« 2024.11.22 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳源氏物語、手習帖で浮舟が出家し、残すところ最後の夢浮橋帖になりました | Main | 2024.11.26 Twitter(X)から転載……大河「光る君へ」では紫式部が『源氏物語』を書き終えました。夢浮橋を読了して見たこの回、いつもより深く心に響きました »

2024.11.24 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳源氏物語、最後の帖「夢浮橋」を読了して茫然。紫式部は突き抜けたんですね!

11月22日

おはようございます 深夜 瀬戸内寂聴訳源氏物語夢浮橋読了 茫然自失状態で言葉がありません 何回も読んでいるのにこんなことは初めて 読み方が深まったというのでなく作者紫式部の心に即して読んだからと思います なぜ紫式部は源氏物語を書いたか それを知りたい一心で読んでいました

 

そう思って読んでいても夢浮橋帖までは気分は従来のままでした が 読了の最後の一句を見届けた瞬間茫然として・・・ 思ったのは宇治十帖がなかったらきっと源氏物語は世界に冠する文学にはなり得なかった 解説で瀬戸内寂聴先生は本編は道長のために書いたが宇治十帖は紫式部が自身のために書いたと

 

私もそう思いました そして寂聴先生は浮舟の出家の髪を削ぐところなどの精細な描写から 紫式部は出家していると これは新鮮でした 出家していられる寂聴先生ならではの視点 紫式部が出家を遂げていたなら嬉しいのですがそれは別として 夢浮橋を書き終わった紫式部に心を寄せたいと思います

 

紫式部がなぜどのようにして源氏物語を書いたかは言葉になるまで置いておいて 今日から私は華鏡に戻ります 写真は2003年撮影の称名寺阿字池 金沢文庫を創設した北条実時ですが 尾根をはさんで称名寺と隣接してありました 称名寺境内に自邸があり写真はそこから撮ったもの 実時の眺めた視点です

 

北条実時が鎌倉幕府第六代将軍宗尊親王のもとで 仙覚や源親行らと文学グループを結成しており そのなかで『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』ができた そして実時が『尾州家河内本源氏物語』夢浮橋末尾に奥書を残した そこまでが華鏡のストーリーです

 

紫式部は突き抜けたんだ! ふっとこの言葉が浮かんで涙ぐみそうになりました 浮舟は空蝉のバリエーションです 身分が低いばかりに不当な扱いをされる または正当な幸福を願えない 多分紫式部には空蝉を書いた当時から深い傷があって 同じ人間なのになぜ? というその不可解さへの答えを求めて

 

書いていた それが帚木三帖で それが見出されて中宮彰子に仕え光源氏物語の本編を書いた でも心の底にある根幹の不可解さの氷解にはならず宇治十帖に それでも答えは見出せないまま夢浮橋に その頃まで紫式部もまだ夢や憧れを捨て切れずにいて 薫を匂宮とは違う真面目で誠実な人間として書いた

 

けれど浮舟の独白体での真実の思いを書き連ねているうちに 紫式部自身が自分の中のまだ夢や願望を捨て切れない甘さに気づき 薫もただ自分が理想化していただけで 男なんてみんなこんなもの と諦観的に悟っての最後のあの薫像なのでしょう 諦観には源氏物語五十四帖というあの長い執筆が必要でした

 

天下の紫式部に自分を同化させて考えるのも如何かと思われますが 私自身過去に文学のことで潰された経験があり 世間に対してどうして?というその傷が不可解さへの追求となって書いているから 夢浮橋を読んでの紫式部の思いが痛切に伝わりました 書くことでしか解けない思いというものがあります

 

華鏡が資料も材料も揃ってあとは書けばいいだけとなっているのに簡単には書けずにいて長々と逡巡を繰り返しているのも 私自身がまだ私自身の中の何と闘っているのかを明確に掴んでいないから とわかっています きっと紫式部のように華鏡が最後の一句まで辿り着いた時にそれが明確になるのでしょう

|

« 2024.11.22 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳源氏物語、手習帖で浮舟が出家し、残すところ最後の夢浮橋帖になりました | Main | 2024.11.26 Twitter(X)から転載……大河「光る君へ」では紫式部が『源氏物語』を書き終えました。夢浮橋を読了して見たこの回、いつもより深く心に響きました »