7月4日
雨の朝の玉簾の蕾第一号 放置していたベランダのプランターを整備して生き返った玉簾です おはようございます 都知事選が終わるまで煽られるのが嫌だからTLは見ないという当初の覚悟は跡形もなくついに終盤戦 宇都宮けんじさんのどんどん風格ついて輝いていかれるご様子にひょっとしてひょっとしてと
こんなに見事に開いた時期もあったのになぜか今年はまだ蕾です 我が家のカサブランカは 日照とかいろいろ影響あるのでしょうね 周りに木や家が建って 諸事あって原稿に向かえないでいましたがその間もずっと思念は進行していて 昨夜頃から彰子さんと能信が会話しはじめています こんなことって!
石巻や鳥取で感染した方々は東京にきて帰られた方々とか 横田基地のマップでは東京の赤い地域に入った人は何日か隔離と 東京都心部 相当ヤバイと思うし 当地は多摩だからやはり地図の赤い都心部地域には例え美術館でも行かないでいようと思います
朝蕾だった玉簾が開いていました でも過去写真を見てたら玉簾の開花は9月 たった一輪なのはこの一輪が間違って咲いたのでしょうね でも嬉しい
7月5日
雲が刻々と金色に染まって目が離せませんでした
もう一枚 風が強く 嵐のような風 雲と関係あるのでしょうか
家の背後になる西の空はもっと強烈な金色に
TLは コロナを配慮して最終日の街宣を止められたために 他の候補の方の街宣ばかりが怒涛のように流れてくる こうなるのをわかっていて止められた方だからこそ信頼できる と思う 慎重過ぎてし過ぎることのないコロナ 最終街宣を取りやめるなどのありえない決断こそあり得ない真の候補者さんと思います
案じていますとお葉書を戴いた 東京にいる私に どうぞどうぞお気をつけてお過ごし下さいとも 鎌倉の活動を最初からずっと見ていて頂いた あとは成就のご報告をと思っていました この方にはまだ華鏡のことをお伝えしていない 書けたらと思っていたけれど そろそろやはり華鏡 前編に全力投球しなければ
7月5日
おはようございます 朝一で投票にいってきました どうか願いが叶いますようにと祈る思い 昨夜届いた恩師のお葉書に励まされているなあとしんみり 東京を離れられてから糸の切れた凧みたいだったとつくづく思いました 都知事選に気をとられることもなくなるからこれから心機一転頑張ります
都知事選が終わりました ほっとしたのは山本太郎さんの立候補で宇都宮けんじさんの票が割れてという敗北にならなかったこと 両陣営の方々に心から感謝します そして 私的には宇都宮けんじさんが今でも政治活動に前向きに健在でいて下さったことの確認ができてほんとうに嬉しかったです
都知事選が終わりました ほっとしたのは山本太郎さんの立候補で宇都宮けんじさんの票が割れてという敗北にならなかったこと 両陣営の方々に心から感謝します そして 私的には宇都宮けんじさんが今でも政治活動に前向きに健在でいて下さったことの確認ができてほんとうに嬉しかったです
宇都宮けんじさんは 最初にたったひとりで立候補の会見をされ そして コロナを配慮したったひとりで夜の街で最後の街宣をされた孤高なお姿 政治家としての美学のお姿 ずっと心に焼き付けられていくと思います 心からありがとうございました
7月6日
おはようございます 都知事選の明けた朝 今日から私は華鏡に心機一転頑張ります 密教では血脈といって人から人の教えを大切にします それを教えて頂いた方からの励ましを得て 今迄随分枯渇していたなあと 人から人の温もりから離れていたから原稿に心を込められなかった そんな気がしての心機一転です
それにしても 共産党の方々 なかでも志位委員長と小池晃さんの知性に裏打ちされた信念のブレなさ 大きなことのためには潔く身を引いて それがのちに裏切られても文句一つ言わないで達観されている凄さ 感服しています
そういえば私 仙覚さんの小説を書くからこんなに政情に関心を持つようになったのだから 以前はひたすら文学だけに没頭していたのだけれど 共産党不破委員長のファンで 新人賞を頂いた小説で憧れの人を不破さんと命名して書いたのでした だから志位委員長との交代の時期も知っています
政治の世界の魑魅魍魎は仙覚さんの人生がそれであったのだから理解しているつもりだったけど でも今は民主主義の選挙で選ばれた人が政治をする時代だから鎌倉時代とは違うと思っていたのに 選挙をする人たち自体がなにもわかってなくて魑魅魍魎を選んでしまうなら選挙なんてと思ってしまいました
私の原稿はこれから仙覚さんの人生に入って書いていくのだけれど 今日のここの感想はどう書けるか自信がない 今までは為政者の側の酷さとだけしか認識してなかったので でもこれがたぶん中世にあってもそうなんだという気が微かにしています 人間社会ってそうなのかも
でも だからこそ仙覚さんは万葉集に没頭し 普遍の芸術性 普遍の真理に浸った 対極の意味で 今日の経験は私には有意義だったのでしょう 仙覚さんの原稿の華鏡 普遍の価値に仕上げます
用あって昨年夏に岐阜の学会で発表した時の資料を見ていたら 昨年の今頃はこんなことをしていたのだなあと一年後にこんなコロナの世界になるなど夢にも思わなかったと 人生は 歴史も 本当に先は予測つかない 写真は自分で作った王朝継紙の端切れですが左の一枚は徳川美術館の講座で頂いた本物です
昨年の今頃発表用の配布資料をコピーに立川のキンコーズに行っていました そんな写真を見ていたらなぜ撮ったのかこの一枚があって料紙っていいなあと改めて思いました 発表は源氏物語写本の大型本についてでしたが 金沢文庫本万葉集にも言及していて そこが目下の関心事で読んだのでした
白河天皇と能信のこと 白河天皇があまりにいい流れで院政まで書けてしまったから 法勝寺を入れるのに苦労して やっと入れられたと思ったら 能信が入ってない 気持ちの流れを選挙とかで中断して書いた院政までの文章は 能信の生前没後に分けて 生前に源氏物語 没後に法勝寺 と気持ちを込めて書くべきと
やっとそこに思い至りました 情ないくらいに気がつくのに時間がかかる 執筆を再開したら もう中断したくない!
