2020.11.7 ツイッターから転載…日々雑感 山中智恵子さんの『斎宮女御徽子女王』を拝読しています
11月6日
この辺りは近くに公園もあるし 出れば綺麗な 秋 を見られるのだろうけど 諸々あるし籠っていて出られない 終日家のなかの日常にいて 今 深夜の自分の時間に入る前にTLを見たら 綺麗な秋の色 秋の風 秋の青空 胸がすうっとしました ありがとうございます!
京極という語 今まで作家の方とかドラマの登場人物の名前で親しんで考えたことがなかったのですが 京都の東西の境界を言う言葉だったんですね 東の境界は今の寺町通とか 西は残ってなくて花園からの南北のよう 徽子女王の郡行を読んでいて 京極にて斎宮寮頭がそこまで送ってきてくれた勅使らを返すと
怪我したり火傷が治らなかったり世事で諸々あったりでなんか生きているのがやっとみたいな溜め息ばかりつく一週間でしたが どうやら上手く収まりそうで久々に集中できて本を読んでいます たぶんこれからはもう大丈夫と思いますし こうして読める幸せが戻ったから もう ほんと 大丈夫でしょう
女御道子さんが47歳で娘の伊勢斎宮に同行した時 白河天皇が出発前の野宮を訪ねるのが可能だったかとか 道子さんの伊勢での生活がどのようなものだったかを知りたくて山中智恵子さんの徽子女王を拝読しています
徽子女王のお歌の最初は村上天皇に入内した時の後朝の贈答歌 山中智恵子さんはその完成度から徽子女王は伊勢斎宮での生活で歌を学んだのだろうと 道子さんも20年間の斎宮生活で帰洛後に三十六人集を書写するまでの嗜みを修練したのかも ですね
『斎宮女御徽子女王』より: (斎王は)斎宮女房たちとたのしみ、手習や絵描き、古今集の暗誦なぞ、常の女王生活がなされていたと思われる。
徽子女王の斎王卜定は8歳 翌年野宮に入ります その野宮で「徽子は自邸にあっては味わえない、はるかなる野の道を露にぬれて訪れてくるものの気配を、時に遠く、時に身近く、切実なものとして、幼い鋭敏な心に感じたと思われる。この頃、徽子の弾琴の技も磨かれ、古歌の詠みならいも、およそ学びの苦労
もなく…」→ 後年の「琴の音に峰の松風かよふなりいづれのをよりしらべそめけむ」に結実
このお歌 他の方の詠歌とどこか発想が違う どうしたらこういう感性が育つのだろうと ずっと不思議でした 8歳から17歳までを斎王として暮らした方の詠歌だったんですね!

