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2024.5.27 Twitter(X)から転載……源氏物語と長恨歌の関係 源氏物語のテーマは「失った愛への長恨」でした、昨日の記事に追加として

昨日、丸山キヨ氏『源氏物語と白氏文集』に触発されて見えてきた紫式部の『源氏物語』への創作の原点が白楽天の「長恨歌」だったということの総まとめを記事にしてアップしました。

そうして戻った丸山本の読書で、それをさらに深めてまとめたようなご文章に遭遇。よほど昨日の記事の最後に追記しようかとも思いましたが、総まとめの論点を一心に絞ったようなご文章なので、新しい記事にしてここに載せます。

それにしても、『源氏物語』のテーマが「失った愛への長恨」とは。こんなこと、聞いたことないような。たしかにそう言われればそうなのですけれど、今迄のテーマみたいな括りといったら「亡くなった美しい母親の像を求めて光源氏が女性遍歴をする話」でしたよね。あくまでも主人公は光源氏。でも、丸山キヨ子氏の「失った愛への長恨」というと、桐壺帝が更衣を、光源氏が紫上を、薫が大君を、というふうに三人が主人公になるんです。そして、それがほんとうに理に適っている。

私は今迄何を読んでいたのだろうと呆然とした思いでこの新鮮さを受け止めています。

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5月27日

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: 長恨歌の主題が悲劇に終つた愛情、失われた愛に対する長恨にある事は云ふ迄もないであらう。長恨歌がこの様な作品であるとするならば、以上見てきた処で明らかな様に、源氏物語の作者は、長恨歌をその主題的、本質的な意味で源氏物語に引用し、言及し、又類似

 

の表現を多々用ひて物語の世界の具象化に援用したといふ事が出来る。さうしてこれらの引用や言及は物語の個々の場面に断片的に利用されるに止まらず、主要人物の主要事件に一つのリズムをもつて反復して用ひられてゐる事をも指摘する事が出来たのである。

 

それにしても紫式部の漢籍受容は深いですね 到底つけ刃ではこなせませんが それを丸山キヨ子氏のような方がなさって下さっているので 今はただひたすら丸山本を深読みします

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2024.5.26 Twitter(X)から転載……源氏物語と白氏文集、特に長恨歌との関係について【紫式部の源氏物語には骨子として長恨歌がはっきりと意識されていました】

5月21日

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』では漢籍との関係を三分類していて 第一類が直接の引用 それは24項あり 桐壺2 帚木1 夕顔1 末摘花1 葵2 賢木2 須磨2 少女1 玉鬘1 胡蝶1 若菜上1 柏木1 幻2 宿木1 東屋1 蜻蛉3 手習1 となり 重要な手の込んだ巻には二つ以上の引用がみられるのは興味深いと

 

引用された頻度は 白楽天17 劉禹錫詩1 元稹詩1 史記列伝1 史記世家1 文選1 遊仙窟1 和漢朗詠集1 となり白氏文集が24引用数のうち17項を占める その中で長恨歌4が最も多く 巻初の諷諭の詩、秦中吟、新楽府の詩が比較的多い 従来一律に言われてきた漢書礼記詩経孝経老子荘子等は遥かに遠距離にある

 

5月22日

金沢文庫本で気になったことが 皇室に特別に伝わった本があるのではないかというような文章でした(たった一行の目立たない文章です)具平親王が白氏文集について見解を記しているけど親王は村上天皇の皇子 親王もその皇室本白氏文集を読まれた? そして親密だった公任はそれを一緒に読むことができ 紫式部もそれを? など 想像が膨らんでいます(想像というと歴史学者さん方から怒られますが笑)

 

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』 これから楽しみな源氏物語との関係に入るのですが 添えた栞は丸紅ギャラリーのパンフ 美しきシモネッタを所蔵されていていつか展示があったら行きたい とは思っているのですが 脚を傷めたのはこちらで実践女子大復元の明石君装束を見に行った帰りでした 昨年末からだからもう治ると願いつつまだ無理するとぶり返す だんだんもうこのまま遠出できない身になるかもと思いながら でも華鏡のためにはそれがいいと楽観しています

 

5月23日

おはようございます 今日は恋文の日だそうですね 恋文 ってとても素敵ですがいつまでこの優雅さが残るでしょう でも光る君への効果であるいはまた世の感性が変わるかも 昨夜ツイートした琵琶行が頭から離れなくて というのも以前白拍子の風でとりあげて書いているからで紫式部がなぜとりあげない

