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2024.9.25 Twitter(X)から転載…『100分de名著ウェイリー版源氏物語』と毬矢まりえ・森山恵ご姉妹『レディ・ムラサキのティーパーティ』からのご教示で紫式部の『源氏物語』そのものの文章への気持ちが湧き上がりました。内在する韻律という……

9月22日

今日の光る君へは紫式部日記にある史実の忠実な再現という至福の回 中宮の出産 それに関する僧侶たちの御読経に始まる諸々 五十日の祝の酒宴 などなど全て今まで日記を読んで想像していたことの映像化 中でも私的に最高なのは中宮彰子への新楽府のご進講 これが映像化されるなんて!

 

9月23日

おはようございます お正月の地震に引き続いての洪水 同じ地域にどうしてこうもと心を痛めています 世の中のことは個人がどう心を痛めても救済には限界があり だからこそ一人一人が世の中のことに目や耳をそばだて心一つに世間の悪を阻むようしなければと とにかくTLを見てそう思っています

 

『100分de名著ウェイリー版源氏物語』 第四回 拝聴しました こんなに身になるなんて思わず見始めた番組なのに 全四回 1か月 見たりご著書を拝読したり それ以前と今とではすっかり違った自分がいます こういうことって望んで得られるものでないからほとんど奇跡のよう ありがとうございました

 

9月24日

源氏物語を幾つ持っているのだろう 末摘花の書写にこれを使おうと学生時代に読んだ岩波文庫の源氏物語を出したら山岸徳平先生校注 母校の大学の学長でいらして尾州家河内本源氏物語の開題を出された方だから格別の思い入れがあります 岩波の古典文学大系も揃えてありますがこちらも山岸徳平先生 でも

 

岩波文庫のこの源氏物語 昨今の源氏物語では当然のようにある段落毎とか見開きページの半分とかの現代語訳がなく 上欄にも下欄にも注のための余白がなく ずっと最初から最後まで原文だけ なのに行間が広いから読みやすく 私は最初与謝野晶子訳で源氏物語に入ったのだけれど 原文はこれだったのでした

 

末摘花の書写で湧いてきてずっと頭から離れないのだけれど 仙覚の小説 今は華鏡として体裁が整ってきてるけど これは最初仙覚は誰かの研究を論文でなく小説で書くことに決めたため でも最初から末摘花のような文章で書いていたらきっともうとっくに完成してる 無理があったから進まなかった……

 

9月25日

岩波文庫の源氏物語 1965年第一刷の第46刷版だから今はどうかわからないけど 私はこれで源氏物語を読んだのだったと懐かしく思い出しています 通学の東横線や大井町線の車内で 岩波の古典文学大系を揃えたのは文庫でなく本格的に読もうと思ってでしたが 重いから不便で飾って満足してるだけ でも

 

気がついたのですが この文庫版 ページの中に注の欄がなく本文だけ 読んでいた当時の感覚を思い出すと 原文はもちろんわからないところだらけ なのに注がないから一々立ち止まって説明を読むなどしない ただひたすら文章を追って流れに浸って読んでいたんですね だから今も何となく覚えてる

 

注の欄がないページのなんと美しいこと 何十年ぶりかに取り出して見て改めて 読みやすそう ってなりました 末摘花の白文帳筆写にと思って出した文庫版だけど 桐壺巻から通読したくなりました 改めてもちろん意味は考えずただ流れに沿って紫式部の韻律を感じようと思います

 

100分de名著の画面ですが こちらが今発売されている岩波文庫の源氏物語でしょうか 今は注の欄があるのかな わからないけどとにかく注に気を留めずに読んだのは良かった でも私はその前に与謝野晶子訳を読んでいたし 村山リウさんの源氏物語説き語りを聴いていた だから痛痒なかったんですね

 

枕草子の誕生があまりにも美しく映像化されて 源氏物語はどう描かれるのだろうと凄く期待してたのに そもそも枕草子もまひろが書けばとヒントを出してのことだったし 和泉式部日記も藤式部が書けばと そして源氏物語に至っては道長の命で このドラマは書くということの本質をわかってられない方々

 

が作ってられるなあと引いて見ていたのですが これから成長した賢子が出るから その前に私は視聴を止めようとほぼ心を決めています なぜって 紫式部は源氏物語に作者の身に起こったことと物語論を書きながら 作家における賢子のような家族との軋轢を書いていない それを書くと文学が日常に堕する

 

からで 紫式部があえて書かなかった部分をドラマ化するって これって紫式部に対する侵害ではないの?とさえ思います 前に一回視聴を中断したのも幼い賢子が反抗する回でした このドラマでよかったのは彰子という人の立場がきちんと描かれたこと 私は彰子派なので美しく成長されてもう満足です

 

