« September 2024 | Main | November 2024 »

2024.10.29 Twitter(x)から転載…『源氏物語』の根幹は、求めて得られない思いを抱えて生きることの切なさ、必死さ、現実との乖離、にあるかと・・・。求めて止まない永遠の憧れ

10月25日

ブログを更新しましたがすっかり瀬戸内源氏の世界に嵌まってしまいました すべて華鏡を書くという目的のためなのですが ここにきて函の絵の美しさに魅了され別な世界が広がっている感 源氏絵は私は国宝源氏物語絵巻しか目になかったのですが珍しくこちらの絵には惹かれています

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語御法より 「宮さまが大人になられたら二条の院にお住みになって、この西の対の前の紅梅と桜を、花の咲く季節には、忘れず見てお楽しみなさいね」とおっしゃいますと、三の宮はこくんとうなずいて、紫の上のお顔をじっと見つめていらっしゃいましたが、涙がこぼれ落ちそうなので、

 

立ち去っておしまいになりました……三の宮は匂宮 病床に伏す紫の上が気分のいい時に可愛がっている匂宮に私がいなくなっても思い出して下さいねと語るこの場面 匂宮も可愛いし大好きな場面です 昨夜桐壺巻の終盤に光源氏が母桐壺更衣の里第だった二条院を与えられるシーンを読んで二条院についての

 

論文を探して読みました 二条院のモデルが二条后高子の邸宅だったと読んだのを思い出して そうしたら私の中では紫の上の終焉と同時に二条院への関心も一緒に消えていたのですが 後年匂宮が住み 宇治の中君が住む その舞台が二条院なのでした 全く認識なくて唖然笑

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語帚木を読み終えたのですが 後半の空蝉の部分 先週原文を読んだばかりなので原文の良さがまるで感じられないことにびっくり 紫式部の漢籍由来の歯切れのいい転調のところでうっかり ここだ! といつもぎくっとなるところでならなくて気がつきました これって現代語訳だと

 

どなたの訳でもそうなのかも知れませんね 紫式部の原文がはらむ恐ろしいほどの韻律の良さ それはもう紫式部自身の体質であって意味として訳せるものではない 原文に戻ろうかしらなど思わないでも でも瀬戸内訳は本のサイズからして大きく読みやすいので当分これで過ごします

 

10月26日

昨夜拝読した帚木の感想 解説で瀬戸内寂聴先生は面白いと書いてられるけど私には全然面白くなく でも今までざっと読んでいただけの内容を初めてきちんと読みました わかりやすかったし帚木は現代語訳で読むのがお勧めです 読みながら考えていたのは紫式部はなぜこんな会話を書けたのだろうという事

 

源内侍もモデルがあって読んですぐあの人だとわかるから彼女は以来出仕できなくなったとか 帚木ほどの会話を想像で書けるわけないから情報入手は当時父為時が参加していた具平親王の文芸サロン? そこでの会話を為時から聞いて紫式部は書いたのでしょうか まさか二十歳前の紫式部が参加していたなど

 

ありえないし そんな若い女性がいたら一連のあのような会話にならなかったでしょうからやはり父からの伝聞 年譜で帚木が書かれた時期と為時など周囲の状況を考えると 具平親王サロンがモデルでしかないとなるのですが 漢詩を作る真面目な場としか思っていなかったからまだ受け入れがたいです笑

 

10月27日

おはようございます 仮寝して起きて片付け物をして空蝉を読んだらこんな時間 帚木を読んで瀬戸内寂聴先生とは源氏物語への見解というか見る価値観が違うのを認識しましたが 空蝉での訳語が そう使う? と疑問に思う箇所が何回も その都度原文を確かめたくなるのですが止めて読み通しました

 

昨夜から華鏡に書こうとして何をどう書いていくべきかわからず悩んでいたものが見えてきました それは有機的必然の語に始まりました ふっとそれが浮かんだ時 ああそうか私はそれを忘れていたと 物語は書く人の心の中の有機的必然により自動発生するものと私は思っているし それが私の書く姿勢です

 

仙覚の小説を書くという理から始まった華鏡にそれはなく 義理人情という他からの使命感しかなく だからそれは理でしか書けず それが苦しかったんですね 瀬戸内寂聴訳源氏物語を読むことで心が掘り下げられて やっと私の側からかの書く視点が見えてきました

 

Lに流れてくる源氏物語や光源氏についてのいろいろな方のご視点 氾濫するそうした情報を頂きながら学ぶこと多かったしだからここまで来れた訳だけど ここにきて決定的にこれは違うと思うことが出てきて 華鏡に書くのはこれだ! となりました そうしたら有機的必然の語が浮かんだのでした

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語空蝉より:一方、あくまでつれない女も、一応さも平静そうに思いを抑えこらえているものの、どうやら思いの外に深く真実らしいお気持が身にしみるにつけ、もしこれが夫のいない娘の頃だったならと、今更、過ぎ去った昔を取りかえしようもないままに、源氏の君への恋しい気持が忍び

 

きれなくなり、いただいたお手紙の懐紙の端に、人知れず書きつけるのでした。 空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびに濡るる袖かな /(原文)つれなき人も、さこそしづむれど、あさはかにもあらぬ御気色を、「ありしながらのわが身ならば」と、とりかへす物ならねど、忍び難ければ、この御畳紙

 

片つ方に、空蝉の羽におむ露の木がくれてしのびしのびに濡るる袖かな ……昨夜読んだ空蝉巻の最後がとても好きで引用しました そうしたらふっと原文と比べてみたくなり続けたらこのように 寂聴先生の訳は凄く平易な言葉使いで状況がよくわかる 寂聴訳だからこその情感の伝わり ってあるんですね

 

10月28日

ずっと瀬戸内寂聴訳源氏物語を読んでいますが 読みながら考えていることは源氏物語は求めても得られない思いを抱えている人にしかわからないものがあるということ 求めて得られないから永久に求め続ける 光源氏にとってそれが母の面影だったということで それが倫理的に許されるかどうかは別の話

 

紫式部は母方の祖に二条后高子がいます 文学少女だった紫式部が伊勢物語を読んで高子に憧れなかった訳がない もしかしたら永遠の憧れの女性だったかも 源氏物語にはよく手習が書かれますが その最初が紫の上に対する光源氏 私は早くに父を亡くしているからそのシーンは初めて読んだ時から胸キュン

 

で永遠の憧れのシーンです それが最近蘇って ん? 紫式部も早くに母を亡くしているから手習のようなことにその思いを込めた? と気づいた時 二条后高子が業平に盗み出されるシーンが若紫に重なったのでした 求めて得られない思いを知らない満ち足りた人生の方はそれをロリコンと言ってしまうけど

|

2024.10.25 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳『源氏物語』を読み始めました。函の絵がとにかく豪華絢爛、綺麗で、手にするたびに魅入ってしまいます。『源氏物語』はこうでなくちゃ!