 

かはわかる気がします 丸山キヨ子氏は明石君とか源氏物語でも琵琶はよく語られるのになぜ引用しないか不思議と書いていられますが 源氏物語での白氏文集受容は表面的な言葉の受容ではないからですね 長恨歌は皇帝の恋だから桐壺帝に重なる 琵琶行は今は落ちぶれた女性の語る哀歌 これを引用しても

 

明石君方とは重ならないどころかうらぶれた印象までまとってしまう 源氏物語での白氏文集受容がほぼ長恨歌一点に絞られている所以と思います

 

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: 先に中国の詩の諷喩性ー思想性といふものを、始めてまともにうけとめたものが源氏物語の作者であらうといつたけれども、白氏文集の個々の詩の理解についても、尨大な文集の巻々にわたつて、これだけ真面目に消化した人は他にさう多くはあるまい

 

5月24日

源氏物語手習巻に摂取された白氏文集新楽府中の「陵園妾」はそれまでに一度も人に用いられた事はないと思われるそう つまり紫式部独自の発掘と使用 図書館で借りてきた新訳漢文体系で詩を読んでみました

 

入水した浮舟を助けた横川の僧都が浮舟を励ます所に使われています 「命如葉薄将奈何」「松門到暁月徘徊」が源氏物語では「このあらん命は葉のうすきかことしといひしらせて松門に暁いたりて月徘徊すと」と

 

丸山本「讒言せられて天子の御陵のお守り役に送られ、訪れるものとては月の光と風の音のみ、淋しい奥津城どころを叙した一句は、叡山西の坂本、小野の辺りの山庵に養われている浮舟の境涯にはまことににつかはしいものがある」

 

陵園妾を読ましたがこういう詩を紫式部は読み尽くして源氏物語を書いたかと思うと その深さが天性の だけではない学び続けることで身に備わった自然体で生まれた文章ということがよくわかるとともにどうしようもなく感嘆 そして今更に白氏文集に惹かれました

 

白氏文集「陵園妾」に「老母啼呼して車を趁ひて別れ」とあり 奥津城に幽閉されたらもう一生会えない娘の車を狂気じみたばかりの様相で追う どこか既視感あると思っていたのですが桐壺更衣の母 更衣の亡骸を追って無様な醜態を見せる ここ 以前から極端な描写が思慮深い更衣の母らしくないと違和感

 

を持っていたのですが 陵園妾が暗喩になっているとしたら納得 と思って桐壺巻を読んで見ましたがシチュエーションは全く同じ 車の語の出ることも同じ でも丸山本にこの関係は類例として挙げられてません でも紫式部の脳裏には娘との別れの痛切なかぎりの場面です 絶対この詩句ありましたよね

 

源氏物語を読んでいなければこんなに冬の夜の月に心惹かれる感性になっていなかったと思うのに 紫式部の冬の夜の月の描写が白氏文集が原点で 須磨巻の月のいとはなやかにさしいてたるにこよひは から あさかほ巻の冬の夜のすめる月にゆきのひかりあひたる空こそあやしう までの変遷で独自の境地を

 

掘り下げていった紫式部 紫式部をしてそういう感性に至らしめた 白氏文集にはそういう深みを掘り下げさせる何かがあるのですね なんか とても凄いところに来てしまいました

 

5月25日

おはようございます 有名な源氏物語と長恨歌の関係ですが丸山キヨ子氏のご著書によると長恨歌といっても全詩篇が流用されているわけでなく 楊貴妃を失った玄宗皇帝の哀しみ「失った愛」に特化した特定の部分だけという 源氏物語では桐壺帝が更衣を光源氏が葵上を光源氏が紫上を失った箇所にと

 

新楽府を読む為に借りてきた図書館の白氏文集1に長恨歌が入っていないので本棚から学研のムック本白楽天を出しました 長恨歌はこれで通しで読んで長いし安禄山の反乱の軍隊部分が長く これを?と不思議だったのですが 失われた愛に特化した部分だけならと納得 紫式部は感性に触れる選んでました

 

