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2024.7.28 Twitter(X)から転載……パリ五輪開会式を見て白馬にまたがり銀の鎧のジャンヌダルクがパリ入場するシーンに心動かされています←五輪が終わるまで籠って書いて華鏡(一)を終わらせたいと思います

7月26日

おはようございます 華鏡に戻っての作業 気持ちよく進めています 今迄はなんかむきになってこれでもかこれでもかと訴えたいことを山程溢れさせていましたが 長く放置したお陰で気が軽くなり文学として心の中心だけを残し あとは心置きなく削除しています なんか憑きが落ちました

 

それにしても紫式部や源氏物語に対する理解のなさ 清少納言や和泉式部はわかりやすいんですね 光る君へでも脚本家の方でさえ紫式部は面倒な人と 源氏物語が唯一哲学のある作品と評価されながら身近におきたくない人と 私は誰よりも紫式部が好きだし華鏡でそんな魅力を書けたらいい

 

7月27日

おはようございます パリ五輪開会式を見たら夜が明けてしまいました 式の最中は冗漫過ぎると思ったのですが 時間が経って心に浮上してきたのはジャンヌ・ダルクとマリー・アントワネットという二人の女性 男性にも紹介された人はいたけどみんな業績繋がり 女性は人生を賭けていてだから心を打つ 源氏物語

 

が中納言ではダメ 帝でないと と宇津保物語を例に言われた話を家族にしたら そうなんだ ベルサイユの薔薇もマリー・アントワネットが出るから人を引き付けるのねと言われた それを思い出しました そんなことを考えながらTVを見ていて じゃあ華鏡はどうしようと・・・

 

久しぶりに聴きたくなりました バルバラ ナントに雨が降る (開会式でセーヌ川を駆けた五輪旗を背負った騎士や機械仕立ての馬が ナントのあの巨大な象を作った工房での政策と知って)

 

7月28日

おはようございます 昨日は終日パリ五輪開会式の余韻に浸って過ごしました 時間が経つにつれ上澄みのように浮かび上がって唯一心に残ったのがジャンヌダルク 顔を隠した銀色の鎧のデザインも素敵でしたし なんと言っても生きているあいだには果たせなかったパリ入場 それも自身の遺灰を流されたセーヌ川を透明な機械仕立ての馬に乗って駆け 会場につくと白馬に乗った銀の鎧の騎士になって大きな翼の広がるエッフェル塔を背に 各国の旗を持った大勢の旗手を背に行進する なんという演出でしょう 人の思いは千年近い日々を経ても為政者に知性さえあればこうして叶えられるんですね そう思って終日うるうるしていました

 

光る君へはオリンピックのために11日が放映なし それで考えたのですが それまで二週間光る君へを見ないことにして私は華鏡に専念します そのころまでにはまひろさんも出仕して中宮彰子さんバージョンの映像になってるかな

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2024.7.25 Twitter(X)から転載……やっと華鏡に戻って書くことに専念する覚悟が定まりました

7月22日

ガイドブックは前編に引き続きNHK出版と東京ニュース通信社との二冊を買って 今日東京ニュース通信社さんの方のあらすじを読んだのですが やはり書かれていく源氏物語の過程がご都合主義にしか感じられなくて作家が書くってこんなものではないとフラストレーション これは構成に過ぎないから脚本に

 

なったら大石静さんの絶妙なセリフで払拭されるかもしれないし 演出や装束やセットのビジュアルで魅力は遺憾なく発揮されるでしょうけれど ドラマだって書くことの創作には変わりないと思うのだけれど 完全にこの構成は文学の本質を知らない方のものとしか私には思えない 源氏物語はこんなふうに

 

ご都合主義で書かれていっていいものではないです! でも 考えてみるとその文学の本質に根差した源氏物語の書かれた経緯を私は華鏡で書こうとしているのであって だから後はとにかく演出を楽しみに観ることにします この美しいビジュアルを見ないなんて勿体無いことはできませんものね

 