10月21日

昨夜は山本登朗氏『伊勢物語 流転と変転 鉄心斎文庫本が語るもの』を拝読して就寝 池田亀鑑『源氏物語大成』に具平親王が真名本伊勢物語を持っていたらしいとあり それって何だろうと知りたく思っていたところ 先日図書館に行った時にこちらがあって借りてきていました

 

荘子女王の項に具平親王を一緒に書こうと思っていて伊勢物語にも言及するかもしれないです 紫式部の中には伊勢物語への想いは母方の血筋の二条后高子のことでもあり強烈にあったと思います

 

10月22日

昨夜に引き続き山本登朗氏『伊勢物語 流転と変転』を拝読中 やはり写本の変遷の話だから面白い 源氏物語の写本 万葉集の写本 を見てきたけれど 伊勢物語の写本については初めて 誰が関わったかについて源順の関係者かを想像させる段があると 順といえば具平親王の漢籍の師 なにか蠢くものが

 

10月23日

入手しました 瀬戸内寂聴訳『源氏物語』巻一 図書館で借りた本を読んでいては身に入らないので そうしたら図書館の本は函がないから青海波模様の地味な紫の冊子 それが函はこんなに豪華絢爛 一気に読みたい気持ちが募りました 源氏物語はこうでなくては

 

伊勢物語の他の本も借りてきてあるのですが また研究分野に引きずられてもと警戒してもうそれは読まないことに 物語を読んでとにかく気持ちをゆたかに持っていくように と思います

 

今頃になって瀬戸内寂聴訳源氏物語を!と思います 刊行された時点ではまさか拝読に気持ちが傾くようになるとは思ってもいませんでした 時宜ってほんとうにあるのですね そのきっかけがまさかのA5版より大きな装丁で余白が美しく 活字が大きくて目に楽 だったとは笑

 

10月24日

昨夜桐壺巻を読んでいたら 帝がご寵愛のあまりに更衣を寸時もお側から離されないばかりか、面白い音楽やお遊びの時や風流な催し事がある時などには、誰よりもまず先に更衣をお呼び寄せになります の文章に逢い これって醍醐天皇と勤子内親王の事じゃない! となりました

 

私は勤子内親王=藤壺説なのですが 醍醐天皇は紫式部を育てた祖母の父藤原定方と従兄弟です 定方の姉が醍醐天皇の母 定方から醍醐天皇の宮中の話を聞いて育った紫式部の祖母が 今度はそれを紫式部に語って聞かせ それが源氏物語に生かされた 桐壺巻のこの具体例はその一つと思います

 

勤子内親王は源順に命じて和名類聚抄という日本で最初の辞書を作った方です 大陸の文人趣味である絵を描くことがお好きで大陸の書を読むのに必要だったのでした 絵を描くことがお好きな秋好中宮のモデルともいわれます 源順は内親王を花の如く美しいと序に記しました この内親王に密通したのが時の

 

関白藤原忠平子息の師輔でした 後に九条家の祖となる師輔ですがこの時はまだ昇殿を許されたばかりの若さです 醍醐天皇が鍾愛する内親王の噂を聞いて恋情を募らせるのですがどうしようもありません そこに醍醐天皇の崩御という事態が起きて内親王は里に下がる 師輔はこの機を逃さずそこに忍んで密通

 

をしたのでした 紫式部の祖母がなぜその話を知っていて紫式部に伝えられたかは 祖母が師輔の嫡男伊尹家に女房として入っていたからで その時すでに勤子内親王は薨去していて師輔が二番目の密通相手の雅子内親王と結婚している時期でした 師輔の内親王との密通の話題は祖母にも馴染みでした

 

勤子内親王は醍醐天皇の四の宮 藤壺も先帝の四の宮 そして光源氏と師輔は共に内親王より数歳年下です

 

10月25日

おはようございます こちらのポスト(醍醐天皇と勤子内親王の件)にRTやいいねを沢山頂いてありがとうございます とても私的な呟きなのにと驚いていますが また励みにもなりました 今まで源氏物語を読んでも専門的に考える前でしたから今回のような発見は初めてです これから読み進むにつれまたどんな発見があるか楽しみです

 

瀬戸内寂聴訳『源氏物語』の函の絵は石踊達哉氏 第一巻のこの絵は「秋草」図 昨夜桐壺を読み終わったのですが靭負命婦の段 秋草の描写が真に迫って これだ! と思いました こちらの絵 桔梗がとても綺麗 第二巻以降絵と物語との関連を見るのが楽しみになりました

 

今日は陽がささないから竜胆が開きません 秋草といえば桔梗が好きだったのに 鎌倉の寺院の庭で竜胆を知ってからすっかり虜 紫式部の邸宅跡という廬山寺様の桔梗 綺麗で好きだったのを寂聴訳源氏物語の函で思い出しました

|

2024.10.21 Twitter(X)から転載…『華鏡』の原稿、荘子女王の項を書くのに逡巡していてわかりました。仙覚は誰かを書くために始めた小説だからどうしても説明の必須事項が入ってしまう。それで評伝っぽくなって文学の香りが抜けてしまうのでした。これからは必須事項を書かない! を鉄則にしようかと。

10月17日

どうしても書けないでいた荘子女王の項 ふとしたきっかけで荘子女王と紫式部の会話が浮かび そこから書くべき筋が見えてきました いつもながらに頑張って書こうとしてもどうしても書けない時がある そういう時は見えてない書くべき事柄が潜んでいてそれを掘り出すまでが大変 やっとです

 

荘子女王は紫式部を育てた祖母の姪 荘子女王自身早くに母を失い 紫式部の祖母に母親代わりに育ててもらっていますから 紫式部とは近しい身内どうし話ができる間柄 紫式部も村上天皇の女御だった人と親しく会話ができて後宮の話も興味津々で聞いたことでしょう この近しさに気づくまでが大変でした

