« September 2019 | Main | November 2019 »

2019.10.30 ツイッターから転載…日々雑感、惟宗広言のこと&即位礼正殿の儀に思うことなど

10月26日

おはようございます 先日台風準備に出した古い携帯ラジオを聴きながらTLを見てました 昔 暗室作業をしていた時 こうして暮らしていたなあと懐かしく FMだと思っていたのですが英語しか流れないこちらだったみたい ここで全世界初配信というビートルズのレットイットビーを聴いたり ファンの妹より先に

 

父がフリーのカメラマンだったから副業に写真店を そこで写真サロンを開いたり 私にしてみればマラルメの文学サロンめいた生活をしていました その父が早生して私が後を継ぎ しばらく実家の暗室に籠ってフィルム現像をしたり写真を焼いたり 店をたたむ時 引き伸ばし機を潰すのは耐え難かったのですが

 

朝の光 いいですね

 

落ち着いたんだなあとしみじみ 綺麗な景色を見ても記者会見を控えてこんな風に撮る余裕はありませんでした 本番はまだこれからというのに笑 うっかり思って出たのと違うスーパーに辿り着いて 仕切り直しに向かった道筋で蝶と出会いました

 

曇りの日の雑木林もいい感じです@井の頭公園

 

惟宗広言集を借りに図書館に行って検索した時 二条院讃岐集と同じ巻とだけ覚えて行ったら 26巻と思っていたのに平安私歌集は16巻 ?と検索し直したら 中世私歌集26巻でした 私は中世歌壇をしているのに 源氏物語が基点だからどうしても意識が平安になってしまいます 結構 いつも

 

惟宗広言は丹後内侍が結婚して島津忠久をもうけた相手とされている人なのですが 本当は結婚したのは別の男性で忠久が広言の養子になったらしい だから広言自身に丹後内侍との繋がりはなく調べる必要もないのだけれど 一応どんな人物かみておきたくて広言集を借りてきたのでした

 

広言は『梁塵秘抄口伝集』に今様で後白河法皇に近侍したとあるそう 忠久の実父でないなら そういうこともなにも関係ないのだけれど ひょっとして 丹後内侍は後白河法皇の今様世界と無関係ではなかった? と考えて小説にどう活かすか など考えています

 

バウドリーノ 以前初版本の赤い表紙の単行本で持っていたのですが 仙覚さんの小説にかかったら一生ものだから読む時間が取れないと思い 手放しました 昨日広言集を借りに行った図書館で見て やはり読みたくて借りてきたのですが プロローグだけで止めることに やはり時間的に無理 そして眼に負担過ぎ泣

 

10月27日

おはようございます 昨日この文庫本を手にとって思ったのですが どうしてこんなにエーコが好きなのだろう とふっと思って その答えがバウドリーノにあったんです 私は結局新人賞受賞式の席で私の受賞に反対の審査員さんから 小説は描写だからね と捨てゼリフ的に言われて書けなくなったトラウマから

 

抜けきっていないんですね 私を推して下さった審査員の方は私の手法を現象学と言って下さった エーコが現象学かどうかは別として エーコの導入部に浸ると(薔薇の名前も)描写の呪縛から解き放たれるんです まあ 挫折したから迂回して仙覚というライフワークに巡り会えたわけだし 私の解放は小説の完成!

 

鎌倉ペンクラブの講座は来月に入ってだから それまで少し執筆に籠って精神を休ませたい気が 仙覚さんの小説といっても今は丹後内侍を書いているのだけれど 後白河院の今様とか 最勝光院滋子さんとか この時代のようすをきっちり書いておきたい その中に仙覚が範とした二条天皇の万葉集があります

 

10月28日

おはようございます 毎日気分が変わり体調まで違う なんだか自分というものが見えない浮遊感です のんびりしてるんだろうなあと思います で 昨夜もグランメゾン東京第二話を 久々の連ドラ注目です 私のTLにはひとつも流れてこないから検索してRTさせて頂きました笑 写真は2011年12月@天龍寺

 

昨日のグランメゾン東京 料理の主役が茄子 食材を海外からの輸入にこだわってコストがかかり過ぎ そこで考えついたのが日本の食材で ということでまず茄子が(ストーリー的絡みもあって) 我が家でも目下茄子にはまっていて旬を過ぎているから探し回って入手しています RTの料理 茄子です

 

広言集といっしょに顕昭の袖中抄を借りてきてあるのですが 凄いですね これ 仙覚さんが清輔の袋草紙と同様に 袖中抄も ということを村田正博先生のご論考で拝読しました

 

外で原稿を見ようと思って持って出たのですが 拝読途中のご論考でした 黄色いマーカーが挟まれた二つ折りになっていたのでてっきり原稿かと つい先日までこういうの読んでいたんだなあとすっかり忘れていたことに驚き 思考が記者会見前と終わってからとで分断されています

 

だけれどもつくづく思うのは仙覚さんはこういうことをされていたのだと 音韻とか言語学とか拝読してもわからないけど 仙覚さんの作業の追体験として目にはいると読みます(それにしても万葉集の研究って大変!)

 

やっと自分の時間 我家では三連休の人がいたので今日まで家族奉仕日でした 私が落ち着いていると家族も平和 やはり気づくと講演など迫っている時は家中ぎすぎすします 申し訳ないなあと思いつつ でも自分の時間がもっともっと欲しいとも

 

今回の即位礼正殿の儀で思ったのですが 少なくとも私のなかでは中世の後白河院とか二条天皇とか後深草院とか亀山天皇とか 即位とか譲位の宮中の動きをその方々の心の動きとともに読んで知っているから まさにそれを実体験で感じさせて頂ける貴重な経験なんですね まして私は これから仙覚さんの小説で

 

今回の即位礼正殿の儀で思ったのですが 少なくとも私のなかでは中世の後白河院とか二条天皇とか後深草院とか亀山天皇とか 即位とか譲位の宮中の動きをその方々の心の動きとともに読んで知っているから まさにそれを実体験で感じさせて頂ける貴重な経験なんですね まして私は これから仙覚さんの小説で

 

宗尊親王とか後嵯峨天皇とか そういう方々を書かなければならないし 紫式部は道長に仕えて実体験で源氏物語を書けたけど 私にはそれがないと思っていたら今回のご即位 食い入るようにして見て感じて中世を自分の中で膨らませています

 

実は 即位礼正殿の儀を見るまでこの自覚はありませんでした なんとなくとはずがたりの世界だなあくらいに思っていたのですが やはりあの圧巻の十二単の方々の行列 そこから突然なにかが弾けました これから大嘗祭 やはり注視すると思います

|

2019.10.27 ツイッターから転載…日々雑感、鎌倉ペンクラブの講座のために記者会見初体験をしました&『国語・国文学』11月号の万葉集特集のこと

10月23日

おはようございます 鎌倉市役所のメディアセンターです 昨日鎌倉ペンクラブ秋の講座を取材して頂きました 四人の講師のうち俳人の星野高士先生が欠席で 詩人の城戸朱理先生 歌人の松平盟子先生 そして作家として私 失敗したなあと思うのはお話する内容を間違えました もっと深い内容にするべきでした

 

お二方は記者会見に慣れてられるから要点をつかんでお話されてましたが 私は時間の配分を知らないからその先に記者さんから質問があったらお話しようと保存していたのがあったのに ではこれで と打ち切られて 結果として導入部だけに まあ これこそ重要と思って準備していた内容ではあったのですが

