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2020.7.16 ツイッターから転載…日々雑感、後拾遺和歌集から和泉式部のこと

7月13日

おはようございます カサブランカが咲きました 今日は和泉式部日記を少し読もうかと 学生時代夢中になって読んだ日記 それが今棚にあるかどうか それを探すところから

 

和泉式部日記 新潮日本古典集成でありました 野村精一先生校注だったんですね 国文学の学会で紹介して頂いて 源氏物語二大写本に秘めた慰謝という論文を喜んで下さって 潮廼舎文庫にもお誘い頂いていたのを実現しないうちにお亡くなりになられて 今日は野村先生の追憶で拝読させて頂きます

 

昨夜 親子さんについて読んでいたら 白河天皇は10歳のころ母の茂子さんを亡くしていて 他の乳母も早生して親子さんだけになったから 白河天皇にとって親子さんは母親同様だったと それで親子さんに位を与えたり厚遇するのですが 少年時に母を亡くすって 白河天皇は育ちからして既に光源氏なんだ〜と

 

先月の時点ではまだ親子さんについてこなれてなくて気づかなかったのですが、巡りめぐって親子さんに戻ったら、そうだったんだ~となりました。永遠の母親思慕は白河天皇の心の深さの原点ですね。

 

生まれた時から母を知らない仙覚さん。11歳で父親の発狂から幕府での重職を継いだ北条実時、11歳で両親から離され将軍になるべく鎌倉に下向した宗尊親王、と華鏡の隠れたテーマが運命を背負った11歳の少年で、以前白河天皇を無理矢理11歳で彰子さんのもとに行かせたのでしたが白河天皇もだったなんて

 

なんかまだよくわからないのですけれど 白河天皇のこと 待賢門院璋子さんから書きはじめて今があるのですが 根本のところで理解していなかったかの感がしてきて書き直そうかという気持ちになっています たぶん書き直さなくても今の段で書けばいいと思うのですが…… 後拾遺集には撫子が多いですね

 

これがあったから進まなかったんだ という思い 表層から深みへ 一歩入りました

 

7月14日

おはようございます 和泉式部の為尊親王と敦道親王は三条天皇のご兄弟だったんですね このあたり白河天皇を書くのに頑張って把握したばかりだから 文学でしか捉えていなかった和泉式部の現実がリアルに見えてきてびっくり 公任は白河に別業を持っていて 彰子さんも訪ねているし 和泉式部も親王と一緒に

 

行ってます 公任といえば紫式部がこのあたりに若紫やさぶらふと声かけられて逃げた人 和泉式部は貴顕と付き合って別業を訪問まで この対比が私には複雑でした

 

和泉式部の恋愛 為尊親王と敦道親王の逝去が源氏物語千年紀の1008年直前で その年に紫式部が公任から声をかけられたのだから 和泉式部が公任の白河別業を親王に伴われて訪ねたのは紫式部が源氏物語を書き出した頃 紫式部が公任に声をかけられた年の和泉式部は親王の逝去後で失意で籠っていた頃らしい

 

寵愛される貴顕を失ったあとの和泉式部と 生き方は地味だけれど源氏物語を書いた紫式部 というこの対照的な二人の女性を公任がどんなふうに二人を見ていたか ちょっと興味(和泉式部については実人生を読まない方が夢が残ります)

 

公任の和泉式部評がありました 新潮古典集成野村精一先生解説より 暗きより暗き道にぞ入りぬべき などの歌を賛して 凡夫の及ぶべきところにあらずと評したという逸話が『俊頼髄脳』にあるそう この歌が和泉式部の人生のどの時期のものか 気になります

 

よく読んだら公任は暗きよりの歌よりも 津の国のこやとも人をいふべきにひまこそなけれ蘆の八重ぶき を賛したとのことでした 凡夫の及ぶべきところにあらずは津の国のの歌への賛で 暗きよりに対してではないです

 

なぜか どうしても和泉式部を追っていると心が殺伐としてくるので切り上げて 源氏物語に戻りました 例によって中野幸一先生『正訳源氏物語』 桐壷巻をざっと読んだのですが 心がすうっとして一気に殺伐感解消 なんなのでしょうね これ 紫式部さんの文体の奥にある何かだと思います

 

中野幸一先生『正訳 源氏物語』第一巻です 訳の下に本文が添付されているので 本文が必要になっても最近はもうこの正訳に頼りっぱなしです

 

中野幸一先生の正訳は美しいです。現代語訳というのでなく、原文を現代の人が読みやすいように書き慣らして下さったって感じ。拝読していて少しも現代文ということを感じないどころか、途中で、あれ?、原文を読んでいたっけ、と思って下に添付されている原文を見ると明らかに違って現代文なんです。

 

白河天皇の後拾遺和歌集を書こうとして和泉式部に辿り着き 68首も採られた和泉式部への天皇の思いを探ってここまできたら やはり私は和泉式部よりも源氏物語というところに落ち着き この段に和泉式部を入れなくても書ける気がしてきました でも 和泉式部を辿ったからこその結論で意味ある展開でした

 

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