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2020.1.31 ツイッターから転載…日々雑感、ネルヴァル『シルヴィ』の時制に覚醒しました

1月29日

プルーストとエーコと万葉集と東国武士が並ぶ本棚 目下関心の重要書籍を集めた棚です おはようございます 昨夜小説の森散策にインスピレーションを得て過去原稿の種々のバージョンをプリントしたら 2017年まで私は穴蔵生活の専心ができていました その後精神がさまよって方向を失ったのでした

 

なぜだろうと 2017年当時の専心していた精神世界を振り返ったらこの棚が眼について 初心に帰った思いで撮りました この棚を見るといつも気分がすっくと立ち上がってすがすがしいのですが 今朝は特に

 

記録を見ると 2017年4月に時房が浮上 そこから父親の時政に関心がいって 名越の浜御所あたりを歩いたのが6月 以降強烈な個性の時政にすっかり引きずられたの感ですね 彷徨は原稿のために必要ではあったけど

 

小説の森散策によると シルヴィには三人の人間が関わっていると 第一者はペンネームでないネルヴァル本人 第二者は小説のなかで「私」を名乗る人物 第三者は第一章から最終章まで語り続けた匿名の声(モデル作者) お伽話のような単純ストーリーでなく小説としてのプロットを持つ作品という指針を頂いて

 

過去の種々バージョンで書き溜めた原稿を見比べたら 圧倒的に玄覚さんの独白バージョンがいい それが朝呟いた2017年 そこでは三人の人間がちゃんと存在するし プロットもある 何回読んでも捨てがたい完成度があったのはこれだったのだと納得 あの頃は仙覚さんと万葉集に関して満足いくまで調べ尽くして

 

それで執筆に入ったのでした その後書くために必要になって時政とかその他諸々 調べるたびに好奇心が膨らんで高揚し とても玄覚さんバージョンを書き始めた時のような静謐さから程遠かった 知識には振り回されますね と自戒を込めて もう少し文学の森散策に浸って精神を深めます 懐かしいですこの深さ

 

コメントを頂いていてお返事が遅れてすみません。じっと自分のなかに対峙するものがあってそれに耳を澄ませています。ようやく文学の環境にいたときの境地が見出されつつあってそれを確信にまで持って行きたいんです。文学の環境における境地と研究とかエッセイの次元での境地の違いってありですね

 

メモっていたシルヴィに関わった三人 それをnoteに書き写していて 玄覚さんの独白バージョンの玄覚は三人のうちの誰だろうと思う ①ペンネームでない作者本人 ②作中で「私」を名乗る人物 ③物語を第一章から第三章まで語り通す人物 とすると玄覚は② では③は? と考えて それは書いている中で生じる

 

小説の森散策はなにもシルヴィだけの解説書でなく ポーの大鴉とかいろいろ取り上げて分析しています でも一々それを読む気力と視力がないのでパラパラとページを繰ったら三分の一程のところで「ここでシルヴィに戻る」と では熟読の再開となったここでひとまず就寝することにしました 明日が楽しみ

 

1月30日

おはようございます シルヴィに没入してるから眠りが深く今朝は寝坊して起こされて飛び起きました シルヴィはあれほど緻密なのに終わり近くなって あれっ? と落胆します それを小説の森散策でも失敗といっていて やはりと思っていたのですが 昨夜読んだ箇所にそれは作者が書くことがなくなった

 

からと時制の分析があって そういえば そこに至るまでの時制は過去と現在を行き来する回想 終わりの部分はほぼ現在 つまらなくて当然と納得しました それをプルーストは克服していて プルーストの時制は成功していると そうですよね 最後の終わりで受けた感銘 その余韻が今も影響を凌いでます

 

写真は過去の @井の頭公園です 梅林の根っこあたり一帯がこんなふうでした 3月の撮影だから今行ってもまだ枯草の原といった感じです 国会中継もコロナ肺炎もひどい世のなかだから現実に目を向けると滅入ります なので今朝は暗い写真にしました

 

突然覚醒 玄覚さんの独白バージョンはウンベルト・エーコ作成「シルヴィの時制表」に当てはまるんだ〜と 明日コピーして当てはめてみようと思います 仙覚さんが70代後半まで生きて その長い波乱に満ちた歴史をどう書いていくか路頭に迷っていましたが シルヴィの時制表 それに則って書けるんですね

 

ある時の玄覚さんの回想から始まり 最後は仙覚さんの最後だから年号が決まっている そのように書くと決めていたから シルヴィの最後の突然の1832年という年号の顕現がとてもよくわかる 間をその長い膨大な歴史を順列で書こうとしていたから途方に暮れていたのでした シルヴィの時制表の方法なら

 

順列で書いていて これは後年の事件の遠因とか布石とか思いつつ進めていたのですが なにしろ歴史が膨大 作者の私がいくら遠因と思っても 読んでいる方がその時点で後年の事件の遠因だなんて気づいて読めるはずがない その冗漫さを克服したい その一心で模索していました

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2020.1.29 ツイッターから転載…日々雑感、ウンベルト・エーコ『小説の森散策』からネルヴァル『シルヴィ』を学ぶ

1月27日

冬の雑木林@井の頭公園

 

まだ本格的に専心モードになれなくて やっと体調は大丈夫になってきたけど思考がまだ 本を返却にきて図書館の返却口に立ったら その本家に忘れてきた! 丹後内侍の校正を続けようとしてその校正原稿がない! 諦めて再度プリントしたら 出てきた! 雪の前でなにか気圧でおかしくなってるのでしょうか笑

 

昨朝からシルヴィを読みたい気がしていたのですが 現代作家さんの小説を拝読することにして見送ってたら やはり私に現代ものはいらないと思い やはりシルヴィを読みたく で 今朝エーコの散策の森あたりを拝読したくてウロウロ。今出先の吉祥寺ですが、帰宅して箒など掃除用具を整えようかと

 

昨日は単に、シルヴィを読みたくなっただけだけど 今日になってもその気分が収まらず でも丹後内侍の原稿にかかるんだ~と力んだのにそれがみつからず 仕方なくではみつかるまでシルヴィを とやほ思ったらみつかって どうしようと思いつつ結局散策の森のシルヴィの分析を本文にあたって見ること

 

雪は霙 眼に大粒に見えるけど積もってない 明日起きて白い世界だったら公園に撮りに行こうかななど思う 深夜に行って丸いぼたん雪みたいな雪の降りしきる森は生きているみたいな写真を撮りたいとずっと思ってたけど もうそれは無理 もっと体力のあるうちに Twitterで知った撮影法を試したかったです

竹に積もった雪 窓を開けた目の前の光景です 今は止んでいます

 

メモ: 和田忠彦氏訳ウンベルト・エーコ『小説の森散策』より モデル作者は、読書をはじめた時点ではまだ存在しません。おぼろげな痕跡がそこかしこに認められるだけです。そのすがたをはっきりととらえたとき、それは、あらゆる芸術・文学理論が「文体」とよぶものにほかならないことに気づくのです。

 

エーコのモデル作者論を読んでいると いつも源氏物語の草子地を思うのだけど 一緒でしょうか 草子地でこういう突然顔を出す それまでは姿を見せていなかった「第三」の作者に慣れているから エーコのご論が分かりやすい気がする

 

1月28日

おはようございます TLに流れてきた鈴鹿市の佐佐木信綱博士の万葉集展 行きたいなあとpdfで添付されていたチラシをプリントしてしみじみ眺めています

 

和田忠彦氏訳ウンベルト・エーコ『小説の森散策』を拝読して 「40年にわたって何度も読んできた経験から、エーコはテクストを解剖したり過度に精読するのはテクストの魔力を殺すなどという主張がいかに愚かか実感」と 我が意を得たりの勇気を頂いて昨夜『シルヴィ』の解剖を精読させて頂きました

 

図書館の本にマーカーを引くわけにいかないからシルヴィを全編コピーして 思う存分マーカーやらあえて乱暴な書込みを これをすると身につきます 遠慮して本を綺麗に読んでいるかぎり距離感が埋まらない それでシルヴィも不満が募っていました 写真は半過去で始まった時制が突然単純過去に移行した部分

 

シルヴィでは 半過去の時制は回想に耳を傾けさせるために使われ 単純過去は精密に特定された過去で この写真の移行部分はその過去が特定された瞬間! いいですね ここ もう嬉しくて書きたい意欲を膨らませられます 日本語で半過去単純過去の時制がどうあるかわからないけど 今後書いていて意識に染みて

 

影響されると思う 指先からシルヴィがエーコ氏の教えが 滲み出てくるように書けたらいい! 『仙覚への旅』はそういう小説になります (やっぱ 文学の環境に浸らないとダメですね 理論や知識の世界では感性が潤わない 相当飢えてました ここ何年も)

 