 

10月19日

おはようございます こちらのポスト(瀬戸内寂聴先生の若紫巻の解説)にRPといいねをまだ沢山頂いています ありがとうございます 今更に瀬戸内寂聴という作家の重大性を考えています 以前拝読した時は先入観もあって素直に現代語訳を読めませんでした でもここのところの光る君へ効果で初心に帰って源氏物語について考えていたら

 

瀬戸内寂聴という作家さんへも素直に対処できるようになって 素直に現代語訳と解説が読めるようになりました 瀬戸内寂聴さんも出家されて涸れてらしてからの人間的なご活動 そして源氏物語への取り組み 私もやっと少し涸れてきたのでしょうね そんな涸れた心境でこれからは書けていけそうです

 

100de名著ウェイリー版源氏物語』で安田登氏が末摘花の韻律が凄いと書かれていて では原文をと本棚から取り出した岩波文庫の『源氏物語』 末摘花だけでなく桐壺から読み通したくなり読んでいたのだけれど字が小さくて目に辛く苦心惨憺していたところに帚木帖の解説を読む必要ができて図書館に

 

借りてきたのがたまたまでしたが瀬戸内寂聴訳『源氏物語』 原文を読み通そうと思っているから解説だけ読んでと思っていたのに現代語訳に目を通したら活字が大きくて読みやすい! これはもう原文にこだわらずこの瀬戸内寂聴訳『源氏物語』で全巻通読しようと決めました 本は読みやすいに限ります!

 

全巻と思ったのは解説を全帖読みたくて やはり書く人ならではの視点が解説をただの解説でなく文学に昇華させている それが研究者さんの解説と違うところで私が従来の定説に違和感を覚えても声をあげられないところを寂聴先生はあっけらかんとそうであっても不自然はないと 全巻の解説が楽しみです

 

10月20日

おはようございます 華鏡 荘子女王の項に書くべきことが見えてきてからはじめて昨夜今迄書いてあった原稿を見たのですが 必要事項だからとどうしても外せないままその先が進まなかった文章 全部削除して一から始めます なんか吹っ切れて たぶん 私 変わりました

 

昨夜 生涯の友の文学の先輩 どれほど心強くお世話になったか その方の訃報をお嬢様から頂きました ご高齢だからこの日の来るのは覚悟していましたがやはり感慨 瀬戸内寂聴さんについてもどんなに話し合ったでしょう それを思い出していた時の訃報 なんか彼女から力を頂いた気が 魂は永遠です

 

万葉仮名で書かれた万葉集の歌 訓点を付けなければ読み下せなかったのを鎌倉時代に最後まで残っていた152首に訓点をつけて完成させた仙覚 それほどの業績を残しながら素性がわかっていませんでした ただ3点 建仁三年生まれで比企氏のゆかり そして吾妻の果ての生まれというだけ たまたま私は

 

西本願寺本万葉集から仙覚という人の存在を知り 比企の方々との交流でその素性を示す諸々を教えて頂いて仙覚はこの人だ!と思えてそれを国文学の学会で発表しました それを論文に書くべきところを小説で書こうと決めて始まったのが華鏡です だから華鏡の文章は仙覚は誰かを証左する文章が外せない

 

これは小説だけ論文だけを書いている方にはわかって頂けない悩みと思いますが 論文にするところを小説で書いているから外せない必須事項というのが沢山 それでどうしても評伝っぽくなり悩んでいました 先程のツイートではっきりわかりました 論文は小説の陰に隠れていて注で読む事項なんですね

 

先程のNHKアーカイブで見た光る君への美術スタッフさん渾身の藤壺 当時は藤棚がなかったからどうやって藤を絡ませるか悩んでいたところ 源氏物語絵巻の蓬生巻の復元模写で光源氏の上に藤の花が垂れていて松の木に絡みついている それを見て これだ! と思って藤壺のセットを作られたそうです

 

NHKアーカイブよみがえる復元模写源氏物語絵巻より 古い小道具の御簾は赤茶けている けれど復元模写絵巻を見ると御簾は青々とした緑 ではどの位の緑なら中から外が透けて見えるかとテストをして放映画像の御簾の色を決めたそう そして緑が映えるように白木の柱にかなり拘ったそうです

 

ゲストが大石静さんでした で その大石静さんのお話 「源氏物語には心の闇という語が26回使われているそう 紫式部は人の心の奥底に興味ある人だったのでは? 物語だったからこそ心の闇にも踏み込めたと思う」

|

2024.10.17 Twitter(X)から転載…『華鏡』の荘子女王の項、やっと何を書くべきか見えてきました。紫式部は荘子女王のもとで『源氏物語』を執筆しています。

10月11日

久しぶりに晴れてベランダで玉簾が輝いています 昨日は涼しかったので猛暑のあいだできなかったムカゴやヤブカラシの蔓延っていたさんざんな蔓を撤去 そうしたらもう木蓮や白椿に花の蕾がちいさくできているのが見えました

 

10月12日

竜胆の紫にどうしてこうも惹かれるのでしょう なかなかホームセンターに行かれないから鉢植えを諦めて スーパーの買物ついでに切花を買ってきました

 

竜胆と琥珀 いろいろあるからやっと自分の時間 荘子女王を書きたい気持ちが募っているのに原稿に向えないまま時が過ぎている でも経験でこの停滞が書きたいままの荘子女王を一歩引き上げてくれるはず 玄覚の独白で書き進めてきたこの原稿を違う書き方にしたくなっています

 

10月13日

竜胆はいいですね 日常のなかに凛とした非日常ができて 竜胆を置いたら一本筋の通った思いが確立しました たった竜胆を飾っただけなのに

 

竜胆がとにかく美しくて原稿そっちのけでつい見てしまいます 無造作な投入れですが

 

10月14日

光る君へはもう視聴を止めたけど月曜日だからTLに流れてくる皆様の記事で私が知りたい流れと画像を得られて満足 中宮彰子さんだけが目下の私の眼福なのだけれど紫式部による新楽府のご進講が進んでいていいですね! あと公任の和漢朗詠集の準備が進んでいるようで その頃になったらまた視聴します

 