7月23日

おはようございます ガイドブックのあらすじを読んで源氏物語の書かれていく経緯や紫式部が清少納言に書くことを薦めて枕草子が始まったなど 作家の心の内部から発動する書くことの必然性を全く無視したプロットに唖然としてもう見たくないってなるほどなのですが 先週の屏風絵や今週の一帝ニ后

 

や彰子さんの立后の儀式など それから紫式部が越前に行った時の琵琶湖渡航もそうですね 今まで紫式部日記や源氏物語で文字でしか知らなかった歴史のリアルを最高の贅沢さと綿密な考証で見せてくれる光る君へは見なかったら悔いが残るでしょう だから見れば眼福で余韻にも浸れます 私は怒りと眼福笑

 

今回は真っ先にあらすじを読んだけど ガイドブックを買う目的は内裏や東三条第土御門殿などセットのビジュアルを手元に残したいから で それはだいたい前編で揃っていて あと中宮彰子さんの藤壺 その画像は完結編で乞うご期待だそうです 楽しみ

 

7月25日

随分執筆から離れていましたがやっと書くことの覚悟ができてPCの原稿を開きました 11日以来だから二週間も覚悟が定まらずに彷徨っていたのですね 光る君への源氏物語執筆の動機がどんなに美しく再現されるか もしかしたら圧倒されて私が書く意義なんか吹き飛んでしまうかもしれない そんな危惧を持って見ていたのですが どうもこのドラマは源氏物語の本質 文学の本質を 捉えていない方がプロットを書いていられる それなら私は遠慮せずに私らしい視点で私らしいプロットで書いていこう そんなふうに見えてきたのが覚悟の定まりです

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2024.7.25 Twitter(X)から転載……やっと華鏡に戻って書くことに専念する覚悟が定まりました

7月22日

ガイドブックは前編に引き続きNHK出版と東京ニュース通信社との二冊を買って 今日東京ニュース通信社さんの方のあらすじを読んだのですが やはり書かれていく源氏物語の過程がご都合主義にしか感じられなくて作家が書くってこんなものではないとフラストレーション これは構成に過ぎないから脚本に

 

なったら大石静さんの絶妙なセリフで払拭されるかもしれないし 演出や装束やセットのビジュアルで魅力は遺憾なく発揮されるでしょうけれど ドラマだって書くことの創作には変わりないと思うのだけれど 完全にこの構成は文学の本質を知らない方のものとしか私には思えない 源氏物語はこんなふうに

 

ご都合主義で書かれていっていいものではないです! でも 考えてみるとその文学の本質に根差した源氏物語の書かれた経緯を私は華鏡で書こうとしているのであって だから後はとにかく演出を楽しみに観ることにします この美しいビジュアルを見ないなんて勿体無いことはできませんものね

 

7月23日

おはようございます ガイドブックのあらすじを読んで源氏物語の書かれていく経緯や紫式部が清少納言に書くことを薦めて枕草子が始まったなど 作家の心の内部から発動する書くことの必然性を全く無視したプロットに唖然としてもう見たくないってなるほどなのですが 先週の屏風絵や今週の一帝ニ后

 

や彰子さんの立后の儀式など それから紫式部が越前に行った時の琵琶湖渡航もそうですね 今まで紫式部日記や源氏物語で文字でしか知らなかった歴史のリアルを最高の贅沢さと綿密な考証で見せてくれる光る君へは見なかったら悔いが残るでしょう だから見れば眼福で余韻にも浸れます 私は怒りと眼福笑

 

今回は真っ先にあらすじを読んだけど ガイドブックを買う目的は内裏や東三条第土御門殿などセットのビジュアルを手元に残したいから で それはだいたい前編で揃っていて あと中宮彰子さんの藤壺 その画像は完結編で乞うご期待だそうです 楽しみ

 

7月25日

随分執筆から離れていましたがやっと書くことの覚悟ができてPCの原稿を開きました 11日以来だから二週間も覚悟が定まらずに彷徨っていたのですね 光る君への源氏物語執筆の動機がどんなに美しく再現されるか もしかしたら圧倒されて私が書く意義なんか吹き飛んでしまうかもしれない そんな危惧を持って見ていたのですが どうもこのドラマは源氏物語の本質 文学の本質を 捉えていない方がプロットを書いていられる それなら私は遠慮せずに私らしい視点で私らしいプロットで書いていこう そんなふうに見えてきたのが覚悟の定まりです