 

といっても無収穫ではなく 毎日新聞の記者さんがお見えになると知り 仙覚さんのことを知って頂くチャンスですから 今までの私の活動(仙覚さんについて書いたもの等)をポートフォリオにして持って行ってお渡しできました

 

ポートフォリオをお渡ししようとした瞬間 記者さんが発せられたのは 源氏物語じゃなかったんですね の言葉 源氏物語での活動を知っていて頂いたのですが ポートフォリオを開いて説明を始めた瞬間 活動は知って頂いていても 内容について周知されてるわけではないのだ とわかりました で説明させて頂い

 

たのですが 私はポートフォリオの最初の頁に八木書店様の尾州家河内本源氏物語の綺麗なカラーチラシを入れていて これが西本願寺本万葉集とサイズと料紙が同じというと えっといったふうに俄然ポートフォリオに興味を持って見入って下さいました 記者会見でお話する内容をしくじったと感じたことと同じ

 

ことをこの時も感じたのですが あまりに仙覚さんも尾州家本と西本願寺本のことも一般に知られていない でも私はその華麗で壮大な世界に分けいって 一歩も二歩も先んじて魅力を知っている だからまず会見等の最初は導入部的な話にせざるを得ず 中の魅力あふれる歴史絵巻は まず「ひと言では無理」な世界

 

10月24日

久々に雑木林@井の頭公園

 

昨日の鎌倉 西口を出て行った所の交差点 真向かいが紀伊国屋 その並びの奥に素敵なスターバックスがあります 鎌倉市役所は左向かい 鎌倉歴史文化交流館は右手に歩いて行って入った谷戸に

 

予定が終わるまでお預けだった『国語・国文学』11月号の万葉集特集 図書館に行って小松靖彦先生と田中大士先生をコピーしてきました ここのところ遠ざかっていたから 久々に新しいご論考に接するのが楽しみ

 

『国語・国文学』10月号掲載の「新出今様琵琶譜 足柄三首、物様一譜」 11月号の前号要目に載っているのですが 拝読してみたい

 

10月25日

おはようございます といってももう12時過ぎ笑 用も終わったし 今日は優雅にTwitterは見ないで原稿に専念しようと決めていたのに 鎌倉の方から記者会見どうでした? のお電話をいただいて諸々話し込んだら気分がすっかり社会の次元に それで諦めてTwitterも見ています 籠るってほんと難しい

 

写真は2012年に訪ねた粟田神社で 嵯峨菊が好きなんですけれど これは小ぶりだから違うでしょうね ここから青蓮院はすぐ 歩いた感覚が甦ります 慈円をめぐる旅 とかあのころほんとうにいろいろ訪ねました(そういえば あのころ仙覚さんに辿り着くなんて思ってもいなかった!)

 

こういう時ですが 明日からパワポにかかることにして 今日はコピーしてきた『国語・国文学』11月号のご論考を拝読しています 優雅に小説を書く一日にという夢は 書きかけの原稿を見た途端諦めました とても一日できりのつく問題ではなくて でも拝読させて頂いているご論考には小説の肉となる示唆が沢山

 

田中大士先生の「万葉集仙覚校訂本と次点」は 仙覚さんがどのようにして次点を見分けたかのご論考 手に入る限りの写本中のそれぞれ4500首全部を認識していなければできなかった作業と 梨壺の五人による古点と 仙覚さんの新点の間で 地味に存在していた次点が そんな事情だったなんてと驚き 凄いです

 

浅田徹先生「仙覚の万葉集註釈を読む」も驚きました 小川靖彦先生『萬葉学史の研究』で文証と道理の章があって それを浅田先生はテクストに直接書き込まれている証拠と論理的に推論されることと区分けされ そこから仙覚は万葉集をあたかも仏典のように扱っていると 感動しました

 

浅野徹先生「仙覚の万葉集註釈を読む」再読中です やはり書いておこうと思ってTwitterに 仙覚さんは万葉集の万葉仮名を悉曇の言語学で読み解こうとした そのことについて 浅野先生は言葉のオカルティズムのような言説を撒き散らしていると書かれる 今までも他の方が現代にあっては怪しいとか書かれてい

 

るのを見てきたけれど この書かれ方は酷いですね 仙覚は天台宗の僧侶であり 円仁の門人と記すほど円仁を追慕した それはオカルティズムとは対極の精神性なのでは? と 私などは思います なぜそのような道に走ったかとか 神秘的な法則が支配していると信じたとか 私には唖然とした書かれようでビックリ

 

もしかして 仙覚さんが天台宗の僧侶ということは周知でない? 私一人が仙覚さんの人生を追って 円仁を慕う心の深さにまで踏み入っているから 悉曇学での万葉仮名の読み解きも 通常の学者さんと受け取り方が違うのでしょうか など そこまで思ってしまいました

|

2019.10.25 ツイッターから転載…日々雑感、即位礼正殿の儀がありました

10月20日

おはようございます 写真はしょっちゅうアップしていますが 何かに詰まると取り出して読む本です 今日は詰まっているわけではありませんが PCでなくタブレットなので他に写真がなく 終日パワポに没頭していたから現実がリアルに戻って来なくて TLを見てもいつもの馴染み感がない 没頭って凄いですね

 

鎌倉ペンクラブの仙覚さんの講座 本格的に小説の執筆にかかってのパワポ制作は初めてで 最初は小説は小説 パワポはパワポ と関係ないだろうと思っていたのですが 展開というか構成になにかふわっとした飛躍のようなものが出て あ これは違う と思ったのが昨日 まだ把握仕切れないけど 変わっていく予感

 

ちょうど講座の趣旨自体が「現代作家が読み解く万葉集」だからいいのですが 今まで綿密に 資料から脱線しないよう心がけていたパワポから そう ほんとうに ふわっと地についた足が離陸した感 冒頭に「歴史学で行間を読むのは許されませんが 行間を読んで作るのが小説です」なんてお断りを入れようか等

 

RTさせていただきましたが そうなんですね 即位の礼に備えて各国の要人の方が来日されるから 羽田はそういう飛来地 撮りにいきたいなあとは 無理とわかっていて本気です 羽田 懐かしい

 

なんか独りで闘ってきたし 具体的なことは誰にも伝えてないから窮状は人にわからないと思っていたことがお見通しで さりげなく手を打って下さっていたことが なんとなく察せられるという判明 私も疎いなあ こういう時にこんなタイミングで と思う展開が じつはそういう配慮からだったなんて

 

昨朝も鎌倉の方とお電話していて 貴方がしてきたことはみんな知ってるもの 見るひとは見ているわよ と言っていただいた そうだとは思うけど 程度に受け止めていたけれど 灯台下暗しでまさかまさかの近々のイベントがそういうフォローだったなんて これは私個人の問題でなく 万葉集なんですね

 

まだ私の感にしか過ぎないけど 多分当たっている・・・

 

10月21日

私は大体のことはRTで自分が呟くより適確に記録として残させて頂いているのに 私のTLには私みたいなミーハーがいられなくて 今朝は仕方なく検索してRTさせて頂きました グランメゾン東京 キムタクファンではないけど この番組には期待して観たのですが 固唾を飲んでという比喩がまさにのドラマでした

 

今夜は半月、下弦の月です。今夜はオリオン座流星群が見られます

 

