2024.11.26 Twitter(X)から転載……大河「光る君へ」では紫式部が『源氏物語』を書き終えました。夢浮橋を読了して見たこの回、いつもより深く心に響きました
11月22日
紫式部がなぜどのようにして源氏物語を書いたかは言葉になるまで置いておいて 今日から私は華鏡に戻ります 写真は2003年撮影の称名寺阿字池 金沢文庫を創設した北条実時ですが 尾根をはさんで称名寺と隣接してありました 称名寺境内に自邸があり写真はそこから撮ったもの 実時の眺めた視点です
北条実時が鎌倉幕府第六代将軍宗尊親王のもとで 仙覚や源親行らと文学グループを結成しており そのなかで『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』ができた そして実時が『尾州家河内本源氏物語』夢浮橋末尾に奥書を残した そこまでが華鏡のストーリーです
11月23日
おはようございます 瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟を読み終えてすっかり気分がまとまりました 華鏡が動き出しそうです 構成は薔薇の名前のアドソの手記にならって玄覚の手記における仙覚の生涯 というふうに書いていますが 途中から私自身の推論を仙覚に語らせ それを聞いていた玄覚が手記に入れる
ことにしました そうしたらそれまで私自身の思いをどう玄覚の手記にいれるか難しく悩んでいたのが解消 で 気がついたのですが これ 夢浮橋で紫式部が浮舟の独白体で心理描写をしていた手法なんですね そう思ったら楽になって仙覚の言葉が長~くなりました笑 それまで遠慮がちに短かったんです
写真は2008年宇治市源氏物語ミュージアム 2008年の源氏物語千年紀はほんとうにそれまで密教に傾倒していた私を源氏物語に回帰させてくれたんですね 今思うと
華鏡の原稿に戻るにあたって机周りを整理していたら出て来た比企の方々から頂いた仙覚の資料 ここに至るまでまだ原稿は遠く仙覚が生まれる前の源氏物語辺りをうろうろしているのだけれど 気持ちが引き締まりました 仙覚について探り始めた当初の頃からの比企の方々による恩恵 大事な思い出と共に
右側のフォトブックは岩殿観音別当だった戸井田刑部の子孫の方から ここには仙覚の史跡として重要なところを示唆する写真がまとめられているのだけれど 私がまだ訪ねていない所もあって なのにその方はもう事故で亡くなられていてどう重要なのか資料もなくわからない いつか訪ねようと思っています
当分入力しないからと脇に追いやっていたノートPCを設置しました ここ何回か深夜に入力したくなって キーボードのない部屋に不便を感じていたからやっと 華鏡の原稿 荘子女王の項から再開です
11月24日
おはようございます 瀬戸内寂聴訳源氏物語が読み終わって私のステージが新たになり諸々執筆環境を整備したりして過ごしています 書けない書けないと枯渇を憂えていた日々 それを抜けたのは光る君へのお陰 一年間学ばせて頂いてあと4回 今日も視聴させて頂きます
今日は充実していました 今迄で一番かも
しっかり心理が描かれての進行だったからでしょうね
瀬戸内寂聴訳源氏物語夢浮橋より: 女君を、誰か男が隠し住まわせているのかと、あらゆる想像をめぐらせ、御自分がかつて宇治に女君を囲い、心にもかけない状態で見捨てておおきになった経験からそうお考えになったとか。そう本には書いてあるようでございます……と、夢浮橋はこうして閉じられます

