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2020.7.12 ツイッターから転載…日々雑感、後拾遺和歌集、kindle本と紙の本を購入して読んでいます

7月8日

おはようございます 以前和漢朗詠集を買ったときに kindlefireで読もうとしたら電池切れで 充電しようとしたらコードがなくて諦めていたのが 昨日偶然でてきて充電しました 七夕ってTLを見たら願い事をする日だったんですね 親行の河内本しか頭にないから願わなかったのを コードは心で願ってたのかも

 

私のkindlefire こういうのも入ってます  仙覚著『万葉集註釈』 100円だったので全巻買いました 嘘みたいでしょ

 

私のkindleをご紹介 その3 高遠弘美先生訳プルースト『失われた時を求めて』 旅のお供にこれを鞄に忍ばせて 紙の文庫本で読むより読みやすいし持ち運びに便利 全巻こちらも揃えます

 

安達景盛の生誕不詳には かえって意味ある と たった今気づきました

 

まだ気持ちが乗らないけど ずっとPCに向かって文章を練っているほどには集中してきました それで書いたのが白河天皇と能信の源氏物語 白河天皇と大江匡房の法勝寺で これから白河天皇と通俊の後拾遺和歌集に入ります とにかくざっとでも進めることにして そのうちに気持ちも入ってくるでしょう

 

後拾遺和歌集 Kindleで購入 岩波の本の電子版らしいけど久保田淳先生の解説がついてなくて 私は解説こそ拝読したいので 紙の文庫本も買いました 明後日届くみたいです

 

さして行く道も忘れて雁がねの聞こゆるかたに心をぞやる 御製〔白河天皇] ←新古金集に馴染んだ身に御製は後鳥羽院だから 白河天皇 ということが新鮮でした

 

7月9日

おはようございます 今日はKindleのこれを読んで過ごします 後拾遺和歌集 作者名を見ているだけでも楽しい!

 

なんだか随分遠くにきてしまったとの感でなんとなく郷愁に満ちて過去写真を見ていたらこれがありました 武蔵国分寺の薬師堂 原点だなあと 新人賞を頂いた「まほし、まほろば」という作品の舞台です 懐かしいなあと魅入ってしまいました こんなところですでに仙覚さんと万葉集に至る道筋が

 

武蔵国分寺は鎌倉街道上道に接していて 仙覚さんは比企と鎌倉の往還に何度も通っていたはず 当時まだ国分寺は焼失していないから 仙覚さんも拝観したことでしょう 仙覚さんの歩いた道をたどって鎌倉街道を撮りにいったら薬師堂があって 小説を学びはじめた初期を思い出して懐かしかったのでした

 

後拾遺和歌集に上東門院彰子さんのお歌は二首 「一条院うせ給ひてのち、なでしこの花の侍りけるを、後一条院をさなくおはしまして、なに心も知らでとらせ給ひければ、おぼしいづることやありけん 見るままに露ぞこぼるるおくれにし心も知らぬ撫子の花」「時のまも恋しき事のなぐさまば世はふたたびも

 

背かざらまし ← 前中納言顕基が一条院崩御のあと出家して横川にこもっているところに上東門院からどうしているかと問われて送った歌の御返しです」 二首とも一条院崩御のあとの寂しい思い溢れるお歌 やはり心の深い方だったよう 横川の円仁の法華経埋経に寄せた願文を見ても哲学的思索をなされる方と

 

なんとなく えっ?となって年齢を計算しました 一条天皇崩御は32歳 その時上東門院彰子さんは24歳なんですね 三、四十代くらいまでご一緒かと思っていました 幼くおはします後一条天皇は4歳 紫式部日記に誕生を記されたのが1008年でそのたった三年後に彰子さんは夫を 後一条天皇は父を失ってたなんて

 

後拾遺和歌集から主だった方の歌をご紹介と思って まず二首の上東門院彰子さんから始めたら ここでぐっときてしまって終わりにします 白河天皇は彰子さんのこの二首を入れるために勅撰集を命じたとか……妄想ですが あ でも 撰進の命は崩御の直後…

 

記憶でですが 一条天皇崩御のあとの遺品の整理で道長のお陰で政治が乱れたと書かれた書状を見つけ 道長が怒って破棄したとか 彰子さんは愛され方で定子さんに敵わない思いを終生抱いていただろうし 崩御の後にまでそんな書状をみるはめになって 私まで辛くなっていましたが この二首のお歌は美しい

 

切り上げて寝ることにしたのですが 彰子さんへの思いが溢れて切なくて戻ってきました 白河天皇の後拾遺和歌集撰進 彰子さんへの追悼号にします 孤高の麗しい精神で 強大な支配力をもっても最後まで冷静でいらした(頼通を諌めたり)紫式部の薫陶が生きた生涯だったんですね 横川の埋経のことも書きます

 

白河天皇のこの時期のこと 能信と大江匡房の絡みを書いても気分が乗りませんでした 困ったなあ中断前はあんなに乗ってたのにと 通俊の後拾遺和歌集にはとにかく心を乗せなければと思っていたのですが まさか彰子さんに決着つくとは でも これ 華鏡として正解 後編で松下禅尼を書く時の布石になります

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