2020.5.15 ツイッターから転載…日々雑感、若紫だった待賢門院璋子さんは生涯的にやはり紫の上でした!
5月11日
おはようございます(という時間ではないけれど笑)昨日具合が悪くてこの時節気になってはらはらしましたが治って快調です 料理に手をかけすぎて胃に負担だったよう(これも笑)深夜のツイートで自分を取り戻しました 目下我が家では写真の深紅の薔薇が数輪咲いて豪華 でも今年は切らずに観るだけに
5月12日
たった今浮かんだ言葉 今さらに白河院の在った日が思われた 院がどれほど自分のことを考えて自分のためにどれほどのことをしてくれたか ← これが起点ですね!
と 書いていたら 亡き院を思う璋子さんの気持ちが乗り移ったみたいに涙が滲んで…… やっと璋子さんの心のうちに入っていけます
追憶にのみ生きるのだ〜 師の短歌絶叫のフレーズが浮かんでしまいました 思考が動き出しています こうでないから書けなかった こうなったから もう 書けます
(美福門院得子さんの登場で璋子さんが弘徽殿の女御と書くべきか悩んでいました)朝のツイートの後 璋子さんは弘徽殿にならないと確信 なぜ弘徽殿になると不安がっていたかというと 拝読していたご論考が憎悪の関係と書いてらしたから 若いライバルが出ると憎悪の関係 になってしまうのはパターン過ぎますよね 国文学でよく思うのだけれど こういう思考の下に女性蔑視がある
古い研究者さんはほとんどが男性だから そして古い時代の価値観で論考されているから 女とはこういうもの的な感じで決めつけて書いてられるのが多い 女性にも精神性の気高い人がいるなど 認められないんですよね で 璋子さんだけれど 精神的に弘徽殿になる人ではないと 私は断言できました
で それでは誰か というと紫の上 桐壷更衣の出現で苦しむ弘徽殿ではなく 女三宮の出現に苦しむ紫の上 なんですね 私はそのときの紫の上のモノローグに凄く好きな個所があって それを使おうと思います 璋子さんは結局最後は源氏物語に救われます そしてそれこそが院が残した最大の贈物とします
璋子さんと法金剛院について書いているのですが 今まで塔の落慶供養に臨席されたのは鳥羽院とばかり思っていたら崇徳天皇でびっくり! 美福門院得子さんの登場で傷ついた癒しに建てた塔です 天皇の行幸が晴れがましいこととしても この時はまだ得子さんのことで鳥羽院の御幸は無理だったのでしょうね
翌年には鳥羽院を競馬に招待しているから関係は修復? 崇徳天皇の行幸に際して璋子さんは龍頭鷁首の舟を池に浮かべて雅楽を演奏しています どこで璋子さんは龍頭鷁首の風習を知った? が目下の疑問 当時の洛中にそんな風習あったのでしょうか 円勝寺にはなかったようだし
洛中に龍頭鷁首の舟の記述って 他に残っているのでしょうか 最勝光院のは後白河院が母璋子さんの法金剛院のを真似して と思っています 塔供養の時 院は10歳当然列席したでしょうから
5月13日
おはようございます 昨夜崇徳天皇の法金剛院行幸で中宮が皇嘉門院聖子さんだったと気づき またお一人女院が登場! となりました おそらく兼実が聖子さんの為に造ったのだろうといわれる稲荷山古墳 副葬品が高貴で興味深く東博に観に行きました 崇徳天皇妃と知っていた筈なのに知識が身についてないです
それで朝から検索して皇嘉門院聖子さんを読んでいたのですが 崇徳天皇妃が姉なら兼実が平家隆盛の世にあっても反平家で鎌倉寄りだったことも当然だし 今までなんでかなあと思っていた疑問が解けました
こちら東京の多摩地区(正確には八王子市だったかな)には皇嘉門院領があって 史学出身でない私には当時はその意味がわからず 聖子さんがこちらにいらしたこともあるの? なんて喜んだりしました笑