 

文学者の文章は 史学を旨とされる方の文章と全然違うし もしかしたら多分文学者の文章って史学の方々には読めないのかもしれない・・・ 通じないどころか なんだ これ の世界笑 (両方に足を突っ込んで10年も見てきたからの経験からくる結論です)

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2024.7.21 Twitter(X)から転載……引き続き池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』を拝読しています。NHK大河ドラマ「光る君へ」のガイドブック後編を買いました

7月17日

NHKガイドブック『光る君へ 後編』より柄本佑さんの道長評 道長の心の中には常にまひろがいる。愛情という点では倫子とは友情に近い同志愛を育み、明子には安らぎを求め。ただまひろに関してはどうにもコントロールできない何かがあるのでしょうね。

 

どうにもコントロールできない何か、っていい言葉! 脚本の大石静さんが柄本佑さんと吉高由里子さんの二人だけ何も質問してこないで自分で役を深めて演じていられるそう 私はこのドラマ 展開が安易に布石どおり過ぎて唖然とするのですが まひろと道長二人の愛だけは本物で毎回唸っています

 

やっとガイドブックを買いました 源氏物語が書かれてゆく状況になったからですが それをあらすじで読んで道長とまひろの愛の真摯な迫力を超えるような演出にして欲しい あらすじでは布石どおりに展開してゆき過ぎてそれが感じられずフラストレーションが溜まりました 演出がどうなるでしょう

 

源氏物語は書かれていることより書かれていないことのほうに意味があり だからそれを書かれていることの一々をまひろの体験とか一条天皇云々に当て嵌めてしまうと 書かれていないことの大切なものが失われてしまう あ これは源氏物語のあのエピ! と視聴者が簡単に喜ぶ段階は過ぎて欲しいです

 

7月18日

時間の経つことの早いこと! ブログを更新したばかりと油断していたら 都知事選があり 家の修理で片付け者に追われ 光る君へがあって Xにツイートしていたのにブログへの転載が滞っていました やっとできて またこれから心機一転 華鏡中心の生活に戻ります と決意宣言です笑

 

7月19日

(発掘して頂いた過去のツイート)逢うことも叶わぬならばもろともに思ひ遂げてよのちのちの世に こんな歌作っていたんだあとびっくり 主人公の白拍子の歌なのですが紛れもなく作ったのは私 歌会などで作るのは苦手なのに 作中だとするすると歌が出てきます 歌は思いなんですね 文章を思いで運んでいるからと思います(現代短歌と違う?)

 

発掘して頂いた過去ツイート 突然鎌倉の源氏物語の活動に入りそれまで書いてあった諸々の原稿が放置したままになっていました コロナ禍で籠もったのを機に見直していてこのツイートになったんですね 逢うこともの歌は『白拍子の風』という小説の中の一首です

 

たまたま深夜池田弥三郎先生鼎談『源氏物語を読む』を拝読していて 紫式部の作者としての力量の話になり 人間の心理に入っていくのが歌の力で 紫式部は登場人物にわが身を置いて歌が作れる人と ああ これ 私もそうだと『白拍子の風』を思い出したところでした そこにこの過去ツイートの発掘

 

私は短歌の会に入っていますが歌は苦手笑 なのに白拍子の風を書いていたらその情景に来たら文章の続きのようにすらすらと歌が書けていて自分でびっくりしたのでした もう一首あります うれしやな煌めく風に導かれ花摘寺のほとけにまみゆ これもすらすらと出た歌 花摘寺はかつてあった古代寺院です

 

7月20日

拝読している池田弥三郎先生の鼎談『源氏物語を読む』はこのお三方 親書で秋山虔先生『源氏物語』 清水好子先生『紫式部』 この二冊は学生時代に愛読した私の源氏物語の原点ですが 池田弥三郎先生はこのお二方より世代が上 あの頃マスコミ界で活躍されていて耳学問的に馴染んでいるのですが この鼎談集を読んでも視野が広くて鋭く面白いです

 

