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2024.5.18 X(旧Twitter)から転載……ほんとうに久々の、昨年11月以来の更新ですが、『華鏡』の新しい進展がありましてご報告を

2024年の年明けのご挨拶もしないまま、もう五月も半ばが過ぎました。いろいろあって、三部構成にした『華鏡』の第一部、比企の乱まで書けていて、それをkindleにアップして電子書籍として刊行、のところまで進んでいたのですが、なぜかまだ足りないものがある思いが抜けずに悩んでいました。そんなこともあって更新が滞ったままになってしまいました。

その間にNHK大河ドラマ「光る君へ」が始まり、毎週それを楽しみに見ていたのですが、このドラマは紫式部がなぜ、どのようにして『源氏物語』を書くに至ったかの、書き手としての紫式部の心の内を丹念に追っているので、おなじ書く人として興味が尽きず、見ているうちにいつしか『源氏物語』を改めて学びなおそうという気持ちになったのでした。

そうしてとった、学生時代に読んだ『源氏物語』についての本を初心にかえって読み返していたら、思いがけずの進展があり、今迄見えていなかったものが見えてきたりして、ここ1,2週間というもの、『華鏡』にとってとても重要な局面を迎えましたので、記録としてこのブログにまとめることにしました。

極論を書くと、『華鏡』のテーマは『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』ができるまでなのですが、その『尾州家河内本源氏物語』のもととなった源光行の「河内本源氏物語」は光行が紫式部の漢籍の受容の深さに感嘆してはじまった、ということと、金沢文庫本『白氏文集』は宗尊親王の所持だったもので、それが金沢文庫に収められていて、『尾州家河内本源氏物語』や『西本願寺本万葉集』と同様、鎌倉滅亡時に持ち出されたのだろうということ。

そういうことが見えてきたら、年末まで書いていた比企の乱の小説とはまったく違う視界になってきました。

目下、私はその紫式部の漢籍受容について調べたり読んだりしています。それらを逐次、思うことがあるたびにTwitterに載せていました。転載させていただきます。

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5月9日

秋山虔先生『源氏物語』を拝読しています:それにしても、いったい源氏物語という世界は、これを織りなした作者にとって何であったのだろうか。作者はなぜこのような世界を創造したのであろうか。私はこの物語の作者の精神の内部にしばらく立ち入ってみようと思うのである←私のそれこそ知りたいこと!(未明)

 

おはようございます 庭に定家葛が咲きました なぜ紫式部が源氏物語を書いたか 秋山虔先生『源氏物語』を拝読していてはたと得心できたものがあり そうしたら興奮して眠れなくなって朝を迎えました 古書で必要な本を注文したところです それを待って華鏡に書きます

 

そうしたら なぜ源光行が源氏物語の校訂に生涯を賭けたか それも見当がついた気がします 今迄それがずっと気にかかっていました 光行は漢籍を習得しています 光行は源氏物語の中に漢籍の知識の相当あることに感銘を受けて源氏物語を崇敬したのではないでしょうか ただ平家を追悼したのではなく

 

比企の乱を書いただけでは薄っぺらでどうしようもない本 とばかりにうじうじと書けないでいた華鏡の原稿 突然開けて今度は膨らんだらどこまで膨らむのだろうというくらいに 書き始めたらどんどん書けると思います

 

秋山虔先生『源氏物語』より; 為時が紫式部の学才を嘆いたということは、それが彼女のこれから生きる道にマイナスになるからであっただろう。それだけに、彼女の学問教養は自己目的的に蓄積され、その体内に濃密に沈下していくほかないという性質のものであった。

 

彼女は光源氏の人生を空想する。彼女の内面に濃密に沈下していた経史子集や古今の詩歌物語の骨格や表現や意味が、ひしめくように再生していく虚構の世界がつむぎだされる←未明に触れた秋山虔先生のご文章 為時が嘆いた話は光る君へでも繰り返しなされているし有名だから耳にタコくらいに知ってます

 

ただこのエピソードをただの女だからで片付けず内面に沈下していく というような表現で捉えた解説は 私には紫式部の漢籍受容のひろがりとして 初めて やっと 理解できたのでした 受領階級の娘とか恋愛経験がないとか紫式部の人生をつまらないようにいう解説が多い中でのこの膨らみ!

