10月30日
RPさせて頂いたタティングレース 私も作っていた時があるので懐かしい 老後になって余裕ができたら再開したいと思ってまだ道具を持っているのですが それはまだ編みかけの途中で赤いレース糸を引きずっています 外はもう朝の時間だけれど 源氏物語に目を通していたら時間が経って 54帖って大変!
11月1日
TLにサントリーローヤルのランボー篇が流れてきて 好きだったからRTさせて頂いたのだけれど 当時それがサントリーローヤルのCMとは思ってなくてただ好きだった 最近父が残したウィスキー等お酒の瓶を見てたから あ あの瓶 とやっと結びつきました 写真は父の形見になっている瓶たちです
写真草創期のカメラマンだった父は写真サロンを主宰していて合評会など集まりをよく自宅で開いていました テキーラやブランデーやウィスキー等の瓶はその時のらしいです
古典の日というのに急に心が動かなくなって いつもなら公任の若紫やここにさぶらふ関連のツイートをするのに気持ちが湧きませんでした でもやっと せめて紫式部図をもってこの日を終わらそうと思い上村松園作を 終日家の片付けをしていたら気持ちまで片付いたのか華鏡に戻りたくなりました
今朝このツイートをRPして頂いて気持ちが荘子女王に戻ったのが大きい もう荘子女王の線で一目散に書いていけばいいのになんかうだうだして寄り道ばかりしていました でも古典の日なのに古典ということになにも気をとられる事がなくなって私自身が空っぽ だから気持ちよく華鏡に戻れます
【10月9日のツイート 『正訳 紫式部日記』で中野幸一先生は あれだけの長編を書くには紙を提供する庇護者がいなければ無理 だから庇護者は道長と倫子でこの二人のもとで完成とのこと でもこの論でいくと 私が思う女の童として荘子女王に出仕していてその後も庇護を受けていたとしたら紙の入手は可能 私は夕顔巻までは荘子女王のもとで書かれていてその後彰子に出仕し 一条朝でのリアルな宮廷生活を見聞しての後半の執筆と思っていて その線がどう成り立つか年譜を作ってみました 大まかにですがつかめた気がします でもとにかく思うのは紫式部研究における荘子女王の不在です 投入して見えてくること多いのに】
11月2日
家族が出かけて一息ついてTVをつけたら光る君へのアバン まさかと思って時計を見たら丁度一時 土曜日の再放送時間 一瞬迷ったのですが覚悟を決めて見ることに もう見ないと決めていたけれどなんとなくもう頑なは止めていいかと思っていたからこれも運命ですね笑 明日からまた見ることにします
私が光る君へを見るのを止めたのは源氏物語に対する姿勢に違和感あったからでした 枕草子の由来があれほど美しく映像化されたのに源氏物語は道長の命で書かれた仕事だと 世界に冠する文学というものになんてことを! と思ったからでした 最高峰の文学をこんなふうに扱うなんてと見ていられなくて
それからも源氏物語は光る君への中の登場人物の動きに作用するご都合主義の小道具扱いで本当に見ていられなかったのですが 先ほど見た再放送では先週見た方々のコメントでほぼ知っている内容だったからそう目くじら立てずに見られて それがよかったのかも
ほんとうに久しぶりに華鏡に戻りました プリントしてあった原稿が10月8日だからほぼ1ヶ月も詰まっていました 今はすらすら書けてもう寝なくてはいけないのにこのまま徹夜に突入したい気分 原稿は階下のPCで入力しているので今はタブレットに仮入力 書けるってほんと気持ちいい!
