« October 2019 | Main | December 2019 »

2019.11.28 ツイッターから転載…日々雑感、皇居の大嘗宮一般参観に行きました

(写真のアップができなくて済みません。Twitterでご覧いただけます @odayuriko)

11月26日

昨夜の会で頂いたお名刺を整理しているのですが 鎌倉の某有名な寺院のなかの建築も手がけられたという一級建築士の方が出版社もなさってるって なんか凄い(頂いた時は字が細かくて確認できず今頃になって判読) 写真は昨夜の新宿駅西口にて

 

原稿でPCに向かうと眼に負担だから今日は終日お礼状などの事務整理 だいたいに比企郡などという宛名書きをすらること自体が私には奇跡 たまたま撮影に行って知り合っただけの仲なのに お世話になった比企の方々にここ数ヵ月のご報告とお礼をしたためています

 

今日は目を労わってPCはしないで終日お礼状などの手紙を書いていたのですが 10通は書いたと思う でも目は全然痛くならなかった 安心してPCに向かうとじきに目の奥で激痛 やはり紙に書くのと透過光で突き刺さってくるPC画面とでは違うんですね 家族に借りたブルーライトカットの眼鏡をしてても

 

ブルーライトカットの眼鏡 とても目に優しくて気に入ってしまいました これからは外でもこれをしたいくらい 外出用のお洒落眼鏡は薄い茶色のサングラスになっているのですが これからはもうずっとそれを日常使いにしようかな など いろいろ考慮中です

 

11月27日

今日は新月、はじまりの日です。

 

思いがけず観ることができました 大嘗宮一般参観に行こうと決めてふっと 近くでは? と思ったらやはりそう 一般参観の帰りに皇居の平川門から出ると目の前が竹橋です 近美はすぐそこ 鏑木清方明石町 堪能してきました

 

大嘗宮の写真は気がつくと一枚もスマホで撮ってなくてすみません どうして参観したいのか なぜ観なければならないと思っているのか 自分で明確な答えを持っていないから コンデジで撮りながらずっと自問していました スマホでなくコンデジと思って行ったけど 一眼レフにするべきだったと今にして後悔

 

近美から見た光景 右手に皇居 左手が竹橋駅方向になります 内堀通りとあったから川みたいなのは内堀?

 

帰りがけにに見た皇居の松 松はいいですね あるべきところにあると

 

緑多い皇居のなかをゆっくり歩きながら遠くをばかり見ていたので 眼にとてもいい一日だったと思います 帰ったら 基子さん再開

 

皇居の紅葉と桜 ジュウガツザクラという桜だそうですが 皇居の敷地に入って早々の道筋に咲いていました まだ先は長いから 一番最初に目にした「撮りたいもの」 というわけで 大嘗宮とはぜんぜん関係ないのに皆さま撮ってらして 今 写真をPCに移しています

 

歩いて歩いてようやく遠くに大嘗宮が見えたときの一枚です この時点で誰もいない大嘗宮全貌を撮るのは無理を悟りました笑

 

大嘗宮は悠紀殿と主基殿が祭祀の建物ですが 参観の通路からは手前に参列者の方々の建物があって見えなくて 屋根の一部がのぞいて見えてようやく撮らせていただきました 両建物を全景で見られたのは裏に回ってからです 一枚目がその裏からの全景 二枚目は向かって右の悠紀殿 三枚目が左の主基殿

 

ひとつひとつの建物を撮らせていただいても なぜ撮っているのか自分で不思議でした けれど 今 PCに取り込んで撮った写真を一枚一枚見ていったら 外観の写真でなく ズームで撮らしていただいた内部の写真に厳かさが 空気間ですね これは・・・ と襟を正しました のちほどアップさせて頂きます

 

11月28日

おはようございます 昨日大嘗宮を訪ねられて落ち着きました なんか疲れたり諸々で行くのを諦めていましたから 昨日思い立ったのは曇天だったから 建築物を撮るのは快晴だと外と内部との陽光のコントラストが強すぎて快晴は不向きです 大嘗宮の主役の悠紀殿・主基殿は近づいてしまうと見えません

 

二枚目の写真が到着して撮った正面 悠紀殿も主基殿も屋根さえ見えていません そして両建物が主役ということを理解していないと ふつうに神社を訪ねた時のように二枚目のような正面写真で満足 私も最初は奥の建物が本殿と思っていました でも頂いた解説を読んだらそれはお召し替えをなさった建物と

 

祭祀が行われた悠紀殿と主基殿の外観を拝見できるのは裏に回った時と 昨夜投稿しましたが 今 撮った写真を見直していたら はじめて遠くに大嘗宮が見えた時にズームで撮った写真に悠紀殿の屋根が写っていました いろいろはっきり認識していないとこういう古式豊かな建物の撮影は難しいですね

 

改めておはようございます 不思議なのですが 昨日のように長く歩いた日はもう帰るとぐったり 疲労困憊になるのが通常なのに 昨日は元気が漲ってお夕飯の支度もきちんとできたし家族が就寝するまで見届けられた 不思議と思っていたら今朝もまだ快調 なんか 大嘗宮の清浄な気配に癒されたかの感

 

今 改めて撮った写真のなかにズームで撮った内部の写真を見ても 清浄な空気感にどきっとして圧倒されます 外観は俗世界 撮っていても周囲はざわざわ 監視の方の立ち止まらないでくださいのメガホンの声 人の立ち入りの許されていない内部には結界がはたらいているのかもしれませんね

 

基子さんの原稿再開 目を傷めて原稿から離れていたから皇居にまで行けて そうしたらこの写真の大番所 坂下門から入場して歩いて行ったところにありました 大番! と近づいて読んだら警備詰所と ちょうど基子さんの父足立遠元の大番役を書いていたところです 江戸時代まで大番ってあったのですね

|

2019.11.26 ツイッターから転載…日々雑感、最勝光院のことなど

11月23日

おはようございます 今日から心機一転 滞っていた原稿の見直しから一歩進んで新しい展開が見えてきました 今まで梗概はできていたものの肉付けができずに苦しんでいました 結局その苦しみはいろいろなしがらみで思考がぐるぐる巻き状態になって一歩も外に出ることができなかったから やっとです

 

でも まさか 迂回と思っていた最勝光院滋子さんが入ってくるとは! そんなにページを費やして書くわけでないけど この時代背景があっての瞳子さん と思えば 文章にも含みがでます このための迂回だったんですね(と このごろ毎回つぶやきますが・・・)

 

雨の井の頭公園の秋色 久しぶりに吉祥寺に出たら筋肉が弱っていました 原稿に入ると不健康になりがち 気をつけたいのですが そういう気をつけること自体が煩わしくなって 困ったものですね

 

11月24日

おはようございます ちょうど先日来心に引っかかっているツイートに対してのご論議を拝見してほっとしたところです RTさせて頂いた という こと もの の件 小説の教室でことこと主義に陥るなとは注意されましたが という までとはと唖然としたのでした Twitterは実用文主旨の方が多いからこんなことに

 

Twitterでこんなふうに当然のように 使うな とツイートされることの危険性を思います 使うからこその文学であって それは古今集の時代とかの話ではない 実用文が正しいとばかりに世の中が進んでいくから 社会全般の思考が平明になってしまっているのでしょうね 私の小説は発表したら多分弾劾されます笑

