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2024.11.26 Twitter(X)から転載……大河「光る君へ」では紫式部が『源氏物語』を書き終えました。夢浮橋を読了して見たこの回、いつもより深く心に響きました

11月22日

紫式部がなぜどのようにして源氏物語を書いたかは言葉になるまで置いておいて 今日から私は華鏡に戻ります 写真は2003年撮影の称名寺阿字池 金沢文庫を創設した北条実時ですが 尾根をはさんで称名寺と隣接してありました 称名寺境内に自邸があり写真はそこから撮ったもの 実時の眺めた視点です

 

北条実時が鎌倉幕府第六代将軍宗尊親王のもとで 仙覚や源親行らと文学グループを結成しており そのなかで『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』ができた そして実時が『尾州家河内本源氏物語』夢浮橋末尾に奥書を残した そこまでが華鏡のストーリーです

 

11月23日

おはようございます 瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟を読み終えてすっかり気分がまとまりました 華鏡が動き出しそうです 構成は薔薇の名前のアドソの手記にならって玄覚の手記における仙覚の生涯 というふうに書いていますが 途中から私自身の推論を仙覚に語らせ それを聞いていた玄覚が手記に入れる

 

ことにしました そうしたらそれまで私自身の思いをどう玄覚の手記にいれるか難しく悩んでいたのが解消 で 気がついたのですが これ 夢浮橋で紫式部が浮舟の独白体で心理描写をしていた手法なんですね そう思ったら楽になって仙覚の言葉が長~くなりました笑 それまで遠慮がちに短かったんです

 

写真は2008年宇治市源氏物語ミュージアム 2008年の源氏物語千年紀はほんとうにそれまで密教に傾倒していた私を源氏物語に回帰させてくれたんですね 今思うと

 

華鏡の原稿に戻るにあたって机周りを整理していたら出て来た比企の方々から頂いた仙覚の資料 ここに至るまでまだ原稿は遠く仙覚が生まれる前の源氏物語辺りをうろうろしているのだけれど 気持ちが引き締まりました 仙覚について探り始めた当初の頃からの比企の方々による恩恵 大事な思い出と共に

 

右側のフォトブックは岩殿観音別当だった戸井田刑部の子孫の方から ここには仙覚の史跡として重要なところを示唆する写真がまとめられているのだけれど 私がまだ訪ねていない所もあって なのにその方はもう事故で亡くなられていてどう重要なのか資料もなくわからない いつか訪ねようと思っています

 

当分入力しないからと脇に追いやっていたノートPCを設置しました ここ何回か深夜に入力したくなって キーボードのない部屋に不便を感じていたからやっと 華鏡の原稿 荘子女王の項から再開です

 

11月24日

おはようございます 瀬戸内寂聴訳源氏物語が読み終わって私のステージが新たになり諸々執筆環境を整備したりして過ごしています 書けない書けないと枯渇を憂えていた日々 それを抜けたのは光る君へのお陰 一年間学ばせて頂いてあと4回 今日も視聴させて頂きます

 

今日は充実していました 今迄で一番かも

 

しっかり心理が描かれての進行だったからでしょうね

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語夢浮橋より: 女君を、誰か男が隠し住まわせているのかと、あらゆる想像をめぐらせ、御自分がかつて宇治に女君を囲い、心にもかけない状態で見捨てておおきになった経験からそうお考えになったとか。そう本には書いてあるようでございます……と、夢浮橋はこうして閉じられます

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2024.11.24 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳源氏物語、最後の帖「夢浮橋」を読了して茫然。紫式部は突き抜けたんですね!

11月22日

おはようございます 深夜 瀬戸内寂聴訳源氏物語夢浮橋読了 茫然自失状態で言葉がありません 何回も読んでいるのにこんなことは初めて 読み方が深まったというのでなく作者紫式部の心に即して読んだからと思います なぜ紫式部は源氏物語を書いたか それを知りたい一心で読んでいました

 

そう思って読んでいても夢浮橋帖までは気分は従来のままでした が 読了の最後の一句を見届けた瞬間茫然として・・・ 思ったのは宇治十帖がなかったらきっと源氏物語は世界に冠する文学にはなり得なかった 解説で瀬戸内寂聴先生は本編は道長のために書いたが宇治十帖は紫式部が自身のために書いたと

 

私もそう思いました そして寂聴先生は浮舟の出家の髪を削ぐところなどの精細な描写から 紫式部は出家していると これは新鮮でした 出家していられる寂聴先生ならではの視点 紫式部が出家を遂げていたなら嬉しいのですがそれは別として 夢浮橋を書き終わった紫式部に心を寄せたいと思います

 

紫式部がなぜどのようにして源氏物語を書いたかは言葉になるまで置いておいて 今日から私は華鏡に戻ります 写真は2003年撮影の称名寺阿字池 金沢文庫を創設した北条実時ですが 尾根をはさんで称名寺と隣接してありました 称名寺境内に自邸があり写真はそこから撮ったもの 実時の眺めた視点です

 

北条実時が鎌倉幕府第六代将軍宗尊親王のもとで 仙覚や源親行らと文学グループを結成しており そのなかで『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』ができた そして実時が『尾州家河内本源氏物語』夢浮橋末尾に奥書を残した そこまでが華鏡のストーリーです

 

紫式部は突き抜けたんだ! ふっとこの言葉が浮かんで涙ぐみそうになりました 浮舟は空蝉のバリエーションです 身分が低いばかりに不当な扱いをされる または正当な幸福を願えない 多分紫式部には空蝉を書いた当時から深い傷があって 同じ人間なのになぜ? というその不可解さへの答えを求めて

 

書いていた それが帚木三帖で それが見出されて中宮彰子に仕え光源氏物語の本編を書いた でも心の底にある根幹の不可解さの氷解にはならず宇治十帖に それでも答えは見出せないまま夢浮橋に その頃まで紫式部もまだ夢や憧れを捨て切れずにいて 薫を匂宮とは違う真面目で誠実な人間として書いた

 

けれど浮舟の独白体での真実の思いを書き連ねているうちに 紫式部自身が自分の中のまだ夢や願望を捨て切れない甘さに気づき 薫もただ自分が理想化していただけで 男なんてみんなこんなもの と諦観的に悟っての最後のあの薫像なのでしょう 諦観には源氏物語五十四帖というあの長い執筆が必要でした