10月22日

おはようございます 今日は即位正殿の儀ですね 粛々とした気持ちでいっぱいです 写真は水無瀬神宮にて 2003年に訪ねました まだ新古今のあたりを渉猟していたころ 踏み入った世界にもう夢中になって九条家のことも あのころのことが下地になって 今の仙覚さんの京・鎌倉の文化交流論があります

 

鎌倉ペンクラブの講座【仙覚律師の生涯―京・鎌倉の文化交流―】のパワポ 一昨日突然今までの研究発表的パワポから小説家的パワポの制作になりそうになって 自分で戸惑って中断してしまったのですが もう最初から一編の小説を語るつもりで作っていいのだと覚悟しました

 

RTの幡のこと ほんとうに 両陛下がご退出された直後まで 幡ははためいていました

 

先の投稿は皇族方がご退出され始めた時のです こちらがその直前のはためいていた時

 

歴史の瞬間に立ち会うことと 世界の中に日本があることや 華麗な歴史絵巻を堪能したいことなどで 即位礼正殿の儀は ほんとうはいつも以上に真面目に準備しなければならない用を抱えているのですが 朝からかかりきってTVを見ていました もうほんとうに自分の用に戻らなければ という訳で気持ちを切替え

 

即位礼正殿の儀の後TLを離れ 先ほど戻ってその後の反応を見ていました 奇瑞としての虹はともかく 虹を見れば綺麗だし嬉しい 天皇制に絡むから批判もあるのでしょうけれど 先般奈良だったか東北だったか 両方が続いた気がするけど 何かの被災があった時に虹が出て感動したことがありました 批判を前提に

 

慶ぶという感性を見失ってはいけないと思います 今の世の人の感性が正しいとは限らなく 百年とかたった時に奇瑞と感じた感性が正しかったことがわかるってこともありうる 私は反論する能力も論法も持ち合わせてないけど 古代の感性を古いとか 今は近代なのに という済ませ方は殺伐として賛同できません

 

明日は大切な一日 やっと準備が整って寝ます たぶん何事もなく凌げると思う 頑張ります

 

思い出しました 奈良はどんな被災だったか忘れましたが 興福寺に綺麗な虹がかかって驚き 東北というのは間違いで 千葉の台風被害の後 お風呂とかで自衛隊が何日かその地に逗留して被災地を助けた後 今日で帰るという日 町民の方が沿道にズラッと並んで口々にありがとうと見送った その時虹が出ました

 

誰もそれを奇瑞とはいわなかったけど 偶然にしてはタイミングの良すぎ それが近々に二回も続いたので 奇瑞とか呪術的な意味でなく 人知を超えて大きな力ってあるんだなあと思った次第 今日の即位の礼の虹は直近で三回続いたことになります 私的に

|

2019.10.24 ツイッターから転載…日々雑感、鎌倉ペンクラブの講座のこと&仙覚さん研究のことなど

10月17日

おはようございます 鎌倉の方が万葉集の巻子本制作ワークショップに申込まれるのだけど 巻子本がよくわからないから教えて下さい といわれるので ここからその解説部分をコピーしてお送りしようと思います そのワークショップ 私だって行きたい! けど諦め 講座直前の遠出になるから

 

そういえば昨夜の通りすがり写真 夜の宵待草です 知人宅を訪ねた帰りにあっと思って撮りました というのは昨日のTLで箸墓古墳が通りすがりとアップされた方のツイートを読んで 通りすがりということがなんとなくインパクトあって

 

10月18日

おはようございます 鎌倉ペンクラブの講座用パワポにとりかかっていますが 今朝もまた私的に権力とお金の社会の構図で嫌な思いをして(ちょうどTVでオリンピック帝国なんてコメンテーターさんが批判されてましたが 私の仙覚さん問題も似ていて)これが嫌で文学に戻って独り籠る生活にしたのにと

 

源氏物語をしているというと よく王権と関わってくるでしょ と言われます 私は当時社会に疎かったから 鎌倉の方が知らされていなかった源氏物語文化の享受を楽しまれたらとの思いで普及活動に取り組みました でも途中で気づいたのです 源氏物語はお金になると(経済のことです) そうしたら突然

 

それまで親切だった方のある部分の方から疎外されるようになって その方たちが私の知らないうちに源氏物語の活動をされて… その頃万葉集は地味で源氏物語の陰に隠れていましたから 私は万葉集に籠って仙覚さん中心の活動に切り替えました そうしたら令和になって また万葉集が・・・そして また

 

文学に籠っていると 社会のこういう嫌なことから気持ちをそらせられます で 今朝もほんとうは激昂したい感情を押さえてパワポを開きました 私は一人で活動しているからほんとうにこういうことの一つも私が喋らないかぎり身近な方でもどなたも知りません Twitterでも今はじめて呟きました

 

でも こんなふうにその人たちに席を譲って自分は別の道に移行していると いつかしらその「別」だと思っていた道が「先」だったことになって 自分は早めにそれに深まっていられてよかった となります 不思議です そうしてまたそこも奪われそうになっても「私には文学がある」から 気は強いです

 

たぶん 全部 仙覚さんの小説のために 天のはからいで経験させて頂いているのでしょう 仙覚さんの人生はその連続だったから… 鎌倉でいろんなことを経験させて頂いて 当初社会を知らないのんびり屋の文学少女の延長だった私ですが シビアに仙覚さんを書けるようになりました

 

おかしいなと思うことは春から始まっていて それまでの研究を無にされたくない一心で たまたま頂いた鎌倉ペンクラブの寄稿に仙覚さんの研究経緯を書きました それが掲載されればどんな環境になっても私が仙覚さんの研究をしていた証になりますから やはり掲載を見てぎょっとされた方がいられました

 

私はあまり争いたくないからいつもその場をそっと離れる で解決しているのですが 仙覚さんについてはもう源氏物語のときのようには引き下がるだけにはしたくない気持ちがあります 仙覚さんを書くようになって私自身が強くなりました Twitterで社会を教えて頂いている効果が物凄く大きいです

 

この螺鈿の琵琶 今東博に来てるんですよね この一筆箋は奈良博で買ったものです 正倉院紋様のグッズは行ったらたくさん買ってしまいそう

 

鎌倉ペンクラブの講座のパワポから比企の乱当日の北条時政の動き 以前のパワポのスライドを下敷きに そこに↓で比企谷(現・妙本寺)の文字を貼ったので ごちゃごちゃしています笑 (なぜ比企谷で比企の乱が起きたかの説明用です)

 

当然 このパワポではまだ仙覚さんは生まれていません 京・鎌倉の文化交流までいつになったら辿りつけるか・・・

 

近々出かけるから 急に出ると筋肉ができてなくて疲労困憊するから ここ二三日 毎日吉祥寺に出ることに 昨日で台風後の大体の用をし尽くしたから今日はなにを? と考えて 即位記念の切手シートを買いに郵便局に シート とても綺麗です

 

やっとパワポが軌道に乗ってきました 比企の乱 今まで歴史叙述でお話してきましたが 今回は系図の表にして と思いついて作ったスライドです こうしてみると四代将軍頼経に命じられて作った仙覚さんの万葉集は 比企の乱というよりも 実朝の暗殺が一番の原因ですね

 

仮寝して 起きたらTwitterの背景が白から紺に変わっていました 目を疑いつつ変更の仕方もわからないしでそのまま使っていますが 慣れないからTLを追いにくい でも眼にはいいのでしょうね この方が (でも どうして…) 【ナイトモードに触れてしまったのだと思います と教えていただきました】

 

