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2022.1.23 Twitterから転載……華鏡第一部『紫文幻想』の第一章見出しを「祖母の語り」から「藤原定方の娘」に変えました

私が紫式部の『源氏物語』は村上天皇の後宮を素材にして書かれていると気がついたのは、一昨年12月に斎藤正昭氏『紫式部伝』を拝読していて、紫式部の祖母が女房として藤原摂政家に出仕していたと書かれているのを見たときでした。紫式部は幼いころ母を亡くし、その祖母に引き取られて育っていますから、祖母から女房時代に見聞きした村上天皇の後宮の話を聞いて育ったはずです。それが『源氏物語』に結実したと思って不思議はないでしょう。それで、最初、第一章の見出しを「祖母の語り」としたのでした。

が、書き進んでいくうちに、その祖母にはたくさんの姉妹がいて、その姉妹の子(祖母にとっては姪)が二人も村上天皇の女御になっていますし、醍醐天皇や醍醐天皇皇子の代明親王に嫁いだりしています。祖母が語ったことより定方の娘であることの方が重要だと気づいて「藤原定方の娘」に変更したのでした。

昨日、Twitterである著者の新刊を読まれた方が「村上天皇の時代をかなり書き込んでいる」と書いてあったと驚きを込めて呟かれていて、それを私が今紫文幻想で書いているのだけれど、学界ではこのことがまだ普遍になっていないのかしらと不思議に思いました。それで、私の立場としてこのことを書いて残すべくツイートしたのが以下です。

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1月22日

今TLで『源氏物語』は村上朝の史実をかなり取り入れていると書かれていると読んだ方のツイートを拝見して驚いたのだけれど こんなにしっかり紫式部の祖母と村上朝の関係がはっきりしているのにまだそれが事実と認識されていないのが現状なのですか 紫文幻想でははっきり書きました 小説ですが

ここにきていろいろ新しく出版されているのを拝見するけど 最初は確認のためにも拝読するべきかと思いましたが もう何方のも拝読しないと決めました 紫文幻想はもうできているし 何方にも影響されて書いたわけでなく 調べていったら自然とそうなっただけでとても自然な流れで書きました

 

1月23日

おはようございます 私が源氏物語は紫式部が祖母から聞いて育った村上天皇の後宮を素材にしてできていると納得したのは 斎藤正昭氏『紫式部伝』P.29に「母一条摂政家女房」とあるのを見たからでした 伯父為頼の歌の脚注にあるそうです ただ斎藤氏はこれを紫式部の父為時が花山天皇の側近になった要因と

だけしか捉えられてなくて 源氏物語の書かれ方には言及されていません 私はここに凄い衝撃を受けて これは~ と思い 書きかけていた仙覚の小説の村上天皇の時代の梨壺の五人と重ね合わせたのでした それが一昨年の12月 そうしたらなんと祖母が女房として入ったのは梨壺の五人を統括する別当藤原伊尹

なのでした これはもう源氏物語は祖母から聞いた話が基になっていると確信して 第一章を「祖母の語り」としたのでした 斎藤氏のご著書は2005年刊行ですから源氏物語と祖母の関係の研究はもうされていると思っていました が たぶん 梨壺の五人との関係に着目して書いている紫文幻想は新鮮と思います

 

『紫文幻想』第一章は 「祖母の語り」から「藤原定方の娘」に変更しました 祖母が語ったことより 祖母が定方の娘だったことのほうが重要になってのことです 推敲を終え 今日から第二章河陽の離宮に入ります 徽子女王をここから登場させるので白紙から始めるのと同じ状態で 気持ちが引き締まっています

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2022.1.19 ツイッターから転載…『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語―』の本質が見えてきた気がします→それを新書のような手軽なサイズにまとめなければいけないな、という気がしてきました

Kindleの電子書籍とAmazonの紙書籍にするために『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語―』の原稿を推敲していたのですが、最終章まで通しで読み返していたら、書いているときにはその章、その章を書くのが精いっぱいで見えていなかった『紫文幻想』全体の本質というか確信が見えた気がします。

それは推敲が終わったためにすることがなくなり、手持無沙汰に何気なくTwitterに呟いたことから始まりました。最後の章は藤原公任の『和漢朗詠集』なのですが、その部立ての最後が「白」なんです。それが不思議で、なぜ「白」なんだろうという思いがずっとあって、それでこの原稿を書き始めたようなところがあるのですが、「白」は徽子女王の色なんですね。原稿ではずっと徽子女王に白い色をかぶせて書いています。

白のイメージは、徽子女王を敬愛する源順の心の中の徽子女王です。順の晩年、順は公任と交流していて、それで『和漢朗詠集』には順の詩や歌が多く採られているのですが、徽子女王の「琴の音に峰の松風かよふらしいずれのをより調べそめけむ」が載っています。公任はこの歌も順から聞いて載せ、徽子女王の「清冽な白い人」のイメージも聞いたでしょう。それで「白」が植え付けられて部立ての掉尾になったのかも、なんて思っています。