 

11月25日

おはようございます 過去写真ですが@井の頭公園 紅葉は青空との対比が綺麗ですね 11月も今週で終わり 鎌倉ペンクラブの四回連続講座も終わりました 結局自分の回しか鎌倉に行かなかったけれど ペンクラブの幹事さん方には心からの感謝 そしていらして下さった方にも ありがとうございました

 

最勝光院のこと 俊成さんは訪ねてられるんだから ご本尊さまがどなたか書き残しておいて下さればよかったのに・・・ とぼやきたくなります 最勝光院のご本尊さま 三尊というだけで阿弥陀様か釈迦如来様かわからないんです 宇治平等院を模したのだから阿弥陀様と思っても 論考ではお釈迦様と

 

前からこの件 建春門院滋子さんはどんなご本尊を見てらしたのだろうと気になっていたのですが いつか基子さんを訪ねさすシーンを書いたら ご本尊様を曖昧にできないから 切実になってきました

 

ある会がお開きになり 二次会は辞して独り珈琲 新宿にいます 作家さん詩人さん編集者さん出版社さん 皆様いろいろご活躍だけれど 仙覚さんの小説に入った私は何方とも共有できるものがないと痛感 完成するまで そうなります

 

11月26日

おはようございます 折角新宿に行ったのだから高層ビルの写真を PCのし過ぎで目が痛くて 家族のブルーライトカット眼鏡を借りたらとても眼に優しく 自分用に作ろうかなって思っています 昨日は夜に出かける用があったからPCをせず家族の夕飯準備等をして過ごしたから 今朝は痛みがなく嬉しい

 

(古今著聞集を教えていただいて)無茶ぶりに応えていただいてほんとうにありがとうございました。著聞集、何度も拝読して、結局ご本尊様のめどはたたなかったけれど、そうっか、これが当時の状況なら基子さんも鍵がかかっていてご本尊様を見ることはできなかったことにすればいいんだ~と決めることができました。お陰様で進展します!

 

それにしても、最勝光院への御子左家の方々のかかわり、凄いですよね。たまきはる、明月記、無明草子は読んでいましたが、著聞集までとは! 花見に行ったのは定家と思っていたのですが記憶違いで俊成様だったのですね。いずれにしてもあの時代の趣を残す最勝光院が今は無いのが残念です。

|

2019.11.24 ツイッターから転載…日々雑感、仙覚さんの小説に光能を

11月21日

仙覚さんの小説に没頭しています やっと落ち着いてこうできる状態になりました 停滞して先に進むのが苦痛でしかなかったのがなんとなく楽しみに これを守りたいし守らなければと思います

 

基子さんの姉の一人を瞳子として 昔 安達瞳子さんに憧れていたなあと思い出しました トウコは決まっていたのですが 古い原稿では陶子になっていて今回しっくりこなくて一考 仙覚さんの小説では女性がたくさん出ます 先日のペンクラブの講座で最後のまとめに小説の話をして 女性のほうに気持ちが

 

行ってしまうんですよ~ みたいなことを言ったら 打ち上げの席でペンクラブの方に(男性です) あの女性をたくさん描くっていいと思うよ と言って頂きました 以前にも別の方から 歴史は女性によって匿われたり助けられて動くところあるからと 瞳子さんの話に相槌を打って頂いたことがあります

 

これからどこまで書けるかわからないのですが 光能を書きます これは 迂回と思っていた最勝光院滋子さんを夢中になって調べていたときに こんなところに光能が! となって膨らんだも 迂回がなかったらもっと仙覚さんの小説は進んだでしょうけれど 迂回したから小説がふくよかになっていってます

 

11月22日

後白河院の近臣光能に足立遠元の娘が嫁いでいるのを 遠元が義朝に従って在京していた時の縁と思っていたのですが 光能の側からの年譜を考慮に入れたらそれよりずっと後 どうやら遠元は大番役として上京していたらしい それが私には奇しくもなのだけれど 最勝光院滋子さんの時代 遠元娘は滋子さん情報を

 

夫からじかに聞いていたことになるんですね! これは凄いです

 

菊池紳一氏「院の近臣藤原光能」は 滋子さんを調べて広尾の図書館に行った時に手に取った小原仁氏編『『玉葉を読む』ー九条兼実とその時代』に入っていたコラム まさかと眼を疑いつついつか役立つことになるかもと思ってコピーしてきたもの 実際 凄く役立ちそう こんなところに滋子さんをやった甲斐が

 

菊池氏コラムより 後白河院が滋子さんを同伴して熊野詣に進発した時に光能は道事奉行 後白河院が滋子さんを同伴して厳島参詣に御幸した時に光能が奉行 など こういう歴史的事跡をつぶさに遠元娘は夫から話を聞いていた! ちなみに熊野詣のころ結婚したみたい 子どもが生まれた年から鑑みて

 

ほんと これ 凄い この光能と結婚した遠元娘を瞳子さんという名にしたのですが・・・ 基子さんの姉です (ほんの これ 仙覚さんを巡る人間関係の一コマですが 女性陣の雅やかさったら半端ないです)

 

やっと光能について絞られてきました 後白河院と建春門院滋子さんの熊野詣に携わっていたとか 事例が華麗すぎてどれをピックアップしようと悩んでいたのですが 滋子さんといったら最勝光院でしょう! ということで最勝光院に絞ることに 鎌倉の基子さんは京にいる瞳子さんからその華麗な寺院を贈られた

 

世にも類稀なる女性 建春門院の話を聞きます そしてそんなに幸せなと思う方が呆気なく世を去ったことも そして自分もいつかその最勝光院に詣でてみたいと願うのですが 叶わないだろうと諦めの境地に でも 叶うのです 比企の乱によって……

 

など そんなふうに展開が見えてきました 京都での舞台のひとつに最勝光院が入ったのも収穫 最勝光院は承久の乱以降まで存続しているから基子さんを訪ねさせるのは可能

 

一旦寝たのですが やっと展開が見えたら思考が止まらなくなりました ここまで来るのが大変 でもここから楽しい といっても基子さんに立脚すると辛い話になります いつか最勝光院の境内に立った時 基子さんは鎌倉でこの寺院に詣でることを夢見ていた幸せな時代を思い起こす その時初めて泣くだろうなと

 

と そんなことを思ったら涙が出てきました まだそのシーンを書いている段階でもないのに 基子さんの辛さ 思い切り書けますように

|

2019.11.23 ツイッターから転載…日々雑感、仙覚さんの小説・一番最初の玄覚さんの独白バージョンでいくことに

11月18日

おはようございます 写真は再掲ですが真鍋俊照先生の散華に後押しして頂くつもりで 気持ちが固まってきました と何度も呟いているのでまた朝令暮改にならないといいのですが 仙覚さんの小説 原点に戻って玄覚さんの呟きバージョンでいこうと思います 昨日薔薇の名前を思い出し呟いたのもこうなる為?

