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2020.4.30 ツイッターから転載…日々雑感、七月七日長生殿の長恨歌を振り返って原点だったことを思い出しました

4月27日

おはようございます 昨夜の夕殿に蛍飛んでから思いがけず鎌倉の源氏物語の普及活動を始めた初期の思い出に浸りました 河内本源氏物語を作った源親行が七夕にこだわるのが謎だったのをこのTwitterで呟いたら 親切な方が長恨歌ではないでしょうかと教えて下さり そこから親行の真実に入りました

 

画像は講演に使ったパワポのスライドですが 紫式部が桐壷巻で比翼の鳥連理の枝の比喩を使ったのがこの七月七日長生殿の詩句 その七月七日に親行がこだわったのは鳳来寺本源氏物語の識語に河内本源氏物語を完成させた暁の親行の思いが書かれていて それが二枚目のスライドです 親行は真っ先に紫式部

 

を思っているんですね 親行はその後も河内本に手を入れていますが 完成日の七月七日は変更していません 親行には少年時に父光行との「太液芙蓉未央柳」に関する思い出があり長恨歌は親行の源氏物語研究の根幹でした 昨夜夕殿にに込められた紫式部の思いに触れて 親行もこれを感じたのだろうなあと

 

鎌倉の源氏物語を手放したと思ったところからすっかりこの原点を忘れていました。仙覚さんの小説を書くんだ! とばかり気負ってまして笑 まさか和漢朗詠集からこんなところに戻ってくるなんて、です。(作品の原点 オリジナリティーの在り処(ありか)が この流れにあるのだと、とコメントを頂いて)

 

それにしても 福島泰樹先生の絶叫コンサートではありませんが はるばる遠く来たもんだ の感が強いです 先ほどのスライドのパワポは2011年からずっと使っている鎌倉の源氏物語の講演用 まさかその後鎌倉の万葉集をすることになるなど思いもよらず鎌倉の源氏物語をライフワークと思っていました

 

それが今は鎌倉の万葉集から発展して仙覚さんの小説を書くまでに で ずっと万葉集一本にかかり切っていたのですが なんかだんだん源氏物語が入ってきたと思ったらこの展開 全部深いところで繋がっているんですね 仙覚さんと親行はずっと後年 将軍頼経の時代で交流します 写真は映画「空海」のチラシです

 

昨夜から もう 映画空海を観たくて観たくて身体の中で観たときの映像が音響があふれてぐるぐる駆け巡っています笑

 

4月28日

おはようございます 玉城知事のツイートにはただただ同感なのですが 国も都も正反対が明らかでひたすら怖さしかなく 個人が身を守るのは個人でしかないとの覚悟で栄養を免疫をと料理に気を使う日々 こんな日になるなんてと思いつつ人参ジュースを作るのにしまいこんでいたマジックブレットを出しました

 

人参ジュースはほんとうに効きます 家族が風邪をひきやすい体質で口内炎もしょっちゅうだった時 毎朝作って飲ませていたらすっかり改善しました その頃は手でおろしてガーゼで絞って 大変だからいつしかやらなくなっていました とにかく免疫をと思って思い出したのでした

 

RTの玉城デニー知事「私自身は何と言われようとも、このコロナウィルスの世界的蔓延を世界の国々が技術もお金も惜しむことなく世界が一致して人類の連帯と尊厳と自由のためにかかる状況に毅然として取り組む世界共通の目覚める機会にして欲しい、とただだ願います」ただただ同感です。

 

ここだけの話だけれど 十年近く鎌倉の源氏物語と万葉集にかかわって家にいなかったり家にいてもパワポや調べものやらでピリピリしていたから 自粛でずっと家にいることが家族にとても穏やかな時間をもたらしていて しょっちゅうお茶しよ! とか話しかけられて 私的には全然原稿に集中できません泣

 

その上コロナにはタンパク質の摂取が大事とか免疫をとかTwitterで読むと それは大変、そうしなければと料理が丁寧に もともと料理が好きだから十年のあいだできなかったそれを満喫している部分があるからいいのだけれど 無下に自分の時間をつくって突然隔離されての後悔をしたくないから応じます

 

と、そんな愚痴を書きましたが 先日の使いこなせていなかったコーンスターチ 検索したらそば粉を入れてガレットに とあったので 今はそば粉がないけどガレットふうに焼いて具をのせて楽しんでいます 近くスーパーに行ったらそば粉を探して ガレットに嵌まるかも 吉祥寺はガレットのお店多いです

 

白いウツギとカラー そして黄色の木香薔薇

 

龍谷ミュージアム館長様の呟き

「学生諸君はいま歴史的局面に立っていることを自覚すべきです。2020年という年は新型コロナウイルス感染拡大と歴史に刻まれます。政治も経済も国際情勢もコロナ以前とコロナ以後として語られることでしょう。このコロナ禍は「文明の病い」であり、学生諸君の真摯な学びは現代文明の治癒へと繋がるはず。」

 

4月29日

雑木林はもうすっかり初夏の緑です

 

ハルジオンに混じって紫の花が

 

図書館が閉まっているから当分来ることはないと思っていた遠くのスーパー 地元で売り切れのが多くて足を延ばしました こちらはお洒落な品揃えだから自転車置場の看板もお洒落です

 

井の頭公園雑木林のはじっこにあるカフェ・ドゥ・リエーブル 昨日呟いた吉祥寺にあるガレットの美味しいお店です 今は自粛で休業中 営業している時 暗くなってから雑木林を通ると 八ヶ岳の麓のお店? みたいな感じで 吉祥寺に近いなんて嘘みたいです

 

林の中の洒落た一軒家の光景が素敵だから まさに絵になる風景で 新宿のNikon修理センターに行った時 壁に大きく写真が飾られていました

 

外観です さっきの写真の右端に外の雑木林が写ってますね 早くコロナが収まってまたここでゆっくりお茶したいです

 

4月30日

おはようございます 昨日また太い筍が一本採れて 夜中に下処理したのですが いつもと切り方を変えたら写真のような切口 あまりに綺麗で見とれて そうだホイルに包んで蒸焼きにしてみようと 今日はそれをします

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2020.4.27 ツイッターから転載…日々雑感、朗詠から入って光源氏の心にまで深まるなんて!

4月24日

マイページtopの固定されたツイート「鎌倉ペンクラブの秋の講座のチラシが届きました」は、昨年秋の講座のチラシです。講座が終わったら削除するつもりだったのですが、終わってからのほうが「いいね」を下さる方が多く残しています。他の講演者のファンの方が来られるのかなあなど思ったりして。

 

たしか講座がはじまるまでの「いいね」は16くらいだった記憶が、終わってから増えて、今は82。なぜ延びているのか謎ですが、自分的には私が「仙覚さんの生涯を追っている人」の告知にちょうどいいかなと思うようになりました。ただ、どうか、今年の秋の講座という誤解のなきようお願いします。

 

4月25日

おはようございます 梅の実が落ちていました 少し色づいて 散りゆく桜の花びらと一緒に 季節の移ろう狭間かな

 

お気に入りの小麦粉が尽きて 予備は買ってあったのだけれどこのご時勢でいつ必要になるかわからないから封を開けるのを躊躇 前に使って残っていたコーンスターチを代用したらそれなりに上手くできた つい先日まではなくなったら吉祥寺に買出しに の生活だったのに と複雑です

 

コーンスターチは以前料理通信であるシェフの方が 小麦粉ではなくコーンスターチを使います と語ってらしたのを真似て買ったのですが その後使いこなせなくて残っていたもの 今日はそれをしてみたのですが これから使いこなせそう 不便な生活が案外豊かさをもたらしてくれる気のする昨今です

 

わからないのでまず検索したんですよ。そうしたら片栗粉と同じと考えていいとわかりました。それからレシピを見たらガレットがあって、そこからいろいろインスピレーションが広がりました。シェフの方はたしか唐揚げに小麦粉でなくコーンスターチと仰ってたような。

 

4月26日

おはようございます 今日から原稿に戻ろうと思って 昨日一昨日と切り出し方を考えていたのですが 源氏物語のなかの朗詠を取り上げて そこから白河天皇と和漢朗詠集に入ろうと それで検索していたらこんな素敵な論文をみつけました

 