ウンベルト・エーコ『小説の森散策』 夢中になって読んでいます 面白くて 途中 私は自分の小説を執筆中なんだけどこんなに意識が外れていいの? って思ってしまいました笑 プルーストはシルヴィを記憶のように曖昧で執拗ななにか と書いたそう 「フローベールの時間の用法を詳細に分析し、語りの戦略に

 

敏感だったプルーストがネルヴァルにもとめていたのは……」など 目が釘付けの紹介や分析が次から次へ プルーストもネルヴァルの時制を研究していたのですね なんて 知ってはいたけれどその詳細をエーコに教えて頂いています 「この〈青白く緋色の〉雰囲気が、言葉のなかではなく、言葉と言葉のあいだ

 

にあると述べたプルーストは正しかった」「事物の〈あらわれ〉だけが存在する〈継ぎ目や継ぎ足しのない一枚岩の文体〉をプルーストは望む」と こんなふうな文章は読んでいて全部私の血肉になります 久しぶり こういう高揚

 

降雪の朝は空気が冷たいから 起きてすぐには窓を開けなかったので それから家族を送り出すなどして待ち切れない思いで本に入ってしまったので お昼を過ぎた今も部屋は真っ暗 夜のような室内で灯火の下でエーコを読んでいます まさに穴蔵 籠って書くといいながら書くことではまだこれはできてなかった

 

なんか ヒントを貰った気が 丹後内侍の校正をしようとしたら原稿が見つからず 仕方なくエーコの小説の森散策を読み始めたのだけれど 時制ですでにヒントを頂いていたからそれ以上のことはないと思っていたのに 物語にはストーリーとプロットがあり ストーリーは最初の時点から最後の時点まで直線的に

 

進むが プロットはぜんぜん違い いきなり話の途中からはじまると それをエーコはユリシーズの物語とオデュッセイアで解説していて う〜んと 分かりやす過ぎて唸ってしまいました で 『仙覚への旅』の原稿に思いがいって 私は丹後内侍までずっとストーリーで書いてきたから詰まってたんだ! と気づき

 

思い切って途中の時点からはじめるよう 構成をし直してみようという気に 行方不明で手をつけられなかった丹後内侍の原稿がまるで神隠しにあったようだったのは やはりなにか神の意図とでもいうような力がはたらいていたのでしょうか 構成 仕直してみます

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2020.1.27 ツイッターから転載…日々雑感、丹後内侍と安達盛長の結婚の時期&鎌倉ペンクラブの新年会でした

1月24日

週末だから心置きなくこの時間に起きています やはり心身ともに充実 私にはこの時間がなによりものひとときです で 日中に打った原稿を見直しているのですが 安達盛長という人物 器量が大きいですね 丹後内侍が結婚して景盛を産むのだけれど 景盛には頼朝のご落胤説があります その誕生年と丹後内侍が

 

結婚した年を考え合わせると ご落胤とするにはすでに盛長と結婚していた時期になってしまいます ふつうならあり得ないとしてご落胤説を退けるでしょうけれど 私には盛長がそれを容認していた感じがする それはずっと後年になっても頼朝が盛長の甘縄邸をお忍びで訪れる吾妻鏡の記載があるからで

 

比企尼と盛長と丹後内侍には ふつうには許容し難いくらいの連携プレーがあって頼朝に貢献している 論文ではこれは書けないけど 小説だから書いてもいいかな って思って進めたく思っています 比企尼の頼朝への経済的支援も 今迄夫の比企遠宗と一緒にと思っていましたが 比企尼自身の個人的献身ですね

 

中世の比企尼の世界に浸って 終わりにしようとタブレットの閉じ際に見たTLの現実世界のあまりの乖離に愕然 比企尼世界の甘い誘惑が一瞬にして吹き飛ぶひどさでした タブレット もう見てはいけない とは思うものの現実にも生きているわけだし

 

口直しにもう一度原稿を やはり頼朝を巡る盛長と丹後内侍の三角関係 これ 短編にしたいくらい ヴィスコンティくらいの絵になる? 絵にはならないけど精神的には

 

1月25日

おはようございます 六時まで起きていたのに突然目覚めてしまいました 飛び起きた といった感じ というのは折角書いた範頼の段を省こうと夢のなかで思ったから 範頼と丹後内侍の娘の大恋愛 新発見気分で載せたかったのに 昨夜盛長を書いていたら こちらの恋愛も魅惑的で 時代が一緒だから両方載せたら

 

相殺してしまうと 昨夜のうちに気になっていたのです 夢のなかで範頼は不要と決断したよう それは 盛長と丹後内侍の恋愛のほうが大人だし 味がありますものね 今書いている章は第一章比企の乱 仙覚さん誕生までです 比企の乱前夜 とか 比企の乱まで とか考えたのですが ズバリ 比企の乱 でいいですよね

 

ただいま《朔》です

 

鎌倉の帰りです 鎌倉ペンクラブの新年会でした 昨年の新年会で講演講演って人のためばかりをしてないで 自分の小説を書け と叱咤激励されて仙覚さんの小説に籠ったのでした その直前 円覚寺管長様の講話で鉄槌を受けたこともあって 今年はその方が不参加で 知り合いもそんなにないから知っている編集者

 

さんの隣に それが前に作家の方がいられる席で 思いがけずいろいろなお話が伺えて楽しかった 新年会には十年近くの参加になるけど 編集者さんとかいろんな方とお話するけど 作家さんじかにのお話を伺う機会は初めて 私の世界は狭かったなあと認識しました

 

1月26日

おはようございます 昨夜の鎌倉駅西口を少し行ったところの鎌倉市役所 通りを隔てて右側に素敵なスタバがあります 鎌倉の夜はやはりなんか怖いって歩いていてそんな気がしました もっと行くと佐助 いろんな歴史のある一帯です とはずがたり関連とか

 

もう一枚 鎌倉駅西口です JR線の改札と江の電の改札が並んでいます あまりこの時間帯の西口は見ないので撮りました

 

昨夜の渋谷 スクランブル交差点です 渋谷がすっかり光景が変わろうとしていますが 私が通るいつものあたりはまだ全然もとのまま笑 東急東横店が近く閉店ということで売り尽くしバーゲンの真っ最中でした

 

図書館です 昨夜お話させて頂いた作家さんのご著書 拝読してなくてそれを借りに 私が日本の現代作家さんのご本を拝読しようって思ったのは何十年ぶりかっていうくらい珍しい 年配の女流作家さんですが 拝読してみます

 

地元で見つけた蝋梅 井の頭公園雑木林の片隅にありました もうほんとうに隣の民家との境 植えるならもっと目につく場所に植えるでしょうから自然に生えたのでしょうか 可愛かった でもピンボケ笑

 

これ 菊なんですね 薔薇のフェンスに絡ませてあったから造花と思ったら 垣根に全体が見える植え方もされていて 茎がこんなに長くひょろひょろと 色が好みだし 私も植えて絡ませてみたくなりましたつ

 

蔓薔薇とか 絡ませて植える植物が好きなんです

 

波乱の一年だったと感慨 昨年のこの会である方に出会い 仙覚さんの万葉集研究碑が妙本寺様にあるとお教えしたらすぐに確認にいらして それから令和になって鎌倉に仙覚文庫設立までの展開 でも鎌倉にその碑があって仙覚さんの功績を称えましょう と十年も前から講演して訴えていた私の頭上をその設立の

 

報は通過したままで 私が知ったのは新聞の報道ででした 裏切り感に苛まれましたがでも克服して 小説に渾身の思いを込める方向に切り替えて今があるのですが ふと 昨日 その方が見えてないことに気づき それを言ったら 来れるわけないよとある方が ペンクラブの皆様は十年の活動を知っていて下さるから

 

私の知らないところで守って下さったみたい 十一月の講座のチラシも 手分けして 鎌倉で最初に仙覚さんを普及させたのはこの人だから と配って下さったと後になって聞きました 思い出したら大変な一年でした 小説に籠ることになったから逆に怪我の功名なのですが それで昨日皆様が優しかったのかしら

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2020.1.26 ツイッターから転載…日々雑感、仙覚さんの小説の根本命題につきあたって、やっと本懐!

