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2024.5.26 Twitter(X)から転載……源氏物語と白氏文集、特に長恨歌との関係について【紫式部の源氏物語には骨子として長恨歌がはっきりと意識されていました】

5月21日

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』では漢籍との関係を三分類していて 第一類が直接の引用 それは24項あり 桐壺2 帚木1 夕顔1 末摘花1 葵2 賢木2 須磨2 少女1 玉鬘1 胡蝶1 若菜上1 柏木1 幻2 宿木1 東屋1 蜻蛉3 手習1 となり 重要な手の込んだ巻には二つ以上の引用がみられるのは興味深いと

 

引用された頻度は 白楽天17 劉禹錫詩1 元稹詩1 史記列伝1 史記世家1 文選1 遊仙窟1 和漢朗詠集1 となり白氏文集が24引用数のうち17項を占める その中で長恨歌4が最も多く 巻初の諷諭の詩、秦中吟、新楽府の詩が比較的多い 従来一律に言われてきた漢書礼記詩経孝経老子荘子等は遥かに遠距離にある

 

5月22日

金沢文庫本で気になったことが 皇室に特別に伝わった本があるのではないかというような文章でした(たった一行の目立たない文章です)具平親王が白氏文集について見解を記しているけど親王は村上天皇の皇子 親王もその皇室本白氏文集を読まれた? そして親密だった公任はそれを一緒に読むことができ 紫式部もそれを? など 想像が膨らんでいます(想像というと歴史学者さん方から怒られますが笑)

 

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』 これから楽しみな源氏物語との関係に入るのですが 添えた栞は丸紅ギャラリーのパンフ 美しきシモネッタを所蔵されていていつか展示があったら行きたい とは思っているのですが 脚を傷めたのはこちらで実践女子大復元の明石君装束を見に行った帰りでした 昨年末からだからもう治ると願いつつまだ無理するとぶり返す だんだんもうこのまま遠出できない身になるかもと思いながら でも華鏡のためにはそれがいいと楽観しています

 

5月23日

おはようございます 今日は恋文の日だそうですね 恋文 ってとても素敵ですがいつまでこの優雅さが残るでしょう でも光る君への効果であるいはまた世の感性が変わるかも 昨夜ツイートした琵琶行が頭から離れなくて というのも以前白拍子の風でとりあげて書いているからで紫式部がなぜとりあげない

 

かはわかる気がします 丸山キヨ子氏は明石君とか源氏物語でも琵琶はよく語られるのになぜ引用しないか不思議と書いていられますが 源氏物語での白氏文集受容は表面的な言葉の受容ではないからですね 長恨歌は皇帝の恋だから桐壺帝に重なる 琵琶行は今は落ちぶれた女性の語る哀歌 これを引用しても

 

明石君方とは重ならないどころかうらぶれた印象までまとってしまう 源氏物語での白氏文集受容がほぼ長恨歌一点に絞られている所以と思います

 

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: 先に中国の詩の諷喩性ー思想性といふものを、始めてまともにうけとめたものが源氏物語の作者であらうといつたけれども、白氏文集の個々の詩の理解についても、尨大な文集の巻々にわたつて、これだけ真面目に消化した人は他にさう多くはあるまい

 

5月24日

源氏物語手習巻に摂取された白氏文集新楽府中の「陵園妾」はそれまでに一度も人に用いられた事はないと思われるそう つまり紫式部独自の発掘と使用 図書館で借りてきた新訳漢文体系で詩を読んでみました

 

入水した浮舟を助けた横川の僧都が浮舟を励ます所に使われています 「命如葉薄将奈何」「松門到暁月徘徊」が源氏物語では「このあらん命は葉のうすきかことしといひしらせて松門に暁いたりて月徘徊すと」と

 

丸山本「讒言せられて天子の御陵のお守り役に送られ、訪れるものとては月の光と風の音のみ、淋しい奥津城どころを叙した一句は、叡山西の坂本、小野の辺りの山庵に養われている浮舟の境涯にはまことににつかはしいものがある」

 

陵園妾を読ましたがこういう詩を紫式部は読み尽くして源氏物語を書いたかと思うと その深さが天性の だけではない学び続けることで身に備わった自然体で生まれた文章ということがよくわかるとともにどうしようもなく感嘆 そして今更に白氏文集に惹かれました

 

白氏文集「陵園妾」に「老母啼呼して車を趁ひて別れ」とあり 奥津城に幽閉されたらもう一生会えない娘の車を狂気じみたばかりの様相で追う どこか既視感あると思っていたのですが桐壺更衣の母 更衣の亡骸を追って無様な醜態を見せる ここ 以前から極端な描写が思慮深い更衣の母らしくないと違和感

 

を持っていたのですが 陵園妾が暗喩になっているとしたら納得 と思って桐壺巻を読んで見ましたがシチュエーションは全く同じ 車の語の出ることも同じ でも丸山本にこの関係は類例として挙げられてません でも紫式部の脳裏には娘との別れの痛切なかぎりの場面です 絶対この詩句ありましたよね

 

源氏物語を読んでいなければこんなに冬の夜の月に心惹かれる感性になっていなかったと思うのに 紫式部の冬の夜の月の描写が白氏文集が原点で 須磨巻の月のいとはなやかにさしいてたるにこよひは から あさかほ巻の冬の夜のすめる月にゆきのひかりあひたる空こそあやしう までの変遷で独自の境地を

 

掘り下げていった紫式部 紫式部をしてそういう感性に至らしめた 白氏文集にはそういう深みを掘り下げさせる何かがあるのですね なんか とても凄いところに来てしまいました

 

