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2020.5.30 ツイッターから転載…日々雑感、待賢門院璋子の項、書き終わりました&フェンネル革命のことや虹など

5月27日

おはようございます 昨日から待賢門院璋子さんと建春門院滋子さんの崩御のことを考えて頭から離れないのですが 亡くなられた時の状況が似ている そう思ったら そうだお二人ともそれぞれの院から円勝寺と最勝光院という凄い立派な寺院を頂いている女院だしと気づき さらにそれぞれの院からの愛され方も

 

間に後白河院がいることが素敵で 待賢門院璋子さんの子の後白河院が建春門院滋子さんを見初めたのはそこに母の面影を見る思いがあったのではないかと 面白いのは璋子さんが今様など芸能好きなのに対して滋子さんは距離を置いていたこと それを惜しむ院に 私は不器用なのでと言い訳する滋子さんを髣髴

 

執筆中の華鏡 最後に印字したのは11日 今日は27日だから二週間も離れていた 野菜の苗を植えたりしたのもあったけど 待賢門院璋子さんと美福門院得子さんの確執を書きたくなくてが強かった そういう世情の確執って ドラマ的には必要だけれど 私の文学には不要 と覚悟が決まるまでの二週間だった気がする

 

華鏡は小説として発表するけれど いわゆる文壇的解釈の小説ではない 「鏡」なんです 国文学的歴史を作った人たちの だから璋子さんの世情での苦悩より 円勝寺や法金剛院の御願寺の主の部分が重要 と そんな意気込みでまた始めます 写真は小学館『日本歴史館』から円勝寺 六勝寺の中でも一際大きいです

 

5月28日

おはようございます 朝のフェンネルです 隣に紅葉の赤ちゃんの鉢があります 璋子さんにかかっていたら夜が明けてしまいました そろそろ限界 これから寝たら困るのに笑 二週間原稿から離れていたから戻るのが大変でした でもやっと没入感が得られ 今日は崇徳天皇を迎えての龍頭鷁首の舟を書けるかも

 

武蔵野赤十字病院で 配布のマスクは小さいから入院中の子供の患者さんにちょうどよく ご家庭で不要の方はご寄付くださいと 吉祥寺に数か所箱を設置されてます たしか今月いっぱいだったと思う さっきその一か所のアトレにある郵便局の箱に入れてきました 結構皆様入れに来てられました

 

(フェンネル革命って素敵ですねとのコメントを頂いて)フェンネルって語の響きが素敵ですよね。長く我家の食卓に並ばなかったのですが、緑化センターに行ったらあって買ってきて、そこからここ十数年鎌倉という日本国内の歴史に関わって忘れていたかつての自由だった生活が蘇ったんです。ちょっとしたマドレーヌ体験でした。

 

ずっと以前 銀座のフランス料理店でシェフの方じきじきに厨房で教えて下さる料理教室に通ったことがあって 池田シェフさんだったけど親切で お店に出す料理のための試作を惜しげもなく教えて頂いたのを たった今フランスでフランス料理のシェフをされている方にフォローして頂いて思い出しました

 

そういえば木村拓哉さんのグランメゾン東京 珍しく毎週楽しみに観てたけど 好きな世界だから観ているのだとばかり思ってましたが ちっとも銀座のレストランでの料理教室を思い出さなかった あの頃はまだ頭が詰まっていたんですね 人の思考ってこんなふうに詰まるものなんだ という驚き

 

いろいろ忘れていることってあるんですね どんなに鎌倉の源氏物語に没頭してなにも見えなくなっていたか フェンネル革命と名付けていただいたけど あの日から 鎌倉の源氏物語にかかわった以前と以後とが自然につながって 自然に思い出されてきます

 

虹が出ていました@三鷹市 玉川上水べり近くの通りすがりにみつけ 立ち止まってしばし見とれていました

 

少し副虹になりました

 

一番はっきりした部分をアップ

 

自粛解除後の吉祥寺 私も気を緩めているとは思えないけど自粛要請中よりは気軽 いつもニュースで映るアーケードの駅前商店街は自粛要請中より明らかに何倍も人が多くざわついていてああ解除されたんだなあと そこに国分寺市の病院でクラスター発生の速報 ぞっとしました 改めて気を引き締めないと

 

5月29日

おはようございます 璋子さんと鳥羽院の仲を知りたくて見ているのですが どうも世に普及する美福門院得子さんとの確執は近衛天皇の即位に付随して国母の立場が得子さんに移るあたりに白熱 法金剛院あたりでは結構お二人同伴が見受けられます 鳥羽院は璋子さんを生涯尊重してたのでは? という感触です

 

というのはお二人の愛娘禧子内親王の賀茂斎院御所にはお二人で行かれているし 後白河院の弟覚性法親王の仁和寺入寺でも 第一璋子さんの崩御のときの鳥羽院の嘆きようは真実ですよね 近衛即位呪詛事件は法金剛院あたりから数年も後です 確執とか呪詛とかはドラマ的に面白いけど鳥羽院は蚊帳の外なのかも

 

調べていると発見というか繋がりが見えてきて面白い 覚性法親王は後白河院皇子で美福門院得子さんに育てられた二条天皇の仁和寺入寺のときの人で さらに平経正の琵琶を愛した人だったんですね

 

私は歴史も国文学も専門の研究者でないから もしかしたら正しい学説がどこかにあるのかも知れないけど 璋子さんについて一般書で読んだかぎりの知識では違和感あって書いていて気持ちに齟齬 それで進まなくて詳細を年譜でたどったら 通説と私の違和感の間に横たわる溝の原因が 通説の始めに結果ありき

 

だということが判明 得子さんとの呪詛事件についても私なりに解決していたからもういいだろうと思っていたのですが もう一人 忠実娘の高陽院泰子さんの入内に関しても やっと今私なりの解釈ができました 私の文章は心の繋がりで書いていくから 気持ちに齟齬があったら進まないんです

 

今日はビーツ 牛肉と炒めて赤ワインで煮ます

 

ビーツと牛肉の赤ワイン煮 美味しかった セロリがあったのでセロリも刻んで一緒に炒めました 自粛のテイクアウトで吉祥寺に出るたびにカフェロシアさんで買って帰るから ロシア料理ふうの味がアレンジできるようになった気が 前はビーツといえばボルシチ しか思い浮かばなかったのに笑

 

世の中には哲学的思索のできる人と 権力思考で生きる人がいて 璋子さんと得子さんは決して二項対立的構図でなく そういう資質の違いと思う 哲学的思索のできる人は相手を受け入れることができるし退くこともできる 権力思考の人は生涯相手を追い詰める 璋子さんは哲学的思索のできる人だと思います

 

私の考え方の基本に この人がこんなことをするかなあの違和感があります 璋子さんの呪詛事件疑惑からその違和感の解明に取り組んだのでした 一般論での二項対立構図は結果から見ての解釈にすぎないと思う 他の要素 即ち禧子内親王や高陽院泰子さんを入れると違う見方ができる 歴史を女院同士の憎悪関係

 

という単純な構図にしてしまってはいけないと思いました で 璋子さんの内面に入り込めたのでやっと原稿が進みます 従来の二項対立構図で書いていたとき ほんとうに筆が苦しくて進まなかった

 

後白河院の弟で璋子さんの末子の覚性法親王 二条天皇が仁和寺に入寺したときに引き受けられた方ですが 璋子さんの子と知ったときに 先程ツイートの二項対立構図ではないの確信が生まれました 二条天皇は後白河院皇子ですが得子さんに育てられた為に父である後白河院を憎悪しています 私はその憎悪が

