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2025.4.8 現代詩手帳に載せていただいた過去作品の詩【箜篌という楽器をめぐって】、もう振り返ることもないから記録としてここに載せて残しておこうかと

箜篌という楽器をめぐって

 

いまになって

箜篌という楽器のかかえる空が

さからっても

さからっても

さからいきれない強い力で

私を引き入れようとする

幾たびも

振っきっては階段を昇り

昇りつめた果てに見えた空そのはずの

空が

思いもかけず

ひややかに胸をえぐる

あっ と

人知れず声をたてたところで

すでにあることの埋めようもなく

ひらひらと

音もなくかわらけの

明るく張った無限浄土を舞うように

えぐられた胸の

かけら また ひとかけらと

足もとはるか落ちてゆくのをただ見つめる

さしのべる手の

ついに施しようもなく

箜篌という楽器のかかえる空に

私は浸され

浸され尽くし

えぐられた胸の空洞から一挙に

瓦解へと……

断片は

ひらひらと ひらひらと かわらけのように

舞い 落ちて……

 

あの世では箜篌の名手でしたのに

どうしたことか

音色も忘れてしまいました

姉の形見のその箜篌は

黒地の漆にこまかな螺鈿の花びらを散り敷き

抱くと

人肌のぬくもりがするようでした

姉は恋しい人の非業の死に殉じ

自らも命を絶ちました

箜篌は

幼い私には手にあまるものでしたけれど

ぴんと

絃を弾くと

絃がふるえる そのことに

姉の悲憤を感じたのです

そのときからです

箜篌に取りつかれたのは

時どき夢を見ました

はらはらと はらはらと 暗黒世界に

血の色の花びらが降りしきる夢

箜篌があの方へと導いたのでした

その方は私の箜篌を愛し

それから私を愛してくださったのでした

私もまた

その方のために生きその方のために死にたいと

心に決めておりましたのに

それがどうしたことでしょう 生き別れて

はぐれたまま

今の世までもめぐり会えないでいるのです

幾つの世をさまよいたずねてきたかわかりません

たしかに

その方の気配はするのですが……

私が奏でた箜篌の音色は

この空間のどこかに埋もれているはずです

さっきから私は

取り出そうと腰をおろして

うず高く積みあげられた音のあちらこちらを

探ったり

掘り起こしたりしているのですが

まだ私の箜篌に突きあたりません

これもちがう

またちがう

放り投げた音は

私のうしろにぽっかり空いた無限空間に

ひらひらと ひらひらと かわらけのように

落ちてゆきます

あまりにしきりに落ちるので

降りしきる雪のようです しんと冷たい……

みつかるまで

私はここにこうして坐りこんで探すつもりです

音を探しているのか

その方を探しているのか もう

私にはどうでもよくなりました

 

うずめても

うずめても

くすぶりやまないものがある

箜篌という楽器のかかえる空が

私を浸す

からだは消滅しても

痕跡はいつまでも堆積され

決して

消滅をしない

 

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「Twitter(X)から転載……」として、『華鏡』の執筆状況をまとめてこちらのブログに転載していましたが、これからそれをエキサイトブログですることにしました。「明るい部屋」というサイトで、カテゴリ「織田百合子のページ」です。

https://akaruiheya.exblog.jp/

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2025.4.8 Twitter(X)から転載……『華鏡』は建礼門院徳子さんの章を書いています

4月4日

華鏡 建礼門院徳子の章を書いているのですが 今迄どうやっても△△△△△と論文調というか解説文みたいにしか書けなかったのが 動き出した心で書いているから○○○○○○というふうな揺らいだ文章でつづられていく そうかっちりした理の文章でなく 揺らいだ文章が書けるようになったんですね

 

つづられていく という言い方自体 今迄この語を使えなかった 書くとしか言えなかったです 建礼門院徳子は源光行にとって永遠の憧れの女性 それを書く段にこの心の揺らぎが戻ってきたこと 間に合ったことが嬉しい この永遠の憧れの思いが光行の源氏物語に対する思いの原点かと

 

シラーの花が咲きました 小さくて可愛い ルイーズ・グリュック『野生のアイリス』を拝読してシラーに憧れネットで検索しても思うような株がなかったのでメルカリで購入した球根 自宅の庭で毎年咲いている株分けだそう 野生のアイリスは素敵な詩集でした