思うのだけど 大河はドラマだから光る君へはあれでいいのだけれど 紫式部が主人公なら紫式部の本質というものがもっと理解されて打ち出されていいと思う 道まひの切ない恋の辺りではそうあったのに源氏物語が書かれ始めた頃から作家の魂というものが無視されドラマの進行のための作為だけが目立って

 

10月15日

おはようございます やっと荘子女王の項の書き方が見えてきました 天徳内裏歌合とか鈴虫の閼伽棚を書きたくて でもそれをするとどうしても言いたいことの羅列にしかならず悩んでいました 昨夜突然そうだ村上天皇のあれ! と思いついて栄花物語を やっと書けそうです

 

ほんとうに荘子女王については情報量が多い でも語られて来なかった(研究されて来なかった)のはそれが全部具平親王や村上天皇の事績として語られているから 荘子女王を中心に書く人って これが初めてかも知れない 紫文幻想で少し書いたけど

 

帚木巻を読んでいました 空蝉を読み返そうと思ったのですが 肝心の空蝉のはじまりは帚木だったんですね 何回読んでも慣れなくてこの構成はどうなんだろうと不思議です でも雨夜の品定めの部分に目に通すことになったら見えてきたことが ピンときて荘子女王の項に生かせます 思いがけない展開!

 

10月16日

昨夜読んだ帚木の後半に空蝉の始まりがあるところの違和感 終日心から離れなかったのですが ああ これは紫式部が書いたそばから流布していって編集者の手が入っていないからだ と気がつきました 出版するにあたって編集者さんが構成に目を通したら ここは次の章 と分けたでしょう

 

これは目下私が華鏡を書いていて感じていることで 華鏡も編集者さんの手が入ったら絶対に構成が変わる でも私は目下それは気にせず書いたままをkindle化するつもりです 紫式部が帚木を書いていた時に気分が乗って中川の辺りのと空蝉の最初が紡ぎ出された そのとおりのままの帚木の構成なんですね

 

今迄と違って紫式部がどんなふうに源氏物語を書いていったかを考えながら読んでいたら 今迄は物語の中のことに反応してたのに 書く人としての私自身の書く呼吸のようなものが書いている紫式部の呼吸に重ね合わせて感じられて そういう結論になりました

 

空蝉を読もうと思ったのは荘子女王の項に書く構成のためですが それより帚木のほうが意味あると気がつき図書館に行きました 先行研究に私が考えた構成がもうどなたか発表されていないかと確かめるために でも先行研究があっても私は昨夜の自分の思案として書きますが ここにきてもしかしたら

 

従来いわれているような桐壺巻が後から書かれたという説 もしかしたら桐壺巻が最初に書かれていたのでは? などという思いが湧いてきています 証左してみます それによって荘子女王の項の書き方が変わるから

 

私が帚木巻が先に書かれたとするのに疑問を持ち始めたのは頭の中将の存在 なんの不思議もなく当たり前のように登場していてしかも夕顔事件への布石の重要人物 頭の中将の初登場は桐壺巻にある? と考えて 読み返したら 光源氏が元服して葵上と結婚するから当然登場していました

 

10月17日

帚木の解説を読もうと借りてきた源氏物語が瀬戸内寂聴訳で検索した時は気がつかなくてびっくり 現代語訳は中野幸一先生と決めていたから一瞬どうしようと 寂聴訳は以前一回拝読しています 改めて目を通したらとても美しい日本語 中世炎上の第一巻を思い出しました 何より嬉しいのは活字が大きい事

 

それが何よりでもうこだわらずに寂聴訳で読み進めようかと で 解説を読んだら桐壺巻は後から書かれた説もあるが最初にここから書かれたとして一向に不自然でないと やはり作家の目は学者さん方と違うなあと 書く人の強みですね で 後押しされた気持ちで改めて紫式部の年譜を作ってみました

 

そうしたら以前の私は帚木三帖から書き始めたと考えていたのが 桐壺巻からとして年譜を見ると 18歳の時に定子が入内して女御になっています それに刺激されて桐壺巻を書き始め 荘子女王に出仕して具平親王邸から桐壺巻が広まっていき それから帚木三帖が書かれた として不具合ないとわかりました

 

紫式部の整合性ある執筆順序が見えました 寂聴先生も「紫式部ほどの天才は早熟で十三、四歳ころから物語に筆を染めていたのではないか」と そうした時に18歳で定子が入内し触発されて桐壺を書く それを父為時が具平親王に見せ 荘子女王も喜んで紫式部が荘子女王に出仕する 具平親王の文芸サロンを

 

間近に見聞きする環境で22歳の頃帚木を書き始め 23歳で紫式部日記にある方違えの夜の経験があって空蝉を それに続けて具平親王の大顔事件を夕顔として書いた その後結婚妊娠と書かない期間があって賢子を育てた経験が若紫の少女の描写となった

 

神野藤昭夫先生も帚木の雨夜の品定めには具平親王の文芸サロンの趣があると書かれています あれはいくら天才でも聞き書きでなければ書けないですよね 聞き書きができる環境に入ったから書けた そうしたら筆が乗って物語へと発展し空蝉が書けた と 私の経験上でもこの流れは自然体で納得です

 

瀬戸内寂聴『源氏物語』解説より: 年よりも無邪気な若紫の天真爛漫なあどけなさと可愛らしさを、紫式部は、筆を惜しまず書ききっている。これは式部に女の子が一人生れていたことと無関係ではないだろう。美貌で才女で長じては後冷泉天皇の乳母になり、大弐の三位と呼ばれ、母より出世した賢子の、幼時

 

の姿を写したと見ていいのではないか。紫式部は子供を書く時、特に筆が冴えている。

 

若紫の次が末摘花です 桐壺を完成させてそれが具平親王家との縁に繋がり帚木空蝉夕顔を書く その後越前結婚妊娠出産子育てと結構な間があいて若紫 こう考えると桐壺が全人生を見通したような概略的完成なのもわかるし 具平親王家繋がりの帚木帖の庶民的人間臭みも独特でわかりますね

|

2024.10.11 Twitter(X)から転載…華鏡の原稿、村上天皇女御荘子女王の項を書くために、紫式部がいつ『源氏物語』を書き始めたかを詳細にたどってみたら、通説の宣孝との死別後でなく、宣孝と結婚するより前、という結論になりました

10月8日

華鏡は 1.心の闇・比企の乱 2.岩代の浜松が枝を・万葉集 3.討って奪う一族・藤原北家 4.絵に描ける楊貴妃の・宇多天皇女御胤子 5.比翼の鳥連理の枝・村上天皇女御芳子 6.宮中の和歌所・梨壺の五人 と進んで 今やっと 7.女御の閼伽棚・村上天皇女御荘子女王 に入りました