1月22日

おはようございます 今朝は待ちきれない思いで家族を送り出すとまずPCに 昨夜湧いた文章を入力しました 思うように書く これができてきたと思います 寺院揺曳を思い出した効果かも あのころ自由に書いていたから なのにそれから書くことに力が入って その力がやっと抜けたようでほっと

 

吉祥寺のパブ 以前ここがある文学サークルの例会場になっていて 千葉から友が月一で通ってきていました 私は地元なのに入ったことがなく 今もって憧れ そのサークルもとっくに解散してるけど

 

1月23日

雨の中の蕾 咲いているはずと思って庭に出たら蕾が おはようございます 昨日から丹後内侍の系図が本当か考えていました だって凄くありません? 源頼朝の筒井筒関係の初恋の人が 二条天皇にも出仕していたなんて 系図は偽作があるから簡単に信じてはいけないそうで それで検証してみていました たぶん

 

実だろうとの結果ですが では丹後内侍は二条天皇の寵愛を受けただろうかって またまた考えてしまいました それで内侍とか典侍とか検索していたのですが 二条天皇は丹後内侍の同僚みたいな方に六条天皇を産ませているのですね そうだとすると丹後内侍は? と、これを目下考え中です

 

讃岐典侍日記が大好きなのですが 典侍は内侍司で一番上位だから天皇の寵愛を受けるのが前提 丹後内侍はそこまでの上臈ではなかったからないと思って自然 でも魅力的な女性だったら天皇の目にもとまったでしょう 全くなかったと思ったらいけない気がする とするとますます凄い なにしろ頼朝の、ですから

 

夕刻 鎌倉の友からお電話 仙覚さんの件で気になる資料をみつけたから送るねと 11月の講座を聴いて下さってのことでした それで話していて今月の鎌倉禅研究会には行ってみようと思うと 彼女も私と期を同じくして離れていた人 そうね 新年だからご挨拶に顔を出すのいいわねと私 昨年の今はまだ

 

私も離れるなど夢にも思っていなかった時期 新年の会で円覚寺管長横田南嶺師の講話を拝聴して 電撃に打たれたようになって 仙覚さんの小説に籠るための離れる決意をしたのでした あれから一年が経ったのだなあとしみじみ思いました 籠るといいつつ春に講演 夏に研究発表 秋に講座 小説の文体を

 

つかむほどの集中ができずにいて辛かったのですが 先日の宗禅寺様の講演を最後にほんとうにすべて終わって籠れるようになったら落ち着きました なんか 思うように書く ができてきている気がします なんか できあがった暁には とんでもない本が出た と そんな言われ方をしそう そう思いつつ

 

検索しようと思ってタブレットを持ったのにTwitterが開いていて 無視してSafariに行けばいいのについ見たりして それでRT笑 でも こんなにしても 原稿に戻ればすぐ集中できるようになりました 余裕って必要

 

1月24日

おはようございます 最近写真を撮っていないから過去写真の水仙 写真もだけど園芸も花屋さんの店先に可愛い鉢植があるとつい買いたくなるけど いけないいけない今は水やりも無理と自戒 『仙覚さんへの旅』はとうてい仙覚さんにたどりつけない話題の豊富さだけど 全部省略しないつもりです

 

私にとって書くことは自分への道程だから 今範頼を書いていてやっとここまでの思いで一杯 昨年暮に比企尼の菊花のことから到り着いた何故仙覚さんが比企谷で万葉集を校訂したか それが私の探り当てた根本命題でした これを書かなくて仙覚さんの小説を書く意味がない なのにそれまでこの命題が見えずに

 

彷徨っていて苦しかった 探り当ててしまえば当たり前のことだから その謎解きはすらすら書けて楽しい やっと私は自分といったものを取り戻したようです 今迄それができなくてうだうだぐずぐず多くの方にご迷惑をおかけして 全部ここでお詫びしたい心境 書くことは自分自身に到る道 実感しています

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2020.1.22 ツイッターから転載…日々雑感、新しい原稿『仙覚への旅』へ

1月19日

ここからは茫洋とした白紙の海 と正座して文机に向かう(実際はPCに椅子笑)理想の世界にいられるからひたすら嬉しいのだけれど 疲労がとれなくて 今も寝て起きたら頭痛 でも 青表紙本で書き出した「仙覚への旅」は一日置いても動かないから これで進めてよさそう 導入部はこれだけで頼朝から始めます

 

暮れに重陽の節句の菊を植えるところから 比企尼の鎌倉幕府での春日局的立ち位置が見えてきたのが そこまで進めてきた仙覚さんの小説の最大の収穫で それはなぜ仙覚さんが比企谷で万葉集を研究したかの根幹 そのための頼朝からのスタートです

 

で 新しい原稿でそれを書こうとしたら 虚構では単純に◯◯子と命名して進めていたことを 筆者が話者の人称で書き始めたらそれができない となった時 シルヴィでは三人いたんだから〜と発想が大胆に 文中で では仮に比企尼を◯◯子と名付けて進めます みたいにそこから虚構 なんて書き方もありかな?等

 

深夜にTVをつけると 美しき日本の山々 をよく見るのだけれど 今日は八ヶ岳 それで蓼科山を今追っているのを見ると 蓼科山は溶岩で出来ているから養分が多く針葉樹の森と 陽が射し込まないから苔に覆われていると いいなあ と思ったらなんか泣きたくなりました 心がほぐれてきています 頭痛も治りました

 

四時になったら 大空撮ヒマラヤの山々ーエベレスト こんなのが始まったら寝られないじゃない! と呆れました もう少ししたら起きて家族を送り出す世話をしなければならないのに……

 

そういえば ヒマラヤの夢をよく見た時がありました ヒマラヤの夢を見ると翌朝パリにいらした小説の先生からポストにお便りが入っている それは偶然でなくほぼ確実の頻度に ヒマラヤの夢を見なくなって 先生も他界されていて もうポストのお便りは望むべくもないけど 高遠先生のご著書の日に ヒマラヤ!

 

高邁だったあの頃を思い出しました 文学の力を信じていた日々

 

1月20日

朝から終日 途中徹夜明けの睡眠不足を補う睡眠をとった他はずっと「仙覚への旅」に集中していました TLは今ざっと大きなニュースを追っただけ 高遠先生のパリのご本を拝読したくて傍らに伴っていたのだけれど開けませんでした 歴史叙述の文体 気になっています たぶん仙覚への旅にヒントを頂ける気が

 

体力があったらもっといろいろできるのにと思うけど 一日に二個 何かをこなすのが精一杯 で 今日は原稿と昼寝でした 仙覚への旅は もう何年間も書き溜めた というか 考察してきたものがあるから それを統合して見合った文体でまとめればいい 目下頼朝と比企尼の段を書いていて楽しく進めています

 

1月21日

朝からショック 頑張って起きて作った家族のお弁当を入れ忘れました泣 入れ忘れたとショートメールしたところです 原稿にかかるとこういうことが頻繁になるから 私的には原稿没入が本格化した証と内心納得 でも 折角作ったのにと悔しい

 

原稿にかかるとお夕飯の献立とかぜんぜん気がまわらなくなる 昨日からもうそれが始まっていて辛く思っていたら TVで 野菜は根菜 葉物 実 と三つの野菜で一本の木になるように揃えるといいと あ! いいヒント と実行したのが今朝のお弁当でした笑 目で見分けられると考えなくて済むからいいです

 

思い出したのでツイート 先日の宗禅寺様土曜講座では やはり竹御所と頼経の結婚が皆様の関心を引きました 目下書き出したばかりの 写真は仙覚への旅では当然それを書くし 物凄い美しいシーンもあるから早く書きたくてたまらないのですが当分無理 早くそこに行くよう頑張らなくては

 

写真は宗禅寺様の玄関先に飾られていた蝋梅 TLに流れてくるものの 出かけないから眼にする機会なくいたから あ 蝋梅 って嬉しかったです

 

そうっか 仙覚さんの大河の道は絶たれたけど 竹御所がらみの道家と四代将軍頼経親子の北条執権家との闘いは大河になる! と またまたここでよからぬ野望 笑 では それを目指して

 

宵の明星@吉祥寺

 

『仙覚への旅』を書いていると ああこれは『寺院揺曳』の時の書き方だ と思う 鎌倉を舞台に小説を書こうとして鎌倉を歩いたり調べたりしたら ガイドブックにも歴史書にも書かれていない 私としては書かれて広まっていることよりももっと魅力ある地 魅力ある歴史がたくさんあって それが知られていない

 

のがもったいなくて もっと知ろうとその地を歩きながら調べながら書き下ろしエッセイで連載をした それが『寺院揺曳』 鎌倉にあった御所建築の寺院 既に廃寺になっていて そこに住む人たちでさえご存じない寺院 それを追って書いたエッセイです 書いていくうちにどんどん深まっていく そういう書き方

 

わからないことを わからないから書く これって私の原点なのかも知れないですね 今は丹後内侍を書いていて 彼女がいつ安達盛長と結婚したかを解明するべく 筆を進めています

 

丹後内侍を書くたびに思うのだけれど 丹後内侍が女房として出仕したのが二条天皇 そして仙覚さんが崇めた万葉集が二条天皇の作られた万葉集 丹後内侍と仙覚さんは同じ比企氏だけど 比企の乱で丹後内侍は子息の島津忠久に伴われて鹿児島に 仙覚さんはその比企の乱の年の生まれ 接点はありません

 

