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2022.2.8 Twitterから転載…『紫文幻想』に第十五章として藤原公任の章を入れようと考察しています。だいたい見えてきて、見出しを「円融院の大井川御幸」にしようかと

2月4日

おはようございます 源順と源高明の年譜を重ね合わせて見たら あまりに順の昇進が高明の栄達とぴったりなこもに唖然 引き立てがあったというご論は拝読していましたがここまでとはと 高明が大納言になって順がやっと文章生 高明右大臣で下総権守 高明左大臣で和泉守 高明大宰府左遷で和泉守解かれる等

 

ほんとうにこの時代 というかいつの世でもそうなのでしょうけれど 昇進は後ろ楯がないとなくて沈淪の身をかこつ 花山帝の退位で藤原公任の前途がつぶれて沈淪の身になりました 沈淪の身どうし順と公任には心の通うものがあったのでしょう

 

これからここに公任の年譜を重ねます

 

やっと見えてきました 源順は具平親王とどこで繋がったのだろうとずっと謎でした 女房主催の「天徳内裏歌合」の前年に殿上人の「闘詩之遊」が開かれています 男たちが詩合をしたなら私たちには歌合をと女房たちが村上天皇に申し出て天徳内裏歌合になったのでした この闘詩之遊に源順が参加しています

 

それは左右の頭であった保光と延光の抜擢らしく 二人は荘子女王の兄弟です 具平親王は荘子女王の子 保光延光らと親交あったら二人の甥の具平親王に親近してもおかしくないですね 具平親王は学識豊かな源順を大変尊敬しています

 

春立つ日の今日読める の語が浮かぶ立春 一年で一番好きな日なのに立春らしいツイートをしてませんでした なので日付が変わらないうちにとツイート 紫文幻想 一稿では締めが甘くてこれでいいはずないのだけれどとわかっていてどうしようもなく完成にしていました 推敲に入って公任を入れることに

 

したら今度は完全という予感がしています 一稿目では書けなかったことが 同じ一稿目に使った資料を読んでいても全体を見晴らせられるから着地感があります 源順についての論文を拝読しているのですが 昨年三月に読んだもの 一年たって成長したなあと思います

 

源順の招かれた詩宴が白河院とあり まさか白河天皇の法勝寺なら時代が違うと思ったら 藤原良房の別業ー基経が伝領ー忠平ー師輔ー兼家ー道長ー頼通ー師実が白河天皇に献上 ということで同じ地でした ビックリ

 

まわりから攻めた形で源順ー具平親王と終わり 順が亡くなって花山天皇退位事件になる そうして藤原公任の登場 ということで あと考察は公任を残すのみになりました 明日それをします

 

ということは 沈淪の身を嘆く会話を源順と藤原公任が交わした場面はあり得なくなりました というのも順の生前 公任はまだ末は関白の前途洋々だったから 花山天皇の退位で沈淪の身になります

 

源順についての過去資料の再読を終わり 具平親王についても再読して年譜に入れたら 兼家による花山天皇の譲位事件は源順の死の翌年 あたかも時代が変わるようにして源順は去っている 紫文幻想一稿目はそれが認識されてなく 最終章にいろいろ無理に詰め込んでいました それを考慮して推敲にかかります

 

2月5日

メモとして小町谷照彦氏『藤原公任』より: 公任の家系は良房以来、基経・忠平・実頼・頼忠と、五代にわたる摂関家として、当代屈指の名門であった。公任は摂関家の嫡男として、将来かがやかしい地位につく可能性を秘めて出生したのである→ この家系、徽子女王以降何度目にしたか! 徽子女王は忠平から

 

寛子・徽子女王となり 師輔は忠平から師輔 つまり公任の祖父実頼と寛子と師輔が兄妹 → こういうこがわかっていても徽子女王を書いていると公任が徽子女王にとって従兄弟の子だということは忘れています なので改めてこういうのを読むと そうだった! と驚きます 長兄実頼の娘述子が村上天皇に入内