今日から週末 朝起きて出かける人のために朝食を作らくていいから嬉しい 自分には未明が一番の仕事時間なのだけれど そうして寝てまたすぐに起きて朝食作り の一週間が疲労を蓄積 しばらく品行方正にそういう暮らし方をしていると限界がきます 自身のバイオリズムとの兼ね合いでしょっちゅう試行錯誤

 

昨夜から疲労が溜まっていたこともあって今朝は朝寝坊 慌てて予約していた美容院に来て 今ようやく時間がとれてTLを見ました 私の仙覚さん研究のバイブル的存在『萬葉学史の研究』の小松靖彦先生にコメントを戴いているのを発見して出先でどきどきしています 先生は小川町を仙覚さんの街にされた方です

 

10月19日

おはようございます 美容院の楽しみは普段無縁な雑誌をゆっくり読めること 昨日は婦人画報11月号の樹木希林さんの生前のまま残されているというお部屋の写真に目がテン 重厚で静謐で美術に溢れて素敵でした 中でも村上華岳の「太子樹下禅那」が飾られていたこと 複製を二枚注文されてのことだそう

|

2019.10.16 ツイッターから転載…日々雑感、鎌倉ペンクラブの講座のパワポ制作に入ります

10月15日(鎌倉のお知らせは画像で載せてあります。Twitterの@odayurikoでご覧ください)

鎌倉の方からお知らせいただきました 鎌倉市制80周年記念式典です 11月3日(日)鎌倉芸術館 1部と2部があって 2部に中西進先生のご講演「令和の時代と万葉の心」があります 当日8:30から先着順で入場券配布

 

鎌倉の方からのお知らせ② 「鎌倉仙覚文庫」の設立についてです 「万葉集巻子本制作ワークショップ」も開催とのこと

 

鎌倉の方からのお知らせ③ 「万葉集巻子本制作ワークショップ」の詳細は 表の二番目 「阿見みどり 鎌倉に咲く万葉野の花 水彩画展」の項にあります

 

鎌倉で必死に鎌倉でも源氏物語と万葉集受容の文化があったことを10年近く訴える活動をして 当初は「武士の都鎌倉」で世界遺産登録を目指している真っ最中だったから 公家文化があったことはとても嫌がられて無視され 登録が失敗に終わって では別の価値を と探し始めての仙覚さんの万葉集です

 

私が活動を始めた時 鎌倉の方はほとんど妙本寺様境内に仙覚さんの万葉集研究の碑があることもご存じなかったのが 新しく価値を探し始めた担当の方にお伝えしたらすぐ妙本寺様にいらして そこから今回の仙覚文庫設立にまで発展しました 行政や権威ある方の手に移り今私は遠くから見ているだけですが

 

私の今成すべきことは仙覚さんの小説の完成 これを成し遂げての私の功績 と思っています

 

鎌倉ペンクラブ公開講座「仙覚律師の生涯」のパワポ制作に入りました 27日まで仙覚さんの原稿に専念と思ったのに 朝一で鎌倉の方からイベント告知のお知らせを頂いたら 気持ちをかき乱されて籠る気分が消えてしまいました それでパワポに きっとこの順番が正解なのでしょう

 

令和元年の切手を貼ってチラシを送らせて頂くのですが シートでは素敵だけど 切手として貼ると ちょっと渋い 好きですが

 

10月16日

おはようございます 籠って書きたいと思いながら台風とか家族のこととか気をそがれることが続き やっとと思った昨日も鎌倉からの情報で気持ちをかき乱されそれではいっそパワポにと パワポ中なら外部のこともいらつかずに対応できます と思ったらその後二つも大きな対応をしなければならないことが

 

ひたすら書きたいと思う気持ちのなかには あまりにひどい昨今の政情に仙覚さんの世界をぶつけたいから 写真は以前のですが海蔵寺様境内にて つつましやかにとても丁寧にお花の整備がされていて素敵でした ここは宗尊親王ゆかりの寺院とか Twitterで教えて頂いて尋ねたのでした

|

2019.10.15 ツイッターから転載…日々雑感、台風被害の日本のことにさまざま思う。源氏物語の光行さんも万葉集の仙覚さんも大変な世に生きて

10月13日

歌林苑は歌のはやしって言うんですね 古今の集というかどうかわからないけど 今回原稿に使いました 台風前に国会図書館遠隔複写で入手していた石川暁子氏「歌林苑にあつまる歌人たち」を拝読しています 二条院讃岐がいたりして この時代 男女一緒の歌会って どういう状況でしていたのでしょう

 

ただいま《望》です

 

蹴鞠の方から文学館での蹴鞠の講座のお知らせ 行くべきかなあと考えてはいたのだけれど 源氏物語の京都の先生のご講座も 行きたいとじかにお伝えしてしまっていたのだけれど 結局はたぶん両方行かない インプットの時代は終わりにして というのでなく 仙覚さんの小説に専念するだけのこと

 

10月14日

おはようございます と言ってももう午後の一時ですが 起きたのが遅くて家族の朝食を作り 団欒を済ませてTLを追いました もう改善しているかもしれない位時間が経つツイートもRTさせて頂きました それは今回の台風の被害の実態を忘れないために 決してまずまずではない事実を私自身の認識のために

 

こんなに広範囲な日本全国各地での被害 経験したことない気が 神戸なら神戸 東北なら東北 と一点集中なら支援の眼差しも絞られるけど

 

絶対に国家の規模で復旧に動き出さなければ どこか弱い立場の地域が取り残されてしまう そういう危惧

 

今 日テレ宮根やで アメリカでは大きなハリケーンがくると 国が各地に被害状況の把握や支援に乗り出す拠点を置いて 連携プレーで救助に乗り出すと コメンテーターさんが発言されていました 今 日本でも それをするべき

 

どうしてこういう時 強力な司令塔 という人か機関が現れないのですか? こういう時 どなたがそれをする役割なんですか?

 

仮寝して起きてTLを追いました いろいろあったことの多分すべてが済んで 台風の恐怖からも逃れ もう原稿に専心 と思ったのも束の間 日本各地の被害のあまりのことに目が離せず やはりTLを見てしまう これだけの被害 どうするんだろうと茫然としつつ 今現在も途方と悲しみに耐えながら家財の整理などに

 

あたっていられるだろう方々を思う 11月9日の講座まで1か月を切りました カレンダーを見て27日まで原稿に専念して 残りの2週間近くをパワポにあてようかと ほんとうは今日はもうTLを追わないつもりでした でも見ないわけにいきませんでした 明日から没頭できるか 確かではありません

 

なんでこんなに世情に目が向くようになってしまったのだろうと思うのですが これが仙覚さんが生きた時代と同じと感じるからです 非情な政局の犠牲にあって仙覚さんの人生は決められ その運命の下で万葉集研究に勤しみました 非情な政治 その対極の万葉集 今の世の中から目が離せない理由です

 

寝ようとしたのだけれど目が冴えて 初めて鎌倉で鎌倉でも源氏物語の受容の文化があったことを訴える講演をしたのが2010年11月 二度目の講演を3月15日に控えた直前の11日に東北の震災が起きました 余震と計画停電の続く中 講演をするか中止にするか主催者さんと悩みました その時に感じていたのが鎌倉に

 

源氏物語をもたらした源光行さんのこと 光行さんも平家に仕えていた人だから源平の争乱で人生を狂わされて鎌倉に下向した人です 計画停電で悩む最中 光行さんの思いもこうだったのだろうと実感し 延期になって10月8日に市の人権男女参画課主催となってできた講演では光行さんの思いを重ねて語りました

