2024.12.27 Twitter(X)から転載…眠らせていた『北条時頼と源氏物語』の原稿をNoteで連載しようと思いつき、試行錯誤の結果こちらのブログにアップして、そうしたらこれを『華鏡』と合体させて一冊にするのがいいと思いつくまで。光る君への最終回が終わった直後からの長い転載です。
12月12日
唐突ですがNoteを始めようかと 料理していて突然思いつきました 私にはまだ発表していない原稿がたくさんあります 華鏡が終わったらとか逐次華鏡に組み入れてなどいろいろ考えていましたが どうも華鏡は膨らむばかりで終息が見えない なのでそれらの原稿をどこかで発表できないかしらと考えたら
不意にNoteがいいのでは? と 今迄kindle一本でやっていこうとばかり頑なに思っていました でも 光る君への呪縛がはずれたらその頑なさも緩んだみたい笑 まだやり方とかなにもわかっていませんが これから調べて登録して原稿を載せていこうと思います まず「北条時頼と源氏物語」からかなあと
「北条時頼と源氏物語」は結構長い作品です いつかkindle出版したいと考えていました 時頼と源氏物語というと唐突な組み合わせに見えますが 六代将軍宗尊親王を鎌倉に招聘したのが時頼です そして蘭渓道隆と建長寺との関係も同時進行します そんな原稿 読んで頂けると思うと楽しみになりました
六代将軍宗尊親王の時代に源親行の『尾州家河内本源氏物語』と仙覚の『西本願寺本万葉集』がつくられました 華鏡最終章の着地点です
「北条時頼と源氏物語」のデータを確認したら当時挿入した系図がありました こういう内容の原稿です という意味でポストさせていただきます ①安達氏 ②北条氏 ③将軍家と執権家 ④藤原道家と鎌倉の関係
12月13日
建仁寺の勅旨門はかつて平重盛邸にあった館門を移築したもので扉や柱に矢の疵があり平家の時代の痕跡です 「北条時頼と源氏物語」の原稿を見直していて 第一章時頼六波羅で誕生の項にこの記述が 一応完結した原稿なのでそのままNoteに載せようと思ったのですが 十年前の原稿にはやはり推敲が必要に
今日は終日「北条時頼と源氏物語」の原稿見直し 藤原定家は有名人だけど源光行はあまり知られてない 時頼は認知度はあっても巷的に魅力ある人物とは思われてない そういう人たちばかりの原稿のどこが面白いか危ういだけしかないのだけれど この原稿に浸っていて私には至福の時間でした
この原稿 今これを書けといわれても書けない 書こうとしても資料から見直さなければならないし その資料さえどこに埋もれているか やはり今この原稿自体を大切にしなければと思いました 定家と光行が出るのは青表紙本源氏物語と河内本源氏物語について書いたから 定家の青表紙本源氏物語ができた
時に時頼は京都で生まれたばかり 時頼の両親の六波羅探題北方時氏と松下禅尼夫妻は定家と仲が良く交流していました もしかして夫妻が赤ちゃんだった時頼を抱いて定家を訪ねたりして そこにできたばかりの青表紙本源氏物語があったら 夫妻と時頼は鎌倉人で最初に青表紙本源氏物語を見た人になります
そんなことを想像しながら書いているから楽しいんです
積翠園はかつて平重盛の邸だった小松殿の庭園が現存する庭園です 私が訪ねた時はまだ武田病院の中庭でした 今は病院が取り壊されてフォーシーズンホテルになっています 庭園は壊されずホテルになっても見られているそうです 北条時頼と源氏物語の旧原稿にはこんな写真が挿入されていました
12月14日
Noteに挙げる予定の『北条時頼と源氏物語』第一章時頼・六波羅で誕生の項の原稿見直しをほぼ完了 今日中にアップしたくて頑張ったのですが無理でした笑 18章あるから毎日一章としても18日間 見直しに二三日かかるとしたらその倍か3倍 年内には終わりませんね まさかこんな事になるとは
写真の絵葉書は平家納経提婆品 この第一章は時頼が四歳まで京の六波羅で育っていて そこはかつて平家一門の邸宅があって そこはかつて河内本源氏物語の源光行が平家に仕えて暮らしていた所 ということで平家納経の絵葉書を出してみました
思いがけずこんなところで定家光行ふたりの青表紙本源氏物語と河内本源氏物語についてのお浚いをすることになるなんて思っていませんでしたが 十年前はこの視点で必死だったんですね 仙覚の小説に移行して忘れ去っていたことでした 初心に返れて新鮮です 華鏡にもきっといい影響になると思います
