2024.6.4 Twitter(X)から転載……白氏文集「新楽府」全50篇を読みました。紫式部の『源氏物語』執筆の原点と込めた想いの真意がそこにありました。そして、筆力の原点も。
6月1日
丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』より 長恨歌が出来て約二百余年、最初の詩文集白氏長慶集が編まれてから百七十余年を隔てて、長恨歌は源氏物語の作者紫式部の手に渡った。紫式部の長恨歌についての直接の告白は今日の所みる事が出来ない。しかし白氏文集に就いては紫式部日記に明らかな言及が
なされてをり、そこから推して式部が長恨歌を原典をもつて読んだであらう事はほぼ推測される。すなはち「宮の御まへにて文集の所々よませ給ひなどして……おととしの夏ころより楽府といふニ巻をぞ」といふ有名な一条である。ここから考へれば、宮の御まへには楽府のみならぬ文集のほかの部分のあつた
↑ちょっと回り道をして丸山キヨ子氏のご本に衝動を受けて書きたくなった気持ちが薄らいでしまったので、源氏物語と長恨歌に特化したページを読み返しています。思うのだけれど、丸山氏のご文章は研究書という解説を越えて文学ですね。研究結果の先のだから何が情熱的に書かれていて伝わってきます
6月2日
おはようございます 昨夜はこちらのムック本で長恨歌を読んでいたのですが 写真の美しさと読み下し文が相俟ってとてもわかりやすい それで新楽府でもこのような本がないかいろいろ検索したのですが見あたらなくて残念 仕方なく借りてあった新訳漢文大系で読むことに この検索で源氏物語と漢籍の
関係の研究がとてもたくさん視野に入り 中に蒙求との関係もあったり目も眩みそうになりました それで心を落ち着けて考えたのは私はもうそういうご研究を追うのは止めようと キリがなさすぎて華鏡に戻れなくなってしまいます 華鏡に書こうとしているのは長恨歌との関係のある一点 それはまだ何方も
書かれていないことだから私の務めはその一点を書き切ること 膨大な漢籍関連のご研究にくらくらしましたが逆にだからこそ私はと絞ることができました 今夜は光る君へ 視聴後はまた気持ちが揺蕩って華鏡どころではなくなるでしょうからその前に気分の決着がついて良かったです
新訳漢文大系『白氏文集 一』で新楽府を読んでいます 漢詩を漢文のまま読もうとするから難しいのであって 先に通釈を読むと物語的なことがわかってわかりやすくそれから漢詩に目を通すことに 最初漢詩は読まないでもと思ったのですが 漢詩の語彙語韻こそ紫式部に通じると思って読むことにしました
と投稿したのは解説に影響を受けた国文学が挙げられていて 新楽府その四「海漫漫」に源氏物語胡蝶と紫式部日記が挙げられていたから この詩は長恨歌の方士が楊貴妃の魂を訪ねに行くのと似た感じがあってそれまでの世俗だけの話と違い それで私もこの詩から漢詩部分も読むことにしたのでした
「海漫漫」直下無底旁無邊 雲濤煙浪最深處 …… 視界が広大で美しく これが漢詩ではどういう語でどう表現されているのだろうと思って漢詩部分も読むことにしたのでした
6月3日
目加田さくを氏「源氏物語の白氏文集受容ー諷諭詩の場合ー」より: 東洋において、詩は君子、知識階層男子畢生の大事業であった。喘ぐ民庶の貧窮を熱涙をもって詠出する杜甫の詩業が何よりそれをものがたる。白楽天も亦それを継承した詩人であった。源氏物語の引用詩人は白楽天が最高である。注目す
べきは諷諭の詩の引用が9回と高い頻度であること。長恨歌など感傷詩は7回である。紫式部が諷諭詩をいかに重視していたか。父為時の白氏文集を見た紫式部の開巻早々まづ目につく諷諭の巻名。しかも四巻つづく。その詩百六十四篇は、何れもずっしりと重く厳しい人生の詩である。父為時の貧しく鬱屈した
日々がそこにはそのまま詠出されているではないか。諷諭四巻が式部に与えた感動と共感の深さをおもわざるをえない。
目加田さくを氏「源氏物語の白氏文集受容」より: この諷諭詩を紫式部はどのように源氏物語に生かしているであろうか。夕顔帚木末摘花胡蝶幻玉鬘蜻蛉手習と全巻書き上げるまで諷諭の詩を離れえなかった。白詩諷諭の精神が紫式部の心底に溶け込んでいる。消化しつくし、自己の栄養としおえた。即ち
これによって紫式部の社会に対する目は深まり、作家式部の見識となった上で、自由自在に引用する段階に達している。
6月4日
おはようございます 白氏文集「新楽府」50篇に目を通しました 心の底から驚いています 源氏物語といえば雅優美の極致の文学 そして紫式部が白氏文集から引用した長恨歌が有名で 長恨歌も物語の悲哀感を深めているし 源氏物語と白氏文集の関係は優美な世界を否定するものではないと思っていました
でもいろいろな方のご論考を拝読すると紫式部が白氏文集で最も重んじたのは諷諭詩と 諷諭とはさりげなく諌めることだそう そして新楽府を読むと諷諭詩の括りには入っていないのに諷諭の詩ばかり これは白氏文集編纂の時期的関係で後で付されたからなのでしょう とにかく実際は諷諭詩ばかりでした
傾国を諌める詩は白楽天が決して長恨歌を単なるロマンと認めていないことがわかります 帝たる者はとかもろもろ人の心得を諭しているのが新楽府でした 当時の貴族はこういう詩を読んで政治をしたり生きていた 紫式部も源氏物語にその意を込めた それが現在私達に伝わっているだろうかと懸念しました
紫式部が源氏物語に込めた真意は人がつましく正しく生きることで そうやって生きている人が苦しまない世になること なのに光源氏の恋愛遍歴があまりに華やかでその表層ばかりが一人歩きし読む人はそればかり享受 なぜ今迄学者さんたちはそれを是正しようとはなされないで来たのでしようと不思議
なんとなく前から感じているのですが 光る君へのまひろと道長の理想の政治にかける想い 制作者さん方の根底にこの諷諭の詩への紫式部があるのではないかと これからまひろが中宮彰子に新楽府の講義をしますし この制作スタッフ陣に新楽府が単に名前だけ登場する小道具になると思えないのですが