 

今 仙覚さんの生涯についてお話しする講演の前にこの政情と台風被害 ひしひしと実感してならないのは そうした世情にあってもなお万葉集という真実の世界に浸って過ごした仙覚さんの胸中です 源氏物語の光行さん 万葉集の仙覚さん 両講演の前に奇しくも同じ世の非情を目の当たりにしている不思議さです

|

2019.10.13 ツイッターから転載…日々雑感、巨大台風19号を乗り切って、これは仙覚さんに与えられた時間と思って感謝

10月11日

台風の備えに二日間かかりきった疲労で寝てしまったのですが もしかして今日はツイートしてなかったかも 今スマホでTLを見ているのですが 鎌倉ペンクラブの講座のお知らせ RTやいいねをその後もして頂いていました お礼が遅くなりましたが ありがとうございました

 

地震に備えて購入していた小さなラジオ 一回も必要とすることなく乾電池が腐食してしまい込んでいたのを出しました 掃除して チャンネルを合わせて 無事に聞けて これで停電してもラジオがあるから安心に 地震の備えから10年以上経っています スマトラ直後からでした

 

RTの森山恵様が紹介してくださったガーディアン紙の源氏物語の紹介 いいですね 物語は夢を見るようにゆっくり進む(うろ覚えで微妙に違う?) 私も仙覚さんの小説をゆっくり書いているから いつか後世の人にそんなふうに言われたらいいな

 

かつて仙覚さんを存在を消されて生きた男って 男性の視点で劇的に書こうとしていたのですが どうしても私の筆に合わなくて女性の視点で書き直しはじめたら 物語のなんとゆっくり進むこと! 女性の視点って 思念です

 

どうやら無事に過ぎてくれたみたいです我家は といいつつ河川氾濫や土砂崩れなどの被害には心痛めています 我家は古い家屋なので風速予報の凄さに屋根を持っていかれるか命がけの思いでした なにしろ三鷹は進路予測の台風の目のほとんど通り道上でしたから 風の音も止んで今はすっかり静かです

 

川の氾濫 TVで早くから都幾川が氾濫といっているのが聞こえていましたが 慈光寺のあるところです そして今 小川町の槻川が と聞こえましたが ここは仙覚さんがまさにそのほとりに住んだだろうと言われている川 重大な被害でありませんように

 

パワポを作らなければならないから 台風は家屋の損傷も怖かったけど 停電が長期にわたることが怖くて それで台風前にパワポを作ってしまおうと思ったのに 台風への備えで体力と時間を費やして結局できませんでした で 無事に通過した感謝のパワーをパワポにと思ったら もう鎌倉の担当者さんから

 

メールを頂いて記者会見の予定と その方のメールには 鎌倉は風雨が凄いですと そんななかでもお仕事されるんですね 記者会見はともかく パワポに向けて「仙覚さん」を頑張ります あ でも 記者会見こそ仙覚さんをアピール! 頑張ります

 

10月13日

おはようございます 疲労が溜まっていたので台風通過を見届けてすぐ寝ました 今やっとその後のTLを追って各地の氾濫被害に絶句 千葉の復旧もまだなのに国は…と怒りと暗澹 ほんとうに今の世は絶対に今の世にはあり得ないと思っていたそのまさかの治世 今この時間にも困り果てている方を思うと辛いです

 

鎌倉の源氏物語活動に10年没頭し その間家のことが疎かになっていたから 今回防災グッズを出しながらちょうどいいから身辺整理 キーボードがないと書けない質なのでと買ったポメラが出てきて 久しぶりにまた使おうかなとケースから出したら本体がベトベト こういう機械にこんな溶ける材質使う? と謎

 

溶けたゴムみたいなのが洗っても落ちないし 気持ち悪いからもう使えないし とポメラは諦めます 今回台風の被害に遭わなかったのはどう考えても奇跡だと思うし とにかく11月の仙覚さんの講座と執筆中の原稿に与えられた時間と思い 感謝を胸にこれから集中します

 

まだTVをつけていないから千曲川のこともたった今TLで 知っただけ TVをつけるのが怖いです とにかくどうぞ皆様ご無事で早い復旧を

|

2019.10.11 ツイッターから転載…日々雑感、定家の青表紙本源氏物語「若紫」発見から、写本享受史のこと&台風19号が怖いです

10月8日

車内のつれづれに 先日公園の雑木林の中で咲いていた花 サフランにしては巨大だしクロッカスのはずはないし と思わず撮りました

 

窓を開けたら鴉が一羽鳴いて過ぎました まだ台風の影響ではないと思うけど 風が強くて塵が吹き払われているのか空気が澄んで 明るみはじめた夜空にオリオンが こちらも綺麗に澄んで 煌めいていました 外出の疲労で一旦寝て 起きて 今夜は定家の源氏物語写本発見の報があったからTLを丁寧に追いました

 

これからまた寝ます おやすみなさい

 

10月9日

おはようございます 令和に入って出典の『西本願寺本万葉集』から 今度は定家の青表紙本源氏物語の「若紫」発見 私の【鎌倉の源氏物語】活動はこうした写本の享受史なので なんか偶然にしても不思議と驚いています 写本は国文学では研究の対象ですが 写本はもともと人が作ったもので 人の移動で

 

写本自体の足跡を残しています なので写本の享受史を眺めると その時代時代の人の動きや交流が見えてくるといったもの いわば鎌倉の源氏物語は写本享受の歴史です 講演後によく 写本がこんなに楽しかったとは思わなかったというご感想を頂きます 最初期のパワポから四枚スライドをご紹介

 

写本享受史についての過去のパワポ添付のツイートにRTやいいねをありがとうございました。ステマと思われないか物凄く勇気を振り絞っての投稿でしたので心からほっとしました。ただ写本享受史がずっと原点で、そこから仙覚さんの人生も見えてきたものですからあえて強気で。仙覚さんの小説、頑張ります

 

台風のもしかしたらの停電に備えて 鎌倉ペンクラブの講座のパワポを作ってしまわなくてはと思ったのですが こういうふうになると逆に仙覚さんの小説に専念したくなる といういつもの天邪鬼と戦っています まだ台風に備えての買い物中なのですが

 

10月10日

おはようございます 台風がほんとうに怖いです もしかしての停電前に講座のパワポを仕上げたいと思いながら 台風への備えで時間をとりそう でも今はひとまず落ち着いて 過去の講演のパワポから仙覚さんの『万葉集』の変遷を 写本や事跡を辿りつつ これがすなわち仙覚さんの生涯です

 

①寛元四年本万葉集(1245)@鎌倉with四代将軍頼経 ②仙覚律師奏覧状(1253)@京都with後嵯峨上皇 ③西本願寺本万葉集(1266以降)@鎌倉with六代将軍宗尊親王 ④『万葉集註釈』(1269)@比企小川町with北条実時

 

どうしてこんなになっちゃたんだろうという思いが唐突に湧きました 今朝TL拝見早々に素敵な修論のツイートを拝見して しばらくそのテーマとされた女性詩人の周辺をネットサーフィンしてしまいました ほんとうなら私もこちらの世界に渉猟していたはずの忸怩とした思い なのになぜ日本の中世? と

 