 

4月5日

おはようございます 突然華鏡藤原俊成の章の冒頭の文章が降りてきて えっ? まだ建礼門院徳子さんの章が途中なのに となりました 徳子を書き出してから文章がこなれてきたと思ったのは今迄は新規開拓の四苦八苦だったからのようです 『源氏物語と鎌倉』に書いた世界に入ったからこなれて書けると

 

ただ『源氏物語と鎌倉』はほんとうにこれが私の鎌倉の源氏物語についての最初の見解で その後わかったことがたくさんあり それが訂正だったり加筆だったりでなんとかしたいと思っていました 華鏡でそれができるんですね 頑張って成し遂げます 写真は2019年5月20日@池袋西武百貨店モネの庭

 

4月7日

おはようございます 華鏡建礼門院徳子さんの章は今日終わりそう 次の章藤原俊成の章に繋ぐ最後の文章も見えて来ました 私事でいろいろあってなかなかPCに向かえないのですが その分頭の中での醸造はばっちり 向かいさえすれば書けます

 

先日開花したとツィートしたシラー 伸びて茎になりました この形状が見たかった この形状の花が スノードロップとかブルーベルとか 群落している欧州の森 その森の中を歩きたくて せめて家で植木鉢に

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2025.4.3 『華鏡』、高倉天皇の章を書き終わりました

前の更新から日数が経ち、三月が終わり、四月に入ってしまいましたが、ずっと高倉天皇の章にとりかかっていました。最初はもやもやと切り口が見えない不甲斐ない状態だったのですが、平家物語小督の章を読んだりして次第にまとまり、綺麗に、コンパクトに、仕上がったと思います。

以下、それまでの逡巡をTwitter(X)から転載します。

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3月27日

まだ高倉天皇の章に入っていないので今日は終日終活もどきの整理 大切にしまっていて場所をとっていた数年分の現代史手帳ユリイカ詩と思想などを処理することにしました 人ってこんなにあっさり過去を切ることができるんですね あんなに大切に保存したその当時のことを思って不思議な境地です

 

華鏡を書いているからです 華鏡に辿り着いたからとも 今迄の作品と華鏡の到達レベルは違うと自分で思います

 

とツイートして日常に戻り家事をしていたら思い出しました 『潮香』を出して頂いた編集者さんに あなたはどうしてあんなに男の心が読めるの? と言われました 現代詩手帖を読んでいたからとその時思ったのでした そういえば私は詩作品でなくその作品を書いた方の心を読もうとばかりしてたなあと

 

3月28日

華鏡は今日から高倉天皇の章に 久保田淳先生『藤原定家』に俊成と定家についての読みの解説があって 俊成はトシナリだけれどシュンゼイで通っている 定家も定家自身サダイエと名乗っているけどテイカが一般と これ いつもルビを振るのに悩んでいました 華鏡でもルビを振るから覚悟して決めます

 

後白河天皇を書いていて 記憶が確かか年譜を作ったら 後白河天皇の生涯って大変でした 前半建春門院滋子さん寵愛までと その間に保元の乱平治の乱源平の争乱があっての頼朝が上洛した人生後半 大河清盛の松田翔太さんと鎌倉殿の西田敏行さんそのまま 人生の修羅を潜っての西田敏行さんでした

 

3月29日

家族がいろいろ体調悪いので そうだ と思って中華粥を作りました いつも京都へは朝ののぞみ第一号で行ったから朝食は京都駅ビルの朝粥のお店で それが美味しくて自宅で作ったことはないのですが それを思い出して 帆立の貝柱の缶詰をたっぷり使って出汁に 薬膳粥をこれから試行していこうかと

 

ずっとバルバラを聴いています ナントに雨が降る 黒い鷲 どうしてバルバラはこうもいいんだろうと 最勝光院滋子さんを書き終えて何かが変わったから何かを聴きたくて探してたどり着いたのがバルバラ 忘れていたのがもったいない感じ こうして少しずつ自分を取り戻していくんですね 世の中は陰謀

 

