2024.6.1 Twitter(X)から転載……『源氏物語』と『白氏文集』の関係、ほぼ把握しました。びっくりするくらいに紫式部は白氏文集を読み込み、自家籠中のものとして源氏物語のなかに取り込んでいます。白氏文集があったからあの膨大な源氏物語が書けた、と言い切っていいくらい!
5月28日
丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』 ざっと通しで読み終わりました 源氏物語の主題が失われた愛に対する嘆きとする長恨歌との関係のあと 須磨巻と白氏文集の関係に入り こちらも凄く唸るばかりの納得 これから原文にあたって詩と比べて確認したく考えています 諷諭詩との関係もとにかく紫式部は
原文にきづかせないくらいに溶け込ませるほど自家籠中としています そしてそれは父為時由来だろうと 為時には現存する漢詩が二十首ありそこには七十巻中六十七迄にもわたる詩句が採られているそう 為時の白楽天への傾倒ぶりが察せられるとともに 娘である紫式部が文集を消化吸収し得て物語にしたと
ずっと紫式部の風景や自然感覚そして社会的視野の鋭さ広範さなど平安時代の女性としてどうやってそれを身につけたのだろうが不思議でした 経験しなければわからないくらいの機微を絶対経験していないだろう紫式部が「こなして」書いている 不思議でならなかったのですが白楽天をこなしていたのでした
源氏物語須磨巻と白氏文集の関係 紫式部は文集の中でも白楽天が江州司馬であった時代の作品を比較的多く採用しているという 白楽天は四十四歳の時讒言により江州の司馬に左遷された 左遷とはいうものの上官の好遇を得 風光明媚な地で中央の複雑な人間関係から解き放されて白楽天は詩作に専念できた
5月29日
おはようございます 紅いカラーが咲きました 昨夜は源氏物語須磨巻を読んで就寝 白楽天との関連箇所を丸山キヨ子氏のご本で教えて頂いて読むとああこれがと一目瞭然 国守も親しき殿人なればのところなど思わず笑みが溢れました
国守も親しき殿人なればの件 手元に注釈書がなくネットで須磨巻の解説を読んだ時 この親しき国守がどういう人物かわからないしここだけにしか登場しないと そのあと白楽天の生涯との関係を読んで 左遷されて赴任したのに上官が白楽天が来た!と喜んで好遇してくれたと この国守は上官ですよね
拝読した中野幸一先生『正訳源氏物語』では注は直接詩文が引用されている箇所にのみ白楽天とあり 全くの憶測になってしまう生涯との関連についての注はありません
丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: 紫式部は草堂記といふやうな文辞篇まで応用しており、その時代の白楽天が辿った道程を輪廓づけることが出来るような態度でこれを採用している。作者は切れ切れの詩としてそれを享受したのではなく、作者の運命を辿り、生活をなぞり、この一時期の詩人の姿を
活々と心に描きつつ詩を味わってゐたのではないか。このことは、須磨における源氏君の創造にいくばくかの養ひとなつてゐるのではないか。中略。白楽天の江州貶適の生活を一通り辿りうるが如き詩篇を駆使し、特に須磨巻に司馬在任時代の詩を集中して用ひた。
丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より: 文集の詩が截り開いてみせた自適の生活の一面は、はじめて具体的に描かれた左遷文学。讒言によっての左遷を文化人としてこれを克服した姿が跡づけられる。源氏君にみられる文化人としての流寓の人の姿はそこに現れてゐないであらうか。それは源氏君の心が
にじみ込んでゐる筈の持物や住居や衣服に現れてゐる。中略。源氏君に描かれた流謫の折のイメージ。流謫に際して見られる忌はしい実人生の葛藤を排除し、孤高に住ふ態度。それは白楽天の江州司馬時代の作品から描かれる白楽天像として、紫式部に享受されたものではなかつたかと思ふ。
枕草子で有名な香炉峰の雪は簾を撥げて看るの詩は 白楽天の左遷されて赴任した江州司馬の時代に作られています 左遷された翌々年に江州の町から二十キロばかり郊外にある廬山香炉峰の麓に移住 草堂を造って暮らしたのでした この草堂が須磨の光源氏が暮らした住まいのヒントになっていると丸山氏