11月3日
文化の日の今日は亡き父の誕生日でもあるけど詩人の清水昶先生の日でも 私は現代詩は清水先生の詩塾で学ばせて頂いて ある日先生が黒板に生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死んで……と書かれてそれが私の空海との出逢いでした 清水先生は詩人というより哲人で多くの事を教えて頂きました
今日の光る君へは宇治十帖へのターニングポイント 見逃さないでよかった! 道長がまひろとの約束を違えないために無理して頑張って力尽きた時 まひろも源氏物語本編を書き終えてもう自分の役目は終わったと もう二人してこの川に流されてもいいとばかりに道まひが本来の道まひに還る そんな回
源氏物語の本編が終わったからもうドラマへの無理なこじつけがなく 道まひ本来の純粋な愛のドラマに戻って それが 純粋に よかった! です 私がもう見るのは無理と視聴を止めた時 ドラマの中で道長自身が無理をしていて それが私には苦しく見るに耐えなかったのだと そんな気がしました
11月4日
おはようございます RPさせて頂いた三条天皇妃 娍子をこよなく三条天皇が愛した史実は知っていましたがただ大納言の娘云々で済ませていました でも図を見たら師尹の孫 ん? となって検索 叔母に村上天皇女御の芳子がいます 美しくて村上天皇の寵愛を独り占めした方 娍子もだからなんですね
昨夜は光る君への余韻に引きずられて華鏡に戻れなくなりそうなのを断つために拝読中の瀬戸内寂聴訳源氏物語夕顔を読んで就寝しました 見れば余韻に引きずられる これが困るのですがもう残り僅か こんなに平安絵巻を堪能する機会はもうないでしょうから大切に見るしかないです あ〜あ です笑
このまひろさんの紫の装束 いいですね! やっと紫式部が紫式部になったという 中宮彰子に出仕していた時の赤い葡萄色の装束はまひろが紫の上だという事を表していました 紫の上が亡くなったらこの装束 宇治十帖はこうした事でももう本編とは覚悟が違う書かれ方をされるとわかります
光る君へが宇治十帖バージョンに入るなら私の瀬戸内寂聴訳源氏物語も呑気に本編にとどまっていたくないから 途中だった夕顔を急遽読み終えたのですが あれ? 夕顔ってこんな冗漫な文学だった? と唖然 夕顔の死の緊迫した切実感が全く湧かなくてびっくり やはり源氏物語は原文で読むべき? と
ただそれは夕顔は最近読んだ事もありで比較してしまったので 華鏡の必要から鈴虫を読んだら この帖はあまり覚えていないので現代語訳があらすじ的に楽に読めてよかった これから宇治十帖に入ろうと思うのだけれど 原文で読むか現代語訳にするか迷っています それにしても原文の芯の強さって何?
冗漫な文章と緊密な文章 凄く違いがわかります
瀬戸内寂聴訳源氏物語幻より: 十月はたださえ時雨がちになる頃です。源氏の院はいっそうもの思いに沈みこまれて、涙がちに夕暮の空の風情につけても、言いようのない心細さに〈神無月いつも時雨は降りしかど〉という古歌を独り口ずさんで、涙にお袖の乾く閑もないのでした。夫婦離れず空を渡る雁の翼も自分にあれば紫の上のいられる大空の彼方に飛んでゆかれるのにと、羨ましく見つめられるのでした。大空を通ふ幻夢にだに見えこぬ魂の行方たづねよ
源氏物語幻原文: 神無月は、おほかたも時雨がちなるころ、いとどながめたまひて、夕暮の空のけしきにも、えも言はぬ心細さに、「降りしかど」と独りごちおはす。雲ゐをわたる雁の翼も、うらやましくまもられたまふ。大空をかよふまぼろし夢にだに見え来ぬ魂の行く方尋ねよ
→瀬戸内寂聴訳と原文を対比してみました もう一件後半部分を中野幸一先生の正訳源氏物語を並べます: 空を渡っていく雁の翼も常世に通うものとつい羨ましく見守られなさいます。
光る君への本編完結として 前回は幻巻の最初の歌 今回に最後の歌でまとめたというコメントをTLで読んで幻巻を読みました この巻も現代語訳で十分と思ったのですが 原文はどうなっているのだろうと比べてみました そうしたら中野幸一先生の正訳が思い出されてこちらも 宇治十帖を読むのにどれに
しようと四苦八苦の思いでの読み比べです 原文がいい気が勝っているのですが 正訳にすれば原文に近い でもやはり瀬戸内寂聴訳本の装幀の豪華さは捨てがたい 大きな本で字面に余裕があるのもほんとうに楽 読み進むにはこの「楽」は捨てがたくやはりこれかな
11月5日
瀬戸内寂聴訳源氏物語鈴虫より: 十五夜の月がまだ姿を見せない夕暮に、女三の尼宮は仏前の縁近くにお坐りになって、もの思いに沈みながら念仏を唱えていらっしゃいます。若い尼君たちがニ、三人、仏前に花をお供えしようとして、閼伽の器を鳴らす音や、閼伽水を注ぐ音などが聞こえてきます。
原文: 十五夜の月のまだ影かくしたる夕暮に、仏の御前に、宮おはして、端近うながめ給ひつつ、念誦し給ふ。わかき尼君たちニ三人、花たてまつるとて、鳴らす閼伽坏の音、水のけはひなど聞ゆる。 ←鈴虫巻のここが好きで では寂聴訳と原文ではどうなっているのだろうと並べてみました 原文で読んでいたから
どうしても原文の歯切れの良さが忘れられず これから宇治十帖を読むのに寂聴訳にするか原文かまだ悩んでいます それにしても こうして引用して驚くのは紫式部の描写の凄さ細やかさ これは実際に見たことのある体験でしか書けないと思うのですが……
源氏物語を読んだのは学生時代 卒業して写真の道に進んでからは文学そのものとも離れ 源氏物語とも縁がなく過ごしていました 尾州家河内本源氏物語に出逢って研究を始めてもそれは関わった人達の歴史で物語の内容ではない だから今頃になって本文を懐かしく読み返しています 今更に味わい深いです