 

5月10日

ネットで得たご論考 段笑華(日偏に華)氏「源氏物語における白氏文集引用の特色」←中国人の観点よりというご考察です 光源氏が白氏文集の句を口ずさんだ例が9例ありそれについて……9例はすべて源氏が目の前の光景やその場の心境を表すために記憶の中にある漢詩の雰囲気を借用し、口ずさんだ。

 

意味にせよ雰囲気にせよ原詩とほとんど変わらない。源氏が白氏文集をこれほど詳しくなお自由自在に運用したことを考えると、漢籍は源氏の心を支える大きな原動力だというべきであろう。作者もまた白氏文集に相当親しんでいたというべきであろう。略。漢詩の特徴の一つはとは、文が短いのに含んだ内容が

 

想像以上に深いということである。紫式部は、まるで完全にその内在的な意味をも理解したようだ。例えば夕顔のこのあたりの引用において、ただ言葉或いは詩句の引用だけではなく、その含んだ意味を夕顔が死ぬ前から、死後の源氏の追慕までの全場面に用いている。

 

5月13日

秋山虔先生『源氏物語』に触発されて白氏文集を検索 地元の図書館にあった丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』を拝読しているのですが このご著書 市民文庫というコーナーにあって一般書籍の古典コーナーではなかったからなんとなく不思議でした でも拝読していると物凄く内容が深い そうしたら

 

ネットで得たご論考の宋氏もこの丸山キヨ子氏に敬意を表されているし 図書館で一緒に借りてきた中西進先生『源氏物語と白氏文集』では参考文献に 中西先生のご著書は丸山本で示唆されたものをげ源氏物語本文にあたって解説されている そんな凄いご著作が市民文庫で多分地元だから私が手にできた

 

昨夜は丸山本で紫式部がどのような白氏文集を読んだかの分析 引用されている詩句が現行のと違うから では引用の詩句の白氏文集は?と探っていったら古い白氏文集だった みたいな展開で 紫式部は70巻本白氏文集を読んでいたそうです 今夜はこれから源氏物語に影響を与えた白氏文集の項を読みます

 

源氏物語における白氏文集についてのご論考やご著書 恣意的に拝読してたので先行研究的な影響が読めず発表年を並べると やはり丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』が最古で1964年 秋山虔先生『源氏物語』が1968年 同じ年に古沢未知男氏『源氏物語における漢詩文引用と白氏文集』

 

中西進先生『源氏物語と白氏文集』は1997年 中国人の観点からというご論考段笑華(日偏に華)氏「源氏物語における白氏文集引用の特色」は2008年 となりました やはり源氏物語と白氏文集についてのご研究のすべてのもとが丸山キヨ子氏でした さすが 迫真の筆致で影響力大だったのでしょう

 

秋山虔先生『源氏物語』に白氏文集の語はひとつも出てこないけど あ これは と私が白氏文集について調べたくなったご文章が以下です: 為時が彼女の為に嘆いたという彼女の学問教養は、それだけに自己目的的に蓄積され、その体内に濃密に沈下していくほかないという性質のものであったといえよう。

 

彼女の内面に濃密に沈下していた経史子集や古今の詩歌物語の骨格や表現や意味が、ひしめくように再生していく虚構の世界がつむぎだされる。

 

実体験以上に豊かだろう紫式部の体内に広がっている漢籍世界 それを知らなければ源氏物語をほんとうに理解したことにはならない と気づいたのでした(極端にいえば 国風文化の象徴 みたいだった仮名文字世界の源氏物語が 実はそうではなく 漢文世界の換骨奪胎でできていた という驚き)

 

5月14日

古沢未知男氏「源氏物語に於ける漢詩文引用と白氏文集」より: 結局源氏物語に於ける漢詩文の引用は、文集が圧倒的優位を占める。従ってそれに基く文集との比較研究によっては、直接間接源氏物語創作の態度なり性格の問題をも考定する事が出来ると思ふ次第である