何か 比企氏のなかで 丹後内侍が残した資料とかがあって継承され それを仙覚さんが見た なんていうことがあったりするのかしら と いつも不思議に思うのです

 

ふっと文章が浮かんだ時に打ち込めるよう ノートPCがあったらいい と思ってしまった これから長くなるから専用のPCとして用意したい と思ったのは丹後内侍を書いていたらとてつもなく長くなりそうで 寺院揺曳の時の経験があるからそう実感 深夜にわざわざ階下のデスクトップのPCに向かう気がしなくて

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2020.1.20 ツイッターから転載…日々雑感、仙覚さんの小説を「仙覚への旅」として文体を変えて書き直すことにしました

1月19日

吐露するように書く 今朝一番に浮かんだ言葉 結局作為は私には合わないんだ との思いも これ 結局エーコがいう一番目の書き手になるか三番目の書き手になるかわからないけど 作品には黒幕的に絶対君臨する作者本人がいるのだと文学の森散策に教えられた気がする 書き手は「私」でいいんだ と今朝の開眼

 

おはようございます 昨日は疲れて帰宅するともう限界でとにかく寝ました とにかくひたすら寝るしかありませんでした それで朝までぐっすり寝て 起きたら吐露するように書くの言葉 そうなんですね 小説にするとかドラマ仕立てにするとか一応大河の原作目指して作為を持って書いていたから苦しかった

 

大河の原作目的だったから国文学的部分は省略するしかなかったのが 鎌倉殿の13人で大河を目指す必要がなくなり 国文学の要素を入れられる! となったところに岩佐美代子先生のご訃報 ここではたと思ったのです 仙覚さんの小説だからと外していた源氏物語の国文学的要素も入れなくては! と 親行もと

 

昨夜 帰宅する車内でずっとウンベルト・エーコの『文学の森散策』を読んでいました 小説に国文学の要素を入れることにし さらに親行の河内本源氏物語も入れることにするとしたら 人称をどうしたら統合できるのだろう その難題を見つけたくて 不可能な気は不思議となく それより嬉しい気分でした

 

なぜって これで好きなことが書ける だったからです それが今朝の「吐露するように書く」になったんですね

 

私は思う だからそう書く これでいこうと思います すっきりしました

 

今思い浮かんだタイトル『仙覚への旅』 副題は「『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の謎を追って」まだどうなるかわかりませんが 冒頭の切り口を考えていたら浮かびました

 

この方法だと 鎌倉殿の13人放映前の二年間といわず 二ヶ月あれば書ける気がする 甘いかなあ笑

 

世のなかには『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』という、日本を代表する、それどころか世界に冠する偉大な二大古典の立派な写本があり、なのにそのふたつの写本が、いつ、誰が、作ったのかわからない、さらにそのふたつの写本が料紙も大きさもそっくり瓜二つの装幀なのに、それが源氏物語

 

と万葉集という研究世界では異分野の写本であるために関連があることも解明されていないという、不可解な事実に出逢ったのが、仙覚というひとりの男を探る膨大な旅のはじまりでした。

 

と こんな書き出しを考えたのでした 西本願寺本万葉集に関連して万葉集を調べるまで 私は仙覚という人を知りませんでした 人文出身なら一年生の一般教養で習得するのでしょうけれど 写大ではそんなのなかったし でも写大に進んで鎌倉を撮り歩くことがなかったら尾州家本とは出逢わなかった 運命ですね

 

昨日の羽村の雪です 今日はそれが嘘だったみたいに晴天 暖かいです

 

夕暮れの吉祥寺 講演が終わったら買いに行こうと思っていた高遠弘美先生『物語 パリの歴史』 間に合って最後の一冊みたいでした 文学のパリの歴史と思っていたら パリの歴史の物語なんですね 勘違いしていたから目次を見て驚きました ゆっくり拝読させて頂きます とにかく入手できてほっと

 

それから コピーしてきました 小松靖彦先生『仙覚『萬葉集註釈』被注萬葉集歌一覧・被注語句索引』の掲載された朝日新聞「朝日出版情報」 私はこのご著書のご刊行をずっと待たせて頂いています 万葉集註釈は仙覚さんの晩年だから 小説の執筆に間に合いそうで嬉しいです

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2020.1.19 ツイッターから転載…日々雑感、岩佐美代子先生のご訃報に接して&羽村の宗禅寺様土曜講座を務めさせていただきました

1月17日

おはようございます パワポに専念しながら頭の隅のどこかで仙覚さんの小説の人称を考えています 今朝の閃きではいっそ研究書にしてしまおうかなと 空海の風景みたいになるしかないと思っても それでは司馬遼太郎さんの亜流になるから避けたいし 等など よき折衷案の浮かぶまで試行錯誤します

 

パワポはまだ全然 配布資料もこれから 焦ってはいないけど体力が・・・ 妹の手術の緊張が尾を引いて回復しないのだけれど 昨夜 激痛から解放されたよ~ とのメール 心配してると思ってと メールにも以前どおりに戻った元気感があってほっとしました 後は私が明日 というより今日 頑張るだけ

 

でも 最初の呟きに戻るけど 研究書にしないと書ききれない仙覚さんの国文学的貢献 それに関わった実時や親行たちの人間交流 国文学的な分は三谷幸喜さんの鎌倉殿の13人登場まで切り捨てるしかないと思っていたけど もう 今度は「ここを書かなくてどうする!」となってきています

 

配布資料は いつもはほとんどパワポのスライドを使わないのだけれど 今回は一般の方には視覚に優しいこの方法のほうが分かりやすいかなと思って 図解的に

 

どうしても睡魔というか疲労感というか ぐったりした感じがとれないので思いきって寝ました (起きられなかったらパワポアウトの危険を犯して笑) でも無事な起きて爽やか 詰まっていた思考も動き出しました 配布資料 最後の詰めでエクセルを 仙覚さんが作った万葉集の表を作ろうと起きがけに閃いて

 

配布資料できました 今時ですが切り貼りで パワポで作った二枚のスライドとエクセルで作った仙覚さんの万葉集一覧 そしてあと写真 手書きの→で関係性を示して これでやっとパワポに専念できる 詰まっている時って何をやってもダメですね 休むしかない

 

疲労もあるけど シルヴィで文学の醍醐味に浸ったからもあるよね と内心思っています 感性がたゆたいから出るのを拒否している感じ 文学はこんなにも中毒です

 

明日のパワポ ひととおり終わりました まだごちゃごちゃしてるけど それはお話でカバーできる程度 USBにも入れたからまずは安心 これからマニキュアを塗りなおしたり のんびりしながら夜にまたパワポを見直して今日を過ごします 明日は雪! 羽村の雪 綺麗でしょうね

 

写真はオダマキ 今年のお年賀状にも使いましたが 苧環 静御前のうたのこともあって好きな花です 過去写真です(ゆとりができそうだからまた植えようかな 強い花ですよね)

 

羽村って 以前案内して頂いたのですが 玉川上水のはじまりの「羽村の堰」のその羽村 明日は到底訪ねられないし またいつ伺えるかわからないけど 三鷹市を通っている玉川上水がそこから流れてきているんですよね 嘘みたい 羽村市の隣が福生市 米軍の方も日本文化を楽しみに来られるお寺様です

 

私はこの日を忘れない 岩佐美代子先生のご訃報 私が講演などすべての用を終わらせ 小説に専念できることになるその日に届いたなんて 『源氏物語と鎌倉』を上梓した時すぐ河内本懐かしいですとご感想を戴いた 私にはそれがあるからいつどんな時にも心強くいられました ご冥福を心からお祈り申し上げます

 

宝物です 岩佐美代子先生『京極派歌人の研究』と『京極派和歌の研究』 むさぼるように拝読したのは図書館で借りた古い本だったけど どうしても自分の本にしたかったから新装版が出るとすぐに購入しました でも一度も開いてません 読むのは相変わらず古い本でコピーしたのを

 

(1月18日)いつもより丁寧にマニキュアを塗ったから 乾くまで何もしないよう横になったら 疲れているからつい熟睡 12時だよと起こされて慌てて飛び起きました 明日の講演が終わったらもうすべて自由な時間になるから この疲労感もなくなってるといいな と言ったら そうだといいね とまるで他人事の家族の反応

 

できあがった配布資料を帰ってきた家族に見せたら 私は完璧のつもりで見せたのに こういうのは上質紙で刷るの とかダメ出し そう言われればそうで 仕方ないからこれから切り貼りのし直しです笑

 

1月18日

おはようございます 雪の吉祥寺 無事に出てきました こういう時 感謝しかないですね 直前にぎっくり腰とかもあり得るから 道中のお供は小説の森散策 人称の件 ずっと考えています エーコが分析した関係する三人の人間 さしづめ私はネルヴァルでないネルヴァル本人かなと それをどう生かすかなど

 