その白いイメージの人・徽子女王。『源氏物語』で白のイメージの人というと明石君です。もしかして紫式部は明石君に徽子女王のイメージを投影しているのではないかしらと、突然、そんな構想が浮かびました。(それとなく『紫文幻想』の中で書いていますが)

漠然と、ただなにかに導かれるようにしてドラマの起承転結を書いた『紫文幻想』ですが、そこには紫式部の根幹にかかわる思想、白のイメージの人「明石君」への思いがある気がしてきました。

ふっと思いついて、これは『紫文幻想』の刊行が終わったら新書のような手頃の刊行で、この本質に絞っての一冊をかかなければいけないな・・・という気がしています。『紫文幻想』を書いたから見えてきた紫式部の『源氏物語』の創作の根幹、のような新書。ひとまずタイトルが浮かんで『紫式部と斎宮女御徽子女王―明石君考―』と。

以下、Twitterからの転載です。

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1月17日
二年前 コロナ自粛に入る直前 たまたま手に取った特集和漢朗詠集 紅葉とか雪とかの部立ての最後が白で その時の私には白楽天の意味なのか白色なのかわかりませんでした その後文庫の和漢朗詠集で読んだら白髪の歌などあるから白色の方みたい ここに源順の詩があって素敵です 公任は源順の詩をかなり採っています というか源順が特別扱いなくらい 徽子女王の琴の音の歌を収める和漢朗詠集は源順との交流で公任が知って入れたのかもなど思っています それにしても公任 最後が白なのは深いです

 

1月18日

白の連環 昨夜呟いた和漢朗詠集の部立ての白 藤原公任がどういう意味で白をもって終わらせたのか誰も決定的な研究がされてないみたい 余白の白とかなど 私は源順との関係を思っていて 順が白に拘っている気がするんです それは斎宮だった徽子女王の清冽さに接していた順だから 白といえば明石君ですが

明石君は六条御息所に似ていると光源氏が言い その六条御息所のモデルが徽子女王 紫式部は明石君の背後に徽子女王を見てますね 徽子女王の斎宮と同時代を生きた祖母に育てられておますから聞いていたでしょう 先行研究があるか知りませんが 源氏物語松風巻は 徽子女王の琴の音に峰の松風通ふらし を

そのまま使っていて 作中でも明石君が琴を弾きます それも筝でなく 琴 なのです 明石君のイメージの背後に徽子女王があると思い だから衣配りでの白い装束になったのでしょう

1月19日

おはようございます 深夜村上天皇と徽子女王に交わされた愛の深さを呟きましたが 伊勢斎宮の研究書ではどの方も徽子への愛は薄かったと書かれます それを読んだ方は徽子は魅力のない人と思いそれが一般論になっていると思います 私は琴の音の歌の情趣から これほど素敵な感性の人が軽んじられるはずが

ないと反発してそれで山中智恵子さんの『斎宮女御徽子女王』を購入して拝読したのでした そこには研究者さん方と全く次元を異にする徽子女王と村上天皇の世界がありました 夜伽に召された回数で解釈すれば研究者さん方のようになります でも残された贈答歌を読み込むと違う世界になります 同じ一つの

エピソードに正反対の解釈がなされるのです どちらを信じるかは自由ですが 私は琴の音の歌の感性から山中智恵子さんを信じました 一昨年来Twitterで私が徽子女王徽子女王とどんなに呟いても関心を持って頂けなかった理由はそこにあったんですね 徽子女王の魅力をわかって頂きたいです

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2022.1.15 華鏡第一部『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語』をKindle出版することにしました

更新が滞ってばかりで済みません。仙覚の小説として『華鏡』に取り組んでいるのですが、構成についていろいろ思うことあり、日々進展し、の状態で、何が確実に決定かわからない毎日です。一応、三部作の見通しがたち、第三部『万葉幻想―仙覚の生涯と万葉集』を書き進めていたのですが、これも日々新たなことが見えてきて、それを書くためにまた調査が始まりという状態で、これではいつ完成するかおぼつかないし、何よりせっかく完成している『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語』をいつ世に送り出せるか心配になってきました。

それで考えて、華鏡第一部『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語』を三部作として完成するより先にKindle出版することにしました。『竹御所 ~花、萎れるままに~』は電子書籍ですが、その後Amazonで紙書籍もいっしょに出せるシステムができましたので、『紫文幻想』は電子書籍と紙書籍の両方をいっしょに刊行することにしました。それで、今はその本文の推敲にとりかかっています。

私の刊行物の基地として作ったFacebookページ【光藝社写真部】ですが、『竹御所 ~花、萎れるままに~』までの出版物と、今後刊行予定の原稿を網羅して載せてあります。いわば私の著作の全記録です。ここに『紫文幻想―紫式部の生涯と源氏物語』を早く加えたいのですが、ここにくるまでほんとうにいろいろ葛藤がありました。電子書籍なんて人にどう思われるかとか、他人の手の校閲を経ていない出版物なんてと蔑まされるだろう、などの思いはほんとうにわたしに深く巣くっていました。

