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2020.3.14 ツイッターから転載…日々雑感、九年目の3.11に&建礼門院徳子さんと光行さん浮上

3月11日

おはようございます 九年目の3.11 今日は終日黙祷の思いで心して過ごします 日本が この先 いい国でありますように 東北の皆様にはやく安泰が訪れますように

 

九年前の3月11日の直前 たしか8日だったと思いますが鎌倉の方にご一緒して頂いて鶴岡文庫を訪問させて頂きました その時はまさか三日後に震災が迫っているなど思いもよらず 西本願寺本万葉集の複製を見せて頂いたり 有意義な時間を持ったのでした 15日に鎌倉での二回目の講演を控えていて

 

そこに11日の震災 その後の余震や鎌倉での計画停電等で講演は中止になり それが10月に鎌倉市男女共同参画主催の講演会に そういう諸々のいきさつで東北の震災は私的にもひとつの画期です あれから九年なんですね ここにきてやっと私もひとつの画期を終え 研究から文学に地平が変わりました

 

九年目の今日 こう書けることに感謝します 震災の復興は私自身の心の祈りと一体です 終生忘れません 写真は震災の年の6月12日に鶴岡八幡宮で行われた 東大寺の僧職の方々と鶴岡八幡宮の神職の方々合同の慰霊祭「東日本大震災被災地復興の祈り」の式典です 浦安の舞が奉納されました

 

『源氏物語絵巻の謎を読み解く』を読み返しているのですが このご著書を拝読した後に鎌倉の源氏物語に関わるようになり 池田利夫先生の源光行研究に必死だったから 『読み解く』を忘れていました 今再読していて物凄い影響あったのがわかる 私の出発点は池田利夫先生との出会いとばかり思ってたのに

 

3月12日

おはようございます 鎌倉は若宮大路沿いに建つ雪ノ下教会の一画です 2010年10月撮影 その一か月後に鎌倉でのはじめての講演「鎌倉の源氏物語」を控えていました 何かの用で鎌倉に来てお昼に入ったお店の真向かいに教会が見えていました その時不意に『尾州家河内本源氏物語』の制作者は宗尊親王だ

 

と思ったのでした 雪ノ下教会の一画は宗尊親王の御所があった場所です 掘ると寝殿造りの遺構が出るはずです その半年前くらいからそうではないかと感じていましたが それを表明する勇気はなく まして講演でお話するなど思ってもいませんでした が この時確信して講演のパワポはそうまとめました

 

こんなことを今朝ツイートするのは 昨日の震災前後のツイートに書いた鶴岡文庫で館長様とお話していたときにこれを話して そうか それもありうるね というお言葉を戴いたのを懐かしく思い出したからです 覚悟の講演から四か月後のことです その後本にまとめて『源氏物語と鎌倉』になりました

 

昨年夏に学会で研究発表した際に作った年譜です(パワポのスライド) 仙覚の業績と 鎌倉の源氏物語『尾州家河内本源氏物語』の完成を 年代順に並べました 『尾州家河内本源氏物語』が宗尊親王の時代にできたことが一目瞭然です ただし 文献的証拠資料はまだみつかっていません

 

写真を補足すると 雪ノ下教会の右手を奥に入ると宇都宮明神があり ここが四代将軍頼経時代の御所があった所です 突き当たって小町大路を左に曲がると妙隆寺があり その山門あたりが六代将軍宗尊親王御所の東の限界 さらに進んで教会と隣り合う病院の角を曲がって若宮大路に出る という一画です

 

六代将軍宗尊親王は後嵯峨天皇皇子ですから皇族将軍 四代頼経は九条道家息なので摂家将軍 鎌倉幕府ははじめて迎える皇族将軍のために御所を新造したのでした

 

そういえば昨夜 福島県沖方向が発光していました 夜なのに白い雲 とても目立ちます

 

今日の苧環 まだ鉢の移し替えをしてなくて ごめんなさい の状態です

 

