2024.9.25 Twitter(X)から転載…『100分de名著ウェイリー版源氏物語』と毬矢まりえ・森山恵ご姉妹『レディ・ムラサキのティーパーティ』からのご教示で紫式部の『源氏物語』そのものの文章への気持ちが湧き上がりました。内在する韻律という……
9月22日
今日の光る君へは紫式部日記にある史実の忠実な再現という至福の回 中宮の出産 それに関する僧侶たちの御読経に始まる諸々 五十日の祝の酒宴 などなど全て今まで日記を読んで想像していたことの映像化 中でも私的に最高なのは中宮彰子への新楽府のご進講 これが映像化されるなんて!
9月23日
おはようございます お正月の地震に引き続いての洪水 同じ地域にどうしてこうもと心を痛めています 世の中のことは個人がどう心を痛めても救済には限界があり だからこそ一人一人が世の中のことに目や耳をそばだて心一つに世間の悪を阻むようしなければと とにかくTLを見てそう思っています
『100分de名著ウェイリー版源氏物語』 第四回 拝聴しました こんなに身になるなんて思わず見始めた番組なのに 全四回 1か月 見たりご著書を拝読したり それ以前と今とではすっかり違った自分がいます こういうことって望んで得られるものでないからほとんど奇跡のよう ありがとうございました
9月24日
源氏物語を幾つ持っているのだろう 末摘花の書写にこれを使おうと学生時代に読んだ岩波文庫の源氏物語を出したら山岸徳平先生校注 母校の大学の学長でいらして尾州家河内本源氏物語の開題を出された方だから格別の思い入れがあります 岩波の古典文学大系も揃えてありますがこちらも山岸徳平先生 でも
岩波文庫のこの源氏物語 昨今の源氏物語では当然のようにある段落毎とか見開きページの半分とかの現代語訳がなく 上欄にも下欄にも注のための余白がなく ずっと最初から最後まで原文だけ なのに行間が広いから読みやすく 私は最初与謝野晶子訳で源氏物語に入ったのだけれど 原文はこれだったのでした
末摘花の書写で湧いてきてずっと頭から離れないのだけれど 仙覚の小説 今は華鏡として体裁が整ってきてるけど これは最初仙覚は誰かの研究を論文でなく小説で書くことに決めたため でも最初から末摘花のような文章で書いていたらきっともうとっくに完成してる 無理があったから進まなかった……
9月25日
岩波文庫の源氏物語 1965年第一刷の第46刷版だから今はどうかわからないけど 私はこれで源氏物語を読んだのだったと懐かしく思い出しています 通学の東横線や大井町線の車内で 岩波の古典文学大系を揃えたのは文庫でなく本格的に読もうと思ってでしたが 重いから不便で飾って満足してるだけ でも
気がついたのですが この文庫版 ページの中に注の欄がなく本文だけ 読んでいた当時の感覚を思い出すと 原文はもちろんわからないところだらけ なのに注がないから一々立ち止まって説明を読むなどしない ただひたすら文章を追って流れに浸って読んでいたんですね だから今も何となく覚えてる
注の欄がないページのなんと美しいこと 何十年ぶりかに取り出して見て改めて 読みやすそう ってなりました 末摘花の白文帳筆写にと思って出した文庫版だけど 桐壺巻から通読したくなりました 改めてもちろん意味は考えずただ流れに沿って紫式部の韻律を感じようと思います
100分de名著の画面ですが こちらが今発売されている岩波文庫の源氏物語でしょうか 今は注の欄があるのかな わからないけどとにかく注に気を留めずに読んだのは良かった でも私はその前に与謝野晶子訳を読んでいたし 村山リウさんの源氏物語説き語りを聴いていた だから痛痒なかったんですね
枕草子の誕生があまりにも美しく映像化されて 源氏物語はどう描かれるのだろうと凄く期待してたのに そもそも枕草子もまひろが書けばとヒントを出してのことだったし 和泉式部日記も藤式部が書けばと そして源氏物語に至っては道長の命で このドラマは書くということの本質をわかってられない方々
が作ってられるなあと引いて見ていたのですが これから成長した賢子が出るから その前に私は視聴を止めようとほぼ心を決めています なぜって 紫式部は源氏物語に作者の身に起こったことと物語論を書きながら 作家における賢子のような家族との軋轢を書いていない それを書くと文学が日常に堕する
からで 紫式部があえて書かなかった部分をドラマ化するって これって紫式部に対する侵害ではないの?とさえ思います 前に一回視聴を中断したのも幼い賢子が反抗する回でした このドラマでよかったのは彰子という人の立場がきちんと描かれたこと 私は彰子派なので美しく成長されてもう満足です
『100分de名著ウェイリー版源氏物語』のテキストに安田登氏の紫式部日記に関するコラムがあって そこに紫式部の清少納言評について 紫式部は父為時から漢籍を学んでいるが 清少納言の漢籍の知識は藤原公任の和漢朗詠集というアンソロジーからだけと そうだったとしたらその違いは大きいです
少し前 丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』というご研究を読ませて頂き 紫式部が源氏物語に引用した漢籍に実際にあたって気がついたのですが 私が源氏物語を読んで感じていた文章の呼吸 暗転とか自然描写への転調のような阿吽の呼吸はこれだったのかと思ったほど 源氏物語の呼吸は白楽天の漢詩の呼吸と同じでした
紫式部の源氏物語における一転する呼吸の鮮やかさが 一回読んだだけでも記憶に焼き付けられるほど鮮やかで 私は紫式部がどこからそれを身につけたかがずっと気になっていました 例えば桐壺巻で靭負命婦が帰る一瞬とか 須磨巻で月いとはなやかに差し出でて などのような あの転調です
そういえば何方かが書かれていた 紫式部の文章には他の作家に見られない複合語が多いと それは漢籍の影響によるものだろうと そう言われて納得したのは私は紫式部の文章に不思議に惹かれて馴染んでいるのだけれど それが流れるように私に入ってくるからで 決して他の女流作家からにはないもの 自分で書いていて ああ これは源氏物語の文章の影響だなあと思うことがよくあります 安田登氏のいわれる韻律は多分これですね