青梅線はドアの開閉をボタンを押して自分でしなければならないので緊張が抜けません。終点の青梅に近いほど都心とは違う寒さ。寒い風が車内に入らないための措置だそうですが、初めて来た時、東京にもこういう電車がと驚きました

 

青梅線が止まるといけないから早めに着いたけど 時間があるから駅前でぶらぶら 電車の降車はボタンを押す自信がないから 降りる人のいるドアに行って 後ろから続いて降りました

 

羽村の雪 しんしんと降っています

 

ただいま《下弦》です

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2010.1.17 ツイッターから転載…日々雑感、ネルヴァル『シルヴィー』のこと&18日の宗禅寺様土曜講座のことなど

1月16日

おはようございます 雨上がりの昨夜は珍しいくらいに星がたくさん見え 手元にあったデジカメでオリオン座を撮ってみました スマホだったらもっと楽によく撮れたかも 18日を控えて今日から外出禁止を決めたので書店に行けません泣 うかつに出歩いて風邪を貰ったりしないようにです

 

家人はパワポなど準備に専念できるようにと外食を提案してくれるのだけれど 講演前の心境って 有難いけど齟齬が いつも断るから悪いなあと思うのだけれどインフルや風邪や食中毒の不安をもって直前の外食はしたくないです 私は頑固なのかなあといつも思います 講演は体調管理が一番大変とはいつも

 

昨夜はウンベルト・エーコ『文学の森散策』から『シルヴィー』について書いてあるところをざっと エーコは「この美しい物語」を生涯に何度も何度も読んで句読点の位置も把握しているほどと そして仏語では半過去があり その半過去がこの作品の全体をイメージして覆っているのだけれど 英語にはない

 

からそれは生かされていないと では日本語訳は? と私は思ってしまいました それからこの物語には三人の人間が関係していると 一人はネルヴァルというペンネームでないネルヴァル本人 二人目はネルヴァルという作者(作中で「わたし」) 三人目は作中の語り手 この問題 私にはとても重要

 

仙覚さんの小説での語り手をどうしようとずっと考えています 玄覚の独白バージョンがいいと思うし それで始めて手応えを持っているからそれで進めようという気持ちになっていますが 文学の森で もう少し勉強します

 

18日の(明後日なんですね 気がついてびっくり笑)宗禅寺様土曜講座のパワポにかかっています TLを見ないでいてふと見たら歌会始 検索して堪能させて頂きました 今回のパワポはほんとうに一般の方々がお相手だから 令和の出典の写本からはじめることに 『西本願寺本万葉集』のスライドです

 

それで 『西本願寺本万葉集』をググっていたら 仙覚さんの校訂についての論文をみつけて印刷 拝読したくなってまた研究の感性に戻っています 18日が終わったら仙覚さんの小説にかかるから これはこれで重要 この講座 私にはいいステップです

 

1月17日

18日(もう明日)の宗禅寺様の土曜講座 正式にご案内していませんでした 改めて…… 1月18日(土) 於・羽村市宗禅寺 参加費:300円     13:00~ 科学ジャーナリスト 松尾義之氏 14:30~ 織田百合子 「令和によせて―万葉集と仙覚律師―」

 

宗禅寺様は鎌倉の建長寺様で30年近く宗務総長を務められた和尚様のご自防です 「令和によせて―万葉集と仙覚律師―」は和尚様から頂いたタイトルですが 仙覚律師という呼称 仙覚さん よりいいですね ただ「仙覚」とだけあるのと律師がつくのとではイメージが違うことに気がつきました

 

この律師という僧位 仙覚さんは いつ どこで 得られたのでしょう それが私の今後の課題ですが解明できるか大変・・・ 土曜講座はどなたでも自由に参加いただけます タイトル画像の梅林は井の頭公園にての過去写真 令和の出典の梅花の宴から話を始めるので梅にしました

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2020.1.16 ツイッターから転載…日々雑感、ウンベルト・エーコ『文学の森散策』からネルヴァル『シルヴィー』へ

1月14日

おはようございます 覚めてみれば なんで私はあんなに焦っていたんだろうと 仙覚さんの小説 年内には仕上げるとか 比企の乱の章だけでも年内にとか宣言ばかりしていました 結局追い詰められていたんですね 大河の放映まで二年間 それまでに上梓すればいいと決めたからゆとりが出ました 変な大河効果笑

 

写真は昨日の鶴岡八幡宮舞殿 塗り直されたのでしょうか しばらく参拝してなかったから朱塗りの社殿が眼に鮮やかでした 昨夜はウンベルト・エーコ 和田忠彦氏訳『小説の森散策』を拝読しながら就寝 歴史を離れ少し文学に浸りたい

 

たぶん廃屋 気になって切り取った光景

 

関東に地震が集中していますね 先ほどの茨城県沖M5の時の Hi-net地震マップです

 

この写真 @吉祥寺です いつも通らない道だったからみつけて この建物はフランス料理レストランの芙蓉亭 表からはいつも見てたのですが こちら側は初めてで新鮮 右手下に井の頭公園が広がる立地です 図書館の帰りに通って

 

吉祥寺に買い物に出たのに ふと図書館に行ってシルヴィを借りてこよう! となって予定変更 借りて来て拝読中です エーコがしょっちゅう取り上げてるのに 私は読んでなくて

 

スマホって恐ろしいですね 今まで私たちカメラマンを本職にした人間には 何もしないで ライティングもない夜の植込みの花が こんなに鮮やかに写るなんて

 

ネルヴァルの『シルヴィ』を読んでいるのですが 図書館で借りてきた集英社ギャラリー世界の文学「フランスII」の装丁が素敵で 天っていうのですか? 頁の厚みの部分に写真のような絵が シルヴィはさながらミニプルーストといった感じ 活字を眼で追いながらこういう文章がほんとうに久しぶりなのに驚き

 

読みながら ほんとうに長く文学といった文章から離れていたんだなあと実感 これほど文学と歴史の書との文章の違いがあるとは思っていなかった 最初は慣れていたはずのこういう文章なのに戸惑って読み通せるか不安にも 少しずつ慣れていったら ああ これはプルーストなんだと思いました 歴史書は覚える

 

ための全ての行に意味がありそれを把握しなければならない でも文学のこういう文章は意味を考えたりしたら全体を失ってしまう ひたすら文章に入って感じること そうしていると中から世界が広がってくる こういうふうに書かなければいけないなあと思い こういうふうに書きたいとも思ったのでした

 

最初 エーコの文学の森散策だけを繰り返し読んで勉強しようと思ったんです なのにシルヴィが気になってこの本を借りたらフランス文学の精髄みたいな全集だから では巻頭のボヴァリー夫人から全作品を読もうかなって そうしたらシルヴィ以外の作品の文章を私自身が受け付けなかったんです びっくり

 

で シルヴィ 入ったらなんかとても懐かしい気がして ああ プルーストなんだ〜と 本当は失われた時を求めてを読めばいいのだけれど 長いから 今の私には無理 そうしたらこのシルヴィ ミニプルーストとして これを繰り返し読んで エーコの分析で勉強して そうして仙覚さんの文章の降臨を待てばいいのかも

 

しつこいけれど 説明のための文章に慣れすぎて失った感性ってあると思う 私は今それを取り戻す作業をしているのでしょう たぶん (仙覚さんの小説の期限にゆとりができたから そういえば 書き進めていた文章は必死に説明を試みていたなあと)

 

もう寝ようと思うのですが シルヴィを読んでいて 私 この作品 前に読んだことありました たぶん高校時代に 作品のほぼ9割が情景描写で 残りの1割に登場人物たちの動きや感情が その人間描写の部分で既読とわかったのですが 前に読んだ時は9割の文章を理解する能力がなかったよう 逆に今はTwitterで

 

海外に住む方々の日常や風景のご案内や歴史 そういったものを日々見させて頂いているから 凄く身近によくわかる 文学作品を読むって経験が必要なんですね たぶんTwitterをしていなかったら シルヴィのこの作品 こんなにリアルに臨場感をもって9割の部分を感じることはできないと思う Twitterに感謝です

 

そこにいくと プルーストは もうちょっと感情描写が多いのかしら 以前に読んだ時 たった1割しか理解できてないとは思わないけど でも結局は書き手の問題でなく読み手の問題なのでしょうね 私は未熟でした 今だってそうだけど

 

シルヴィを読み終わって 説明のための文章の歴史書と 説明などいっさいする気持ちのない ただひたすら思いだけを連ねる文章の あまりに違う世界の狭間で 呆然としています 今まで私は何をしていたのだろうというような深淵のふちに立った気分(この深淵のふち の語は 訳者の入沢康夫氏のものです)

 

歴史書の感性を引きずったまま仙覚さんの小説を書こうとしていて 心のどこかで これはまだ本物でないと ずっと疑っていた心のモヤモヤは やはり正しかった

 

18日の宗禅寺様土曜講座の準備に戻りました 折角シルヴィで文学の感性を取り戻しかけて惜しいのだけれど さっきのツイートの後 玄覚さんの独白バージョンは本物の手応えだったのに どこでどうそれを見失ったのだろうと考えて そうっか その後講演をお受けしたり研究発表したりで研究に戻ったからだと

 

結局今もシルヴィの感性からもう離れて講座のレジュメ作りに入ってます 18日が終わったら もう ほんとうにまっしぐらに籠らないと

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2020.1.14 ツイッターから転載…日々雑感、【基を整え 新たに創造する年】に!