 

天下の紫式部に自分を同化させて考えるのも如何かと思われますが 私自身過去に文学のことで潰された経験があり 世間に対してどうして?というその傷が不可解さへの追求となって書いているから 夢浮橋を読んでの紫式部の思いが痛切に伝わりました 書くことでしか解けない思いというものがあります

 

華鏡が資料も材料も揃ってあとは書けばいいだけとなっているのに簡単には書けずにいて長々と逡巡を繰り返しているのも 私自身がまだ私自身の中の何と闘っているのかを明確に掴んでいないから とわかっています きっと紫式部のように華鏡が最後の一句まで辿り着いた時にそれが明確になるのでしょう

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2024.11.22 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳源氏物語、手習帖で浮舟が出家し、残すところ最後の夢浮橋帖になりました

11月19日

浮舟について考えながら亡くなられたロシアのダンサーの方と永久メイさんのジゼルを観ていたのですが お二人のバレエ 本当に美しくて心が痛みました 人は誰でも誰にも伺い知れない苦しみを持っていますが 耐えきれないほどの孤独を抱えて生きているのは辛い 紫式部はなぜそれを書いたのだろうと

 

浮舟を読んでいて辛いなあと思うのは身分のこと とめどもなく浮舟を愛しながら匂宮も薫も大切にしているつもりで本当には大切にしていない 身分が低いからこの程度でいいという配慮 高貴な身分の姫君には絶対そんなことしないといった感じ これ この時代では当たり前のことで光る君へのまひろも

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語蜻蛉帖を読んでいて 浮舟が入水した宇治川の描写の辺りで仙覚がたしか万葉集注釈に解釈を載せていたのがここ?という箇所に出逢い 確認しようと検索していたら 昨年九月に鎌倉で講演させて頂いた記事を見つけました

万葉集と鎌倉@きらら大船 | 鎌倉市生涯学習センター「きらら」

 

鎌倉市の生涯学習センターでのご活動の一旦で招いて下さったのは大船の学習センターきらら大船でした あの講座のパワポを作っていて研究題目である西本願寺本万葉集と尾州家河内本源氏物語についての思考がまとまり 華鏡完成への自信に繋がったのでした あとは書けばいいのですがなにをうろうろ笑

 

きらら大船様の記事にあった講演会場でのパワポの写真を転載させて頂きます 映っているのは西本願寺本万葉集と尾州家河内本万葉集 私が自分で色とサイズを実物大で作ったものを並べて撮った写真です 二つの写本は大型のサイズも料紙も瓜二つ 私は勝手に双子の写本と呼んでいます

 

11月20日

写真は2012年に修学院離宮を訪ねたときのもの 瀬戸内寂聴訳源氏物語で最後の浮舟が横川の僧都に助けられて比叡山麓の小野の里に住むシーンに入りました 修学院離宮はまさにその比叡山の麓 小野の里ってこういう感じだったのかしらなど思います もっとこの辺り散策しておけばよかった・・・

 

大原寂光院の辺りももっと歩いておきたかったと今にして思うのですが 源氏物語や平家物語に浸っていたころ聖地巡礼の趣味にはならず 撮ってまわるようになったのは金沢文庫関連で密教に即してだから東寺とか密教関係の地ばかり やっと2008年の源氏物語千年紀で源氏物語に気が向いたのでした

 

11月21日

瀬戸内寂聴訳源氏物語 手習帖を読み始めたら浮舟は入水してはいなかったんですね 木の祠に蹲っているところを発見された この描写ですぐそうだったと思い出したのですが 最後に読んでから十年も経つと入水という語が定着してしまっていました 私は映画でもそうなのですが物語を覚えるのが苦手で

 

あと小野の里 本文に西坂本の小野の地とあり え では比叡山の麓のあの坂本の辺り?とびっくりして調べたら その坂本は大津市で そこから比叡山を挟んで西ということでした それは京都市左京区 まさに昨日写真をご紹介した修学院離宮のあるあの一帯でした

 

ふと気になって源氏物語の原文を見ました 西坂本とは書かれてなく比叡坂本と 西坂本は寂聴先生ならではの親切な現代語訳なのでした 今迄気にして読んだことなかったから与謝野晶子訳とか谷崎訳はどうだったでしょう 西坂本の語が変に現代的語感で気になったのでした

 

与謝野晶子訳では 比叡の坂本の小野という所 とありました 私は与謝野晶子訳に一番親しんでいるので たしか比叡の坂本だったと思っていたのですが やはりそうでした 西坂本は私には初めて聞く語感でした

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語が浮舟に入って ここまできたらもうわき目も振らず最後まで読み通そうとしているから日々浮舟のことしか頭にありません ブログも浮舟についてのコメントが多いのでいつもより早めに更新しました 今は小野の里 久しぶりに読書が楽しいです

 

手習帖で浮舟が出家しました 残りはあと最後の夢浮橋 そこに迫っているから緊迫しています 浮舟の心理描写が凄いのですが 浮舟の心理描写って独白なんですね 源氏物語が世界に冠する文学として認められるには心理描写の凄さがあるのですが 今迄心理描写に特化した文体について考えたことなかった

 

御法では紫の上の心理描写が凄いはずだけど あれはどういった文体だっただろうなど考えて 後で見てみます 心理描写って第三者が俯瞰的に解説するものというような思い込みがあったので 浮舟の独白体に気がついてインパクトを受けています

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2024.11.21 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳源氏物語、浮舟帖を読み終わりました。浮舟帖は小説としての出来映も五十四帖中若菜帖と並ぶ圧巻でどうしても読み落とせない名篇だそうです

11月15日

宇治十帖東屋巻を読んでいたらまた国宝源氏物語絵巻で見慣れたシーンが 異母姉妹中の君の二条院に身を寄せた浮舟が匂宮にみつかり言い寄られて困り果て やっと逃れられたところを中の君が物語絵を見せて慰めるシーン 匂宮が訪ねて来た時中の君は髪を洗っていたので迎えられず その隙の出来事でした