青柳隆志氏「心喪と朗詠」より源氏物語幻巻における光源氏の紫上追慕 【空暗きここちするに、「窓をうつ声」など、めづらしからぬ古言を、うち誦じたまへるも】【螢のいと多う飛びかふも、「夕殿に螢飛んで」と、例の、古言もかかる筋にのみ口馴れたまへり】←「」が白楽天の和漢朗詠集にある詩文です

 

光源氏の紫上追慕二例 佐佐木信綱博士編『和漢朗詠集』より写真一枚目が「窓をうつ声」で部立【秋夜】に 二、三枚目が「夕殿に螢飛んで」で部立【恋】に(ちょうどページが分かれてしまって二枚に) 螢は螢の部と思って探したら恋! う~ん、です

 

この釈文を読んで唖然としたのですが 源氏物語でただ光源氏が誦んじた と読んでも悲しいのだろうなあとしか配慮できないのが 白楽天の詩を知って読むと光源氏の心の中に広がる白楽天の詩の光景が自分のなかにも広がる 朗詠って共感しあうことの極致なんですね

 

まるで プルーストの引用 シルヴィの引用 みたい! ここまでくると知的な遊びです

 

中野幸一先生『正訳 源氏物語』幻巻を読んでいました 写真は朝アップした「夕殿に螢飛んで」の箇所 注に白楽天『長恨歌』の一句とあります 朝のアップでは白楽天としかだったけど 長恨歌だったのですね 幻巻はいつ読んでも痛切です

 

白楽天『長恨歌』の夕殿にの箇所です 勢いで長恨歌を読んでしまいました 改めて幻巻と同じ情趣なのにびっくり 太液芙蓉未央柳はこの直前 七月七日長生殿はこの後です 全部懐かしい! 紫式部は桐壺巻を長生殿で始めて 幻巻を夕殿で締めくくって光源氏の生涯を終わらせたのですね と今さらに

 

太液芙蓉も七月七日長生殿も鎌倉の源氏物語の普及活動で親行さんの河内本源氏物語に賭けた生涯での重要なピンポイントなのでパワポに随分引用しました それと やっぱり映画「空海」が強烈に思い出されました

 

(「夜を知る蛍を見てもかなしきは時ぞともなきおもひなりけり」だったのですね、というコメントを頂いて)私も知らなかったり気づかないでいたりのことばかり。まさか和漢朗詠集を探ることから光源氏のこんなところにまで深く思いが至ることになるとはと驚いています。

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2020.4.24 ツイッターから転載…日々雑感、急転直下、彰子さんと少年白河天皇の段が終わり、kindleで和漢朗詠集を購入、堪能しています

4月22日

おはようございます 昨日三月から例会の中止を提言している会の方からお葉書 四月も中止の提言をした時の通知への返信で あの時は帰国者のコロナ持込みで危機感満載だから中止の提言でした でもお葉書を読むと海外は大変なんだなあと思われただけで 今頃になって日本もそうなりましたねと 情報をA4何枚

 

かにプリントして配ってその程度のご反応 唖然として これは再開してもこの方たちとは一緒にやっていけないと 昨日から頭の中でどうしようと思考がぐるぐる 意識の低い方たちの集まりで感染源になるのも怖いし 私は小説を完成するまで感染するわけにいかないから退会か長期休会か 考え始めました

 

コロナがなければずっと一緒に勉強し合ういいお仲間だったのです 写真は秋になるとアケビの実をつけるフェンスに咲いていた花なのですが 検索したらアケビの花は別 ではこれはなんの花 秋のあの実はアケビではない? となっています← ムベだとフォロワーさんから教えて頂きました。実がアケビととても似ています

 

急転直下 彰子さんと少年白河天皇の段を書き終えました 次は和漢朗詠集 この料紙の問題から白河天皇と待賢門院璋子さんに移ります 体力がなくなって書くのが大変 頭のなかでは書き進めたいのにPCに向かう気力がなくて昨日の予定が今日に持ち越し 何度も繰り返し読み直したから冒頭から整理万端に

 

Kindleで和漢朗詠集を購入しました またしばらく浸ります 構成を知りたくても図書館に行かれないからKindleで 紙の本で読みたいけど当分お預けです

 

Kindleに粘葉本和漢朗詠集があって サンプルをダウンロードしたのですが 佐佐木信綱博士の解説があり 拝読したく 購入しようか迷っています こんなところにも佐佐木信綱博士! と驚きつつ

 

4月23日

Kindleで佐佐木信綱博士編 藤原行成筆『和漢朗詠集』を購入し目を通しています 写真は左がKindle 右は和漢朗詠集特集号『墨』の同じページ 粘葉本和漢朗詠集が通称なんですね 御物です Kindleは釈文がついているから分かりやすい 浸っています

 

4月24日

おはようございます 和漢朗詠集に浸っています 長く優雅ということを忘れていたのだなあとつくづく コロナがなかったら早く原稿を仕上げなければと焦ってばかりいました プロットどおりに書いていればもうできています でもそこには少年白河天皇も和漢朗詠集も入らなかった 優雅っていいですね

 

RTの「目的は、中国では失われた中国の古典籍を日本で探すこと。調査を進めるうちに、明治時代に来日した中国人が日本で漢籍を探し集めた時の記録に出会った」の記事 いいですね! 私は源氏物語と万葉集の写本から携わった人たちの人生を伺い知って小説を書いているのですが 書物ってそうだから面白い

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2020.4.22 ツイッターから転載…日々雑感、コロナで吉祥寺芙蓉亭さんの突然の閉店の報にショックです&彰子中宮と少年白河天皇の会話ができてきました

4月20日

おはようございます こちらは雨の朝です 写真は民家の軒先に昨日みつけた姫ライラック 私はもうずっと以前から欧州の方のようなライラックに憧れているのですが まず園芸センターでさえ木を売ってなくて 今朝のTLで関東では無理と拝読し やっぱり と諦めました この姫ライラックで我慢かも

 

最近吉祥寺話題が多いですがなんとなく私はついていけてないです 常日頃行っている身として正確な情報なり訂正をお伝えできたらとは思うのですが ただ今日の芙蓉亭閉店の報はショック 少し前 お弁当販売をされてるのを見て芙蓉亭さんまでと心を痛めていました いつか再開されますように

 

一月に投稿した芙蓉亭さんです 吉祥寺の街側からはそのまま素敵なアプローチで建物に入るのですが 井の頭公園の崖上なので建物の下はもう公園 なので見晴らしがとてもいいです これは公園から上がっていく坂道で撮った裏側 いつも見る洒落た外観とは異次元の外国のような見え方で思わず撮りました

 

紫式部日記に集中してたら進んでいたのに コロナとか諸々気を回しているうちに拡散してしまった白河天皇と彰子さん また気を入れるために最初から読み直しの仕切り直しです 朝の散歩 誰もジョギングしていない道をみつけました 鳥たちも人がいる場所より元気に勢いよくのびのび鳴き交わしています

 

原稿は少年白河天皇と彰子さんの段だけ見ても書き進めなくて 先週再開した時玄覚さんの独白バージョンの冒頭から印字し直して読んでいったら気持ちが入りました 頼朝比企尼丹後内侍時政運慶寛遍僧正後白河天皇と進んでの少年白河天皇と彰子さん 一筋に「思い」 で繋がっているんだなあと思います

 

今日は筍のステーキ

 

お散歩できるようになられてほっとしました。筍のステーキは赤坂の小さな料亭で頂いたのを真似したので自分流です。灰汁抜きに水煮したのを薄切りにしてフライパンで焼き、料亭ではお味噌がついてきましたが、私はバター醤油が美味しいです

 

4月21日

おはようございます 初めての猫ちゃん写真の投稿です あ、いい構図 と思って撮りました 今日は原稿進みそう 紫式部について書こう! なんて気張ったばかりに迷走しました 迷いが吹っ切れましたので初心に帰って公任の若紫やさぶらふから和漢朗詠集に これでたぶん今日璋子さんに移れます

 

久しぶりに原稿に集中しています 繰り返し繰り返し冒頭から読み直しました 今は彰子さんだから頼通の平等院の時代 そして璋子さんの法金剛院 寛遍僧正の円成寺と続き 滋子さんの最勝光院へと 原稿は寺院で深いところで結ばれています 寺院は人の思いが造るものだから 私はやはり寺院が好きなんですね

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2020.4.20 ツイッターから転載…日々雑感、上東門院彰子さんと少年白河天皇のことなど、紫式部日記を読んで