たまたまこのページを開いたら「翡翠の衾」とあります ちょうど丸山本でここが紫式部の引用では「古い衾」となっていて疑問に思われ 河海抄など古い資料を読むと皆古いほう それで紫式部が読んだのは現行している白氏文集ではなく別のだとわかり 紫式部が読んだのは70巻本だと辿りつかれたのでした

 

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: 秋の月は冬の月に変へられ、字句の上ではもうほとんど指摘すべき痕跡が失はれてゐる。しかし、すすむしの巻の言及をさらに推し進めた形として見るならば、月光に照し出された神秘的な世界の姿から、悠久なこの世の外の世界まで思ひやる心が油然として起るさま

 

が想像され、やはり一連の系列をなす発想と、指摘せずにはゐられない。詩を踏まへて、詩を脱化したものといへるであらう。

 

こういうご文章が丸山キヨ子氏のご著書の至るところに見られて 私はだからこそこの方のご著書に魅せられているのだなあと思います

 

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』では長恨歌との関係を三分類していて 昨日ご紹介した一類は直接の引用でしたが三類で表現が類似したものを 中に幻巻の おほそらをかよふまほろし夢にたに見えこぬ玉のゆくゑたつねよ があり大好きな歌でしたが これも長恨歌の死者の魂を訪ねさせる所に類似と

 

丸山キヨ子氏: 第三の類似に於いてはほんの些細な語句の類似、いささか長恨歌的雰囲気を出す事によつて、物語に長恨歌をふまへてゐる事を示し、また長恨歌の故事をふまへた表現の類似は、方士を遣わした故事をふまへて切なる思慕の情を遣るまほろしの歌を頂点として桐壺帝光源氏の悲嘆と思慕を装飾強調

 

白楽天の豊かさを知らなかったつい昨日までの私のように 鎌倉時代に鎌倉で鎌倉武士の人たちと一緒に過ごしていた光行には 鎌倉武士の薄っぺらさが耐え難かったでしょうね だから一人で源氏物語の校訂を始めて心を慰めていた 子息の親行がそれを継いで河内本源氏物語を完成させるのですが 親行は

 

識語に七月七日の暁に完成と記します そして想いを馳せるのが紫式部と楊貴妃 親行の中にもしっかりと長恨歌があるのです でも一緒に源氏物語を語り合っていて異本紫明抄まで著している鎌倉武士たちにその影がない 心の豊かさって教養や意識でなく感性なんですね 切なさを理解できるか否かの

 

なんて豊穣な 終日長恨歌を読んでいました 軍記ものが苦手で以前読んだ時は安禄山の変の辺りが重くて挫折 でも今回紫式部が引いた長恨歌はそれとは別の玄宗皇帝と楊貴妃の愛を深めて書いた白楽天のフィクション部分と知り 今日はその部分だけを繰り返し読んでいたら その豊穣さに打たれました

 

白楽天も最初は諷諭詩のように描き始めたそうで第一句から第七四句までは史実に即した描写 それが第七五句になって突然フィクションになり 人間世界と天上世界に別れ別れになった二人の切ない話になる 七月七日長生殿はこのフィクション部分です これは詩というより物語でしかも表現が美しく豊穣

 

終日この切なさに心揺蕩って過ごしました それで思ったのですが 長恨歌に限らず漢籍を収めた源光行には心にこの豊穣さがあり だから源氏物語の真髄が理解できて河内本源氏物語を作った 華鏡にはこれを書かなければいけなかったんですね 光行はずっとこの思いを抱いて鎌倉で過ごしていたのですから

 

華鏡は最初鎌倉の万葉学者仙覚の生涯を描く小説でした それで比企の乱まで書き終わっていたのですが心の底でなんか薄っぺらい気が収まらず停滞していました そこに尾州家本源氏物語ができてゆく過程を同時進行で入れることになって源光行が浮上 光行を書いていたら何故光行がそんなに源氏物語に固執

 

するのかを書かなければならなくなって源氏物語に拘り始めたのでした まさか白楽天にまで淵源として遡ることになるとは思ってもいませんでしたが ずっと 何故何故何故 を問いつづけてきた甲斐がありました 10年もかかわった殺伐とした鎌倉の歴史からやっと抜け出て豊穣の海に繰り出せそうです

 

RPさせて頂いたヒマラヤの写真 なにか転機がある時なぜか不思議にヒマラヤが現れます 以前は夢に 今はTwitterで 白楽天の淵源に辿り着いたツイートをした直後のこのヒマラヤの写真は嬉しいです

