2023.11.20 X(旧Twitter)から転載……仙覚の小説『華鏡 鎌倉の万葉学者仙覚の生涯』の執筆状況についてです
11月20日
おはようございます 朝から武者震い 『華鏡 鎌倉の万葉学者仙覚の生涯』は今日から源光行を書くのでわくわくしています 光行についてはもうどれほどか書いているのですがそれが醸造されていれば集大成になります 光行の鎌倉下向について論文で書いていて吉田経房による朝廷と鎌倉幕府を繋ぐパイプ
役として派遣されたと結論づけました 先だってから頼朝の初上洛を書いていて経房がどれくらいこの上洛に関わって登場するかを知りたく思って吾妻鏡を読み始めたら なんと この時すでに経房は院と頼朝を繋ぐパイプ役 これはもうここで光行が紹介されたとみていいでしょう となりました 光行の頼朝
との関係を始めて示唆して下さったのが久保田淳先生「若宮社歌合について」のご論文 やっとここで繋がります 経房との関係は小川靖彦先生の仙覚についてのご文章の中で民部卿家歌合に出席しているのが謎 とあったこと そういうのが全部繋がって華鏡になります
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更新がまばらで恐縮ですが、仙覚の小説がやっと軌道に乗ってきました。
それで、今朝はその総括した思いをX(旧Twitter)に投稿しました。それを転載させて頂いて、こちらへの近況報告とさせて頂きます。仙覚の生涯を書くのは膨大な年月の歴史絵巻です。建仁三年(1203)の比企の乱の年に生まれて70数歳まで生きますから、鎌倉将軍で言うと二代頼家―三代実朝―四代頼経―五代頼嗣―六代宗尊親王の時代を通観することに。でも、今はなぜ比企の乱が起きたかということを書いていて、将軍は初代頼朝。頼朝が亡くなって頼家になり、頼家が比企の乱で滅ぼされるのですから、まだ仙覚は生まれていません。でも、なぜ、仙覚が「仙覚」という虚構の名前で生きて素性を隠しておかなければならなかったか。それは比企氏ゆかりということがばれると北条氏に殺されるからですが、ここのところの歴史をしっかり書いて置かなければならない。と、そういう状況で目下取り組んでいます。