 

鎌倉ペンクラブの方々が一生懸命仙覚さんの小説の後押しをして下さるのに応えなければと思って中篇なら年内にできるし 一生を描くのはライフワークでその後に取り組もうなど思ったのはやはり焦っていたのでしょう 最初からライフワークとしてしっかりとこれから取り組みます すっきりしました

 

11月19日

おはようございます 写真は@正倉院展 玄覚の独白バージョンで進めることにして記録を見たら2016年10月に書き始めてる タイトルが「仙覚ーある学僧の手記ー」で(忘れてました!)全くの薔薇の名前の影響に思わず苦笑 書き始めて早々に時房が膨らみ 調べ始めてそれから膨大な迂回になったのでした

 

小説化を決めた時には仙覚さんの生涯を研究でほぼ網羅したと思っていたからすぐに書ける! と高を括っていたんです が 書き始めたら頼家の蹴鞠の仲間に時房が 知ってはいたのですが留意していなかった でも小説にするには肉付けが必要 なぜなら後に竹御所を殺める人物だから とそういう経緯です

 

昨夜の空 低空が発光していました 先日の明るい夜空と同じ方向です

 

クリスマスローズに蕾が

 

ここ何年か大切と思っていた何人かの方に状況が変わったらあっけなく去られた経験をし まだそうでなかった時の原稿を読んでいるとその方の影響で書いた部分があったりして 今だからあっさりそれを削除できる ここ何年かの膨大な迂回はその淘汰の為だった気がして清々しいです

 

玄覚さんバージョンの原稿の初期のが一番構成がすっきりしているので それを下敷きに一から入力しなおしているのですが なんと最初のほうでもう当時は出なかった丹後内侍を登場させることに 基子さんバージョンでつい最近書いていたものです 膨大な迂回をしているあいだに練れてきてたんですね

 

丹後内侍と頼朝の筒井筒的関係を書いていたら 竹御所と頼経の関係が相似形に見えてきた これって後世研究者さんに分析されたら布石などと解かれるのかしら 等思う 男の子を持った経験ないけど 幼い男の子って結構おしゃまな女の子に振り回されたり甘えたりして大人になるのではないかと 違うでしょうか

 

11月20日

昨夜の茨城県沖方向の夜空です 一昨夜よりも明るく発光していました

 

おはようございます もう冬なんですね 八ツ手の白い花が咲きました この花には思い入れがあって 受賞第二作のタイトルに あれから遠い遠い回り合わせをして今仙覚さんの小説に 人の円環を考えていたあのころ 懐かしいです

 

ひとつ乗り越えた気がする 玄覚さんの独白バージョンに基子さんバージョンの丹後内侍を入れたらまとまった 玄覚さんバージョンが詰まっていたのはこのせいだったとまで思う だとすると膨大なる消費的迂回は迂回でなく必要に辿り着くための試行錯誤だったとか 書くべきことの核心に辿り着くまで大変です

 

今夜は半月、下弦の月です。

|

2019.11.17 ツイッターから転載…日々雑感、仙覚さんの小説に籠ろうとしているのですが・・・

11月15日

おはようございます 写真は正倉院展にて復元された螺鈿紫檀五絃琵琶 やはり正倉院の宝物は素敵ですね 華やか 「色」があります こちらの琵琶は前期の展示で見られなかったのですが 後期の今の展示の琵琶 背面の模様が繊細緻密で風情があって 前期の華麗さと対照的で存在が隠れていますが 惹かれました

 

昨日は終日片付けもの というより後始末ですね 3月の講演が終わったら小説にかかって今頃はできているはずだったのに 夏に研究発表をすることになってその準備に 8月に発表が終わって少し余裕あったけどまたすぐにペンクラブの講座の準備にかかってそれも終わり いよいよ小説に専念するところまで

 

目まぐるしかったなあと 振り返ると思います その間ある意味翻弄されていましたが 不穏なことが起こると真実が見えてくる ということで状況が淘汰され 浄化されました やっとほんとうのスタート地点 浄化は講座そのものの日に 一つが去って一つ入ってきました 自然とこういう成り行きになるんですね

 

図書館で借りた本 ようやく昨夜開いて眼を通してお能についてわからないことがあったのを検索して などして就寝 やっと落ち着きました 竹御所を亡霊で登場させる件でTLで能のようとコメントを頂いた時にピンと朝長が閃いたのでした お能の幽玄とか 今後はその方向に舵を 現実から離れて 書くために

 

講演会のお知らせ: 峰岸純夫先生【戦国末期の関東ー三つ巴の争覇(上杉・武田・北条)ー】 12月1日 AM10:00~12:00 於・新宿文化センター 会費2,000円(定員60名) 申込みTEL:03-3779-3127 全国歴史研究会「戦国末期の関東」講演会係

 

11月16日

日中たまたま先夜の井筒俊彦特集再放送を観たのですが 先夜は観て聴いて流して終わり なにしろ初めて見る番組ですものね そこに自分が持っている井筒俊彦知識を重ねて共感したり納得したりだけ なのに今日は二回目 すでに知っている場面です そうすると自分が持っていた知識よりもずっと深く画面

 

に自己投入ができる これははじめての経験でした 先夜は案内役のサヘルさんにそんなに自己投入できなかったのに 今日は同じ画面なのにサヘルさんがこなれて安心して見られた 不思議な感覚でした さながら「意味の深みへ」を実践しているかの感 TV番組も本の再読みたいなことができるんですね

 

これは井筒俊彦特集だったから特殊なのかもしれないけど サヘルさんの案内役は正解だったと心から思いました 高所から下界にひろがる夜の街を見下ろし 街のあちこちに響き渡るアザーンを聞いているうちに嗚咽してしまったサヘルさん そして井筒俊彦もこういう気持ちだったのかのナレーション・・・

 

11月17日

おはようございます 写真は正倉院展にて 仙覚さんの小説に没入したいと頑張っているのですが まだ泣 没入の感覚なく書いても絶対にいいのが書けない 書くと決めたら二三日苦しまなければそれは手に入らないのですが まだ苦しんでいません 朝長は読み始めた瞬間からぞうっとしました やはり凄いです

 

仙覚さんの小説は鎌倉時代だから その時代になかった言葉を使うわけにいかない 当たり前ですが 時代小説に慣れてないから新潮社校閲講座を受講するまで身についてなかった で 前に書いたのを読んでいると 地形を説明するのに発掘調査で使っていた考古学用語を使っていたりする 危ない危ない!笑

 

Twitterで えっ! 何かあった? と見ていると少し経って裏が見えてくる こんなこと今までなかった 仙覚さんの小説に没入したいのに離れられない理由です 仙覚さんの小説自体が陰謀と策略の世界だから そこで生き残って成したのが万葉集 我々は生き残らなければならない! なんて仙覚さんからエール笑

 

仙覚さんの小説 中篇なら年内に書けるし 中篇ならと気構えて始めたのだけれど 中篇といわず掌編でもあるような魅惑たっぷりに書こうとしてやはり仙覚さんの境遇はそこに収まりきらない 書き始め当初薔薇の名前風を思い 文体として百年の孤独を思ったその当初の目論見のほうが今は合う そんな気分

 

