2022.4.26 Twitterから転載…【華鏡】の構成を変えました。『万葉集』も入れることにしたらテーマが藤原氏による他氏排斥事件の歴史だという認識になって。
まさか『万葉集』まで書くことになろうとは思っていなかったのに、『万葉集』も見たらそこにまた藤原氏による大伴氏の排斥があり、他氏排斥事件は藤原北家にはじまるわけでなく、不比等の時代から考えなければならないことがわかりました。
それで改めて大伴家持を見ていたのですが、そうしたらそこに「『万葉集』がいつ、誰によって作られたか」の問題が浮き上がりました。私がこの問題をあえて避けていたのは難題だからでなく、仙覚が「ならの御時」を聖武天皇の時代としていることで、私はそれに違和感を持っていたからです。仙覚の小説を書くのに、でも、この人は間違った説を唱えているんですよ、とは書きたくありませんものね。でも、梅原猛『水底の歌』には仙覚にして間違っていると明白に書かれていて、やはりそうなんだ、と奮い立ちました。
梅原猛・大浜厳比古両氏のご著書で「『万葉集』がいつ、誰によって作られたかの問題」もクリアでき、それはそれまで「紫文幻想」を書いてきたことと通底するものに離反することではなかったのでそれを受け入れさせて頂いて原稿に生かすことにしました。それで、結局、今まで書いてきたことを大幅に見直すことになり、構成から考え直すことになりました。
以下、そう至るまでになった経緯をTwitterから転載します。
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4月23日
なんかまだもやもやとしていて原稿に戻れないでいます 大伴家持の万葉集編纂は事象として年代を理解したのですが 家持と光仁天皇の関係とか 天智天皇系の復活とか 深いところの理解がまだ足りてなく大浜厳比古『万葉幻視考』をまた繰り返しています 志貴皇子は万葉集で一番好きな歌人かもしれない
その志貴皇子がなにかの鍵になってるみたいなご考察があって 昨夜は家持を追っていたから読み飛ばしていたのですが 今日その項を読んでいます 采女の風袖吹きかへす明日香風 なにかあると 例えば一陣の風が吹き過ぎたりするとふっと浮かぶ歌 その歌人を今頃になって調べているのが不思議です
紫文幻想の原稿 もしかしたら今までのは全部テーマをみつけるための渉猟だったとして改めて一から書き直すかも そんな気がしています 梅原猛『隠された十字架』みたいな文学的なタイトルがみつかったらいいなあ とか そんなことまで考えたり
4月24日
おはようございます 志貴皇子は桓武天皇の祖父なんですね そして桓武天皇の父で志貴皇子の子の光仁天皇がそれまで天武天皇系の即位だったのがようやく天智天皇系の天皇になった この光仁天皇のときに藤原氏一門の人たちの天然痘での相次ぐ死で天皇家がようやく藤原氏から解き放たれたのだそう
ということはそれまでずっと天皇家は藤原氏の勢力内にあったわけで それが藤原不比等 紫文幻想で書いている藤原北家の他氏排斥事件は良房に始まったわけでなく不比等の時代からすでにあったのでした それが家持の大伴氏への排斥で 父旅人はそれで大宰府に左遷されている 万葉集の背後にも藤原氏に
よる他氏排斥事件があったのでした 家持が最終的に万葉集の編纂をしたといわれるけど 並列して志貴皇子系統の末裔の人たちがそこにはかかわっている それが志貴皇子の曽孫市原王で 家持は市原王と親しかった と そういう状況がやっとつかめてきました 梅原猛・大浜厳比古両著のお陰です
と そこまで系図的に理解しましたが まだ市原王と家持がなぜ万葉集の編纂に関係したか の深い事情が読めてません 志貴皇子は天智天皇の唯一生き残った皇子なので生涯天武系の藤原氏から命を狙われていたと 志貴皇子の歌には一族の読む人が読めばあのことだとわかる怖い意味があるそう
と書いて そうっか 藤原氏で考えればいいのだ と気づきました 平城天皇の周辺の藤原氏を探ります
4月25日
高岡市万葉歴史館図録の大伴家持の年表を基軸に藤原氏と橘諸兄の年譜を重ね 家持と諸兄の関係などを探っていました 年譜を重ねるとほんとものが見えてきます 家持は父旅人の時代にすでに藤原氏の大伴氏潰しに遭っていて それが旅人の大宰府赴任 令和の元号になった梅花の宴が持たれた太宰府です
家持の庇護者橘諸兄は藤原仲麻呂に権力を奪われ反藤原の人です その諸兄が栄花物語に万葉集を作った人と書かれ それを実際に行ったのが家持 その後家持は自身の私歌集を加えたりして平城天皇の時代に最終的に20巻本が勅撰集的に認められる 通底するのは反藤原の精神でした
今日は集中してこの辺りを把握したいからあえてTLから離れていました 一段落して時間を見たら四時をまわっていて 仏では選挙がどうなったかしらと思ってこちらに トピックで結果が見えてほっとしてざっとTLをさかのぼって拝見したところです 原稿は旅人から書こうと思っています
万葉集になぜ防人の歌があれほど収められているのか不思議だったし 国による歌の収集だから当然くらいに思っていたのですが 家持は難波宮に赴任していて防人の歌の収集担当でした 高岡の図録にそれを見たとき長年の不思議は氷解しましたが 難波宮赴任での仕事ということ殆ど知られていないのでは?
図録ではよくわからないのですが 家持の赴任は全国から集められて難波に集結する防人の検閲係だったようです そこで防人の歌 に接して万葉集に組み入れた この難波赴任が 栄花物語にある橘諸兄が万葉集を作った話の翌年です もしかして最初から防人の歌を集める目的での赴任だった?
華鏡 推敲三回目にしてまた構成から考え直しています 目下取りかかっている紫文幻想は【華鏡一】 後編になる鎌倉時代の仙覚さんは【華鏡二】 にしました で 華鏡一は今迄19章だったので気がついて折角なら万葉集や古今和歌集にならって20章にしようと無理矢理作ってみました 文章から大幅に書き直していきます
今迄小説を書くというしがらみの中で極力自分を抑えて書いていたので無理がありました 小説をやめて水底の歌や万葉幻視考のような路線にしようと昨日決めたら気持ちが楽になりました でも まだ文章に感情が入って来ない それで一.のようなはじめにあたる章を設けました 感情が戻るのを待ちます
仮寝して起きました 午前3時 就寝中に思念がまとまって書くことが見えてきました 「【華鏡一】は藤原氏による他氏排斥事件の歴史です」とはじめようと思います なにかひとつ古典を取り上げるたびに浮かび上がった藤原氏の他氏排斥事件 いつか総括しないといけない気持ちになっていたところに
万葉集まで この万葉集にかかるまでまだどこか半信半疑みたいな曖昧な気持ちがあってまとめられなかったのですが 気持ちが整うっていいですね 仮寝の前までどうとりかかろうって焦っていました