が、それも抜けました。わたしが書いているのは、また、わたしが研究発表したことは、日本の文化の根幹として貴重なことばかりです。というのもどこにも所属せず、どなたの学恩を受けてでの研究でもないので、自由に研究できるし、眼の張り巡らし方も従来の研究者さんと違う視点です。いわばどなたも書いていない世界。それが世に出せないままに終わりたくありません。所属がなく、どなたかの助けもなく、独りで書き進め、それゆえにかえって孤立したり無視されたりの現状を打破するために独り出版社【光藝社写真部】を立ち上げたのでした。

いつかの将来、学閥とか所属とか有名無名などの障壁がとりはらわれて純粋無垢に【光藝社写真部】が屹立したとき、ここに残っている私の出版物が世の皆様に役立つようにと思います。権威が横行する今の世の先を見据えての刊行です。

昨日、それまで忸怩としていて載せられなかった【光藝社写真部】のプロフィール写真を載せることができました。なぜか突然長かった無明の闇を抜けて気持ちがすっとしたからです。十年前の鎌倉ではじめて講演をした時に撮って頂いた写真です。鎌倉の方に鎌倉にも『源氏物語』の文化があったということをお伝えするのだと気概に燃えていた凛とした写真です。それから十年、鎌倉で活動して社会の波にもまれ、すっかり当時の自分を見失っていました。その無明の闇を抜けて、今私は当初の気概を取り戻し、『紫文幻想』に取り組んでいます。

Facebookページ【光藝社写真部】
光藝社写真部 | Facebook

 

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2022.1.4 『華鏡』の構成について考え直しています

執筆中の仙覚さんの小説ですが、『華鏡ー仙覚論』としようと思ったり、『華鏡ー万葉集に生きた人々』にしようと思ったり、試行錯誤しています。

もともと『華鏡』は仙覚の万葉集研究を辿る目的でしたから、それで村上天皇の梨壺の五人から始めたのでした。それが第一章「紫文幻想」で、昨年一月に完成しています。

続いて第二章「万葉幻想(白河天皇の万葉集)」、第三章「平家逍遥(源光行と平家物語)」を書いて平安時代が終わり、これが前編。後編が鎌倉時代で、これが今書いている仙覚さんの生涯、というのが今までの構成でした。

が、仙覚さんの小説として書いている今の原稿が「紫文幻想」と合わなくなって、前編後編としづらくなってきました。それでどうしたらいいのか考えはじめたのでした。

今日一日考えての結論ですが、今まで『華鏡』は前編と後編の二冊で考えていました。それをそうではなく、『華鏡(一) 紫文幻想』『華鏡(二)平家逍遥』『華鏡(三)万葉幻想』と、それぞれ独立した本としての三冊にしようかと。

「紫文幻想」は『源氏物語』の成り立ちの章、「平家逍遥」は『平家物語』の成り立ちの章、「万葉幻想」は『万葉集』の成り立ちの章で、主役はそれぞれ紫式部、源光行、仙覚さん、です。

年代順で考えれば光行さんの「平家逍遥」が先ですが、光行さんについては『源氏物語と鎌倉』ですでに書いているので、とにかく先に仙覚さんを世に出したく思います。

追記:表記を
『紫文幻想 ー華鏡(1)紫式部と源氏物語』
『平家逍遥ー華鏡(2)源光行と平家幻想』
『万葉幻想ー華鏡(3)仙覚と万葉集』 としようかと。

追記2;
『紫文幻想 ー華鏡(1)紫式部の生涯と源氏物語』
『平家逍遥ー華鏡(2)源光行の生涯と平家幻想』
『万葉幻想ー華鏡(3)仙覚の生涯と万葉集』 にしました


 

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2022.1.1 あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。昨年の一月は『華鏡』第一章「紫文幻想」を書いていました。そのあとは十一月の鎌倉ペンクラブ公開講座【比企一族の女性たち】の準備にかかるから仙覚さんの小説から離れ、そうしたなかでKindle版『竹御所』の刊行。

これはふっと思いついてだったのですが、これが私にはいいきっかけになって、書いたり発表したりの原稿がそのまま埋もれてしまうのが惜しくてたまらなかったのが救われました。エッセイ集とか論文集といったかたちで出版していけばいいのですものね。そのための基地、Kindle出版用のオフィスをFacebookページに作り、【光藝社写真部】としました。これは写真家だった父が主宰していた写真サロンの名称です。はからずもこれを継承しようという気持ちになったのでした。そして、昨日、といっても昨年の大晦日ですが、今までの原稿、論文や創作物を網羅して今後のKindle出版刊行予定としてアップしました。いつか手が空いたときに好きに刊行していきます。

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思いがけず大晦日にそうした総括ができて すっきりした新年を迎えることになりました。そうしたら、ほんと、気持ちが変わって、朝起きがけに、ん? 仙覚さんの小説、講座が終わって書き進んでいるのだけれど、「仙覚―存在を消して生きた男」というタイトルに合わなくなっている気がする、となんとなく感じていたのがストレートにそうだったらしく、そうだ、「華鏡ー万葉集に生きた人々」にしようと思ったのです。

新年早々の気持ちの進展。今年はこれを完成させたく思います。

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