 

今迄 といっても昨年まで4以降の女御の項はなく頼朝や時政が登場して鎌倉の話になり仙覚が生まれるまで書いてあったのですが 光る君へを見るようになり紫式部の漢籍受容から源氏物語の見直しが始まって女御の項を書き足しています 荘子女王が終わったら俊成から定家光行の源氏物語受容にかかります

 

昨年までは光行も脇役でそんなに書くつもりなかったから仙覚も生まれたことだし見直したら完成 なんて思っていたんですよね やはり相当枯渇してました 今は膨らんでいく部分の方が大きくてメインみたいになっています

 

とても心が落ち着いてきました それまであった様々の怨恨のようなものもすっかり消えて もう私にはこの原稿さえあればいいといった満足感 これを求めて頑張ってきたのですがこんなに早くこの境地になるとは思っていませんでした 光る君へに感謝ですね 転機を頂いて

 

考えてみると 私は源氏物語が好きで それで鎌倉の源氏物語の活動をしたのに 万葉集が入って仙覚が入って比企の乱という歴史が入り すっかり鎌倉の歴史に取り込まれて 雅な源氏物語から引き離されて誰にも理解して頂けず それが苦しかったんですね 光る君へでたっぷり養分を頂いたからこその復活

 

10月9日

岩波の大系源氏物語で山岸徳平先生の解説を拝読していたら 源氏物語が書かれた時期は定かでないとされながら 宣孝没後から彰子出仕までの間に全巻書かれていただろうと えっ!となって手元にある源氏物語関係本を全部見たけど出仕前全巻完成説はなく 完成は一条天皇朝が主流

 

『正訳 紫式部日記』で中野幸一先生は あれだけの長編を書くには紙を提供する庇護者がいなければ無理 だから庇護者は道長と倫子でこの二人のもとで完成とのこと でもこの論でいくと 私が思う女の童として荘子女王に出仕していてその後も庇護を受けていたとしたら紙の入手は可能 私は夕顔巻までは

 

荘子女王のもとで書かれていて その後彰子に出仕し 一条朝でのリアルな宮廷生活を見聞しての後半の執筆と思っていて その線がどう成り立つか年譜を作ってみました 大まかにですがつかめた気がします でもとにかく思うのは紫式部研究における荘子女王の不在です 投入して見えてくること多いのに

 

文献研究において実証論が認められないのは知っていますが……

 

秋山虔氏『源氏物語』より: 紫式部の宮仕えがはじまるころ、源氏物語がどの辺まで書かれていたのかは、明確にこれを突きとめることはむつかしい。が、第一部三十三帖のうち、光源氏が明石の浦から帰還し、冷泉院の治世下、実父として権勢街道を進む段階は、中宮の女房となって道長家の栄えを眼のあたり

 

に見聞し、体験した経験に照応するのかもしれない…… やはり秋山虔先生の『源氏物語』はいいですね! 源氏物語に関する というよりも深い人生哲学がぐさっと心に響きます 光る君へを見て初心にかえって源氏物語を再考したくなり本棚から出して読んだ本なのですが また読み返したくなりました

 

作成した紫式部の年譜より 5歳の頃母を亡くしたとして 12歳父為時式部丞 14歳為時散位 24歳為時越前守 27歳宣孝と結婚 29歳宣孝と死別 32歳彰子に出仕 35歳彰子に新楽府進講 →山岸徳平先生は宣孝と死別後彰子に出仕までの間に源氏物語全巻を書いた 中野幸一先生は出仕から新楽府進講の間の

 

里居がちの期間に執筆と 中野先生は紙の問題から道長という庇護者がなければ無理との前提だから出仕後となる けれど私は荘子女王が庇護者だったら出仕前でも書けると思う けれど山岸先生の全巻というのは無理で 秋山虔先生の明石以後は道長に出仕後だろうに納得 これに女の童として荘子女王に出仕

 

していた可能性を入れると為時が散位になった14歳からとなり 中野幸一先生が20歳の頃具平親王に出仕したかもとあるこの時期紫式部は荘子女王に出仕していて 22歳の時に具平親王が夕顔事件を起こすからそれ以後として 24歳の為時越前守赴任辺りから結婚までの間に書き始めていたのではないでしょうか

 

去年 紫文幻想で具平親王の夕顔事件を書いた時 これは惟光は為時と為頼がモデルだなと思って書いて その二年後に為時が越前に赴任しているから 鎌倉ペンクラブの会報に夕顔巻は紫式部が越前で都を懐かしみながら書いたとの小文を載せて頂きました 先程の年譜でもやはりこの頃になりました

 

10月10日

荘子女王は具平親王の母としてしか語られていませんが 村上天皇の女御で天皇が崩御されるとすぐ出家します 具平親王は千種殿という東西2町に渡る広大な邸を構えていて 私は荘子女王がその敷地の東西のどちらかに住まれていたと紫文幻想で考えました 具平親王の方の邸で行われていたのが紫式部の父

 

為時も参加していた具平親王の文芸サロンです 藤原公任も常連でした そこに紫式部を参加させたくてもどうしても無理 諦めたのでしたが 荘子女王の方に出仕していたと考えれば自然です 私がなぜ荘子女王にこだわるかというと 源氏物語鈴虫巻にある女三宮の閼伽棚の描写 紫式部はどこでそれを見た

 

のだろうと考えて荘子女王にたどり着きました 女御の閼伽棚です 紫文幻想ではまだ出仕していたとまでは考えが及びませんでしたが 華鏡でそれを書きます 結婚した宣孝は紫式部の手紙を見せびらかします それは結婚前にすでに紫式部が有名だったということ 死別後に書いたのではそうはなりません

 

荘子女王の項を書くために心の準備をしているのですが 仙覚の小説を書くと決めた時から失ってしまった美しい感覚 切なすぎる情緒 といったものが蘇ってとても麗しい心境にいます 荘子女王の項を読み返そうと紫文幻想を出したのですが これは主人公が徽子女王でまた読み耽ってしまいました

 