 

したのに早世し 弟の師輔の娘が村上天皇の中宮になったり息子の兼家が一条天皇の外戚になったりして 藤原北家は師輔の家系がメインになるのですが 公任の家系はその政権で代々関白を務めるかがやかしい家系だったのでした

 

メモとして: 公任の母は醍醐天皇の第三皇子代明親王の三女厳子である→ これもずっと頭にあるのだけれどこうして読むと そうだった となる 代明親王の娘三人は恵子と荘子と厳子 恵子が嫁した師輔子息の伊尹家に紫式部の祖母が女房として入って 伊尹は梨壺の五人の別当に 荘子は村上天皇の女御に と

 

そうした伯母たちを持つのが公任 荘子の子が具平親王だから公任とは従兄弟同士 となります このあたりの交流の華やかさ そして このあたりに源順がいるのですが 明白な資料がないから想像するしかなくて それで年譜を作っています

 

とツイートしたら やっとそれらのことが自分の中で整理できました

 

2月6日

おはようございます 今までの年譜に公任の年譜を重ねると 規子内親王の伊勢群行の翌年に公任の姉遵子と兼家娘の詮子が入内 遵子が皇后になって兼家が怒って詮子とともに籠居した翌年に源順が亡くなっていました そういう時代だったんですね

 

今来むと言ひだに置かで白露の仮の宿りを別れぬるかな と これは死別の迫った円融院が里第にいる皇后遵子に送った歌です 村上天皇の徽子女王に送った辞世の歌を思い出しました 遵子は公任の姉 対して兼家が入内させたのが道長の姉の詮子 詮子に一条天皇となる皇子が生まれたのに対し 遵子になく

 

素腹の妃と呼ばれます なのに皇后に冊立されたのは遵子 兼家は怒って詮子ともども籠居してしまいます 今まで拝読した本ではこの冊立を父の関白頼忠を慮ってとありました でも死別を覚悟した人が会いたいと歌を贈るなど 愛情がなくてはあり得ない 皇后冊立も愛情あっての決断とみるべきなのでは?

 

遵子は歌を詠む人で 公任の歌が磨かれた一端に遵子皇后による歌のサロンがあったと 徽子女王も歌に秀でて村上天皇と歌で心を掘り下げた愛情を交わしています 今まで紫式部が仕えた道長の観点から詮子さんに同情していましたが これは遵子さんに一本とられても仕方なかったのですね

 

遵子さんを書くことになるのかも 『紫文幻想』第十五章「和漢朗詠集」 思ってもいなかった展開ですが 先ほどツイートした後 そんな気持ちになりました ずっとこの章にはドラマがないなあと思っていました でも公任の沈淪の嘆きを追うだけでそれもドラマだし それでいいと思っていたのです

 

なのに突然遵子さんという女性に惹かれてしまいました 素腹の妃遵子さん 公任の悲劇の根本中の根本です これが和漢朗詠集につながるなんて・・・ 書けるでしょうか というより 書きたくなってきました(どうしてこうも書くほどに反道長みたいになってゆくのでしょう 不思議です)

 

2月8日

おはようございます 仮寝して起きて公任に取りかかっていたら朝になってしまいました ようやく第15章の構成が見えてきました 円融天皇中宮遵子さんを書くことに決めたので構成は円融朝 そこに遵子さんと源順を嵌め込みます なので前半が順 後半から遵子さん となります タイトルは円融院大井川御幸

 

源順がどんなふうにして具平親王たちの詩歌の宴に関わって行けたのかがおそらくですがわかってきました 勘解由判官になった時の長官が定方子息の朝成だったことの繋がりのようです それで定方孫の延光の引き立てで村上天皇の詩合に参加できたと

 

思ったのだけれど 私はやっぱり道長の時代が嫌い 公任の本も後半が道長の時代だから読んでいてつまらなくて折角高揚した遵子さんを書く気分が消えてしまいました 同じ忠平を祖に持つ二人なのに 忠平子息の実頼系と師輔系でこんなに違うんですね 公任は実頼の孫 道長は師輔の孫です 前にも呟いたけど