1月12日

【基を整え 新たに創造する年】初詣に行った箱根神社様にあったお言葉 そうだな と自分で腑に落ちるところがあって撮ってきたのですが 更に大河鎌倉殿の13人で目指してきた仙覚さんの大河はあまりに時代が重なるから実現し得ないと認識 それなら初心にかえって薔薇の名前のような映画化の原作に

 

と気持ちを切り替えたら 箱根神社のこのお言葉がよみがえりました そうだったと 薔薇の名前 懐かしく思い出しました 当初の高邁な理想はどこへ行ってしまってたのでしょう いろいろあって 翻弄されて なんか引きずられておもねるみたいになっていて そんな不甲斐なかったここ何年かでした

 

怒涛の大河に煽られましたが 洗われもして 当初の初心を取り戻しました 書く方向が見えてきました 【基を整え 新たに創造する年】 ほんとうにそうですね 頑張ります

 

(発掘して頂いた過去ツイート)*おはようございます 仙覚さんの小説は日本版『薔薇の名前』といってもいいスケールと内容を備えているのに 元号が『万葉集』出典の令和になってもまだ小説化が進まない それは仙覚さんの生涯が今まで謎に包まれていて その生涯を描くための謎の解明が終わらないから でも焦っても無理は無理と諦めているので全然自然体です 昨日 久しぶりに『薔薇の名前』のことを思い出して呟きました エーコ 久しぶりに読んでみようかな 小説の森散策 *普通に歴史小説として書くなら仙覚さんの生涯は解明できているから もう2,3年前から執筆にかかっていたのですが 私は仙覚さんの万葉集研究の実態を描くこと=万葉集を主人公に描くことを目指しているので それがまだ 夏の研究発表もその一端です

 

びっくり! こんなことってあるのですね 薔薇の名前の初心にかえってと呟いて 通知を見たら 薔薇の名前の初心の過去ツイートを発掘してRTして下さっている方が 同時進行でしていたみたい 仙覚さんの生涯を歴史のなかで説明しようとして苦心惨憺 低迷していたのですが 万葉集! ここが初心

 

もう今週末に迫ってしまったけれど 以前府中で講座を持っていた時の受講生さん方にご案内を 年賀状の時期を過ぎたけど 年賀状に大事な研究報告を書いてあるので ラベルシールに寒中見舞いと (もっと早くするべきなのになんか拍車がかからなくて恐縮)

 

1月13日

箱根神社でのお言葉の基(もとい)を整えに鼓舞されて 私にとっての基である鶴岡八幡宮に参拝してきました 鎌倉の源氏物語研究を始めた当初は 鎌倉自体を知らないから とにかく頼朝から勉強するしかありませんでした それが比企尼の比企谷の件で頼朝を書いていたら 基を整えなさいと なんか 運命ですね

 

運命といえば 仙覚さんの小説 懸命に 無理矢理書いていましたが 心のどこかでこれはまだ本物ではない いつか本物を書く時がくる とそう思っていました だから書いていれば楽しいから進むものの 着地感とはほど遠く きっと書き直すことになると思っていました そこに鎌倉殿の13人の報 これで整いました

 

たぶん初めから書き直すことになると思います 今まで仙覚さんを世に普及するには大河に その為には原作が とどこかなにかにおもねって原稿を書いているところがあった気がします が 再来年の大河で仙覚さんの大河の夢が閉ざされたなら 今度こそすべてを整えて 屹立した文学を目指します

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2020.1.12 ツイッターから転載…日々雑感、再来年の大河「鎌倉殿の13人」と仙覚さんの小説の狭間で揺れています笑

1月11日

おはようございます 今日はもうTwitterを見ないで終日パワポをしようと思いつつ ふっと傍にタブレットがあったので見たら Twitterで知っていつも楽しませて頂いている方の演奏会が日本であったみたい 知ってたら行ったのにと悔しく思う一方で 今の私はクラシックを封印しているのだった とも嚙みしめる

 

お正月早々に妹が手術して二日間見守ったけど 無事に乗り越えて昨日からやっと心置きなく我家に眼を向けられるようになりました でも やはり緊張してたのでしょうね 今朝 気がついたら胃がぎゅっと固まっている 人は生きているあいだがすべて その生きているあいだをきちんと大切に過ごしたく思います

 

深紅のダリヤが綺麗です 窓際に置いて撮ったからフレアが入って深紅にならないので画像編集でここまで加工しました

 

花の写真には個性が出るんだあと思いました 私も専念して撮ったら 案外文学とは違う自分の個性というものをみつけられる気がする

 

ダリヤの写真で思ったのですが 私には本来の写真という道があったんですね ある意味 十年というあいだ 鎌倉の源氏物語に関わって 学問的にも土地的にもよそ者として「虐げられて」いたから すっかり自分をメゲた人の人格でしか感じなくなっていました もっと大胆に そう思いますし 小説でそうします

 

私の心のなかにはふとすると覗かせる傷ついた塊みたいなものがあって それが十年のあいだの鎌倉での心労によるものなのか 本来の習性なのかわからないけど 毅然と明るく大胆に と頑張るのだけれど 結局いつもそこに戻って心が傷ついている でも これは仙覚さんの小説に通底する大事なものかも

 

作家が幸せだったら 仙覚さんは書けないです

 

18日の羽村市宗禅寺様での講演「令和によせてー万葉集と仙覚律師ー」のパワポ編集に入りました 再来年のNHK大河「鎌倉殿の13人」とまったく同じ時代の たぶん大河には登場しない人たちとそのエピソードです 大河と同じく頼朝決起からとして以前作った時政のパワポを土台に作ります

 

時政のパワポに ちょうど義時の位置がわかる相関図がありました 義時と比企の乱との位置関係もわかります 仙覚さんはこの比企の乱の年の誕生です

 

仙覚さんの小説に籠るからもうTwitterは見ないようにしようと思いつつ まだパワポだからいいっか と安易な気持ちで開いたら 大河鎌倉殿の13人に向けて時代のクラスタさんたちが賑わっている 私の気持ちは賑わいとは対極だし 賑わいの中では私のものは書けない 大河への防御が必要になりそうです

 

ほんとうに籠るのが必要と思っていて 18日が終わったらそうしようと思っていたけど こんな形でそうせざるを得ないようになるなんて 思ってもみない展開 あまりに私がのんきでいつになっても真剣にならないから ついに天から鉄槌を振り下ろされたかのよう笑

 

夜 家族で食卓を囲んでいた時に電話 夜の電話はどきっとするけど術後の妹の件があるから家族全員手がとまって凝固して誰も出ようとしなかった 結局鎌倉の方からの電話でほっとしたけど 鎌倉でも再来年の大河は鎌倉だよと広まっているよう で その方は私の仙覚さんの小説を気遣ってのお電話でした

 

写真は初詣に三嶋大社に行った時の伊豆の国市「江間」 たしか時政の韮山の近くですよね 車窓に江間と見えて あ 義時の と思って撮った写真です 江間四郎義時っていいますものね あの時まさか数日後に義時の大河主人公のニュースを聞くことになるとは思っていませんでした

 

鎌倉の方と仙覚さんの小説について話しながら比企尼の話に 私が比企尼が比企谷を貰ったのはただの報恩でなく鎌倉幕府での春日局みたいな人材になって欲しいと頼朝が呼び寄せたと思うのと話すと それは新説ね 面白い 政子にしても自分より頼朝を知っている女性だから頭があがらなかったでしょうねと

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2020.1.12 ツイッターから転載…日々雑感、再来年のNHK大河ドラマが、二代執権北条義時が主人公の「鎌倉殿の13人」に決まりました

1月8日

今年最初のクリスマスローズ 雨上がりの朝でしっとり綺麗

 

出かけるから 出先で長いTLを見ないで済むように スマホのTLを追ったら 寸前に見終わったタブレットのTLと同じ中にタブレットにはなかったフォロワーさんのツイートが幾つも こんなふうにして いろいろ見逃したりしているのでしょうね 両方は見切れないですものね でもスマホの方が多く流れている気が

 

【2022年の大河ドラマが決まりました。 「鎌倉殿の13人」

主演は小栗旬  脚本は三谷幸喜氏 北条義時が主人公】

 

