々雑感、仙覚さんのことなど

8月9日

おはようございます 明日から研究発表の準備にかかるので 今日が何かの最終日のよう いろいろ整えておかなければならないことも今日中に 不思議なのですがこういう最終日の前日って必ず眠くてぐだぐだ 何もかも散漫になります なのに当日を迎えるとシャキッと 今朝も気持ちが引き締まって凛と

 

写真は 仙覚さんも通った鎌倉街道上道(かみつみち) 鎌倉から比企(埼玉県)を通って高崎まで この写真は武蔵国分寺の脇を通るところです 仙覚さんは何度も鎌倉と比企を往還しました 当時武蔵国分寺はまだ戦火で焼かれてなかったから 仙覚さんは華麗な伽藍に感動しながら歩いたことでしょう

 

一枚目に写る小さな道が鎌倉街道 右へ行った奥に最初の写真の保存された鎌倉街道があります ここは武蔵国分寺尼寺の脇になります 往時の推定復元図を添付します 仙覚さんが見た光景 と思って見てきました

 

今回の研究発表ははからずも仙覚さんの小説で書かなければならないけれど事情が不明 というところが解明されて やっと仙覚さんの小説の全貌が整いました そんな豊饒感から仙覚さんが歩いた鎌倉街道の写真を貼付したのですが 今まで撮った仙覚さんの足跡をインスタにまとめようかな と思ったり

 

といっても してはいけない 執筆に専念すべき とわかっているのでしませんが

 

仙覚さんの思いを追随することは辛いけど これがまさしく仙覚さんが生きて味わった苦悩 と思うと小説のために経験させられているのだという気がする 仙覚さんにとって そこから万葉集が生まれ 私にはそれが仙覚さんの小説 だと思う

 

女三宮の降嫁のときの紫の上の苦悩 そんなことを思ったりしています 文学をしていると なんでも こういうときの心構えって できているものですね

 

源氏物語のこういう人生への指針は 基子さんに活かしました 基子さん 源氏物語のファンです 更級日記の作者を投入しています

 

運命のいたずらで 、再び世間の波に投げ込まれたときも 、世俗的世界には私の心を高揚させるようなものを一瞬たりとも見出すことができなかった 。 『孤独な散歩者の夢想』 ルソー 永田千奈 訳

 

うじうじとどうしても決断つかないときは どこかで何かが起きているとき ホテルをとらなくてはいけないのに いつからいつまで どこで が決断できず ここのところうじうじしていました 今日やっとその全貌が見えて気持ちも定まりました 見定めることって大事 写真は西武百貨店池袋店にて

 

今朝たまたまモネのジベルニーの庭を幾つかRT させて頂いたので 日本版モネの庭の写真を そして たまたまRTでルソーの孤独な散歩者の夢想があったので それを啓示と受け止めて

 

こういうとき人はどういう動きをするのか とか どういうふうに思うのが普通なのだろう とか 自分のなかに図りながら時間をとる これってこれからますます重要 と 仙覚さんの小説にいよいよ入っていくのだなあ というような武者震いの気分 明日からパワポにかかるから その前に今夜 存分に仙覚さんです

 

8月10日

おはようございます どうしてこう天邪鬼なのでしょう 昨夜が最後と思いつつ仙覚さんの小説にかかっていたら止めたくない! 武生の源氏物語アカデミーのように鎌倉を源氏物語と万葉集のアカデミーの街にの夢は仙覚文庫の設立で最高の形で叶ったから 次は仙覚は誰かの普及にターゲットが定まりました

 

たまたま2000字で仙覚さんを書く原稿の依頼があったので そうだ 次のターゲットはこれに と思った次第 発表が終わって帰ってきたら書きます 写真は武蔵国分寺跡にある現在の国分寺 境内にご住職さまが手掛けられた万葉植物園があります 門柱にかかるサルスベリが見事でした

 

私の言っていることは難しい の実例を見てしまいました笑 尾州家本のことやら何やら私の源氏物語世界の研究について 難しいとはよく言われるけどここまで理解されてないとは! と唖然としました でも 小説は打って変わって読みやすいはず そうでなければ小説にする意味ないですものね 写真は一筆箋です

 

もちろん わかって当然のはずの専門職さんのことでの実例です 思うのですが 人の心とか 人間の本質 などということを教育されていない世代が社会の主流に?