『100分de名著ウェイリー版源氏物語』のテキストに安田登氏の紫式部日記に関するコラムがあって そこに紫式部の清少納言評について 紫式部は父為時から漢籍を学んでいるが 清少納言の漢籍の知識は藤原公任の和漢朗詠集というアンソロジーからだけと そうだったとしたらその違いは大きいです

 

少し前 丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』というご研究を読ませて頂き 紫式部が源氏物語に引用した漢籍に実際にあたって気がついたのですが 私が源氏物語を読んで感じていた文章の呼吸 暗転とか自然描写への転調のような阿吽の呼吸はこれだったのかと思ったほど 源氏物語の呼吸は白楽天の漢詩の呼吸と同じでした

 

紫式部の源氏物語における一転する呼吸の鮮やかさが 一回読んだだけでも記憶に焼き付けられるほど鮮やかで 私は紫式部がどこからそれを身につけたかがずっと気になっていました 例えば桐壺巻で靭負命婦が帰る一瞬とか 須磨巻で月いとはなやかに差し出でて などのような あの転調です

 

そういえば何方かが書かれていた 紫式部の文章には他の作家に見られない複合語が多いと それは漢籍の影響によるものだろうと そう言われて納得したのは私は紫式部の文章に不思議に惹かれて馴染んでいるのだけれど それが流れるように私に入ってくるからで 決して他の女流作家からにはないもの 自分で書いていて ああ これは源氏物語の文章の影響だなあと思うことがよくあります 安田登氏のいわれる韻律は多分これですね

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2024.9.20 Twitter(X)から転載…『100分de名著ウェイリー版源氏物語』と毬矢まりえ・森山恵氏『レディ・ムラサキのティーパーティ』から、末摘花と蓬生帖の文章の魅力をご教示頂き、それを白文帳に書写しています

9月17日

『100分de名著ウェイリー版源氏物語』で安田登氏は 末摘花の冒頭は屈指の名文と書かれます それを詳説されているところは何度読んでも飽かず読みたくなります 紫式部は和歌ではあまり評価されていないのに源氏物語の地の文に韻律が 漢詩で身についた韻律かなあと

 

末摘花冒頭: 思へどもなほ飽かざりし夕顔の露におくれし心地を、年月経れどおぼし忘れず ←安田登氏は末摘花巻を 全体的に韻律が素晴らしいと 昨夜来考えている夕顔巻を読むことより 読むなら末摘花ですね!

 

9月18日

おはようございます 昨日からすっかり私は末摘花の世界に 『100de名著ウェイリー版源氏物語』でその真髄をご教示頂き筆写をはじめました これ ウェイリーが源氏物語を文学として扱っているからですよね そして毬矢まりえ・森山恵氏のお二方も 文章についてこんなに具体的にご教示頂けるとは

 

『レディ・ムラサキのティーパーティー』のクリムトの表紙 とても綺麗! 今日中に読み終わろうと頑張ったのですが到底無理 末摘花帖についてで 末摘花は紅花だけどウェイリー訳ではサフランと なので末摘花はサフラン姫 なんか今迄の末摘花感と違う世界が繰り広げられて読み耽ってしまいました

 

国宝源氏物語絵巻での蓬生巻 私はこれにインプットされて庭の植込みはなんか蓬生ふう まさか薄を植えるわけにいかないけど枝垂れる宮城野萩は憧れです なのに本文は末摘花その人への印象は今迄皆無でした がウェイリー訳でもバージニア・ウルフまで末摘花を重要視してるとは

 

『レディ・ムラサキのティーパーティー』拝読し終わりました とても膨大な荒海の航海をのり切った感じ このお二人でなかったららせん翻訳は思いつきもされなかったし できなかった 凄く凄くそう思いました こんなに一気に読書に耽ったのはもう何十年ぶりかですが それだけの甲斐がありました

 

源氏物語の白文帳筆写 今日は蓬生を 『レディ・ムラサキのティーパーティー』で末摘花のその後として蓬生が語られていて惹かれました 前に読んだ時はただ意地悪な叔母とのやり取りしか心に残ってなく改めて読んで美しい帖だなあと 『100de名著ウェイリー版源氏物語』に始まったこの読書 貴重でした

 

蓬生より: 大きなる松に藤の咲きかかりて、月影になよびたる、風につきてさと匂ふがなつかしく、そこはかとなきかをりなりけり ←光源氏はこの藤のかをりに末摘花を思い出して立ち寄ります それを歌で告げると末摘花は直接私を思い出したのではなく藤のかをりで? と突っぱねたような歌を返す

 

末摘花巻では何も言えないただ大人しかった末摘花が 光源氏の須磨流謫等の厳しい現実を経て心が成長し自主的になっている 調度の嗜みも品位あるべく生きて 光源氏はそういう末摘花に目覚めて丁重にもてなすようになる なんか光る君へで跳ねっ返りと言われたまひろが重なりました