 

国宝源氏物語絵巻東屋は五島美術館所蔵です 宇治十帖後半の浮舟バージョン 息つぐ暇もなく読んでいますというくらい緊密 面白いです つくづく思うのは紫式部は幼くして母を亡くしその面影を求めて終生闘っていたのだなあと 求めて得られるものでないものを求め続ける虚しさとの闘いです だから

 

藤壺は母の面影を求めての恋だったし 紫の上は藤壺の 薫の浮舟への恋は大君の面影を求めて みんな 面影を求めて です ふつうの人だったら会ったその人の印象で恋に落ちるというそれがない 通底するのはこの世では叶わないということ それが紫式部の仏道への思いとも重なるのでしょう

 

国宝源氏物語絵巻 上は宿木一 下は宿木ニ 宇治の八の宮の姫君大君と中の君に恋する薫と匂宮ですが 現生では薫は今上帝から女ニ宮と 匂宮は夕霧から娘の六の君と結婚させられます それを知って大君と中の君は厭世感に囚われるのですが 絵巻は現生の方を描いていて絵巻中でも白眉の華麗さです

 

宿木一も宿木ニも徳川美術館所蔵です 絵葉書では部分ですが全体は今上帝と薫を 匂宮と六の君を 几帳を隔てて様子を伺う女房たちが画面の半分を占めて当時の宮中の様子を伺い知ることができます 今は光る君へでもう実際に動く群像となって見ていますが 学生時代に見ていたこの絵巻が私の世界でした

 

宇治十帖のうち前半の大君中の君バージョンを中断し 後半の浮舟バージョンに入ってしまいましたので ご紹介しそびれた華麗な宿木の絵巻をアップさせて頂きました

 

11月16日

瀬戸内寂聴訳源氏物語は東屋巻を終わり これで第九巻を終え最後の第十巻に 昨夜東屋巻で「田舎じみた簀子の端のほうに坐っていらっしゃいます」とあり ああ あれ と取り出しました 絵葉書は国宝源氏物語絵巻東屋 絵巻には学生時代から親しんでいたのに絵巻は美術としか思ってなく文章とこんなに

 

呼応し合っているなんて考えたこともありませんでした でも読むと絵巻の当該箇所が浮かんでくる 気がついていなかったけれど私の中には五島美術館や徳川美術館で見た国宝源氏物語絵巻があって 源氏物語を読み始めた時には最初からあのカラフルな情景が浮かんでいたんですね だから好きだったのかも

 

五島美術館も徳川美術館も毎年秋に所蔵絵巻の公開特別展をされますが 五島美術館の開館◯周年記念展では両館のを一挙公開されて これは四十周年記念の時のパンフに付いていた絵巻の概説 これによると絵巻は現在五十四帖全体の約四分の一が伝存 でもこれだけでも結構イメージを膨らせるに十分です

 

そして「絵は、あらすじや登場人物の特色を説明するものではなく、人物の心理を象徴する自然景物や、本文中の和歌が示す情景も一つの画面に描き出す」そうです なんと源氏物語の真髄を理解した上での制作 高度です!

 

宇治へは京からどれくらいかかるのかしら とずっと知りたく思っていて 瀬戸内寂聴訳源氏物語を読んでいると薫が宇治に着いてから帰りの車を京に迎えに寄越させたりして それ程遠くなさそうな気がしていたら 浮舟巻に 夕方京を出発するとその夜の十時から十二時には着く とありました

 

先日の光る君へではまひろが宇治に道長を訪ねていて そんなに簡単に行かれるのかしら など思ったのでした でも現実に紫式部は宇治を訪ねてますよね あの宇治の自然描写の繊細さ 道長の遊宴に付き添ったのでしょうか だから女性でも行かれる道筋と思っていい? 薫は道中ずぶ濡れになったとか

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟より: 水際の氷を踏み鳴らす馬の足音さえ、心細く、もの悲しく聞こえます。昔もこの宇治通いの恋の道だけは、こんな険しい山越えをなさいましたので、宇治とは、何という不思議な因縁の里だろうと、匂宮はお思いになるのでした。

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟より: 男は亡き大君との悲しいさまざまをお思い出しになり、女は女で新しく身に加わった辛く苦しい運命を嘆きながら、お互いに物思いに沈んでいるのでした。山のほうは霞がかかって、寒々とした洲崎に立っている鷺の姿も、場所柄のせいか、たいそう趣深く見えるのです……

 

この薫と浮舟のすれ違った心の悶々とした姿を描きながら 突然 山のほうは と自然描写の遠望に筆がいく これが紫式部の文体です この続きはさらに 宇治橋がはるばると見渡されて となり 紫式部の筆はどこまでも人間界を俯瞰しています

 

と 今夜の読書はここまで 一気に読み通したいけど いい文章に出逢えたから満足して

 

11月17日

おはようございます 瀬戸内寂聴訳源氏物語は最後の第十巻に入りましたが 函の絵が橋姫 もう済んだ帖なのにと惜しいけどきっとこの画家さんの最も華麗な作品を掉尾にあてたのでしょう 浮舟帖を読んでいて匂宮のクズ男ぶり 本編の光源氏の時は背後に光源氏自身の苦悩があったから仕方ないと許してた

 

でもそういう苦悩のない匂宮には酷いという思いしか湧かず これが現代で源氏物語が許せない文学とされるのもわかりました ただ文学はその先の深みがあるから それを読み取ったらそうはならないのに 現代は表面だけ見てのわかりやすさで判断しますものね 民主主義の世で育った若い世代には

 

更級日記以降私たちまで連綿と続く源氏物語への憧れが理解されないかもしれないし 糺弾される対象にもなりかねない そんな危惧を持ちました でもそこにあさきゆめみしがあり光る君へが始まった この両者があるから安心でしょう(匂宮の酷さというのは行動自体より会話の中に現れる人格が……)

 

夕暮れの空が綺麗 今夜は光る君へだけど・・・

 

動くと目眩がして気持ち悪いので何もすることなくじっとしていて時計を見たら 六時 BS光る君への時間 もう見ないと決めたのにまたこれも見なさいとの啓示?と思って見ました 演出が黛りんたろう氏の回 さすが眼福でした 望月の夜のシーン 見てよかったです

