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2020.11.6 ツイッターから転載…日々雑感 山中智恵子さんの『斎宮女御徽子女王』のことから精神の美しさについて…書きたいことに辿り着いた感じ

11月4日

おはようございます という時間でもないけれど 爽やかな快晴の綺麗な朝 井の頭公園から動物園がある文化園に渡る陸橋です 落葉が散り敷かれていますが まだはらはら散る風情にはなっていません

 

雑木林@井の頭公園

 

雑木林@井の頭公園 陽射しが綺麗だと撮りたくなります

 

スーパーに行ったら店先の花屋さんに八重の竜胆の鉢植があって帰りに買って帰ろうと思いながら でも 今は水遣りに気を配る余裕ないから絶対に買ってはいけないと自戒 季節になるとその季節ごとの花が並ぶのが新鮮で毎季節ごとに誘惑です

 

山中智恵子さん『斎宮女御徽子女王』巻末の年譜を見ていました 女王とは親王の子のことで 村上天皇の四人の女御のうち徽子さんと荘子さんの二人が女王 中宮に次ぐ立場です 先に拝読した斎王研究で村上天皇にそれほど思われてなかったような書かれ方で気分悪かったのですが その真意を探るべく年譜を

 

拝読した内容では里第にいることが多いことからの推測でした それを年譜で見ると服喪だったり懐妊だったり出産した皇子の即日死去だったり 関係が疎遠なのではなく無理ないなあと天皇からは音信がしょっちゅうあるし 村上天皇御集での女御更衣への歌ではダントツ徽子さんが多いです 気持ちが晴れました

 

年譜を追って 私は天皇に大切にされていたと思えたから その線で書きます なにしろ村上天皇の後宮では中宮以下十人の女御更衣がいたのですから 訪れが少なくても それは仕方ないでしょう もっと読みたいけど目が疲れて朦朧としてきたから止めて寝ます

 

11月5日

書きたいことに辿り着いた感じでもう書くのにとりかかればいいのだけれど世事諸事諸々で停滞しているあいだも頭のなかは徽子さん道子さん経子さんが生きて呼吸して頑張ってくれてます 大人のメルヘンとかつて中傷されたけどそれが私の書きたいことならそれでいいじゃない! と開き直りました

 

鎌倉は武士の都だから武士がメインでそれに合わせ 今流通したり読まれている小説があまりに自分の書きたい世界とかけ離れているからさまよっていました 徽子さんのことでわかったのですが 透明な世界観で生きている人は精神が汚れない それがわからない人が多いですね

 

たまたま座ったソファに置かれていたタブレット 手にとってtwitterはもう見終わっていたからKindleを見たら最近買った斎宮の中公新書があり ここから始まったんだ〜と懐かしく 開くと徽子女王の項が この時はまだ徽子さんに心入れしてなかったから再読 そうしたらここでも村上天皇の寵は薄かったと

 

たしかにこのご文章はすでに読んでいて覚えているのだけれど 徽子さんについてはこの観点が定着しているんですね 琴の音にのお歌への絶賛はされてるけど 徽子さん自体への評価は歌の透明さに現れる人間性を理解されていない と そんなことを思いました 斎宮検索に始まって辿り着いた徽子さん問題です

 

11月6日

おはようございます 精神の美しさ という言葉が浮かんで飛び起きました 今の世に欠けているのはこの概念かもしれませんね 昨夜Kindle本斎宮のあと 山中智恵子さんの徽子女王を拝読したのですが 全然違う 同じ人物を評しているとは思えない 孤高な精神を理解することなく日常次元で捉えたら間違います

 

栄花物語に綴られた徽子さんの日常次元での状況をそのまま受け取ったら寵が薄い となる 幾ら斎宮女御集で天皇との歌のやり取りが他の女御更衣よりダントツ多いとしても でも山中智恵子さんはそのやり取りのお歌を読んで情愛の細やかさを読みとって書かれている 寵が薄いとかの次元の話にはなりません

 

道子さんが同じ 栄花物語での道子さんが白河天皇の寵を賢子さんに奪われてあまりに寂しく書かれているから そのまま受け取ったら寂しい女人 となる でも西本願寺本三十六人集に出逢って道子さんを見直したら 精神の孤高 ということが見えてきました ここだったのだなあ 私が書きたい原点は と思います

 

意味の変容なんだな と思う 私は山中智恵子版斎宮女御徽子さんを読んでいるわけでなく 山中智恵子版をとおしてポルトガル文の尼僧を読んでいるのだし 精神とかそういったものは目に見えないし形がないからたまたま徽子さんに形を借りているだけ 精神の美しさはそうとしか書けないし読めないんですよね

 

ただ 仙覚さんの精神の美しさといったらそれはもう孤高の極みで それは万葉集という形に姿が現れているから 万葉集に関してはきっちりそのものずばりで書きます そのための白河天皇期への拘りです

 

山中智恵子『斎宮女御徽子女王』より: 『斎宮女御集』の大半は、当然のように、村上天皇との、繊細を極める情趣深い贈答歌で占められていて、新古今集を待って完成する、王朝の象徴体の、いちはやいあらわれが見える。それは、稀有の天禀によるものであるが、何よりも徽子が、女御であるより先に斎宮で

 

あったことによる。神を斎くひととして、数々の禁忌のなかに在ったことにより、禁忌はむしろ、優艶の抒情を、清冽に洗いあげ、たおやかな情念は、禁忌にたわむことによって、かえって勁い自在を得たのではなかろうか。

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