2024.7.17 Twitter(X)から転載……華鏡の原稿に戻って構成を一から見直しています。紫式部を育てた祖母の身内には二人も女御になった女性がいました。そのことが紫式部をして『源氏物語』の執筆に駆り立てたのではないかと
7月9日
おはようございます 華鏡の原稿に戻って構成を一から見直しています たまたま最初期の古い原稿が目に入ったら「仙覚―それは世をしのぶ仮の名だった」のエピグラフがありました いつそれを消したのか忘れましたが復活させました 消したあたりから書くことに迷いが生じて迷走していたのかも
すとんと憑きが落ちたように華鏡の構成が整ってきています 今迄どうしても小見出しができなかったのにそれもできて【1. 心の闇・比企の乱 2.岩代の浜松が枝を引き結び・万葉集 3.討って奪う血を引く一族・藤原北家 4.絵に描ける楊貴妃の容貌(かたち)・宇多天皇女御胤子】のような具合です
仙覚のための歴史小説だから司馬遼太郎さんみたいな坂本龍馬的文体で書ければと思っても無理で どうしても女性陣が主役に躍り出てしまう 鎌倉に通っているときそんなことをぼやいたらそれでいいんじゃないと背中を押して頂いた でもそれを書こうとすると女性陣は文献に残って無いから殆どが創作に
例えば仙覚の母 仙覚だって人間だからお母さんはいる でもどういう方かわからない それを創作して書いているのですがどこまでプライバシー的な逸脱を許されるかずっと悩んできたら 昨夜家族に一番大胆で危険な書き方をしてそれから削っていったらと助言された そうしないと私のことだから安全圏の
つまらないものになってしまうよと そんな話になったのは池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』に源氏物語は光源氏が危険人物だから魅力がある ただの平凡な人物では主役になれないとあったため そうなんですよね でも仙覚の小説で誰がそんな魅力を持った人なのでしょう(まともに書くと論文みたい)
7月10日
金沢文庫で『尾州家河内本源氏物語』に出逢い 何故鎌倉で源氏物語が?を研究しつつ 【七夕は鎌倉の源氏物語の日】のキャッチフレーズで十年ほど鎌倉で活動してきました 毎年七夕の日は「河内本源氏物語」を完成させた源親行の職語をツイートするのですが 今年は都知事選と重なり今日になりました
『尾州家河内本源氏物語』には夢浮橋巻末に金沢文庫創設者北条実時の奥書があります 鎌倉幕府重鎮の実時の奥書ということで鎌倉で作られたことがわかる貴重な写本です ただ誰が作ったかは解明されていません それを解く鍵が『西本願寺本万葉集』にありました ここに仙覚がかかわってきたのでした
今日はもうポストしないと決めていたのですが過去ツイートのご報告でついでに 華鏡が乗ってきて先へ進みたくてたまらないのですが これって秘密の恋を抱えている状態と同じ 家事をしていても早く日常を離れてそちらの世界に行きたくてたまらない いろいろ模索の期間を経て充実してきたんですね
7月12日
おはようございます 私は紫式部が源氏物語を書いたのは宮中経験のある祖母にそれを耳学問的に聞いて育ったからと思うのですが 紫文幻想では祖母が姪の恵子女王に付き添って右大臣家に女房として入った経験を式部に教えたと書きました でも華鏡を書いていたらもっと深い淵源があることに気づきました
紫式部の祖母は藤原定方という醍醐天皇の宮廷で右大臣だった人 つまり紫式部の祖母は右大臣の娘として育った人なのです これ 光る君へで実感したのですが 左大臣や右大臣の娘の倫子や子息の道長や公任と同じ育ちですよね そのレベルの生活習慣が身についた人に育てられれば源氏物語のあの緻密な
宮廷レベルの物語も書けるでしょう 紫文幻想で一生懸命書いた女房経験の重要性が吹き飛んでしまいました 光る君へでは祖母は登場しませんでしたが 幼くして母を亡くした紫式部を育てた祖母の存在は大きいと思います
7月14日
紫式部の祖母は姉の能子が醍醐天皇の女御でしたから祖母自身能子の後宮の状況を見ているでしょう 祖母に育てられた紫式部は身内に二人も女御のいる家系の話を聞いて育ったわけです それが紫式部の源氏物語に生きているはず 能子は醍醐天皇崩御のあと藤原公任の祖父左大臣藤原実頼と結婚して幸福な
晩年を送ります 実頼の養子になった実資(ロバート秋山さん)は実頼の遺志を継いで能子の毎年忌日の儀式を丁重に行っています 実資の中宮彰子との取次に出た女房が紫式部でした 実頼がそれほどまでに能子を大事にしたのはなぜだろうというのが目下の私の疑問ですが 紫式部の環境と源氏物語は深い仲
華鏡に河内本源氏物語を作った源光行がなぜ源氏物語にそれほど生涯をかけたかを探りつつ書いているのですが その原点が漢籍の教養の深さまで辿り着いてそれを書けばいいのだけれど 紫式部の源氏物語を書いた環境というのをどこまで書くか書かないか 能子のことは書く必要ないかなど 迷っています
7月15日
おはようございます 写真は石山寺様所蔵の紫式部図 上村松園筆です 昨日の光る君へは彰子さん入内関連の屏風作りや彰子さんその人の存在で堪能しましたが いつもなら学ぶこと多しのTLのコメントに違和感あってその事を 池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』に宇津保物語がなぜダメかを中納言では
ダメなんです の提示がずっと心にあって 前回で道長の子を宿す辺りから光源氏と藤壺のモデル説が浮上し始めてそれは違うと感じていて そうしたら今回で宣孝が桐壺帝に相当すると言われる方まで 密通とか臨月が合わないなど確かに藤壺エピですが 絶対的に欠けているのは高貴ということ 現代では
何もかも身近に引きつけて考え またそれをよしとする風潮ですが 源氏物語はそのようなものではない と私は思っています 後半まひろが執筆を始めた時に高貴がどう加味されるか 私はそれを見たいと思います 枕草子をあれ程美しくまとめ上げたスタッフさんだから 源氏物語もと期待しているのですが
怖れるのだけれど思いついたことが頭から離れない でもこのドラマは何でもしてしまうからそうなるかも 私としては道まひ宣孝が藤壺エピというのはどうしても貧相で受け入れられないのだけれど これなら高貴が整う まさかまさかと思うけど このドラマ そう持っていくかも 中宮彰子のことです
猫を抱く女三の宮彰子さん……