Twitterを見ているからです 世情が・・・

|

2019.11.15 ツイッターから転載…日々雑感、正倉院展に行きましたなど

11月12日

講座で余裕なくて見ていなかったTL のんびりのんびりそれとなく遡って見ていました Twitter 私には大事な専門分野での情報収集 そして災害時の連絡の場 それから離れたけど繋がっていたい方々との暗黙の繋がりの場(やはり見ていて下さって講座に)そして今回の件でとても温かい場になりました

 

11月13日

おはようございます 昨夜の昇りはじめの満月 もっと黄色で神々しかったのですがスマホではこれが限界 アンセル・アダムスみたいな月の夜景を生涯に一度撮ってみたいというのが果たしがたい野望なのですが…

 

アンセル・アダムスの「ムーンライズ」です 私はこの写真を撮った時のエピソードが大好きで 写真を撮るもものの必死さと怖さが そして幸運が 撮れた時の嬉しさったらないですよね この写真 たしか4×5で撮っていて しかもたった一枚 https://dyn1.heritagestatic.com/lf?set=path%5B1%2F5%2F3%2F6%2F1%2F15361787%5D&call=url%5Bfile%3Aproduct.chain%5D …

 

雑木林が色づいてきました@井の頭公園

 

図書館で借りてきた本を落ち着いたカフェでと思い 軽くTLを見流すつもりでTwitterを見たら なんとなんと大炎上の一件がずらずらずらずら 可視化しなければ意味がないので私もRTまたRT で時間をとって結局読む時間がなくなりました 帰ります

 

嵯峨菊をRTさせて頂いたので こちらも嵯峨菊でしょうか

 

嵯峨菊が大好きなのに これが嵯峨菊! という自信がなくて

 

先ほど投稿した嵯峨菊(右奥)があった菊の生け垣 造ったばかりのよう 駐車場の片隅のそこだけ掘り返した土が黒々していました 菊ばかりいろんな種類 菊の生け垣なんて! と思わず足を停めました

 

夜の石蕗

 

武蔵野市民文化会館前の街路樹も紅葉していました

 

悲愁という言葉が浮かんで そういう言葉 実際にあるのだろうかと検索したら あって 意味も思惑どおりだったのでこれに決めようと思い さらに検索したら なんと映画のタイトルで既に使われていました 観てないし 相当古い名画みたいだから使っても構わない? と思いつつ やはりダブル人いるだろうなと

 

私も タイトルに使いたかったのでした

 

11月14日

東博の正倉院展に行ってきました でも今は大嘗祭が進行中 大炎上の桜の件も進行中 なので正倉院展についての呟きは後にして 入場まで70分待ちました その中で数人の女性たちが 公的費用でごちそうしたんだって など盛り上がっていました Twitterでおかしいと騒いだ効果は世に浸透しています

 

11月15日

『想い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレベール』 何日か前TLに「プレベール」の文字を見て柏倉康夫先生のこのご著書を拝読した日々が蘇り 無性にイブ・モンタンの枯葉を聴きたくなったのに果たせずにいて なんだか焦れてきて もう限界となり 今タブレットで聴いてやっと寛ぎました

 

たった今届いたレターパックにこんなにいろいろ(まだ他にも) 思わず感涙しました この方は私の鎌倉での活動や仙覚さん研究の一部始終を見て下さっていて ここのところの失意もご存じの方 なのでこういうお励まし 仁和寺経蔵の聖教と書籍展図録には『万葉集注釈』の仁和寺本が載っています

|

2019.11.9 ツイッターから転載…日々雑感、鎌倉ペンクラブの講座「仙覚律師の生涯~京・鎌倉の文化交流~」はお陰様で無事に終わりました&福島泰樹先生の短歌絶叫コンサートに

11月8日

おはようございます 送った配布資料のデータが崩れているとのことでpdfにしたのと拡張子を変えたWordのを送ったのですが pdfでやっときちんと出力できたそう 我が家のwordはダメなのかしら でも他へ送った原稿は無事に掲載できていたし… 今日はパワポがまだなのでとにかく完成へ

 

他へ送った原稿というのは仙覚さんについて書いたもの ちょうどいいタイミングなので配布資料の掉尾に入れました 編集者さんが掲載冊子を30部下さったので 当日受付に置いて有志の方に持っていって頂くことにしました 写真は勤務していた頃の羽田空港 今はもう無い管制塔のこの光景が好きでした

任というものなんですね でも ただ一つ言えることは講座が終わったら「自分」に戻ります 楽しみ

 

土曜日に迫った鎌倉ペンクラブの講座用配布資料 一応できました あとは推敲 たぶん深夜に送信 苦しみましたがやっと方向性をつかんで 今はどっぷり仙覚さんワールドに浸っています 早く執筆に戻りたい・・・

 

Twitterで「「鎌倉仙覚文庫」が開設 中央図書館で所蔵品展示」

新しく入れたスライド 今まで仙覚さんの生涯を追うことに終始して講演をしてきましたが 鎌倉仙覚文庫開設のこのタイミングでの講演は なぜ仙覚の名を冠するまでの文庫が開設されるかという 仙覚さんの業績を知っていただく事に重点に置きました 文庫開設と仙覚さんの生涯は切り離せません(小松靖彦先生、いいねの応援をありがとうございます。頑張らせて頂きます。)

 

鎌倉の方にしても 全国の一般の万葉集ファンの方も 鎌倉と万葉集のつながりは ただ妙本寺境内で仙覚さんが万葉集を研究し そのためにそこに碑がある くらいにしか関心がおありでないと思います でも そこで研究をするにはそれなりの人間的繋がりの経緯があったはず そこを講座でお伝えしようと

 

でも 仙覚さんの生涯は講演では無理 やっぱり小説にするしかない… と ずっと隔靴掻痒気分が抜けない 講座が終わったら… そうしたら私は完全に鎌倉意識から離れます

 

今日は井筒俊彦を観たいから それまでにはパワポを終わらせていないと というか 明日があるからそれまでに終わらせてなかったらまずいですよね笑 写真は井筒俊彦『意味の深みへ』どれくらい読んだでしょう もうぼろぼろ 書くことに直結するご本です

 

パワポはあとちょっとのところ 一気にやっていると時系列では並ぶけど心の部分が入らない 枯渇してきます それで一旦寝て 吉祥寺に出て 今から仕切り直し 何が欠けているか浮かんできたので

 

明日の講座用パワポ 終わりました! あと15分で井筒俊彦 ぎりぎり間に合いました笑 余韻に浸っている暇ありません スライドは全部で99枚 あと一枚あれば100枚なのにと思うのですが 変に追加に手間取ってパワポがフリーズしたりしたら大変 このままそっとUSBに ほっとしました

 

地震があったんですね 昨夜投稿の明るくて嫌な空 たぶん地震と思っていたのですが Twitterを見るのを控えていたので知りませんでした

(一枚目の北東の写真はたぶん「茨城県沖M4.4 震度4」、二枚目の南の写真は「フィジー諸島M6.5」)

井筒俊彦の世界 危険を感じて救出機の最後の便で脱出など 文章で読んでいたのですが サヘルさんが訪ね歩いた実際のイランの地の映像とともに やはり映像で見るのは文章で読むだけと違うことを痛切に思いました 私は密教から意味の本質に入ったので 井筒世界がこれほど艶やかなイスラーム世界だったとは

 

もう なんだか明日が講座当日だなんて… 意識がどっかに行ってしまってます

 

11月9日

今日の多摩川 おはようございます 無事に鎌倉に向かっています 目眩もなく二三年前を思ったら夢のよう 人生は諦めるものではないとつくづく思いました 早く出てきたのは先に来年の講座の幹事さんと打合せをするから なので気分はまだ仙覚さんになっていないです笑

 

久々の鎌倉 なんと小町通入口の鳥居の前にユンボが! 鎌倉に来て駅前でユンボに出会うとは思いませんでした笑

 

目が相当疲れてる Twitterを見るのに目を細めてじっと注視しています 車内では見ずに車窓で遠くを見ながら来たのですが

 

11月10日

おはようございます 朝起きて一番に思ったのは ああ今日はもうパワポを作らなくていいんだ~笑 講座は無事に終わりました たくさんの方にいらして頂いて みんな仙覚さんのファンになって頂いて(強制的に笑) ほんとうにありがとうございました!