 

今日頂いたお便りではっきりわかりました 鎌倉の万葉集のこと お便りには研究者が一人の内は無理 数人集まらないと広まらないとその方のご経験からのアドバイス それで思い出したのですが 私は学生時代広告写真部にいたのでマーケット心理を読んでいます 物事がブレイクするには三つの段階があり

 

をたてて下さった方が二段階目の理解者 出版社さんが三段階目 と解釈していたのですが その後もどうしても鎌倉でメジャーにならない 諦めかけていた時に仙覚文庫の設立 これは出版社さんとの出逢いが二段階目で 三段階目の破壊力のある第三者が 令和の改元だった ということなのですね

 

ブレークに至る三段階は キャンバスシューズというのでしょうか若い人が愛用している布の靴 それを発明して売り出しても売れない 理解して宣伝する企業が現れても広まらない そこに一人の著名な大スターが履いて愛用したら一気にブレークして今や世界中に という実例で解説されていました

 

とっても長いあいだ 一人で 狭い穴蔵のなかで必死に訴えていた気がする 万葉集も源氏物語も世界に冠する日本の偉大な古典なのに それが鎌倉で受容されていたというのに だからそれを誇りましょう! と訴えても何方も取り上げて下さらなかった 何冊本を送って直訴したでしょう やっと・・・

 

今 腰越で蹴鞠の講座を持たせて下さった幹事さんからメール 来年五月に令和二年目記念の仙覚さんの講座を持たせて頂きます その方が昨日仙覚文庫の記事が載ったタウンニュース鎌倉版をご覧になって やっと夢が実りましたねと 明日紙面を送って下さるそう

 

いろいろわかったら いまさらに 孤独だったのはほんとうだったんだぁ~ ってなって ほんとうに いまさらに孤独感を噛みしめています なにしろ最初のたった一人だったのだから といまさらにわかっても・・・ たった一人の苦悩って 相談しても呟いても何方にもわかって頂けるはずなかった・・・

 

パワポに入る前にし残した仕事 尾州家本のことですが 今はやはりこのことでいろいろな方にご報告やらお願いやら 今日一日それにかかっていました 発表で見えてきた世界が重要だからです まだ後二通 それは明日することにして つい今まで小説に 乗ってきているのにまた中断したくない思いでいっぱい泣

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2019.8.10 ツイッターから転載…日々雑感、浅間山の噴火のことなど

8月7日

おはようございます 疲れ果てて寝て 起きたら一新していました 気持ちが 最後は豊饒の海の聡子さん といつも思っているのですが そういう地平に出た気分 するべきことを済ませ 小説にだけかかれる時間を得て 最初に 早く仕上げるならもう大分書けている玄覚の独白バージョンにする? と見てたのですが

 

やはり蹴鞠を入れた基子さんのバージョンのほうが私には馴染む 膨らみすぎて終わらない といったことのないよう 気を引き締めていきます それにしても今回の気づき 感謝して余りありです 豊饒の海を思い出したら 唯識を教えて頂いた先生も思い出し 感謝の倍増 私にとっての豊饒の海総括はこれから

 

今朝は自分も含めてTLに三島由紀夫を散見 文学の先輩が彼がいたから生きてこられた というくらいにファンで 初版本を全部大切に揃えていて なのに亡くなった後 葬儀の長い列に並んでいて 後ろが若い青年だったから 貴方本いる? と訊いて住所を聞き 全部あげてしまった 三島というと先輩を思い出します

 

私はそいうファンではないけど 豊饒の海は人生の歩みとともにあります ちょうど唯識を教えて頂いていた頃なので

 

8月8日

おはようございます 昨夜浅間山噴火の速報を見て撮りに出ました 以前その方向から長く延びる雲を見て疑問に思っていたら噴火して 浅間山の方向を知っていました 火焔直後だったら空が赤く染まっていたのかなあと思うほど何も見えませんでしたが 眼をこらしたら一筋の雲が コントラストを加工

 

その時 北西の空に沈もうとしている半月が異様に大きく 濃い黄色だったのでびっくりしました フェンス越しできちんとピントを合わせることができず残念な写真ですが これ 三脚をたてて遠景で撮ったら素敵だったろうと 悔しい みるみる沈んで どんどんこんもりした茂みに隠れていってました

 

仙覚さんの小説 このまま行くと歴史小説でなく 仙覚さんが主人公でもなく 物語的語りの小説になる 女性陣のほうが読みやすいでしょう 応援して下さっている方々は皆様男性陣だし 内心困ったなあと思ってはいるのですが 源氏物語だって… とこんなところに源氏物語をだしたらおこがましいですが

