5月30日
我家の薔薇 蔓薔薇です 近づけなくて網戸越しに
璋子さんが終わっていよいよ滋子さん とやっとの思いでワクワクしたのに 続いて書き出したらなんか二条天皇になっていきそう そうしたらもう万葉集 璋子さんと源氏物語で気分高揚してたのに厳しい世界に入っていくのかと やはりこんなふうに源氏物語と万葉集って 色合いが違う
久しぶりに朝散歩したら 玉川上水べりでは紫陽花が まだ花が若い
自粛生活になっての早々 朝の散歩を始めたときには青々していた麦畑 籠って入る間にこんな麦秋光景になっていて驚きました
5月31日
こんにちは 今日で五月が最後なんですね コロナで気を取られてうっかり過ごしてしまったけど 去年の五月は令和の改元でした 昨夜から二条天皇の万葉集に入るから振り返っていたらこんな画像をみつけました 令和改元特別号に仙覚さんを取り上げて頂いた時のタウンニュースです 仙覚さんは二条天皇
の万葉集を規範にしていて 仙覚さんの研究に取り掛かったとき 私は二条天皇自体を知らなかったから その辺の歴史の探訪から始めたのでした それがやっと今日から執筆に 心が引き締まっています 鎌倉市内配布の紙面で入手できなかったのを鎌倉の方が送って下さったのでマーカーが引かれてました
それにしてもまだ一年前なんですね あれからいろいろあって おかげで籠って執筆生活に やっと仙覚さんの小説が軌道に乗りました
新しいフォロワーさんがいられるので先のタウンニュースの取材に至ったきっかけのコラムを再掲 以前二年半ほど鎌倉と源氏物語というコラムを連載していてそこに仙覚さんと妙本寺境内の万葉集碑を書きました 既に担当記者さんが転勤になって 編集長さんがコラムを思い出されての取材になったのでした
この画像の万葉集研究碑と 先ほどのタウンニュースの画像の碑 2009年撮影とおそらく昨年撮影 あまりの文字の剥落に驚きました それほど境内にあっても顧みられなかったという事 その後鎌倉市でも仙覚文庫を設立したり 再来年鎌倉殿の13人で鎌倉が舞台になるからもう綺麗になっているでしょうか
二条天皇が内裏で和歌会をされたのが当時の歴代天皇方の中にあって唐突で不思議だったのですが 先日TLで美福門院得子さんが六条藤家の出身と教えて頂いて 二条天皇には即位前から六条藤家がついていたんだ~と納得 清輔の袋草紙も耳にする機会は当然あったんですね
清輔については丹後内侍とのからみで去年すでに書いているから察しがついて進められそうだけど 去年は美福門院得子さんが六条藤家出身を知らなかったから 書いていて平面的で詰まって中断してました どうしても膨らまなかったのにはこういう事情があったんですね でもまさか得子さん関係を詰めるなんて
これで立体的に二条天皇の和歌会が想像できて人が動き出しています ほんと 去年動かなかったときのどうしようもなさ! 原稿が動いたときの解放感 ほんとうに両極端
6月1日
おはようございます 去年の今頃は夏の学会発表に向けて古筆切と奮闘していたのでした その時の古筆切が金沢文庫本万葉集 原稿が万葉集に戻ったので資料を出していたらこの入門書が出てきて懐かしい あまりにスッキリ気分が万葉集に移行できて我ながら驚いています
昨年夏に古筆切で研究発表をしたのはずっと鎌倉の源氏物語と万葉集の活動を見守って下さっているある方からのこんな古筆切があるのだけど というお問い合わせが発端 それで古筆切の世界を開示されて見ていたら 源氏物語の古筆切で気になるのがあって それを探って発表したのでした 私はこういう方々に
ほんとうに恵まれていて それぞれが全部原稿の土台になって生きている この古筆切から見えてきた世界は後編に書くから当面はこの方には感謝の気持ちが伝わらない 早く原稿を仕上げてそれぞれの方に喜んで頂きたいと思ってはいるのですが
汚ない走り書きですが昨年の学会発表準備のノート 4月13日の日付で今見たら金沢文庫本万葉集がいつ冷泉家に入ったか に続いて玄覚が書写した可能性は? など 一年前はこんなことを追及してたんだなあと 玄覚さん 後編で活躍して頂きます