 

11月18日

昨夜の光る君へを見て瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟を読んでいた時のモヤモヤした思いが鮮明になりました 昨日匂宮のクズ男ぶりについて書きましたがそれに反応する中の君の気持ちが 自分が浮舟に会いたく思っているのどこにいるかも教えてくれないという匂宮に対して嫉妬してるからと思われるのが辛いと

 

中の君はあくまでも受身で怒ったり言い返したりしない 本心はひたすら自身の内に納めて表面上匂宮にとってのいい女であろうとする 紫の上もそうでした 私のモヤモヤはそれを当然の事として女である紫式部が書いていること 昨夜の光る君へでは入内させられた彰子たち道長の娘が堂々と道長に反論して

 

いました 更級日記以降源氏物語信奉者は紫式部日記にある紫式部の苦悩を中の君同様自身の内で認めながら でも光源氏や源氏物語に憧れてきた 光る君へのスタッフさん方はこの大河の企画で初めて源氏物語に接した方々という それが昨夜の反論するセリフになったとしたら こことても重要だと思います

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟帖を読了 寂聴先生の解説に小説としての出来映も五十四帖中若菜帖と並ぶ圧巻でどうしても読み落とせない名篇と その迫力に押されてどうしてこんなものを紫式部は書けたのだろうという思いが一層募りました だからこそ世界に冠する文学たり得ているわけですが

 

私はこの先の 入水した浮舟が横川の僧都に助けられて小野の里に住む以降の物語というか描写が好きなので これからが楽しみです

 

本を読む時間ってなかなか取れないですね 頑張って浮舟を読了しましたが そうすると没入した分日常に戻れなくなる 家事をしても家族と団欒していても心はどこか上の空で浮舟でたゆたっている このたゆたいを日常のことで遮断されることなく過ごせたら 華鏡ももっと進むのに と忸怩

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2024.11.20 Twitter(X)から転載……NHK大河「光る君へ」が終盤にさしかかって触発された『源氏物語』の再読。読んでいると国宝源氏物語絵巻で見慣れたシーンによく遭遇。絵巻は中学の頃から五島美術館で見て親しんでいるのでそこに文章が重ねる不思議な体験をしています

11月11日

宇治川 この両岸に夕霧の別荘(現平等院)と八の宮の山荘があるんですね 京から訪ねるには八の宮の山荘は楽だけど 夕霧の別荘には川を渡るために舟を使わなければいけないと椎本に 夕霧の別荘を訪ねた匂宮歓迎の管絃の音が八の宮の山荘にも遠く聞こえたと そして浮舟はこの川に・・・

 

宇治十帖についての解説を読みたくて図書館に 全集なら詳細な解説があるだろうと見たのですが 家にある山岸徳平先生校注の岩波大系を始め殆どが注的解説 中で新潮の古典集成が文章での解説だったので借りて来ました 拝読していて痒いところに手が届く的ご文章 何方かしらと見たら多分清水好子先生

 

やはりと思いました というかさすがと 学生時代源氏物語について知りたくなって読んだのが岩波新書の秋山虔先生『源氏物語』と清水好子先生『紫式部』でした 光る君へで初心に帰ってまた源氏物語を辿り直したくなりこの二冊を本棚から出して読み始めたのが今のこの宇治十帖探求に繫がっています

 

研究書はたくさん出ているし 知りたいことを知るためにはいろいろ沢山読まなければならないけど 心に残るとか心に突き刺さるご文章に触れる事はそうありません 研究者さんに文学者の要素を求めるのは違うけど おのずと文学者の要素を持っていられる方の解説って 嬉しいです

 

新潮日本古典集成『源氏物語』解説より: 第三部の主人公は薫と見做してよいであろう。源氏の物語である限り、光源氏の血を引く匂宮がまず話題になり、中略、紅梅の巻で、源氏の色好みの一面を写し取ったような匂宮の人物と、その宮廷社会における位置づけが書かれ……。薫はおのれの出生への疑問から、

 

政界における成功を望まず、出家遁世を願う人物という設定であるので、第一部のような物語は困難。しかし、物語は本来恋物語であるから、ここにまったく別途の構想が用意された。中略。薫が大君の同意があるまで、自分の気持を通そうとせず、ついに互いに無二の理解者であるにもかかわらず結ばれ

 

なかったのは、愛情の問題について、作者が厳しい道に分け入っていたことを示すものではないだろうか…… ←紫式部の人生は紫式部日記以降についての詳細はわかっていないから 40代に入った紫式部をこうまで突き動かす何かがあったかは知る由もない 光る君へのまひろさんでは解決つかない問題ですね

 

メモ: 新潮古典集成解説より (若紫という巻名は)物語の本文には一度も出て来ない。北山で少女を発見するくだりは、『伊勢物語』初段の「春日野の若紫の摺衣しのぶの乱れかぎり知られず」を踏まえていることを巻名によって暗示すると考えられている。

 

さびれた所に思いがけぬ美女を見出して恋をするというのも、当時の恋物語の類型であったことが、『源氏物語』の作中人物の言葉を通して推察できる ←紫式部がこういう考え方を持ったのが伊勢物語や以前からの読書によるものだったなら 宇治十帖の八の宮の姫君たちへの展開の謎も解けます

 

こんなに強く『伊勢物語』との関連を打ち出されている解説って初めてなのだけれど 後世になるほど周知の事実として書かれなくなっていって私の目に入らなくなった? 凄く謎

 

もしかして細かく注を読んでいたら書いてあったのかも 文学として物語を読んでいるから 文章を中断するような注には全然無関心でここまで来てしまいました

 

11月12日

新潮日本古典集成『源氏物語』解説より: けれども、人間やその内面が書けるためには、質的に違った動機や能力が必要。その意味において、『源氏物語』の文章の特色とされる和歌的技巧、縁語や掛詞、または引歌や出典の技巧も、ただ装飾性を追求したものではないであろう。人の心やあり方が、説明を

 

