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2020.11.12 ツイッターから転載…日々雑感 山中智恵子さんの『斎宮女御徽子女王』、拝読し終わりました

11月11日

おはようございます 昨夜は山中智恵子さんの『斎宮女御徽子女王』を拝読していて寝落ち 大鏡と栄花物語に徽子さんについての描写があり それがとても素敵で タブレットに引用している途中だったので 朝起きてタブレットを見てびっくりでした むしょうに松籟を聞きたくなって嵯峨の写真から探し

 

たのですが無くて紅葉の写真を 松籟というと徽子さんを思うし 大井川を思います 琴の音にのお歌と明石の君の松風でしょう 松籟を感じる写真を撮りたいと痛切に思うこの頃 松の木をそんなふうに撮ったことないから 大鏡と栄花物語の徽子さんの描写 思ったとおりの方でした お歌のとおりです

 

ただ直観で経子さんと道子さんと徽子女王を同じタイプの女性に感じ 経子さんから道子さん 徽子女王へと遡って見てきたわけだけど 決定的に違うのは徽子女王が高貴だということ 徽子さんは親王のお子さんだから女王で女御 道子さんは女御だけど藤原氏 経子さんは側室 とここに何かを感じているのですが

 

ドゥルーズのプルーストとシーニュを読んで もう書くことに戻ろうと思ったのですが やはり山中智恵子さんの徽子女王を手にとってしまいました 山中智恵子さんご自身の精神性が深いから 同列で徽子女王を正確に見極められるのでしょうね 私もその深さにあやかりたいと 拝読していてとても心地いいです

 

伊勢斎宮とは 山中智恵子さん『徽子女王』より: 斎宮は荒祭神の后だから、「ヨナヨナ御カヨヒアルニヨリテ、斎宮ノ御衾ノ下ニハ、アシタゴトニクチナワノイロコヲチ侍ル」と斎宮女房が語った時の、われにもあらぬ不思議な血のなごみ、また神の御杖代たる時の斎々しさ、人に還るときのおぼつかなさ……

 

このおぼつかなさ、わりなさに揺曳する典雅なエロスこそ、「いとあてになまめかしうおはする」徽子の歌の、底の底に在るものである。しかもこのゆらめきをみずから塞いて、後宮の葛藤から、何歩か身を引いていたところに、うるわしい歌が生まれたといえる

 

村上天皇は晩年近くなって登子という女性を召して寵愛します それは亡き兄重明親王の正室だった人であり 后安子の妹であり 徽子女御は重明親王の娘だから登子は継母であり といった複雑な関係になります 登子は徽子とほぼ同年で重明親王とは親子ほども年が離れていたから 風流の人重明親王によって洗練

 

された魅惑的な女性になっていた 紫式部は登子を朧月夜に反映させているとも その登子事件に対する徽子女王は「歎いたものの、渦中にあって傍観し、ひたすら登子の背信を、わが恥のごとく内省し、わが慎しみを深くするより術がなかった。それは徽子の後宮なるものへの慎しみであり、消極的対峙…

 

村上天皇期における後撰和歌集と万葉集訓点作業を見ているのですが そこに徽子女王がどう関わったかの可能性を 後撰和歌集院宣は徽子女王の入内から三年後でした 徽子女王もその興奮を共有したことでしょう 十三年後の梨壺の五人の万葉集訓点時はこの登子さん事件の頃 徽子女王は心痛只中の時でした

 

やっと徽子女王が動き出してきました

 

11月12日

おはようございます 山中智恵子さん『伊勢斎宮徽子女王』の帯です 昨夜読了しました 何冊か読んだ徽子女王評が村上天皇の寵愛薄く里第に帰っていることが多かった とあったのが気になって読んでいたのですが 服喪だったり懐妊後の体調不良だったりの後の里第逗留が長い 天皇は頻繁に内裏へと促します

 

印象ですがこれは寵愛の薄さでなく 徽子女王の感性が後宮のどろどろを拒否しての結果です 村上天皇とはお歌を読む限り深く理解しあっていて 村上天皇はそうした精神的支えとして徽子女王に内裏にいて欲しいと願ってる 最後頃は痛切な願いにまでなって と思いました これは他の妃たちとは次元の違う事象

 

女御徽子女王まいらむとて、まいり侍らざりければ の詞書の村上天皇のお歌「あふ事はいつにかあらんあすか川さだめなき世ぞおもひわびぬる」そして最後のお歌「かかるをもしらずやあるらんしらつゆのけぬべきほどもわすれぬものを」この絶命の歌が徽子のもとに届いたのは崩御の後であったか返歌なしと

 

ビーツの輪切り 薔薇の花みたいで綺麗 久々に貴婦人を作ろうかと

 

田原加奈子氏「村上朝の後宮と歌合」を再読してたら 四人の女御のうち 徽子女王と荘子女王の二人が親王の子で そのために他の女御と違い一族の期待を背負って天皇の寵愛を競う必要がなかったと 二人が里居がちだったのにはそれが大きいですね 寵愛の薄さの問題ではないと なんかすとんと腑に落ちました

 

昨日か一昨日だったか呟きましたが 徽子女王の場合 やはり高貴ということに意味がありました 性格にも含まれる高貴という育ちと気質 それが物事の是非の判断になるなら 一般の後宮のなかでの寵愛の深さ薄さを他の女御更衣と同列に考えるべきではないと

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