 

9月19日

思いがけず始めた源氏物語白文帳の筆写 続かないと思ってたから大切な万年筆で書いていたのに心地よくてやめられない なので書き潰しては大変と何本かあるうちのブルーのラミーですることに 昨夜は蓬生をしたけどやはり末摘花に戻って始めます 長いんですよね 末摘花 でも完徹したら写本です笑

 

尾州家河内本源氏物語と西本願寺本万葉集の歴史を探って書いているのに 写本は見たり手に取るだけで文字の中に入っていく事はなかった だから墨文字でなくても毎晩少しでも本文を書き写す作業をしていると 定家や光行さんたちはこういう思いで書写していたのかと体験できる とても大切なことと思う

 

遺跡の仕事に従事していた時 立川の普済寺様で経石が出土し その約2500個の分類を担当しました 法華経ほか陀羅尼を含む数種の経典に分類できましたが その調査報告書を書いた時に道長の埋納の歴史を知りました その後群馬県博で道長の経筒が展示されて見に行き 金沢文庫の裏山でも経塚があった等

 

経塚や経筒にとても深い思い入れがあります 八王子で出土した経筒を撮らせて頂いた事もあります そんなだから先週の光る君への道長の金峯山での経筒の埋納シーンにはまさかと目を見張りました 調査報告書に書いたり読んで想像していたことの埋納のシーンが見られるなんてと 貴重な映像でした

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2024.9.17 Twitter(X)から転載…「光る君へ」は中宮彰子に紫式部が出仕して活躍、『紫式部日記』そのものの画面満載で醍醐味です。『華鏡』の文章を源氏物語の白文帳筆写で思うこと多々……

9月14日

白文帳に須磨巻筆写をして 華鏡の見直しに入り 藤原北家の章が済み 紫式部の源氏物語の章に入ったら 紫式部が幼い時母を亡くし 光源氏もそうで それで母の面影を求める内容を書いていたら 仙覚もそうだったことに気がついて愕然 なぜ今まで気づかなかったのだろうと 心がこなれてきています

 

9月15日

今日はもう光る君へ 一週間が早くて忘れそう というのも夕方買物に出る予定を立てていました 源氏物語が書かれ初めてそれに乗って私の華鏡も動き出し気持ちが充実してきました 見直しも順調で ここまで来たら早く先に進みたくてワクワク やはり私は中宮彰子がいる光る君へを観たかったんです!

 

華鏡 3藤原北家 4宇多天皇女御胤子 5村上天皇女御芳子 が終わり 6梨壺の五人 に入ったところで一旦置いて光る君へへ待機 今のところ薔薇の名前のアドソにヒントを頂き 仙覚の子息の回想として語らせているのですが もうじきしたら頼朝が登場するから そこから物語的展開に書いていく予定です

 

白文帳の筆写は今日から夕顔 光る君への放映後のコメントを追っていたら ある方が現近代の小説技法の複数の語り手を紫式部はとっくに駆使しているとあり 特に夕顔と竹河と この複数の語り手という技法こそ華鏡で苦心している事だから興味をもって では筆写を夕顔でしてみようとなりました

 

源氏物語には草子地という物語の中で突然作者が自説を述べる文章があったりして 語り手が現代の小説のように始めから終わりまで一貫して三人称単数で書かれてないのは感じてたけど それをはっきり意識して認識し分けた事がないので この際認識できたらいいと

 

たまたま 今は薔薇の名前のアドソにならって仙覚の子息に回想録として書かせているけど 頼朝が出たらふつうの小説ふうに書くつもり とツイートしたその事です

 

9月16日

おはようございます 昨夜の光る君への余韻に浸る間もなく今日は100de名著ウェイリー版源氏物語 また忘れそうなのでメモをあちこちに置きました 今日は あはれ についての重要な日 テキストを拝読してう〜んと唸りっぱなしの章でした 光る君へは一旦置いてレディムラサキのティーパーティに

 

TLで見て読もうかしらと出してきていた岷江入楚 中を見てこれなら読みたいと楽しみができたと思ったばかりの時に100de名著ウェイリー版源氏物語が始まり らせん翻訳のキラキラ感に酔い 白文帳の筆写まで始めて 勿体無いけどひとまず本棚に戻します あ〜あの感 時間さえあれば……

 

源氏物語の白文帳筆写 須磨巻に戻しました 複数の語り手の認識のために夕顔巻にしたのですが 昨夜一回しただけで楽しくない 話者だけの問題なら読めばいいのにと筆写しながら感じていました そして須磨巻への希求 須磨に帰りたい思いが募って 何でしょうこの違い 光景だけの問題でなく何かある

 

内側から昇ってくる文章と 外観的に説明する文章 そんな違いがある気がします 夕顔巻は帚木三帖の一つで紫式部が最初に書き始めた部分だから複数の語り手を駆使して上手いかもしれないけど 内的に円熟していない 須磨巻は朧月夜との恋など幾多の試練を経ての須磨だから思い自体が深い?

