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2024.11.21 Twitter(X)から転載…瀬戸内寂聴訳源氏物語、浮舟帖を読み終わりました。浮舟帖は小説としての出来映も五十四帖中若菜帖と並ぶ圧巻でどうしても読み落とせない名篇だそうです

11月15日

宇治十帖東屋巻を読んでいたらまた国宝源氏物語絵巻で見慣れたシーンが 異母姉妹中の君の二条院に身を寄せた浮舟が匂宮にみつかり言い寄られて困り果て やっと逃れられたところを中の君が物語絵を見せて慰めるシーン 匂宮が訪ねて来た時中の君は髪を洗っていたので迎えられず その隙の出来事でした

 

国宝源氏物語絵巻東屋は五島美術館所蔵です 宇治十帖後半の浮舟バージョン 息つぐ暇もなく読んでいますというくらい緊密 面白いです つくづく思うのは紫式部は幼くして母を亡くしその面影を求めて終生闘っていたのだなあと 求めて得られるものでないものを求め続ける虚しさとの闘いです だから

 

藤壺は母の面影を求めての恋だったし 紫の上は藤壺の 薫の浮舟への恋は大君の面影を求めて みんな 面影を求めて です ふつうの人だったら会ったその人の印象で恋に落ちるというそれがない 通底するのはこの世では叶わないということ それが紫式部の仏道への思いとも重なるのでしょう

 

国宝源氏物語絵巻 上は宿木一 下は宿木ニ 宇治の八の宮の姫君大君と中の君に恋する薫と匂宮ですが 現生では薫は今上帝から女ニ宮と 匂宮は夕霧から娘の六の君と結婚させられます それを知って大君と中の君は厭世感に囚われるのですが 絵巻は現生の方を描いていて絵巻中でも白眉の華麗さです

 

宿木一も宿木ニも徳川美術館所蔵です 絵葉書では部分ですが全体は今上帝と薫を 匂宮と六の君を 几帳を隔てて様子を伺う女房たちが画面の半分を占めて当時の宮中の様子を伺い知ることができます 今は光る君へでもう実際に動く群像となって見ていますが 学生時代に見ていたこの絵巻が私の世界でした

 

宇治十帖のうち前半の大君中の君バージョンを中断し 後半の浮舟バージョンに入ってしまいましたので ご紹介しそびれた華麗な宿木の絵巻をアップさせて頂きました

 

11月16日

瀬戸内寂聴訳源氏物語は東屋巻を終わり これで第九巻を終え最後の第十巻に 昨夜東屋巻で「田舎じみた簀子の端のほうに坐っていらっしゃいます」とあり ああ あれ と取り出しました 絵葉書は国宝源氏物語絵巻東屋 絵巻には学生時代から親しんでいたのに絵巻は美術としか思ってなく文章とこんなに

 

呼応し合っているなんて考えたこともありませんでした でも読むと絵巻の当該箇所が浮かんでくる 気がついていなかったけれど私の中には五島美術館や徳川美術館で見た国宝源氏物語絵巻があって 源氏物語を読み始めた時には最初からあのカラフルな情景が浮かんでいたんですね だから好きだったのかも

 

五島美術館も徳川美術館も毎年秋に所蔵絵巻の公開特別展をされますが 五島美術館の開館◯周年記念展では両館のを一挙公開されて これは四十周年記念の時のパンフに付いていた絵巻の概説 これによると絵巻は現在五十四帖全体の約四分の一が伝存 でもこれだけでも結構イメージを膨らせるに十分です

 

そして「絵は、あらすじや登場人物の特色を説明するものではなく、人物の心理を象徴する自然景物や、本文中の和歌が示す情景も一つの画面に描き出す」そうです なんと源氏物語の真髄を理解した上での制作 高度です!

 

宇治へは京からどれくらいかかるのかしら とずっと知りたく思っていて 瀬戸内寂聴訳源氏物語を読んでいると薫が宇治に着いてから帰りの車を京に迎えに寄越させたりして それ程遠くなさそうな気がしていたら 浮舟巻に 夕方京を出発するとその夜の十時から十二時には着く とありました

 

先日の光る君へではまひろが宇治に道長を訪ねていて そんなに簡単に行かれるのかしら など思ったのでした でも現実に紫式部は宇治を訪ねてますよね あの宇治の自然描写の繊細さ 道長の遊宴に付き添ったのでしょうか だから女性でも行かれる道筋と思っていい? 薫は道中ずぶ濡れになったとか