次のページも重要 (仙覚さんの)文永三年本に見る書写形式(漢字に片仮名訓)は「二条院御本」に源流を発する→西本願寺本・金沢文庫本も同じ この二条院御本が二条天皇の万葉集です(それにしても走り書きが凄くてすみません)
エクスプローラでの閲覧ができなくなり 今日からGoogleChromeでTwitterを見ることになって奮闘 日常どっぷりの無駄な時間を過ごしてしまいました(と イライラ) 仙覚さんの生涯は決して日常の時間ではないです
シャルルアズナブールを聴いています GoogleChromeですっかり気分が日常に堕してしまって気分を煽るために 気分を取り戻すのは大変
音楽を止めました 小川靖彦先生『萬葉学史の研究』を読み返して寝ます
6月2日
おはようございます 夏萩が咲きました 雨の朝 露が綺麗です 昨夜は久しぶりに小川靖彦先生『萬葉学史の研究』を拝読 仙覚さん研究を始めて最初にある意味熟読させて頂いたご本ですが難しかった その後何回か読み返すことがあって その都度わかったつもりになっていたのに やはりまた気付きがたくさん
今まで六条藤家を意識的に避けてきていたから 二条天皇に六条藤家が関わっているとなると避けられなくなって多少把握し そうして読んだら なんと 祖の顕季が白河院の近臣で万葉集書写の歴史にも重要な関わり この辺り 今日一日また熟読させて頂きます
研究から離れて小説を書いているのに この段は研究の再来! 源氏物語でも物語論とか語る部分があるから 万葉集論みたいになってもいいと思って浸ります
源氏物語の光行さんも六条藤家寄りの人なんですよね 私は御子左家から中世歌壇に入ったからどうしても対抗意識が抜けなくて 光行さんのときも意識的に外していました たぶんまた光行さんのときに見直すことになるでしょう 研究は公平にならないといけないですね笑
萬葉学史の研究を拝読していて仙覚さんが二条天皇の万葉集に絶大な信頼を寄せていたとある中に重家本もとあり あ と思って年齢を調べたら 二条天皇即位の年に31歳 この方ですね! 二条天皇と万葉集をされていたのは 清輔があまりに有名だから気持ちの中で弟のこの方を無視してました 24歳も離れてます
美福門院得子さんには甥にあたり ウィキによると二条天皇側近のために後白河院から解官にあってます まさにツボ! 萬葉学史の研究 もう少し読み進みます
6月3日
おはようございます 柏葉紫陽花も満開に 小川靖彦先生萬葉学史の研究を拝読していてまた白河天皇に戻り 結局は万葉集問題も白河天皇に端を発してたのだなあと面白く思ったのですが 万葉集をもともと頑張って次点などしていたのが摂関家の道長頼通 そこに摂関家の力をなくして天皇親政にしようと天皇が
参入して 題詞と歌の高低を逆にして書写することを張り合った 頼通や上東門院彰子さん方が亡くなられ摂関家の立場が弱くなって万葉集も白河天皇親政時代に天皇家に特化したと この親政時代に近臣だったのが六条家の祖の顕季です
題詞と歌の高低問題は煩雑なので省略しますが その白河天皇親政時代の万葉集とは別の万葉集を作ろうと対抗したのが二条天皇で そこに顕季の孫の重家が 六条藤家は祖の方の時代からずっと天皇の傍らで万葉集をされてる 清輔だけが外されていて 袋草紙が認められて昇殿を許されるのは二条朝期途中から
インクを換えようとしてカートリッジの予備が入っている籠を出したら古いパトローネがあって 何だろうと蓋を開けたら桜貝が数個入っていました 鎌倉の海で拾ったのを鎌倉の方から頂いたもの インクも私の趣味だから 籠にはこんな細かな趣味のものが雑多に入っています 籠の取手には大きな木蓮の造花が
細々した趣味のものが入っている籠と 籠に絡ませた木蓮の造花 こういう造花が越してきた当時の吉祥寺では容易に入手できました 今はチェーン店ばかりになってすっかり潤いのない街に
籠のなかに入っていたパトローネと そのなかに入っていた桜貝です パトローネってフィルムカメラ世代でない方にはわからないかもと思いながら投稿しました笑
メモ: 堀河百首より をやま田の稲葉の露にそほちつつ人めもる身はくるしかりけり(顕季) 顕季は堀河百首の歌人だったんですね 万葉集の歌を17首利用しているそうです