 

久々に念入りに といっても ツイートをもっと読む はスルーしてですが ずっと見てたら目が霞んできました まだいろいろ事情は回復していないよう 昨夜は二次会までご一緒して 帰宅したら何もしないで寝て 反芻や余韻に浸るのはこれから

 

昨日の講座にいらして下さった鎌倉での私の活動を最初から支援して下さっている方から 渡して下さいと受付に置いていかれた封筒に入っていました 私の活動の本当の意味を知って下さっての応援 拝読して有り難くて仙覚さんの小説に命を頂いたなあと

 

やっと入手しました 先日の記者会見の毎日新聞の記事 神奈川版なので私には入手できず鎌倉の方にお願いして昨日持ってきて頂きました カラー写真のは鎌倉仙覚文章の記事が載ったタウンニュース鎌倉版です

 

これ ほんとうに行きたい 昨日お昼に入った料亭にあったので 頂いてきました 会期中にまた鎌倉に行く日 あるかなあ(鏑木清方記念美術館「清方と泉鏡花展―ふたりで紡ぐ物語の世界―」)

 

昨日の講座にはTwitterから何人もの方がいらして下さって 予期していなかったし 驚くほど遠くからの方も(新幹線で)いらして 終了後にご挨拶されてびっくりしたり嬉しかったのですが まだいらしてたのかしらと確認とれない方もいたり 何かとまだ手が回らずにいます

 

11月11日

おはようございます 昨夜は吉祥寺曼荼羅 福島泰樹先生の短歌絶叫コンサートでした 鎌倉ペンクラブの講座が終わり これを機に鎌倉の活動に終止符を打とうと決意していたので ちょうどいい気分一新と思い お誘いに乗りました ゲストに佐藤龍一さんが見えていて懐かしかったです

 

福島泰樹先生は新人賞を頂いた時の審査員のお一人で 吉祥寺に住んでいるならと曼荼羅にお誘い頂き入会を勧められました 短歌でなくていい 散文を載せてあげるとの事で始めたのが中世歌壇についての連載でした それが発展して仙覚さんの小説を書くまでに 福島先生主宰の結社月光は私の大切な原点です

 

昨夜は先生に鎌倉の活動にきりがついたこと なので小説に専念するから鎌倉の活動から離れること などご報告と共に感謝を申し上げて辞しました

 

昨夜の曼荼羅にて 活けられた花器から零れ落ちた花びら 昨夜は佐藤龍一さんのギターと永畑雅人さんのピアノと福島泰樹先生の絶叫短歌の三つ巴が凄かった 席がちょうど永畑さんの姿しか見えない位置だったので ずっと永畑さんの弾かれるピアノの指ばかり見つめて聴いていましたが 空間が震えていました

 

それで ふっと思ったのですが 梁塵秘抄の梁が震えるってこういうことかと もしかして後白河院の今様世界って こういうアトランダムな無茶苦茶な高揚の世界ではなかったかと それは 学問では梁塵秘抄の世界は解明できないですね

 

午前中 吾妻鏡を読んでいました 今日はたまたま後白河院崩御の条 今呟いて偶然に気づきました

 

RTロケット・マツ

11月16日(土)ロケットまつぽっくりピアノソロ「11月の下北沢はどんなだろう」下北沢ラカーニャにて。 19:00/19:30予約当日2300円。ご予約はラカーニャもしくはオフィスロケッタまで、よろしくお願いいたします。rocketta@sc5 .so-net .ne.jp

 

RTのロケット・マツさん 昨夜の曼荼羅コンサートでの永畑雅人さんのピアノソロコンサートです

 

やっと落ち着きました いつもの日常に戻って深夜 素敵な時間です 講座の準備に10月いっぱいかかって パワポはギリギリ前夜完成しての9日の講座でした 思いがけない方がいらして下さって驚いたり 懐かしい方々がいらして下さって嬉しかったり 有難い方々のご来賓にあったり の感慨に浸る間もなく翌日の

 

福島泰樹先生の吉祥寺曼荼羅コンサート 楽しい夜を過ごして今日は吾妻鏡の会 目まぐるし過ぎて疲労も溜まって何が何だか〜の状態でした それぞれ違うバッグだったから やっと今日夜になってバッグの整理から始めて 領収書から記憶を辿り直したりして いろいろ片付いて 今手にした静かな時間 いいですね

 

目まぐるし過ぎて余韻に浸る暇もなかったことがいい結果をもたらしました 余裕だったら拡散しただろう思念が 予定をこなすのに精一杯だったから 講座もコンサートも感慨は刹那的で自分に響いてない あるのは自分という中心だけ となったらするべきことはもう小説の執筆しかない という核心に至りました

 

鎌倉ペンクラブの仙覚さん講座に Twitterからいらして下さった皆様 びっくりしましたが ほんとうにありがとうございました ゆっくりお話できなくて心残りですが 記憶は眼に心に焼き付いています ペンクラブの方々にTwitterから何人もいらして下さってとお伝えすると皆様驚いてらした 私の大切な場です

|

2019.11.12 ツイッターから転載…日々雑感、鎌倉ペンクラブの講座準備など・・・

11月4日

秋の日 水引草を見ると嬉しいですね なんか子供の頃よく遊んだ気が

 

終日講座の配布資料作成に取り組んでいました どうしても今までの講演から抜けられず でも頭の中では今回は何かが違う その何かを明確に把握した配布資料作り パワポ作りをしなければならない とずっと試行錯誤していて それがもうずっと この講座の準備にとりかかった時から続いていたのですが

 

夜になってやっと これだ! という切口が見えました たぶん これです それは 私の役目は鎌倉の方に仙覚とはどういう人物かということを どれほどの重要な人物かということを なぜ鎌倉仙覚文庫というものまで作って貰うのかということを 知って頂くための解説 それが今回の講座の主旨なのだと

 

やっと認識しました 今までは私が勝手に恣意的に文学として仙覚さんの人生を紹介してきていました 明確な目標意識を持つ立場や役割ではなかったから でも今回重要なのは開設される「鎌倉仙覚文庫」の その「仙覚」って誰? どういう人? を鎌倉の方に知って頂くことなんですね その方向で!

