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2024.8.21 Twitter(X)から転載……大河「光る君へ」で『源氏物語』が誕生しました。私も『華鏡』で目下紫式部が『源氏物語』を執筆するに至った祖母との関係を書いていますので興味深く、この回の放送が終わるまで執筆を中断して見守っていました。で、終わったのでその感慨を

8月15日

華鏡 源氏物語の項がまだ終わってないのに終わりが見えて来たから ふっと 一生守って差しあげる・丹後内侍 という丹後内侍の項の見出しが浮かびました これから白河天皇を書いて二条天皇を書く その辺りでの登場 源頼朝が生涯愛した女性です 写真の絵葉書は源氏物語歌合絵巻断簡 石山寺蔵です

 

8月16日

趣味の園芸を見ていたら源氏物語の花というコーナーがあって 橘 この橘が書かれているのが花散里の巻で 花散里の姉が麗景殿の女御 麗景殿といえば村上天皇女御の荘子女王 紫式部の祖母の姪で 紫式部の恋人と小説で書かれたこともある具平親王の母 花散里の姉との関係をふっと考えてしまいました まだ絞れないけど ちょうど華鏡が「後中書王の母・村上天皇女御荘子女王」を書くところなので気になって

 

8月17日

おはようございます 光る君へがいよいよ源氏物語執筆の回となって私としては考えること多しでいます こうなる前に華鏡前半を刊行しておきたかったのですが 観ていると考えさせられること多々で それを反芻しているうちに時間が経ってしまいました 結局この回を見て私なりの立場をつかめということ

 

和泉式部の登場を見てもそして三郎まひろ直秀の当初から事実と無縁でただ紫式部の時間軸をなぞった上のドラマと割り切ればよかったのですが やはり無視しきれないのは仕方ないですね ただここのところ私自身の見解が確立してきていて 放映後の反響がどうであれ揺るぎなくなりました 心の鍛錬終了笑

 

華鏡は史実を軸にした物語の立場で書き進めてきました そうしたらTLで武蔵野書院様から『歴史物語は物語である』という書が刊行されたと知りよほど購入したく思いましたが 今はもう書いて完成させる時間を優先するしかないです 栄花物語の後半など歴史書というより小説ですものね 心に残っています

 

8月18日

仙覚は自らのことを慈覚門人仙覚と記します 時代が違うから直接会って教えを受けたわけでもない円仁への敬慕 私はそれをなぜかなあと考えてきっと少年時代に連れられて九歳の円仁が入って修行した大慈寺を訪ねているのだろうと 栃木県ですから仙覚が育った埼玉県からは行きやすかったでしょう

 

円仁は栃木県岩舟の出身で大慈寺はその近くです 訪ねたら碑に開祖が行基とありました こんな関東の奥地にも行基がと驚いたのでしたがこの一帯には下野薬師寺があり戒壇院も設けられていたとか 仙覚の円仁への思慕は華鏡(二)に書きます TLに行基が流れてきて懐かしく思い出しました

 

8月19日

TLに流れてきて思い出させて頂いた高橋文二先生。子育てをしていた二十代の頃から鎌倉の源氏物語の活動を始めるまで二十年以上もの歳月を先生のお講義を拝聴させて頂いてお話は耳に馴染んでいます。この耳に馴染むという感覚をとても大切と思うのは文二先生との時間の蓄積を本当に大切と思うからです

 

源氏物語が誕生した今回の光る君へ ドラマとして楽しませて頂いたし コメントで皆様の源氏物語誕生への歓喜も拝見して 終日私なりに思うことをまとめなくてはと考えていました 目下私は華鏡に源氏物語誕生秘話として紫式部を育てた祖母(為時母)が右大臣の娘で近親に四人も女御がいるから それを

 

聞いて育った紫式部だから書けたという説で書いています 初めて源氏物語を読んだ時から これは歴史や有職故実を調べて書けるものではない 日常的にその環境の中の人でなかったら書けないと思っていて 受領階級の娘がなぜこんな宮廷文化を?がとても不思議だったのですが 祖母の存在で謎が解けました

 

8月21日

おはようございます 懐かしく思い出しているのですが 初めて論文を書かせて頂いたのが高橋文二先生でした 早稲田の大橋一章先生、山口昌男先生、廣川勝美先生、小嶋奈温子先生方と「風土と文化」という学会を立ち上げられて会員にして頂き 京都での第一回の大会から参加させて頂いていて ある時

 

論文を書いてみませんかと 自由に書いていいですよと それで書いたのが「冷泉為相と武州金沢称名寺」で 風土と文化第三号に載せて頂きました それをご覧になって金沢文庫長でいらした真鍋俊照先生が僕にも書いてよと それが「北条実時と『異本紫明抄』」で そうしたら高橋文二先生が これがあれば

 

社会人入学の資格を満たすからと大学院の聴講に誘って下さったのでした 高橋文二先生が退官されるまでの二年間でしたが貴重な機会を与えて頂いて今でもあの時があったからと心に刻まれています 聴講生なのに発表させて頂いたり 『駒澤國文』のご退官記念号には「『源氏物語』二大写本に秘めた慰謝」を

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