 

5月26日

長恨歌は学研のムック本『白楽天』によっているのですが 写真も素晴らしいのに解説も山口直樹氏が書いてられて 白楽天は長恨歌を気にいってなかったそう なのに人々の心を捉えて人気を博した これ 同じ書く人としてわかりますね 最初白楽天は傾国を諌める諷喩詩として始めた なのに最後の最後に

 

なって突然愛の物語的フィクションが湧く 今更に長い最初の方を書き直せないから構成が中途半端 完成品ではないんです でも巷に蔓延してしまったしそのままにした そしてそのフィクション部分こそ文学として人の心の真実として完成品であり 紫式部はそこを捉えたんですね

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2024.5.18 X(旧Twitter)から転載……ほんとうに久々の、昨年11月以来の更新ですが、『華鏡』の新しい進展がありましてご報告を

2024年の年明けのご挨拶もしないまま、もう五月も半ばが過ぎました。いろいろあって、三部構成にした『華鏡』の第一部、比企の乱まで書けていて、それをkindleにアップして電子書籍として刊行、のところまで進んでいたのですが、なぜかまだ足りないものがある思いが抜けずに悩んでいました。そんなこともあって更新が滞ったままになってしまいました。

その間にNHK大河ドラマ「光る君へ」が始まり、毎週それを楽しみに見ていたのですが、このドラマは紫式部がなぜ、どのようにして『源氏物語』を書くに至ったかの、書き手としての紫式部の心の内を丹念に追っているので、おなじ書く人として興味が尽きず、見ているうちにいつしか『源氏物語』を改めて学びなおそうという気持ちになったのでした。

そうしてとった、学生時代に読んだ『源氏物語』についての本を初心にかえって読み返していたら、思いがけずの進展があり、今迄見えていなかったものが見えてきたりして、ここ1,2週間というもの、『華鏡』にとってとても重要な局面を迎えましたので、記録としてこのブログにまとめることにしました。

極論を書くと、『華鏡』のテーマは『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』ができるまでなのですが、その『尾州家河内本源氏物語』のもととなった源光行の「河内本源氏物語」は光行が紫式部の漢籍の受容の深さに感嘆してはじまった、ということと、金沢文庫本『白氏文集』は宗尊親王の所持だったもので、それが金沢文庫に収められていて、『尾州家河内本源氏物語』や『西本願寺本万葉集』と同様、鎌倉滅亡時に持ち出されたのだろうということ。

そういうことが見えてきたら、年末まで書いていた比企の乱の小説とはまったく違う視界になってきました。

目下、私はその紫式部の漢籍受容について調べたり読んだりしています。それらを逐次、思うことがあるたびにTwitterに載せていました。転載させていただきます。

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5月9日

秋山虔先生『源氏物語』を拝読しています:それにしても、いったい源氏物語という世界は、これを織りなした作者にとって何であったのだろうか。作者はなぜこのような世界を創造したのであろうか。私はこの物語の作者の精神の内部にしばらく立ち入ってみようと思うのである←私のそれこそ知りたいこと!(未明)

 

おはようございます 庭に定家葛が咲きました なぜ紫式部が源氏物語を書いたか 秋山虔先生『源氏物語』を拝読していてはたと得心できたものがあり そうしたら興奮して眠れなくなって朝を迎えました 古書で必要な本を注文したところです それを待って華鏡に書きます

 

そうしたら なぜ源光行が源氏物語の校訂に生涯を賭けたか それも見当がついた気がします 今迄それがずっと気にかかっていました 光行は漢籍を習得しています 光行は源氏物語の中に漢籍の知識の相当あることに感銘を受けて源氏物語を崇敬したのではないでしょうか ただ平家を追悼したのではなく

 

比企の乱を書いただけでは薄っぺらでどうしようもない本 とばかりにうじうじと書けないでいた華鏡の原稿 突然開けて今度は膨らんだらどこまで膨らむのだろうというくらいに 書き始めたらどんどん書けると思います

 

秋山虔先生『源氏物語』より; 為時が紫式部の学才を嘆いたということは、それが彼女のこれから生きる道にマイナスになるからであっただろう。それだけに、彼女の学問教養は自己目的的に蓄積され、その体内に濃密に沈下していくほかないという性質のものであった。