12月15日
おはようございます 写真は京都東山の麓にあった積翠園 かつての平重盛邸 小松殿の今に残る庭園です 2011年に訪ねた時は東山武田病院の中庭でした 今は廃院になってフォーシーズンズホテル京都になっています 北条時頼と源氏物語の原稿第一章でこれを書いて 原稿は昨夜もう完全と思ったのにあと
一回と思って見なおしたら突然今迄と違う文章で訂正が入ってびっくり これが書けるようになったんだ と嬉しかったです どんなに頑張ってもかつての筆力が戻らない だから書けただけの原稿で間に合わせるしかない という状況がずっと続いていました 仙覚の小説を始めてからです 無理して書いて
いたんですね 時頼と源氏物語の原稿は書きたくて書いていた だから見直していて楽しいし至福でした 何より文章に躍動感がある 十年も前のだからそれ以降解明できたことも組み入れて そんなことをしていたら突然文章が湧き出でるように 過去の原稿って当時の勢いを取り戻す最適な方法ですね
写真は鎌倉の夜の海 Noteの件ですが私事で全然とりかかれず深夜になって皆様の記事を拝見したり公式での仕様を読んだりしているのですが 使い始めればブログやX同様慣れると思います でもなんだかXと似た感じの交流が前提にあるようで 私みたいに完全に作品だけアップしていくというのは違うみたい
作品だけを載せていくとなるとやはりkindle出版になるのかなあ など考えています と 今 ふと思ったけど FBページになら載せられるかなあ・・・ 第一章を仕上げてみて このまま全章をNote用に仕上げるなら kindle出版に漕ぎつけられます 鎌倉の夜の海は今の心境です笑
12月16日
「『北条時頼と源氏物語』第一章 北条時頼・六波羅で誕生」をブログに載せました
FBページ【仙覚取材ノート】に投稿してみたのですが そのアドレスをこちらにコピーできないので ブログに載せてみました 「ブログを更新しました」で毎回皆様に見て頂いているので ブログでの連載が落ち着くかも
12月17日
おはようございます 唐突ですが突然悟りました 私は竹西寛子さんみたいな文学者になりたかったのでした それが『尾州家河内本源氏物語』に出逢ってしまったために論文を書き今は仙覚という小説まで 随筆家としての文章を書く機会がなかったから苦しかったんですね 北条時頼と源氏物語が楽しいのは
束縛のない状況で自由に書いていたから論文でもなく小説でもない ではなんだろうと考えて そうだ 竹西寛子さんの世界だ! と思い当たったのでした Noteの件で迷走しましたが 新しいSNSは止めます ブログ一本に絞って時頼と源氏物語を完走させ まとめてkindle出版にします 新しいmixi2も考えた
けど 以前投稿していたmixiでは素敵な相互さんもたくさんいらしたのに突然規約改定になって 投稿した記事の著作権はmixiのものと 即座に撤退しました 今度の2はその辺りどうなのでしょうね でももう決めました ブログオンリーと 今日は時頼の第二章ファーストレディ松下禅尼にかかります
写真は上東門院彰子さまの経箱 円仁の如法経を比叡山横川に埋納するプロジェクトに協力された時のものです 光る君へではここまで描かれなかったけど 国母たる自身は国の安寧を祈るものと厳しく心に刻み付けられていたみたいで好きなエピです 『北条時頼と源氏物語』第二章ファーストレディ松下禅尼
の旧原稿を見直していたらこのエピが書かれていました 十年も前の原稿だからどんなことを書いていたかすっかり忘れていて こういう逸話は覚えているのですがどこに書いたか覚えてなくて 今見たら ここだった! となっています笑 松下禅尼は経時時頼というふたりの執権の母ですから国母という立場
が同じ上東門院彰子さまを崇敬してました これも無住の『雑談集』にあるエピです 松下禅尼が彰子さまを知っていたのが不思議ですが これは六波羅探題北方時氏の妻として六年間在京し ファーストレディとして京の公卿らと対等に暮らしていたのですから 当然源氏物語も読んでいたでしょうね
松下禅尼というと徒然草で障子を張るつましい老尼のイメージしかない方が多くいられると思いますし 私もそうでしたから ファーストレディとしての彼女の存在を知ったときは驚きでした その驚きの新鮮なままに書いたのがこの第二章です
