2025.2.6 Twitter(X)から転載……『華鏡』の原稿を見直しています。今まで「仙覚は誰か」のような解いて明らかになったことを主張する書き方(論文調)だったことに気がつき、どうしたらそれを文学作品に変えられるか、感性の一新をはかって取り組んでいます
1月31日
おはようございます 華鏡を見直し整理してプリントしました 玄覚という人物の回顧録としての冒頭から仙覚が生まれるまでの華鏡前編 通しでほぼできていることがわかりました 詰まっていたのは『万葉集』とは何か『源氏物語』とはなど論文的思考に入ってしまったからでした
相当苦心して書いたから捨て難かったのを コラムの見直しで気持ちが一皮むけたらそれもさっぱり削除しようと で 整理して通しで見たら 一応前編はできているのでした 詳細を詰めて完成させます 写真は京都市全貌 前編のキーパーソンは京都守護北条時政です
2月1日
おはようございますという時間でもないけど起きたのが遅かったので 写真は先日ご紹介した慈光寺山頂に並ぶ霊山院 慈光寺で出会った比企の方にとにかく綺麗だから行ってみてと勧められて行ったのでした 光景が眼に入ったときには思わず綺麗!と 深夜華鏡の原稿が硬直した感性で書かれていて辛いと
呟き それで今朝は論文の見出しみたいな各段のタイトルを柔らかなものに変える作業に勤しみました そうしたらあれほどこだわっていたエピグラフの 仙覚―それは世をしのぶ仮の名だった も削除したくなって それだけでもう随分原稿が柔らかになりました 今日から二月 如月は大好きな月です
華鏡 見出しの見直し作業 中々優雅な語句が文章内になく苦心しながら探してなんとか最初の数章を整えました すっかり雰囲気が違ってきています 要は論文的要素を排除する事が重要だったんですね そして冒頭の章 比企の乱 の見出しだったのを 手記 としました 要するにプロローグだったのです
頼朝が伊豆に流された平治の乱が 頼朝の乳母の比企尼の貢献に繋がり 比企谷を与えられて 仙覚がそこで万葉集の研究をする という事で平治の乱の辺りから華鏡は始まるのですが それと表裏一体に平家の絶頂時代に進んでいく歴史がある 平家納経が奉納されたのと 頼朝の終生大切な人だった丹後内侍
が二条天皇に出仕して丹後内侍と呼ばれるようになった年が一緒 なことに改めて気がついて写真の絵葉書を出しました
2月2日
おはようございます 雨が降って寒い朝の節分 でももう心は春ですよね 写真はずっと以前訪ねた仁和寺様にて この頃はまだ白河天皇もなにも歴史に深まってなくて ただ美しさに惹かれて撮らせて頂いていました 今華鏡を書いていて白河天皇の項に至り当時を懐かしく思い出しています 知らなくても
美を感受する心はある でもその後必要で歴史に深まって事実上の活動でも歴史がかかわってきてその感受性ってなくなってしまうものなんですね やっとそこから脱却して華鏡を文学として書いていける心境になってきています 節分で心機一転 嬉しいです 華鏡は愛と哀しみのボレロ オムニバス形式です
2月3日
華鏡の原稿 見出しを論文調でなく増鏡みたいな和語にしたら大分柔らかくなったのですが そうしたら今度は文章自体の硬さが目についてそれをどう書き換えるか思考中 文学になっていると自負する冒頭 それはもうずっと揺るがなくて これが書けたのだから書けるはず と思う以下の本文がなっていない
苦しいというより それが目につくようになったのだなあと 如何に論文を書いていた習性から抜けるかが目下の課題になりました 論文を書くことと文学を書くことでこんなにも土台となる感性が違うんですね 視界が晴れてきたからそれが見えてきました う〜ん 焦れったい の心境です笑
立春の陽射し @井の頭公園 通りすがりに あ 今日は立春だった と思い出して撮りました
2月4日
華鏡の原稿 硬直した感性でしか書けなかったここ数年の原稿 それが見えてきてどうしたらいいか考えていて 昨日は図書館に行って海外作品の文学の棚の前で空間に浸ったり 今迄ずっと日本の歴史の棚だったなあと 今朝 私には美しい物語がある それを書けばいい と言葉が降りてきて決まりました
やっと 論文的思考から文学的感性へ 振り切った気がします
世の中には美しい書物とそうでないのとある 昨日図書館に行って文学として確立されていて読んでなかった書物を借りて来たけど 書かれてある事象が酷くて読めなかった 私にはそれは到底書けないから作家として私はダメなのかも と思わないでもなく悩んで 購入してあった詩集を開いて 美しい と
思いました 書かれていることを突き詰めればただ美しいわけでないのはわかるけど 昨日借りた書物の酷さとは対照的 花に仮託した詩 知らない名前の花をタブレットで検索しながら頁を繰っています どのくらい読み取れるか畏れつつの『野生のアイリス』 ただすでに心が洗われている
写真はシラー 名前は知っていたけどどういう花か知らなかったので画像検索して魅せられました スノードロップという詩もあり 今の心境そのもので繰り返し読むでしょう こちらはXで流れて来て知っている花だけど検索したら別名待雪草 待雪草の名前は知ってたけどスノードロップだったなんて
美しい書物 ということにこだわる原点は 多分以前月光誌に白拍子の風を連載していた時 男性読者の方々から大人のメルヘンと揶揄された 白拍子の世界はそんな綺麗なものではないと それを短歌評論の菱川善夫先生にお話したら激昂されて 媚びを売るだけで貴顕に愛されるものではないとと
女性の読者さんには美しい物語があると読みたいから入会しましたと言われたり 訳者あとがきのご文章の中でもシニカル方面の方々には使われない魂の語と 美しいことを表面的と見て美しくなく難しく書くのが文学 みたいな男性主観男性主導の文学の世界があるのでは? と そんな気がしてきました