4月17日

おはようございます 和漢朗詠集の画像を探していたら こんな素敵な料紙が 伊予紙だそうです 華鏡は文化史だから人間ドラマは脚色だけれど文化の面は史実です だからその都度とりあげた文化史的一面を画像で添付してと思って探しました 今日から渾身の深まり を目指して一から印字し直しています

 

でも なかなか私の記憶にある東博で見た和漢朗詠集の画像ってないですね 目に鮮やかなのに記憶違いかしらと自信がなくなってきました

 

不動の玄覚さんの独白バージョン冒頭 流れの再確認にタイトルページから印字し直して見ています 玄覚さんが京の善峯寺で書く回想録という構成 ラストは当然善峯寺なわけですが いつになったらそこまで と果てしないです

 

中野幸一先生『正訳 紫式部日記』巻末の紫式部年表です 本を汚すのは嫌だから今まで避けていたのだけれど そうしているといつまでたっても本と自分のあいだの距離が埋まらないからとうとう引きました 黄色いマーカー 彰子入内の五年後に紫式部が出仕 その二年後に楽府進講 お陰で原稿が動き出しました

 

4月18日

おはようございます 昨夜から中宮彰子さんが語り出しています これは常々思っていたことなんだなあと自分で思う でもことばにすることなかったから書き残しておくのにいい機会 でもふと思ったのだけれど 私は自分で研究書を読んだりしていても 一般に流通している説を知らない 小説も読まないし

 

もしかしてこの描こうとしている紫式部観はすでに語られていること? ならば一般書を確認すべき? となったのですが 踏襲と思われてもいいから今は自分で思っていることを自分のことばで書いていってみます 画像は検索してみつけた和漢朗詠集です

 

今ふと思ったのだけれど こんなに源氏物語どっぷりになって 本題の仙覚さんの万葉集はどこに行ったの? と でもこの後源平の争乱で光行さんを書くから ここで光行さんが生涯をかけた源氏物語を書いておくのは無じゃないです

 

と宣言ツイートをしようとしたらまた思考が進んで 光行さんは最初実定に源氏物語の手ほどきを受けているから 二代后多子さんも知っている 丹後内侍が出仕した二条天皇妃多子さん またこの方を書くことになるのかなあ~ 果てしないです

 

4月19日

おはようございます あなたと話していると式部と話していたときみたいに楽しいわ と たった今浮かんだ彰子さんのセリフ 11歳の少年白河天皇が彰子さんに源氏物語執筆当時の紫式部の話を聞きたくて訪ねていた時 彰子さんは75歳 曾祖母になります そんな少年に思い出を語らせられて嬉しかったでしょうね

 

写真はTLに流れてくる英国のブルーベルという花の群落の森に憧れていて ご近所の花壇にこの花の群落を見て 少しだけそれ風に見えるかな と撮ってみました

 

また筍が四本採れて 今夜は筍御飯に姫皮のお吸い物です TLで切って薄目の出汁で煮てとっておく方法を教えて頂いたので 糠で灰汁抜きする大変さから解放されました

 

切って薄目の出汁に これから煮ます

 

こちらは姫皮 たくさん過ぎて前回のも冷凍して残っています いずれ天婦羅に

 

呟いた記事を削除して就寝に入ったのですが 記事は彰子さんと円仁の如法経についてで そうしたら折角少年白河天皇と源氏物語で盛り上がった気分がすっかり消滅 やはりまだ今は仏教について考えてはいけないのだを痛感しました 仏教を考えると小説が書けなくなります これ 当然ですよね 両立は無理

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2020.4.17 ツイッターから転載…日々雑感、紫式部日記のことなど、緊急非常事態宣言で籠って

4月14日

おはようございます ブラマンジェが好きでいつか作りたいと切り抜いていたのですが… 昨日終日心にとげが刺さっていた事 整理できたので呟かせて頂きます 書いている人にはあるあるの話です 一昨日親しくしている人から頂いたメールに 貴方はもうチェックされてるだろうからきっと大河に反映されますよ

 

とあって よかったですねと 一般の方には大河に「盗られた」らそれは栄光なんですね でも書いている人には絶対そうでない それは奪われることなんです シナリオを習っていた時に知人がある作家の生涯を脚本にして高名な脚本家に見て頂いたら それを軸にその脚本家の名で上演された 知人は最後のシーン

 

なんてまさに私のシナリオのままだった と観に行って呟かれました 当時は私たちは謙譲の美徳に心酔していたから笑認められただけでもよかったと話していました でも今は違う 鎌倉で切磋琢磨したから強くなりました 奪われることだけはしたくない なので華鏡は 何が何でも大河放映前にと頑張っています

 

朝の散歩のペンペン草 キリッと立って輝いていました ナズナよりペンペン草のほうが好き ストーンと突然目の前からするべきことが消えて原稿だけに向かえるようになりました いろいろあったすべての用事が片付いて 原稿だけに向き合う生活 それを待ち望んでいたから信じられずきょとんとしています

 

今日は14日(日付が変わって15日だけれど) 和漢朗詠集をまだよくしらなくて調べたのが6日でした 公任が作ったと知って驚愕し それなら白河院に繋がるではないの! となって原稿が動きだした一週間だったんですね 私事で原稿に向かえなかったから進んでないけど やっと今夜から専念できます

 

こんなふうに なんの支障もなく 気をまわすこともなく まっしぐらに原稿に入っていける状況 やっとつかみました あと 入力か手書きかタブレットか そんなところを試行 樋口一葉みたいに文机に座って前のめりな感じで原稿の中に入っていく みたいな感覚が憧れ(それって 手書きなのだけれど)

 

中野幸一先生『正訳 紫式部日記』には巻末に詳細な解説があり 公任が若紫やさぶらふと問いかけたのは紫式部が何歳の時? を計算しようとして そうだ年表があるはず と見たら36歳でした 公任は43歳 そんなに年は離れていないんですね

 

今日は14日(日付が変わって15日だけれど) 和漢朗詠集をまだよくしらなくて調べたのが6日でした 公任が作ったと知って驚愕し それなら白河院に繋がるではないの! となって原稿が動きだした一週間だったんですね 私事で原稿に向かえなかったから進んでないけど やっと今夜から専念できます

 

公任が紫式部に若紫やさぶらふと話しかけたのは彰子の敦成親王(後一条天皇)誕生の御五十日の祝宴 『正訳 紫式部日記』は中野先生訳の現代文の下に 写真のようにその部分の原文が載せられています

 

原稿にのめり込むように向かえる状況になってもすぐには気持ちが入っていかないから周縁をぐるぐる散策して気分を煽っています笑

 

メモ: 道長と公任は又従兄弟で もし円融天皇皇后の公任の妹が男皇子を産み 同じく円融天皇皇后になった道長の姉が一条天皇を産んでいなかったら 二人の立場は逆になっていた 公任が太政大臣で道長は大納言どまりと つまり公任はただの臣下ではなかった←これ重要

 

公任は幼少の頃から秀才の誉れ高く 道長たち兄弟は父親から「お前たちは公任の影さえ踏めない」と嘆いたという それほどの公任 若紫と戯れられたら紫式部にしても光栄だったのでは?

 

和漢朗詠集をkindleで読めるとみつけました 実際に本を読みたくなって でも今の時期外に出るのは嫌だから買いにも借りにも行かれないと思って密林で検索したらありました なのにまだダウンロードに成功してなくて 明日また再挑戦します

 

4月15日

朝の散歩の土筆 今日初めてのツイートかも 毎年見ていた土筆の土手が破壊されて見られなかったから諦めていました ここのところの散歩でもスギナは見るのだけれど と思っていたら今朝はじめてノコンの土筆 やっと私的に春完了です やっぱ土筆っていい!