 

と、そんなことを息抜きに呟こうと思い Twitterに来てまず通知を開いたら・・・ 鎌倉での巻子本ワークショップを終えられた小松靖彦先生からたくさんコメントを頂いていました びっくりして頭の中が白紙に笑 すぐには消化できそうにないので一旦閉じさせて頂いて熟考して戻ります すみません

 

11月5日

おはようございます 今朝の石蕗です 寒くなるとすぐ風邪を引くので昨夜は大事をとって早々に就寝 切口が見えてやっと講座の構成に没入できてきてほっとしています いつもそうですが 没入するまでが大変 今日中には配布資料を終わらせたいです

 

やっと講座のパワポ(配布資料)が動き出して楽しくなってきました 今度は今迄とほんとうに違う それに戸惑って進展しないからなお思考が停止状態 今迄の私はほんとうに恣意的だったんだなあと痛感 これが責料理をしてたら ふっと締めの言葉が浮かびました 割りとこういうこと多いです 無心になるからでしょうね で その締めの言葉は 鎌倉で仙覚は万葉集を作りましたが それは将軍頼経からの拝命で それは九条家代々の古典籍文化が引き継がれてのこと 鎌倉の万葉集は京・鎌倉の文化交流があってのことでした

 

副題に京・鎌倉の文化交流とつけているから 昨日の方向性転換でそれをどう結びてけるか四苦八苦 無理矢理九条家を入れたのですが 一旦完成した配布資料にこの締めはなく宙ぶらりん気分でした でもこの一条を入れてまとめれば納得

 

鎌倉の方からメールで『かまくら春秋』11月号に鎌倉ペンクラブの公開講座が載ってましたよ と頂きました この方 先週の城戸朱理先生の大伴家持を受講されているから 今週の私の仙覚さんへのエールに「織田さんが再現する仙覚さん、きっと凛々しい言霊を宿したステキな学僧とイメ-ジしてます」と

 

終わってしまったけど 城戸朱理先生のご講演は「乱世の言霊ー大伴家持を中心にー」でした 充実されていたと別の方からも伺い 次回に立つ者として少しひるんでしまったのですが 配布資料で道筋ができたらそれもなくなりました 今日TLで城戸朱理先生ご監修の澁澤龍彦邸映像が流れてきてましたね

 

11月6日

おはようございます 今日からパワポ 作りながら混迷してましたので 方向性が見えた今 作るのが楽しみに いつも思うのですが 講演などの機会を頂くと その都度新しい発見があったり思考が絞られたり 漫然と持っている世界観が明瞭になるから嬉しいです

 

春に講演させて頂いた時に拝観しました テーブルに広げて頂いて それまで私は掲載されている写真でしか見たことがなかったので一枚の書状と思っていました 巻子本だったのでびっくり 館長様からSNS投稿のご許可を頂いています 購入された時の秘話も伺い感動でした ここに慈覚門人権律師仙覚と

 

久々の吉祥寺 久々にゆっくりTLを追いました 講座の配布資料 今朝まで見直していて送信して出てきました 鎌倉の方から先日の記者会見が載った毎日新聞神奈川版を送って頂きやっと見ました 源氏物語と万葉集を研究していると書いて下さっていて感謝 万葉集だけの対談だったのに これからです

 

記者会見 あらかじめ一人ずつ何か喋って それから質問されて深く語る という形式を想像していたから そのあらかじめでもういいですと打ち切られて落ち込んでいましたが そのあらかじめも記事には反映されてなくてびっくり ほんのコラム程度の枠には紹介だけしか無理 それでもういいですだったんですね

 

頭の中がまだ配布資料を作っていた必死さの余韻 気分一新してパワフルにパワポに向かいたいからのんびりのんびり吉祥寺です

 

仮寝して起きてメールを見たら 送った配布資料のデータが崩れているとのこと 私のPCで見ても崩れてない〜 家人のアドバイスでpdfで再度送信 一応明日プリントしたものを送るつもり 峰岸純夫先生のご講演のチラシを配ってと知人に頼まれ 配布資料と一緒に受付で配って頂きます 気忙しくなってきました

 

結局今日はパワポに取りかかれなかった 明日明後日で何とかなるでしょう…… でも この切羽詰った切実さがいいんですよね 余裕を持って早くはじめたもののなんと漫然としていることか って作ってあるものを見直すと思ってしまいますv

 

講座が終わったら この切羽詰った切実さを仙覚さんの小説に切り替えて 頑張ろう!

 

11月7日

おはようございます 朝焼けが綺麗です 朝焼けを見るなんて久しぶり

 

出掛けようとしてポストを見たら お便りの途絶えていた鎌倉の方からお葉書 お具合悪かったから心配してたのですが 明日の講座にいらして下さるそう びっくりしつつ思いがけない朗報 『源氏物語と鎌倉』を出した時に 見ず知らずの方だったのに 私を心の花に誘って下さったり 最初から万葉集推しの方です

 

夜空が明るいです

 

南方向から何か吹き上がっているような 嫌な夜空です

|

2019.11.4 ツイッターから転載…日々雑感、11月に入って慌ただしく・・・講座の準備にパワポにレジュメ作りにと専心したいところですが

11月1日

おはようございます 今日から11月 そして今日から鎌倉ペンクラブの講座のパワポ 心を落ち着けて専念します 添付スライドはタイトル 仙覚さんの生涯をたどるお話なので背景画像を由比ガ浜の夕陽にしました 昨日東福寺に行かれたツイートを拝見しましたが 建立した道家は鎌倉四代将軍頼経の父です

 

道家は九条兼実の孫 九条家は兼実からはじまりますが それは嫡子でなかったから それで代々の蔵書も継げずご自分で揃えるしかありませんでした そんな中で万葉集も兼実は書写しています その伝統が道家に伝わり頼経にも 仙覚さんが頼経に万葉集の校訂を命じられたのはそういう流れの中でした

 

鎌倉の万葉集は九条家あってのこと 鎌倉幕府の力ではありません 宮騒動で頼経が京に送還されると仙覚も上洛し後嵯峨上皇に万葉集を献上 後嵯峨上皇の皇子が六代将軍宗尊親王で仙覚は親王にも万葉集を献上 それが令和の出典の西本願寺本万葉集に 「京・鎌倉の文化交流」はそういう内容のお話です

 

吉祥寺ジュンク堂書店に行こうとしてコピスに向かったら 通路にこういう表示 もともとなんかクリスマスツリーっぽいなあと思って近寄ったのですが制作中とは 毎日通ったら完成までの経過が見られるんでしょうね 完成したら20本のクリスマスツリー さぞ圧巻でしょう

 

吉祥寺コピス テラスガーデン いい風情です

 

先ほど撮った細い月 残念ながらまだ空が明るいから木星は写ってません

 

今日はほのかに地球影が見えてました

 

11月2日

診断メイカーにて

帆船巖の上に朽ちつつ疾走のかたちせり 母は眞紅の礁──塚本邦雄

桃靑む木の隊商の木をゆけり──加藤郁乎

 