 

どこに由来するのか気になっていて 仁和寺で僧侶たちに吹き込まれた可能性も考えていました でも璋子さんの子の親王がそんなことをするはずがない とすると吹き込んだのは養母である得子さんとなります 源氏物語では紫の上が明石君の子を育てますが 決して生母の明石君を憎むようには育てなかった この

 

育て方の根本に養母たる人の人柄が窺われる と感じたのでした

 

璋子さんの項 書き終わりました 崇徳天皇を迎えての法金剛院の塔の落慶供養に龍頭鷁首の舟を浮かべてがハイライト そして璋子さんの感慨 わたしは源氏物語によって救われた 源氏物語こそ白河院が与えてくれた最大の贈物だった…… やっとこれで建春門院滋子さんに移れます

 

深夜の徹夜作業用に買った小さなPC 慣れて フォントも大きくしたらいいと気づいて ついでに太字にしたら見やすく 深夜作業がはかどります

 

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2020.5.27 ツイッターから転載…日々雑感、後白河院と今様のこと、待賢門院璋子のことなど&回帰&緊急事態宣言解除

5月23日

RTの堀江先生のインタヴュー 深くうなずきながら聴きました 一回だけお目にかかっています この方にも ああ あの時の と言って頂けるような作品を書いてお礼を申し上げたいとはひそかに

 

5月24日

やっぱり私はここに帰ってくる クロード・シモン『アカシア』平岡篤頼先生訳 いまは春だった。部屋の窓はほの温かい夜の闇に向かって開いていた。庭に生えている大きなアカシアの木の…… 仙覚さんの小説の玄覚の独白バージョンの冒頭は ラストをこのアカシアのように締めくくる為でした 忘れてたわけ

 

ではないけれど 日本国内の小さな鎌倉という枠に縛り付けられ自由な発想から遠く離れて書いていた感 昨日野菜を植える処理をしながら これがかつての私の生活だったんだと自分を取り戻した気がしたとき 回帰って いくら回帰したと思ってもさらにその先にまた回帰が待っているんだなあと驚きました でも

 

今度の回帰は今までより奥が深い 今までも何度か回帰をしたと思って今があるのだけれど 書いていてなんかまだ奥がある気がしていました やっと明るい広い世界に出たみたい のびのび書いていきたいです でも不思議 この実感が文学からでなく 生活から得たなんて 生きているからこその文学なんですね

 

アカシアはこんなに分厚い小説です しかもシモンの文体特有の句読点のない字面びっしりのページ この長い独白のような進行の果ての締めくくりのラスト数行 このインパクト これを私も華鏡で書けたらいいな! とはまだ遠い遠い夢のまた夢 頑張ります

 

桃山晴衣氏『梁塵秘抄うたの旅』より 「しづまりしむ」こそ日本のうたの最も重要な感覚で極意につながるものかもしれない。日本のうたとは、ほそく、清らかな声で歌われ、しづまりしむもの。

 

後白河院の今様にたいするこの見解 院の性格とか志向性がわかります こういう感覚で選ばれた建春門院滋子さんの声 さぞ細く清らかだったことでしょう

 

後白河院といえば梁塵秘抄だけれど 華鏡では院の今様狂いを書かないと決めているのですが 母璋子さんの法金剛院と時代がどう重なるのか見ていました 院が今様を始めたのは十代前半 だとすると法金剛院に崇徳天皇が行幸して龍頭鷁首の舟を浮かべた落慶供養が10歳だからこの時はまだでそれから2、3年後

 

院は璋子さんと同居していて 璋子さんが今様好きで神崎のかねという今様の名手に局を与えて聴いていたほど 院の今様好きは璋子さん由来なのでした で 院は神崎のかねを自分のもとに呼んで歌わせていたから 璋子さんがあんまりだわと愚痴って 一夜ずつ交代にと決めたそう 梁塵秘抄で有名な乙前の登場は

 

璋子さん亡き後に院が即位して後白河天皇になってからで31歳のとき 梁塵秘抄の成立は法住寺殿に住んでからだから 建春門院滋子さんがもういる時 乙前に局を与えているから 滋子さんも乙前と会ってますね でも滋子さんは今様とあまり関係なく過ごしている気がします 滋子さんは歌合を主催したりしてます

 

5月25日

緊急事態宣言解除前日(多分)の雑木林@井の頭公園 緑が濃くなりました

 

緊急事態宣言解除前日(多分)の吉祥寺 カトリック吉祥寺教会前の通りです

 

待賢門院璋子さんといえば呪詛事件 私はこれを書きたくないばかりに逃げて後白河院の今様なんて探っていたけど これを通過しない限り璋子さんの段が終わらない ということでついに意を決して呪詛事件を調べました 璋子さんが身近な人に命じて呪詛させる? そんなことを璋子さんってする人に見える?

 

調べて だいたいわかったから あとはもう書かなくてもこの段は終えられそう 怪我の功名で 梁塵秘抄のことから建春門院滋子さんの声が降りてきて 後白河院と会話をさせられそう 璋子さんの段落が終わりに近づいているってことですね

 

今のところ華鏡は女院史のよう 上東門院彰子さん 待賢門院璋子さん このあと上西門院統さんに そして建春門院滋子さん ここに建礼門院徳子さんが加わって 徳子さんは光行さんの理想の女人だから またここで源氏物語を取り上げます 徳子さん 源氏物語絵巻を持っていたんですよね 誰から頂いて?

 

5月26日

おはようございます RTの賀茂別雷神社所蔵法華経 賀茂別雷神社所蔵ということで関心をひかれて拝読 でももともと賀茂別雷神社で作られたものではないということでした が やはり装飾経っていいですね 見たいです 添付は平家納経 国宝源氏物語絵巻の系譜と思います 賀茂別雷神社所蔵のは?

 

華鏡が女院史の様相を呈しているけど これは源氏物語の受容を追っていったらそうなってしまったということで 源氏物語はもともとは宮中での受容だったんですね それがいつから庶民にまで降りてきたか 受容史はもう記憶の彼方的世界ですが註釈史から見ると公卿に降りて それからさらに降りて……と

 

今見たらフォロワーさんが990 マイページTOPの固定したツイート「昨年11月の鎌倉ペンクラブの講座のチラシ」のいいねが99 数字の偶然がちょっと楽しい 固定したツイートが100になったら記念に呟こうと思っていたのですが 案外そういうときって見逃すんですよね でも終わった講座なのに

 

講座のチラシは 講座開始前は16くらいでした それが終わってからなんとなく増えていって ほんとうは終わったら削除しようと思っていたのに60代になったりして 不思議だなあと思っているうちにとうとう100に届きそう ほんと 不思議です ← (鎌倉の源氏物語のインパクトが強烈で、それが吸引力になっているとのご見解を頂いて)ああ、そうなんですか。吸引力、なるほどです。鎌倉の源氏物語は私にとってもう過去のことみたいになっているから忘れていました。私も最初にこれを知ったときは驚き、それでなぜ? なぜ? なぜ? と謎を解いていったんですものね。ご教示頂きありがとうございました。

 

朝から思っていたのですが、鎌倉にこだわり万葉集にこだわって仙覚さんの小説を書くのだとばかりに意気込んでいた時、なにも書けずに時間だけが過ぎていました。全部取っ払って自由になったら源氏物語が復活して楽しくなりました。義侠心とか意気込みって文学には不要ですね笑

 

RTさせて頂いた日吉社礼拝講 昨夜ちょうど璋子さんの呪詛事件で日吉社を思い出していたところでした 写真は2004年に訪ねさせて頂いたときのもの 四枚目は呉竹ってこんなふうに植えられているんだ~と珍しかったので