 

今日は特に縛られるものはなかったのだけれど やはり一気に原稿に入り込めなくて 一旦入力して印字までしたものの推敲に身が入らない いつも書き始めはこんなものだから焦らないけど やはりこうだから中断→復活の繰り返しだった過去が今更に辛かったです これからは気持ちが入ったら中断なしにしたい

 

世の政情が緊迫していて無視できないから 今日は推敲を放り投げて見ていたこともあります

 

4月16日

おはようございます 白河天皇の少年時代に中宮彰子さんがまだご存命だったことから 二人で源氏物語や紫式部について語らう場面を書きはじめたら 彰子さんの言葉を通して紫式部を書きたくなりました 一番彼女を知っている人だから そして紫式部も一番彰子さんを知る人だし

 

二人の関係 素敵です

 

昨日は先の見通しのあまりの暗さにボーっとしてしまった 書くことも古典に浸ることも集中する気が起きませんでした でも今朝は復活 一日くらい落胆してもいいですよね 私も夏に備えて野菜を作ろうかな なんて考えています とにかく長期戦確定と思うから

 

中野幸一先生『正訳紫式部日記』解説より: 出仕の勧誘は父を通して執拗であったろう。これに対して式部は、生来の内気と過去の経験から宮仕えには消極的であったと思われるが…そう この内気の語! 彰子さんを書いていて紫式部評を語らせるのに適格な言葉を探してました 少年白河天皇との会話にです

 

用があって吉祥寺に 通りがかりにカフェロシアさんがテイクアウトをされていて 思わず狂喜して買ってきました まずピロシキ そしてハチャプリ そしてなんとなんと毛皮のコートを着たニシン! 刻んだビーツが乗っているからとっても綺麗なのに 荷物が多かったので崩れて写真ではご紹介できずメニューで

 

毛皮のコートを着たニシン 大好きです このテイクアウトではこういうレストランそのものメニューがいくつもあって もちろんボルシチもありました 以前はグルジアのと思って注文していたのが今はジョージアのとなった鶏肉の料理 タバカも 夕方には並ぶそう あったら買いたかったのでお聞きしました

 

緊急事態宣言以来はじめて吉祥寺に出ました 閉まっている店が並びぶ街は異様でずっと緊張でした ただ思ったのはみんなマスクをしてる 朝の散歩ではコロナなんてどこのこと? みたいにマスクをしないでジョギングする人が多くとても嫌でした 避けててもふっと飛び出してきたり 明日から散歩は止めようと

 

12月の武漢での小さな記事からずっと気になってコロナを見てきたけれど その間世界がどんどん大変になって対応も必死で なのに日本はオリンピックや経済優先で怒ってもはらはらしてもどうにもならなかったけれど やっとという感 ほんとうはシェークスピアみたいに籠って専念したかったのですが

 

でも ほんと やっとという感じでもう私もシェークスピアをめざす! 笑 をするべき時になったかもしれない とそんな気がしています 批判の声が届いているようなのでその一票としてこれからもTLは見ていきますが

 

仙覚さんの小説ではじめた華鏡 小説という枠が私にはとても苦しかったのを 再来年の大河の出現で仙覚さん普及のための大河をめざす必要がなくなったから 原作を書かなくていいとなり 枠が外れてのびのび そうしたら私には小説よりも歴史が 歴史よりも文学が となって私は私で好きに書いていきます

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2020.4.15 ツイッターから転載…日々雑感、ひきつづき、紫式部日記と和漢朗詠集

4月12日

水鳥を水の上とやよそに見むわれも浮きたる世を過ぐしつつ かれもさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかんなりと、思ひよそへらる … 紫式部日記より。朝最初にツイートした時の画像です。アップしたのにどこに行ってしまったのでしょう。話は変わるけど、書く姿勢に深まりそうです

 

庭に筍のとれる季節になり せっせと掘って 家人が太い筍を4本 あとは私が処理して料理するだけなのだけれど 家族の喜ぶ顔と対照的に 毎年疲れる〜が内心 それをぼやこうとしてTLにきたらタイミングよく出汁で煮ておくというコメントのツイート 疲れが吹き飛びました! そうしてみます

 

例の会 6月まで中止が決まりました 3月に中止を願い出て まだコロナの恐怖が知れ渡っていなかったからごり押しととられた 4月には私の中でもう覚悟が決まっていたから決然として中止を切り出した この二回で学んだのはTwitterなどSNSをしていない人たちとの乖離 こんなに大変な世の中と必死に訴えても

 

現実を知らない人には通じない を痛感し 命の危険に一生を怯えながら過ごした仙覚さんの胸中がまさに一般の人にはわからなかっただろうから この私が感じた乖離を仙覚さんはずうっと生涯背負って生きたわけで ただ単に苦しみを書いてもそれは表現できない では どうやったら と難しく感じています

 

筍御飯 美味しく炊けました 姫皮のお吸い物も毎年楽しみます 掘りたての筍はその日のうちなら灰汁抜きなしにそのまま使えるから 残りの3本をこれから処理します(やはり疲れて一旦休んでいました) 筍はステーキにすると美味しいんですよね バター醤油で それは明日

 

筍の処理をしていたらこんな時間に いつもは一本ずつのまま糠で茹でるのだけれど 今年はTLで教えて頂いた出汁で煮る をしてみました 煮物やステーキでそのまま食べられる大きさに切って煮たのが大きな鍋に溢れるほど そして穂先の繊細な部分を筍御飯用に濃い目に味付けしたのが小ぶりの鍋に一つ

 

この時間 ほんとうは紫式部日記に浸って原稿を書き進めたい 原稿と日常はいつもこんなふうに背中合わせです

 

4月13日

おはようございます 雨ですね 窓を開けると紅葉に紅いちいさな花(たぶん) 毎年この下にあるプランターに紅葉の双葉が生えます 今年も生えていて 毎年盆栽しようかななど思うのですが

 

今頃になって和漢朗詠集が来るなんて思わなかったと言ったら 家族があるじゃない 君 前から読んでたよ と言うので え? と思ったら確かめに行って 集だけ同じだったと戻ってきました 建礼門院右京大夫集だったそう まさか自分で忘れてるはずないと思っていたから納得 家族も何気に目に入ってるんですね

 

筍に時間とられたり 日常次元での他との乖離に傷ついている部分があったりしますが こうやって和漢朗詠集を出すと一瞬で心が晴れます 願わくば浸って読みたい

 

比企の方に大河良かったですねとお祝いを伝えたついでに華鏡の件を伝えたら 大作になりそうですね とお返事頂いた 自分ではそう自負しているけど 今までの仙覚さんの小説の範囲でしか捉えて頂けてない中 このご反応は初めて やはり文学を知っている方は違うと思いました

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2020.4.12 ツイッターから転載…日々雑感、紫式部日記のこと&上東門院統彰子さんが膨らんでいます

4月9日

おはようございます 朝の散歩の桜の花びらと背黒セキレイです

 

耐えることの美徳って 読んでいた文学の影響が強い 水上勉『越前竹人形』が好きで もうほんとうに好きだったのですが 今でも好きに変わりないと思うけど ああいう文学を許していいのか 今はわからなくなっています 文学は文学として だけれどもそれの影響って考えると

 

こういうときだけれども とあえて心に言い聞かせつつ原稿に ついに中宮彰子さんに「」でセリフを発しさせてしまいました 「公任が……」と

 

家にいる人が増えて 1ヶ月の籠城になるから空間の整備にかかって 原稿に向かえなかった分 彰子さんが醸造されて 説明で通過しようとしていたのを 彰子さん自らが発信して下さったみたい 彰子さんの言葉で紫式部評が書けるかも

 

紫式部日記の水鳥の章が好きで そこが彼女の神髄と思っていたことを思い出して 公任のところも含めて少し日記を読み込んでみたくなってきています またひろがりそうというか 進まなくなりそうなのだけれど 今のこの状況では急ぐ意味もないからじっくり腰を据えて 中野幸一先生訳で再読しようかと

 

メモになるけど 中宮彰子さんはいつも彰子さん なのに璋子さんは待賢門院璋子さんとか滋子さんは建春門院滋子さん それなら上東門院彰子さんと書く? となるけどならないのが不思議 でも ずっと後年松下禅尼が尊敬していたと書く時には上東門院彰子さん と昨夜思ったのでした

 

無住の雑談抄に 上東門院をとあるので自然に上東門院彰子さんになるけど 上東門院だけだとあまり彰子さんのこととピンとこない方が多い 執権時頼の母が上東門院彰子さんを尊敬していた なんて とても凄いことと私なんかは思うのだけれど でもこれを書くのは仙覚さんはもう壮年期だからずっとあと

 

4月10日

おはようございます 私はやっぱり紫式部日記が好きなんだなあと ここに戻ってこられたのがそこはかとなく嬉しい 中野幸一先生訳は現代語でありながら不思議でしかないのだけれど原文を読んでいるかのように違和感がない 秋のけはひ入りたつままにが大好きなので今迄口語訳を避けてきたけど大丈夫でした

 