白露の消えにしほどの秋はなほ常世の雁の鳴きて問ひけり これは徽子女王の父重明親王が亡くなって徽子が里下がりをしていた時に村上天皇が早く戻ってくるようとの消息に応えた歌 村上天皇はこれを忘れず崩御の直前に かかるをも知らずやあるらん白露の消ぬべきほども忘れぬものを と詠んでいます

 

村上天皇は歌で心を通い合わせる徽子女王が心の支えでした でもひたすら村上天皇を思う純粋な徽子女王にとって後宮世界は馴染まず(長く伊勢斎王でしたから)里居が多く 村上天皇は何度も参内を促します それで徽子は夢に天皇を見て ぬる夢にうつつの憂さも忘られて思ひなぐさむ程ぞはかなき と

 

紫文幻想より: 千種殿は具平親王の別邸です。本邸は土御門殿でした。詩宴が行われたのはこちらの本邸です。詩宴は公の催しです。一方、千種殿は六条坊門北、西洞院東の二町にわたる広大な敷地で、東西にそれぞれ邸を建てて、具平親王と、村上天皇の崩御で出家して内裏をさがった荘子が住んでいました。

 

ふと思ったこと ドラマを見ていても美しい感情だけでは成り立たない 悪を書かなくては と思うし言われる でもふと思い出しました シナリオで賞を頂いた時 あれも悪は書いてなかった そしてシナリオの師が 貴方の作品には限界設定がある それがいいと それでいくしかないです

 

超有名な時代劇のシナリオだったのですが 応募した時にはまだそんな予兆もなかったのに 賞が決まった時には打切りが決まっていて映像化されなかった 惜しかったねと師に慰められました

|

2024.10.8 Twitterから(X)転載…華鏡の原稿、紫式部は祖母や、祖母の姪で村上天皇女御の荘子女王から壮麗な昔語りを聞いて育って、それが溢れて『源氏物語』を書いた・・・という構想に確信が持ててきました

10月6日

前に書いてあった花の蹴鞠を華鏡に取り入れて書いているのですが 飛鳥井雅経の妻が鎌倉の女性で源光行が源氏物語に打ち込んでいることの意味がわからず夫に 源氏物語って何ですの? と質問させました 当時はまだそんなにこの問題を深く考えていなかったから概略的な説明で終わらせていました でも

 

今回たまたま光る君への視聴と同時進行で華鏡のその辺りを書いていたら 源氏物語って何? の質問が自分に向けられて深く探ってみようとなり紫式部の漢籍受容まで掘り下げられ これだ!となって具平親王の白楽天信奉を書くよう頑張っていたのですが 醍醐天皇を書いたりしているうちにその気分も消失

 

源光行の河内本書写は今まで通り朝敵となった平家の方々への鎮魂 の方向で進めようと 代わりに源氏物語については今の醍醐天皇の項からどんどん具体的に深めていきます 果てしなく膨らんでいます

 

これは鎌倉の源氏物語として『尾州家河内本源氏物語』に到る歴史を講演させて頂いていた時 光行と定家は一歳違いの仲良しで共に平家全盛時代の公達と交流して平家の王朝文化の恩恵を浴びていた 平家が滅びて残った二人が鎮魂の意を込めて作ったのが河内本と青表紙本源氏物語 という流れです

 

10月7日

おはようございます 道長に出仕した見聞だけであれが書けるはずがない と浮かんで あ これだ! と思いました 初めて源氏物語を読んだ高校時代からこれはずっと感じていた事で いくら紫式部に才能があり想像力に長けていたとしても 蓄積された経験がなくて源氏物語が書けるわけがありません

 

その思いがやっと文章になったのが 道長に出仕しただけで書けるはずがない です 華鏡でも源氏物語とは何かをずっと考えつつ書いてきて 仙覚の分析として少しずつ解明していって やっとここに辿りつきました 鎌倉の活動で心をすり減らしてもう書けないと絶望していましたが やっと満ちてきました

 

幼くして母を亡くした紫式部は祖母に育てられます その祖母の姪に村上天皇の女御になった荘子女王がいます その荘子女王を書き始めて ああ やっと手応えあるものが書けてきた と思ったのでした 源氏物語は村上天皇の後宮の女御更衣方が何人もモデルになっています 情報源は荘子女王ですよね

 

岩波文庫版源氏物語は注がなくてすらすら読みやすいのだけれど 字が小さくて疲れている時など読めない それで同じ山岸徳平先生校注の岩波の大系ならどうかしらと出したのだけれどちょっと大きいかなくらいでしかなくてがっかり ついでに文庫版は大系の文庫化?など思って比べたりしていました

 

そうこうしているうちに目が慣れてきて文庫版の文字も判読できそうになってきたので文庫版で読みます 少しずつしか進まないけど こうして読んでいると心が深くなります

 

飾っておくだけで真面目に読んだことのなかった岩波の大系本 ふと気になって最初の解説を読んだら創作動機についての言説があって拝読 蛍巻の小説論から「当時、乃至それ以前からの歴史的事実に、見るに飽かず、聞くにもあまる事が存在し、それが紫式部を刺激して、執筆させるに至ったのであろう」と

 

これ まさに目下私が書いている紫式部の祖母から聞いて育った 荘子女王の後宮話や権力者藤原伊尹家の女房経験の昔語りが 紫式部に溢れて源氏物語になった ということにぴったりで この線で書いていっていいんだ!と(まさに今だからぴったりなので 以前読んでも読み飛ばしていたでしょう)

 

山岸徳平先生源氏物語解説より: その中には、御譲位や御即位や、后妃などの冊立や、春宮の御元服その他、皇室関係の事実、及びそれらに付き纏うている公私の人々の動きの中に、日本紀以上に、社会の裏面に関する詳しい記述がある。「日本紀などは、かたそばぞかし」という自負した意見を、当然、式部は

 

抱いていたのである。そんな点からも式部は、歴史記述の理念の下に、物語の筆を進めている。そこに、歴史は文学なりとの理念も、考えなければならないのであった。この考えの根拠は、唐の劉知幾の史通などにも存在する ← 朝のツイートの 道長に出仕しただけの見聞だけであれが書けるはずがないの根拠です

|

2024.10.6 Twitter(X)から転載…光る君への視聴を止め、『華鏡』の原稿に戻ることにしました。醍醐天皇の項を書いていたら、二条后藤原高子が頭から離れなくなって・・・

10月1日

光る君へとか源氏物語大成とか ここ23日末摘花を読むことから遠ざかっていたらなんか心が殺伐としてきて こんなにも物語を読むことと論文など研究的なものを読むこととで膨よかさが違うものなのだということを痛感 本当はもう華鏡荘子女王の項を書き始めればいいのだけれど少し源氏物語を読みます

