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2022.4.21 ツイッターから転載…【私説 華鏡】第一部「紫文幻想」の進行状況のご報告

前回の更新が3月6日でした。滞ってしまって済みません。ずっと【私説 華鏡】第一部「紫文幻想」の原稿に集中していました。日々の経緯は記録としてTwitterに呟いてはいたのですが、こちらの転載にまで余裕なく過ごしていました。が、ふっと昨日、転機を迎えた思いがしましたのでそれをこちらに。【私説 華鏡】というこの作品、やっと自分で書いていく使命感のようなものをつかんだ気がしたのでした。

ご無沙汰している間に『古今和歌集』についての章がとんでもなく展開し、そこから派生して在原業平について『伊勢物語』の章を新たに設けることにして、など原稿がどんどん膨らんでいます。そうしてまた、今度は『万葉集』の章を設けなければならなくなって、そうしたらこれはもう極み、と思ったのでした。

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4月17日

歴史はほんとうに繋がっているんですね 在原行平と業平の父阿保親王は平城天皇皇子で 薬子の乱で巻き込まれて十代で太宰府に左遷されています 十三年間も太宰府にいて行平はその間に生まれた皇子です 許されて帰京して結婚した内親王との間に生まれたのが業平 その阿保親王が今度は良房の承和の変

 

に巻き込まれて精神を病んで直後に亡くなる 阿保親王は芸術的感性の穏やかな人格だったようだから感受性が強くて承和の変勃発で太宰府左遷のときのトラウマが甦ったのではないかと私は思います 行平が須磨に蟄居したのは次の文徳天皇と良房の争いででした 行平は父阿保親王の人生を見ていますから

 

巻き込まれて都にいたら大変と思ってみずから須磨に蟄居します 流謫ではなくみずからです このみずからが源氏物語の光源氏に生かされて 光源氏は弘徽殿女御を恐れてみずから須磨に こんなふうな歴史の背景を知らずにただ行平は光源氏のモデルとだけの認知で今まで私は過ごしていたのでした

 

いろいろ考えたり思うこと多々なのですが 感じるのはこの思いということへの尊重が今の世には足りない気が 紫文幻想を書いてそれら古典にかかわった人たちの思いに接して 私自身の思いも深まらせていただいたから今の世との乖離が凄くてなんかしずんでいます 書いているからこれでいいのですが

 

4月19日

大好きな苧環の花が咲きました ここのところのTLで気になっていることを呟きます 仙覚の研究を認めて頂いてある方から 貴方はもう歴史家を名乗っていいと仰って頂き 鎌倉ペンクラブへの寄稿の肩書をある時から歴史家・作家としました その時その方から歴史家の方々から批判されることがあると思うけど

 

その時は僕に相談しなさいとつけ加えられたのですが 幸い今のところ無事でいます 歴史家の方々の学びの最初が資料批判なのだそう 一般の歴史好きな人にはそれが欠けているのだそうです 私は資料批判はしないけど時間と空間と人間関係で事象を書くから頼る資料は年代だけ その中で感情のある人間を

 

書いています そうすると従来普及してきている学説と違う世界が見えてくる 歴史家の方々はフィクションを危なく思っていられるけど 私のほうも危なく思うのは歴史家の方が文学をどう捉えていられるかです

 

4月20日

やっと【華鏡】を書くことの使命感をつかみました 「紫文幻想」はその第一部ですが 一昨年11月に紫式部の祖母が村上天皇後宮の生き証人だったことに気づいて 私は仙覚の万葉集を書くために村上天皇の梨壺の五人を探って書いていたものですから え! となって そこから紫文幻想が始まりました

 

でも まだ それは紫式部の『源氏物語』の書かれ方みたいな私的な内容でしか書き進めていなかったのですが 昨日 業平の章で 藤原北家の他氏排斥事件第一号「承和の変」を書かなければという気持ちになった時 これは人物で解く国文学史だとの使命感が湧いたのでした 文章も変わってくると思います

 

目をつむって書くことだけに専念しなければと思うけどやはり気になって見てしまう世界情勢 そしてやはり見るたびに思いは深まります それが書くことに明らかに投影されていく

 

古典は 源氏物語やもろもろは 今まで単に文化だったけれど 紫文幻想を書いていて それはやはり政治情勢と関係なく 例えば『古今和歌集』が菅原道真の大宰府左遷とその結果の道真の悲劇 『伊勢物語』が在原業平の父阿保親王の承和の変との関り など一切無関係でなかったことの認識が深まりました

 

その視点で書きます また原稿に手を入れなくてはならないでしょうけれど

 

もうこうなったら【私説 華鏡】とするしかないと腹を括りました 一難去ってまた一難 古今和歌集が終わったと思ったら今度は万葉集 これだけは避けたかったのに泣 阿保親王を書くには平城天皇を書かなければならず そうしたら万葉集は避けられない でも万葉集は誰が作ったか定説がない のに書かなければ

 

ならない となるならもう私説としか書けませんよね 小説華鏡だったのですが私説華鏡になりました で 万葉集についてのお浚いをと本棚から持ってきたご本たち 仙覚の万葉集に目覚めることになった最初の最初のご本です アナホリッシュ國文学万葉集特集 夢中になって読みました

 

なんだろうこの世界 と初めて触れた仙覚さんの世界 田中大士先生「万葉集仙覚校訂本の源泉」です わくわくするばかりの魅惑的な世界でした 2012年刊だから10年経つんですね

 

先週末には業平の章 行平の須磨蟄居まで書いて光源氏と相応させ順調だったのですが 週末の私事で中断して再開したらこの展開 先週のままの流れだったらもう業平と二条后高子さんにかかっていました また業平が遠退きました

 

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『鎌倉ペンクラブ』に寄稿した「紫文幻想」についての一文をFacebookページ【光藝社写真部】に載せました。

光藝社写真部 | Facebook

 

 

 

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