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2020.7.14 ツイッターから転載…日々雑感、白河天皇の上東門院彰子さんや六条藤家と親子さんのことなど

7月10日

おはようございます TLにポテトサラダがロシアが原点と読んで そういえばカフェロシアさんのメニュー「毛皮のコートを着たニシン」がポテトサラダをベースにニシンとビーツの煮たのがミルフィーユになっていたと思い出しました 大好きなメニューです

 

テイクアウトで購入した「毛皮のコートを着たニシン」 左のピンクのソースがかかっているのがそうです 下からポテトサラダ・マリネしたニシン・刻んだビーツが重なっています(私はどうしても毛皮のコートを着た貴婦人って覚えていて でも隣で貴婦人下さいといった人がいてお店の人に通じてました)

 

紙の本の後拾遺和歌集が届きました 今日は一日これで過ごします

 

後拾遺和歌集選子内親王 「上東門院尼にならせたまひける頃よみて聞えける 君すらもまことの道に入りぬなりひとりやながき闇にまどはん」← ページを繰っていたらふと眼に入って

 

だいたいわかってきました 後拾遺和歌集 kindleと紙の本では同じ本かどうかわからないけど kindleは旅のお供程度にいいですね 紙の本には解説どころか通俊の後拾遺和歌抄目録序があって それがとてもリアルにこちらに伝わってくる 白河天皇と通俊の心が通じた関係も伺えました

 

解説でおかしかったのは どうも通俊は時の歌壇の重鎮経信や大江匡房を敬遠していたこと 二人とも地位や立場に比して歌の入集数が少ないです ここから思うにこの二人が選者に選ばれなかったのも 白河天皇の気質は通俊側なんですね 文学的か衒学的かの違い? 私は白河天皇の気質が好きです

 

十年近く(曖昧ですが)の歳月をかけて選んでいて その間に中宮賢子さんの崩御があり ですから 白河天皇がずっと通俊に任せっぱなしという事はあり得ず ふたりで語らいあうこと多かったと思います そこで白河天皇から上東門院彰子さんの歌を入れるような話があったと 私は推測しました

 

そうっか とはたと気づいて飛び起きました 白河天皇と通俊は経子さんの部屋で後拾遺和歌集についての対談してたのですね 経子さんも交えて だから白河天皇と経子さんはあんなに親密なんだと なんか二人の関係に意志の疎通のできているほのぼのしたものを感じてました

 

思うのだけど 源氏物語を好んで読んだ白河天皇(私の勝手な決めつけですが)は女性の気持ちがわかって優しかったのでしょうね 中宮賢子さんが亡くなった時食事も喉を通らないほど悲しんだというのに 賢子さんと並行して通俊の妹経子さんにも優しい 源氏物語の女性陣の苦しみを熟知してるからと思う

 

通俊が後拾遺和歌の選者に選ばれたのには経子さんの存在が大きかったようにウィキに書いてあったけど 源氏物語世界に生きる人たちと 経信や大江匡房はそうでない人たち の二項対立の気がします それから 解説では例えば一番入集歌の多い歌人は和泉式部とか詳細にありましたが上東門院彰子へは皆無

 

歌人として認められていないのでしょう だからこそ私はそこに白河天皇の彰子さん入集の意志を感じてしまったのでした 時の権力者だから入れられて当然と従来の研究者さんは思ってられるのでしょうね これから上東門院彰子さんのお歌を詳細に読んでみます kindleでは二首だったけどそれも確かめます

 

よくわからないのだけれど kindleと紙の本では底本が違って同じ本の電子書籍版ではないらしい 歌数は同じで赤染衛門が掉尾 なのに索引の白河天皇や上東門院彰子さんの歌数が違って 昨夜呟いた白河天皇と彰子さんが2首ずつというのは 紙の本では白河天皇7首 彰子さん2首 紙の本優先に見ていきます

 

歌集にこんなにのめり込むのは新古今和歌集と玉葉和歌集以来 でもまさか後拾遺和歌集にくるとは思わなかった 後拾遺和歌集は見れば見る程白河天皇の意向の入った通俊選ですね 経信や大江匡房だったらこうはならなかった こうっていうのは彰子さん主体の時代の歌人が多い源氏物語風

 