青表紙本と河内本についての鼎談で 葵や賢木では随分違うが若菜ではもうあまり違わないと 桐壺は河内本が書き加えているのがよくわかる 書き加える心理までわかると 楊貴妃と桐壺更衣を比較するところでは青表紙本では重点が楊貴妃になって それではまずいだろうと河内本は日本の場合を書き入れた

 

これ 面白いですね こういうのって河内本だけを追って調べていても知る機会はなかった では私が読んだ絵に書ける楊貴妃の下りのあの本文は河内本だったのかしら など 改めて思ってしまいました 泰斗でいられるお三方の鼎談だからとにかく出される一言一言に惹かれています

 

私は源氏物語を中野幸一先生『正訳源氏物語 本文対照』で拝読しているのですが それは書評を書いて頂いたというご縁もあるのですが その後中野先生が講演された逗子のホールで聴いた藤村志保さんの朗読がとても柔らかで美しく 伺ったら中野先生ご自身の現代語訳ということでした

 

その後それが勉誠出版から正訳源氏物語として刊行なって全巻揃えさせて頂いたのでした 現代語訳と本文が上下に対照されるよう載っています 昨夜池田弥三郎先生鼎談『源氏物語を読む』で桐壺巻が青表紙本と河内本で違うと読んで では中野先生は?と凡例を見たら大島本でした 青表紙本ですよね なら

 

河内本は?と読みたくなったのですが 河内本が底本の現代語訳ってあるのでしょうか 中野先生がこの全訳をされようと思ったのは 源氏物語は物語だから人に話しかけるような文体のはず なのに多くの現代語訳がですます調でなくだである調のことに違和感を覚えてとありました だからとても柔らかです

 

鼎談集より清水好子先生: 源氏物語は今の小説のような第三者的な立場で書くのではなく、自分の見聞したことを物語るような書き方だと思う。そのほうが発想が多層的になって、文章が絢爛とする。批評も入るし、作中人物の視線に重ねて書くこともできる。語り手自体の説明も加えられ、少なくともそれで

 

三重の層になる。そういう方法を源氏物語の文章では思う存分に駆使している← 池田弥三郎先生:これも源氏物語の独創というべきでしょうね 清水好子先生:そうですね。そこが生き生きとした抑揚ある文章が成り立つ秘訣だと思うのです。

 

7月21日

今日は光る君へ 人は生きているかぎり家族も含めて人間関係の軋轢や苦悩から逃れられない 源氏物語は人間洞察が深い文学だけれどそういう次元での悩みは取り扱わない それが紫式部の矜持と思うし源氏物語の崇高たる所以だけれど なんかドラマがその辺りを詳説するような展開になっていて 紫式部の

 

矜持をあえて踏みにじるようなエピが私には苦痛 賢子が産まれて紫式部だって作家として両立に悩むことあっただろうけど 折角紫式部が源氏物語の作者として屹立していたところを日常次元に落としてどうするの というのがあらすじを読んだ私の見解です だからあとは演出だけ期待して映像を楽しみます

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2024.7.17 Twitter(X)から転載……華鏡の原稿に戻って構成を一から見直しています。紫式部を育てた祖母の身内には二人も女御になった女性がいました。そのことが紫式部をして『源氏物語』の執筆に駆り立てたのではないかと

7月9日

おはようございます 華鏡の原稿に戻って構成を一から見直しています たまたま最初期の古い原稿が目に入ったら「仙覚―それは世をしのぶ仮の名だった」のエピグラフがありました いつそれを消したのか忘れましたが復活させました 消したあたりから書くことに迷いが生じて迷走していたのかも

 

すとんと憑きが落ちたように華鏡の構成が整ってきています 今迄どうしても小見出しができなかったのにそれもできて【1. 心の闇・比企の乱 2.岩代の浜松が枝を引き結び・万葉集 3.討って奪う血を引く一族・藤原北家 4.絵に描ける楊貴妃の容貌(かたち)・宇多天皇女御胤子】のような具合です

 