こまかく順序立てしさえすれば表現できるものではないことを知ったものなら、かならず何らかの象徴的手法を求めるはずである。象徴的手法は、見えざる世界、言語に捉えがたい世界の存在に気付いたものが選ぶ最も有効な方法である。暗示的であること、これが『源氏物語』の表現の特色であろう。

 

作中人物が対坐する場面に、かならずといってよいぐらい点じられる自然の風物、月光や風雨や樹木も、作中人物の個性や境遇の背景としての役割を荷なっている。この物語ほど、気候や天象を含めて人物が自然とともに描かれることは後世の追随的な作品にも模倣し切れなかったところである。中略。もろ

 

もろの事象の正確な関係を、説明ではなく、描写することによって、存在感や臨場感を出すことは作者の独壇場であった。たくさんの形容詞の適切な使用、「定まりゆく」「待ちとる」のような、複合動詞のさかんな使用も、正確な描写や叙述を可能にした作者の発明である。

 

11月13日

宇治十帖主人公の薫は光源氏の子ではなく女三宮の柏木との不義密通の子です 添付の絵葉書は国宝源氏物語絵巻柏木から光源氏が自分の子として薫を抱く微妙な場面 徳川美術館所蔵です ずっと宇治十帖を考えているのですが 薫は出生への疑問から厭世感に浸され仏道を志します でも出家まではできない

 

薫の決断力に欠けてうじうじする道心 これ 紫式部自身ですよね そう思ったら結構宇治十帖自体が紫式部が人生を賭けて仮託した物語なのだと思えてきました なぜ源氏物語は光源氏の物語なのに宇治十帖で血を継がない薫に主人公が移るのか それが謎だったのですが 紫式部が自分を投影するのに光源氏

 

の血筋などという不遜なことはできないと思っていたところに薫ならと気がついたのでしょう 光源氏の血は匂宮に任せて奔放さを描く 紫式部は本心では奔放に限りなく憧れている でも身分が低いとそれは成就しない それが浮舟であり空蝉でもありで 紫式部はずっと空蝉を引きずっていたのだと思います

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語は総角に入りました 瀬戸内寂聴訳: ……という一節を口ずさまれました。姫君たちは宇多帝の中宮温子の崩御の後に、女房の伊勢がその歌を詠んだ時も、きっと今のわたしたちのこんな悲しみと同じようだったのだろうと興味深くしみじみお聞きになったのでした。 原文: とうち誦じたま

 

へる、伊勢の御もかくこそありけめ、とをかしく聞こゆるも、 中野幸一先生正訳: とお口ずさみになられますのは、伊勢の御の悲しみもこのようなものであったのだろうと、興味深く感じられますにつけても ←宇多帝の中宮温子という史実がこんなところでと驚き 今迄どうだったかしらと原文を確認

 

宇治の姫君たちに薫が歌で呼びかけたのが温子の崩御の際に仕えていた伊勢が詠んだ歌 原文も正訳でもその史実の説明はなく ただわかる人はわかる という文章 それを瀬戸内寂聴訳では史実そのものを補って訳してられました 谷崎とか円地文子訳とか現代の作家さんたちの訳ではどうなってるのでしょう

 

11月14日

瀬戸内寂聴訳源氏物語が宇治十帖に入ってもなかなか進まないので浮舟に特化して読むことに 浮舟は最初宿木巻に中の君の薫との会話の中で登場します それで宿木巻を読んでいたらまた国宝源氏物語絵巻で有名なシーンに遭遇 徳川美術館所蔵です

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語宿木より: こんなふうだから、薫の君だって思い切れないのだろうと、疑いの念がいっそうつのり、恨めしく思っておいでなのでしょう。菊はまだ色もすっかり変わってはいず……←ここです! この転調! 疑いとか恨めしくなど人事を書いていると思っていると 菊は と突然の変調

 

紫式部の文章にはこうした転調がよくあって 私は遭遇する度にギクッと跳ね返りそうな気分になるのですが これがあるから源氏物語が日常生活を書いた駄文にならないんですね

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語は函がとても綺麗でそれだけでも持っていて宝物のよう 絵は石踊達哉という方で調べたら平成の琳派継承者と 寂聴先生ならではのこだわりだったのでしょう 浮舟が始まる宿木は全十巻のうちの第九巻 そしていよいよ第十巻の夢浮橋で源氏物語が終了します

 

なんだかとてもいよいよだなあといった感 本当にはるばる遠く来たんだなあと 何回も読んでいるけど今迄と違う読み方をしているから物語を読んでいるという感じはなく一緒に生きている感じ 源氏物語の中にというより紫式部とといった感じです 華鏡はラストのシーンがもう決まっていてそれは小川町で

 

遠くに聳える連山を眺めやっているシーン 夢浮橋のラストの影響と思っています なのでいよいよこれから夢浮橋と思ったら いきなり華鏡まで終了するかのような錯覚で 小川町から遠望する山なみが心に浮かんでいます 早くそのシーンまで辿り着きたい

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2024.11.13 Twitter(X)から転載…NHK大河「光る君へ」で紫式部の執筆が本編を終え宇治十帖に入るので、瀬戸内寂聴訳で読んでいる『源氏物語』も宇治十帖に。紫式部は宇治十帖をなぜどんなふうにして書いたのだろうがずっと頭から離れません

11月6日

深夜にツイートした源氏物語鈴虫巻の閼伽棚の文章は 五島美術館所蔵の国宝源氏物語絵巻にあります この絵で閼伽棚に水を注いでいるのは女房で 出家した女三宮は左上の柱の陰に じつはこの絵の女三宮は裳をつけていて それで裳をつけるのは女房だから女三宮ではないといわれてきました そう言って

 

しまえばそうなのですが 折角この場面を絵にしながら じゃあ女三宮はどこ?と探しても不在 でも柱の陰の女性は気品あって閼伽棚の女房とは別格 そんなことでずっと違和感を覚えていたのですが 深夜検索した中で倉田実氏が出家した女三宮は仏に対して仕える身だから裳をつけていておかしくないと

 

そうなら納得!と やっと長年来の曖昧さがとれて晴晴れしました 学界でどうなっているかはわかりませんが 私は倉田実氏の説で違和感が瓦解しました

 