 

でも 語りの文章だとするすると次が出てくるので楽しい もう充分世界が自分のなかに熟してきているから 自分のことを語ったいるかのよう これが三人称文章だったら説明文になってしまう など思いながら書き進めています

 

意外な方が私を推して下さったと聞いて お会いしてもご挨拶するわけでないしと不思議に思ってたら 今リストを整理してて 源氏物語と鎌倉の本を謹呈させて頂いてたとわかってびっくり 忘れてたなんて失礼の極みですが まさかと思うような方なのです 本は手持ち分を全部進呈して こういうことは初めて

 

ご感想や その後の励ましとかご支援を頂くことはあっても 評価という結果に繋がったのは の意味です 本にしてよかった と初めて思った瞬間でした

 

今度の研究発表で『源氏物語と鎌倉』でし残していた最後の結論が見えたから もう思い残すことなく小説に専念という感慨のなかにいます それで今まで支援して頂いた方にご報告を兼ねて結果のでた配布資料を送らせて頂こうと思って 過去のリストを見てました

 

写真は今日の夕刻 日の沈む北西の雲です 10日から発表用のパワポにかかることにして 束の間の休息みたいな感じで仙覚さんの小説やら過去リストやらを見ています 万感の思いって やはりありますね

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2019.8.7 ツイッターから転載…日々雑感、峰岸純夫先生のご講演【享徳の乱】を拝聴して&お羽黒トンボのことなど

8月4日

もう未明ですが今日4日初めてのツイート 峰岸純夫先生のご講演「享徳の乱」拝聴に新宿へ 熱中症が怖いからペットボトルを持ったり日傘をさしたり とにかく疲れて帰宅して寝て 夕食の後も寝て 今やっと大丈夫になりました でもご講演は楽しかったし お会いしてお話して 良かった 享徳の乱もやっと納得

 

ご著書を拝読していたのになんの役にもたってなくて 何を読んでいたのだろうと思うくらいにご講演が分かりやすく初耳状態で みんなで笑ってしまいました はたと膝を打ったのですが 享徳の乱が応仁の乱のように有名にならないのは 鎌倉が舞台でなかったからですね 鎌倉公方が古河 対する幕府方の上杉が

 

五十子城という西古河に対する東 峰岸先生は 芸術と文化と宗教の鎌倉は守られたのです と仰られたけど だから乱が歴史的事件に認識されてないんだ! って思いました でも先生のこの仰られ方の語彙 素敵です

 

8月5日

今日も朝水遣りに庭に出たらいつもの場所にお羽黒トンボ しかも今日は二羽(二匹?) 水遣りを終わって戻ってくると その二羽が待っていたようにひらひらと誘導するみたいに私の前を飛び始め 玄関先についたら周辺の枝で遊びはじめ ひらひらひらひらくるくるくるくる 細くて青い尾がとっても綺麗

 

写真は玉川上水 2009年の撮影です 植栽はなんとなく毎年変化していて こういう百合を見たのはこの年だけの気が 茂みの青さみずみずしさもかつてのほうが綺麗だった気がするのは 年々の猛暑の関係もあるのでしょうか

 

吉祥寺に買い物に出るときも玄関を開けたらお羽黒トンボがひらひら舞っていて あっと思って撮ろうとしたらスマホを忘れていたのに気いて撮りそびれ 帰ってきた時もいて 見ていたらいつもの寝ぐらの方へひらひらと去って行きました 可愛い!我が家の敷地にお羽黒トンボが棲んでるなんて

 

8月6日

おはようございます 今朝の水遣り お羽黒トンボがいなくて巣立ったのかしらと寂しく思っていたら 玄関周りを掃除していたらひらひらと二羽 お寝坊さんした? 鎌倉の源氏物語活動の最後の仕上げ 鎌倉の源氏物語の聖地への始動開始 鎌倉の万葉集の成就に力を得て

 

貼付はタウンニュース鎌倉版の連載コラムの 第二回(2016年1月22日)と 最終回(2018年9月14日) 約三年にわたる連載でした 結局原点回帰で金沢文庫に戻ります

 

じつは新宿に行ってから心が沈んでいるのですが 私は今までなんかチャラチャラと生きてきたなあと 真摯でなかったんだあ~と そんな認識が芽生えて 享徳の先生が仙覚の小説を待って下さっていることは折に触れお話するから分かっていたのですが 本気で編集者さんに声をかけて下さっていたのに