5月25日

おはようございます 有名な源氏物語と長恨歌の関係ですが丸山キヨ子氏のご著書によると長恨歌といっても全詩篇が流用されているわけでなく 楊貴妃を失った玄宗皇帝の哀しみ「失った愛」に特化した特定の部分だけという 源氏物語では桐壺帝が更衣を光源氏が葵上を光源氏が紫上を失った箇所にと

 

新楽府を読む為に借りてきた図書館の白氏文集1に長恨歌が入っていないので本棚から学研のムック本白楽天を出しました 長恨歌はこれで通しで読んで長いし安禄山の反乱の軍隊部分が長く これを?と不思議だったのですが 失われた愛に特化した部分だけならと納得 紫式部は感性に触れる選んでました

 

たまたまこのページを開いたら「翡翠の衾」とあります ちょうど丸山本でここが紫式部の引用では「古い衾」となっていて疑問に思われ 河海抄など古い資料を読むと皆古いほう それで紫式部が読んだのは現行している白氏文集ではなく別のだとわかり 紫式部が読んだのは70巻本だと辿りつかれたのでした

 

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: 秋の月は冬の月に変へられ、字句の上ではもうほとんど指摘すべき痕跡が失はれてゐる。しかし、すすむしの巻の言及をさらに推し進めた形として見るならば、月光に照し出された神秘的な世界の姿から、悠久なこの世の外の世界まで思ひやる心が油然として起るさま

 

が想像され、やはり一連の系列をなす発想と、指摘せずにはゐられない。詩を踏まへて、詩を脱化したものといへるであらう。

 

こういうご文章が丸山キヨ子氏のご著書の至るところに見られて 私はだからこそこの方のご著書に魅せられているのだなあと思います

 

丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』では長恨歌との関係を三分類していて 昨日ご紹介した一類は直接の引用でしたが三類で表現が類似したものを 中に幻巻の おほそらをかよふまほろし夢にたに見えこぬ玉のゆくゑたつねよ があり大好きな歌でしたが これも長恨歌の死者の魂を訪ねさせる所に類似と

 

丸山キヨ子氏: 第三の類似に於いてはほんの些細な語句の類似、いささか長恨歌的雰囲気を出す事によつて、物語に長恨歌をふまへてゐる事を示し、また長恨歌の故事をふまへた表現の類似は、方士を遣わした故事をふまへて切なる思慕の情を遣るまほろしの歌を頂点として桐壺帝光源氏の悲嘆と思慕を装飾強調

 

白楽天の豊かさを知らなかったつい昨日までの私のように 鎌倉時代に鎌倉で鎌倉武士の人たちと一緒に過ごしていた光行には 鎌倉武士の薄っぺらさが耐え難かったでしょうね だから一人で源氏物語の校訂を始めて心を慰めていた 子息の親行がそれを継いで河内本源氏物語を完成させるのですが 親行は

 

識語に七月七日の暁に完成と記します そして想いを馳せるのが紫式部と楊貴妃 親行の中にもしっかりと長恨歌があるのです でも一緒に源氏物語を語り合っていて異本紫明抄まで著している鎌倉武士たちにその影がない 心の豊かさって教養や意識でなく感性なんですね 切なさを理解できるか否かの

 

なんて豊穣な 終日長恨歌を読んでいました 軍記ものが苦手で以前読んだ時は安禄山の変の辺りが重くて挫折 でも今回紫式部が引いた長恨歌はそれとは別の玄宗皇帝と楊貴妃の愛を深めて書いた白楽天のフィクション部分と知り 今日はその部分だけを繰り返し読んでいたら その豊穣さに打たれました

 

白楽天も最初は諷諭詩のように描き始めたそうで第一句から第七四句までは史実に即した描写 それが第七五句になって突然フィクションになり 人間世界と天上世界に別れ別れになった二人の切ない話になる 七月七日長生殿はこのフィクション部分です これは詩というより物語でしかも表現が美しく豊穣

 

終日この切なさに心揺蕩って過ごしました それで思ったのですが 長恨歌に限らず漢籍を収めた源光行には心にこの豊穣さがあり だから源氏物語の真髄が理解できて河内本源氏物語を作った 華鏡にはこれを書かなければいけなかったんですね 光行はずっとこの思いを抱いて鎌倉で過ごしていたのですから

 

華鏡は最初鎌倉の万葉学者仙覚の生涯を描く小説でした それで比企の乱まで書き終わっていたのですが心の底でなんか薄っぺらい気が収まらず停滞していました そこに尾州家本源氏物語ができてゆく過程を同時進行で入れることになって源光行が浮上 光行を書いていたら何故光行がそんなに源氏物語に固執

 

するのかを書かなければならなくなって源氏物語に拘り始めたのでした まさか白楽天にまで淵源として遡ることになるとは思ってもいませんでしたが ずっと 何故何故何故 を問いつづけてきた甲斐がありました 10年もかかわった殺伐とした鎌倉の歴史からやっと抜け出て豊穣の海に繰り出せそうです

 

RPさせて頂いたヒマラヤの写真 なにか転機がある時なぜか不思議にヒマラヤが現れます 以前は夢に 今はTwitterで 白楽天の淵源に辿り着いたツイートをした直後のこのヒマラヤの写真は嬉しいです

 

5月26日

長恨歌は学研のムック本『白楽天』によっているのですが 写真も素晴らしいのに解説も山口直樹氏が書いてられて 白楽天は長恨歌を気にいってなかったそう なのに人々の心を捉えて人気を博した これ 同じ書く人としてわかりますね 最初白楽天は傾国を諌める諷喩詩として始めた なのに最後の最後に

 

なって突然愛の物語的フィクションが湧く 今更に長い最初の方を書き直せないから構成が中途半端 完成品ではないんです でも巷に蔓延してしまったしそのままにした そしてそのフィクション部分こそ文学として人の心の真実として完成品であり 紫式部はそこを捉えたんですね

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