11月7日

写真は藤田美術館蔵国宝紫式部日記絵詞

瀬戸内寂聴訳源氏物語橋姫より: その頃、世間からはすっかり無視されてしまい零落なさった古い宮さまがいらっしゃいました。故桐壺院の八の宮で、光源氏の君とは異腹の弟宮に当たられます。母方なども高貴な歴としたお家柄で、一時は、東宮にお立ちになりそうな

 

噂などもありました。それだけに時勢が変わり…… 原文: そのころ、世に数まへられたまはぬ古宮おはしけり。母方などもやむごとなくものしたまひて、筋ことなるべきおぼえなどおはしけるを、時移りて…… ←一気に宇治十帖を読んでしまおうと思いました それで宇治十帖最初の巻橋姫を その冒頭です

 

函も口絵の絵も豪華で サイズが大きく活字も大きい瀬戸内寂聴訳源氏物語がやはり読みやすくこちらで一気にと思います それで冒頭を原文と対比させたのですが 今迄八の宮を光源氏の異腹の弟とあまり認識していなかったのでびっくり で 原文を見たらその文章はない 瀬戸内寂聴訳にはこうした配慮が

 

11月8日

徳川美術館所蔵国宝源氏物語絵巻橋姫より: 姫君のお部屋に通う透垣の戸を、薫の君が押し開けてご覧になりますと、お部屋の簾が短く巻き上げられて、月に霧がたなびいている美しい空を眺めているお付きの女房たちの姿が見えます。中略。部屋の奥にいる姫君の一人が、柱に少し隠れて坐って、琵琶を前に

 

置いて、撥を手でもてあそんでいます。中略。その横に物に寄りかかっているもう一人の方は、琴の上に体を傾けて…… ←国宝源氏物語絵巻の中でも有名な段 琵琶が大君 琴は中の君です 大君が撥で月を招いたりして遊んでいるところを 宇治の八の宮(姫君たちの父)を訪ねてきた薫が垣間見しています

 

国宝源氏物語絵巻は名古屋の徳川美術館と東京の五島美術館にあります 五島美術館は今は田園都市線になっていますが 前は大井町線といって 私の実家から一本で行かれたので 学生時代に秋の特別展示には毎回通っていました だからとても目に馴染んでいます 徳川美術館にも何度か行ったし

 

昨夜瀬戸内寂聴訳源氏物語で橋姫を読んでいたら 突然 国宝源氏物語絵巻で見慣れたシーンの文章になってびっくり 突然 絵巻のあの絵が浮かんだのです 源氏物語は何度も読んでいるし 絵巻も見てる なのに文章が絵巻の絵となって浮かび上がった経験は初めて とても新鮮でした

 

11月9日

おはようございます 国宝源氏物語絵巻ではなんといっても御法巻が重要と思うのですがこちらは五島美術館所蔵です 実家からすぐ行かれる所だったから何回見たでしょう 宇治十帖を読んでいるから 御法巻はもうご紹介できないと思い 取り出しました 御法巻は詞書の料紙が凄いです

 

宇治十帖を読んでいると作風が違うから紫式部ではない別人説がありますが それは作家というものを知らない単なる理で考える人ですね 呆れます それより紫式部がなぜというかどんなふうにしてこの物語を書くに至ったか それが知りたくて昨夜からまた論文などを読みたくなっています 光源氏の本編

 

では姫君たちのモデル論とか該当する時代など考察が沢山あって作られ方が見えましたが 宇治十帖でモデルというと横川の僧都の源信くらい 浮舟のモデルって誰だろう 何をきっかけに造形されたのだろう ばかりが頭の中をぐるぐるです笑

 

秋霧の晴れぬ雲居にいとどしくこの世をかりと言ひ知らすらむ 源氏物語椎本より薫の歌 宇治十帖橋姫が終わって椎本に移りました 本編の紫の上が亡くなった後の幻巻のような椎本 大君中の君二人の父八の宮が亡くなったあとの時の移ろいの章でした それにしても本当に紫式部の筆のなんと細やかなこと

 

まだ当分浮舟は登場しないけど 宇治十帖に入って紫式部はなぜどうやってこの宇治十帖物語を思いついたのだろう が ずっと不思議で心にかかっていて そんな思いで読みに入ってどこかにその答えを引き出す何かがないかしらと隅々まで見渡しても物語自体が堅固でますます式部の凄さに圧倒されました

 

宇治の描写が精細で川風など臨場感があり 紫式部は絶対宇治を訪ねてますよね 越前に行ったのとは違う風景感季節感 道長の山荘だから何かの折には行く機会があったとして不思議ではないけど 春夏秋冬一年分の季節感は何度も行ってる? などいろいろ思いました

 

メモ: 紫式部 32歳中宮彰子に出仕 その頃までに源氏物語が評判になる程書く 36歳彰子敦成親王出産紫式部日記 40歳彰子皇太后式部引き続き出仕 41歳実資の彰子訪問取次訳・この頃までに源氏物語全編完成か 42歳紫式部没す←紫式部が宇治十帖を書く前に宇治をロケハンした可能性を探ったのですが

 

本編はほとんど宮中が舞台なので中宮彰子に出仕したりの見聞で書けたとも思うのですが 宇治十帖は読んでみて宇治の土地勘や季節の臨場感でそこで過ごした人ならではの描写にこれは想像で書けるものではないという思いが募りました 検索しても宇治十帖論ってあまり無いし……

 

そういえばウィキに参考文献が載っているはずと見たら 全部 宇治十帖は紫式部が書いたか別人かの論文ばかり 以前 宇治十帖は仏教感が強いとか読んだけれど そうした内容に関する論文ではなく 紫式部がなぜどうやって書いたかを考察する論文があったら読みたいのですが

 

11月10日

斎藤正昭氏『紫式部伝』は私が最も信頼をおく紫式部の評伝です このご著書に紫式部の祖母が藤原伊尹家の女房とあって私の構想が固まりました それでまた宇治十帖の執筆状況をどう書かれているか確認すると興味深いご考察をされています 宇治十帖は一条天皇を亡くした中宮彰子のために書かれたと

 