やっと気がついたのですが 白河天皇はずっと大江匡房に教えを受けていたわけでなく 能信に源氏物語を 匡房に法勝寺を 開示されていたんですね (選挙前に これ わかっていたか 今となっては不明)
貴方の鎌倉での活動の今迄の著作を読み返していますと頂いたので それなら華鏡をこそ見て頂きたいと思って纏めています 今迄の著作はこの華鏡への序章だったから それに付して去年の岐阜での発表資料をと思って見ていたら この方にこそこれは聴いて頂きたかったという内容 去年お送りするのを遠慮して
たのは 鎌倉でいろいろなことがあって気持ちが支離滅裂だったからだけれど 今ならすっきり以前みたいにお送りできる 気持ちって整理つくと変わりますね で 今ツイートしてるのは 配布資料の一文章をご紹介したいから 引用します 「尾州家河内本源氏物語は親行の稿本ではないかとの説もあるが、親行は
思われているほどにはこの写本に関わっていないのではないか。従来の研究は尾州家河内本源氏物語が河内本源氏物語の由緒正しい写本ということに捉われ、親行を偉大に扱い過ぎたために論点がずれてしまったのだろう」← 尾州家本についてはもう立派な研究書が出ていますが、小説の進行にはここが重要で
それともう一点 金沢文庫本万葉集について 「金沢文庫本万葉集は金沢北条氏三代当主貞顕の手になるものではないか。文庫のさらなる充実を図った貞顕が蒐集・制作したものの一つではないか。風格から推して貞顕の六波羅探題在京中に制作されたものだろう」←貞顕は『たまきはる』を書写したりしています
昨年の学会で発表したものです。本当はこれらを論文に仕立てて機関紙に載せるべきなのですが それをしてると仙覚さんの小説にかかれなくなるので 小説を書くほうを選びました 鎌倉滅亡の時代の貞顕までは書けないけど 実時と親行の関係は書きます(ここが私の鎌倉の源氏物語の原点なので力を込めて)
7月7日
【写真は大宮八幡宮乞巧奠です】『源氏物語』は紫式部が書いた本は残っていず、私たちが読むことができるのは昔の人が書き残してくれた写本があるからです。『源氏物語』には二大写本といって「青表紙本源氏物語」と「河内本源氏物語」があります。「青表紙本源氏物語」は藤原定家の校訂で京都で成立。
「河内本源氏物語」は源光行が始めて鎌倉で成立しました。仕えていた平家が滅亡したために光行は鎌倉に下り、頼朝・頼家・実朝三代の将軍に仕えるのですが、武士に囲まれ雅とはほど遠い鎌倉の地で、親しかった平家の方々を偲ぶよすがとして『源氏物語』の校訂を始めたのでしょう。光行の代では完成せず
親行が引き継ぎ、それからなお二十年近い歳月を要して建長七年七月七日に完成しました。親行は六十歳半ばに、時代は第六代将軍宗尊親王の世になっていました。建長七年七月七日の朝、「河内本源氏物語」の完成をみた親行の胸に去来したのは、まず紫式部のことであり、それから玄宗皇帝と楊貴妃でした。
写真は鎌倉の源氏物語の講演用に作ったパワポのスライドです もう定番になっていて どんなテーマの時も親行さんの河内本完成のときはこれ 親行さんは河内本完成の日付を長恨歌のこの詩句から固執しました それほど親行さんには長恨歌が原点だったということ 七月七日は鎌倉の源氏物語の日です
たまたま深夜親行さんと実時の『尾州家河内本源氏物語』のことで呟きました その親行さんです 鎌倉時代の宗尊親王周辺で親行さんを筆頭に 政府高官の実時が先導して 源氏物語愛好のブームが起きていました その宗尊親王の御所跡地あたりが今更地とか 発掘調査されるのでしょうか 興味津々
華鏡のご報告のお便りを書きました これからが勝負です 頑張ります
今年の七夕は自粛のおかげで落ち着いてツイートできた 去年は鎌倉の諸々で憤っていたりしたからうっかり忘れるところだったのを思い出しました そういえば去年は小川町で仙覚さんの講演をさせて頂きnそのパワポを作っている過程で実時と仙覚さんの最初の出会いが見えてきて小説が動き出したのでした
日付が変わって今年の七夕は終わり 去年の小川町の講演が今年だったらと思うと 昨年だったことに奇跡的と感謝を禁じ得ず 昨年発表した学会も今年は中止で昨年だったことにこれも奇跡的と感謝 そうした流れの中での華鏡 恩師の方へのご報告が奇しくも七夕の日だったことに気がついて偶然にしてもと思う
今日から新しい流れです