 

繰り返し末摘花を読んで文章の韻律を感じとりたいと考えていましたが この岩波文庫版源氏物語第一巻で桐壺巻から読んでいこうかと 桐壺 帚木 空蝉 夕顔 若紫 末摘花 紅葉賀 花宴 葵 賢木 花散里 までです 栞にお気に入りのボッティチェリ展の入場券を

 

何を始めてもなんか都合がつかずに完遂できない事が続くから せめてこの一冊は読み通したい

 

桐壺巻はいろんな意味でもう何回となく読んでいるから気持ちよく読み進んでいたのだけれど 野分だちて のここに差しかかったら突然ビクッとなって覚醒 それまでの文章の一種独特ななよやかさに浸りきっていた時のこの転調 これぞ紫式部の文章といった感じ

 

月影ばかりぞ、八重葎にもさはらず、さし入りたる…… 大好きな文集です! やはりこれだけしか読んでなくても研究論文を読んでいる時と違う 情感が湧き出てくる 紫式部の文章 凄いなあと

 

10月2日

妹は源氏物語が大嫌いな人だったけど 光る君への冊子作りを見て 綺麗だね! 現存するなら見たいなあ 五島美術館に行ったら見れるかなとメールが来ました それ程あの冊子作りはインパクトあったのですね いい機会だから手元にある図録を送ろうかと

 

2008年京都文化博物館『源氏物語千年紀展』と 同じく2008年東京国立博物館『宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝』展 の図録です 改めて今見ると道長の御堂関白や金峯山に埋納した経筒や藤原公任の若紫やの問いかけの紫式部日記など 光る君へを見ている人にはとてもいい資料でした

 

10月3日

まだ原稿に戻っていないので思いつきですが 薔薇の名前のアドソの手記にならって玄覚の手記として書いている今のところはそのまま というのは万葉集についての論文的内容だから その後頼朝が登場してドラマになったら物語的書き方にしようかと 完結の最後は玄覚の締めと決めているので額縁的構図に

 

国文学研究資料館編『源氏物語 千年のかがやき』 資料館の立川移転記念の特別展示図録です 資料館はそれまで品川区戸越にあって 私が幼い時遊んでいた戸越公園に隣接していましたから凄く馴染みのある場所でした 移転したら今度は今住む三鷹に近い なんか勝手に親しみを感じています

 

それはともかく 移転は源氏物語千年紀と同じ年だったのですね 千年紀の年は各地で記念展が開かれて京都にも行ったし忙しかったから立川もそうだったのかと初めて知った気分 当時はまだ私の研究も進んでなかったし光る君へも放映されてないから 十何年ぶりに開いたらとても充実した貴重な図録です

 

10月4日

華鏡の原稿に戻りました 突然笑 そうしたら詰まっていた荘子女王の項も動き出して きっぱり光る君への視聴を止めたからと思います 引きずられているものがあるかぎり集中できない 書くためにはすべて捨てるが鉄則でした 荘子女王も具平親王の母としてだけ書こうとしていたから無理がありました

 

具平親王の白楽天信奉を書いてそれを紫式部の漢籍受容とつなげたく思っていたのですが 荘子女王はそれ以上に紫式部一家の生活に密接に関係していて それを書かなければいけなかった やっとそれに気がつきました 竜胆の花を買いたくて近々余裕があったらホームセンターに行こうかと思っています

 

徹夜明け 不意に思い出しました 人には運勢の変わるいい月というのがあって 私のそれは11月 という事は来月 今年はずっと籠って平板過ぎて忘れていました 何かを待っててもいいけどそれならいっそ華鏡を仕上げて挑戦の月にできたらいい 仕上げられるでしょうか

 

RPの集合写真の件 私もカメラマンしていたし 集合写真も撮っていたからRPの方の言われることはその通りです 大人数でも全部の人の顔が写るよう注意するし 衣服の乱れは助手の人に指示して直させるし 影や目線にも気を使う 一国の歴史に残る晴れ舞台の写真になぜこれを? とずっと思っていました

 

10月5日

おはようございます 私は二条后 藤原高子さんがたぶん古典のなかで一番好きな女性なのですが すっかり忘れていたことに藤原北家の基経の妹だったんですね 基経を調べていて仲の悪い妹として出て それが伊勢物語の業平と駆け落ちした同一人物だと知らなかった頃 その後伊勢物語を調べていて基経が

 

出て えっ!となったのでした かなりインパクトあったのにもう忘れて 昨夜醍醐天皇の項を書いていて基経が出て 再び基経を見直したら 藤原高子 と またえっ!となりました 私はこの方 かなり紫式部にとって重要と思っていて 今日はそれを集中して書きます

 

基経に敗れて我が子陽成天皇の廃位をされたその後の生活 自宅の二条院で陽成天皇や業平たちと歌合をしたり優雅に静かに暮らします そこに業平がいるのが素敵と思います 歴史というか政治に翻弄された高子さんです

 

華鏡の原稿 醍醐天皇の項を書いていて脳裡に二条后高子さんがちらついて消えないのですが ふと 次の平安大河は二条后高子さんがいいと 業平との伊勢物語ではなく 基経の妹としての藤原北家の他氏排斥事件という歴史物語として 原作 無いなら書きましょうか なんて・・・

|

2024.10.1 Twitter(X)から転載…「100分de名著ウェイリー版源氏物語」で末摘花帖の文章の韻律が素晴らしいとご教示頂き読み返しました。原文で読んだら末摘花が上品で姫君度が高く印象がすっかり変わりました。紫式部の漢籍受容について考えています

9月26日

お米を送って頂いたのでお礼の電話をしたら 叔父は八十八になると言う 毎年電話で話していて声が変わらないからそんなにお年を召してるとは気がつかないでいてびっくり 周りにはもう残ってられる方がいないから唯一私が写真草創期のカメラマンだった父の小説を書こうとして聞ける生き証人の方です

 

