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2024.6.9 Twitter(X)から転載……紫式部が『源氏物語』でなぜ「源氏」にこだわったかが、長恨歌について考え続けていたら唐突に閃いて見えてきました。そして源融が頭から離れなくなって……

6月7日

本棚の古い『國文学』紫式部特集号が目に止まり金田元彦氏のご論考を拝読していたら「秋の月ばかりが耿々と中天に輝きわたっている…、こんな風景を紫式部はあきもせずいく度も書きつづけている」の文章に出会い これは私も気にかかっていたことなのですが 今回白氏文集を読んで ああ 原点はこれだ

 

と思ったのてした 源氏物語を読むと人間世界の描写がこまやかに続いたかと思うと突然転調して 月は みたいな自然描写になる その突然の変転が鮮やかで人間社会の鬱屈を見事に吹き払う この文筆力を紫式部はどうやって身につけたのだろう というのが私の長年知りたく思っていた謎でした 白氏文集

 

だったのですね 陵園妾を読んだ時にはたと気がつきました 紫式部の文章は感性だけでなく構成も白氏文集を読み込んだ賜物 そう気がついたことを記録としてツイートしておきたいと思っていたところです

 

泣く泣く「夜いたう更けぬれば今宵過ぐさず、御返り奏せむ」と急ぎ参る。月は入方の空清う澄みわたれるに……源氏物語桐壺巻の更衣を亡くした母を帝の使いの靫負命婦が帰ろうとするところです 延々と更衣を偲び帝の嘆きの深さ 果ては母の帝に対するあれほど寵愛されなかったら死ぬことはなかったとの

 

更衣の母の帝への恨みまで書き連ねられてきたこの場面が一転して「月は入方の」と風景描写になる 私はここを何回読んでもその転調の鮮やかさに紫式部はどこでこの文筆力をつけたのだろうと不思議でした 白楽天「陵園妾」を読んでいて 山宮一たび鎖されて開く日なく 未だ死せずんば此の身合に出づべ

 

からず 松門暁に到るまで月徘徊し に出会ったとき 紫式部の転調はこれだ! となったのでした こういう文章の力を紫式部は漢籍を読み込むことでつけていて それであの膨大な源氏物語が書けたんですね と 深夜のツイートの補足を

 

6月8日

終日長恨歌に拘って読んでいました 長恨歌も含めて源氏が原点 紫式部が源氏物語を書いた意図がわかった気がします ほんとうは華鏡でなく一篇の小説にしたい でもそれをしていると河内本源氏物語と西本願寺本万葉集の成立までまた書けなくなってしまうから無理矢理華鏡に入れようとしています

 

光源氏のモデルの一人は源融 これは嵯峨の御堂を造っているから現実的に確定 源高明の説もあるけどなんとなく私には違和感があって今後どうなるかなあと思っています(なんかすっかり華鏡が源氏物語論になっています笑)

 

そろそろ華鏡の原稿に戻ろうと思っているのですが どこからどう書こうなど頭のなかで反芻していたら 唐突に 紫式部がなぜ源氏に拘ったのかがわかりました 紫式部の人生の原点なんですね源氏は それを書いていこうと思います

 

6月9日

おはようございます 昨夜切口がみつかったらすぐ最初の1行が出て それにつられて次の切口が浮かび みたいにしてやっと華鏡の原稿に戻るメドがたちました 今迄茫洋と周辺に漂っていた事象が結構メインだったと気づき こうした新しい世界を書けるのが楽しい ここにくるまでは苦しみでした笑

 

光源氏のモデルを祀る「融神社」

 

源融神社はFBグループ光る君への投稿で教えて頂いたのですが当時もなぜ一条天皇が復興を? と疑問でした 光る君へを見ていて改めてこの一条天皇がなぜ源融神社を? と思います 一条天皇期は相当学問文学に熱心だったそう その一貫でしょうけれど 紫式部から光源氏は源融ですと言われたからとか。

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