紫式部が須磨の光源氏を左遷された時代の白楽天に模して書いたというなら 紫式部は白楽天の人生を知っていたわけですものね そういう実録的庶民(文学者)の歴史書ってあったわけですよね でないと為時や紫式部が知り得るわけがない でも展覧会などでそういうのって見たことない気が
それでまた疑問が湧いたのですが 白氏文集がもたらされ我国で広まって人気を博したといっても 白楽天についての人となりのような略歴ってどうやって当時の人は知ったのでしょう そういうことを書いた実録みたいなのも伝来しているとはあまり聞かないのですが
5月30日
丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』に揚げられている長恨歌との関連箇所の原文に黄色いマーカーで線を引きました 夕顔葵絵合宿木蜻蛉巻などでも該当箇所はあるのですが 内容に直結する深さでは桐壺と幻巻 紫式部の意図はこのニ帖に込められていると感じます それでこれからこのニ帖を読むことに
鎌倉時代に鎌倉で尾州家河内本源氏物語ができるまでの人間関係のドラマを華鏡で描くのですが 河内本源氏物語を作った源光行が何故生涯をかけるほど源氏物語に心酔したかを今まで理解できてなくてそれで華鏡の原稿が薄っぺらに感じて停滞していました 紫式部の漢籍受容が理解できて光行の心酔に納得
そうしたら今度は紫式部がなぜそれほど長恨歌に心酔したかが思いがけず手にとるように理解でき それを本文に黄色いマーカーを引いて確かめたら思っている筋立てが違和感なく確認できました あとは華鏡に戻って書くだけなのですが もう少し源氏物語と白楽天の関係についての読書を深めます
5月31日
古書で買った古沢末知男氏『漢詩文引用より見た 源氏物語の研究』を拝読しているのですが 黄色いマーカーで線を引きたくてたまらない 引けば物凄く頭に入って整理がつく でもまた私の後に何方かが読まれるかもと思うと引けない 自分の本なのに もう私が最後の持主と割り切ればいいのに
古沢末知男氏『源氏物語の研究』より 源氏物語に於ける漢詩文引用は、白氏文集の場合になると多くの詞句が文集直接の引用である事が分る。其の前後尚直接文集を出典とするのでなければどうしても満足し解決し切れない要素を多分に存する。中略。文集引用の優位だけは絶対に揺るがないと言へるであらう
即ちこれ源氏物語に於ける漢詩文引用の中核をなすものである。他の漢籍とは到底同日には論ぜられない←線を引けないならノートにとってと一旦は考えたのですが、そうだツイートしてブログに転載すればと、やっとブログを思い出しました。ここのところ紫式部の漢籍受容でブログ更新が復活しています
ざっと古沢氏のご著書を拝読しました 先にこちらを手にしていたらまた熟読度が違ったでしょうけど目を通させて頂いた限りは丸山氏のご本が文学に根ざしていて私には心に沁みます 古書で購入した時に届くまでの繋ぎに図書館に行って借りたのが丸山氏のご本 こういう出逢いもあるんですね
丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』を拝読しているからとてもよく分かる。丸山氏が書かれていたけど、お二人は同時期に同じ研究をされていて、発表もほぼ同時期。丸山氏が刊行されたからそれが決まったかくらいの時に古沢氏のご研究を知り、でも違う攻め方でいられるので別と割り切られたそう
6月1日
おはようございます 今朝の紅いカラー 昨年鉢植えで買って咲いたあと放置したままだった球根がまた咲いてくれました 球根を植え替えたりしたらもっと繁茂するのでしょうね 昨夜から華鏡の原稿の文章が頭にちらほら浮かんでああそろそろ戻る時期なのだなあと 白氏文集に決着がついてきたからです
この辺りで少し白楽天のお浚いを 我国では平安京遷都間もない平城天皇の大同元年に白楽天は35歳で長恨歌を作り その18年後の53歳の時に最初の詩文集「白氏長慶集」が編まれた 引き続き自選の後集続後集が編まれて長慶集に附せられ75巻になり「白氏文集」と称せられた
白氏文集が白楽天の生前に日本に伝わったことは続後集の後記に白楽天自ら認めている 白氏文集が一度伝来するや嵯峨天皇はこれを秘蔵されて人に見せず 仁明天皇は献上者に叙位の沙汰あらせられる程だったという その時代を下るに従い流行し和漢朗詠集に紫式部にと重用された