 

マイページtopの固定されたツイート「鎌倉ペンクラブ秋の講座のチラシが届きました」 に100いいねを頂きました 記念にスクショ これからも鎌倉の源氏物語と万葉集に取り組んでいきます ありがとうございました 多謝です

 

夜のフェンネル プチトマトやバジル パセリ 大葉は庭でのプランター栽培にしたのですが フェンネルは見てすずやかで綺麗なので鉢植えにしてベランダに 一日に何回も見てしまいます フェンネル革命とかいってここから本当の自分らしい生活を取り戻したのでした 何日前だったかな と既に懐かしい

 

緊急事態宣言解除

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2020.5.23 ツイッターから転載…日々雑感、待賢門院璋子さんと崇徳天皇妃皇嘉門院聖子さんのこと&園芸のことなど

5月18日

深夜(15日に「私の『源氏物語と鎌倉』は出版社さんで電子書籍化されていて 現在コロナのステイホームに役立てて下さいと6月30日まで無料開放されています この機にご覧になって頂くのも」とツイートしたのを受けて Con Ten Doコンテン堂さまに『源氏物語と鎌倉』はこちらですと紹介して頂き、高遠先生にコメントを頂いたのを発見して)あ、っと、不意を食らった思い、感涙の思いです。心からありがとうございます。この本の書き下ろし部分を毎回ツイート報告していた頃に励まして頂いたご恩は忘れません。時々思い出しては懐かしく。

 

深夜のこの時間が私の思考の絶好調タイムなのだけれど PCが階下にあってわざわざ入力に降りていくのが億劫で それで原稿が進まないこともあったから小さなPCを買ったのだけれど 可愛いし これで絶えせずして入力できる 画面が小さい分フォントを大きくしたりしてかなり馴染んできました

 

しばらくフェンネルの件で思考を反らしていたから継続していた時にはなかった動きが出て それが崇徳天皇と聖子さん 璋子さんは法金剛院に我が子崇徳天皇の行幸を仰ぎ その為に龍頭鷁首の船を浮かべるんですよね 紫式部日記に倣って そこをこれから入力します

 

5月19日

雨の井の頭公園

 

雨の井の頭公園 縦写真です 高架は井の頭線です

 

雨の井の頭公園 三枚目 ここを撮るのが好きなのは Twitterでロベールという画家を教えて頂いて 廃墟のある風景を私も撮りたいのに旅行に行かれない泣 となったときに 少しそれらしく撮れる風景として発見して以来です

 

 

 

5月20日

おはようございます 昨夜来の雑多な机上 時にはこんな写真もと笑 後白河院が璋子さんに連れられて何か観劇に行ったとか璋子さんが後白河院の今様を聞いていたとか 読んだ記憶があるのに見つからなくて四苦八苦しています まさかそんなことが必要になるなんて思わなかった 璋子さんって結構遊興好きです

 

晩年近くなったご婦人が 最愛の息子に連れられて遊興を楽しむとか 息子の趣味を微笑ましく見守るとか いいですね!

 

タイムリーに 今朝テレ東でプランター菜園の紹介をしていて 私は野菜の苗を種別に植えるものとばかり思っていたら 寄植えが双方に成長の促進になるし防虫にもと 見本としてプチトマトにバジル レタス パセリにネギを一緒に植えてられました ちょうど私が購入した野菜ばかり 寄植えで試してみます

 

フェンネルはどうなのかわからないし 理想としては高く伸びたフェンネルを単独で眺めたいから これは一鉢にかも

 

涼しいと蚊が出てこないと先日わかって 今日は涼しいから ほんとうは璋子さんにかかり切りたかったのだけれど ベランダの片付けを 昨年秋の超最大風速予測の台風に備えてとにかく全ての鉢の避難をさせたままになっていました 苧環を植えて綺麗にしようと思った矢先にコロナ 自粛に慣れて余裕でしょうか

 

龍頭鷁首の舟を浮かべた法金剛院の塔落慶供養の時 璋子さん36歳 崇徳天皇18歳 皇嘉門院聖子14歳 少年後白河天皇10歳← 崇徳天皇夫妻が若いのにびっくりしました 聖子さんがもっと上のイメージで役割を持たせようと思ったのですが

 

聖子さんの入内は7歳 崇徳天皇が11歳でした 聖子さんって 後年兼実を後見したり良通を猶子にしたりしている姿がイメージにあるから凄いしっかりした大人の女院とばかり思ってました 役割を考え直さなくては

 

崇徳天皇と弟の後白河天皇とは8歳違いなんですね 璋子さん崩御の後 崇徳院が寂しいだろうと気遣って一緒に住むよう呼び寄せたりする仲だったのに 保元の乱で敵味方になってしまいます 龍頭鷁首の舟の思い出は二人の胸にずっとあったでしょうけれど

 

でも こういうエピソードを読んだそのご考察のコピーがまだみつからなくて 確かめようがなく困っています

 

5月21日

おはようございます 野口華世氏「待賢門院領の伝領」を再読しているのですが 面白い 以前は上西門院統子さんが璋子さんの所領を継いだ状況として拝読したのだけれど 今回璋子さんその人に気を入れて読むと 以前見えなかったものが見えてきます 璋子さん 結構経営手腕があって素敵です

 

璋子さんというと どうしても白河院と鳥羽天皇のあいだの愛情問題で揺れ動いた女性としての人生が関心を引いて語られるけど それくらい魅力ある人って やはり一方ならなぬ実力をお持ちなんだなあと ここのところ璋子さんにぞっこんです

 

璋子さんは女院領を所持した最初の女院だそうです

 

5月22日

RTさせて頂いたALL REVIEWSさんの『独楽園』 以前高遠先生に教えて頂いて入手して拝読してこんなにも静謐な文学魂があるのかと深い感銘 綺麗な表紙が痛むのが惜しく kindleで読んでいたから出したらまるで新品でした

 

そうでしたか。私は持っていること自体が宝ものなので時々拝読したくなるとkindleを手にします。このまま大切に持っていたいご本です。でも、高遠先生のご書評がそれは深くて、今それを印字して読み返したくなってプリンターのある階下の部屋に降りてきたところです

 

5月23日

RTの二件 皆様同様の経験をなさっているんですね 非礼 と怒って あり得ないと憤った何も知らなかった過去 当時Twitterをしてて世間を知っていたら乗り越えるのが楽だったかも でも当時のあの怒りや試行錯誤が今の私をつくって強くしてくれてるし 小説の糧にもなっていると思うと 必要な通過儀礼でした

 

おはようございます 先日片付け整理をしたベランダ 鉢に雑草が茂っていたのを取り除いたら紅葉の赤ちゃんが で これはそのままにして 毎朝雨戸を開けると眼に入ってくるので可愛いです

 

オコゲ なんて炊飯器だったらできないのでしょうね 私は土鍋の釜炊きだから結構作ります笑 ほどほどだと美味しい でもこの日は発掘した炭化米みたいに なので冷凍して週末にドリアにしようととっておきました で 目下解凍中です 水に浸けておくと炭化米が浮き上がります

 

昨日吉祥寺に出たのでまたカフェロシアさんのテイクアウトを パドゥラジャーニ(スパイシーなくるみペーストを塗ったジョージアの焼なす料理)と毛皮のコートを着たニシン(ニシンとビーツとポテトのミルフィーユサラダ) レストランでしか頂けなかったお料理がテイクアウトでなんて 美味しすぎます

 