おはようございます 今日は鎌倉ペンクラブ四回連続講座「現代作家が読み解く万葉集」の第一回 詩人の城戸朱理先生が登壇 記者会見でご一緒させて頂いて 今頃になってじわじわと凄い方だったなあと感じ入っています 認識が私は遅くて困るのですが その時自覚してお話できてたらと悔やむことしょっちゅう

 

じわじわときていることの内容ですが ご一緒した城戸朱理先生は詩人 松平盟子先生は歌人 お二方とも「言葉」で生きている方です 言葉に対する真剣さが半端でない 小説家の私は言葉を扱うけど流れの中で言葉はたゆとう お二方とお会いして以降 いい加減な言葉遣いにひるむこと多くなりました

 

昨日青空文庫で読んでいたのは桐壷巻の靫負命婦が桐壷更衣の母を訪ねるところ 私はここと光源氏が野々宮に六条御息所を訪ねるシーンが二大「好き」でよく思い返します 考えてみるとこの二つのシーンは作品のはじめの部分なんですね 後半にいくほど事件が展開したり心理描写が深くなったり

 

これに昨日気がついて 紫式部さんの力量って最初からあったんだなあと感じ入りました 青空文庫は与謝野晶子訳なので原文の風合いがなくちょっと物足りなかったです(文章は意味でなく風合い・・・ 改めてそう思いました) 講座が来週に控えるような今日 レジュメを用意しなくてはと焦り気味です

 

仙覚律師の生涯~京・鎌倉の文化交流~ という9日の鎌倉ペンクラブの講座用パワポ&レジュメを作らなければならないのですが 先日の記者会見前まで作っていたパワポを続けようと開いたら すっかり気分が変わっていて それでなんとかしようとほぼ終日苦戦していたのですが 一度失われた高揚は戻らず大変

 

記者会見前と今と何が変わったのだろうと考えているのですが あの後丹後内侍にかかって小説を書く贅沢な気分に浸ったのが尾を引いている気が 仙覚さんの生涯は過酷だけれど 聴いて下さる皆様には万葉集を完成させた高潔な精神の人という印象で帰って頂きたい というふうにパワポの主旨が変化しています

 

私はやっぱり疎いなあと呆れるのですが 今度の講座はただ万葉集だからと指名して頂いたわけでないことが ここに来て漸く見えて来ました 『源氏物語と鎌倉』を出した時に入会のお誘いを受け 鎌倉在住でないし 戸惑っていると しつこくしつこく丁寧にお奨め頂いて 保証人まで揃えて下さって入会しました

 

幹部の方が聴きに来て下さったのですが あれが今度の講座のためのある意味偵察だったんですね 私は単に親しくなっているからとしか思っていませんでした そして今年の冬にテーマが万葉集だからと講座を打診して頂きOKしました そうしたら五月に令和の改元 なんか私の思惑を越えた処で運ばれていました

 

教訓!(眠れないのでパワポに向かって作業しようとしたら ふっとこんな言葉が浮かんだのでメモ笑) 偉い人は親しい仲でも人を見ている・・・

 

この二枚を作ったらやっと仙覚さんの世界に入ることができました これを作ってあったパワポのタイトルの後に入れて始めます やっと落ち着きましたので寝ることに・・・ おやすみなさい

11月3日

おはようございます 今日はTwitterは見ないでパワポに専心 と心に決めて寝たのに 起きたら脇にタブレットがあって 今迄見てしまいました 結局時勢を知るための私の大切なツール 仙覚さんの小説は深くは社会派だから社会を無視しては書けません これから階下に降りてPCに 目下私は仙覚さんの境地追随中

 

お茶の花がたくさん そういう季節なんですね@三鷹市 当地は今朝は薄曇り 程よい気温です

 

石蕗もこんなに咲きました まだまだ蕾も 嬉しい

 

昨日の城戸朱理先生のご講演にいらした方から長いメールを頂きました 「家持の「言霊」のありかに導かれました」とのこと そして これで織田さんも仙覚を切り出しやすくなりましたよと 連続講座の効果ですね ありがたいなあと思いました 私も翌週自分の講座を控えてなかったら拝聴したかった!

 

11月に入って連日外からの連絡が頻繁に お返事やら対策やらで時間をとられて痛い 11月に入ったらパワポに専心の心積もりがすっかり崩れてシャカシャカ思考も行動も動き回っています カレンダーの予定を考慮しないで単に 11月に入ったらと考えていた私の単純ミスですがすっかり専心の対極

 

今恐縮の限りなのですが小松靖彦先生にご盛会をとのコメントを頂きやはり頑張らなければと思いました 明日は鎌倉で小松先生の巻子本制作体験ワークショップがあります 私は行かれなくて残念ですが 腰越の講座の幹事さんが申し込まれていて楽しみにされています スライドを二枚紹介させて頂きます

 

手持ちの『墨』という冊子からコピーさせて頂きました 万葉集というと地味なイメージで 講演をしても源氏物語では皆様眼をきらきらさせて聞いて下さるのですが 万葉集になると眠る方も笑 でも 写真のように平安時代書写の写本はとても綺麗です こういうことが鎌倉でワークショップなんて!

|

2019.11.2 ツイッターから転載…日々雑感、10月31日までの分です。広言を諦め清輔に戻りました。顕昭と&「仙覚は誰か」について書いた文章掲載の冊子が届いて、これは講座の配布資料に入れます

10月29日

広言集と袖中抄の解説をコピーしながら 羽生結弦選手のカナダグランプリフリーの動画を見ていました オリジンというこの曲 前にも使ってらしたけどいいですね 切なさがこみあげました と気がついて そういえば私 この切なさから遠ざかっていたと 仙覚さんの原稿を離れてたから感性より理に

 

揺さぶられるという思いが書くには大切 講演をしたりそのためのパワポを作ったり様々な人と交わったり そういうことをしていると切なさとはほど遠い人間になります ここのところ原稿に戻ったけど 今 このオリジンを聴くまで 感性がまだ戻ってなかったことに気がつきました 戻りたい戻らなくては

 

コピーをし終えるから その前にもう一回見たのですが 羽生選手の演技は命がけだからだんだん命をかけて万葉集と取り組んだ仙覚さんと重なって 今まで私は仙覚さんを壮年期のイメージで渋く書いていたけど 羽生選手のような若手俳優さんもいいかななどと笑 いずれ仙覚さんは映像化されると思います

 

そんなとき どんな音楽をつけて頂けるのだろう 大河清盛のときみたいなドキッとするような… などテーマミュージックの事はもうずっといつも考えています → それも小説が完成した暁には ですが

 

広言が後白河院の今様近臣であり 石川暁子氏「歌林苑をめぐる歌人たち」でも相当加わっているしで 島津忠久の父が広言とした方が小説的には魅力あるから 一縷の望みをもって野口実氏「惟宗忠久をめぐって」を再読 やはり忠久の父は広言ではないと思うしかなく 丹後内侍と広言の密通説は諦めるしかなく

 

広言との密通で忠久が生まれたという吉見系図どおりなら 系図では丹後内侍も歌人とあるから ひょっとして歌林苑の歌人たちに混じって丹後内侍の影が探せるかと期待したのですが ありませんでした 歌林苑には二条院讃岐がいるし 丹後内侍の在京時代の交流は華やかです なにか影が探せるといいのだけど

