2020.7.28 ツイッターから転載…日々雑感、二条天皇と万葉集の項のために丹後内侍の年譜を出したら2009年に作ったものでした
7月26日
おはようございます 昨夜この年譜を出しました 丹後内侍に特化した年譜 これを作ったの11年も前なんですね まだ万葉集も仙覚さんも机上にのぼってきてなかったころ 花の蹴鞠という小説のためだったのですが それが今になって役立つなんて
11年前に花の蹴鞠を書いていたんだなあというより それが未完なのは鎌倉の源氏物語活動に入ったからだったと思い出しました 2009年に花の蹴鞠 2010年に鎌倉で最初の講演 2011年に『源氏物語と鎌倉』刊行 花の蹴鞠を読んで下さっていた方に続きはいつ書くんですかと問われたことも それは華鏡に入れます
二条天皇の万葉集の段になってやっと書いている気持ちが整ってきました それまでは鎌倉の源氏物語活動に追われているような それから逃げるのに必死だったような そんな感じで過去を背負っていました やっと原稿の前だけを見つめて書く透明感 とても気持ちいいです
今日は終日起きると眩暈がして気持ち悪いのでだらだらしてました で ふと思い出してこういう時の対処の仕方があったなあと 今夜はそれをして寝ます 高校時代の友人から電話があって 音沙汰無いから心配でと こういう時代だからお互い心配し合いますね 原稿書いてるからと言うとああよかったと
なぜ電話したかというと 源氏物語の話が出たので思い出したと そうっか 彼女のなかではまだ私は源氏物語の人なんだあと思い 一生懸命万葉集について話したのだけれど 一般の人には万葉集って馴染みがないんですね それで華鏡を思ったのですが これ 一般の人に理解されるには 相当難しい!
眩暈を治す体操をしたからか 単に夜型時間になったからか 快調になって原稿に向かっています この二条天皇に丹後内侍が出仕した頃に後白河院の法住寺殿が完成したり 建春門院滋子さんが高倉天皇を産んだり が並行してあるわけだけれど それを入れたらごっちゃになってしまう 気配だけでも入れますね
あ そうか 丹後内侍に法住寺殿ができていくようすを見させていけばいいかも 懇意だった二条院讃岐と建春門院滋子さんの噂話をさせたり
この状況を見たら 丹後内侍は後白河院を知っているんですね 内侍は天皇のそばに仕えて世話をする役職というから 後白河院とも話を交わしたことがあったのかも など妄想 丹後内侍と同じ時期に清輔が昇殿を許されているから 丹後内侍と清輔の交流は書きます そこで二条天皇の万葉集が成立するのですが
その二条天皇の万葉集が二条院御本といって 仙覚さんが宗尊親王に献上した文永本の規範になっているのだけれど 鎌倉で同じ比企谷に暮らしたことのある両者が 時代が違って会ったことはないといっても 同じ二条院御本に関わっているって 丹後内侍が京から何かもたらしていたのだろうかと これも妄想
丹後内侍が二条天皇に出仕した三年後位に二条天皇は崩御 その後何方が天皇に? と見たら二条天皇の皇子の六条天皇 二歳で即位と え では誰が政治を? と見たら後白河院 二条天皇の親政と院の院政を争っていた院が 六条天皇でまた院政を獲得するんですね 院にとって六条天皇は孫 ふ〜んと納得
と ツイートしてるといろんなシチュエーションが湧きます 一人でノートにメモ取りながら考えていてもこうはなりません Twitterは私にとって閃きのツールになっています 不思議ですね 今これを呟くまで 丹後内侍と清輔二人の対話場面しか浮かんでいませんでした
写真はコロナ前の世界として昨年の今頃撮った西武池袋店モネの庭と三菱一号館美術館ラファエル前派展から載せるようにしているのだけれど 昨年まで載せていた写真の選び方と今年と違う 今のツイートの華やかな薔薇 昨年はあまりに鮮烈で載せなかった 今は こういう生き生きした色合いに救われます
7月27日
おはようございます 昨夜何気なくフォーレを聞いていたら失われたでプルーストが書いていたんだっけ と思い出して検索 読みたい記事にはたどりつかなかったけれどベートーベン弦楽五重奏曲を晩年好きだったと読んでそれを探して聴いて寝ました ずっと音楽も封印していたけど なんとなく戻るのかな
万葉集には題詞を高く歌を低く書く書き方と題詞を低く歌を高く書く書き方の二とおりあり って華鏡の中の文章なのですが 自分で書いていて笑ってしまうくらい 読む方に到底一回では理解していただけないでしょうね でも一応こうやって書いていきます 少し手書きでしてみようと思って万年筆を出しました
モンブランもパーカーも 万年筆を何本書き潰したか もう手書きをすることはないと思って緑色のウォーターマンが一本あるからそれでいいと思っていたのですが 以前このペン先に惹かれて買ってしまっていたもの プラチナです