斎藤正昭氏『紫式部伝』より: 彰子の悲嘆ぶりを目の当たりにしていた紫式部は彰子の心を癒すべく『源氏物語』の執筆に励んだのではなかったか。これまで同様、巻の完成ごとに、おそらく彰子の御前で発表された『源氏物語』は、彰子の心の安定に一役買ったことであろう。

 

この状況! 光る君へで傷心の定子の心を癒すべく ききょうが春はあけぼの と 一枚一枚書いてはそっと差し入れていたあの美しいシーンそのまま 光る君へで源氏物語でもああいう美しいシーンを描いて欲しかったのに描かれなくても事実としてあったんですね

 

【メモ: 紫式部 32歳中宮彰子に出仕 その頃までに源氏物語が評判になる程書く 36歳彰子敦成親王出産紫式部日記 40歳彰子皇太后式部引き続き出仕 41歳実資の彰子訪問取次訳・この頃までに源氏物語全編完成か 42歳紫式部没す←紫式部が宇治十帖を書く前に宇治をロケハンした可能性を探ったのですが】←このコメントに斎藤正昭氏『紫式部伝』から付加すると 32歳彰子に出仕までに帚木三帖 36歳土御門殿での冊子作りまでに藤裏葉 39歳一条天皇崩御後から宇治十帖 41歳夢浮橋で源氏物語全編完成

 

宇治十帖が突然書き出され しかもその間ずっと彰子の女房として仕えたまま どこにも紫式部が宇治に泊りがけのロケハンをしただろう時間は見出されません 時々自宅に下がり出仕を促されてもなかなか出仕しなかった辺りで宇治を訪ねているかも

 

宇治十帖を考えていたら平等院が浮かび上がり そういえば道長は万葉集に造詣が深く 平等院の経蔵に万葉集が そして訓点を付ける作業の古点次点&仙覚の新点のうち 次点を付けている これ 華鏡ではパスしようと思っていたのですが やはり一章設けようと思います

 

11月11日

おはようございます 鎌倉にお住まいでいられる学会の先生からお電話を頂戴し 仙覚の小説はもう出たんですか?と 大分長く時間がかかっているから送って貰ってないかと思って電話したのだけどと ありがたくてここのところ独りで詰まっていたから気持ちが晴れやかになりました 頑張ります

 

先週の光る君へで宇治十帖に辿り着き やはり見るのもいいなと視聴を再開したのですがでももう離脱しようと決めました ここからどんどん人事の世界になってゆき 源氏物語の崇高さと離れるから このドラマはいいのだけれど根本のところで作家紫式部を捉えてない それをこれから掴みに華鏡に籠ります

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2024.11.11 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳で『源氏物語』の再読を始めています。原文で読むか、瀬戸内寂聴訳にするか大いに迷って・・・

10月30日

RPさせて頂いたタティングレース 私も作っていた時があるので懐かしい 老後になって余裕ができたら再開したいと思ってまだ道具を持っているのですが それはまだ編みかけの途中で赤いレース糸を引きずっています 外はもう朝の時間だけれど 源氏物語に目を通していたら時間が経って 54帖って大変!

 

11月1日

Lにサントリーローヤルのランボー篇が流れてきて 好きだったからRTさせて頂いたのだけれど 当時それがサントリーローヤルのCMとは思ってなくてただ好きだった 最近父が残したウィスキー等お酒の瓶を見てたから あ あの瓶 とやっと結びつきました 写真は父の形見になっている瓶たちです

 

写真草創期のカメラマンだった父は写真サロンを主宰していて合評会など集まりをよく自宅で開いていました テキーラやブランデーやウィスキー等の瓶はその時のらしいです

 

古典の日というのに急に心が動かなくなって いつもなら公任の若紫やここにさぶらふ関連のツイートをするのに気持ちが湧きませんでした でもやっと せめて紫式部図をもってこの日を終わらそうと思い上村松園作を 終日家の片付けをしていたら気持ちまで片付いたのか華鏡に戻りたくなりました

 

今朝このツイートをRPして頂いて気持ちが荘子女王に戻ったのが大きい もう荘子女王の線で一目散に書いていけばいいのになんかうだうだして寄り道ばかりしていました でも古典の日なのに古典ということになにも気をとられる事がなくなって私自身が空っぽ だから気持ちよく華鏡に戻れます

【10月9日のツイート 『正訳 紫式部日記』で中野幸一先生は あれだけの長編を書くには紙を提供する庇護者がいなければ無理 だから庇護者は道長と倫子でこの二人のもとで完成とのこと でもこの論でいくと 私が思う女の童として荘子女王に出仕していてその後も庇護を受けていたとしたら紙の入手は可能 私は夕顔巻までは荘子女王のもとで書かれていてその後彰子に出仕し 一条朝でのリアルな宮廷生活を見聞しての後半の執筆と思っていて その線がどう成り立つか年譜を作ってみました 大まかにですがつかめた気がします でもとにかく思うのは紫式部研究における荘子女王の不在です 投入して見えてくること多いのに】

 

11月2日

家族が出かけて一息ついてTVをつけたら光る君へのアバン まさかと思って時計を見たら丁度一時 土曜日の再放送時間 一瞬迷ったのですが覚悟を決めて見ることに もう見ないと決めていたけれどなんとなくもう頑なは止めていいかと思っていたからこれも運命ですね笑 明日からまた見ることにします

 

私が光る君へを見るのを止めたのは源氏物語に対する姿勢に違和感あったからでした 枕草子の由来があれほど美しく映像化されたのに源氏物語は道長の命で書かれた仕事だと  世界に冠する文学というものになんてことを! と思ったからでした 最高峰の文学をこんなふうに扱うなんてと見ていられなくて

 

それからも源氏物語は光る君への中の登場人物の動きに作用するご都合主義の小道具扱いで本当に見ていられなかったのですが 先ほど見た再放送では先週見た方々のコメントでほぼ知っている内容だったからそう目くじら立てずに見られて それがよかったのかも

 

ほんとうに久しぶりに華鏡に戻りました プリントしてあった原稿が108日だからほぼ1ヶ月も詰まっていました 今はすらすら書けてもう寝なくてはいけないのにこのまま徹夜に突入したい気分 原稿は階下のPCで入力しているので今はタブレットに仮入力 書けるってほんと気持ちいい!