3月13日

最初の一輪 と思ってスマホを向けたら奥にも蕾 昨年鉢植した我家の菫です 白河院と璋子さんがやっと動きだしました テーマをつかんでプロットができても 羅列ではない本物の文章になるまで大変 もうずっと頭を悩ませていました 動きだしてほっと

 

クリスマスローズ また切ってきました

 

昨日の南の雲です 巨大な丸太状の雲が放射状になっていて 小笠原諸島のほうになにかある って感じました 巨大過ぎて数本の放射状丸太状の雲が真ん中の一本しか画面に入りませんでした

 

まさかほんとうに谷崎が戦時下ひたすら源氏物語を書いていたみたいなことを自分がするなど思っていなかったのに今まさにそれをしている 白河院と璋子さんの源氏物語を書いていたら 光行さんの父が中宮職で建春門院滋子さんに関わっていたことを思い出しました 光行さんはある意味地味で華がないから

 

この小説に登場させることはないと思っていたのに ないどころか大いにありました 光行さんの理想の女性は建礼門院徳子さん! すっかり忘れていました 仙覚さんの理想の女性は竹御所 二大高嶺の華的手の届かない理想の女性の切ない話だったのに それを忘れていたなんて! 光行さん、登場させます

 

失意の建礼門院徳子さんを最後まで心尽くして思いやった人が光行さん 徳子さんの晩年には娘を美濃局として仕えさせています 光行さんが徳子さんと源氏物語の話をする場面とか 書きたい

 

メモ: 光行さんの祖父が武士ではじめて昇殿を許された忠盛に仕えた鳥羽天皇の時代 父が建春門院滋子さんに と思い出したとき 天皇は誰だったかしらと年譜を見たら六条天皇で高倉天皇の前の方 光行さんが高倉天皇の時代の人なんですね 徳子さん入内時光行さんは十代 父が中宮職だからその時からの憧れ

 

光源氏の物語は手の届かない藤壺を追うのが根底 手が届かないことほど美しく高邁なことはありませんよね 光行さん、突然前面に押し出てきて 頑張ってね! といった感じ

 

華鏡(仙覚さんの小説) 仙覚さんが生まれる比企の乱までの前編を書いていて 建春門院滋子さんを書いたら時政と蹴鞠を書いて そうしたら乱勃発で終わり と思っていたのに光行さんを書くことになり また終了が遠退きました泣

 

鎌倉で最初から私の鎌倉の源氏物語を支援してくださっている方に 華鏡 のタイトルをお告げしたら 鏡で照らすように物語を映しだしていく術を会得されましたのね! とお返事を頂きました こういうふうなご理解の方に助けて頂いてここまできました 気持ちが華やいでそれで光行さんが甦ったのかも

 

甦った光行さんの徳子への思いをこの方にメールしたら 「光行の徳子に寄せるおもいを通奏低音にされると深みや厚みが出てきますよね!」 とまた素敵な返信をいただきました そう まさに通底する思いなんです それが書けたらこの作品は完璧です

 

こういうことを忘れて仙覚は誰か比企の乱とはなど学問的な思いでとりかかっていたから小説にならなかったのでした やはり 源氏物語を忘れてはダメ!

 

特に光行は父からあれこれ聴くうちに徳子を永遠の女性と秘めて写本つくりの糧にしてらしたんですね!きっと完成を徳子に捧げご供養されたのでしょうね!←中宮職にあった父から徳子さんのことを聞いて育った光行さんの河内本源氏物語。光行さんの源氏物語研究の底にある思いを汲んで下さったメールです

 

こういうふうに意を汲んで下さる方がいると有難いです 鎌倉の万葉集ではそれがなかったし 闘いばかりだった 感情まで枯渇してしまいましたが 思いがけず仙覚さんの小説なのに源氏物語が入ってきたら 当時のふくよかな感情が甦りました 世の中は大変な魔の金曜日になりましたが 私的に感謝の一日

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