仙覚のための歴史小説だから司馬遼太郎さんみたいな坂本龍馬的文体で書ければと思っても無理で どうしても女性陣が主役に躍り出てしまう 鎌倉に通っているときそんなことをぼやいたらそれでいいんじゃないと背中を押して頂いた でもそれを書こうとすると女性陣は文献に残って無いから殆どが創作に

 

例えば仙覚の母 仙覚だって人間だからお母さんはいる でもどういう方かわからない それを創作して書いているのですがどこまでプライバシー的な逸脱を許されるかずっと悩んできたら 昨夜家族に一番大胆で危険な書き方をしてそれから削っていったらと助言された そうしないと私のことだから安全圏の

 

つまらないものになってしまうよと そんな話になったのは池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』に源氏物語は光源氏が危険人物だから魅力がある ただの平凡な人物では主役になれないとあったため そうなんですよね でも仙覚の小説で誰がそんな魅力を持った人なのでしょう(まともに書くと論文みたい)

 

7月10日

金沢文庫で『尾州家河内本源氏物語』に出逢い 何故鎌倉で源氏物語が?を研究しつつ 【七夕は鎌倉の源氏物語の日】のキャッチフレーズで十年ほど鎌倉で活動してきました 毎年七夕の日は「河内本源氏物語」を完成させた源親行の職語をツイートするのですが 今年は都知事選と重なり今日になりました

 

『尾州家河内本源氏物語』には夢浮橋巻末に金沢文庫創設者北条実時の奥書があります 鎌倉幕府重鎮の実時の奥書ということで鎌倉で作られたことがわかる貴重な写本です ただ誰が作ったかは解明されていません それを解く鍵が『西本願寺本万葉集』にありました ここに仙覚がかかわってきたのでした

 

今日はもうポストしないと決めていたのですが過去ツイートのご報告でついでに 華鏡が乗ってきて先へ進みたくてたまらないのですが これって秘密の恋を抱えている状態と同じ 家事をしていても早く日常を離れてそちらの世界に行きたくてたまらない いろいろ模索の期間を経て充実してきたんですね

 

7月12日

おはようございます 私は紫式部が源氏物語を書いたのは宮中経験のある祖母にそれを耳学問的に聞いて育ったからと思うのですが 紫文幻想では祖母が姪の恵子女王に付き添って右大臣家に女房として入った経験を式部に教えたと書きました でも華鏡を書いていたらもっと深い淵源があることに気づきました

 

紫式部の祖母は藤原定方という醍醐天皇の宮廷で右大臣だった人 つまり紫式部の祖母は右大臣の娘として育った人なのです これ 光る君へで実感したのですが 左大臣や右大臣の娘の倫子や子息の道長や公任と同じ育ちですよね そのレベルの生活習慣が身についた人に育てられれば源氏物語のあの緻密な

 

宮廷レベルの物語も書けるでしょう 紫文幻想で一生懸命書いた女房経験の重要性が吹き飛んでしまいました 光る君へでは祖母は登場しませんでしたが 幼くして母を亡くした紫式部を育てた祖母の存在は大きいと思います

 

7月14日

紫式部の祖母は姉の能子が醍醐天皇の女御でしたから祖母自身能子の後宮の状況を見ているでしょう 祖母に育てられた紫式部は身内に二人も女御のいる家系の話を聞いて育ったわけです それが紫式部の源氏物語に生きているはず 能子は醍醐天皇崩御のあと藤原公任の祖父左大臣藤原実頼と結婚して幸福な

 

晩年を送ります 実頼の養子になった実資(ロバート秋山さん)は実頼の遺志を継いで能子の毎年忌日の儀式を丁重に行っています 実資の中宮彰子との取次に出た女房が紫式部でした 実頼がそれほどまでに能子を大事にしたのはなぜだろうというのが目下の私の疑問ですが 紫式部の環境と源氏物語は深い仲

 

華鏡に河内本源氏物語を作った源光行がなぜ源氏物語にそれほど生涯をかけたかを探りつつ書いているのですが その原点が漢籍の教養の深さまで辿り着いてそれを書けばいいのだけれど 紫式部の源氏物語を書いた環境というのをどこまで書くか書かないか 能子のことは書く必要ないかなど 迷っています

 

