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2024.7.21 Twitter(X)から転載……引き続き池田弥三郎氏鼎談『源氏物語を読む』を拝読しています。NHK大河ドラマ「光る君へ」のガイドブック後編を買いました

7月17日

NHKガイドブック『光る君へ 後編』より柄本佑さんの道長評 道長の心の中には常にまひろがいる。愛情という点では倫子とは友情に近い同志愛を育み、明子には安らぎを求め。ただまひろに関してはどうにもコントロールできない何かがあるのでしょうね。

 

どうにもコントロールできない何か、っていい言葉! 脚本の大石静さんが柄本佑さんと吉高由里子さんの二人だけ何も質問してこないで自分で役を深めて演じていられるそう 私はこのドラマ 展開が安易に布石どおり過ぎて唖然とするのですが まひろと道長二人の愛だけは本物で毎回唸っています

 

やっとガイドブックを買いました 源氏物語が書かれてゆく状況になったからですが それをあらすじで読んで道長とまひろの愛の真摯な迫力を超えるような演出にして欲しい あらすじでは布石どおりに展開してゆき過ぎてそれが感じられずフラストレーションが溜まりました 演出がどうなるでしょう

 

源氏物語は書かれていることより書かれていないことのほうに意味があり だからそれを書かれていることの一々をまひろの体験とか一条天皇云々に当て嵌めてしまうと 書かれていないことの大切なものが失われてしまう あ これは源氏物語のあのエピ! と視聴者が簡単に喜ぶ段階は過ぎて欲しいです

 

7月18日

時間の経つことの早いこと! ブログを更新したばかりと油断していたら 都知事選があり 家の修理で片付け者に追われ 光る君へがあって Xにツイートしていたのにブログへの転載が滞っていました やっとできて またこれから心機一転 華鏡中心の生活に戻ります と決意宣言です笑

 

7月19日

(発掘して頂いた過去のツイート)逢うことも叶わぬならばもろともに思ひ遂げてよのちのちの世に こんな歌作っていたんだあとびっくり 主人公の白拍子の歌なのですが紛れもなく作ったのは私 歌会などで作るのは苦手なのに 作中だとするすると歌が出てきます 歌は思いなんですね 文章を思いで運んでいるからと思います(現代短歌と違う?)

 

発掘して頂いた過去ツイート 突然鎌倉の源氏物語の活動に入りそれまで書いてあった諸々の原稿が放置したままになっていました コロナ禍で籠もったのを機に見直していてこのツイートになったんですね 逢うこともの歌は『白拍子の風』という小説の中の一首です

 

たまたま深夜池田弥三郎先生鼎談『源氏物語を読む』を拝読していて 紫式部の作者としての力量の話になり 人間の心理に入っていくのが歌の力で 紫式部は登場人物にわが身を置いて歌が作れる人と ああ これ 私もそうだと『白拍子の風』を思い出したところでした そこにこの過去ツイートの発掘

 

私は短歌の会に入っていますが歌は苦手笑 なのに白拍子の風を書いていたらその情景に来たら文章の続きのようにすらすらと歌が書けていて自分でびっくりしたのでした もう一首あります うれしやな煌めく風に導かれ花摘寺のほとけにまみゆ これもすらすらと出た歌 花摘寺はかつてあった古代寺院です

 

7月20日

拝読している池田弥三郎先生の鼎談『源氏物語を読む』はこのお三方 親書で秋山虔先生『源氏物語』 清水好子先生『紫式部』 この二冊は学生時代に愛読した私の源氏物語の原点ですが 池田弥三郎先生はこのお二方より世代が上 あの頃マスコミ界で活躍されていて耳学問的に馴染んでいるのですが この鼎談集を読んでも視野が広くて鋭く面白いです

 

青表紙本と河内本についての鼎談で 葵や賢木では随分違うが若菜ではもうあまり違わないと 桐壺は河内本が書き加えているのがよくわかる 書き加える心理までわかると 楊貴妃と桐壺更衣を比較するところでは青表紙本では重点が楊貴妃になって それではまずいだろうと河内本は日本の場合を書き入れた

 

これ 面白いですね こういうのって河内本だけを追って調べていても知る機会はなかった では私が読んだ絵に書ける楊貴妃の下りのあの本文は河内本だったのかしら など 改めて思ってしまいました 泰斗でいられるお三方の鼎談だからとにかく出される一言一言に惹かれています

 

私は源氏物語を中野幸一先生『正訳源氏物語 本文対照』で拝読しているのですが それは書評を書いて頂いたというご縁もあるのですが その後中野先生が講演された逗子のホールで聴いた藤村志保さんの朗読がとても柔らかで美しく 伺ったら中野先生ご自身の現代語訳ということでした

 

その後それが勉誠出版から正訳源氏物語として刊行なって全巻揃えさせて頂いたのでした 現代語訳と本文が上下に対照されるよう載っています 昨夜池田弥三郎先生鼎談『源氏物語を読む』で桐壺巻が青表紙本と河内本で違うと読んで では中野先生は?と凡例を見たら大島本でした 青表紙本ですよね なら

 

河内本は?と読みたくなったのですが 河内本が底本の現代語訳ってあるのでしょうか 中野先生がこの全訳をされようと思ったのは 源氏物語は物語だから人に話しかけるような文体のはず なのに多くの現代語訳がですます調でなくだである調のことに違和感を覚えてとありました だからとても柔らかです

 

鼎談集より清水好子先生: 源氏物語は今の小説のような第三者的な立場で書くのではなく、自分の見聞したことを物語るような書き方だと思う。そのほうが発想が多層的になって、文章が絢爛とする。批評も入るし、作中人物の視線に重ねて書くこともできる。語り手自体の説明も加えられ、少なくともそれで

 

三重の層になる。そういう方法を源氏物語の文章では思う存分に駆使している← 池田弥三郎先生:これも源氏物語の独創というべきでしょうね 清水好子先生:そうですね。そこが生き生きとした抑揚ある文章が成り立つ秘訣だと思うのです。

 

7月21日

今日は光る君へ 人は生きているかぎり家族も含めて人間関係の軋轢や苦悩から逃れられない 源氏物語は人間洞察が深い文学だけれどそういう次元での悩みは取り扱わない それが紫式部の矜持と思うし源氏物語の崇高たる所以だけれど なんかドラマがその辺りを詳説するような展開になっていて 紫式部の

 

矜持をあえて踏みにじるようなエピが私には苦痛 賢子が産まれて紫式部だって作家として両立に悩むことあっただろうけど 折角紫式部が源氏物語の作者として屹立していたところを日常次元に落としてどうするの というのがあらすじを読んだ私の見解です だからあとは演出だけ期待して映像を楽しみます

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