2019.9.30 ツイッターから転載…日々雑感、清輔と袋草紙のことなど
9月28日
「仙覚は素性を隠して生きる苛酷な運命にあったからこそ、膨大な『万葉集』の研究に没頭し、世情を離れて、真実をみつめる人生を送ったのではないでしょうか」 寄稿した原稿の校正が届きました いつも仙覚さんの文章の最後はこういうふうに締め括ります 仙覚さんの万葉集研究 それくらい凄まじいです
おはようございます 添付の写真は遊びでミニチュアシリーズ 鎌倉に行くと店頭によくこういうミニチュア陶器が一個100円とか二個100円とかで売っていて 可愛いのでついつい買ってしまいます笑
妹がキルトが好きで山口百恵さんの『時間(とき)の花束~Bouquet du temps』を買っていて 妹の先日の入院で手術を待つあいだ私はそれを見せて貰って読んでいたのですが 綺麗な人は綺麗な仕事をするくらいにしか思っていなかった百恵さんのキルト作品 なんと カメラマンが張り付いて外に出られない
苦しい生活のなかで 家でできることといえばキルトだった という積み重ねでできていた作品なのでした 私はそれを仙覚さんの万葉集研究と重ね合わせて感じたのですが 人事を越えた凄まじい仕事は結局一心不乱に没頭することで生まれるのだなあと 籠って書きます私も と敬意の思いでいっぱいです
二条天皇への清輔の関与がだいたいわかりました 袋草紙は先にできていて 評判を聞いた二条天皇が献上させた その後清輔は昇殿を許される それが私が丹後内侍が出仕したと推測するのと同じ頃で二条天皇の崩御まで四年間 その間清輔は二条天皇の師のような関係で万葉集をお教えしたのでしょう
清輔と丹後内侍の出仕が同じ頃って面白い 私も鎌倉ペンクラブに入った時の同期が何人かいらして 同期だからと心配したり活躍を応援しあう そんな温かみのある同期 丹後内侍にそうさせようかな!
清輔と丹後内侍の出仕が同じ頃って面白い 私も鎌倉ペンクラブに入った時の同期が何人かいらして 同期だからと心配したり活躍を応援しあう そんな温かみのある同期 丹後内侍にそうさせようかな!
昇殿を許された年、清輔は59歳 丹後内侍は頼朝より少し年上の設定だから18歳くらい どう動かそうかしら
ふつうなら老人の清輔が余裕で若い丹後内侍を労るだろうけど 頼朝の乳姉弟の丹後内侍はしっかりものの設定だから 逆になりそう(笑)
年譜をみると ちょうどその頃清盛が出資して後白河院に蓮華王院を建てている頃 なんかいろいろ蠢いています
これでやっと動線的文章が書けます
まさか 二条天皇の題詞を高くという仙覚さんの支持した万葉集問題から 清輔と丹後内侍のこんな話になるなんて!
今日のブラタモリ【比叡山】 もう体力的に行くことはないと思うけど もう一度行って訪ねたかったのは常行堂 その常行堂を今日は放映していて正座して魅入っていました しかも私が行っても外観を拝むしかない常行堂のそのなかを タモリさんの一行が入って 僧侶の方の案内で扉を閉めて実際に常行を
南無阿弥陀仏を唱えながら90日 横になるのを許されず ひたすらお堂のなかを巡る行 と そこまでは読んで知ってたのですが 僧侶の方が「私はこう発声します」と見本で唱えて下さったのが な~~~~ む~~~~ あ~~~~ の一音の長いこと なだけで巡る四辺の一辺を歩けそう こういうことは
本で読むだけではわからない 私は一辺を数回以上の南無阿弥陀仏を唱えるくらいに想像していました にない堂でもあるこの常行堂 なんかわからないけど私の仏教観の原点 憧れです
9月29日
おはようございます 鎌倉の方から届いたチラシ 鎌倉にはロシアから亡命して七里ヶ浜に住み 鎌倉を日本のバレエの発祥地にしたエリアナ・パヴロバさんがいられました そこにお子様を通わせていらした方々が貴重な遺品や資料を保管されています 鎌倉の源氏物語でお世話になっている素敵な方々です
ただいま《朔》です
先程投稿のエリアナ・パヴロバさんのイベントは この湘南邸園文化祭のなかの鎌倉エリアです 湘南には古い素敵な邸宅がたくさん残っていて その文化を保存されようとしている方々の活動です
朝の連投になりますが 私が鎌倉で最初に講演させて頂いたのも 鎌倉の古民家を社屋にされている鎌倉投信邸でした 鎌倉でも源氏物語が受容されていたということに発奮した協力者の方が たまたま鎌倉投信様が鎌倉に移ってきて古民家を社屋にという新聞記事を見て 直談判で会場にお借りしてのでした
鎌倉の方のなさることはこんなふうに雅です ちなみに最初は写真展をとの申込だったのですが 狭いからそれは無理 講演会なら との鎌田社長様のお話で講演になりました 2010年11月のことです 以降 講演が定番になって 写真展は鎌倉ではまだ開いていません 比企ではしました
やっとここに 資料のなかから掘り出しました 村田正博先生「仙覚『万葉集註釈』の形成ー清輔『袋草紙』とのかかわりをめぐってー」 仙覚さん研究をはじめた最初の頃に集めた資料のひとつです 今やっと袋草紙がどういうものかわかって 再読するために出しました 黄色いマーカーがいっぱい引かれています
それをざっと目で追ったのですが 私が知りたい六条藤家の万葉集のことなど 村田先生のご論考は精神的な面で追っていられるから凄く貴重です
メモ: 村田正博先生の仙覚さんと袋草紙 拝読し最初に読んだ時よりわかって楽しく で 頭の整理 清輔は俊成と同時代だから次点の時代の人で 仙覚さんは俊成の孫の為家の時代の人 清輔の袋草紙をどこで入手して読んだのだろう 寛元四年からの二十年間に でも京都在住時代でしょうね 確実に
清輔さまは仙覚が万葉集の註釈の書をなすにあたり、その精神をいただいた方です と やっと基子さんの言葉で清輔の立位置を示すセリフが出てきました 村田先生のご論考を拝読して
9月30日
おはようございます 新しいフォロワーさんが多くなられたので以前の再掲ですが 昨日投稿のはじめて講演をさせて頂いた鎌倉投信邸当日の続きを 打合せの時庭に大きな紅葉の木があるのを見て 主催者さんが講演を源氏物語にちなんで紅葉賀と 鎌倉投信社長の鎌田様も恐縮するばかりに協力して下さって
せっかく大勢の方がみえるのだからと青々とした真新しい竹垣に(三枚目奥に見えています) 三枚目の手前の紅葉は華道家さんが大田区の自邸から色とりどりの紅葉の枝を伐って運んで活けて下さったもの 四枚目は終了後の夜の庭で華道家さんが壷に活けた紅葉がライトアップされて素敵でした
無名の私の講演になぜ鎌倉の方がこんなに協力して下さったかは ひとえに鎌倉の方が「鎌倉は武士文化だけでなく源氏物語の文化もあった」ことに驚喜されたからです それくらい10年前の鎌倉では鎌倉に源氏物語 ひいては公家文化があったことが知られていませんでした 10年の活動で大分広まりました
薔薇が咲いています 手入れに手が回らなくて気がつくと咲いている 枯れてしまった花も幾輪か ごめんなさいと詫びながら でも咲いているのを見ると嬉しい
九月尽の雑木林@井の頭公園