先日は奇跡的に蚊がいなかったので涼しいと出ないのかと思っていたら 今日も涼しいのにもうまつわりつかれてる でも今日こそは買った野菜の苗を植えなければ

 

コロナで生活が一変したけど 生活が一変したのは鎌倉の源氏物語に関わって以来二回目だなあと 野菜の苗を植えるプランターをいじりながら思った 以前よく園芸をしてたから材料が揃っていて不自由なかったので コロナで一変して私には以前が帰ってきたかの感 薔薇もゼラニウムも挿木で随分増やしました

 

と そんなことを考えたら ゼラニウムは欧州の方々が窓辺を赤く縁どって飾ってられるのに憧れてで 結局私は昔から日本風でなく外国風な住まい方に憧れていたのであって 鎌倉の源氏物語でセンス的にも生活が変わったのでした だから今がとても自然体で楽しい

 

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2020.5.18 ツイッターから転載…日々雑感、フェンネル革命!笑

5月16日

おはようございます 昨日はまたいつものように強行採決で落胆するだろうと思い それが嫌でTLを見ないと決めていたのですが やはり気になって見たらツイッターデモの盛り上がりの凄さ 結果に怯えながら見守らざるを得なくなりました まだ油断できないけどひとまず今日は自分の時間を取り戻します

 

白河院と璋子さんに深まって 他はもう遠い世界になっているのですが TLで親しかった世界の方々の魅力的な会話を拝見したりすると 私も と思うし でも今は とも思う では今の私にとっての自分は? を昨日TLに時間を取られながら必死に思ったのですが やはりこの写真の和漢朗詠集に端を発した世界みたい

 

これを共有して語り合えることのない孤独を噛み締めながら 華鏡が完成した暁には を夢見てまた頑張ります

 

でも国民の声って凄いですね 昨日何方かのツイートで読んだのですが 私はずっとこんなおかしな事が起きているのに 正義を守る筈のこのおかしな事の全体の組織の方々がなぜおかしいと阻止する声をあげないのか不思議でした あげたいけどあげられなかったそう でも今回は国民の声が大きくなってできたと

 

小さなPCでは詰めの推敲ができないけど 逆に梗概的に書き進めて大枠を詰めていくのにいいかも 今まではその段落毎に完璧に推敲を重ねて進めていたから一つの段落を終えるのに時間がかかって進めなかった

 

フェンネルの芽が出たというツイートを読んで フェンネルが栽培できるなんてと種を買いに緑化センターに行ったのですが なくて 野菜として成長したのがあったので買ってきました 市ではまだこの農家さん一軒しか栽培されてないそう 初めての野菜 どう処理するのか検索しながら

 

加藤典洋氏が亡くなられて一年 早稲田文学新人賞受賞式にお声掛け頂きました 当時私は文壇も何もわからないままの受賞だったので どういう方に声をかけて頂いて それがどれほど大変なことかもわからず そのまま過ごしてしまいましたが あの受賞から苦節何十年笑 やっとご恩返しの作品が書けるところに

 

ただ その時の誠実そうな 真摯なお話し振りが印象に残っていて 以降 加藤典洋氏のお名前を見ると注視するようになっていました 華鏡が完成して あの時の〜ですと お礼を申し上げたかった 華鏡はあの新人賞以来のやっと辿り着いた私の文学の地平 長かったです ここに来るまで

 

5月17日

おはようございます 気の緩み は確かにあって(自粛解除でなく) 週末に回避したからといって気を緩めてはいけないのだけれど週明けまで原稿にかかろうなど気をそらしたら新しいタグが 言い得てるなあと感嘆 とにかく今はこちらが大事 念入りにTLを見てRTさせて頂いてます

 

緑花センターで買ったフェンネル 大きな株だったから使い出があってサラダにしたりパスタにしたり なんかとても気分がいい と思ったのはずっと家父長制度的家族構成の中で食事の用意をしていたから 自分好みがちっとも反映していなかったことにフェンネルで気づいたのでした 見た目がもう違う食卓

 

料理がこんなに自分をあらわすものだなんて と驚いたのでした 仕えたり虐げられたりして自分を発揮できずにいると 料理に限らずのびのびした表現ができない 家族構成が変わってもう自分好みの料理をしていいとなっても 習慣ってそうそう抜けるものではないですね フェンネルでやっと革命が笑

 

現在のトレンド 789,797件のツイート #週明けの強行採決に反対します

 

5月18日

おはようございます 昨日ある方のご投稿で私が以前揚げた写真がその方のご関係する建物と知り 私にとって吉祥寺はまだやはり自分の地元ではないんだなあと寂しく感慨 私はまだ旅行者なのでした 都心から越してきたから雑木林があり大地にじかに菫が咲く そんなところを歩ける感動と驚きがまだあって

 

雑木林も 吉祥寺の素敵なお店も 地元人だからというのでなく 白馬に行った旅行者気分で 旅先の写真感覚でアップさせて頂いていました でも昔から吉祥寺にお住みの方にはご自分の なんですね 貴方はボヘミアンだと言われたことがありますが なんか私は永久に自分の土地って持てないんだなあとそんな感慨

 

と 今朝はちょっと感傷的です笑 さ これを乗り越えて 今日も一日頑張りましょう 人間は誰もみな 結局はボヘミアンなんですものね

 

井波律子先生のご訃報、心からご冥福をお祈り申し上げます

 

採決見送りの速報に重なって 井波律子先生のご訃報 世の中が一変した感じで私もなにか変わるかも そうありたいです

 

苧環が一輪咲きました この花を植えようとまとめて買い求めたのはまだコロナで世の中がこんなになっていなかった頃 鉢に植え替えようと準備しているうちに大変になっていったのでした で まだ鉢の植え替えができてなくて フェンネルの種を求めて行った緑化センターでの大葉等の苗と一緒にしようかと

 

今日は時折霧雨が降って涼しいから あ 庭で作業するのにいい! と出て草取りをしました 場所をあける為に 何年ぶりでしょう こんなことするの 海外在住の素敵に暮らしている方々の活力に刺激されてます 感謝

 

通路にドクダミが蔓延っていて それを刈ったら下にユキノシタの群落が どちらも懐かしい気のする草ですよね 刈ったドクダミの匂いががあたり一面漂って 霧雨に溶け込んでいました

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2020.5.15 ツイッターから転載…日々雑感、若紫だった待賢門院璋子さんは生涯的にやはり紫の上でした!

5月11日

おはようございます(という時間ではないけれど笑)昨日具合が悪くてこの時節気になってはらはらしましたが治って快調です 料理に手をかけすぎて胃に負担だったよう(これも笑)深夜のツイートで自分を取り戻しました 目下我が家では写真の深紅の薔薇が数輪咲いて豪華 でも今年は切らずに観るだけに

 

5月12日

たった今浮かんだ言葉 今さらに白河院の在った日が思われた 院がどれほど自分のことを考えて自分のためにどれほどのことをしてくれたか ← これが起点ですね!

