2025.1.31 Twitter(X)から転載……タウンニュース鎌倉版連載コラム『鎌倉と源氏物語』の見直しを終えて
1月28日
私事でなかなかタウンニュース鎌倉版コラム『鎌倉と源氏物語』のブログへのアップができませんでしたが やっと更新 気分いいです とはずがたり二条の登場回はこれで終わり 次回から仙覚が登場して鎌倉の万葉集の話になります 写真は建長寺様 鎌倉禅研究会終了後の西陽を浴びた伽藍です
なんかとても大変な一週間でした 今朝はまだ乗り切れるか不確かだったけど今はもう大丈夫 生きていることは大変だけど そういうことのない日々を過ごしたく思うけど それがあるから書くことが深まる 書く人は業が深いです 野生のアイリス 拝読したいのを抑えていたけど華鏡を一旦置いている今
思い切って購入しました 家族が寝静まって封を開いて取り出して 帯の訳者あとがきよりを読んだら胸が詰まって これ 私だ と 書けない日々を過ごしてきてやっとここに来て書けそうになっている そんな時にこのご本 大切に読ませていただきます
なんか ふと タウンニュース鎌倉版コラムの見直しが終わりそうになってきて 華鏡に戻りたい気が満ちてきているような
1月29日
先程ブログにアップしたタウンニュース鎌倉版コラム『鎌倉と源氏物語』の第28回に書いた埼玉県比企郡小川町にある穴八幡古墳です 『新編武蔵風土記稿』増尾村の項に詳細があるのですが この古墳の入口に宗尊親王の文字があったと 古墳自体は古いものですが 中世鎌倉時代の誰がここにそんなことを
この辺り 目下書いている『華鏡』の最終部分です 宗尊親王の文字を張り付けたのは・・・も類推して書きます 仙覚の没年に近いころだから この辺り古墳から歴史への興味が湧いた私には鎌倉よりはるかにロマンの色合いが強くて早くここまで辿り着きたいです笑 写真はここから見おろした小川町遠望
朝 タウンニュース鎌倉版コラムの件で比企のことを呟いてから比企への郷愁が蘇って終日心豊かに過ごしました それにつけても対照的に浮かび上がるのが鎌倉 当時も例えば高峰顕日が権力と繋がる鎌倉の仏教界を嫌って那須雲巌寺に籠もったとか 夢窓疎石がどんなに覚山尼から要請を受けても横須賀の
泊船庵から出なかったとか 鎌倉の権力支配は顕著だった たぶんその傾向は今もあって それで私は利権構造というものを見たし学んだわけだけれど 比企は対照的にそういったものが一切ない 守邦親王もそれで守られたのでしょうし 晩年の仙覚も大変だった生涯の最後を比企で過ごして幸せだったと思う
仙覚の生涯を主軸にして鎌倉の源氏物語と万葉集を書く華鏡ですが やはり生涯の最後だから最終章は比企 何回通ったかわからないくらい訪ね歩きましたが 撮った写真に思いを重ねてまた華鏡の世界に戻ろうと思います 明日コラムの最終回をブログに載せたら
1月30日
おはようございます タウンニュース鎌倉版連載コラム『鎌倉と源氏物語』最終回をブログにアップして気分が晴れ晴れしています 1月に入って始めたこの連載見直し 鎌倉の活動で擦り切れて書けなくなる前の生き生きしてた当時の感覚が手に甦って楽しい作業でした 終わるのが惜しいと思っていましたが
さすが最終回は自分でいうのも変ですが有終の美 これからの作業に向けての遠望が湧いて清々しいです 写真は比企郡都幾川にある慈光寺様からの帰り 山岳寺院なので下山する途中の参道から見える山並みです この山並みを見るのが好きでした 仙覚も見た光景です
タウンニュース鎌倉版連載コラム『鎌倉と源氏物語』の見直しを終えたらすぐkindle出版しようと思っていましたし 或いは引き続き『北条時頼と源氏物語』もブログにアップしようかとも考えたのですが 生き生き書いていた当時の感覚が甦ったらもう寄道はしないで『華鏡』に戻ることにしました それで
最終原稿の形態がブログにアップした記事なのでそれをまとめて保存 そんなふうな整理をしていたら慈光寺の地図が出てきたのでご紹介します 朝ツイートした山頂の慈光寺からおりてくる途中に見える山並みの写真は鐘楼開山堂とある所から下りてくる途中です 小川町はこの山の向こう側の麓です
山頂に慈光寺の西側に並んである霊山院は 栄西の弟子栄朝が開山の禅宗寺院です 訪ねた時は花の盛りで歩く道筋も桜の花びらで敷き詰められて真っ白 慈光寺からおりる参道にも桜並木があります もうじきその季節ですね 気持ちのいい清々しい写真をどうぞ ご覧のとおりいつ訪ねてもいつも一人でした
『華鏡』は「光る君へ」の放映前から書いていて 尾州家河内本源氏物語の話だから源氏物語をそれとなく忍ばせて書いていたのだけれど 鎌倉の蹴鞠の師飛鳥井雅経の妻が鎌倉の人で源氏物語を知らず 源氏物語って何ですの? と雅経に問う そこまで書いて えっ! 私自身明確に源氏物語とは何かの答え
を持っていないと それに気づいて書くのが止まっていた時に光る君へが始まり 見ながらずっと源氏物語とは何かの答えを私自身明確に掴めるまでに見入っていたから一年間翻弄されていたのでした その答えがなんとなく見えて来たのが放映の終盤 そこから翻弄されている気分から抜けられたのでした
タウンニュース鎌倉版コラムにかかっている時は忘れていましたが 華鏡に戻ったらその箇所に遭遇 そうだった こういう流れの中で華鏡は動いていくのだと思い出しつつ 華鏡の原稿を再開しています でも コラムの見直しをしたから戻れたわけで 最終回の比企バージョンの郷愁の呼び起こしが強かったです