7月11日

おはようございます 感染の危機感が日増しに強まる中での政府の対応 人間って為政者のなると人の命というものが見えなくなるんですね と仙覚さんの生涯を思う 時代が変わって民主主義の世の中になっても と信じられないのですが でもとにかく私は華鏡を完成させなければならないから頑張ります

 

写真は横川で発見された上東門院彰子さんの経箱 円仁の経典を弥勒菩薩到来の世まで残すために埋めたその事業に彰子さんが支援しての経箱です 彰子さんは国母としての務めを終生忘れずにいろいろ務めています そういう心意気の為政者が 今 欲しい

 

呟こうとして先にTLを見るとひどい現実に呟こうとした意欲がなえてしまう でも呟きます 後拾遺和歌集のこと この勅撰集は若き帝王の若気の至りみたいな院宣発布ですね 即位して間もないころの院宣だから誰に進言されて? とずっと考えていたのですが どうやらご自分の意志で決められたみたい

 

だから和泉式部だけ突出して多かったりと構成が破天荒 これは帝王でなければ誰もできません 結果として選者の通俊が未熟と責められているけど 白河天皇はそれでよしとされてたのですものね なぜこんなことを というのは 源氏物語と関連して和泉式部集などを読んでいたのだと思います

 

誰の進言で? が解けないうちは原稿にかかれなかったのですが やっと進みます(最初 大江匡房の進言でと考えていたのですが 匡房はこの集では冷遇されていることがわかって それで進みました)

 

7月12日

おはようございます 昨夜のツイートの続きですが白河天皇は若気のいたりみたいな後拾遺和歌集を経て 晩年近く再び勅撰集を出します それが金葉和歌集で 普通に歌壇の重鎮俊頼選 この対比が面白いです 今日からやっと六条藤家にかかります 昨夜白河天皇は誰と和泉式部集を読んでいたのだろうと考えたら

 

六条藤家が浮かびあがりました 万葉集まで出て来ないと思ってました笑 後三条天皇に隆経が仕え 妻の親子さんは白河天皇誕生で乳母になり その二年後に顕季誕生 親子さんのもとで顕季と一緒に白河天皇は和歌を勉強していたんですね だから天皇になれば勅撰集を出せるっていう野心もそこで芽生えたと

 

貞仁様は和泉式部がお好きですねと親子が笑った 華鏡後拾遺和歌集の段の冒頭が浮かびました やっと舞台が整ったようです(長かった〜 枯渇したかと思ってました)

 

岩波書店新日本古典文学大系金葉和歌集解説より 古今後撰拾遺の三代集は以後の和歌史の古典的権威 しかしその後長い空白期 それは道長ら摂関家強大化により天皇が政治の中枢から外れたことに起因 そうした背景にあって四番目の勅撰集である後拾遺和歌集は 白河天皇による天皇の復権を目指す文化的改革

 

続) 後拾遺和歌集成立後、和歌史上で注目すべき様々な現象が認められ始められるようになった。中略。或いはまた元暦校本万葉集に代表される、万葉集の書写や訓点が盛んに行われ…… 解説のなかだけでも なんか 万葉集が近づいてきたかの感で ほっと!

 

続) 俊頼は、後拾遺和歌集以前の勅撰集とは全く異なった名称金葉和歌集を冠した点も注目される。金はすぐれたの意、葉は言の葉の意で、万葉集の名称を意識したのであろう。

 

金葉和歌集の成立って 待賢門院璋子さんの時代なんですね 崇徳天皇の即位の三年後 後白河天皇誕生の前年になります 白河院は俊頼の選を気に入らずに三回も奏覧させている その三回目の本が璋子さんの手元にあって 兄の太政大臣実行がそれを借りて書写したと 璋子さんは和歌にも関心がお有りでした!

 

親子さんに関連して六条藤家の歌道の家としての活動が隆経からだったか顕季からかごっちゃになって それでブログを見たのですが ブログでもわからないからこれから調べるって 後拾遺より万葉集は後だし また萬葉学史の研究に戻らないといけないかも

 

六条藤家とか親子さんとか六条藤家の祖とかを調べていた時の興奮が戻ってこなくて なんだったかなあとブログを確認したら 6月12日に「ここまで来たら親子さんになにか喋らせたくなった」と そして今朝 親子さんの声が降りてきたのでした 「貞仁様は和泉式部がお好きですね 」と 奇しくも1ヶ月前でした

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