8月5日
おはようございます 袋草紙にある白河天皇親政期に最初に万葉集の書写をした俊綱は頼通の次男なんですね 頼通は長男がいることと正室を気遣って男子が生まれると次々に養子に出しました 白河天皇に白河の地を献上した師実は六男 つまり俊綱と師実は兄弟 仲もよく交流もありました 長男がなくなり
ちょうどその頃生まれたのが師実で 養子に出されず氏長者の後継者となったのですが 頼通が俊綱を養子に出さずにいたら俊綱が氏長者になっていたでしょう そうしたら師実以降の系譜はなく 九条家もなく 鎌倉将軍頼経の下向もなく と 歴史が変わってしまう なんていっていいかわからないけど畏怖
この俊綱が白河天皇親政期に道長が所持していた万葉集を書写し 白河天皇には師実養女の賢子が入内している 白河天皇周辺のこういった摂関家の人々に興味があります 父帝後三条天皇は徹底的に摂関家を嫌われたようですが 白河天皇には源氏物語に通じるなにか摂関家的な雅の志向があるような
決断するにはその発端となる動静があります 白河天皇の即位前後における周辺当事者さん方の年齢と動静を年譜にしてみました しばらくこれを見て状況把握に努めます
先程の年譜 原因と結果は 即位したから勅撰集院宣(ピンク) 師実が氏長者になったから白河の地を献上されて法勝寺建立(緑) ですね 万葉集がどこに入るか原因がみつからないので考えていたのですが 通俊たち近臣が書写してるから即位後なのは確か 親政期を通してずっとと考えていいかも
万年筆で書き出してみようと思って 思い付いて並べました 左がいつも使っている中字(と思う 細字だったかな) 右が鈴木大拙先生の手帳に憧れて買った超極細万年筆 これでは原稿書けないですね笑 いつものは慣れて書きやすいです 原稿用紙はいつ買ったのかもわからない古さ しかも横書き 縦に使います
8月6日
おはようございます 昨日の年譜 即位から勅撰集院宣と師実から法勝寺建立は点と線 万葉集の書写は廷臣とずっと取りかかってるのだから面 ということで白河天皇は即位後の法勝寺等の件が片付いた後 譲位まで(水色の囲い)ずっと万葉集にかかっていた と見ることにしました
今日も暑いですね 背後からもわっとした熱気がくるのでカーテンを閉め夜のような雰囲気の部屋でPCに向かっています 白河天皇が万葉集に取り組んだ状況がだんだん絞られてきました 法勝寺完成の翌年に内裏歌合をしているからその年までは和歌全般に関心 そこで何かの話が出たのでしょうね 隆経から
古今和歌集を学んだときに 万葉集に興味を持ったことを思い出す という流れで書こうと思います それから堀河天皇の誕生があり 法勝寺八角九重塔の完成があって 中宮賢子さんの薨去 白河天皇はがっくりしてここですべての興味を失い そこに後拾遺和歌集が完成して譲位 という流れではないかと
RT 東京ドーム来年のテーブルウェア・フェスティバル中止 まだ来年と思うけど 来年でも中止にしなければならない状況が今なのでしょうね 今年いっぱいは自粛と長く見積もったつもりが まだ来年もと覚悟しなければならない状況 テーブルウェア・フェスティバルは何回か行きましたが素敵でした
ふうっと一息ついて中休み これから白河天皇の万葉集の段に入るにあたり 今までの原稿を見直して タイトルから通しで印字してみました 自分でもこんがらがってしまうほど天皇女院の方々の錯綜ですが でも これでいく! と先に進みます 長い原稿の最初のほうをどうこういってもはじまらないから
原稿が深まると眠りが深く かつ気がつくと寝ていたり になるのですが 眠る前はこう書き出そうと考えていたことがあるのに 仮寝して起きたらべつの冒頭が浮かんでいて 眠りってこういう効用があるんです 理で運ぼうとしていることを阻止して たぶん 意味の深みからことばを救いあげてくるという
8月7日
こんにちは 今日は白河天皇の万葉集の項を書いてしまう決意でTLも追っていないのですが(さっきちらと見たら辞意表明とか)再読したいご論考がどこだったか忘れ 検索してもみつからなくて ブログ内検索したらありました 『陽明文庫王朝和歌集影』に赤澤真理氏「歌合の場―女房の座を視点として」
Twitterは思いついたことを瞬時に呟けるので載せていて それをまとめてブログに日録として保存しているのですがこういうときに便利 マイページの記事一覧から検索したいワードを入れると出てきます コピーだったかタブレットだったかとにかく何の媒体だったかも忘れてて やっとブログを思い出して
白河天皇は 源氏物語絵合巻にも参照された村上天皇の内裏歌合にならって開催しようとしたのですが それが音楽的効果を取り入れた晴儀歌合だったので意に添わず 純粋な歌合にしたそう ここには女房歌人も参加せず 白河天皇の純粋さを見る思いがします
TLをざっとさかのぼって一時間前ほどの分を拝見しました 白河天皇に集中したいから気分に影響しない程度にここまで 社会は動いてますね 今は私の頭のなかだけだけれど 華鏡も完成したら動く社会のなかに入りますように と願います コロナ後の世界に本はいっそう重要になる気がします
立秋だったんですね TLで見て ふと残暑お見舞いを出そうかしら と思いました コロナでもう皆様との音信不通も半年になったし 仙覚さんの小説が華鏡になって膨らんで順調に執筆中 ということもぜんぜん何方もご存じないから そのご報告に いつもならお年賀状がそのご報告になっているのですが
思い出しました 後拾遺和歌集には上東門院彰子さんの歌が三首ほどあります 彰子さんの薨去は白河天皇即位の翌年 後拾遺和歌集院宣の前年です 以前後拾遺和歌集をつくる際に敬愛する彰子さんの歌を入れるよう あえて白河天皇が選者に指示したと書こうと思ってました 思い出したので入れます
選者の通俊について考えていて思い出したのでした 通俊は今日九重に匂いぬるかなの歌人伊勢大輔の孫だったか曾孫だったか直系です 紫式部と交流した歌人の系譜の通俊を白河天皇が重用して当然 選者抜擢はそのあたりにあるのでしょうか たぶん歌の感性・志向が一緒
もう万葉集に行こうとしているのにまた後拾遺和歌集 簡単にここを済ませて先に進みたい のだけれど