2024.8.14 Twitter(X)から転載……パリ五輪が終わり世の中が静かになって『華鏡』の原稿に集中できるようになったら、俄然思考が動き始めて書くモードになってきました、ほっと笑
8月10日
鎌倉の源氏物語として源光行を書いていた時東北の震災があり 鎌倉の万葉集として仙覚を書いている今南海トラフへの危惧 あの時も思ったけど 源氏物語など古典は千年残ったけど こう世の中が不安では光行や仙覚の功績を残したとしてこの先どれほど引き継がれていくか とても危うい気が
8月11日
使っているPCのネットが不調で久しぶりにHDDに繋いである古いPCでXを開きました 懐かしいので保存してある過去データを見たら解釈学会夏の大会で釧路に行った時の写真が 今年の大会は近場の武蔵大学が会場なのですが傷めた脚がまだ万全でなく不参加 懇親会も吉祥寺でいつも歩く場所なのですが
8月13日
オリンピックという喧騒が去って久しぶりに心地よく原稿に集中して夜を明かしました どんなに見ない聞かないを通しても喧騒で空気自体が澱んで必死になって透明になろうと頑張るほどそれは透明から遠のく オリンピックが終わったら自然に集中できました ふうっという思いです
『華鏡』は 5.比翼の鳥、連理の枝・村上天皇女御芳子が済んで 6.宮中の和歌所・梨壺の五人 に入っています これはもう以前書いてあった部分だから構成のし直しで気楽 梨壺の五人の統括者藤原伊尹が紫式部の祖母の姪恵子女王を妻にしたことから 祖母は伊尹家の女房に入ったのでした
オリンピック前は 6.は村上天皇女御の荘子女王を書こうと筋立てていましたが どうしても気が乗らず喧騒にもあって停滞 いっそ荘子女王を外そうと試みたら順調に進むようになりました 荘子女王はいずれ挿入します
8月14日
おはようございます 『源氏物語』は帝と女御の話が主軸だよ そこに帝と女御になれなかった主人公がいて紫式部は思いを彼らに託して書いた というフレーズが浮かんでやっと思考が流れ出しました 紫式部には祖母の祖父に四人も女御のいる家系ですから 女御 が重要なんです
『源氏物語』の冷泉帝が気になっていて 史実で本当か嘘かわかりませんが気の触れた天皇とあまりいい印象がなく伝わっている帝なのに 『源氏物語』では爽やかな帝 そこに紫式部の意味があると思うのは冷泉天皇の母懐子は紫式部の祖母の姪恵子女王の娘なんですよね いわば紫式部にとって身内の帝です
と そんなところに意識が流れていて ようやく やっと 動き出しました
さっき『源氏物語』は女御と呟いて そうしたら突然河内本源氏物語をつくった源光行が頭の中でぐるぐるし出して なぜ光行が河内本源氏物語に着手したかを光る君へで紫式部の漢籍の素養に敬意を示して というふうに目下華鏡の流れを書いていたのですが 女御 で思い出しました 光行にとってそれは
建礼門院徳子 光行の終生心にかけた憧れの女人です 平家に仕えた一門の出で 光行の父は中宮職の役人でした 建春門院滋子や建礼門院徳子に担当です 徳子入内の年 光行は多感な少年でした 父親から話を聞いて憧れを募らせたとして当然でしょう その徳子が悲劇の人に 光行にとっての源氏物語です
それを書こうと思ってもう何年も前から初期紫文幻想として書き始めていたのですが いろんなことが降り重なって 光る君へから頂くパッションもあり 最近は漢籍と長恨歌とに特化してしか考えられなくなっていました ずっと以前の初期紫文幻想では徳子を井上靖『敦煌』の西夏の女のように書こうかなど