 

と 書いていたら 亡き院を思う璋子さんの気持ちが乗り移ったみたいに涙が滲んで…… やっと璋子さんの心のうちに入っていけます

 

追憶にのみ生きるのだ〜 師の短歌絶叫のフレーズが浮かんでしまいました 思考が動き出しています こうでないから書けなかった こうなったから もう 書けます

 

(美福門院得子さんの登場で璋子さんが弘徽殿の女御と書くべきか悩んでいました)朝のツイートの後 璋子さんは弘徽殿にならないと確信 なぜ弘徽殿になると不安がっていたかというと 拝読していたご論考が憎悪の関係と書いてらしたから 若いライバルが出ると憎悪の関係 になってしまうのはパターン過ぎますよね 国文学でよく思うのだけれど こういう思考の下に女性蔑視がある

 

古い研究者さんはほとんどが男性だから そして古い時代の価値観で論考されているから 女とはこういうもの的な感じで決めつけて書いてられるのが多い 女性にも精神性の気高い人がいるなど 認められないんですよね で 璋子さんだけれど 精神的に弘徽殿になる人ではないと 私は断言できました

 

で それでは誰か というと紫の上 桐壷更衣の出現で苦しむ弘徽殿ではなく 女三宮の出現に苦しむ紫の上 なんですね 私はそのときの紫の上のモノローグに凄く好きな個所があって それを使おうと思います 璋子さんは結局最後は源氏物語に救われます そしてそれこそが院が残した最大の贈物とします

 

璋子さんと法金剛院について書いているのですが 今まで塔の落慶供養に臨席されたのは鳥羽院とばかり思っていたら崇徳天皇でびっくり! 美福門院得子さんの登場で傷ついた癒しに建てた塔です 天皇の行幸が晴れがましいこととしても この時はまだ得子さんのことで鳥羽院の御幸は無理だったのでしょうね

 

翌年には鳥羽院を競馬に招待しているから関係は修復? 崇徳天皇の行幸に際して璋子さんは龍頭鷁首の舟を池に浮かべて雅楽を演奏しています どこで璋子さんは龍頭鷁首の風習を知った? が目下の疑問 当時の洛中にそんな風習あったのでしょうか 円勝寺にはなかったようだし

 

洛中に龍頭鷁首の舟の記述って 他に残っているのでしょうか 最勝光院のは後白河院が母璋子さんの法金剛院のを真似して と思っています 塔供養の時 院は10歳当然列席したでしょうから

 

5月13日

おはようございます 昨夜崇徳天皇の法金剛院行幸で中宮が皇嘉門院聖子さんだったと気づき またお一人女院が登場! となりました おそらく兼実が聖子さんの為に造ったのだろうといわれる稲荷山古墳 副葬品が高貴で興味深く東博に観に行きました 崇徳天皇妃と知っていた筈なのに知識が身についてないです

 

それで朝から検索して皇嘉門院聖子さんを読んでいたのですが 崇徳天皇妃が姉なら兼実が平家隆盛の世にあっても反平家で鎌倉寄りだったことも当然だし 今までなんでかなあと思っていた疑問が解けました

 

こちら東京の多摩地区(正確には八王子市だったかな)には皇嘉門院領があって 史学出身でない私には当時はその意味がわからず 聖子さんがこちらにいらしたこともあるの? なんて喜んだりしました笑

 

保元の乱で頼朝の父が崇徳院方について敗れ 頼朝が伊豆に流された というその崇徳天皇妃が兼実の姉の皇嘉門院聖子さん そうなら兼実が鎌倉寄りなのも当然 歴史は表舞台の史実だけで語られるから 背後の婚姻関係や姉弟関係を知らないと どうしてこの人が〜 と 疑問が多いです

 

福山さんに対する動画改竄の件 深夜福山さんへの怒りのツイートが散見して何だろうと思っていたら 福山さんは安倍氏に対して怒っていたのをそこを切って尾身氏に怒っているかの改竄 これだけ見たら怒って当然ですが 私が思うのは この人がそんな事をする筈がないという見解を持てなかったのかなあと

 

私が焦ったのは 怒っている何人かの方が 私がツイートを信頼してRTさせて頂くこともある知識人の方たちだったこと それで私もその怒りのツイートをRTさせて頂くべきか悩みました でもしなかった そうしたら朝になって改竄がばれてました 思うのは この人がこんなことするかなあの信念を持つ大事さかと

 

昨日 璋子さんが弘徽殿の女御になる筈がないとの直感を得て 璋子さんの紫の上説に辿りつきました こういう人間の根幹で書いています

 

卓上用の小さいPCが来て昨夜から入力しているのですが これで深夜思いついたものをメモ代わりに使える それにPCなので普段原稿を書くのに使っているデスクトップと手応えが一緒で結構気に入っています あとはこれでどこまで深めて書けるか 慣れるまで挑戦してみます

 

私はやはりワープロのキーボード入力で文章作法を身につけたから 深夜 PCがない二階の部屋で読書したりしていて思いつくと 入力したいなあ と歯がゆかったんです

 

5月14日

おはようございます 女三宮降嫁で苦悩する紫の上の心情を中野幸一先生訳『正訳 源氏物語』若菜上巻で読んでいました ご刊行と同時に全巻揃えていたのですが 当時は鎌倉の活動に時間を取られて未読だったのを 今頃になって執筆上の必要で随時手に この若菜上下の表紙があまりに綺麗でびっくりしました

 

仙覚さんの生涯を書くつもりで始めた華鏡 自粛で籠っているうちに原稿が深まって 当初は源氏物語に触れる予定なかったのに 白河院と璋子さんを書いたら 中野先生訳の正訳源氏物語の出番がしょっちゅう 璋子さんはほんとうに源氏物語を生きたんだなあと思います

 

自粛がなかったらこうはならなかった 仙覚さんの万葉集 で終わっていました 自粛で時間がたっぷりとれて 六月には仕上げて持って行こうとの無理強いの意気込みも消えて 今はひたすら書きたいように書く の日々 原稿って本来こういうものなのでした

 

今年は筍が豊作 また採れました 小さいけど今夜はこれで…… 何にしましょう笑

 

今日は濃いめに味付けして 余ったら明日油揚げを煮て一緒に筍交ぜご飯に

 

5月15日

万葉集と鎌倉(歌人・国文学者菊池威雄の講演より) - ジャーナリストの取材ノート(鎌倉) http://blog.livedoor.jp/kikurotakagi/archives/5703505.html … ←昨日、鎌倉在住の万葉集研究者でいられる菊池威雄先生からお葉書を頂戴し、こちらの高木規矩郎先生の取材ノートを教えて頂きました。

 

菊池威雄先生には『源氏物語と鎌倉』をとても評価して頂いて、昨秋鎌倉商工会議所でされたこのご講演でも内容に触れて頂いたとのこと、お葉書にありました。高木先生の取材ノートにある定家と光行の交流などですね。菊池先生は鎌倉ペンクラブの私の講座にもいらしてたんですって 気がつきませんでした

 

鎌倉ペンクラブの講座にはいろんな方がいらして下さっていて このTwitterからも何人かの方がいらして下さってましたが 行ったんですよ と鎌倉の方に後から言われて驚くことが何回か 皆様奥ゆかしくいられる笑 会場をみまわしてどなたか来られてるかなあなど気をつけてはいたのですが

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2020.5.11 ツイッターから転載…日々雑感、璋子さんの原稿が進んでいます

5月9日

おはようございます まだ璋子さんの段も書き切ってないのに 今朝から浮かんで離れないのは実定さん 後徳大寺実定ですが 光行さんに最初に源氏物語の手ほどきをした人物で鎌倉の源氏物語関係の人 仙覚さんの小説に入れるつもりなかったのですが 二条親政の論考を拝読してからどんどん深まり出しています

 

あとこれを書き切ったらもう基子さんに行けるから そうしたら比企の乱が勃発して第一章が終わり と思っているのに いつも何かが涌いて いくらたっても基子さんに辿り着けないか遠のくばかり 華鏡はたぶんそうして膨らみ続けて 当分終わらない……

 