 

気がついてなく 僕が生きているあいだに書いて下さいよ とか仰って頂いても そのお心のうちの本気さを全然受け止めてなかったことに気がついて 鎌倉での活動に時間をとられているあいだも 鎌倉にとられちゃった と仰ってるのを耳にしても気に留めずにいて 仙覚さんの小説 本気にならないと と

 

ほんとうは申し訳なさに泣きたい思いがずっと 鎌倉の源氏物語の聖地への仕掛けは 仕掛けといってもある方に直訴のお便りするだけだから 今日はそれをして そうしたら本気で仙覚さんの小説にかからないと と思っています

 

こういうのって 不肖の息子 とか 不肖の弟子 とかいうんですよね 今まで必死に生きてきたから まさか私がその不肖を冠するなんて 思ってもみなかった

 

これ何だろう レース編? たぶんバザーで買って 机周りの雑貨の籠にかけて使っていたのですが 今万年筆のインクを変えようとカートリッジを取り出すのに見たら 気になって 生なりの白い糸だったのが褪せて黄色に でも凄いお気に入りです

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2019.8.5 ツイッターから転載…日々雑感、鎌倉の源氏物語に向けて始動します

8月3日

こんばんは 今日はじめてのツイート 昼にRTさせて頂いたKAGAYA様の宇宙ステーション情報 20:32頃から北西の空に という夜空 ばっちり観させて頂いて感激しています 角度によって見慣れたあの宇宙ステーションの形がわかるんですね 動くとただの光の一点に ツイッターって凄い装置と思う

 

そういえば 一昨日でしたか呟いたお羽黒トンボ 昨日から玄関周りに進出してくるようになって ドアを開けると黒いひらひらしたトンボが行ったり来たり 昇ったり降りて来たりして 遊んでいます 今日も玄関周りにいました 最初のツイートのころはまだ羽化して間もなくで だんだん活動的に?

 

鎌倉の万葉集が理想的な展開で夢が叶って 次は鎌倉の源氏物語 と昨日思ったことをずっと引きずっていて もうなにかを仕掛けに動いている こんなふうにして随分あちこち仕掛けて来たなあと感慨しつつ 今日は一日動いていました その度にたくさんの方にお世話になったり でも 昨夜鎌倉の方から

 

お電話を頂いて こんなふうに私が必死になにかを仕掛けて動いてきて その都度抵抗にあって怒ったり傷ついて回復するのに時間がかかったり ということを その時々に一緒にいた方も多分ほんとうにはご存じなくて 皆様私が順風満帆に講演をやったり恵まれてると思っていられることが判明

 

写真は2013年に都幾川の古民家で写真展【鎌倉の源氏物語】をした時の室礼 都幾川で知り合った方が私の意気に感じてお手伝いして下さった こんなふうに とてもとてもいろいろなことをしてきての今です そして多分最後 「鎌倉の源氏物語」に向けて始動(仕掛けなければ何も動きません)

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2019.8.3 ツイッターから転載…日々雑感、【鎌倉の万葉集】に鎌倉市での対応が見事に成就しました!望んでいた通り、それ以上の決着です。感動しています。で、残るは【鎌倉の源氏物語】のこと

8月1日

おはようございます 仙覚さんの原稿 たぶん 今日 頼朝が14歳まで仕えた上西門院出仕のあたりを書くと思う そんな予感がしてきたら 建春門院滋子さんを書いていた当時が甦り そこに光能がいたと気がついて そのあたりを書こうという気持ちが広がって 文覚上人にまで 広がるって不思議です

 

光能は神護寺の伝頼朝像を含む三肖像画のうちの一人 その方がなんと足立遠元娘と結婚していて たぶんその縁で文覚上人と接し 頼朝の旗揚げに一役買った 基子さんは足立遠元の娘だけど 光能と結婚した娘は腹違いの姉で年齢も離れているけど 基子さんには京に住む憧れのお姉さん という設定です

 

と とうとう原稿は頼朝の旗揚げの話にまで遡りそう・・・ 比企の乱は ただの鎌倉初期の内乱なのではなく こういう鎌倉幕府草創期の状況が絡んでいる それを基子さんの視点で書いていると すらすらと書けていく ほんと 不思議です

 

八月に入って カレンダーに研究発表の日が見えてきました なのに小説にかかっているから遠い気分 十日まで小説 そうしたらパワポの作成にかかる と決めています 早く小説だけの生活になりたい!

