9月16日
醍醐天皇の違和感 古今和歌集をつくった醍醐天皇と 菅原道真を左遷した醍醐天皇が結びつかなくて 古今和歌集を調べていて同じ天皇と驚きました で 新撰万葉集を父宇多天皇がつくった時 醍醐天皇は少年 もう十分感性的土壌を受けられる年齢にいました それが古今和歌集撰集に生きたかなと思った
のですが 新撰万葉集が菅原道真の撰といわれているなら醍醐天皇は道真を尊敬していなければおかしい なのに成長したら左遷する? というのが私の違和感でした 新撰万葉集に道真がかかわっていないというご論考に接してはたと膝を打った次第です とは昼のツイートの補足
宇多天皇が新撰万葉集をつくるために寛平御時后宮歌合を催し その歌合の歌を中心に漢詩をつけてつくったのが新撰万葉集 新撰万葉集が道真の撰かといわれながら疑問視もされていたのを 今日拝読した熊谷氏ご論考ではばっさり否定 華鏡は小説だから私はこの説を頂いて進めます
それにしても 宇多天皇は仁和寺ゆかりの方ですよね 古今和歌集より新撰万葉集に深まりたいのは宇多天皇に惹かれているからの気が
コロナ禍でなかったら買っていなかっただろう本たち 図書館に行かれないから最近本が増えます 仙覚さんは鎌倉時代の人なのに 華鏡がこんなに古い勅撰集の世界に入っていくとは思わなかった これはコロナ禍の私にとっての思いがけない効用でした 時間があり余るほどにある自粛
9月17日
おはようございます 宇多天皇の寛平御時后宮歌合には 紀友則・紀貫之・壬生忠岑が参加していて 相当若いころだったと思いますが その方々が後年古今和歌集の撰者に 歌合の歌の大半が新撰万葉集になったのだから 新撰万葉集と古今和歌集は繋がってます 宇多天皇から醍醐天皇に繋がっている文化
タブレットが壊れたと思った時 twitterで見て保存させて頂いていた好きな画像 それは今の自分と違う世界で 十数年鎌倉の源氏物語と万葉集研究に時間も心血も注いで行かれなかった世界 憧れから保存していたのでなく 本来の自分はこっちだという頑固な矜持からなのですが それを家族がバックアップして
くれてPCで一覧で見えて そうしたら修道院の写真が多いこと 好きなんだなあ 鎌倉に関わってなかったら行ってたなあとしみじみ twitterのお陰でシルヴィを読んだ時も行ったようなリアルなイメージで読めたし やはり薔薇の名前の修道院には生涯をかけていつか行きたい など思いました
家族に twitterのお陰でシルヴィが臨場感持って読めたのよ と言ったら 可哀想に と返されました スズダリにまで行った人だからぐうの音も出ませんが その代わり私には源氏物語だったらどんなにもイメージが膨らむけど 貴方にはできないでしょ! と内心仕返し笑 華鏡が終わってコロナも終わってたら行く
Facebookページ【仙覚取材ノート】に 仙覚さんの生涯の理解者・金沢文庫創設者北条実時との関係を投稿しました 写真は金沢文庫に隣接するこちらもやはり実時創建の称名寺阿字池にかかる反橋 金色の剣菱文様が池に映るとそれはもうほんとうに浄土式庭園の神髄です 九日目https://www.facebook.com/sengakusyuzainote
タブレット保存の画像の件でも呟きましたが 鎌倉の源氏物語と万葉集研究に関しては本来の自分でない世界という気持ちがどうしてもあって 関わっているときは本気なのですが それに全霊で浸りたくないという天邪鬼精神が背後にありそれでイメージで気分のバランスをとっています イメージは大事です
久々に原稿に戻って白河天皇の辺りを読み返したら なんか とても新しい時代に帰ってきた気分 宇多天皇 醍醐天皇 村上天皇 をこれから白河天皇に繋げます
どれくらいの年代順かしらとウィキを見たら 59代宇多天皇 60代醍醐天皇 62代村上天皇……66代一条天皇(紫式部の時代)…… 71代後三条天皇(白河天皇の父帝) 72代白河天皇 ←やはり相当長い歴史がありますね!
何気なく系図を見たのですが これは勅撰集の歴史と関わっていました 古今和歌集 後撰和歌集 拾遺和歌集と着実に作られていた勅撰集が花山院の拾遺和歌集で途絶えたのはその後摂関家の台頭で天皇の権威がなくなったから 後三条天皇が天皇家復権をして 白河天皇が四番目の後拾遺和歌集を作ったのでした
こうして見ると 白河天皇の後拾遺和歌集という命名 花山院の拾遺和歌集の後を継ぐ の意識が明瞭ですね!
久々に白河天皇の原稿に戻り 読み返そうと大井川行幸まで書いていたのを印字したら この半月の間に親指が腱鞘炎になって ホチキス止めができなくなっていました 料理では毎日不自由してたけど 原稿で不自由を感じたのは初めてで新鮮笑
そうっか 今日は新月 新しいことを始める日 そうした日にたまたま白河天皇に戻って 巡りがいい!
原稿を見直し 宇多天皇と新撰万葉集の項から菅原道真を削除 すっきりしました これで違和感なく進めます
それにしても 新撰万葉集は全くの新撰なのだから ここでいう万葉集は万の言の葉の意味で いわゆる伝わっている万葉集のことではない 新撰万葉集上巻にそのいわゆる万葉集についてなにか書かれてたけど そこを詰めなくては
ここ半月の迷走は 歌合への執着から離れるためだった? なんて…… 栄花物語にあった寛子さんの歌合とか 歌合 魅力的すぎましたものね
白河天皇の内裏歌合を書きたくて宇多天皇の歌合にこだわり 道真までいって迷走しましたが 道真を切って新撰万葉集から万葉集そのものに行ったら 白河天皇の万葉集への道筋が見えてきました 歌合も削除になりそうな泣
突然 万葉集がいつできたかの考察に入ってしまいました 新撰万葉集があるということは 宇多天皇の時代にはもう万葉集はあった ではいつできたのかを考えると 古今和歌集序に平城天皇の時代と 仮名序「これよりさきの歌を集めてなむ万葉集と名づけられたりける」 で 平城天皇を系図で見たら桓武天皇皇子
宇多天皇が59代で 平城天皇は51代だから とにかく 宇多天皇の時代に万葉集というタイトルの歌集は成立していたんですね そして宇多天皇皇子の醍醐天皇がつくった古今和歌集には万葉集の歌が入っていて だからこの時代にはもう万葉集の万葉仮名は読み解かれていた……