久しぶりにPCに向かったので出してみました 2005年に京都で歴史のシンポジウムがあった時に オプションで主催者さんのどなたかが案内して下さったときの白河一帯です たしか蹴上の駅で集合して そこから平安神宮まで歩きました 京都をよく知らないから新鮮でした

 

一枚目が白河院跡(蹴上駅からかなり歩きました) ここを起点にまっすぐ行くと平安神宮でかつてその道沿いに六勝寺が建っていました 白河院跡がもう法勝寺境内だそう 二枚目はたしかすでに民家の敷地とかでしたが、この茂みのなかに法勝寺で唯一残る遺跡の金堂礎石が 三枚目は璋子さんの円勝寺跡碑

 

こういう何気ない過去の蓄積が もう意味はないと思ったものでも とんでもなく後になって役にたってくるのですね

 

5月10日

私も強く抗議致します。(検察庁法改正案に抗議のツイッターデモに投じました)

 

最勝寺→円勝寺→法金剛院と 生涯で三つも大きな寺院の建立に立合った璋子さんを書いていたら おのずと璋子さんの性格が見えてきました 結構気に入った文章になりました 早くご覧頂きたいくらい これから白河院崩御に対しての璋子さんを書きます

 

ずっと最勝光院のご本尊が何かを気にしつつ璋子さんの円勝寺から見ているのだけれど 白河天皇建立の法勝寺が東大寺と同じ毘盧遮那仏だったと読んで 円勝寺についてはまだわからないものの多分釈迦如来だろうという気がし 法金剛院の阿弥陀様は璋子さん個人の造営だからと思った時 最勝光院のご本尊が

 

釈迦如来像だったのでは というご論考を初めて受け入れられる気がしてきました 最勝光院が宇治平等院を規範に建てられたのだから ご本尊も同じ阿弥陀如来だろうと思いたく 釈迦如来像説に抵抗していました 後白河院は母璋子さんの法金剛院に住み かつ宇治平等院を規範に最勝光院を造営 さてご本尊は?

 

こういう動きのなかだけれど ふしぎに原稿が進んでいます すとんとなにかが抜けた感じ 書こうとか書かなければとか書きたいのに気が散るとか 書き切る状態になるまでほんとうにもういろいろ忸怩たる状態だったのですが こんな感じになるってあるんですね 書くことの深まりがだんだん身についてきた感

 

それにしてももう 私は年内は鎌倉に行かないだろうなあと そんな気持ちがずっとしている これだけ不可抗力的に突き放されなければまだ何かと通っていただろう そうしたら今のこの原稿の深まりはなかった 最後に行ったのが新年会 例年なら6月に納涼会があるのだけれど 通知がきても欠席と決めています

 

深夜 久しぶりに落ち着いて 箜篌という楽器の音色に似たヒーリング音楽を聴いています 少し具合が悪かったからですが 聴いて寝て起きたら直っていました この音楽 全部が箜篌に似ているわけでなく ある一箇所に下から響きあげてくるボロンという音色があって 先日もそこで飛び起きたのでした

 

国立劇場の正倉院復元楽器の公演で聴いた音色をそんなに覚えているはずもないのですが そのボロンという音色の一箇所だけ 今夜も飛び起きる感がしたほどで こういうことってあるのだなあとびっくりしています 先日箜篌のツイートをしたら 直後に国立劇場の建て直しの報 偶然ですがふしぎな気がしました

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2020.5.10 ツイッターから転載…日々雑感、原稿は待賢門院璋子さんの最終章にかかります

5月7日

おはようございます 世界が緩和に向けて動き出していることがどうなっていくのか不安とともに見守っています 装飾経はほんとうに綺麗ですね 西行に関してまた久能寺経のご本を読みたくなっていますが 今日から原稿にかからなくてはと思います 璋子さんの生涯の最終章です

 

「11歳の少年」が華鏡の隠れたテーマなので後白河天皇の11歳時は何があったか 政治史的に何もないと諦めていたのですが 法金剛院にありました! 鳥羽上皇が御幸して競馬を御覧になっているんですよね 当然少年後白河天皇も一緒に御覧になったでしょう 鳥羽上皇は結構璋子さんの法金剛院に行かれてます

 

それにしても 法金剛院には馬場まで造られてるなんて

 

「11歳の少年」が華鏡の隠れたテーマなので後白河天皇の11歳時は何があったか 政治史的に何もないと諦めていたのですが 法金剛院にありました! 鳥羽上皇が御幸して競馬を御覧になっているんですよね 当然少年後白河天皇も一緒に御覧になったでしょう 鳥羽上皇は結構璋子さんの法金剛院に行かれてます

 

久々にブログを更新しました 五月に入ってからしていなかったので1日分から ここのところ待賢門院璋子さんと法金剛院に集中していて気がまわりませんでした ブログはTwitterの呟きを何日間ずつまとめて更新しているのですが そうするとその数日間の思考が甦ってこの更新はかなり貴重です

 

やっと日常の世話から解放されてTLを見ているのだけれど 満月の麗しさに癒されながら現実の殺伐さに気も折れそう 原稿に戻れば対極に豊穣とわかっていても すぐには入っていく気もしません この原稿 やはり早く完成させて世に出したい

 

と呟くことで萎えてしまいそうな現実との闘いの殺伐さから抜けられます

 

文を綴るって 力ですね!

 

5月8日

おはようございます 昨夜から原稿にかかっています 法金剛院など調べているあいだは現実が楽しいけど全然原稿にかかれない 一段落すると今度は現実に全く興味がなくなってひたすら原稿だけが楽しくなる 昨夜の無聊はその狭間でした 日本歴史館の六勝寺一帯の復元図を見ています 円勝寺が結構大きいです

 

書きはじめて気がついたのですが 璋子さんにとって円勝寺は寺院建立の初めての経験ではないんですね 最初は鳥羽天皇の最勝寺 璋子さんの入内を機に建てられたからその経緯をずっと見てる 最勝寺から円勝寺と経験しての法金剛院 大規模な寺院建立を三つも経験している女院なんて!

 

雑木林で森林浴 緊張の吉祥寺街中を出て 少し回り道だけれど 一息つきに来ました 風が吹いてさわやかです

 

明星学園のフェンスを這い上がるジャスミン 学校は休校のよう いい香りがします

 

吉祥寺に用があって出ようとすると家族がお土産にカフェロシアをねと催促 もちろん私もそのつもりだったから寄ってテイクアウトでゲット ピロシキとタバカ(グルジア料理の鳥の香味焼) 美味しかったです ロシア人のイケメンのお兄さん二人が売ってらしたけど 話題みたい 家に帰って言ったら知ってるって

 

チェブちゃんもマスク 可愛いから撮らせて頂きました 左手に写っているのはリンゴのケーキ ホイップクリームが付いてきて こちらも美味しかった!

 

ビーツを刻んでブイヨンで煮ました じつはカフェロシアさんに行くと必ず毛皮のコートを着たニシンという料理を頼むのですが 前回テイクアウトで買って家で頂いた時に あ 家でも作れるんだ って気づいて 今日は買って来ませんでした ちょうど家にビーツがあったので 物凄い簡易版ですが 美味しかった!