 

須磨巻の文章は流麗なんです 流れるよう溢れるように万年筆の先からこぼれて文字になる なんか 自分で自分の文章を紡いでいるかの感 溢れる文章ってこういうものなんですね

 

9月17日

おはようございます 須磨巻と夕顔巻の文章の違いが頭から離れなくてずっと考えています 100de名著の安田登氏も源氏物語の現代語訳は文字の上を目が通過するだけで入ってこない だが毬矢まりえ・森山恵氏訳のらせん訳はすうっと入ると それはお二人が詩人でいらして文章に韻律があるからだろうと

 

以前『潮香』を出した時編集者さんが本文の中の一節を帯に使って下さった 驚いたのはそれが潮香を書くより前に現代詩として書いていたのを流用した部分だったからでした 詩として書くのと小説の地の分を書くのとでは違う という経験がずっとあって 華鏡をそれを掴んで書きたいと思うのですが

 

【6月14日のツイートです】

薔薇の名前「手記だ、当然のことながら」より: なぜならこれは、惨めな日常身辺の些事を取り扱う物語ではなく、あくまでも数々の書物の物語であって…… この末尾の文章こそ私が華鏡で書こうとしている主題!と自覚され 仙覚の小説にこだわって見失っていた想いを蘇らされたのでした 書物=写本!

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2024.9.14 Twitter(X)から転載…華鏡は第一章比企の乱と第二章万葉集が終わりました。白文帳に始めた源氏物語須磨巻の筆写が心地よく、毎晩楽しんでいます

9月11日

白文帳での筆写 PCで打って書くようになる前は万年筆で原稿用紙に書いていました 何本万年筆を書き潰したことか そんな修練の時を経て初めて小説の講座を受けた時がちょうどPCの普及と重なり 私の思考はキーボードから言葉として溢れ出すことに だからこの筆写感覚はとても懐かしく心地いいです

 

光る君への新しいキャスティングの発表で菅原孝標の娘があって どんなふうにドラマに関わるのだろうとあらすじを見たら 手持ちの後編は今週の日曜日の分まで という事は完結編の発売がもう直ぐということ 後編では中宮彰子がまだ幼くおどおどした画面に終始 目覚めた完結編での装束が楽しみです

 

はたと気がつきました 更級日記はもっと後の時代と思ってたけど 行成の娘が更級日記の作者と仲良しなんですよね その娘が亡くなって嘆く記述がある 道長の娘が彰子なら行成の娘もそれ位の年齢 孝標娘もそう そんな絡みがドラマ化されるのかも 猫がまた出るでしょうか  源氏物語は猫多いですね

 

9月12日

おはようございます 今日は100カメで光る君への撮影現場が見られる日 忘れるといけないので動き回るあちこちにメモを置きました笑 源氏物語三昧で気分がいいので華鏡の見直しも完璧になってきました 今までどう専念しようとしてもなんかふらふらして 頭の中が密になって揺るぎなくなっています

 

華鏡 今の見直しは文章に直すところはなくルビやピリオドへの迷いなのだけれど 第一章「心の闇・比企の乱」の心の闇は政子 私は比企の乱は政子の頼家の若い嫁若狭局への嫉妬と憎しみと思っていてそれを書いています 人は己の地位を無に帰す危機に遭うと鬼にもなると これを書いたのはもう何年も前

 

その時は書き過ぎかなあと内心危ぶんでいたのですが 昨今の令和になってから暴かれてきた裏事情を知るとまさに同じの感 まさかと思いつつシンクロして現代を見ています

 

華鏡はやっと第一章「心の闇・比企の乱」をもう見直さなくていい心境のところに辿り着きました 完成した長編を一気に見直すには気力がもたないでしょうから 一章ずつ完璧に仕上げていこうかと これから第二章「岩代の浜松が枝を引き結び・万葉集」にかかります 仙覚が生涯をかけて取り組んだ万葉集

 

源氏物語三昧で頭の中は源氏物語一色なのだけれど 思考が密になっているから思考の一粒一粒が揺るぎなくて いつも何かに邪魔されて集中できないとイライラしていたのに 華鏡に戻って万葉集になっても全然揺るぎがない このまま進めますように

 

もうじき100カメだから華鏡を閉じて光る君へ待機 ぎりぎりまで万葉集にかかっていて 大津皇子と大伯皇女の歌を入れたところ こんなに違う世界を関係なく無心に待機できるなんて 余裕ができてきたようだけど これが本物でありますように