 

小説にかかっていてよかった とほっと 鎌倉の万葉集の件 自分が屹立していないと外部のこういう諸々で物凄く傷つく 鎌倉の源氏物語のときはまだ自分ができていなかったから大変でした どんなに頑張っても最後は権威に押されます だから私は文学に やっとその文学を取り戻して 間に合いました

 

8月2日

おはようございます 毎朝水遣りに庭に出ると 決まってお羽黒トンボが一羽(一匹?)います 私が行くとひらひらと飛び立つのですが トンボにも決まった寝ぐらがあるのかなあって 毎朝思います 週末疲れで昨日まで日中眠くて熟睡して時間が足りなく やっと今日から復活の気分 書き始めると眠い笑

 

思うシーンが一瞬にして書けたらいいと思う 書き始めると状景の描写から人間関係 その人たちそれぞれの思いと様々な勃発 わずかワンシーンだったはずが何枚もになって進まない これが思念の世界と物体を抜けられない現実の差 で仕方ないのですが これだと比企の乱前夜のプロローグだけで中編に笑

 

それを昨夜鎌倉で小説の完成を待って下さる方に言ったら絶句されてました 中編くらいでまとまったら出版社さんにと言って下さってた方 長編になるんですか~と 絶望されたかも笑 

 

図書館に来ています 昨日教えて頂いた毎日新聞夕刊の鎌倉の万葉集の記事 我が家は毎日新聞でないので閲覧に 感動しました ここまで万全に揃ったら もう鎌倉の万葉集は凄いです なにしろ記事中にある小松靖彦先生は 当時は小川靖彦先生でしたが 小川町を万葉集の街にされた方 二月に講演させて頂いた

 

小川町図書館の館長様と組んで今あるような街の万葉集の歌の標識を街路に建てられたり そういう三次元の万葉集の紹介ができる方です 鎌倉の方はこれから楽しまれるでしょうね 望んでいた以上の展開に感動しています

 

もう一つ思ったのは 文化は価値を知って広める方がいないと広まらない 登呂伊関に毎日新聞記者の森豊さんが情熱的に記事を発信し続けたから 今の登呂遺跡ができた 今回の中澤雄大様という記者さんのご存在 大きいと思います

 

とツイートして気づいたのですが 登呂遺跡に次いでまた毎日新聞の記者さん そういえば考古の神の手事件も毎日新聞さんではなかった? 新聞社の文化部って人材にカラーがあるんですね

 

ふと思った 鎌倉の万葉集は思いがけず令和の時宜に叶って 理想的な形で私の思いが成就したけど 源氏物語はそうならなかったなあと それは万葉集には妙本寺様という物的証拠が残っているからで 源氏物語にはなかったからと考えて ん? あるじゃない 金沢文庫が と思い当たりました 鎌倉の源氏物語の遺跡

 

は金沢文庫に尽きます 今は学芸員さんたちがまだその価値を気づいて下さらないけど 今回の鎌倉の万葉集みたいに新聞記者さんとか 権威か立場ある何方が気づいて下されば きっと花開きます 鎌倉じゃなかった という発見 灯台もと暗し で我ながら驚き

 

たまたまだけれど 今日 研究発表の要旨が載った会報が届きました 尾州家本源氏物語奥書に名を残す北条実時は金沢文庫の創設者 その実時と仙覚さんの交流が今回のテーマです やはり金沢文庫は鎌倉の源氏物語の聖地です

 

悟るのに時間がかかってもどかしいのだけれど 鎌倉の源氏物語があまりに動かないから もう無駄と思って手を引き万葉集に舵を切り変えた そうしたら鎌倉の万葉集は毎日新聞の記事のような結果になり 満願 と思ってたのだけど 鎌倉の源氏物語は終わったのでなく これからこその大仕事なのでした

 

原点回帰 金沢文庫で実時の奥書がある尾州家本源氏物語を見て 驚いて そこから鎌倉の源氏物語研究が始まってほぼ二十年 途中 鎌倉の万葉集が浮上して 並行してしてたけど さらにそこから万葉集だけに集中して仙覚さんの小説にかかっていました でも 今 まさに鎌倉の源氏物語にかかる時期が来たよう

 

