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2020.5.7 ツイッターから転載…日々雑感、待賢門院璋子さんを書こうと思って調べています→佐伯智広氏『中世前期の政治構造と王家』&電子書籍への思いなど

5月1日

おはようございます 中途半端な解除がとても怖くて先週まで心配でたまらなかったのですが延長のようなので落ち着きました 棄民政策という言葉 今まで知らなかったのですがまさにその渦中にいるなんて でもとにかくなんとか生きて頑張りましょうね 心を合わせて 近くに藤棚がないからどこか行きたいです

 

また小さい筍が採れたので 今日はゆがかないでそのままステーキに

 

中野幸一先生『正訳 源氏物語』若紫より 「武蔵野といへばかこたれぬ」と紫の紙に書いたまへる……「いで君も書いたまへ」とあれば、「まだようは書かず」とて、見上げたまへるが、何心なくうつくしげなれば←光源氏が若紫に手習いを施す場面 若紫がほんとに可愛いです! 続きに「書きそこなひつ」と

 

恥じて隠すんですよね 絵が浮かびます 学生時代から私もこんなふうに手習いの手ほどきをされたい! と憧れの場面でした笑 これを白河院と璋子さんに重ね合わせようと思っています

 

武蔵野といへばの引用は「知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ」 これを光源氏は紫の紙に書いたまへる です 藤壺ゆかりの紫の上の少女時代の若紫! 風流ですね

 

電子書籍というものが出始めたころから私は関心を持っていて たしかシャープさんだったか 60万くらいで自宅で電子書籍を作って販売する機械ができて 興味を持って展示会に行ったりしました 今はKindleでダイレクト出版ができたりして あの機械を買わなくてよかったと思ったりしているのですが 未だに

 

電子書籍には関心があって (じつは『源氏物語と鎌倉』も出版社さんで電子書籍化されているのですが) 以前から華鏡をいきなりダイレクト出版したい野望と闘っています 鎌倉ペンクラブの方や家族に大反対されてるけど それがなかったら多分そうしてる! このご時勢を思うとどんどんその気が強まります

 

5月2日

建長寺様法堂のクリアファイルの過去ツイートを発掘して頂いたことで 鎌倉禅研究会に参加させて頂いた当時のことが懐かしく甦っています たぶん今が盛りだろう境内の牡丹の写真をアップさせて頂きますね これは2014年4月17日撮影です

 

何方かが発掘して下さった過去のツイート 鎌倉での活動撤退を決めて家に籠って書く決意をしたときのこと 禅研究会の方が用意して下さったお心配りのお品です ちょうど今朝建長寺様では今頃牡丹が と思ったばかりで不思議です

 

建長寺様の鎌倉禅研究会で鎌倉の源氏物語についての講演をさせて頂いたのを機に禅研究会には数年前後お世話になりました 今は文学と禅は相容れないけど 仙覚さんの小説では時頼の時代でたっぷり書かせて頂きます すでに書いてあるのもあって 早くそこまで辿り着きたいと思うのですが

 

歴史は血の繋がりと思うのですが 文学もそうですね 鎌倉禅研究会で一時期を過ごすことがなかったら 到底時頼の時代の鎌倉とか時頼と蘭渓道流とかはては道元までの日本の禅宗 調べても無理なのが自然体で書けるようになっています ご恩返しにも早くそれを書いて発表して残したい

 

補足: 時頼は仙覚さんが万葉集を献上した六代将軍宗尊親王を鎌倉に招聘した執権です

 

2014年刊勉誠出版様『東アジアのなかの建長寺』 ちょうどこの刊行の企画が進んでいた時に鎌倉禅研究会で学ばせて頂いたのでした 鎌倉の文化の粋を集めたようなご講演の数々 興味深く拝聴させて頂いていました

 

巻末の「鎌倉禅研究会特別講義記録」に載せて頂いています ほんとうは第82回の西岡芳文先生とご一緒だった時が最初なのですが 第99回で小川剛生先生と二回目の講演をさせて頂いているので省略されました笑 拝聴したり打上でお話した方にマーカーなんて引いてあってびっくり

 

写真が添付されていませんでした 『東アジアのなかの建長寺』はこのご講演された方々のご執筆です 地元の図書館にも仏教のコーナーにこのご本があって 見ると やはり嬉しいです

 

こういうこと 今まであまり自分で発信しないようにしていたのですが そうしているといつまでたっても「素人」さんでその扱いに終始されます 謙虚や遠慮は自分に対する卑下なんですね 華鏡が充実してきているから堂々とツイートできるようになったのだと思います

 

思いがけず朝の建長寺様法堂のクリアファイルツイートから 鎌倉に通っていたころのことが懐かしく思い出されていろいろなご紹介となりました それにしても思うのは 紫式部が常々数ならぬ身と自身を書いていることで それを私も鎌倉で実感していて 離れるまでそこから抜けられませんでした

 

自分を数ならぬ身と思っているあいだ 自分をすっくと立ちあがらせることはできません 土御門邸で上流階級の方々に交じっていくら自分は源氏物語を書いているといっても現実は低い身分の身 できあがった組織の中に単身入っていった鎌倉での私がそうでした 鎌倉を離れた今だからこその今日のtwです

 

メモして寝ます 原稿を読み返していたら繋がりができました 白河天皇と璋子さんの後は後白河天皇に行き それから璋子さんの法金剛院の流れにしますが 法金剛院の前に円勝寺があることから 白河天皇と璋子さんの寺院造り趣味(?)を少し書こうと 円勝寺経験があるから法金剛院が造れたんですよね

 

一旦寝たのですが 気になってまたメモ 璋子さんはどこで法金剛院に池を造る知恵を学んだのだろう 円勝寺に池はなかったようだし(未確認) どこかで宇治平等院を知ったのでしょうか 源氏物語繋がりで

 

もう眠くなってきたのですが またメモ 円勝寺を造る過程で平等院の話が出て 自分で造る時にはそうしよう と思ったふうな展開にしまふ

 

5月3日

こういうのもありました 横内裕人先生『日本中世仏教と東アジア』 昨日ご紹介の『東アジアのなかの建長寺』にもあった鎌倉禅研究会でのご講演 拝聴しました あの時はまだ何も知らず まさか運慶で大変な発見をされた方だとは あの時周りにいた方々は当然皆様ご存じでいらして 私だけが知らなかった……

 

後白河院というと今様だけれど 今様ときくと気分が萎える 逆に後白河院と密教ときくと高揚する と集めた資料を整理しながら改めて思う

 

今拝読すべきはこちらと決まりました佐伯智広氏『中世前期の政治構造と王家』 整理していたご論考のなかで唯一未読だったご論考 二条天皇の万葉集が仙覚にとって最終的に理想の形態と知っていたからコピーして持っていたのですが 二条天皇を理解するにはまだ早くて やっとここにきたようです

 

拝読している間中 ずっと底流して存在していたのが後徳大寺実定 忻子さんや多子さんの兄弟なんですね 忻子さんの後白河天皇入内で後白河天皇に親近かあ〜と 平家物語の後白河院大原御幸に随行した実定を思い出したり 十代の光行さんに源氏物語の手ほどきをしたりの 私には気になっている人物です

 

頭のなかが後白河院と二条天皇後宮や 上西門院統子さんたち女院の方々でいっぱい ひしめき合って大変な状態です 寝て起きたら明朝はなにかひらめくかな!

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