 

9月13日

昨夜の100カメは楽しかったけど 贅沢をいえばもっと全景でのいろんな解説がほしかった 一番嬉しかったのはこの藤の制作について 放映ではとても綺麗なバランスで映っていたけど この藤 今まで作ったこともないような巨大なんですって 制作陣の方々の合言葉が 雅に! もいいですね

 

実際の放映画面がこちら 素敵でした それにしてもセットって大変なんですね そしてあんなに労力と時間と費用をかけても一回きりで壊してしまう 曲水の宴なんて資料としてなんとか保存できないのかしら など 無理を承知で思ってしまいました

 

昨夜の100カメ ドローンがこんなにドラマの映像世界を変えるなんてと あっという間にドローンが普及して でもドラマにまで浸透してくるとはと驚いたのは まひろが出仕した回での女房たちの寝静まった几帳で隔てられた局の俯瞰 今回は遣水 私は俯瞰の写真が好きなので楽しいです

 

曲水の宴では雨が降ってきて公卿たちが屋内に退避します 御堂関白記による史実らしいけど 100カメでそれを再現されていて 降り出しからゲリラ豪雨までのスタッフさんたちの気遣い 装束を濡らすわけにいかないから一回キリの緊張感の中での撮影 撮影って私も仕事にしてたから身に染みてわかります

 

華鏡 大津皇子に関してはすでに紫文幻想に書いたから省略していたのだけれど ここに来て読み返していたらやはり入れるべきとなって入れました 源氏物語三昧で思考が豊かになり ストイックに過ごしすぎて書けなくなっていた日々の欠落を埋めている感じ 万葉集の項はこれで完結 明日から藤原北家

 

9月14日

もうじき中秋の名月 昨夜の白文帳須磨巻書写は 月のはなやかにさし出でたるに今宵は十五夜なり この須磨の十五夜を味わおうと福原京に遷都したばかりの公卿達は皆須磨へ行ったんですよね なのに後徳大寺実定は旧都に残る大宮多子を慰めに都へ 私は平家物語のここが好きで華鏡にも書こうと思って

 

いるのですが例のごとくそこに行き着くまでが大変 多子は近衛天皇妃だったのを早く崩御され 実家に戻っているところを二条天皇にまた入内を要請される 二代后と呼ばれる所以です この二条天皇后の時代に二条天皇が二条院万葉集を作られるのですが そこに袋草紙の藤原清輔がいて 多子の太皇太后宮大進でした

 

藤原清輔がいて 二条天皇の二条院本万葉集ができました きっかけが袋草紙に二条天皇が興味を持って宮廷に召したこと それで二条天皇は清輔を多子に仕えさせて身近に置いたのでした この二条院本万葉集の価値を仙覚が発掘します

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2024.9.11 Twitter(X)から転載…大河「光る君へ」で『源氏物語』の誕生、「100分で名著ウェイリー版『源氏物語』」、読書『レディ・ムラサキのティーパーティ』と、日曜から月曜にかけての二日間で私はもう源氏物語三昧・贅沢三昧の心地です

9月9日

昨夜の光る君へは内容が濃くて余韻嫋々 道長が贈った三郎まひろの頃の想い出が描かれた扇から藤式部が雀の子を犬君がの若紫の執筆に入る ということはチビまひろが少女時代の紫の上という事でやはりまひろは紫の上 光る君への根幹中の根幹が正妻になれない苦しみ 廃屋でのシーンが思い出されました

下記の【過去ツイート】を付しました

8月26日

そしてまひろの初出仕のときの装束 やはりあれは圧巻の色味

他の方々の色味の軽いきらびやかなシーンに一人だけ深みが

 そしてそれは衣配りで光源氏が最愛の紫の上に贈った葡萄色

まひろの装束にだけ意味が込められています 

光る君へで道長まひろは光源氏と紫の上なんですね

 

9月10日

昨日の『100de名著ウェイリー版源氏物語』 光る君(全能の神)として生まれた光源氏が 箒木巻で凡人になりさがり 空蝉夕顔で人の世の苦しみを知って 須磨を経て明石で神性を取り戻して都に復帰する という流れのお話でした これは安田登氏も紫式部の源氏物語を読んでいては気がつかなかったと

 

ウェイリー訳のらせん翻訳で読んでその構成に気づかれたそう ウェイリーが翻訳するにあたり紫式部の曖昧だった構成にウェイリー自身が困惑して納得のいくよう翻訳したからでしょう ただ純粋に紫式部の源氏物語を読むとき 箒木空蝉夕顔は箒木三帖といって他の帖と違うとされています 私は紫式部が

 