7月15日

おはようございます 写真は石山寺様所蔵の紫式部図 上村松園筆です 昨日の光る君へは彰子さん入内関連の屏風作りや彰子さんその人の存在で堪能しましたが いつもなら学ぶこと多しのTLのコメントに違和感あってその事を 池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』に宇津保物語がなぜダメかを中納言では

 

ダメなんです の提示がずっと心にあって 前回で道長の子を宿す辺りから光源氏と藤壺のモデル説が浮上し始めてそれは違うと感じていて そうしたら今回で宣孝が桐壺帝に相当すると言われる方まで 密通とか臨月が合わないなど確かに藤壺エピですが 絶対的に欠けているのは高貴ということ 現代では

 

何もかも身近に引きつけて考え またそれをよしとする風潮ですが 源氏物語はそのようなものではない と私は思っています 後半まひろが執筆を始めた時に高貴がどう加味されるか 私はそれを見たいと思います 枕草子をあれ程美しくまとめ上げたスタッフさんだから 源氏物語もと期待しているのですが

 

怖れるのだけれど思いついたことが頭から離れない でもこのドラマは何でもしてしまうからそうなるかも 私としては道まひ宣孝が藤壺エピというのはどうしても貧相で受け入れられないのだけれど これなら高貴が整う まさかまさかと思うけど このドラマ そう持っていくかも 中宮彰子のことです

 

猫を抱く女三の宮彰子さん……

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2024.7.8 Twitterから転載……池田弥三郎氏鼎談集『源氏物語を読む』を拝読しつつ、都知事選の経緯を見守り、落胆もあったけど新しい民主主義の芽生えを感じた一週間でした

7月1日

天皇皇后両陛下のご訪英で本物の力という威力に打たれて過ごしました そうしたらもう他になにも要らないという境地になり光る君へもスルーして悔いることなくまだ浸っています これまでどんなに日本という国が紛い物文化を押し付けられ仕切られていたか やっと日本国民全員の方が気づいたんですよね

 

写真は2008年@宇治市源氏物語ミュージアム 源氏物語千年紀の年に訪ねました 源氏物語こそ本物の文学 私はそう思います 光る君へではやっと中宮彰子様が入内されたようですね 私は先週と今週そして来週は都議選で休みなので三週つづけて見ないことになる だから14日に見る時は新鮮でしょう

 

ご訪英で心に焼き付けられて終生残るでしょう二枚のお写真 私にとっての生涯の記念です いろいろととにかくすべてのことに感謝申し上げます

【240頭の馬によるパレードのお写真】

【オックスフォード大学でに皇后陛下名誉法学博士号授与式】

 

池田弥三郎先生鼎談『源氏物語を読む』で池田先生のお話 折口信夫先生が実践で下田歌子先生が源氏物語を講義しているからと聴きに行かれたと 下田歌子先生は母校の祖 私は高校で離れたけど大学の入口に銅像があって見ると誇らしくそんなことも源氏物語に馴染むきっかけだったのでしょうね

 

源氏物語はある種環境によるものが大きい気がする あさきゆめみしが出るまでは 下田歌子先生は宮中に出仕されていた方だから源氏物語の読みが我々と違うと折口先生も言われてたと 岩佐美代子先生も宮様のご学友として仕えられていたから岩佐先生ならではのお教えがありました

 

池田弥三郎先生『戦争中に万葉集を無理に押しつけられた。それでなにか万葉に対する距離感があって、それが源氏に向っていった。なにかそんな一帯の空気を感じました』←なにかすとんと腑に落ちました 一律に二大古典とばかり思っていてもなにかひっかがっていて

 

池田弥三郎先生の鼎談『源氏物語を読む』をしばらく拝読しようと思うのですが古い出版物は字が小さくてぎっしり とても気楽に読める状態でなく今夜はルーペを出してきました それでも目に負担 全然進みません(泣)

 

すべて華鏡をどう進めようかとの中での拝読 華鏡は最初仙覚の小説でした が 鎌倉殿の13人で時代が被るため逡巡の果て源氏物語に気持ちを移しました そうしたら今度は光る君へ また被ってどう私なりの源氏物語を書くか彷徨っていましたが昨今の回を見ていて思う事ありで気持ちが固まってきています