保元の乱で頼朝の父が崇徳院方について敗れ 頼朝が伊豆に流された というその崇徳天皇妃が兼実の姉の皇嘉門院聖子さん そうなら兼実が鎌倉寄りなのも当然 歴史は表舞台の史実だけで語られるから 背後の婚姻関係や姉弟関係を知らないと どうしてこの人が〜 と 疑問が多いです
福山さんに対する動画改竄の件 深夜福山さんへの怒りのツイートが散見して何だろうと思っていたら 福山さんは安倍氏に対して怒っていたのをそこを切って尾身氏に怒っているかの改竄 これだけ見たら怒って当然ですが 私が思うのは この人がそんな事をする筈がないという見解を持てなかったのかなあと
私が焦ったのは 怒っている何人かの方が 私がツイートを信頼してRTさせて頂くこともある知識人の方たちだったこと それで私もその怒りのツイートをRTさせて頂くべきか悩みました でもしなかった そうしたら朝になって改竄がばれてました 思うのは この人がこんなことするかなあの信念を持つ大事さかと
昨日 璋子さんが弘徽殿の女御になる筈がないとの直感を得て 璋子さんの紫の上説に辿りつきました こういう人間の根幹で書いています
卓上用の小さいPCが来て昨夜から入力しているのですが これで深夜思いついたものをメモ代わりに使える それにPCなので普段原稿を書くのに使っているデスクトップと手応えが一緒で結構気に入っています あとはこれでどこまで深めて書けるか 慣れるまで挑戦してみます
私はやはりワープロのキーボード入力で文章作法を身につけたから 深夜 PCがない二階の部屋で読書したりしていて思いつくと 入力したいなあ と歯がゆかったんです
5月14日
おはようございます 女三宮降嫁で苦悩する紫の上の心情を中野幸一先生訳『正訳 源氏物語』若菜上巻で読んでいました ご刊行と同時に全巻揃えていたのですが 当時は鎌倉の活動に時間を取られて未読だったのを 今頃になって執筆上の必要で随時手に この若菜上下の表紙があまりに綺麗でびっくりしました
仙覚さんの生涯を書くつもりで始めた華鏡 自粛で籠っているうちに原稿が深まって 当初は源氏物語に触れる予定なかったのに 白河院と璋子さんを書いたら 中野先生訳の正訳源氏物語の出番がしょっちゅう 璋子さんはほんとうに源氏物語を生きたんだなあと思います
自粛がなかったらこうはならなかった 仙覚さんの万葉集 で終わっていました 自粛で時間がたっぷりとれて 六月には仕上げて持って行こうとの無理強いの意気込みも消えて 今はひたすら書きたいように書く の日々 原稿って本来こういうものなのでした
今年は筍が豊作 また採れました 小さいけど今夜はこれで…… 何にしましょう笑
今日は濃いめに味付けして 余ったら明日油揚げを煮て一緒に筍交ぜご飯に
5月15日
万葉集と鎌倉(歌人・国文学者菊池威雄の講演より) - ジャーナリストの取材ノート(鎌倉) http://blog.livedoor.jp/kikurotakagi/archives/5703505.html … ←昨日、鎌倉在住の万葉集研究者でいられる菊池威雄先生からお葉書を頂戴し、こちらの高木規矩郎先生の取材ノートを教えて頂きました。
菊池威雄先生には『源氏物語と鎌倉』をとても評価して頂いて、昨秋鎌倉商工会議所でされたこのご講演でも内容に触れて頂いたとのこと、お葉書にありました。高木先生の取材ノートにある定家と光行の交流などですね。菊池先生は鎌倉ペンクラブの私の講座にもいらしてたんですって 気がつきませんでした
鎌倉ペンクラブの講座にはいろんな方がいらして下さっていて このTwitterからも何人かの方がいらして下さってましたが 行ったんですよ と鎌倉の方に後から言われて驚くことが何回か 皆様奥ゆかしくいられる笑 会場をみまわしてどなたか来られてるかなあなど気をつけてはいたのですが

