2019.9.10 ツイッターから転載…日々雑感、千葉の妹を見舞っての三日間、無事に妹も生還してほっと。車窓から虹を見ました
9月6日
青墓は京からは徒歩で二日ほどの道のり! 梁塵秘抄うたの旅より
今日は半月、上弦の月です
そろそろ無色透明な言葉に飢えてきていて 大切な日常をこなしているのだけれど心が虚しい 読むものも ああ これは私の世界の言葉ではないとなり では私の世界の言葉って と考えた時結局それは自分の作品のなかにしかなく こういうじれったさが高じると 書く という体制に煮詰まっていきます
つくづく後白河院の感性って近いなあと おこがましいと憚られるのを忌憚なくいえばです 梁塵秘抄うたの旅 を拝読していてずっとそんなふうに感じていたのですが 今日唸ってしまった箇所 「日本のうたとは、ほそく、清らかな声で歌われ、しづまりしむもの」 先日書いた「澄み昇る」に通じます
梁塵秘抄うたの旅より: 「しづまりしむ」であるが、これこそ日本のうたの最も重要な感覚で、極意につながるのかもしれない。しーんと澄み切った、入静状態、あるいは瞑想で得られるあの、安らかだけれども冴えわたっている感覚をほうふつとさせる。
9月7日
おはようございます 今日持って出る本を探していました 昨夜から説明のための文章を受け付けなくなって ひたすら無色透明な文章に浸りたく 昨夜は考えつかなくてグラックのアルゴールの城を鞄に入れたのですが 今朝になって あ! 源氏物語だ となって視界が開けました 原点回帰の灯台下暗し笑
ずっと研究に浸っていたから調べることが読書の前提になっていたんですね だから 何かを読んでいても知識が優先 梁塵秘抄うたの旅もそれが苦しくなっていたのですが 中に後白河院のうたという章に しづまりしむ の語があって それが心に響き こういう世界を求めていたんだ! となったのでした
道中のお供は高橋文二先生「平安京の不在 ー『源氏物語』の時空ー」 ご論考ですが決して衒学的でないのが文二先生 先生のご文章はそれ自体が文学です このタイトル自体にも牽かれて
いろいろ大変だったけど終わり良ければで雨降って地固まるですね 妹が手術して 私が鎌倉の活動で忙しくしてる間会ってなくて 手術が無事に終わって今日はもう元気 久しぶりに親身に話せてきっとこれは神様の贈り物 昨日の車窓の虹のきっといいことあるのお知らせはほんとうでした 感謝の思いでいっぱい
車窓の風景@千葉県 成田が近いから飛行機が と思って撮ったのだけど写ってなくて(たぶん雲の中) 拡大して探してたら 半月が写ってました
車窓の風景@千葉県をもう一枚 台風が近づいているから? 昨日も今日も雲が雄大
福島県沖近辺の地震、多いですね。昨日、久しぶりに三陸沖があったので気になっています。岩手県沖が発震すると三陸沖につながるので
東北方向の雲です