12月18日
もうずっと頭から離れないので呟くのですが 北条時頼と源氏物語の筆法で仙覚の小説を書いていたらとっくに完成してたかも 随想はある意味自動筆記 紫式部の源氏物語にもそれを感じます だからするすると書ける でも小説はツクリモノ 私はそこに作為を感じてしまってダメ 華鏡 書き直したい位
源氏物語の文章は現代語でいうとですます調と思う 決して だ の断定にはならない 私はですます調だと自然に書けるし流れていくのですが 仙覚の小説はですます調では歴史の主人公で男性だからそぐわないし 玄覚の語りと決めたからどうしても だ で書くしかなくそうしていました だから苦しくて
12月19日
松下禅尼は頼朝のご落胤説がある安達景盛の娘です 私が住む三鷹は徳川家の鷹狩場でしたから 土地の名家にはご落胤説のある家が残っています そこのお嬢さんと一緒に仕事をしていた時 そのご落胤説が如何に彼女にとって栄光で憧れだったかをまざまざと見ました 源氏物語に憧れた更級日記の作者が
こうだったのだろうなと思って見ていましたが 松下禅尼の生い立ちを知って彼女を思い出し 松下禅尼もまた頼朝のご落胤の娘という自分に陶酔する少女時代を過ごしたのではないかと 後年六波羅探題北方の妻となって在京し 京の公卿や宮中の方々と交わり 藤原定家と交流して 源氏物語を読まなかった
訳はないんですよね しかも彼女が在京していた時に定家の青表紙本源氏物語が完成しています 北条時頼はその時代に生まれて定家一家と交流していた時四歳でした 時頼と源氏物語はこんなにも密接に因果関係で結ばれています
そういえば16日は鶴岡八幡宮の御鎮座記念祭でした 800年絶えず続けられているとか 頼朝について調べていたころ何回か通い寒風に堪えての幽玄な世界に魅せられました 北条時頼と源氏物語の原稿第二章ファーストレディ松下禅尼を見直しています みんな過去のことになって今は総まとめでしょうか
今ごろになって松下禅尼を振り返るなんてと もうみんな忘れ去ってしまった過去のような気分です だからこそ発掘した原稿を大事に公開させてあげなくてはと思います
北条時頼と源氏物語は家族も知らない原稿で 今日初めて今やってるのは華鏡ではなくこれなのと話したら驚かれて どうして本にしておかなかったの?と 私も今にして思えばそうなのですが 当時は鎌倉の源氏物語の活動で大変でしたからとても気がまわる状況ではなく ただただ書いていて楽しかった
北条時頼と源氏物語第二章ファーストレディ松下禅尼 ほぼ見直しが終わりました 明日プリントしてもう一回見直しをして そうしたらアップします 読んで頂いてどうかわかりませんが自分で見直していて本当に楽しい 久しぶりです原稿に向かっていてのこの嬉しさ
写真はその第二章ファーストレディ松下禅尼の項の参考文献 この頃こういうのばかり読んでいた と こんなところさえ懐かしく楽しい この原稿を思い出してよかったです たぶん私自身が蘇っています
12月21日
『北条時頼と源氏物語』第二章ファーストレディ松下禅尼は 時頼の母松下禅尼の六波羅探題北方妻としての華やかな時代の中で 『源氏物語』を通して中宮彰子を知り 同じ国母としての立場から尊敬するという内容です 「第三章 第三代執権泰時と北条時頼」はこれから推敲に入るのですが 年内にアップできるでしょうか
光る君への中宮彰子さん 見上愛さんがとても好きでした あの方に演じて頂いて最高でした 光る君へでは描かれませんでしたが仏教への信仰が篤く 原稿ではそれを書きました 写真はその彰子さんの造った美しい経箱 道長の金峯山に埋納された経筒とともによく展覧会に出られます
「第三章 第三代執権泰時と北条時頼」では竹御所が登場します 竹御所は四代将軍頼経の正室ですから執権が泰時の時代だったんですね 父は二代将軍頼家 初代頼朝には勝長寿院 三代実朝には大慈寺 なのに父には菩提を弔う寺院がないと泰時に命じて建立に奔走させるのが痛快です 正室の権威を借りて
『北条時頼と源氏物語』の原稿はもう十年も前に書いたものだから 起承転結を時代として覚えているくらいで詳細をすっかり忘れていることが判明 自分で書いたのにと驚いています それで推敲のために原稿を開いて こんなことを書いてたんだ! とか これ ここに書いていた! とその度にびっくり笑