一瞥して感性や映像が世界文学と日本の中世では真逆 あちらは明るいくて明瞭こちらは暗く魑魅魍魎  ほんの一瞬ですがその違いが見た眼であります でも その後仙覚さんの生涯をたどるパワポを見たら 精神の上では劣っていない 同格です 仙覚さんを世界文学のレベルで書きたい所存です

 

吉祥寺 月窓寺さんの山門ですが 貼ってある映画のポスター「典座」 観たい気が

 

身体の節々が痛むほどベランダの鉢の片付けとか重たくなるほどの買出しとか 台風に備えて働き尽くしで疲れているのに そうでなくてもいつもなら仮寝で寝ている時間でこれから起きるのに 今日は寝られない 眠くないというより意識が冴えて眠れません 多分台風の緊張 目が離せなくてTLをしょっちゅう

 

でも見るたびにはっと教えられることがある ベランダの物干し竿 昨日TLで外しなさいとあったので そのつもりで家人に言ったら きれい好きな人なので下に置くのは嫌だからしっかり結ぶと 渋々引きさがったのだけど 今物干し竿が縄跳びの縄のように震えるとまたTLで見て やはり外さなくてはと 明日します

 

非常食や非常用品は 地震に備えて物置やあちこちの部屋に大きなリュックに入って山とあるのだけれど 邪魔だなあ 人生のうちに使うこともないだろうしと思いながら でも何かあった時のためにとってありました 避難所には新聞紙が活躍するとか知ると詰めたり コンロもガスボンベもあるので安心していたら

 

TLでガス漏れの危険があるから10年前のはダメと早朝に読んで 朝一で買いに出ました でもガスボンベはもう売り切れ 寸前で コンロとガスボンベの一式を買ってきたのですが Twitterはやはり非常事態時の貴重な情報源です

 

|

2019.10.10 ツイッターから転載…日々雑感、台風に備えて早めに鎌倉ペンクラブの講座準備のパワポを開始しようかと

10月7日

おはようございます 昨日も鎌倉ペンクラブ公開講座「現代作家が読み解く万葉集」のチラシのRTをありがとうございました 昨夜は借りてきた古今集をぱらぱらと開いて読みながら就寝 ずっと万葉集をしてきていての古今集 突然世界が変わって新鮮でした というか 引きずられそう 早々に離れます笑

 

万葉集には生の迫力がありますが 古今集は感性 思念の迫力です 竹西寛子さんのエッセイで魅力を教えていただいて以来の憧憬ですが そんなに読んでなくて 紫式部さんの時代には文章の根底に流れるほど諳んじられていた なんて羨ましいです

 

いつもは楽しい会なのに 今日は疲れて帰宅後ばったり寝てしまいました 台風が近づいているから? 週末の家族ケア疲れ? ストレッチして頑張ったのに体が物凄い硬かった でもそれよりやっぱり意思の疎通 小説に深まっているから通常の会話が辛かったです ふつうには歴史の会話は楽しいのだけれど

 

今日のご発表で楽しかったのは(そうだ ご発表の段階までは楽しかったんです!)八条院という女院は莫大な荘園を持ってられるのだけれど それを継いだのが殷冨門院亮子さんという後白河院の皇女で その方が後鳥羽天皇の准母になって後鳥羽院がその莫大な荘園を継承 それが承久の乱の資金になった

 

たまきはるで建春門院滋子さんと並んで書かれている八条院 その方の荘園が承久の乱になんて 女院の側で歴史を見ると思いがけなく楽しい 待賢門院璋子さん 上西門院統子さん 建春門院滋子さん・・・ なぜか まだ 建礼門院徳子さんに興味がいかない・・・ なぜだろうとずっと考えています

 

女院について呟いていたら活力が甦りました やはり自分の世界に籠ります 結果は(評価は)小説で・・・

 

ある方に言われました 貴方は想像できるからいい 僕たちは許されていないんですよと 歴史は資料に忠実でなければいけないのでしょうけれど その為に現存する資料だけを繋げてご考察されているから 私みたいに年譜という座標軸でみると年齢等で絶対あり得ないというご論を時々散見する 鎌倉の源氏物語で

 

しばらく頑張ってきたけど そういう方たちとの軋轢もしくは失望で小説に切り替えました そうしたらなんと自由なこと 人物が空間を生き生きと動き回ります で しばらくそれに浸っていたから ほんと 私は浮世離れしてるんですね ふつうの会話で疲れるなんて と今日の疲労困憊につくづく

 

10月8日

おはようございます 台風が怖いです 停電に備えて今週中に鎌倉ペンクラブの講座【仙覚律師の生涯―京・鎌倉の文化交流―】のパワポを作ってしまおうと決意 昨日の体調不良をひきずってまだ今朝もうじうじしていたのですが TLを追って台風の注意喚起の皆様のツイートに気持ちが引き締まりました感謝

 

鎌倉ペンクラブの講座【仙覚律師の生涯―京・鎌倉の文化交流―】のパワポ 今までのどの講演のパワポを下敷きにしようかと見たら 「京・鎌倉の文化交流」の副題を何度も使っていて 自分ではその都度重要物件発見と思っていたのでびっくり それ位仙覚さんに関わらず鎌倉の文化は京との交流が重要です

 

添付のスライドは去年腰越の学習センターで鎌倉の蹴鞠をテーマでしたもの 蹴鞠というと専門家さんは蹴鞠の専門知識で講演されますが 私は蹴鞠を通して人脈を見るというもので 文学的な観点でのつながりです 蹴鞠保存会の方も来て下さって納得して下さいました 二枚目は講演でいつも配布しています

 

「将軍の交流図」で仙覚は画面中央 四代将軍頼経の上にいます 仙覚は頼経の正室竹御所の崩御で 将軍が菩提を弔うために建てた新釈迦堂(現・妙本寺)の住持として招かれ そして将軍の命を受けて万葉集に着手 その後京に上って後嵯峨上皇に万葉集を献上したり と経歴は華麗です

|

2019.10.9 ツイッターから転載…日々雑感、鎌倉ペンクラブの四回連続公開講座【現代作家が読み解く万葉集】で一回担当させて頂きます他

10月4日

おはようございます 原稿は今日から清輔が二条天皇に出仕して万葉集を伝授するところ 清輔の出仕は押小路東洞院 後白河上皇の院政に反発する二条天皇は内裏まで新造して閑院内裏を出るんですね なので仙覚が信奉した二条天皇の題詞が高い万葉集の故郷は押小路東洞院 丹後内侍が出仕したのもその内裏

 

今鏡に清輔が六条天皇に召されて内裏に行った描写があって 二条天皇の時と同じと懐かしむところがありますが 讃岐内侍日記にも 建礼門院右京大夫集にも 二度目の出仕にかつてを振り返って思う描写があって 好きなのですが 辛い話ですよね でも 文学って そういう辛さの箇所が一番心に響くから危いです

 

雨で 窓を開けたら薔薇の匂いが 手入れしてないけどたくさん咲いて 雨でしっとり

 

TLは遡らないで見ると決めたのに しばらくTwitterを見てないと溜まって 遡るのでなく上に辿り着くのにも時間がかかりました でも眼に着いたことだけ追ってみたら馬アレルギーとかひどい話 以前なら国民の見えないところで横行していたでしょうこの酷さも Twitterが知らしめてくれる世になったのですね

 

さっきツイートして気がついたのですが 讃岐内侍日記の内侍 丹後内侍の内侍と同じなんですね(気がついてはいたけれど まさか東国の比企尼の娘が讃岐内侍と同じ立場にあったなんて というか 吉見系図のこの記述さえ疑ってましたものね)