この三帖から書き始めてまだ宮中に出仕してはいない時期の原稿と思っていて なのでそれが100deで言われたような凡人の世界なのも納得 光源氏の神性は『レディ・ムラサキのティーパーティ』でもシャイニングと訳した時に浮かび上がったと 光源氏という固有名詞に慣れすぎて神性に気づかなかったと

 

光源氏の神性については源氏物語をご教示頂いた高橋文二先生が凄く厳格に常々仰っていて 光源氏は神のような存在なのだから 人間世界の常識で見て裁いてはいけないと 源氏物語はこの神性ということを理解しないと本当のところを読み取れませんと

 

源氏物語三昧 日曜に光る君へで原文が飛び交い 月曜は100de名著でらせん翻訳文が 読書は『レディ・ムラサキのティーパーティ』 そして時間の合間を見ての白文帳での須磨巻の筆写 思考も気分も源氏物語一色でもういつものように何か音楽を聴きながらの気分にならない でも華鏡になら向かえそう

 

こんなふうに戻って来れるんですね 言葉が溢れるってもう無理かと思っていても いつかはそうなる そう信じていたけれどやはりほんとうにこうなってくると嬉しい 勢いで原稿を通しで見直して プリントして 今 それをまた見直しています

 

【発掘して頂いた過去ツイート】

越前市中央図書館でコピーした片桐洋一氏「『源氏物語』三条西家本を論じて別本に及ぶ」より…以上、縷々述べて来たことは、現在一般に用いられている定家自筆本の系統が中世においては全く驚くほどに影響を持っていなかったということの指摘に尽きる

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2024.9.9 Twitter(X)から転載…NHK『100分de名著 ウェイリー版源氏物語』が始まり、毬矢まりえ・森山恵氏が訳された『ウェイリー版源氏物語』の翻訳秘話『レディ・ムラサキのティーパーティ』に衝撃を受けて読み進んでいます

9月5日

おはようございます 朝から衝撃を受けています 昨日100de名著のテキストが届いてカラーの口絵に源氏物語の原文とウェイリーの英訳文とらせん翻訳(毱矢まりえ・森山恵氏『 ウェイリー版源氏物語』)の同じ箇所の文章が並んでいて 原文とらせん翻訳文を照合しながら読んだら 圧倒的にらせん翻訳文がキラキラしてしかも描写が具体的でわかりやすい

 

最初これはらせん翻訳のお二方が詩人でいられるからの言葉の選び方のせいかと思ったのですが もしかしてウェイリーの英文自体がそんなふうに描写を具体的に掘り下げて翻訳されているのかも これから照合しますが とにかく今の衝撃をお伝えしたくてのツイートです 眠っていた源氏物語の眩さが甦って

 

100分de名著で私が突き刺さったのはこの部分 源氏物語原文とウェイリー訳英文とらせん翻訳文を並べます
原文は ……楽の声まさり、もののおもしろきほどに、
英文は There was a wonderful moment when……and the music grew suddenly louder.
らせん翻訳 ……ふと楽の音が高まる、その妙なる瞬間

 

【その妙なる瞬間】にぐさっと心を鷲掴みにされました

 

9月6日

おはようございます 昨夜100de名著を拝読し終わり 今日からこちらを 毱矢まりえ・森山恵氏『レディ・ムラサキのティーパーティ』 もう本は買わないと固く決意してたのにこちらはどうしてもすぐ読みたくて昨日吉祥寺に走りました 100分de名著第四回でかなり肉薄して解説されていましたから楽しみ

 

らせん翻訳とうたわれていますが 私にはふへん(普遍)翻訳と感じられていて 光る君へを見て思っていたことの集大成がこちらにはあります 知っていることと感じることとでは大きく違い 光る君へのコメントで見ると 国文学的諸々を知っている方々は知の部分に大きく反応 でも国文学など全然無関係

 

に感想を寄せてられる方々の感受性のゆたかさ 私は源氏物語は国文学だと思っていましたからそれにびっくり 感性は知ではないんですね そしてこの『レディ…』では従来の国文学的知の部分を世界の文学と同化させて意味の変容を成し遂げていられる ゆたかな感性に私も戻りたくなりました

 

100分de名著で「かっこいい!」と紹介された毱矢まりえ・森山恵氏のらせん翻訳須磨の嵐の描写 紫式部の原文ではどうかと探したらこの部分(勉誠出版『正訳源氏物語 本文対照 三』須磨巻)でした 照合しつつ両者を臨書して手で感じてみようと思います ここはウェイリーが例えばシェークスピアとかモーゼをイメージしての訳で凄まじさが原文を凌駕と

 