どうなるかわからないけど 昔から紫式部が蛍巻で物語論を書き プルーストが失われた時を求めてで芸術論を繰り広げたように それをいつか私もしてみたいと思っていたのですが それほどだいそれたことでなくても なんかそういうことがここなら許されそう ここで源氏物語を書いておけば光行さんの布石にも

 

RTの 目先の利益にとらわれて大損し命も失うパターン を本当にそうだと思います。なぜそんな簡単なことがわからないのでしょう

 

当分もう行かないだろうな 吉祥寺 玉川上水べりを通ったら遠くに見えました 左端からパルコ 丸井 キラリナ あんなに毎日行ってたのに 復活して行かれるようになるのはいつでしょう

 

今思いついたのでメモ: 鍵は11歳の少年 六代将軍宗尊親王が両親から引き離されて一人鎌倉に下向したのが11歳 北条実時が父実泰の狂乱で小侍所別当に就任したのも11歳 中宮彰子さんが紫式部に新楽府の進講を受けた話を少年白河天皇に話して聞かせる設定を考えたら 11歳にしよう! なんて思いつきました

 

4月11日

春の小川 というのでもないのですが 神田川のほぼ源流あたりです 神田川は井の頭公園の池に発していて 新宿など都心を通って隅田川に 朝の散歩で撮りました

 

ジョギングしている人が多い西園からこちらの公園に変えて二日目 こちらでは柳が名物です もっと大きかったのですが 以前台風で根こそぎ倒れて でも植え直して復活 ほっとしつつ強靭な生命力に驚きました

 

4月12日

おはようございます 先程ツイートしたのになぜかアップされてなくて 一日の区切りに改めて朝のご挨拶 今日は曇りなので散歩にいかず家で片付けもの 散歩はやはり疲れるからできずにいました 籠ってばかりいるといくらストレッチをしてもダメですね

これは無事にアップできました(笑)

 

華鏡 仙覚さんの小説だから副題に仙覚律師の生涯とつけることにしてたのですが ここにきたらもう 華鏡 だけでいいという気に 上東門院彰子さんが膨らんだからのことです あんなに意気込んでいたのにと 我ながら気持ちの変遷に苦笑 でも 清々しいです

 

彰子さん こんなに膨らんで出るとは思っていなかったけど 待賢門院璋子さん 建春門院滋子さん を書いているなら上東門院彰子さんは元祖門院ですものね

 

今朝膨らんだ彰子さんは円仁繋りの重要性 横川の円仁如法経を援助した彰子さん その円仁を仙覚さんが敬慕して 仏法を守る国母彰子さんを 鎌倉の国母松下禅尼が敬愛したという 華鏡のほぼ全時代を通底して彰子さんがいます

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2020.4.9 ツイッターから転載…日々雑感、白河天皇と若紫など

4月7日

おはようございます @玉川上水です 朝の散歩にきました この木に鴬がとまって啼いています 鴬の声を聞くと嬉しいですね

 

こちらは同じく玉川上水の桜です

 

大丈夫ですよ。この時期もいつか過ぎます。

 

中野幸一先生『正訳紫式部日記』がありました 紫式部日記といえば以前から使っていた新潮古典集成だから わざわざ本棚の奥から埃を被ったのを取り出したのに 仙覚さんの小説でまさか紫式部や源氏物語~の展開 満喫しています

 

正訳源氏物語若紫巻より 君がよそからお帰りになりますと、まっ先にお出迎えになって、しみじみ情愛をこめてお話しになり、君の御懐に抱かれなさって← ここなんかもう 白河院が七歳の璋子さんを懐に入れてもおかしくないほど可愛がったという それですよね! 白河院は相当光源氏を意識してます

 

今朝の散歩の桜です 白い八重 和漢朗詠集や紫式部日記など必要な本を読んでプロットが膨らみ 読みつくして今原稿に戻りましたが 離れていた分書く感性が早急には戻らない つまってしまって息抜きにTwitter 膨らんだ勢いで書けるかと思っても書けないんですよねすぐには 気持ちが入るまで大変

 

家にいる人が増えたので食事の形態も変えなくてはならず一人用にいいと思い出してタジン鍋を出しました PCも貸して私は何十年ぶりかに手書きで書いてみようかと 原稿用紙はないから空いているノートに こんな気持ちになったのは 粘葉本和漢朗詠集のあの広々とした端正な文字を真似てみたくなったから

 

手書きの味を忘れていました 早く仕上げたいとばかりに心がはやっていたから なのに粘葉本和漢朗詠集の筆跡に関するご論考を読んだら 文字の安定感はゆっくり書いているからと それを試してみたくなってうずうず つい試しに書いたのがこちら これだけでもう心が広々しました笑

 

試し書きしたメモ用紙はA4のコピー用紙を四つに切って使っているもの 裏写りしているので見たら西本願寺本万葉集でした こちらもいい字! これから白河院の璋子さんへの手習いを書きます 若紫を踏襲して

 

一日のサイクルが早朝に始まるからお夕食が済むとぐったり で 早々に仮寝して毎日今頃起きて少し作業 それから早朝まで一時間ほど寝るのですが 早朝の仕度さえなければ自分のサイクルで動けるのに でもこの時間がほんと 一番原稿に集中できて充実します

 

と 起きてTLをざっと追ったら全部 ほとんどすべて緊急非常宣言関連 まるで他愛ない私事を呟いてはいけないかのよう なんか知らない方のもいっぱいで いつもの方のが見えない 緊張が平常を奪ってはいけないと思う なのであえて他愛ないことを呟きました

 

なんか一日考えていたのですが 結局私は十年間鎌倉のため比企のためと源氏物語や万葉集受容の文化があったことの活動をしていたけど全部自分のためだったのだなあと いろんな目に遇ってめげたり怒ったりしたけれど 結局そうしたことで自分に到着したんですね 今の仙覚さんの小説『華鏡』に

 

忘れそうなのでメモ: 二十歳まで即位できなかった白河天皇が光源氏に自分を重ねて源氏物語に親しみ その二十歳まで中宮彰子さんは生きてらしたから 思春期の白河天皇は彰子さんのもとにせっせと通い 公任が紫式部に若紫やさぶらふと声かけしたエピソードを聞いていたかも これ 面白いから書こうと思う

 

今朝の散歩で見つけた素敵なトンネルです

 

4月8日

今日は花祭ですね 今年はどうか行かれないからわかりませんが 2014年の鎌倉の建長寺様の花祭の写真をアップさせていただきます その後何回かご縁がありましたが この年が天候に恵まれたこともあって一番華やかでした

 

昼に建長寺様の花祭の写真をアップさせていただきました その日は鎌倉の方とご一緒で いつも鎌倉の源氏物語で応援して下さっている方なのですが 彼女が御代川のお弁当をもってきて下さって お部屋をお借りして一緒にいただいた… そんなことを思い出していたら以心伝心ですね メールを頂きました

 

培った人と文化の絆は切れるものではありません とそのメールにありました 少し前に私がちょっとここのところの内心を吐露したものですからそのお返事 こうやって何度かあった私の苦境をそのたびにフォローして下さいました 写真は鎌倉駅ホームから北鎌倉方面 花祭の日の帰りです

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2020.4.7 ツイッターから転載…日々雑感、和漢朗詠集のこと&紫式部日記&源氏物語若紫巻のこと

4月4日

仮寝して起きて 今は世情から目を離せないからTLを見て やっと和漢朗詠集に戻るのだけれど あまりの乖離に茫然 危険は危険として気を張りながら でもやはりするべきことは平常時と同じくしているしかないと 毅然と自分を鼓舞 どうか無事でありますようにと あらゆることへ祈りを込めながら和漢朗詠集に

 

国宝源氏物語絵巻の詞書の料紙がどのような時代の流れでできたのか不思議で それで和漢朗詠集を手にとったのですが 思いのほか明確に把握できて 昼の段階ではもう潔く和漢朗詠集撤収 と呟こうと思ったのです でも 仮寝して起きたら和漢朗詠集がまだ気になっている部分があって それを辿ります

 

『墨』1984年第46号特集和漢朗詠集より秦恒平氏「和漢朗詠集と女文化」拝読 目から鱗の視点でした 以下秦氏: 和漢朗詠集とは「引用文化」の虎の巻だったろう。「女文化」の性は創造より浸潤にあり、その方法は引用また引用という学習にあった。それには上質の規範が必要だった。十世紀の初めに古今集が

 