12月22日
『北条時頼と源氏物語』第二章松下禅尼をブログにアップしましたが ふと 当時の天皇はどなただったかしらと気になって検索 後堀河天皇でした 六波羅探題北方は天皇の警固にもかかわりますから 松下禅尼の夫時氏が仕えたのは後堀河天皇 承久の乱で後鳥羽院順徳院が流され
仲恭天皇が廃されて即位されたのが 高倉天皇皇子のそのまた皇子の後堀河天皇 この辺り歴史に疎いからうっかりどの天皇の御代かを入れ忘れてました 新古今集とか文学的事件とかかわった天皇は把握できているのですが 松下禅尼は後堀河天皇朝廷の女御さま方々と親交してたのですね
12月23日
写真は光る君への紫式部が中宮彰子さんに新楽府の進講をしている画面 終わってしまったのが嘘のようで懐かしいですね 北条時頼と源氏物語の原稿第二章に松下禅尼が彰子さんを敬愛していたことを書きながら この進講エピも入れました 今日は第三章三代執権北条泰時の旧原稿を見直しているのですが
この時代に仙覚が登場するのでそれも書いています なにしろ仙覚と時頼の父時氏が同じ比企の乱の年生まれなんです で 必要上仙覚をさらっと入れたのに 入れたらこれもこれもとどんどん湧いてとてもさらっとにはならない そしてさらっと終わらせられないなら・・・となった時 え! もしかして
これ 華鏡の第三部 終章にできるのでは? の思いが湧いてしまいました 目下四代将軍頼経と竹御所が結婚したところを見直しています 今後新たに華鏡終章を書くとして この時頼の原稿ほど綿密に時代を書き起こせるとは思わない 今迄できるとばかり思ってたけど もうこれは書けないです
光る君へ 終わってしまって改めて映像が美しかったなあと 一年間平安絵巻を通しで見られて至福でした そして思うのは次に是非 万葉集 でこれをやって欲しいと こんなに源氏物語や枕草子和泉式部日記蜻蛉日記更級日記が視覚に入って生きてくるなら 大伴家持橘諸兄聖武天皇光明皇后もそんなふうに
そういえば柿本人麻呂が主人公のドラマってありました? 梅原猛さんの水底の歌 あれがドラマになったら面白いのに 梅原猛さんは京都駅の新幹線改札内ですれ違ったことがあります でも水底の歌を読んだのはその後で 紫文幻想を読まれた鎌倉ペンクラブの方が水底の歌を彷彿とするんだよなあと仰って
12月25日
『北条時頼と源氏物語』第三章第三代執権北条泰時を年内にブログにアップしてしまおうと頑張っています 写真は建長寺様の牡丹 季節が違うけど華やかな雰囲気として気分昂揚に
この原稿の見直しをしていることで本来の自分の文章が甦ってきています 華鏡の原稿 あとは人称の解決だけ
遅筆だけど 遅筆過ぎるけど 私にはこの累積された時間がとても大切に思えてきました
急いでブログに『北条時頼と源氏物語』第三章 第三代執権北条泰時と北条時頼 をアップしました ワインを飲んだあとでふつうならダウンしてしまっているのですが とにかく早く手放したくて なので見直しが必要なところもあるかもです(文字の検証レベルで大筋に違いはありませんのでご容赦を)
写真は鎌倉市宇都宮逗子御所跡の宇都宮明神 四代将軍頼経の御所でした 清川病院の脇を入った奥にあります この章は竹御所と頼経の結婚がメインで そこに仙覚が絡んできます
12月26日
大変なことを思いついてしまいました 第三章までブログにアップした北条時頼と源氏物語の原稿 それに今迄書いていた仙覚が生まれるまでの華鏡の原稿を前につけて編集したら 華鏡として一冊になるのでは と 華鏡は第一章に紫式部の源氏物語を入れ始めたから終わらなくなっているのでそれを排除して
紫式部の源氏物語については別の一冊として 源氏物語の写本についてまとめます そうすれば今迄悩んでいた語り手の人称問題が解決するし 人称は 玄覚の語りで始めてるから男性視点で書かなくてはならず それが苦しかったのだけれど 時頼の原稿なら玄覚の語りでも大丈夫 やってみます
私の中では仙覚の世界と紫式部の世界が同時にあって 仙覚と万葉集を書くのは男性言葉で客観的に書ける でも紫式部の源氏物語を書くと私自身の思いが溢れてくるから男性言葉では無理 それで華鏡第一章が迷走して停滞していたのでした 紫式部の源氏物語への憧れは華鏡では書けないと悟りました