9月7日

紫式部の源氏物語原文とらせん翻訳文を書き並べての臨書 最初は見比べて違いを知りたく思ったからでしたが ノートに万年筆で書き写していたら手の触感手の情感が心地よく いっそ例えばこの須磨巻を一冊書き写してしまいたい気分になり そうしたらこれって写本じゃない! と気がついてびっくり

 

そういえば 私は定家や光行の写本を研究しながら自分では写本を作ったことがなかったと気づき 紫式部の原文からせん翻訳文かはもうどうでもよくなって いっそ例えばこの須磨巻を一冊書き写して写本を作ってみようかしらなどの思いが湧きました 読むことと書き写すことってこんなに違うんですね

 

でも これって 光る君へを見ていたからこその効果 最初の頃の漢詩の応酬での恋文に始まり 枕草子の春はあけぼの 道長の御堂関白記 そしてまひろのいずれの御ときか…… こんなに紙に筆が下ろされて走る場面を眼に焼き付けられて書く事が自然なことになっている 凄い大河です!

 

臨書ならぬ書写ですが すっかりはまって心地よく これから時間の合間の息抜きにとてもいい手段を見つけたかと 一冊写本を作るならどの巻を? といろいろ考えたのですが 須磨の描写がやはり文章として突出して感じられるので大好きな須磨にはいとど心づくしの秋風にからにしました 白文帳にです

 

9月8日

毱矢まりえ・森山恵氏『レディ・ムラサキのティーパーティ』が面白くて夜を徹して拝読 朝になってブログを更新したら月曜日に100分de名著が届く前日まで光る君への余韻に浸って王朝継ぎ紙のことで頭がいっぱいでびっくり で 今はレディムラサキですが今夜はもう光る君へ 時間の経つのの早いこと!

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2024.9.8 Twitter(X)から転載…大河「光る君へ」に関連して、王朝継ぎ紙のこと。そしてそこから『西本願寺本三十六人家集』に、そしてその躬恒集を制作した白河天皇女御道子へと

9月1日

今日の光る君へで伊勢守の任命を巡って軋轢がありましたが あらすじで読んでいてもピンと来なかったのに その平維衡が清盛に繋がる人物とTLで教えて頂いて あ これだ! と思ったのは 清盛の父忠盛が武士として初めて昇殿を許された時 公卿らから 伊勢の瓶子(平氏)はすがめなり とこけにされるこれですね

 

なぜこれが気にかかっているかというと 河内本源氏物語を作った源光行の祖父が平忠盛の青侍だったからです 光行の家は平氏に仕えていて 叔父は清盛の側近中の側近 父は建春門院滋子や建礼門院徳子に仕えた中宮職の役人でした 平家が滅びて光行は鎌倉に下向 鎌倉で源氏物語の校訂を始めたのでした

 

9月2日

月曜日は前夜光る君への余韻に浸りつつTLに流れてくるコメントで そういう事だったのか とか 気づかずに見逃してた など反芻するのがまた楽しくあっという間に時間が経ってしまいます 私は分析や批評が苦手でひたすら眼に焼き付けるべく見るだけ 紫式部日記の世界に入ったから一層そうなりました

 

9月3日

河添房江先生が紹介されていた王朝継ぎ紙研究会様の三十六人家集『杳かなる美への旅』です 2014年ご刊行 西本願寺本三十六人家集が継ぎ紙で残る最古のものという事で その平成版に挑戦されてのご成果 久しぶりに出して見ていましたがつくづく凄いなあと もう惚れ惚れ以外の何ものでもありません

 

西本願寺本の制作者をこちらでは白河天皇妃の藤原道子と 西本願寺本は躬恒集に作者が承香殿女御とあって道子だということが判明しました 道子は白河天皇の寵愛が後から入った若い賢子に移って失意から斎王になった娘に同道して伊勢に下ります それで王朝継ぎ紙研究会様の解説では西本願寺本は伊勢で

 

作られたと考えると 躬恒集の道子関与は知っていましたが伊勢で作られたとまでは考えが及んでいなかったので新鮮です このご本を入手した時にはまだ栄花物語を読んでいなかったし躬恒集のことも知らなかったから改めて今解説を読んでいろいろ繋がりました

 

9月4日

西本願寺本三十六人家集が伊勢で作られたとして 白河天皇女御道子がなぜそれを作ったかをずっと考えていたのですが 道子は斎王になった娘に同道して伊勢に下ったとき 同じく娘と伊勢に下った村上天皇女御の徽子女王の存在を身近に感じ 徽子女王の家集も入っている三十六人家集の制作を思いついたと

 

道子は道長の曾孫だから道長一族の宮中での源氏物語書写活動に身近に接して成長しています そして源氏物語の本文中には「継ぎ紙」が作られていたかの文言もあると だから道子が西本願寺本三十六人家集を作るにあたって美しい継ぎ紙で制作しようと 伊勢で仕える女房たちに率先して指導したのでは?