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟より: 水際の氷を踏み鳴らす馬の足音さえ、心細く、もの悲しく聞こえます。昔もこの宇治通いの恋の道だけは、こんな険しい山越えをなさいましたので、宇治とは、何という不思議な因縁の里だろうと、匂宮はお思いになるのでした。

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟より: 男は亡き大君との悲しいさまざまをお思い出しになり、女は女で新しく身に加わった辛く苦しい運命を嘆きながら、お互いに物思いに沈んでいるのでした。山のほうは霞がかかって、寒々とした洲崎に立っている鷺の姿も、場所柄のせいか、たいそう趣深く見えるのです……

 

この薫と浮舟のすれ違った心の悶々とした姿を描きながら 突然 山のほうは と自然描写の遠望に筆がいく これが紫式部の文体です この続きはさらに 宇治橋がはるばると見渡されて となり 紫式部の筆はどこまでも人間界を俯瞰しています

 

と 今夜の読書はここまで 一気に読み通したいけど いい文章に出逢えたから満足して

 

11月17日

おはようございます 瀬戸内寂聴訳源氏物語は最後の第十巻に入りましたが 函の絵が橋姫 もう済んだ帖なのにと惜しいけどきっとこの画家さんの最も華麗な作品を掉尾にあてたのでしょう 浮舟帖を読んでいて匂宮のクズ男ぶり 本編の光源氏の時は背後に光源氏自身の苦悩があったから仕方ないと許してた

 

でもそういう苦悩のない匂宮には酷いという思いしか湧かず これが現代で源氏物語が許せない文学とされるのもわかりました ただ文学はその先の深みがあるから それを読み取ったらそうはならないのに 現代は表面だけ見てのわかりやすさで判断しますものね 民主主義の世で育った若い世代には

 

更級日記以降私たちまで連綿と続く源氏物語への憧れが理解されないかもしれないし 糺弾される対象にもなりかねない そんな危惧を持ちました でもそこにあさきゆめみしがあり光る君へが始まった この両者があるから安心でしょう(匂宮の酷さというのは行動自体より会話の中に現れる人格が……)

 

夕暮れの空が綺麗 今夜は光る君へだけど・・・

 

動くと目眩がして気持ち悪いので何もすることなくじっとしていて時計を見たら 六時 BS光る君への時間 もう見ないと決めたのにまたこれも見なさいとの啓示?と思って見ました 演出が黛りんたろう氏の回 さすが眼福でした 望月の夜のシーン 見てよかったです

 

11月18日

昨夜の光る君へを見て瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟を読んでいた時のモヤモヤした思いが鮮明になりました 昨日匂宮のクズ男ぶりについて書きましたがそれに反応する中の君の気持ちが 自分が浮舟に会いたく思っているのどこにいるかも教えてくれないという匂宮に対して嫉妬してるからと思われるのが辛いと

 

中の君はあくまでも受身で怒ったり言い返したりしない 本心はひたすら自身の内に納めて表面上匂宮にとってのいい女であろうとする 紫の上もそうでした 私のモヤモヤはそれを当然の事として女である紫式部が書いていること 昨夜の光る君へでは入内させられた彰子たち道長の娘が堂々と道長に反論して

 

いました 更級日記以降源氏物語信奉者は紫式部日記にある紫式部の苦悩を中の君同様自身の内で認めながら でも光源氏や源氏物語に憧れてきた 光る君へのスタッフさん方はこの大河の企画で初めて源氏物語に接した方々という それが昨夜の反論するセリフになったとしたら こことても重要だと思います

 

瀬戸内寂聴訳源氏物語浮舟帖を読了 寂聴先生の解説に小説としての出来映も五十四帖中若菜帖と並ぶ圧巻でどうしても読み落とせない名篇と その迫力に押されてどうしてこんなものを紫式部は書けたのだろうという思いが一層募りました だからこそ世界に冠する文学たり得ているわけですが

 

私はこの先の 入水した浮舟が横川の僧都に助けられて小野の里に住む以降の物語というか描写が好きなので これからが楽しみです

 

本を読む時間ってなかなか取れないですね 頑張って浮舟を読了しましたが そうすると没入した分日常に戻れなくなる 家事をしても家族と団欒していても心はどこか上の空で浮舟でたゆたっている このたゆたいを日常のことで遮断されることなく過ごせたら 華鏡ももっと進むのに と忸怩

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