 

彼女は光源氏の人生を空想する。彼女の内面に濃密に沈下していた経史子集や古今の詩歌物語の骨格や表現や意味が、ひしめくように再生していく虚構の世界がつむぎだされる←未明に触れた秋山虔先生のご文章 為時が嘆いた話は光る君へでも繰り返しなされているし有名だから耳にタコくらいに知ってます

 

ただこのエピソードをただの女だからで片付けず内面に沈下していく というような表現で捉えた解説は 私には紫式部の漢籍受容のひろがりとして 初めて やっと 理解できたのでした 受領階級の娘とか恋愛経験がないとか紫式部の人生をつまらないようにいう解説が多い中でのこの膨らみ!

 

5月10日

ネットで得たご論考 段笑華(日偏に華)氏「源氏物語における白氏文集引用の特色」←中国人の観点よりというご考察です 光源氏が白氏文集の句を口ずさんだ例が9例ありそれについて……9例はすべて源氏が目の前の光景やその場の心境を表すために記憶の中にある漢詩の雰囲気を借用し、口ずさんだ。

 

意味にせよ雰囲気にせよ原詩とほとんど変わらない。源氏が白氏文集をこれほど詳しくなお自由自在に運用したことを考えると、漢籍は源氏の心を支える大きな原動力だというべきであろう。作者もまた白氏文集に相当親しんでいたというべきであろう。略。漢詩の特徴の一つはとは、文が短いのに含んだ内容が

 

想像以上に深いということである。紫式部は、まるで完全にその内在的な意味をも理解したようだ。例えば夕顔のこのあたりの引用において、ただ言葉或いは詩句の引用だけではなく、その含んだ意味を夕顔が死ぬ前から、死後の源氏の追慕までの全場面に用いている。

 

5月13日

秋山虔先生『源氏物語』に触発されて白氏文集を検索 地元の図書館にあった丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』を拝読しているのですが このご著書 市民文庫というコーナーにあって一般書籍の古典コーナーではなかったからなんとなく不思議でした でも拝読していると物凄く内容が深い そうしたら

 

ネットで得たご論考の宋氏もこの丸山キヨ子氏に敬意を表されているし 図書館で一緒に借りてきた中西進先生『源氏物語と白氏文集』では参考文献に 中西先生のご著書は丸山本で示唆されたものをげ源氏物語本文にあたって解説されている そんな凄いご著作が市民文庫で多分地元だから私が手にできた

 

昨夜は丸山本で紫式部がどのような白氏文集を読んだかの分析 引用されている詩句が現行のと違うから では引用の詩句の白氏文集は?と探っていったら古い白氏文集だった みたいな展開で 紫式部は70巻本白氏文集を読んでいたそうです 今夜はこれから源氏物語に影響を与えた白氏文集の項を読みます

 

源氏物語における白氏文集についてのご論考やご著書 恣意的に拝読してたので先行研究的な影響が読めず発表年を並べると やはり丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』が最古で1964年 秋山虔先生『源氏物語』が1968年 同じ年に古沢未知男氏『源氏物語における漢詩文引用と白氏文集』

 

中西進先生『源氏物語と白氏文集』は1997年 中国人の観点からというご論考段笑華(日偏に華)氏「源氏物語における白氏文集引用の特色」は2008年 となりました やはり源氏物語と白氏文集についてのご研究のすべてのもとが丸山キヨ子氏でした さすが 迫真の筆致で影響力大だったのでしょう

 

秋山虔先生『源氏物語』に白氏文集の語はひとつも出てこないけど あ これは と私が白氏文集について調べたくなったご文章が以下です: 為時が彼女の為に嘆いたという彼女の学問教養は、それだけに自己目的的に蓄積され、その体内に濃密に沈下していくほかないという性質のものであったといえよう。

 

彼女の内面に濃密に沈下していた経史子集や古今の詩歌物語の骨格や表現や意味が、ひしめくように再生していく虚構の世界がつむぎだされる。

 

実体験以上に豊かだろう紫式部の体内に広がっている漢籍世界 それを知らなければ源氏物語をほんとうに理解したことにはならない と気づいたのでした(極端にいえば 国風文化の象徴 みたいだった仮名文字世界の源氏物語が 実はそうではなく 漢文世界の換骨奪胎でできていた という驚き)

 