先ず「女文化」の根を下し、十世紀の果てに枕草子が「女文化」に華を咲かせた。源氏物語が双方の見事な集大成であるように、和漢朗詠集も、なかなかスマートな双方のエッセンスだった。← 女文化の根底に引用文化があるというの、面白いと思いました。源氏物語を読んでいると式部さんのそれを感じます

 

詞書料紙の謎が解けたからもう和漢朗詠集を撤収してもいいと思ったのに まだこだわろうと思ったのには秦氏のこれがあったから。紫式部が引用に引用を重ねて源氏物語を構築したような深さを 私も 和漢朗詠集で得てみたくなったのでした

 

4月5日

和漢朗詠集 これはたぶん愚痴ですが 私は小学生のころから漢詩が好きで 学生になってからはTVの漢詩紀行などずっと観ていました なのにこの頃漢詩から遠ざかっていたのは鎌倉に本国の方がいて TLに専門家の方がいて 安易に好きといえなくなったから そこにこの和漢朗詠集 ここには私の好きな漢詩世界が

 

中学だったか高校だったかもっと後かもしれないけど とにかく観ていた漢詩紀行のあの懐かしい漢詩の世界がここにあって 漢詩はこれでいいんだ~ との心のほぐれ感 漢詩が漢詩としてでなくふつうに好きなものとして戻ってきて嬉しい

 

いつその余裕ができるかわからないけど いつか仮名書道を習ってみたいと思っていました でもこの特集和漢朗詠集を見ていたらもうこれがあるなら習わなくてもいい 自分でこれを楽しもうと 朗詠集では粘葉本ほど厳正に書かれたものはなく 手習いにいいそうです(私の思っていたとおりの理想の書体)

 

和漢朗詠集は手本として書かれたもので、漢字とかなの双方が習える。でも、展覧会用には変化がなく奇抜な表現がないため、現代の人は習わないそう。どうりで習いたいと思ってもなんか書道の世界が私の求めているのと違うと感じていました

 

RTのイギリスでは親しい人と し について話しておいて下さい との上からのお達しが出たと 私ももうこうなったら自分だけは我家だけはなど悠長にしていられない状態と感じていて危機感を募らせていたけど まだ面と向かって話し合う覚悟はなかった でも 覚悟がすわった気がします 頑張るけど心構えだけは

 

毎日 ツイートを読んではまなじりに涙が だからといって心弱くなってはいけないと自分を鼓舞しています

 

あなかしこ。このわたりにわかむらさきやさぶらふ…まさか今になってまた紫式部日記をとりだすなど思ってもいませんでした この発言をしたのが公任 和漢朗詠集はこの五年後の作成 和漢朗詠集を作るほどの人と思って読むと 今まで解説されてきたこの場面のニュアンスが違う気がします

 

4月6日

一斉に潮が引くように身近な比企ゆかりの人たちが口をつぐんだ 念願が叶ってよかったわねと私が言っても答えをはぐらかされた 比企の人たちは気がつかないのかなあ 鎌倉殿の13人で念願の大河実現が と訝しかったのですが 一昨日比企のお世話になっている方からご連絡を頂いて既にNHKからご挨拶あったと

 

彼女たちは知っていたのだ と今朝気づく 私はばかだから裏切りって気がつかない 私が比企氏ゆかりの仙覚さんの小説を書いているから憚ったのでしょう あんなに腹を割って語り合ってきたのに と思う コロナで中止になっているから当分会わないけど 再開した時 やはり私は笑顔で応対してしまうのかなあ

 

できたらもう会いたくないですね ちなみに私は鎌倉殿の13人のお陰で苦手な時代小説を書かなくて済むようになり テーマを国文学に絞れて 目下進行中です この楽しみ わからない方たちにはわからない これ 仙覚さんの小説の根幹です

 

件の件 事情は簡単なんです 私が新参の部外者だから 鎌倉でもそうでした 鎌倉の源氏物語の普及活動をしていた時 協力して下さった方々が いざ普及が進んだらご自分たちのものとして外されました それで万葉集に移って専念して今があるのですが やはり同じでした でもそのお陰で私は孤高でいられます

 

私は甘いから 繋がっている限り心を砕いて接してしまう こういうかたちで絶縁させられなければいつまでもずるずる これは恩賜と受け止めて頑張ります コロナの緊張感の下で私には貴重なけじめとなりました

 

源氏物語 若紫巻を読んでいました といっても原文でなく中野幸一先生『正訳源氏物語』ですが 和漢朗詠集料紙の第三期 豪奢の極め方が絵巻に似ている製作時期が白河院のころなので 思いついて 幼い璋子さんを若紫ふうに引き取った院が璋子さんに和漢朗詠集を手習いの教本に与えた という設定にしました

 

そうしたら若紫の可愛いこと! 少納言の所で寝るの いきなり光源氏にさらわれて二条院に連れてこられた若紫が 怖がって見知った女房と一緒に寝たいと言ったセリフです あまりに可愛くて思わずくすっと声にだして笑ってしまいました

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2020.4.4 ツイッターから転載…日々雑感、特集和漢朗詠集『墨』を見ています。料紙の変遷の勉強に

4月2日

おはようございます 国宝源氏物語絵巻図録 芸大現状模写図録 よみがえる復元模写図録 三田村先生のご著書二冊 ひとまず撤収 璋子さんの人物造形ができてきました 今日はこれから円勝寺など六勝寺について年代を照合 璋子さんの円勝寺は滋子さんの最勝光院につながるでしょうか

 

最勝光院の「勝」は 円勝寺の勝 六勝寺の勝 を意識していますよね 後白河院は璋子さんに連れられて円勝寺をよく訪れていたでしょうから

 

メモ: 璋子さんの年齢 崇徳天皇誕生(長秋記絵巻記事)19歳 崇徳天皇即位23歳 円勝寺落慶28歳(後白河天皇誕生の翌年・白河院崩御の前年) 法金剛院30歳(白河院崩御の翌年)

 

いつからか我が家に自生した菫です 井の頭公園に群落している菫は薄紫だから 請いこの菫はどこから?

 

これからモッコウバラの季節

 

木蓮と月

 

4月3日

おはようございます キーワードは舟遊び 宇治平等院 奈良円成寺 法金剛院 最勝光院 つまるところ源氏物語つながりです この輪のなかに待賢門院璋子さんがいて後白河院がいて建春門院滋子さんがいる 法金剛院の池で舟遊びしている璋子さんと院と上西門院統子さんに交じって滋子さんがいます

 

そんなシーンを想像しながら 結構滋子さんて舟遊びが好きなのかも など思ったり 早くそこまで書き進めたいのですけど・・・ 世のなかがこんなだからいっそう心のなかは華やかで雅に 原稿ってそんなふうにして変わるのかも(コロナ騒動のなかったときはしかつめらしく仙覚さんを書いていました)

 

原稿に戻りました ようやく決まったタイトル【華鏡 ー仙覚律師の生涯ー】で心機一転始めます 玄覚さんの独白バージョンなのだけれど 今は大きくそれて璋子さん これも書ききらなければ私としては嘘になります 籠って書くといいながらできずにいたのをコロナで危機感とともに閉じ込められてやっと本物に

 

世間体的に内心早く書かなければと焦っていたから コロナがなかったらこの原稿 ここまで深まらなかった 危機が去って世に平和が戻った時には仕上げていたいです

 

六勝寺は創建順に 法勝寺(白河天皇) 尊勝寺(堀河天皇) 最勝寺(鳥羽天皇) 円勝寺(待賢門院璋子) 成勝寺(崇徳天皇) 延勝寺(近衛天皇)←歴代天皇に混じってただ一人璋子さんが天皇ではないし女性なのに 強力な白河院のバックアップの下で 璋子さん28歳

 

ここで寺院建立の経験をして きっと味をしめたといったら言い方悪いですが 璋子さんの性に合っていたのでしょう 二年後に今度は一人で法金剛院を建立 二つも立派な寺院を持つ女院なのでした 鳥羽天皇の中宮でありながら白河院と密通を続け た女性としてばかり語られるけど 璋子さんの文化度は高い気が

 

先日三鷹に行った時に いつも寄る書道店のワゴンにあって買ってきた二冊 強風の日だったから土埃を被ってそのままにしてたのを 今出したら今朝のツイートの写真と同じ龍頭鷁首の表紙 やはり舟遊びは源氏物語の世界なんですね

 