 

考えてみると鎌倉殿の13人がなかったらこんなに迷うことなく仙覚の小説は書けていたかも 書く書くと宣言しながらなんて時間がかかるのと呆れられて支援して下さってきた方も離れてられる 源氏物語に気持ちが移って紫文幻想を書いたけど光る君へで思いをさらに掘り起こされて華鏡になります

 

7月2日

【七夕は鎌倉の源氏物語の日】 このキャッチフレーズで鎌倉で活動してきて毎年七月に入ると源親行の「河内本源氏物語」完成の職語をツイートするのだけれど 今年は七夕は都知事選蓮舫さんの日でTLを追うので精一杯蓮舫さんに心から勝って欲しいです 親行の「河内本源氏物語」については選挙後に

 

7月3日

池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』を拝読中 折口信夫は源氏物語は逐一全部読む必要ないと言ってられたそう 例えば桐壺巻で壺前栽のところが終わるとぷつっと切ってもうこれで後はいいと で 壺前栽のところってどこかしらと見たら靭負命婦が宮中に帰ったあとの帝の様子で楊貴妃の話も出る所でした

 

池田弥三郎先生が紹介されている折口信夫の源氏物語は全部読まなくていい あるところまでいったらぷっつり切って次の巻に進む論 面白いと思いました 読んでいて結構しんどくなる各巻の後半 我慢して読んでいたのですが今度読み飛ばしてみようかしら笑

 

7月4日

池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』で藤壺に関する文章がそれまでと違って居ずまいを正したような張り詰めた文体に変わっている。帝の妃を過つということを思い切って書くのは作者にとっても大変な問題だったのではないかとあり 若紫巻の該当部分を読んでみました こういう読み方をしてませんでした

 

これ 単に物語的に帝の妃との密通という事を書くのにそんなに緊張するものかしら とふと思う 現実に生きたモデルとしての藤壺宮が想定されていたなら と 一般に言われている藤壺宮のモデルってどなただったでしょう 彰子 という説も読んだことありますが

 

追記 でも私が書くとしても彰子中宮の事ではないのに彰子中宮の事と思われやしないかと緊張すると思う 引き締まった文体というのはそういう心遣いなのでは

 

7月5日

池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』に宇津保物語についてあって 読んでいてほんとうにつまらない べたべたと日常的なことを書いていると 前後を通して出てくる断然すぐれた一人の男がいない 仲忠では役不足 第一仲忠は出世してやっと中納言 中納言では源氏の世界では問題にならないと

 

鼎談だからこんな本音トークができたのでしょう 源氏物語に先立つ長編小説というので私も一応宇津保物語は読みましたがつまらなかった でも古典の先生方は一目おかれているから何も言えなかったけどこれが本音なんですね 腑に落ちました で 思ったのだけれど やっぱり源氏物語は帝の話だからです

 

そこを外したら紫式部の真意がわからなくなる 道長が光源氏では左大臣だからダメなんですよ と 私は言いたい というか 私が華鏡に書こうとしている紫式部の真意がこれで裏付けられたと思って安堵しました この鼎談集 今迄随分と源氏物語についての本を読んできましたが はじめての視点ばかり

 

7月6日

おはようございます 今年最初のカサブランカ 暑くてベランダに咲いていても見る機会ないから切って飾りました 大好きな花 大好きな映画 カサブランカ 都知事選最終日に咲いてくれました 蓮舫さん 一人街宣の方々 初めて見る日本の民主主義 すべてに感謝して応援します

 

7月7日

(都知事選当日)

 

7月8日

おはようございます 私は今回の選挙はこういう写真(立憲民主党蓮舫さん・社民党党首福島瑞穂さん・共産党当主田村智子さん・杉並区長岸本聡子さん方が一枚の写真に笑顔で一緒に)を残すことのできた 歴史的瞬間の 超超超貴重な最大に素敵な選挙だったと思います 絶対にこの効果は今後に生かされます 蓮舫さん ほんとうにお疲れ様でした そして ありがとうございます 心からの感謝を込めて

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