 

万葉集の題詞が高いか 歌が低いか など 二条天皇と清輔に小説のなかで会話させています笑

 

ずっと後の仙覚さんの万葉集研究も 題詞の高低とか悉曇の母音がどうの とか そんなことを書くつもり 結構変わった小説になってもいいと思って

 

最初 袋草紙を二条天皇に所望されて出仕した清輔が 親しんでいるうちに二条天皇に万葉集を教えはじめた というふうにしたのですが いや 待てよ 二条天皇は仁和寺で倶舎などの根幹を究める学究をされた方 袋草紙にある清輔の万葉集への研究態度に二条天皇が共鳴した というふうにしたほうがと

 

午後いっぱい節々が痛むし(ストレッチのせい?)体調悪くて気がのらなかったのですが やっとこれから 考えてみると『源氏物語と鎌倉』も書き下ろしで刊行したから ツイッターで今日は◯◯を と毎日進行状態をツイートしていました あの頃と比べて勢いがないなあと苦しいのですが 小説だから苦しくても

 

急に出かけると筋肉ができていないので後の疲労が大変 なのでそろそろペンクラブの講座も近づいているからストレッチを始めました 体がなれるまで節々が痛かったりぎこちないのは仕方ない でも今から始めていれば当日は大丈夫 颯爽と歩けます笑

 

10月5日

おはようございます 二条天皇が清輔に袋草紙を献上させたのが即位の翌年 内裏歌会を開いていたからそれで話題になってのことでしょう でも昇殿を許したのはそれから三年後 このギャップをどう埋めるか 昨日は体調が悪かったのでどう頭をひねっても浮かばなかった で 今朝起きたら解決していました

 

二条天皇はご自身が監修する万葉集を作ろうと決意されたんですね 後の二条天皇御本です 内裏歌会メンバーだった経盛から借りて書写しようと それを袋草紙で感嘆した清輔の援助を仰ぎながらしようと思われたのではないでしょうか それが題詞が高く歌が低い万葉集になり いつの日か仙覚に感化することに

 

二条天皇の万葉集を数行書くのに一日かかったり これではほんと進まないなあと溜息吐息ですが 二条天皇は若いし清輔はプロだから 当然清輔が二条天皇に勧めた と思いますよね その当然を覆すのに一日かかった この繰り返し でも この覆す作業がとても重要 流布している説にも時々あって思います

 

鎌倉ペンクラブの秋の講座のチラシが届きました。11月の毎週土曜日、四回連続講座です。今年のテーマは『万葉集』。詩人・作家・俳人・歌人の四回で、私は二週目の9日に「仙覚律師の生涯―京・鎌倉の文化交流―」を作家の立場でお話させて頂きます。申込制で先着順なので早めにご紹介をと思いました。

 

有料なのでお誘いするのは恐縮ですが、四回通しで4000円。一回だけだと1500円です。先着順で100名。会場は鎌倉駅東口を出ると右に東急ストアがありますが、その並びで数件先のビルです。お申込みは往復はがきにて「248-0006 鎌倉市小町1-2-16 早見芸術学園内 鎌倉ペンクラブ事務局」

 

仙覚は誰かなど、ずっと仙覚さんにこだわって活動していましたのでこの機会を頂きました。新年会のあとの二次会でもう打診頂いていたのに、五月になって令和の改元で万葉集が突然脚光をあび、それに乗ったようなテーマ。そうではないのに…と、不思議です。流れなんでしょうね。

 

TLで発売されたと教えて頂き購入していました でも値上げ後の価格だったので使わないでとっておいたのでした 令和の記念切手 鎌倉ペンクラブの講座のチラシをお送りするのにちょうどいいと気がついて取り出したのですが 綺麗! ついでに岐阜の発表資料を同封させて頂こうと印字したり 今日は終日こんな

 

鎌倉ペンクラブのチラシをお送りさせて頂きながら 以前だったらこの方 絶対来て下さった と思う方が皆様お年を召されてお誘いするのも恐縮で 頑張ってますよ のご報告になってます そうですよね 10年頑張ったと自分では思っても 待って下さった方には10歳 年をとりましたです つくづく申し訳ないと

 

鎌倉ペンクラブの秋の講座【現代作家が読み解く万葉集】のチラシをRTして頂き、ありがとうございました。個々にお礼をと試みたのですが、どうしてもその方のスレッドにブラさがれず、自分への返信になってしまうので諦めました。一括してになってしまってすみません。

 

10月6日

昨日終日鎌倉ペンクラブのチラシを知人の方にお送りするお手紙を書いていたりして 仙覚さんの原稿から離れていたら 二条天皇の万葉集を清輔から始めていたのだけれど それに至るために古今集を見なければと気がつき これから序を読みます 清輔の袋草紙が古今集の序から万葉集を始めているようなので

 

図書館で古今集を借りてきました ついでに万葉集もと思ったら四冊もあって重いので解説をコピーして 万葉集はもう随分ご論考を拝読したけど 万葉集そのものを見るって初めての気が 写本でなら結構見てきましたけど笑 私の古典逍遙はかなり特異と思います

 

私にとっての 初めての秋色@図書館の帰り道

|

2019.10.4 ツイッターから転載…日々雑感、丹後内侍の段継続中です。Twitterで歌林苑に惟宗広言と教えて頂いて

10月2日

おはようございます 俊成様作成の百人一首歌人関係図を拝見していたら 歌林苑に惟宗広言がいて 広言は丹後内侍が密通して島津忠久を産んだとされる人だから 歌林苑関係を見ることにして ネットから千草聡氏「平経正と歌林苑の関連」を拝読中です TLを見ると引きずられるので しばらくご報告に徹します

 

御子左家と九条家の関係から中世歌壇に入ったから 六条藤家はライバルで詳しく知ろうともしなかった なのに河内本源氏物語の光行さんが六条藤家に親近しているし 仙覚さんまで やっと必要から袋草紙を読んだら これは! と納得 光行さんも仙覚も学究肌だから 論証的な作風が合うのでしょう 私も、かも

 

通親が六条藤家の祖の顕季が始めた人麿影供をするなど歌に造詣深くて 自身の配下のようだったまだ若い後鳥羽天皇に歌を勧めたら それまで歌壇は六条藤家が率いていたのに 定家の出現で後鳥羽天皇の気持ちが通親を離れ 御子左家に移ってしまった というそのあたりのそもそもを目下見ている感じです

 

広言集を借りに図書館に来たら 臨時休館日で虚しく吉祥寺にまわり 一服 原稿は 例えば仙覚が生涯を賭けた万葉集 と書いていたのを 今朝 命を賭けた と推敲して 自分のなかで文章がほぐれてきているのを感じます もう少し深まります

 

hi-net地震マップより RTさせて頂きましたが今朝三陸沖でアウターライズ地震が起きていたんですね 今朝のツイートでしばらくご報告のみとしてTLを見ないと決めた途端にこの地震 夕刻まで知りませんでした この地震マップを添付してツイートしようとしたらTwitterの不具合 再挑戦です

 

いつもは研究報告や原稿のことを呟いていて ここのところの海外での皆様の素敵なご活動に眼をみはったり 殺風景なTLを彩っていただくために綺麗な写真をRTしたりして忘れていましたが Twitterは緊急時の情報収集と連絡手段のためにしているのでした 災害は忘れたころに 気を引き締めます

 