 

ほんとうに簡易版ですが スーパーで買ったポテトサラダとニシンのマリネの代用のオイルサーディン それに刻んで煮たビーツ それを重ねて盛り付けただけ レストランでの繊細なメニューとは雲泥の差ですが それなりに美味しかったです ビーツがあったら手頃な料理かも

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2020.5.9 ツイッターから転載…日々雑感、佐伯智広氏「保元三年宇治御幸の史的意義」&待賢門院璋子さんと法金剛院・円勝寺についてなど

5月4日

おはようございます 今日からこちら 璋子さんの寺院建立趣味に入ります 法金剛院の完成していくまでの経緯を読むと 結構璋子さんの意向って強いんですよね ただの女院とは思えない それで考えて璋子さんは白河院から六勝寺の一つを与えられているから それで寺院建立のノウハウを身につけたのでは?と

 

雨が止んだかなと窓を開けたら 紅葉に可愛い花?が このタケコプターみたいなの 毎年見ていますが 花なのでしょうか 検索したら花は別のような

 

(翼果と教えて頂いて)ありがとうございます。翼果で検索したら中心に種があるそうで、それがタケコプターみたいに飛んで種を蒔くんですね。毎年気になっていたことが解決しました。

 

もう 鎌倉の源氏物語を追っていた時から使っている年譜なので汚いですが その都度の研究を重ねていくと重層的に時代がわかります 円勝寺は白河院崩御の前年 法金剛院は崩御の翌年の建立 このあたりになにかありそうですね 円勝寺建立時 璋子さんは28歳

 

5月5日

おはようございます 未明から紫式部日記絵詞が気になって見ています 道長邸に龍頭鷁首の船を浮かべたとありますが たしか土御門邸は京都御苑の仙洞御所あたりですよね 龍頭鷁首の船ってそんなに大きな池でなくても浮かべられたのかなあと悩んでいます 仙洞御所のあたりでそんな大きな池って作らる?と

 

中野幸一先生『正訳 紫式部日記』より土御門邸行幸の項 その日新しく造られたる舟どもさし寄せて御覧ず 龍頭鷁首の生けるかたち思ひやられて とあります

 

あるいはこの土御門邸の龍頭鷁首はただ管弦の仮舞台みたいに池に置かれただけで池を周遊するわけではなかったのでしょうか

 

段落冒頭の最初の一行が降りてくるのを待って 円勝寺と法金剛院の資料を読み漁っています 円勝寺は大きいけど 大きな池はなかったよう

 

法金剛院の作庭で林賢という石立僧が出てくるので検索してたら先程RTの法金剛院①~⑦に出会ったのですが 私が訪ねた時も蓮に一面覆われて池泉式庭園の全貌が見えなかったのが物凄く残念です 蓮の名所の寺院なのに それを恨むなんて ですが

 

この池に璋子さんが龍頭鷁首の船を浮かべて周遊した らしいのですが 当時は蓮に覆われてなどいなかった ということですよね

 

これは全くの独断と偏見だけれど 六勝寺と璋子さんの年譜を重ねたら 璋子さんの入内に合わせて鳥羽天皇の最勝寺 後白河天皇誕生に合わせて円勝寺 白河院崩御を機に法金剛院 の建立 という流れが見えてきました

 

ふ~ん、崩御の翌年かあ……などと ばらばらに読んで知ってはいたのですが 年譜にするとすっきりと明確な認識になる気がします

 

冒頭の最初の一行が降りてくるのを待っていたのですが 最後の一行が降りてきました 寛遍僧正から宇治平等院の話を聞いたとき、後白河天皇に母璋子と法金剛院の池をめぐった龍頭鷁首の船が甦った これがゴールなら これに向けてストーリーを組み立てられます

 

5月6日

おはようございます TLを見ながら思いました 原稿に深まれないあいだは料理も園芸もせっせと励んで そのあいだ原稿はいつになったら書けるんだろうなど呑気 なのに没頭した時からなにもかもできなくなるししたくなくなるので 例えば園芸の水やりさえも気が回らなくなって の この繰り返しで またもやと

 

璋子さんといえば瀬戸内寂聴さんの白道で感銘を受けた西行だけれど 西行は嫌いだから書かないと決めていたのを思い出したら このご本を思い出しました 平家納経・慈光寺経と並ぶ日本三大装飾経の一つの久能寺経が璋子さんを偲ぶ西行の勧進というご論 角田文衛先生推奨ですが こちらも感銘を受けました

 

「保元三年宇治御幸の史的意義」 佐伯智広氏『中世前期の政治構造と王家』よりのこのご論考 「二条親政の成立」の補論としてコピーしてあったのですが まさに今必要だったことが拝読してわかって原稿に深まりが 没頭しているのであんなにしようと思って準備していた野菜を植えるなど もう到底無理なくらい別世界になっています

 

気づいたのですが こんなに図書館が閉まって国会図書館の遠隔複写も中止になっているのに 資料に全然困らない 全部以前調べるのに集めていたもので再読 華鏡はほんとうに私の今までの集大成だなあと思います

 

メモとして 今まで璋子さんの法金剛院は龍頭鷁首の船を浮かべた池という事実から入っていたので 華麗な璋子さんらしい趣味と思っていました でも 法金剛院のできた当初は小さくて多分亡くなった白河院の菩提を弔う私的な空間 船遊びはその後なんですね 璋子さんの心のうちをたどると

 

毛利久氏「法金剛院の造営と阿弥陀像」より このような当初の規模から考えると、法金剛院は単なる寺であったのではなく、女院の邸宅でもあった。藤原時代には、邸内に持仏堂を設けることが流行した。この場合、阿弥陀堂・庭園・邸内は欠くことのできない三要素←完成当初の法金剛院のすがたが彷彿

 

庭園の滝が有名ですが 璋子さんは当初の造りが気にいらなくて造り直しているんですよね それが三年後 当初の院を偲ぶ持仏堂的感覚から余裕が出て庭園として整えていこうって気持ちになったのでは? それから塔を造ったり堂を建てたりといろいろします

 

法金剛院の璋子さんの増築と 鳥羽院関係の動向を年譜で重ね合わせたら 全部 美福門院登場とか 藤原忠実娘の高陽院入内と彼女を伴っての宇治平等院御幸と重なっているんですよね 璋子さんの心の内の必死さが垣間見える気がして辛い

 

コロナでやはりどこかで緊張しているから どことなく自律神経が狂ってきている気がして 自律神経を整える音楽を聴いて横になってたら 始めての演奏でたぶんハープ 横になって聴いていたら以前国立劇場で聴いた箜篌という復元楽器に白いバレエ衣装の方が舞われた舞台を思い出して清浄な心地になりました

 

箜篌 って変換できないかと思ったらあってびっくり 箜篌という楽器をめぐってという作品で現代詩手帳の年間最終審査に残って鈴木志郎康先生に評価して頂いたのを思い出しました 詩がどうこういうのでなく 箜篌という楽器の字面も含めての存在が好きです 空 が入っている楽器なんて!