じつはワゴンでもう一冊買っていました 和漢朗詠集 料紙から判断して国宝絵巻がこの朗詠集と久能寺経との間の時代の製作というので目にとめて 先の源氏物語の二冊は一緒にあったので買ったものです 雑念払拭に本命を持ってきてこれから見ます! やはり料紙の世界は無になれます

 

特集和漢朗詠集『墨』 開いていきなりわぁ~っと胸が広々と晴れたのですが さらに公任が の解説 若紫の人ですよね 源氏物語が書かれていたまさにその時の 絵巻がそれを踏襲してるかもなんて

 

特集和漢朗詠集『墨』 開いていきなりわぁ~っと胸が広々と晴れたのですが さらに公任が の解説 若紫の人ですよね 源氏物語が書かれていたまさにその時の 絵巻がそれを踏襲してるかもなんて

 

冊子『墨』の源氏物語特集で島谷弘幸氏が絵巻詞書の第Ⅳ類(竹河・橋姫)を藤原教長の筆跡と それだと製作が白河院より後の時代 えっ!と思って徳川美術館の図録を見たら 疑問をさしはさむ余地があると 筆跡判断は難しいですね

 

和漢朗詠集は藤原公任が娘婿の教通に引出物として作成されたのだそう朗詠の教本としての需要がかなりあって それで写本がたくさん作られた 私はそんなことも知らずに展覧会で見ていて それが唯一の貴重な現存写本かと思っていたり笑 あれは何本だったのでしょう 料紙に見とれて見ていました

 

雲紙本和漢朗詠集 端を藍色に染めているのだとばかり思っていたら 漉き込んだのだと

 

唐紙というのは文様を彫った版木に雲母などの絵具をつけて刷った紙のことで 和漢朗詠集にはこの料紙が多いですね 国宝源氏物語絵巻の頃はもう古いとされて流行らなくなっていたそうで 蓬生巻にしか見られませんでした

 

国宝源氏物語絵巻図録より蓬生巻第四紙 波模様が刷りだされた唐紙で もう古い技法のをあえて使ったのは 古い時代を引きずる姫君の末摘花を象徴するかのようと 料紙にまでそんな深い意味があるなんてと驚きました

 

これなんか国宝源氏物語絵巻に近い ざっと見て和漢朗詠集の料紙は唐紙やシンプルに砂子を散らしただけのものなど複雑でない 国宝源氏物語絵巻の料紙の複雑さったら とその対比がくっきり感じられました

 

最近思うのですが 私は源氏物語とか万葉集とかに取り組みながら なぜそれをしているかというと それが写本のかたちで残っているから 写本は人が作ったものだし だから人が手に触れて運んで移動したという時空の歴史が感じられる その写本が料紙によって成り立っていて その料紙が美麗だったらもう最高

 

 

4月4日

堪能しています 『墨』和漢朗詠集特集よりカメラ紀行 これは紀友則「雪降れば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし」のページで書は中尾一艸氏 和漢朗詠集って難しそうと思って避けていたのですが いい入門編に巡りあいました 料紙についての解説 まさにピンポイントに役立ちました

 

未明から特集和漢朗詠集を見てメモしたり確認したり充実しているのですが(この興奮久しぶり) 間に週末の家族の朝食をはさんで また特集に戻って 次こそメイン と思う秦恒平先生の和漢朗詠集と女文化 なのですが 疲労困憊してきたので一旦寝ます

 

朗詠だから男文化で難しいと思って避けていたのに まさかの「女文化」! 副題は「女文化の開華からその完成へ」 国宝源氏物語絵巻の詞書ご論考で和漢朗詠集に気がいって そうしたらまさかのピンポイント! 驚いています

 

和漢朗詠集の料紙には三遷あって 初期はほぼ無地っぽい 二次になって目を引く雲母刷りの唐紙 三次になるとこの写真のような複雑で華麗な装飾料紙に この先に国宝源氏物語絵巻の詞書料紙が生まれたんですね いったいこの絵巻の華麗な料紙は誰の発案かと謎でした

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2020.4.2 ツイッターから転載…日々雑感、引き続き国宝源氏物語絵巻を見ています&黒田俊雄先生『王法と仏法』のこと

3月31日

おはようございます よみがえる源氏物語絵巻図録を見ながら三田村雅子先生『草木のなびき、心の揺らぎ』を拝読していて 絵師の方の緻密な構図と繊細な心の表現に驚きつつ 私はそれを文章でしようとしているのだと気がつきました 私は本業が写真家だったから 構図は一瞬にして切り取る眼になっています

 

だから絵を細かく見るのが苦手で一瞬にして見てしまう だから草木のに書かれていることを図録で確認していて 絵師の方が白い紙に一から緻密に描いていく作業に驚嘆し 私にはできないと呆然としたのですが 白い紙に一から書くなら文章も同じだと気がつきました 白河院と璋子さんの源氏物語 当初は数行で

 

終わらせるつもりだったのに 国宝源氏物語絵巻を読み込んでいたら やはり白い紙に一から繊細に書いていきたくなっています 写真は図録の柏木(一)の一部分 出家を望む女三宮の後に御帳台があり 人物に眼をとられていると気がつきません でもそここそが女三宮と柏木の密通が行われた場所なのでした

 

御張台といえば昨年東博で拝観させていただいたのでした 光源氏に降嫁しても女三宮は皇女だから御張台? など疑問は起きますが それはともかく絵巻にはその御張台の張部分が描かれていて それが揺らいで描かれている それが罪の意識におののく女三宮の心の揺らぎを表現しているそうです

 

几帳や張の不安定な描かれ方に心の揺らぎを読み取られる三田村先生も凄いと思いますが 絵師の方がこの場面の深刻さや人物たちの複雑な境地を不安定な構図や布の揺らぎで表現しようとしたことが凄い と思い さらにこれは絵師の力というより 絵師にそう描かせたクライアントの意志が凄いのではと

 

4月1日

おはようございます 雨が降っています 雨がこの世を鎮めてくれますように 暗澹たるTV&TLに胸が重いです それで思い出して明るい桜のブログを見たらやはり綺麗 運慶作大日如来像のあった足利の樺埼寺跡の桜もあります よかったら

http://ginrei.air-nifty.com/kujaku/cat21954280/index.html

 

RTの黒田俊雄先生『王法と仏法』 そして解説の平雅行先生のご論 わかる気がします というのは 今書いている仙覚さんの小説がそういう論理の世界だから ずっと鎌倉にこだわって 鎌倉武士の世界観のなかで仙覚さんを書いていて 違和感ばかり感じていました 私の華鏡は鎌倉武士を離れた世界です

 

比企氏という鎌倉武士の一族の出の仙覚さんだから 鎌倉武士の世界観で運命が定められたものと思っていたのですが 仙覚さんが仕えたのは将軍頼経で背後に九条家がある 鎌倉の中にあって仙覚さんがいた世界は九条家の論理の世界だったんです 頼経は独自に旧仏教の寺院を持っていて 鎌倉とは別行動でした

 

そうっか そういうことだったのかと突然霧が晴れた感じ こういったら語弊があるけど鎌倉ってそんなにたいしたものではないんじゃないの ってそう感じていました それが解説の平雅行先生「近代歴史学をも長らく拘束してきた武士中心史観を精緻なまでに論理化し体系化した石母田正氏の巨大な学説」による

 

ものだったんですね 頼経は鎌倉にあって京の父九条道家と必死に鎌倉幕府と対抗しますが敗れて京に送還され 道家もその後幕府に敗れて憤死みたいな最期を迎える 私はそのあたりを書こうと思ってはいたのですが なんか 弔い合戦みたいになりそう笑 論理が明確になってよかったです

 

三田村雅子先生『草木のなびき、心の揺らぎ』より: 製作の当初から、柏木グループには、注文者であるアマチュアの積極的な関与がありました。柏木グループの絵には、原文から距離のある、意表をついた場面が少なくなく、雇われた画家がみずから恣意的に選んだとは考えにくい特殊な画面選択があり←これ

 

を読みたかったのです! このご本に。(『源氏物語絵巻の謎を読み解く』にすでに暗示されていましたが、こちらはそれの絵巻に則しての実証編)

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2020.4.1 ツイッターから転載…日々雑感、仙覚さんの小説、タイトルがたぶんこれで決まり! 『華鏡―仙覚律師の生涯―』

