2020.5.30 ツイッターから転載…日々雑感、待賢門院璋子の項、書き終わりました&フェンネル革命のことや虹など
5月27日
おはようございます 昨日から待賢門院璋子さんと建春門院滋子さんの崩御のことを考えて頭から離れないのですが 亡くなられた時の状況が似ている そう思ったら そうだお二人ともそれぞれの院から円勝寺と最勝光院という凄い立派な寺院を頂いている女院だしと気づき さらにそれぞれの院からの愛され方も
間に後白河院がいることが素敵で 待賢門院璋子さんの子の後白河院が建春門院滋子さんを見初めたのはそこに母の面影を見る思いがあったのではないかと 面白いのは璋子さんが今様など芸能好きなのに対して滋子さんは距離を置いていたこと それを惜しむ院に 私は不器用なのでと言い訳する滋子さんを髣髴
執筆中の華鏡 最後に印字したのは11日 今日は27日だから二週間も離れていた 野菜の苗を植えたりしたのもあったけど 待賢門院璋子さんと美福門院得子さんの確執を書きたくなくてが強かった そういう世情の確執って ドラマ的には必要だけれど 私の文学には不要 と覚悟が決まるまでの二週間だった気がする
華鏡は小説として発表するけれど いわゆる文壇的解釈の小説ではない 「鏡」なんです 国文学的歴史を作った人たちの だから璋子さんの世情での苦悩より 円勝寺や法金剛院の御願寺の主の部分が重要 と そんな意気込みでまた始めます 写真は小学館『日本歴史館』から円勝寺 六勝寺の中でも一際大きいです
5月28日
おはようございます 朝のフェンネルです 隣に紅葉の赤ちゃんの鉢があります 璋子さんにかかっていたら夜が明けてしまいました そろそろ限界 これから寝たら困るのに笑 二週間原稿から離れていたから戻るのが大変でした でもやっと没入感が得られ 今日は崇徳天皇を迎えての龍頭鷁首の舟を書けるかも
武蔵野赤十字病院で 配布のマスクは小さいから入院中の子供の患者さんにちょうどよく ご家庭で不要の方はご寄付くださいと 吉祥寺に数か所箱を設置されてます たしか今月いっぱいだったと思う さっきその一か所のアトレにある郵便局の箱に入れてきました 結構皆様入れに来てられました
(フェンネル革命って素敵ですねとのコメントを頂いて)フェンネルって語の響きが素敵ですよね。長く我家の食卓に並ばなかったのですが、緑化センターに行ったらあって買ってきて、そこからここ十数年鎌倉という日本国内の歴史に関わって忘れていたかつての自由だった生活が蘇ったんです。ちょっとしたマドレーヌ体験でした。
ずっと以前 銀座のフランス料理店でシェフの方じきじきに厨房で教えて下さる料理教室に通ったことがあって 池田シェフさんだったけど親切で お店に出す料理のための試作を惜しげもなく教えて頂いたのを たった今フランスでフランス料理のシェフをされている方にフォローして頂いて思い出しました
そういえば木村拓哉さんのグランメゾン東京 珍しく毎週楽しみに観てたけど 好きな世界だから観ているのだとばかり思ってましたが ちっとも銀座のレストランでの料理教室を思い出さなかった あの頃はまだ頭が詰まっていたんですね 人の思考ってこんなふうに詰まるものなんだ という驚き
いろいろ忘れていることってあるんですね どんなに鎌倉の源氏物語に没頭してなにも見えなくなっていたか フェンネル革命と名付けていただいたけど あの日から 鎌倉の源氏物語にかかわった以前と以後とが自然につながって 自然に思い出されてきます
虹が出ていました@三鷹市 玉川上水べり近くの通りすがりにみつけ 立ち止まってしばし見とれていました
少し副虹になりました
一番はっきりした部分をアップ
自粛解除後の吉祥寺 私も気を緩めているとは思えないけど自粛要請中よりは気軽 いつもニュースで映るアーケードの駅前商店街は自粛要請中より明らかに何倍も人が多くざわついていてああ解除されたんだなあと そこに国分寺市の病院でクラスター発生の速報 ぞっとしました 改めて気を引き締めないと
5月29日