 

やっぱり自律神経が乱れてたよう 音楽を聴きながら寝て起きたら 朝起きる時に目眩っぽかったのが治っていました これをこじらせると大変 早めに気づいてよかったです

 

自律神経を整える音楽はほんとうに効きます 横になって聴いていると 体がゾワゾワとして乱れていた血の巡りが焦って速やかに流れだすような感覚で 手が自然に体に添うように降りたり スーパーに行くにも気を使うし コロナの情報は知らず知らずのうちに人を蝕むと思うから要注意ですね

 

56pまつりという#を見て珍しく私も参加させて頂こうかなと紫式部日記を見たらP.56でなくP.57に龍頭鷁首の船について 中野幸一先生訳で「楽船が築山の先の水路のあたりを漕ぎめぐってゆくとき、だんだん遠ざかっていきますにつれて」とあり 昨日ツイートの仮舞台説ではないは漕いで回れる船でした

 

#56pまつり 中野幸一先生『正訳 紫式部日記』より「主上、抱き移してたてまつらせたまふほど、いささか泣かせたまふ御声いと若し」……中宮彰子さんが皇子をお産みになって、一条天皇が土御門邸に行幸され、道長が赤ちゃんの皇子を天皇にお連れしたときの様子です

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2020.5.7 ツイッターから転載…日々雑感、待賢門院璋子さんを書こうと思って調べています→佐伯智広氏『中世前期の政治構造と王家』&電子書籍への思いなど

5月1日

おはようございます 中途半端な解除がとても怖くて先週まで心配でたまらなかったのですが延長のようなので落ち着きました 棄民政策という言葉 今まで知らなかったのですがまさにその渦中にいるなんて でもとにかくなんとか生きて頑張りましょうね 心を合わせて 近くに藤棚がないからどこか行きたいです

 

また小さい筍が採れたので 今日はゆがかないでそのままステーキに

 

中野幸一先生『正訳 源氏物語』若紫より 「武蔵野といへばかこたれぬ」と紫の紙に書いたまへる……「いで君も書いたまへ」とあれば、「まだようは書かず」とて、見上げたまへるが、何心なくうつくしげなれば←光源氏が若紫に手習いを施す場面 若紫がほんとに可愛いです! 続きに「書きそこなひつ」と

 

恥じて隠すんですよね 絵が浮かびます 学生時代から私もこんなふうに手習いの手ほどきをされたい! と憧れの場面でした笑 これを白河院と璋子さんに重ね合わせようと思っています

 

武蔵野といへばの引用は「知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ」 これを光源氏は紫の紙に書いたまへる です 藤壺ゆかりの紫の上の少女時代の若紫! 風流ですね

 

電子書籍というものが出始めたころから私は関心を持っていて たしかシャープさんだったか 60万くらいで自宅で電子書籍を作って販売する機械ができて 興味を持って展示会に行ったりしました 今はKindleでダイレクト出版ができたりして あの機械を買わなくてよかったと思ったりしているのですが 未だに

 

電子書籍には関心があって (じつは『源氏物語と鎌倉』も出版社さんで電子書籍化されているのですが) 以前から華鏡をいきなりダイレクト出版したい野望と闘っています 鎌倉ペンクラブの方や家族に大反対されてるけど それがなかったら多分そうしてる! このご時勢を思うとどんどんその気が強まります

 

5月2日

建長寺様法堂のクリアファイルの過去ツイートを発掘して頂いたことで 鎌倉禅研究会に参加させて頂いた当時のことが懐かしく甦っています たぶん今が盛りだろう境内の牡丹の写真をアップさせて頂きますね これは2014年4月17日撮影です

 

何方かが発掘して下さった過去のツイート 鎌倉での活動撤退を決めて家に籠って書く決意をしたときのこと 禅研究会の方が用意して下さったお心配りのお品です ちょうど今朝建長寺様では今頃牡丹が と思ったばかりで不思議です

 

建長寺様の鎌倉禅研究会で鎌倉の源氏物語についての講演をさせて頂いたのを機に禅研究会には数年前後お世話になりました 今は文学と禅は相容れないけど 仙覚さんの小説では時頼の時代でたっぷり書かせて頂きます すでに書いてあるのもあって 早くそこまで辿り着きたいと思うのですが

 

歴史は血の繋がりと思うのですが 文学もそうですね 鎌倉禅研究会で一時期を過ごすことがなかったら 到底時頼の時代の鎌倉とか時頼と蘭渓道流とかはては道元までの日本の禅宗 調べても無理なのが自然体で書けるようになっています ご恩返しにも早くそれを書いて発表して残したい

 

補足: 時頼は仙覚さんが万葉集を献上した六代将軍宗尊親王を鎌倉に招聘した執権です

 

2014年刊勉誠出版様『東アジアのなかの建長寺』 ちょうどこの刊行の企画が進んでいた時に鎌倉禅研究会で学ばせて頂いたのでした 鎌倉の文化の粋を集めたようなご講演の数々 興味深く拝聴させて頂いていました

 

巻末の「鎌倉禅研究会特別講義記録」に載せて頂いています ほんとうは第82回の西岡芳文先生とご一緒だった時が最初なのですが 第99回で小川剛生先生と二回目の講演をさせて頂いているので省略されました笑 拝聴したり打上でお話した方にマーカーなんて引いてあってびっくり

 

写真が添付されていませんでした 『東アジアのなかの建長寺』はこのご講演された方々のご執筆です 地元の図書館にも仏教のコーナーにこのご本があって 見ると やはり嬉しいです

 

こういうこと 今まであまり自分で発信しないようにしていたのですが そうしているといつまでたっても「素人」さんでその扱いに終始されます 謙虚や遠慮は自分に対する卑下なんですね 華鏡が充実してきているから堂々とツイートできるようになったのだと思います

 

思いがけず朝の建長寺様法堂のクリアファイルツイートから 鎌倉に通っていたころのことが懐かしく思い出されていろいろなご紹介となりました それにしても思うのは 紫式部が常々数ならぬ身と自身を書いていることで それを私も鎌倉で実感していて 離れるまでそこから抜けられませんでした

 

自分を数ならぬ身と思っているあいだ 自分をすっくと立ちあがらせることはできません 土御門邸で上流階級の方々に交じっていくら自分は源氏物語を書いているといっても現実は低い身分の身 できあがった組織の中に単身入っていった鎌倉での私がそうでした 鎌倉を離れた今だからこその今日のtwです

 

メモして寝ます 原稿を読み返していたら繋がりができました 白河天皇と璋子さんの後は後白河天皇に行き それから璋子さんの法金剛院の流れにしますが 法金剛院の前に円勝寺があることから 白河天皇と璋子さんの寺院造り趣味(?)を少し書こうと 円勝寺経験があるから法金剛院が造れたんですよね

 

一旦寝たのですが 気になってまたメモ 璋子さんはどこで法金剛院に池を造る知恵を学んだのだろう 円勝寺に池はなかったようだし(未確認) どこかで宇治平等院を知ったのでしょうか 源氏物語繋がりで

 

もう眠くなってきたのですが またメモ 円勝寺を造る過程で平等院の話が出て 自分で造る時にはそうしよう と思ったふうな展開にしまふ

 

5月3日

こういうのもありました 横内裕人先生『日本中世仏教と東アジア』 昨日ご紹介の『東アジアのなかの建長寺』にもあった鎌倉禅研究会でのご講演 拝聴しました あの時はまだ何も知らず まさか運慶で大変な発見をされた方だとは あの時周りにいた方々は当然皆様ご存じでいらして 私だけが知らなかった……

 

後白河院というと今様だけれど 今様ときくと気分が萎える 逆に後白河院と密教ときくと高揚する と集めた資料を整理しながら改めて思う

 

今拝読すべきはこちらと決まりました佐伯智広氏『中世前期の政治構造と王家』 整理していたご論考のなかで唯一未読だったご論考 二条天皇の万葉集が仙覚にとって最終的に理想の形態と知っていたからコピーして持っていたのですが 二条天皇を理解するにはまだ早くて やっとここにきたようです

 

拝読している間中 ずっと底流して存在していたのが後徳大寺実定 忻子さんや多子さんの兄弟なんですね 忻子さんの後白河天皇入内で後白河天皇に親近かあ〜と 平家物語の後白河院大原御幸に随行した実定を思い出したり 十代の光行さんに源氏物語の手ほどきをしたりの 私には気になっている人物です

 

頭のなかが後白河院と二条天皇後宮や 上西門院統子さんたち女院の方々でいっぱい ひしめき合って大変な状態です 寝て起きたら明朝はなにかひらめくかな!

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