 

日付の変わり頃の時間が体力消耗的に私には一番辛く それを過ぎて今くらいになると徹夜できそうにまで回復 今は2時ちょっと前 これから村田正博先生の仙覚と袋草紙・仙覚と袖中抄のニ論考を再読させて頂きます 結局丹後内侍の章は二条天皇と清輔の万葉集がメインということになるのかな と広言断念で

 

それにしても なぜ比企谷を頼朝から比企尼が与えられたかの説明に頼朝の上西門院出仕を書いたら丹後内侍が浮上し 丹後内侍を書いていたら二条天皇になり清輔との万葉集にまで それこそが仙覚が範とした万葉集で これは偶然かしら どこかに必然が? と不思議 仙覚さんが生まれるずっと前の話です

 

鎌倉ペンクラブの講座の前に丹後内侍の章を終わらせたいと 10月いっぱいは小説に専念しようと思ってきたのですが 明日がもう30日 明日いっぱいでできるはずないけど 明日一日は贅沢に丹後内侍の章にかかって浸ります

 

10月は31日があったんですね なんだかそんなことまでわからなくなってもう何が思念で何が現実か笑 明日と明後日 二日間 贅沢に浸ります

 

熟田津尓舩乗世武登 ニキタヅニフナノリセムト ←私はニギタヅニと覚えていたのですが この有名なニキタヅニの歌 ムマタツともナリタツとも訓むのを 顕昭が袖中抄でニキタヅと訓み 仙覚が万葉集註釈でそれを踏襲した ニキタヅと訓もうとしたのはこの二著だけと村田正博先生「袖中抄とのかかわり」で

 

そうだったんだ〜 とちょっとびっくりしました 『日本書紀』の訓注に顕昭が着目してのことだそう

 

注に 村田先生は ニキタヅの訓は、元暦本・紀州本の一訓として見えており、創始がどのあたりにあるのかは今のところ即断しにくい。と書かれています

 

10月30日

おはようございます 中世歌壇は新古今から入ったので六条藤家は意識的にはずしていました なので清輔と顕昭の前後関係がわからない で 検索しました 清輔の父に顕昭が養子になったので二人は義兄弟 顕昭が26歳ほど年下です じつはこの前後関係をよく知らずに村田正博先生のご論考を拝読していて

 

それでつっかかってしまいました 御子左家の方々と比べて六条藤家の方々は実証学問的 それでですね 私が源氏物語で追った光行さんも 万葉集の仙覚さんも 二人とも六条藤家に親しんでいる 御子左家派としては内心困ったなあの心境でしたが今はわかる 私も実証的とよくいわれます 写真は小菊の叢

 

昨日は呟く以外にTLは見ないと朝からかたくななまでに決めてそうしていたのですが 原稿にかかるには相当の体力気力を要します 仙覚さんの小説が完成するまで本気でTwitterを禁止するしかないかもと思っていたのですが 昨日の経験から原稿に入ってさえしまえばあとは余裕 切り替えが大変のようです

 

というわけで今朝は余裕で呟いていて これが終わってまた顕昭に という切り替えもすぐできます(嫌だなあ と思うのは また少ししたらパワポとか現実世界に戻らなければならない… せっかくこの充実を手にしたというのに)

 

広言に気をとられて原点を忘れていました 清輔の二条天皇初昇殿のとき 丹後内侍もほぼ初出仕 同期の心細さどうしの交流があったのでは? というところを書こうとして 内侍として近侍するから丹後内侍も万葉集に関心を持つ という展開にしようと思っていたのでした この方が密通を書くより私に相応しい

 

キムタクさんのグランメゾン東京 セリフで女たらしと出るのに画面でちっともそれが描かれない TLでもそれを指摘されてる方がいらしたけど そういう清々しさって 好きです 丹後内侍もそれで行こう!っと笑

 

やっと戻ってきました いつだったか同期ってことを呟きましたよね それで丹後内侍を 上東門院彰子さんと実資(だったと思うけど)の取次役をする紫式部さんみたいに書くって その後様々別のことにとりかかって原稿を離れたからすっかり忘れて 実は戻ってみてどういう展開だったかしらと茫然としてました

 

仮寝して起きてメールを開いたら鎌倉の方から 私の講演活動を最初に企画して下さって以来応援して下さっている方 今度の鎌倉ペンクラブの講座にどうしてもお出でになれないと残念がっていられたら 代わりに知人の方が来て下さることになったと その方は以前鎌倉文学館で会議室を借りて連続講座を持った

 

時も来て下さって その時 貴方のために選んで着てきたのよ と素敵なお着物姿で来て下さった 鏑木清方の絵から抜け出たような色合いと風合いのお着物 あまりに素敵で写真を一枚撮らせて頂いてしまいました 鏑木清方の婦人像が好きなんですけど さすが鎌倉と その時はさすがに思ってしまいました

 

10月31日

おはようございます 石蕗が咲きました ここ2、3年咲かずに寂しかったのですが 大雪でしなってきた石蕗を覆っていた木の枝を切り払ったから咲いたようです 日陰だったから咲かなかったんでした 石蕗が咲くと明るくて楽しいです

 

台風に備えての非常用品点検で未使用の小さな魔法瓶が出てきたので TVで見て気になっていた白湯を入れて日常使いにしようかと 三日目ですが身体の中が浄化されていく気分です 白湯は単なる湯冷しと違い 沸騰してからさらに20分ほど沸かし続けます 今 それをしていて背後で湯気をたてて沸騰しています

 

鎌倉のお世話になっている先生からお電話 岐阜の発表資料を持ち歩かれて読んで下さっていたそうなのですが 無くしてしまわれまた送って欲しいと 令和になって俄然鎌倉が万葉集の地になり 仙覚も関わっている内容の研究だからと 昨日は商工会議所で菊池威雄先生のご講演もあり満席だったそうです

 

先日の鎌倉ペンクラブ講座の記者会見 J:COM(鎌倉のケーブルテレビ)で25日夕方5時のニュースでトップで放送されたそう 私は鎌倉在住でないので見ていませんが講座の日の打ち上げでスマホで見せて頂くことに 俳優さん方は出演した番組をチェックされるそうですが 私は見たくないなあが本音です

 

『源氏物語と鎌倉』を出版した時も鎌倉ケーブルテレビに出演して取材していただいたのですが これは未だにまだ見てなくて 知り合いの誰一人見ていないのに たまたま鎌倉で入院治療をされていた歌の師の先生が病室でご覧になって あれ?知ってる人が出てる ってお電話下さったのでした ご縁ですね

 

10月最後の日を心静かに丹後内侍の原稿に浸って過ごそうと思うのに 心静かにとは正反対の朝になってしまいました これから・・・

 

寄稿していた冊子が届きました 万葉集の特集号ということで書かせて頂きました 岐阜の発表から帰ってすぐ書いたあの原稿です 仙覚は誰かについて私なりに文章にしておきたかったちょうどその時頂いた寄稿でしたので編集者さんに感謝

 

ちょうど鎌倉ペンクラブの講座の幹事さんから当日配布の資料の件でメールを頂いたので、これを入れようと思います

|

« October 2019 | Main | December 2019 »