 

円融天皇ー遵子(公任の姉)ー公任 と 兼家ー詮子(道長の姉)ー道長 で見ると道長系には匂いやかさがないです 今まで詮子さんを応援してたのにこんなところで遵子さんを知って円融天皇が遵子さんの方を選んで皇后にしたというのがわかり なんか 申し訳ない感じ 感性の人か権力の側になる人かですね

 

藤原公任を調べ始めるとまず最初に出てくるのが三船の才 漢詩管弦和歌の三つの船全部に乗って才能を示したという それが円融院の大井川御幸でした 面倒だからスルーするつもりだったのに やはり無視できませんでした 無視しようと思っていた頃が懐かしいです

 

詮子さんは源高明が大宰府に左遷された後 娘の明子を引き取って育て 道長の妻にした 明子に言い寄る男たちを阻止してまで道長に 一条帝にも母として何か詰めよってさせてますよね 対して遵子さんにそういうところはなく歌会のようなサロンを育んでいて 公任の和歌はそこで磨かれたと そういう違い

 

いろいろ思うのですが 女として円融天皇に選ばれなかった屈辱感は詮子さんに生涯の傷として残るでしょう 余計しっかりしてしまうかも 一方もし遵子さんが選ばれなかったとしても 遵子さんはただそれを受けとめて深く沈むだけ 跳ね返そうとはならない そんな違いがあるかと

 

大河は観てないけど TLに流れてくる政子って 詮子さんはあのタイプかも なんて気がしてきました

 

阿衡の変は宇多天皇の時代に藤原北家の基経が怒って籠居し天皇が折れて基経の言いなりになった変 円融天皇が遵子さんを中宮にしたために兼家が怒って籠居し円融天皇が折れて退位し兼家が外戚となる一条天皇への道筋をつくる 全く同じですね 藤原北家のやり方 宇多天皇ー醍醐天皇ー村上天皇ー円融天皇

 

藤原基経ー忠平ー師輔ー兼家 と 流れる血は繋がっています やられっぱなしのような天皇家側に古今和歌集や和漢朗詠集ができて 藤原北家は政権の中枢をとる この構図が面白いし この中間に位置するのが源氏物語というのが面白いです

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2022.2.1 如月朔日、『紫文幻想―紫式部と源氏物語』は推敲四回目にして“藤原公任”を書き入れることになりました

今日は如月朔日、新月なんですね。旧暦は新月からはじまり、そして2月1日の今日は新年のはじまり。新しい年を迎えました。『紫文幻想』も心機一転で推敲に頑張っています。

原稿を完成させて推敲に入り、三回目までをPC画面で推敲し、そして印字してプリントアウトした原稿で四回目の推敲をはじめたら見えてくる世界が全然違って、PC画面ではもう完璧、と思えていたのがボールペンで赤を入れること入れること、どのページも赤だらけ。透過光で読む原稿と紙に載った活字で読む原稿とではこうも違うんですね。

その最大の効果かもということが今朝起きました。それは藤原公任。『和漢朗詠集』を作った人です。公任と『和漢朗詠集』は徽子女王の歌が『和漢朗詠集』に採られているから、最初のほうから名前を出していましたが、どういう人かなど詳細はずっと一切書いていませんでした。そして、最後まで書かずに終わって、でも、最終章にまた公任は登場して源順と交流しているんですよね。紙に印刷した原稿でそれを読み返していたら、これは公任についての詳細を書かないとおかしい、となりました。

それで思い出して、そういえば調べる余裕がないから書き飛ばしていたけど、最後のほうになったら『藤原公任』を読み返して書き入れよう、と思っていたのでした。

なんとなく最後の着地感がつかめていなかったのはこれだったんですね。

というわけで、これから公任について考えて、私なりの人物像をつかんで、『紫文幻想』に書き入れます。

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