 

写真は徳川美術館で開催された石山切展の図録 石山切は西本願寺本三十六人家集のうちの伊勢集です 三十六人家集のうち最も美しい継ぎ紙の帖ですが それゆえに分断されて全国に散らばり それをまた一挙に集めて開催された目も見張るほどの素晴らしい展覧会でした

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2024.9.2 Twitter(X)から転載…『華鏡』の執筆、紫式部の祖母の姪・荘子女王について思考が展開しています。紫式部は具平親王に出仕していたかもといわれているその親王の母君で、村上天皇の女御の方です~八月尽まで

8月30日

おはようございます 昨夜は中野幸一先生の紫式部日記の解説を改めて熟読 そして紫式部は源氏物語のどの巻から書き始めたのだろうと 私は桐壺巻は道長に出仕してからと思っていて 以前から考えているのは箒木三帖が出仕前に書かれていてそれが評判になった源氏物語?と それで箒木を読んで寝ました

 

以前から感じているのは箒木巻の文章の素人っぽさ 文章に熟達してないなあ だから読んでいて緻密でない と箒木巻が嫌いでした 後半空蝉のくだりになった辺りから物語のコツを掴んでいくんですよね その続きが夕顔 そこまでが出仕前に書かれた源氏物語ではないかと 夕顔巻は具平親王が実際に

 

起こした事件が下敷きにあって それは越前に行く二年前 為時と叔父の為頼が夕顔巻の惟光の働きをしていて 紫式部は事件の一部始終を知っています 紫式部はそれを具平親王も母君の荘子女王もまだ存命のうちに書くんですよね 源氏物語は当時の人ならあああの人だとわかる話がいっぱいとかです

 

やっと見えてきました 華鏡荘子女王の項 具平親王を書こうとしても紫文幻想にすでに書いた事しか思い浮かばず悩んでいたのですが 藍美喜子氏のご論考で紫式部が具平親王家に出仕していた可能性を見て これはもう言われてはいたのだけれど 藍氏が紫式部日記の中宮彰子に出仕した描き方に前にも経験

 

があるような醒めた眼と書かれていてはたと納得したのは たまきはるの作者が最初は建春門院に出仕し それから八条院に出仕した時に前と全然違うと書いていたのを思い出したから それで紫式部が具平親王に出仕したことにして書こうと思っていたのですが まだどこか納得できないでいて終日引きずって

 

いました さっきふっと そうだ 具平親王ではなく荘子女王に出仕したんだ! と思考が転換して これで動き出します 荘子女王は村上天皇崩御のあと出家しておそらく具平親王の千種殿に暮らしていたはず 紫式部が具平親王に出仕するより信憑性があります 出仕までは考えていなかったけど 以前から

 

源氏物語鈴虫巻の女三宮の閼伽棚の描写は紫式部が祖母に連れられて荘子女王を訪ねた時に 女御だった方の出家した生活を見ていたからだろうと想像していました 父為時も12歳の時おそらく荘子女王の力で天徳内裏歌合に殿上童として伺候しています 今度は紫式部もそんなふうにお世話になったのでしょう

 

そういえば源氏物語絵合巻は天徳内裏歌合を絵合に変えて書いたもので引出物などの描写は天徳内裏歌合そのものだそう それを私はやはり以前からそういう資料を紫式部はどこで読んだのだろうと不思議だったのですが 荘子女王に仕えていた時期があるならそれも読めたり借りたりできますね いろいろ符合

 

鎌倉の生涯学習センターで尾州家河内本源氏物語と西本願寺本万葉集についてお話させて頂いたのが去年の九月二十七日だったからもうじき一年 あの時パワポを作っていて何かを掴み華鏡に進展があったのだけれど まさか紫式部が荘子女王に出仕していたと思いつくなど あの頃には思いもよりませんでした

 

あの日を思うと思い出すのは講義を聴きに来て下さったペンクラブの方に連れて行って頂いた小林秀雄が行きつけだったという小町通りのお店 女将の方と話が合ってお名刺を頂いた またいつ来ます? と言われて半年後くらいかなとお答えしたのだけれど 一年が経ってしまいました

 

8月31日

八月尽 ここのところ写真撮ってないし 過去写真はほぼ資料用だから TLに流れてくるような綺麗な撮り方ができてなくて探したらこちらがありました 大分県富貴寺様 宇佐八幡宮を回った帰りに寄りました 台風が宇佐を襲ったようですが大丈夫だったでしょうか 災害の時代でしょうか なにか変ですね

 

華鏡は荘子女王の言葉が降りてきています まさか荘子女王が語り出すとは思ってもいませんでした 最初 村上天皇の女御四人の方を調べたとき 一番資料がなくて研究もされてなかった方が・・・

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