 

11月3日

文化の日の今日は亡き父の誕生日でもあるけど詩人の清水昶先生の日でも 私は現代詩は清水先生の詩塾で学ばせて頂いて ある日先生が黒板に生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死んで……と書かれてそれが私の空海との出逢いでした 清水先生は詩人というより哲人で多くの事を教えて頂きました

 

今日の光る君へは宇治十帖へのターニングポイント 見逃さないでよかった! 道長がまひろとの約束を違えないために無理して頑張って力尽きた時 まひろも源氏物語本編を書き終えてもう自分の役目は終わったと もう二人してこの川に流されてもいいとばかりに道まひが本来の道まひに還る そんな回

 

源氏物語の本編が終わったからもうドラマへの無理なこじつけがなく 道まひ本来の純粋な愛のドラマに戻って それが 純粋に よかった! です 私がもう見るのは無理と視聴を止めた時 ドラマの中で道長自身が無理をしていて それが私には苦しく見るに耐えなかったのだと そんな気がしました

 

11月4日

おはようございます RPさせて頂いた三条天皇妃 娍子をこよなく三条天皇が愛した史実は知っていましたがただ大納言の娘云々で済ませていました でも図を見たら師尹の孫 ん? となって検索 叔母に村上天皇女御の芳子がいます 美しくて村上天皇の寵愛を独り占めした方 娍子もだからなんですね

 

昨夜は光る君への余韻に引きずられて華鏡に戻れなくなりそうなのを断つために拝読中の瀬戸内寂聴訳源氏物語夕顔を読んで就寝しました 見れば余韻に引きずられる これが困るのですがもう残り僅か こんなに平安絵巻を堪能する機会はもうないでしょうから大切に見るしかないです あ〜あ です笑

 

このまひろさんの紫の装束 いいですね! やっと紫式部が紫式部になったという 中宮彰子に出仕していた時の赤い葡萄色の装束はまひろが紫の上だという事を表していました 紫の上が亡くなったらこの装束 宇治十帖はこうした事でももう本編とは覚悟が違う書かれ方をされるとわかります

 

光る君へが宇治十帖バージョンに入るなら私の瀬戸内寂聴訳源氏物語も呑気に本編にとどまっていたくないから 途中だった夕顔を急遽読み終えたのですが あれ? 夕顔ってこんな冗漫な文学だった? と唖然 夕顔の死の緊迫した切実感が全く湧かなくてびっくり やはり源氏物語は原文で読むべき? と

 

ただそれは夕顔は最近読んだ事もありで比較してしまったので 華鏡の必要から鈴虫を読んだら この帖はあまり覚えていないので現代語訳があらすじ的に楽に読めてよかった これから宇治十帖に入ろうと思うのだけれど 原文で読むか現代語訳にするか迷っています それにしても原文の芯の強さって何?

 

冗漫な文章と緊密な文章 凄く違いがわかります

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語幻より: 十月はたださえ時雨がちになる頃です。源氏の院はいっそうもの思いに沈みこまれて、涙がちに夕暮の空の風情につけても、言いようのない心細さに〈神無月いつも時雨は降りしかど〉という古歌を独り口ずさんで、涙にお袖の乾く閑もないのでした。夫婦離れず空を渡る雁の翼も自分にあれば紫の上のいられる大空の彼方に飛んでゆかれるのにと、羨ましく見つめられるのでした。大空を通ふ幻夢にだに見えこぬ魂の行方たづねよ

 

源氏物語幻原文: 神無月は、おほかたも時雨がちなるころ、いとどながめたまひて、夕暮の空のけしきにも、えも言はぬ心細さに、「降りしかど」と独りごちおはす。雲ゐをわたる雁の翼も、うらやましくまもられたまふ。大空をかよふまぼろし夢にだに見え来ぬ魂の行く方尋ねよ  

→瀬戸内寂聴訳と原文を対比してみました もう一件後半部分を中野幸一先生の正訳源氏物語を並べます: 空を渡っていく雁の翼も常世に通うものとつい羨ましく見守られなさいます。

 

光る君への本編完結として 前回は幻巻の最初の歌 今回に最後の歌でまとめたというコメントをTLで読んで幻巻を読みました この巻も現代語訳で十分と思ったのですが 原文はどうなっているのだろうと比べてみました そうしたら中野幸一先生の正訳が思い出されてこちらも 宇治十帖を読むのにどれに

 

しようと四苦八苦の思いでの読み比べです 原文がいい気が勝っているのですが 正訳にすれば原文に近い でもやはり瀬戸内寂聴訳本の装幀の豪華さは捨てがたい 大きな本で字面に余裕があるのもほんとうに楽 読み進むにはこの「楽」は捨てがたくやはりこれかな

 

11月5日

瀬戸内寂聴訳源氏物語鈴虫より: 十五夜の月がまだ姿を見せない夕暮に、女三の尼宮は仏前の縁近くにお坐りになって、もの思いに沈みながら念仏を唱えていらっしゃいます。若い尼君たちがニ、三人、仏前に花をお供えしようとして、閼伽の器を鳴らす音や、閼伽水を注ぐ音などが聞こえてきます。

原文: 十五夜の月のまだ影かくしたる夕暮に、仏の御前に、宮おはして、端近うながめ給ひつつ、念誦し給ふ。わかき尼君たちニ三人、花たてまつるとて、鳴らす閼伽坏の音、水のけはひなど聞ゆる。 ←鈴虫巻のここが好きで では寂聴訳と原文ではどうなっているのだろうと並べてみました 原文で読んでいたから

 

どうしても原文の歯切れの良さが忘れられず これから宇治十帖を読むのに寂聴訳にするか原文かまだ悩んでいます それにしても こうして引用して驚くのは紫式部の描写の凄さ細やかさ これは実際に見たことのある体験でしか書けないと思うのですが……

 

源氏物語を読んだのは学生時代 卒業して写真の道に進んでからは文学そのものとも離れ 源氏物語とも縁がなく過ごしていました 尾州家河内本源氏物語に出逢って研究を始めてもそれは関わった人達の歴史で物語の内容ではない だから今頃になって本文を懐かしく読み返しています 今更に味わい深いです

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