 

5月15日

古書で届いた古沢未知男氏『漢詩文引用より見た 源氏物語の研究』をぱらぱら見ていたら詞句出典の一覧表に 夕殿に蛍飛んで が目に入ったら1日中頭の中がそれでいっぱい 源氏物語幻巻で光源氏が紫の上を偲んで過ごす思いを楊貴妃を偲ぶ玄宗皇帝に重ねての長恨歌の引用です

 

かつて『紫文幻想』でそれを書いた時 どこでそういう解説を読んだか忘れましたが 多分今はもう周知の事実的に広まっているのでしょうけど それが丸山キヨ子氏に端を発した紫式部の白氏文集受容だったなんて と今更に感慨深いです 夕殿に蛍飛んで は私にももう染みつきました

 

紫文幻想でそんなふうにいくつか長恨歌の源氏物語受容を書いていますが それは長恨歌に限っての話と思っていました が 李夫人とかそういうのは新楽府? 紫文幻想当時は紫式部の源氏物語にだけでいっぱいいっぱいで白氏文集に目を向けようなど思ってもみませんでした やっと時期が来たんですね

 

5月17日

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: と云ふのは先の一首と共に後の一首をふまえたもの、従って源氏君の口ずさんだ詩を受けて其の雰囲気に於いて応答してゐるのであり、更にそれに答えて源氏君が詠ずるのも同じく詩を背景にもつてゐるのであつて、云つてみれば引用句を頂点として、その詩の雰囲気

 

を巧みに導入し、この一情景を描いてゐると云つても云ひ過ぎではない。これらは引用の中国文学を其の一角を現はした氷山の如くにして、其辺一帯が詩文の雰囲気でフリンジをなす様な描写をなし、巧に中国文学を活用してゐるのであつて、原詩の理解の深さ、引用の的確さ、巧みさ等に於て、鮮やかなものが

 

ある ←おはようございます 丸山キヨ子氏のご本が楽しくてそのエッセンスを紹介させて頂きました 深夜に読み耽っても内容が複雑で難しいからうっかり黄色いマーカーで線を引きそうになり 危ないので図書館に返却する前にコピーをとって手元に残して読んでいくことにしました

 

十歳のころから漢籍を学ばされていた源光行には 先に引用させて頂いた紫式部の源氏物語における漢籍の溶け込み方を読むほどに感嘆し これは大変な文学だ 曖昧になっている箇所を校訂してきちんと世に残すべき文学と思い それが河内本源氏物語になったんですね 今更に私も気づきました

 

これ 『尾州家河内本源氏物語』ができるまでがテーマの『華鏡』の根幹ですね 今迄書けない書けないと書けなくて悩んでいた遅筆はここに至るための道程でした 光る君へで掘り起こされた紫式部の根幹への視野

 

不思議に 私が白氏文集を読みたくなって図書館で探してきた週に光る君へでまひろが新楽府の書写 でも初回からずっと何がテーマ?何が書きたいの?と食い入るように光る君へを見てきた蓄積がはからずも同定したということなのでしょう

 

5月18日

スマホに去年5月の写真というスライドショーが出て 見たらこの写真 たぶん紫文幻想の書籍版刊行のだと思う 電子書籍版はそれより前に出していました これがあるから今の華鏡が書けているのだけれど この時にはまだ紫式部の白氏文集受容は視野に入っていなかった その意味で華鏡は大変な進展です

 

図書館で新楽府が入った新訳漢文大系『白氏文集 一』を借りてきました 白楽天についての解題もあってちょっと興奮 というのは『尾州家河内本源氏物語』に出逢ってその解明に山岸徳平先生『尾州家河内本開題』に必死になって取り組んだのが1999年頃 それから20年が経ってまた何かの解題に取り組む

 

猛勉強といった言葉が頷ける日々の復活が嬉しいんですね やっとここに来たという感慨も含めて しばらく白楽天に取り組んで紫式部の漢籍受容を我が身のものとして そうなったら華鏡に戻ります

 

 

 

 

 

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