5月14日

古沢未知男氏「源氏物語に於ける漢詩文引用と白氏文集」より: 結局源氏物語に於ける漢詩文の引用は、文集が圧倒的優位を占める。従ってそれに基く文集との比較研究によっては、直接間接源氏物語創作の態度なり性格の問題をも考定する事が出来ると思ふ次第である

 

5月15日

古書で届いた古沢未知男氏『漢詩文引用より見た 源氏物語の研究』をぱらぱら見ていたら詞句出典の一覧表に 夕殿に蛍飛んで が目に入ったら1日中頭の中がそれでいっぱい 源氏物語幻巻で光源氏が紫の上を偲んで過ごす思いを楊貴妃を偲ぶ玄宗皇帝に重ねての長恨歌の引用です

 

かつて『紫文幻想』でそれを書いた時 どこでそういう解説を読んだか忘れましたが 多分今はもう周知の事実的に広まっているのでしょうけど それが丸山キヨ子氏に端を発した紫式部の白氏文集受容だったなんて と今更に感慨深いです 夕殿に蛍飛んで は私にももう染みつきました

 

紫文幻想でそんなふうにいくつか長恨歌の源氏物語受容を書いていますが それは長恨歌に限っての話と思っていました が 李夫人とかそういうのは新楽府? 紫文幻想当時は紫式部の源氏物語にだけでいっぱいいっぱいで白氏文集に目を向けようなど思ってもみませんでした やっと時期が来たんですね

 

5月17日

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: と云ふのは先の一首と共に後の一首をふまえたもの、従って源氏君の口ずさんだ詩を受けて其の雰囲気に於いて応答してゐるのであり、更にそれに答えて源氏君が詠ずるのも同じく詩を背景にもつてゐるのであつて、云つてみれば引用句を頂点として、その詩の雰囲気

 

を巧みに導入し、この一情景を描いてゐると云つても云ひ過ぎではない。これらは引用の中国文学を其の一角を現はした氷山の如くにして、其辺一帯が詩文の雰囲気でフリンジをなす様な描写をなし、巧に中国文学を活用してゐるのであつて、原詩の理解の深さ、引用の的確さ、巧みさ等に於て、鮮やかなものが

 

ある ←おはようございます 丸山キヨ子氏のご本が楽しくてそのエッセンスを紹介させて頂きました 深夜に読み耽っても内容が複雑で難しいからうっかり黄色いマーカーで線を引きそうになり 危ないので図書館に返却する前にコピーをとって手元に残して読んでいくことにしました

 

十歳のころから漢籍を学ばされていた源光行には 先に引用させて頂いた紫式部の源氏物語における漢籍の溶け込み方を読むほどに感嘆し これは大変な文学だ 曖昧になっている箇所を校訂してきちんと世に残すべき文学と思い それが河内本源氏物語になったんですね 今更に私も気づきました

 

これ 『尾州家河内本源氏物語』ができるまでがテーマの『華鏡』の根幹ですね 今迄書けない書けないと書けなくて悩んでいた遅筆はここに至るための道程でした 光る君へで掘り起こされた紫式部の根幹への視野

 

不思議に 私が白氏文集を読みたくなって図書館で探してきた週に光る君へでまひろが新楽府の書写 でも初回からずっと何がテーマ?何が書きたいの?と食い入るように光る君へを見てきた蓄積がはからずも同定したということなのでしょう

 

5月18日

スマホに去年5月の写真というスライドショーが出て 見たらこの写真 たぶん紫文幻想の書籍版刊行のだと思う 電子書籍版はそれより前に出していました これがあるから今の華鏡が書けているのだけれど この時にはまだ紫式部の白氏文集受容は視野に入っていなかった その意味で華鏡は大変な進展です

 

図書館で新楽府が入った新訳漢文大系『白氏文集 一』を借りてきました 白楽天についての解題もあってちょっと興奮 というのは『尾州家河内本源氏物語』に出逢ってその解明に山岸徳平先生『尾州家河内本開題』に必死になって取り組んだのが1999年頃 それから20年が経ってまた何かの解題に取り組む

 

猛勉強といった言葉が頷ける日々の復活が嬉しいんですね やっとここに来たという感慨も含めて しばらく白楽天に取り組んで紫式部の漢籍受容を我が身のものとして そうなったら華鏡に戻ります

 

 

 

 

 

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