おはようございます 璋子さんと鳥羽院の仲を知りたくて見ているのですが どうも世に普及する美福門院得子さんとの確執は近衛天皇の即位に付随して国母の立場が得子さんに移るあたりに白熱 法金剛院あたりでは結構お二人同伴が見受けられます 鳥羽院は璋子さんを生涯尊重してたのでは? という感触です
というのはお二人の愛娘禧子内親王の賀茂斎院御所にはお二人で行かれているし 後白河院の弟覚性法親王の仁和寺入寺でも 第一璋子さんの崩御のときの鳥羽院の嘆きようは真実ですよね 近衛即位呪詛事件は法金剛院あたりから数年も後です 確執とか呪詛とかはドラマ的に面白いけど鳥羽院は蚊帳の外なのかも
調べていると発見というか繋がりが見えてきて面白い 覚性法親王は後白河院皇子で美福門院得子さんに育てられた二条天皇の仁和寺入寺のときの人で さらに平経正の琵琶を愛した人だったんですね
私は歴史も国文学も専門の研究者でないから もしかしたら正しい学説がどこかにあるのかも知れないけど 璋子さんについて一般書で読んだかぎりの知識では違和感あって書いていて気持ちに齟齬 それで進まなくて詳細を年譜でたどったら 通説と私の違和感の間に横たわる溝の原因が 通説の始めに結果ありき
だということが判明 得子さんとの呪詛事件についても私なりに解決していたからもういいだろうと思っていたのですが もう一人 忠実娘の高陽院泰子さんの入内に関しても やっと今私なりの解釈ができました 私の文章は心の繋がりで書いていくから 気持ちに齟齬があったら進まないんです
今日はビーツ 牛肉と炒めて赤ワインで煮ます
ビーツと牛肉の赤ワイン煮 美味しかった セロリがあったのでセロリも刻んで一緒に炒めました 自粛のテイクアウトで吉祥寺に出るたびにカフェロシアさんで買って帰るから ロシア料理ふうの味がアレンジできるようになった気が 前はビーツといえばボルシチ しか思い浮かばなかったのに笑
世の中には哲学的思索のできる人と 権力思考で生きる人がいて 璋子さんと得子さんは決して二項対立的構図でなく そういう資質の違いと思う 哲学的思索のできる人は相手を受け入れることができるし退くこともできる 権力思考の人は生涯相手を追い詰める 璋子さんは哲学的思索のできる人だと思います
私の考え方の基本に この人がこんなことをするかなあの違和感があります 璋子さんの呪詛事件疑惑からその違和感の解明に取り組んだのでした 一般論での二項対立構図は結果から見ての解釈にすぎないと思う 他の要素 即ち禧子内親王や高陽院泰子さんを入れると違う見方ができる 歴史を女院同士の憎悪関係
という単純な構図にしてしまってはいけないと思いました で 璋子さんの内面に入り込めたのでやっと原稿が進みます 従来の二項対立構図で書いていたとき ほんとうに筆が苦しくて進まなかった
後白河院の弟で璋子さんの末子の覚性法親王 二条天皇が仁和寺に入寺したときに引き受けられた方ですが 璋子さんの子と知ったときに 先程ツイートの二項対立構図ではないの確信が生まれました 二条天皇は後白河院皇子ですが得子さんに育てられた為に父である後白河院を憎悪しています 私はその憎悪が
どこに由来するのか気になっていて 仁和寺で僧侶たちに吹き込まれた可能性も考えていました でも璋子さんの子の親王がそんなことをするはずがない とすると吹き込んだのは養母である得子さんとなります 源氏物語では紫の上が明石君の子を育てますが 決して生母の明石君を憎むようには育てなかった この
育て方の根本に養母たる人の人柄が窺われる と感じたのでした
璋子さんの項 書き終わりました 崇徳天皇を迎えての法金剛院の塔の落慶供養に龍頭鷁首の舟を浮かべてがハイライト そして璋子さんの感慨 わたしは源氏物語によって救われた 源氏物語こそ白河院が与えてくれた最大の贈物だった…… やっとこれで建春門院滋子さんに移れます
深夜の徹夜作業用に買った小さなPC 慣れて フォントも大きくしたらいいと気づいて ついでに太字にしたら見やすく 深夜作業がはかどります