2020.11.13 ツイッターから転載…日々雑感 斎宮女御徽子女王と源順のことなど
11月12日
源順を検索しました 梨壺の五人というと必ずトップに源順の名があがるのに いろいろ読むと順番が違うしどうも源順はなにかの意味で下位(わからないのですが) 源順の記述で梨壺の五人の詳細が残っているからの功労賞なのでしょうか この時の身分は学生です 文章生になるのはもっと後
村上天皇崩御後に徽子女王の皇女規子内親王が伊勢斎宮に選ばれます その時に入った野宮で規子内親王が歌合を開き そこで徽子女王の琴の音にの歌が作られた その歌合に源順も参加していて 琴の音にの歌が作られた題詠のテーマを出したのが源順なのでした 源順は規子内親王の伊勢群行にも従ってます
源順がその時60代とすると 徽子女王は40代 規子内親王は20代 と このような関係 この三人が群行で伊勢に行ったのでした 規子内親王は心強かったでしょうね
徽子女王は絵を描くことが好きだったようで 知人からここに絵を描いて下さいと紙を送られたりしている 源氏物語で斎宮女御というと秋好中宮だけれど 絵合巻では彼女が絵を描いている姿に冷泉帝が惹かれる 紫式部さんは斎宮女御のモデルに徽子女王を範にして 絵が好きなところまで取り入れたんですね
華鏡で 経子さんを源氏物語の斎宮女御のイメージで書いていて その後道子さんが西本願寺本三十六人集の書写者と知って関心を持ち 道子さんが娘の伊勢斎宮に同行した母の範として徽子女王が浮上 この三人 どうしてもイメージが重なると思っていたら 徽子女王は絵を描く! まさかの経子さん繋がりに
ほんとうなら徽子女王を源氏物語の斎宮女御をイメージして書くべきなのでしょうけれど そう書きたいとは思わない あくまでも源氏物語の斎宮女御のイメージは経子さん 道子さんは伊勢斎宮に同行する母ということで六条御息所なのだけれど それもイメージが違うけど 野宮繋がりで賢木をイメージします