3月27日

おはようございます 今年の白い菫は花つきがいい たくさん咲いて今朝は華やか 昨日思ったのですが吉祥寺のスーパーは地下が多い 欧州の1m空けて列をなどできない 毎日散歩がてら地元のスーパーに行ってたから 吉祥寺のスーパーの密閉空間さを痛感しました 今日は曇天だから白い菫が綺麗に写りました

 

玉川上水沿いですが こんなに華やかな植込みがあるって はじめて見ました いつも通る道 でも花が咲いていないとみんな同じ木に見えていました

 

凄い風 まるで砂嵐 ここは井の頭公園西園なのですが 桜を この木なんの木みたいに撮れるので毎年来ます 今年は来る気持ちにならなかったのに 三鷹に出たので寄りました これも明日から外出自粛がかかっているからで なんとなく世の見納め的気分 コロナが終息しても 世界は前の通りにはと思うと

 

井の頭公園西園の砂嵐のような写真で真ん中に立っていた桜 オオシマザクラです メモ的に呟いておきたかったことがあってあの砂嵐の中で ベンチにかけてツイートしたのですが 世情があまりに大変だから呟きそびれてました それは後白河院と二条天皇は親子なのに 院が源氏物語なのに二条天皇が万葉集と

 

くっきり対照的なのが面白いというか不思議 どちらかが何もしないなら片方の方の趣味でいいけど 仲が悪い親子が対照的に源氏物語と万葉集だなんて 院は璋子さんに育てられたから源氏物語を身近に育った 二条天皇は璋子さんを敵視する美福門院得子さんに養育されたから そこに何かあるかなあと

 

もちろん 二条天皇は賢く学問好きであったから 自ずと万葉集に傾倒されたという資質ではあったにしても

 

(得子さんの父の長実さんは、六条藤家の出身だから得子さんも顕昭の影響で万葉集の素養があったかも と教えて頂いて)わぉ! 呟いてみるものですね。凄いつながり。二条天皇は得子さんのお父様とは昵懇だったはずだから、それで万葉集になったんですね。ありがとうございます!(得子さんは全く視野の外でした) 三人の場面、使わせて頂きますね。

 

何気なく呟いたことが二条天皇の万葉集の寄って来るところにたどり着かせて頂いて興奮覚めやらなくなっています 今の白河院と璋子さんを書き終えたら後白河院と二条天皇に入っていくのですが これを待っていてのここのところの停滞だったんですね みかん様! ほんとうにありがとうございました

 

仙覚さんは将軍頼経に命じられて万葉集をしますが その時は親行がしたのを継いだもので 仙覚さんには不満が残った それでその後自分が主体になって万葉集を作った時に二条天皇の万葉集の形態を取り入れました それで私には二条天皇の万葉集が重要なんです

 

二条天皇と万葉集の段が動き出しました! ここに丹後内侍が女房として出仕していたなんて!

 

3月28日

こんにちは 外出自粛で今年は観られない井の頭公園の桜をお届けします 2006年ころから撮っていた過去写真です 井の頭公園の桜は2011年が最高でした その後枝が剪定されたり染井吉野の寿命が近づいたりで雅やかな華やぎがだんだんなくなっていっています これは最盛期のショットです

 

たまたま近くに越してきて撮りに出るようになって 毎年華やいでいくのを見るのが愉しみでした 2011年は東北の震災の年です まさかその年が最盛期とも思わず 東北の方々の思いを胸に悲痛な思いで見ていたことは今でも記憶に鮮やかです 次は井の頭公園らしい水辺の桜

 

2006年に撮りに行きはじめたころ ボート乗り場の傍に一本の枝垂桜がありました それが大好きで毎年観られるものと思っていたのに伐られてもう観ることはできません この一本が喪失しただけで私の公園でのお花見意欲が失せました どうして伐られたのでしょう 最後の一枚は山桜です

 

三田村雅子先生『草木のなびき、心の揺らぎ 源氏物語絵巻を読み直す』を『よみがえる源氏物語絵巻』図録と共に拝読しています 剥落が凄くて現状では読み取れない場面も復元模写で明らかに このご本が書かれたのは復元模写がきっかけだったんですね HNKのドキュメントなど必死に見てたのに知らなかった

 

ほんとうに 絵巻は美術の分野と思っていたから 佐野みどり先生のご講演に行ったりしてたのに 国文学の分野でのこういうご研究には目が届かなかった でも 今読むから楽しいのだけれど

 

3月29日

木蓮と雪 ほんとうに雪になりました どうか雪が世界を清浄に洗い鎮めてくれますように

 

紅い木蓮と雪は綺麗ですね

 

図録『よみがえる源氏物語絵巻』の裏表紙に絵葉書を乗せて撮りました 現状では剥落が激しく空蝉の乗った牛車と光源氏が乗った牛車のすれ違うところがよくわからない それがこんなに明瞭に 左の牛車が空蝉の 絵葉書の右端に少し見えているのが光源氏の すれ違う時人を憚って二人は何も交わさなかったと

 

この時の二人の心の切なさ これが源氏物語なんですよね 私が今書いている仙覚さんは政権によって一族を滅ぼされ 自分は赤子だったから素性を隠して生き延びて 終生素性がばれたら殺されるという恐怖のもとで生きた人 万葉集への没頭はその恐怖を忘れることのできる唯一の時間でした コロナでまさか私も

 

それを追体験しようとは と愕然としながら源氏物語を紐どいています 鎌倉に源氏物語をもたらした光行さんは平家に仕えていた人で 源平の争乱で人生を狂わされて鎌倉に下向しました その光行さんを書いていた時は東北の震災で原発の恐怖に怯えながら その時もやはり光行さんの苦しみを共有していました

 

国宝源氏物語絵巻の図録から宿木(一) 三田村雅子先生のご本でここの解説が面白かったのですが この場面を描いた絵師は清涼殿を熟知した人で もしかしたら実際の清涼殿の襖絵とかを担当した人かもと それくらい碁を打つ帝の背後の副障子の絵が見事で細部まで事実に忠実なミニチュア描写と

 

背後の副障子 現状では絵がよくわかりませんが 復元模写ではこう 白い色は現状だとに濃い鈍色みたくなるんですね 帝の白い袿印象が全然違う 現状に馴染んでいると拒否感ありますが事実はしかと受け止めます笑 帝の白い袿は緋色の下着に重ねているそう くつろいだ下着姿で臣下に対してこそ天皇の権威と

 

美術の分野での解説では白い袿と帝の天皇の権威との関係とか こういうことは読めない 三田村先生のこのご本 帝と対する臣下の薫との心の綾に食い込んで迫力満点です(ここは薫が帝の二宮の降嫁をほのめかされる場面 もちろん薫は拒めません)

 

『草木のなびき、心の揺らぎ』は第三章になってやっと柏木グループ 今までも面白かったのですが 柏木グループ制作の背景を知りたくて拝読しているのに 他のグループばかりで もう柏木グループは『謎を読み解く』にあったから飛ばされたのかと諦めていました やっとググッとのめり込んで拝読できます

 

3月30日

おはようございます 去年みつけた井の頭公園はずれの菫の群落 玉川上水の近くです 自粛要請が出る前日 見納めになるなんてことのないようにと祈る思いで行きました 仙覚さんの小説 タイトルを『華鏡ー仙覚律師の生涯ー』としました たぶんこれで決まり あとはコロナの終熄を祈りつつ籠って書きます

 

今日の夜桜@井の頭公園

 

ちょうど二か月になるのでした 書くことが動きはじめてタイトルが決まるまで 振り返ってみたら ちょうど二か月 書き出してすっかり見えている世界が変わりました 書くって強い でも ここにくるまでが大変でした 以下自分的メモ:1月31日小説の森散策に没頭していたら鎌倉とか万葉集とか仙覚

 

さんとか歴史として関わってきたことのもろもろの力が抜けて透明状態になってきています 2月1日小説の森散策を昨夜終え今日からシルヴィの再読 2月2日シルヴィを読んでこういう時制の書き方があったんだ〜と目から鱗 2月4日小説の森散策にあったシルヴィの時制表に仙覚さんの小説の時制を上書

 

してみました 2月5日仙覚さんの小説書き出しています 2月21日わかった。鏡の世界! 2月27日鏡のスタイルだと理解してできたタイトル「華鏡」3月15日つくづく鎌倉の源氏物語と万葉集は車の両輪。華鏡は合鏡でもあるのですね 3月30日『華鏡―仙覚律師の生涯―』たぶんこれで決まり

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