今度の研究発表が まさかそのきっかけになろうとは

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2019.8.1 ツイッターから転載…日々雑感、小説の執筆・意識の流れを取り戻して書いています

7月30日

世の中があんまり酷く動いているものだから 新しい世になって悪代官は時代劇のなかの話と思っていたのがそんなことはなくて SNSのお陰でその裏がしっかり見えたりして 私は物凄い社会を知らない人だったけど 仙覚さんが政情によって慟哭の運命を担わされたから 政情だけはきちんとしないとと思う

 

講演のお知らせです 峰岸純夫先生【享徳の乱 中世関東の三十年戦争】 8月4日10:00~12:00 於・新宿文化センター(03-3350-1141) 参加費・1000円

 

享徳3(1454)年に鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を謀殺したことに端を発し、成氏と上杉氏、それに介入した将軍足利義政との間に起きた30年に及ぶ大規模な内乱です。「享徳の乱」の名付け親が自ら15世紀の関東へとご案内します。

 

峰岸純夫先生『享徳の乱』(講談社選書メチエ)です

 

昨日アップした仙覚は誰かについてのエッセイ「私の一冊 井上通泰氏『萬葉集雑攷』」に書きましたが 仙覚は誰かの問題について 比企氏のゆかり という条件がはっきりしているならと 「比企系図」を調べるよう勧めて下さったのが峰岸純夫先生です 井上通泰氏も『萬葉集雑攷』でそれをされてました

 

なんで 比企氏のゆかり ということがはっきりしているのに 国文学界で比企系図を調べる人がいなかったのかなあ というのが私の不可解 最大の不可解です 妙本寺様境内の「万葉集研究遺蹟碑」の碑文を書かれた井上通泰氏がすでに比企系図に取り組んでられるというのに・・・

 

小説の執筆って静かですね ずっと研究発表用に資料の山に埋もれて書いたり打ったりしていたから 思念を繰り出すだけの作業で机周りが真っ白 という空間の作業が不思議です

 

PCの画面とにらめっこしてても進展しなくて 理屈で考えている筋書き通りに書けばいいと思っていても気が進まないから 止めて夕食の支度に入ったら 野菜を洗ったり切ったりしていると あ と閃くことが幾つも 蹴鞠から進めているのですが そこに六歳の一幡を投入することに

 

7月31日

おはようございます 朝 唐突に 意識の流れ の言葉が湧き久しぶりに驚いたのですが そういえば私は意識の流れの手法で書いていたんだと リアリズムだよと文体を否定されて陥っていた沼 そこに意識の流れはなく窮屈なことこの上ない「何十年間」だったなあと 文体を変えて書き出したから広がって

 

べつに『源氏物語』を意識しているわけではないのですが 紫式部さんはよくああいう政治的背景を描けたなあ 私にはできない と遠く眺めていたのですが 広がり始めたら この小説 もしかして紫式部さんが入れたように 鎌倉 という時代を 背景に取り組むことができる? となってきています

 

鎌倉は 今まで武士社会 という男の世界だったから 歴史学者さんが男の論理でもって鎌倉の歴史を紹介していて そこには男尊女卑の上から目線や 文学を加味していないゆえの片側や間違いの史観 と そんなふうだった鎌倉を 女性的に 源氏物語的に 書けるかも というか 書きたい

 

例えば松下禅尼 徒然草の障子を貼る質素な老尼でしか史的には伝わっていないから 未だに彼女はみすぼらしい人のイメージ でも 新婚時代の彼女は六波羅探題北方の妻として いわばファーストレディとして在京した経験者 定家とも交流しているから 私は絶対彼女は源氏物語を読んでます

 

意識の流れで頼家の蹴鞠を書いていたら 頼朝にまで遡ってしまいました  大変! 流れ出したら淀みなく が意識の流れです

 

真昼の風景@玉川上水

 

葛の葉の造形@玉川上水

 

書き進んでいる原稿 以前は比企の乱から始めたのに 今頼朝期を書いている 十二歳だった頼家に飛鳥井雅経が蹴鞠を教えているところ 比企の乱はこういう淵源があって起きた そのことを深く感じて頂くために書いているのですが 仙覚さんの小説だということを 忘れそう 全くの花の蹴鞠 になってます笑

 

やっとTLがRTさせて頂いている世界の国々からの情報や写真に頼ることなく 原稿に華が出てきました いうなら 華麗な歴史絵巻 こんなテーマ 講演でしたことあったのに

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