父はNikonに勤めていて新潟の支社に赴任して母と巡り会った 朝ドラの主人公が新潟の弥彦に赴任と知り父みたいだなあと思っていました いろいろ生き証人の方がいなくなり 私が母から聞いた話を書くしかなくなるけど 私にはその前に華鏡を仕上げなくてはという使命がある 紫式部における白氏文集を

 

これからまたおさらいしようと思っています 写真は紫式部が中宮彰子にご進講していた白氏文集 紫式部の漢籍の受容をどう華鏡で書くか 源光行は源氏物語に紫式部の漢籍の受容の凄さに気がつき河内本源氏物語の校訂を思い立ったと思うから(光行は十代の頃から漢籍の教育を受けています)

 

9月27日

末摘花は琴を弾くんですね 韻律のためなら筆写よりも音読のほうがいいかと声に出して読んでいたら光源氏がこっそり聴くシーンに 琴と読んでああやっぱり末摘花は皇室ゆかりの姫君なのだと認識 印象がガラッと変わりました この後も蓬生巻で光源氏が室礼の上品さで末摘花を認めることになります

 

前にも読んでいたのに長い間に一般的な容姿への侮りや貂の毛皮の時代遅れさなど 末摘花を貶めて笑う風潮に感化されて私自身が末摘花の高貴さに気づかずにしまっていました 琴を弾くことの意味を知って読むということの大切さを痛感 光源氏はさすが皇室の人だから 上品さを理解し敬意を持ちます

 

9月28日

紫式部の漢籍の受容について考えていたら夜が明けてしまいました 本当はこのまま起きて続けたいけど 明日の朝食の支度ができなくなるからもう寝ます 陵園妾という漢詩は白氏文集の中の「新楽府 その37」 新楽府は50の詩篇から成っていて 紫式部はこれを中宮彰子にご進講したのですね

 

「陵園妾」は源氏物語の手習巻に引用されています 天子の陵墓に仕えて幽閉の日々を送る宮女を憐れむ詩 紫式部はこれをどのように中宮彰子に解説したのでしょうか 興味深いです 新楽府の中の諷諭の詩です

 

昨日から紫式部の漢籍受容について読んでいて そういえば末摘花巻でも漢籍は引用されていたかしらと 改めてこちらのご論考を見たら 新楽府のうちの諷諭詩「重賦」が使われていました 「幼き者は形蔽れず」と光源氏がうち誦じたまいます

 

段笑曄氏ご論考より: 白居易は重税の弊害を通じて官吏の貪欲と国政の暗さを風刺しているが、紫式部は物事の移り変わりによって、人間の儚さと悲しさを伝えているようである。 雪の中の女の小さな場面描写を通して、末摘花巻の全ての筋と末摘花の一生を纏めて描いている

 

9月29日

おはようございます 末摘花を読み終わったのですが 途中大分わからない箇所があり でも読み飛ばして最後まで読んだらそういう些細な言葉遣いのわからなさは全然問題なくイメージとして末摘花帖自体が記憶に残っている 原文は難しいとか一々全部を理解しなくてはより 読み通す事が大切と思いました

 

容姿や時代遅れさで貶められている末摘花は それだけが闊歩してどんどん侮られている昨今 でも読むととても上品で光源氏もこの高貴な姫君と言っている 読んでいてとても優雅な女性と思いました 私は現代はあまりにみんなが簡単に人を見下してしまう風潮が嫌なのですが 末摘花にもそれを感じます

 

原文の些細な箇所のわからないところは 本当にもう読み終わった今はどうでもいいことだったと思うのですが 一応また辿り直すのに そうだ 一回 谷崎源氏で読んでみようと思って出してきました 末摘花に限らず 源氏物語を読んだと思っていたのに 読み返したらとても新鮮でした

 

谷崎源氏は写真のように各ページに下絵があって素敵です 100de名著ウェイリー版源氏物語で安田登氏が末摘花の原文の韻律の素晴らしさを語られていて それで読んでいるのですが その韻律自体はよくわからなくてもすらすら読めてこれがそうかなあと 再読再三読してみて韻律を感じたいと思います

 

谷崎源氏は上欄に注があって 原文の「三の友にて」を谷崎は「琴と詩と酒とは北窓の三友などと白楽天も云つてゐるが」というふうに訳し 注にその詩が 原文を読んで三つの友が何かは察して読んだけど 白楽天だったとは とびっくり 知らずに読んでも痛痒なかったですが 知ればそれも楽しいです

 

9月30日

光る君へは見なかったのですがTLに流れてくる中宮彰子の源氏物語冊子作りの画像を見ていたら 華鏡の原稿が行成筆写本のところで止まっているのを思い出し 原稿に戻りたくなって池田亀鑑編著『源氏物語大成研究篇』を出しました 何気なく口絵を見ていたら定家の『奥入』が そして開かれている頁が

 

なんと「手習巻」に用いられている白楽天の新楽府「陵園妾」 紫式部の漢籍受容について丸山キヨ子氏『源氏物語と白氏文集』で読んだばかりの漢籍受容 私はもう他は目もくれないで源氏物語だけに深まって過ごしたい そんな気持ちです(万葉集もしなくてはならないからできないけど)

 

池田亀鑑編著『源氏物語大成研究篇』の第一章第一節が「一条天皇後宮における源氏物語の転写」 何度ここに立ち返って読み直すのだろうと可笑しくなりました

 

学生時代と違って何回読んでも忘れるから取り出す度に最初から読む 麗子本源氏物語の項を読みたくて開いていったら具平親王と源氏物語の項があり それを読んでいたら突然麗子本が登場 麗子は親王の孫でした また忘れてました笑

 

(系図の写真に)こういう関係です 華鏡の原稿が詰まっていたのは具平親王の母君の荘子女王を書こうとして それをどう具平親王に繋げるか悩んでいたのでした こんなふうに麗子本に繋がるのだったら それを書こうかな 荘子女王は紫式部の祖母の姪です

 

池田亀鑑編著『源氏物語大成』は古書で購入しました 貴重な書籍だから大切に読んでいたのだけれど 華鏡に入ったらそう呑気なことを言ってられなくなって意を決して黄色いマーカーを引き始めました 華鏡が終わったら私にはもう用がなくなるけど そうしたら何方か必要な方に差し上げたいのだけれど

|

« September 2024 | Main | November 2024 »