RTの「鎌倉殿の13人」 びっくりです 義時が主人公とは! 最初13人って何だろう 歴代鎌倉殿をするのかしら 13人もいたかなあ なんて呑気なことを考えてしまいました 初詣の伊豆の地で「江間」を通り 義時を思い出したばかり イチゴ狩りの観光地になってました

 

それにしても 私の仙覚さんの小説 この大河前には完成させないと煽られそう笑

 

RTの「13人の家臣たちは息子の頼家の暴走をきっかけに、合議制を定め」←これが比企の乱の発端です ここのところ 私には無理 と思ってたのに笑 やっと最近少しは触れないとな となっていました

 

比企関連でいうと 義時の妻が比企氏の姫の前です 比企尼が嫁いだのは比企遠宗ですが 比企尼でない女性から生まれた朝宗が姫の前の父 同じく頼朝の御家人の比企能員が比企尼系で比企谷を継ぎ比企の乱で滅ぼされます 姫の前の男子の一人が極楽寺の重時 比企では皆様今頃狂喜されてるかも

 

1月9日

おはようございます 昨日今日と遠出で自分の時間はとれないのですが その分どう過ごしてもいい車内での自由な時間 そんな昨夕に飛び込んできた大河鎌倉殿の予告 別に時勢に合わせて書いているわけではないけど 書いたものが時勢で歪められたり貶められたりする危険は察知しておかないとと TLを見ます

 

で 昨夕の鎌倉殿ですが どう考えても時代がダブル その前に仕上げてしまわないと亜流になったり剽窃ととられかねなかったり で ここはやはり一気に仕上げなければならない時にきたんでしょうね そのことをじっと自分の中に問うているのですが 武士の世界は今まで必死に私なりに書いて説明しようとして

 

苦しかったのですが もうそれは放置していいんだ! となりました お年賀状に宣言したとおり 私は仙覚さんの万葉集世界をきちんと時代に残す方向で書いていこうと そんなふうに心が定まってきました 北条実時との源氏物語を絡めて

 

1月10日

愛子様の日本古典文学志望 清々しいですね なにも私が源氏物語や古典を好きだから というのでなく 国際的に活動するならまず自国の文化をというご姿勢 他があまりに外への眼差しに振り回されて人としての本質を見失っている昨今と感じているから とても襟を正されました

 

私はやはり自分を見失っていた と思いました 愛子様文学部志望の報に接して もともとは私がそうだったのに 鎌倉の源氏物語の発見から鎌倉時代に関わるようになって 端整さとか気高さといった世界と程遠い十年を過ごして 独り闘っているうちに見失ったもの それを探して四苦八苦してたのですね この昨今

 

大河鎌倉殿の13人の報を受けて それなら私は政治面は大河に任せ 崇高な精神史に特化しようと決意が固まってきたところにこの愛子様の報 完全に取り戻させて頂きました 以前の私の目指していたところのものを 記念の思いで大鏡を取り出しました笑

 

昨日 大きなダリヤを買いました 朝一で撮ろうと思っていたので 先程 大鏡と一緒に

 

恐ろしい!(笑) RTの十三人の合議制メンバーのなかに 目下仙覚さんの小説で書いている人たちが何人も 足立遠元 安達盛長 比企能員 北条時政・・・(ね こんなふうに大河鎌倉殿の十三人は仙覚さんの小説とまったくかぶります)

 【鎌倉幕府「十三人の合議制」の面々。 ・大江広元 ・三善康信 ・中原親能 ・二階堂行政 ・梶原景時 ・足立遠元 ・安達盛長 ・八田知家 ・比企能員 ・北条時政 ・北条義時:小栗旬 ・三浦義澄 ・和田義盛】

 

逆にいうと 仙覚さんはこういう時代を生きていたということ 万葉集という国文学だけで仙覚さんを見ていたら気づきません 小説にしようと時代を追ったら見えてきました

 

でも 小説の中で政治を書くのは大変 畑違いですものね 苦心惨憺していました この際 亜流とか剽窃とかを心配せずに 鎌倉殿の13人が放映された後に出版したら 政治を書かなくて済むのでは? なんて思いも浮かんだりして笑

 

冬の陽に 小さな紫が眼にとまって

 

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2020.1.11 ツイッターから転載…日々雑感、初詣に頼朝ゆかりの三嶋大社・箱根神社に行きました

1月5日

おはようございます 昨日は初詣に源頼朝公ゆかりの三嶋大社・箱根神社に 暮れに比企尼が比企谷を贈られたのはただの20年の仕送りに対する報恩でなく 創設する鎌倉幕府の組織作りを助けてもらうため ということを書いていたら すっかり頼朝公が身近になってしまいました それで改めてご挨拶に

 

写真は三嶋大社境内の厳島神社 ずっと以前にも三嶋大社様は訪ねているのですが 冷泉為相関連で行ったので 頼朝公ゆかりの歴史は意識になく 今回はじめて「平家追討の心願を込めて百日の日参をした」神社と知りました 頼朝・政子の腰かけた石 がありました

 

今年の抱負 とってもシンプルだけど 好きな料理をして 好きなふうにアレンジして 好きなかたちの私らしい食卓にしたいな ずっと研究にだけ時間を割いて私らしいことのなにもできないでいたから と 唐突に思ってツイート (とツイートしたらなんだか涙が 終わったんですね何かの一時期が)

 

RTさせて頂いた東博の高御座の参観では第二室が女官と文官の装束の展示が手を伸ばせばさわれる(禁止ですが)配置の展示で 遠方で来られない平安装束クラスタさんを思うと私なんぞが観て申し訳ない気がして せめてツイッターでご紹介をと思って撮っていたのでした 忘れていました 最初に文官から

 

女官です

 

先ほどアップさせて頂いた東博の高御座・御帳台参観の日の高御座・御帳台の写真を少しご紹介させて頂きます 最初は高御座・御帳台

 

背後に回って撮らせて頂きました 撮影が許されていたからシャッターを押しましたが いいのかなあ 本当に撮ってと 心の中で畏怖を覚えつつでした

 

高御座・御帳台参観に訪れたのは昨年12月24日 資料館にコピーに行った日でした その頃書いていたことが歴史の事実と齟齬がないか確かめるためだった資料 あのころは比企尼関連で乗って書いてたなあと今さらに その後年末になったりして やっと今になって東博の写真を思い出したのでした

 

あのころはこんなに早く今のような緊迫した世界情勢になるとは思っていなかったとつくづく

 

1月6日

ほんとうは仙覚さんの小説に入りたいのだけれど 18日の宗禅寺様の講座があり その前にひとつ乗り越えなければならない家族のことがあり で 私にとって仙覚さんの小説の新年は明けてません 18日が終わったら今度こそ本気でかかれるかな と淡い期待 まだいろいろばたばたしています

 

写真は箱根神社に行く途中寄った道の駅にて ここが芦ノ湖の海賊船の船着き場でした 夕刻だったからすでに一艘が停泊していて そこにもう一艘が帰ってきて もう一艘のほうが最初に遠くに見えた帆影がどんどんどんどん近づいてきて ピタッと一枚の構図に収まってくれました

 

1月7日

おはようございます 我家はまだお正月休み状態で自分に集中できない状況 小説なりパワポなりにかかりたいのだけれど無理なのでじっと我慢して家族奉仕をしています TLを追うのもできなくて今久々にざっと見たのだけれど こういうこともできないくらいに執筆に集中できる状態に早くなりたいとは心の希求

 

人の世のことは 重いですね

 

RTの修明門院教子さま 丹後内侍と範頼関連で暮れにずいぶんと頻繁に呟いていました(教子の子孫四辻善成と七草の関係で)

 

伊豆の道の駅で買ってきた紅芯大根 七草粥の付け合せに塩揉みして出そうと薄切りにしたのですが 綺麗!

 

先ほどの紅芯大根 塩揉みしました 美味しい!

