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2020.3.7 ツイッターから転載…日々雑感、建春門院滋子さんは若紫の系譜&奈良円成寺と最勝光院が寛遍僧正を介してつながりました、両方とも宇治平等院形式の庭園です

3月4日

おはようございます 今朝の緒環です 建春門院滋子さんは若紫の系譜なんだなあとつくづく 二十歳まで即位できなかった白河天皇が自分は皇位につけない皇子として源氏物語を読み そうしたなかでの待賢門院璋子さんへの鍾愛は 自分は光源氏なのだからという大義名分意識があったはず 二十歳まで中宮彰子

 

さんはご存命だったから 皇位につけない分暇な時間を彰子さんのもとに通ってじかに紫式部の話など聞いていたと思う だから国宝源氏物語絵巻を待賢門院璋子さんと作ったという説も頷けるし その絵巻を璋子さんの子の後白河天皇が持っていて 後白河天皇も皇位につけない皇子として育ったから白河天皇同様

 

源氏物語に思い入れ深く それで建春門院滋子さんを鍾愛したとき 心の底のどこかに母待賢門院と白河天皇の関係の踏襲意識があって 後白河天皇もまた源氏物語を生きた天皇だった気がします

 

中宮彰子さんから白河天皇にいたる系図です 以前作ったパワポのスライドです 待賢門院璋子さんが白河天皇の孫の鳥羽天皇に入内して後白河天皇が生まれるんですよね この系図の背景に源氏物語があると思うと理解が深まります 後白河天皇と源氏物語ってあまり言われてないけど

 

3月5日

おはようございます 苧環について調べていました 昨日ツイートしたオダマキの変換漢字が違う気がして 苧環が正しいです 日本原種があるなか 私のこれは西洋品種みたい 華やかです 苧環の頁を見ていたらミヤマオダマキという言葉に惹かれて好きになったのを思い出しました ミヤマって語 いいですよね

 

ミヤマってつくと何でも好きになってしまいます ハルノミヤマジ 春の深山路ですが このタイトルで飛鳥井雅有を好きになって 私の鎌倉探訪は雅有が原点 その頃は後に鎌倉の源氏物語をやるなんて 思ってもいませんでしたから不思議なご縁ですね

 

飛鳥井雅有は雅経の孫で鎌倉で活動した二条教定の子だから 幼児期はちょうど源親行たちが鎌倉の源氏物語をしている真っ最中 そんな中で育ったから 後年伏見宮廷で源氏のひじり と呼ばれるようになります つまり 当時は鎌倉が源氏物語研究では優位だったのでした!

 

昨年の今日は仙覚さんが晩年を過ごして『万葉集註釈』を作った比企小川町での講演でした もう一年が経ったのですね この講演でパワポを作っていて仙覚さんと実時の交流の実態が見えてきて あ これでいける!(小説のこと)と思ったのでした それで書き出しているのが目下の「華鏡はなかがみ」です

 

講演は仙覚さんの万葉集顕彰碑がある山の麓の小川町立図書館にて 毎年この時期に「おがわ仙覚万葉展」をされていて その一端の講演会でした とても熱心に仙覚さんの普及活動をされています 写真二枚目三枚目は東武東上線で小川町駅が近づいたときの車窓 遠くの街並みが小川町 三枚目はたぶん槻川

 

槻川のほとりに仙覚さんが庵をたてて住んだ伝承があるらしいのですが 私はまだその出典も場所も未確認 それより別の見解を持っています 仙覚さんの出自が明らかでないから 仙覚という孤独の学僧のイメージで庵説になった気がします と以上のツイートをしながら 昨年が懐かしい

 

RTの趣味の園芸 今こそ花を…… これ 今の私の苧環のこと と思ってしまいました(戦時中は園芸などできなかったから ひっそりと隠れてしていた人たちが趣味の園芸の先生方で 今こそ花をと)

 

「華鏡 はなかがみ」 仙覚さんの小説を書くと決めたのはある意味義侠心にかられてでした 伝記的には書く材料が揃ったから でも書き出しても自分でさっぱり面白くない だから進みませんでした 考えあぐねて なんとなくそこに文学が欠けていると感じていたからエーコを読みシルヴィにたどりついて「鏡」

 

のスタイルに定着 縛られることなく書けるようになって目下思い切り楽しんで書いています 義侠心的に仙覚さんと同じく光行さんも小説にして残さなければと思っていたことが 鏡のスタイルにしたら光行さんも入れられるようになり で 今 源氏物語について書いています 源氏物語はやはり気持ちが優雅に

 

運慶の大日如来像のある奈良円成寺は浄土式庭園で驚くのだけれど それを造った寛遍僧正が祖母が道長の娘で宇治平等院は祖母の兄弟が造った寺院と知って納得 その寛遍僧正が後白河天皇の護持僧になって 冷泉帝と夜居の僧みたいに夜中に親密な会話をしたとしたら 僧正から天皇に宇治平等院の素晴らしさが

 

伝えられたとしておかしくない 後白河天皇の心に宇治平等院が刻まれ それで建春門院滋子さんに寺院をプレゼントしようと思った時 平等院のようにしようと思ったとしたら 最勝光院が平等院を模したというきっかけは寛遍僧正にあった というような展開を ついさっき思いつきました 真夜中の談話が平等院

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