送信できました! 地震マップの大きな赤い丸がアウターライズ地震です 東北の震災の余震で警戒されていますが まだ本格的なその余震は起きていません 今朝のも規模がまだ小さい 千年前の貞観の際には二度あったという東北の震災 このまま二度目がないことをずっと祈っています

 

10月3日

おはようございます 俊成さまの百人一首歌人関係図で惟宗広言が歌林苑歌人だったと教えて頂き 昨日歌林苑関係の論文を国会図書館遠隔複写で申込ました 広言については調べる気がなかったから 丹後内侍との関係も曖昧に済ますつもりだったのを詰めて頂けそう どうやって知り合ったのだろうとか等

 

ちょうどそのあたりを書く段にきて俊成さまの関係図 私には天から舞い降りたような示唆、贈り物でした それにしても吉見系図にある丹後内侍の密通の語 前から気になっていたのですが この時代正室があっても複数の女性と関係するのはふつうのことと思うのですが それをあえて密通というかなあと

 

島津家の祖の島津忠久は丹後内侍が広言と密通して生まれたとありますが ほんとうは広言でなく惟宗忠康の子らしい 広言には養子になっているようです 春日祭に奉仕しているから十何歳かまで在京してて それから鎌倉にきて頼朝に仕えます だから丹後内侍もそれまで在京というかたちで原稿を進めます

 

吉見系図では 丹後内侍が鎌倉にきてから安達盛長と結婚して景盛を産んだとありますが それでは景盛の年齢が頼家に仕えるには幼過ぎて無理 盛長との結婚は丹後内侍の在京中で そうだとするとシングルマザーの丹後内侍と島津忠久の家に盛長が同居したことになる… とそのあたり詰めないと

 

美は誘惑 って古来西洋絵画を見るまでもなく当たり前ですが 昨朝TLは追わないで報告を呟くだけと決め 夕方までTLを見ないで過ごしたのですが 夕方 なんとなく遡って眺めたらいつもRTさせて頂いている方たちのやはり美しい写真の数々に陶然 危うく引きずられそうになりました こうだから見ないと

 

心を鬼にしないと見ないのは難しいです 私が見ないでも RTしていつも私のTLを楽しみに見てくださっている方に紹介しないのはもったいない なのでRTだけでも などいろいろ思いましたが やはり 見てしまうと美は誘惑 丹後内侍の深い世界に没頭できません

 

丹後内侍は比企尼の娘で 比企尼夫妻は相当な財力を持っていたから 義朝の家人といっても大きな屋敷に住んでいて 頼朝が伊豆に流されてもそこにいただろう 領地の比企に夫妻が帰った後 丹後内侍がそこを継いで そこに盛長が入った という流れになるのかなあ と先ほどのツイートの流れで浮かびました

 

てっきり丹後内侍はシングルマザーだから小さな家で細々と なんて源氏物語の夕顔みたいなイメージを持っていたのですが なんとなんと 刀自 的な力を持っていたのかも そうですよね 二条天皇に出仕するほどの人だもの ←考えてみるものですね! イメージ一新! 俊成様の歌人関係図がきっかけでこんなに

 

呟いたら思考が止まらなくなりました 島津忠久も景盛も丹後内侍の子だから頼朝のご落胤説のある二人 その二人が一時期比企尼夫妻の屋敷で一緒に暮らしていたかもって考えると面白い 景盛のご落胤説だと頼朝の伊豆時代に丹後内侍が伊豆に行ってなければならなくて その整合性をどうするかが悩みでした

 

盛長との結婚を丹後内侍の在京中にしたら整合性は解決 景盛のご落胤説も払拭です 伊豆の頼朝配流地の近くには 丹後内侍と頼朝が密会した寺という伝承地まであるらしいのだけれど この時期の丹後内侍に伊豆にお忍びに行く時期は見られません

 

同じ比企氏の丹後内侍を母に持ちながら 比企の乱で島津忠久は連座の罪にあい 景盛は北条氏の側について滅ぼす方になっている 比企尼には男子がなく それで甥の能員が家督を継いで比企谷に館を構えた 景盛にとってはその甥のというところで比企氏より北条氏が身近だったのでしょうね 政子が理解者だし

 

そうでした 景盛は頼家に愛妾を奪われているのだから どう転んでも頼家が君臨する比企能員夫妻を助けるわけないですよね

 

袋草紙のその頃が ちょうど以前夢中になって調べていた建春門院滋子さんと最勝光院造営の時代で 二条天皇の側で清輔 後白河院の側で滋子さん みたいなフラッシュバック的な文章になっています笑

 

ほんとうはそこに時政と運慶が入るのだけれど あまり煩雑になるのでそれは次章に たぶん次は時政の章 やっと時房の登場です といいたいけれど 丹後内侍の章がまだまだこれから(気持ちが逸っているわけでないけど 時政の章あたりからはもう調べものがなくなっているはずだから 速く書けるでしょう)

 

|

2019.10.3 ツイッターから転載…日々雑感、清輔の袋草紙のことなど

9月30日

わかったと先ほど唐突に思いました 仙覚さんの小説 今書いているのは基子さんの独白バージョン 何年か前に書き始めたその時のは玄覚の独白バージョン これが気に入っていて自分でもよく書けていると捨て難かったのです が 頑張って諦めて基子さんバージョンに でも これは仙覚さんの寛元四年本完成まで

 

そうっか 基子さんバージョンは本にしたら二冊のうちの第一冊 二冊目に玄覚さんバージョンを使って これを文永三年本完成まで とすればいいんだ〜 と気がついて 頑張って体力をつけて それまでの命ある限りで成し遂げたいです

 

10月1日

おはようございます 10月1日ですね 花の写真を探していたら二年前の今日 円仁の故郷を訪ねて岩舟に行っていたことに気がつきました 仙覚さんの小説で円仁を慕う仙覚が訪ねる設定でのロケハンです この時はこのあたりから書き始めてすぐに完成くらいに軽く考えていたのに今はなんとまだ誕生以前

 

一枚目と二枚目は円仁が九歳まで過ごしたという生誕地高平寺別院 三枚目と四枚目はその後入寺して修行し、そこから比叡山にのぼったという大慈寺 ライシャワー元大使も円仁を敬愛してこの地を訪れています 四枚目がその記念の碑 この写真は三毳(みかも)山 文献初出は八雲御抄 円仁の誕生地と

 

昨日のリベンジ といっても今日持って出たのは推敲ではなく村田正博先生の仙覚と袋草紙の関わりを巡って たぶんこれで調べものは終わり ペンクラブの講座まで五週間あるから パワポに二週間とって それまでの三週間を仙覚さんの小説に 三週間で完まで書けるとは思わないけど できたらそうしたい勢いで

 

清輔の袋草紙 これ 仙覚さんの万葉集註釈の根幹をなすと思う ついにその深い深いところにまでたどり着いた感で それを原稿にどう活かすか そのためにまた再読 そのために持って出ました

 

ほんとうは三週間Twitterを封印します宣言をしたいのだけど 今回基子さんバージョンで書き出した時もその覚悟だったのに 集中し過ぎて疲れたら Twitter 息抜きになって封印できませんでした 今度はもっと真剣に集中したいのだけど どうなるでしょうか

 

メモ 村田正博先生袋草紙より: 「道理」と「文証」を重んずる仙覚の姿勢を導いたもの、その直接の契機として清輔『袋草紙』があった…←これを小説の文体に書きたいのですが

|

« September 2019 | Main | November 2019 »