 

吾妻鏡に頼朝や実朝が参拝した記述がある箱根神社 箱根山中にあるとばかり思っていたから訪ねるのは無理と決め込んでいたのですが なんと あの芦ノ湖畔に見える赤い鳥居の神社なんですね 参道はまさに箱根駅伝の商店街で賑わって イメージ違いにびっくり 6時まで参拝可だったのでこんなに暗く

 

ロケハンというかフィールドワークはこんなふうだから重要 読んで理解していたはずが こんなにイメージが変わると 頻繁な二所詣の記述もさもあらんとなります 今更だけれど仙覚さんの小説で 比企尼に比企谷を頼朝が与えたところから頼朝が浮上し ついに箱根神社の初詣 すっかり実感が湧きました

 

18日の宗禅寺様での講座 パワポにはまだとりかかれないのですが 脳裏で構成を組み立てています で その構成ですが ついに頼朝から始めよう となって 時政の時のパワポを土台に編集しようかなと 三嶋大社に頼朝が百箇日の参籠をしたことなど 一般の方たち用に観光ガイド的にわかりやすく

 

 

 

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2020.1.9 ツイッターから転載…日々雑感、1月18日に羽村市宗禅寺様で「令和に寄せてー万葉集と仙覚律師ー」のお話をさせて頂きます など

1月2日

おはようございます 心機一転の今年の最初のお仕事は 羽村市の宗禅寺様での土曜講座 「令和によせてー万葉集と仙覚律師ー」の内容でお話させて頂きます 宗禅寺様は鎌倉は建長寺様の前宗務総長でいらした方のご自坊 退任された後 建長寺様で今も続けていられる鎌倉禅研究会のような勉強会をと始め

 

られました 鎌倉禅研究会のFBを担当させて頂いていたご縁で土曜講座の設立当初から見守らせて頂いて一年くらい毎月拝聴しに通いました でも毎月鎌倉と羽村の二回の遠出は無理で諦め その後鎌倉禅研究会からも身を引いて 目下仙覚さんの小説執筆のために籠っています そんな思い出の土曜講座です

 

1月18日2:30からですが 詳細は追ってお知らせさせていただくことにして 今日からそのパワポの制作にかかろうかな と思い年頭のご報告にツイートさせていただきます

 

令和二年一月二日 初売りの日の吉祥寺 賑わっています 年末と違ってうきうきした感じがするのはいいですね 私は特に用もないけど気分転換に出てきました 家人が職場でチーズ王国のピザが美味しいと話題になった話を聞いたばかりで ちょうどチーズ王国の前を通ったので買ってしまいました

 

1月3日

1月18日に仙覚さんのお話をさせて頂く羽村市宗禅寺様の土曜講座 振り返ったら宗禅寺和尚様が建長寺宗務総長を退任された頃 私は府中市で鎌倉の源氏物語の市民講座を持っていて 鎌倉で30年近い歳月を宗務総長で過ごされた得難いご経験を 地元「多摩」の皆様にお話して頂けないかと和尚様に

 

お願いして快諾して頂き 受講生さん方30名くらいをお連れしたのでした 土曜講座が始まる前の宗禅寺様はじめての講座になったと思います 広い客室に法要でお使いになる机と椅子を並べて 次の間では朱の漆の器で打ち上げのお振舞 宗禅寺様はそういうお寺様です 18日 よかったらお越しください

 

FBの「仙覚取材ノート」ページに和尚様が書き込みを下さって 檀家さんお相手の講座なのを心配してらして 難しくないようにとのコメント 私も檀家さん方を存じ上げていて 楽しいいい方々ですから その方々のお顔を思いながらパワポを編集したく思っています

 

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2020.1.1ツイッターから転載…日々雑感、あけましておめでとうございます

北条実時創設の金沢文庫で実時の奥書がある『尾州家河内本源氏物語』に出逢ってから十年が経ちました。そこから鎌倉の源氏物語の研究を始め、2011年に『源氏物語と鎌倉』を上梓。その後鎌倉の万葉集に研究を切り替えて、2016年に「仙覚は誰か」を学会で研究発表をしてから仙覚の小説に取りかかりました。すると仙覚が北条実時と長年にわたる親交のあったことがわかり、実時の源氏物語と仙覚の万葉集を絡めての執筆になってきたのが、令和になった昨年の収穫でした。ようやく小説はスタートラインに立ちました。(今年のお年賀状より)

 

1月1日

あけましておめでとうございます 昨年は災害が多く世情も憤り多い大変な年でしたが 被災者の方々も頑張っていられるし 平穏に暮らしている私たちもめげずに頑張らなければいけませんね 私も昨年は心機一転の年でしたが それを発展させるよう 年末に掴んだ屹立感を成就すべく頑張りたいと思います

 

写真は今年のお年賀状 毎年 というのは仙覚さんの小説を書くと宣言してから三年 書く書くばかりのお年賀状で いい加減オオカミ少年を脱出しないとと危機を覚えていました そうしたら昨年思いがけず実時の奥書問題が解決し小説の全貌が整ったので 今年は「ようやくスタートラインに立ちました」と

 

十年の文学から離れていた時間は大きいですね 年末に総決算のような感じでそれに気がつきました どうしてこんなに自分に自信がないのだろうと考えたら 十年の歳月のロスを思ったのです 文学に専心していたら十年間にはなにがしかの立場を得ていたはず 研究という異分野に行って初心者新参者として

 

批判されたり非難されたり上から目線にばかり耐えて謝ったりお礼を言ったり の鎌倉の活動 それを繰り返していたらすっかり自分が屹立することの意義も忘れ 自信を失った人になってしまっていました でも今日頂いたお年賀状を見たら 蒔いた種は決して無駄ではなかったことを確認 嬉しい元旦でした

 

 

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2019.12.31 ツイッターから転載…日々雑感、今年も一年ありがとうございました

12月29日

意識して書いておきます 先程RTのドレスの皺 私でさえあの時あの映像を見て あれっ お付きの女官さんたちがいるはずなのに と疑問に思ったのでした 源氏物語の桐壷更衣みたいなことが決して物語だからの誇張でなく現実にあるんですね 桐壷更衣は亡くなってしまったけど お元気になられてよかった

 

私は作家の感覚で社会を感じて見ているから 当事者の人たちのその都度の怒りや悲哀をリアルに感じてしまうし 辛い方たちにエールを送って見る習慣が それでも元来呑気な質なのでそれ程までの予測はできてなかった でも先程RTの件で仙覚さんの小説の裏側ももっと大変だったのかもと気を引き締めました

 

冬の日@三鷹市玉川上水

 

冬の日 西陽がさしている井の頭公園西園です

 

フランス絵画の精華@東京富士美術館 1月19日まで

 

12月30日

おはようございます 昨夜はグランメゾン東京最終回1時間半をたっぷり満喫した後 余韻が拡散するのを惜しんでそのまま就寝 お陰で溜まっていた疲労が抜けました つくづく俳優さんって凄いなと思ったのはその見事な日常からの断絶感 前日番宣でキムタクさんと鈴木京香さんが出てらして 撮影時の裏側を語

 

ってらしたから それが物凄くよくわかって唸りつつ観てしまいました 役になりきるとアドリブの方が台本を超えるんですね キムタクさんの随所の決めポーズ 全部とっさの彼の演技と それを受けて立った鈴木京香さんも凄いと思いました 決めポーズ 小説でも際立ったその演出ができたらいい と思います

 

写真は先日の実践女子大での源氏物語シンポで頂いた武蔵野書院様のチラシ 三条西家の源氏物語 年が明けたら拝読したく思っています しばらくグランメゾン東京に浸る日々が続いて私の中の過去 鎌倉色を払拭しました 今年の総括ができた気分 グランメゾン東京のお陰です

 

早朝からずっと動き回っていたからもうぐったり すれば終わることがわかっていてやる気が出ない いつもなら寝てしまうのに昨夜はたっぷり寝たものだから眠くなくて寝ようとすると不眠症のような辛さ で その場しのぎに検索してグランメゾン東京のその後の反響を観ていました 少しやる気が出ました笑

 

RTは自分用の保存です 朝のtwのあとで思ったのですが 私がこのドラマにはまったのはその屹立感ですね 日常の些細なことに拘泥してない 爽快でした

 

リンダさん(冨永愛さん) 肝が座ってる と先程のtwのあとで思ったら そうっか このリンダさんの登場がドラマを格別にしてたんだ と気づきました 毎週RTさせて頂いていたドラマの画像も料理の写真かリンダさん それは意識してでなく日常からの突き抜け感でだったのですが

 

↓RT 「ある時期、浜崎あゆみという人は、ある種の少女たちの命を請け負う存在だった」

 

12月31日

師走の吉祥寺 北口 サンロード入口 この先に月窓寺という禅宗寺院があります さらにその先に安養寺という密教寺院が 安養寺では護摩が焚かれ 並んで除夜の鐘をつくことができます もう間もなくですね(昨年のツイートを何方かが発掘して下さったのを再掲)

 

大晦日の吉祥寺 細い月が見えています 街はもうお片付けモード なんとなく店の灯りが消えていっています

 

こちらは左手T字路にヨドバシがある交差点 吉祥寺北口のサンロードです まっすぐ行った突き当たりが吉祥寺駅 背後を行くと先程何方かが発掘して下さった去年のツイートの除夜の鐘がつける安養寺があります

 

サンロードの天井から下がっている迎春の旗の真ん中の文字は 鼠の古代文字だそうです

 

大晦日の吉祥寺 吉祥寺はあまり華やかな通りがないので ここに出たら あ 華やか! と感じてしまいました 右手にPARCO 奥の明るいビルがUNIQLOです これから帰って年越しのお夜食の支度です 今年一年本当にありがとうございました 皆様良いお年を!

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