に満ちていて 私は仙覚や比企氏を抹殺した権力者の側の陰謀を見ていて書いているから背景にある策謀がよく見える それが見えなくて仙覚を書くなんてできません SNSがなかった時代 市民は陰謀に気付かないし気付いても誰も助けようとはしない 市民が監視し声を上げなければ権力者の側の思う壺です

 

写真はスマホに流れてきた去年を振り返るというストーリーの1枚 TLでいろいろな花を教えて頂いて それまで気づかなかった花に眼をとめて撮る ということが増えました 朝作った中華粥 家族が美味しくて毎日でも食べたいと それで今ネットで専用に貝柱の出汁を注文 気に入って貰えて良かった

 

4月1日

いつどこでどうして買ったか覚えていないのですが大切にしていていつか読もうと思っていた本 高倉天皇の章を書いていて そうだ今こそあれをと思って出して来ました 源通親の高倉院厳島御幸記 高倉院昇霞記と二つ入っているので通親日記 で 開いて見たら影印でした どうしようと考えて解説だけ

 

読めばいいかなと思いつつ こういう時こそ古文書アプリを入れて読む? など まだ思案中です そんなこと言ってないで検索すればどなたかが揚げて下さっていてタブレットで読めるかもですね 通親は兼実を追い落とした兼実の側からみると悪辣な政治家ですが 私はこの二冊の存在でもって好きです

 

平家物語小督より: 後白河法皇うち続き御歎きのみぞしげかりける。去んぬる永萬には第一の皇子二条院崩御なりぬ。安元二年の七月には、御孫六条院隠れさせ給ひぬ。天に住まば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならんと、天の河の星を指して、さしも御契浅からざりし建春門院、秋の霧に浸されて、朝の露と

 

消えさせ給ひぬ。年月は隔たれども、昨日今日の御別れのやうに思し召して、御涙も未だ尽きせざるに、治承四年の五月には、第二の皇子たの宮討たれさせ給ひぬ…… ←華鏡高倉天皇の章に目下書いている部分です 小督を書いていて確認に平家物語を読み返していたら 平家物語に建春門院の語が! と目に

 

とまり 改めて読んでやはり綺麗だなあ この文章 となってツイートしたくなりました 源通親は高倉天皇の側近で崩御にあってその悲痛な思いを昇華させて書いたのが 高倉院昇霞記 です(こんな昼日中に原稿に籠もれるの久しぶり いいですね 集中するってこと 浸れるってこと)

 

4月2日

華鏡 高倉天皇の章が終わりそうなので思考が次の章をどうしようかに移ってぐるぐるしてました そして建礼門院徳子さんの章にしようとほぼ決まり ここに華鏡では重要な人物なのにまだ登場させていなかった源光行を入れようと 鎌倉で河内本源氏物語を作り始めた人です

 

建礼門院徳子さんを書くなら借りてきたい本があるのだけどまた脚を傷めてしまって図書館に行かれない それでどうやってクリアするか逡巡中ですが 昨夜突然鎌倉のある会に行きたいと思ってそれまでに脚は治るかなあなど考えたのでした その会 何月だったかしらと調べようかと

 

華鏡 高倉天皇の章を終わりました 後白河天皇の視点で書いたら 後白河天皇って信じられないくらい長い歴史を生きてられたんですね 保元平治の乱から源平の争乱を経て源頼朝の上洛まで その間に二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇(子孫子孫孫)とそれぞれエピソードを持つ天皇方が入る

 

日本の歴史を全体像で見てらしたわけですよね 大変な人生でいらしたとしみじみ思いました 次は建礼門院徳子さんの章 源光行の視点で書いていきます

 

4月3日

やっと華鏡が動き出しました 今迄評伝としてなら書ける資料は揃っていてそれをなんとか小説らしく書こうと四苦八苦していたのですが 根本のところで動いてなくて苦しかった 昨夜次の章を建礼門院徳子さんにして源光行の視点で書くと呟いたことから気持ちが動いて そうしたら光行の章を設けていい

 

気持ちになり そうだ! 若宮社! と思い出しました 光行が鎌倉に下向することになったあたりの歌合です 久保田淳先生のご論考でした 添付の写真は解釈学会の機関誌に載せて頂いた論考ですが これはまだ本にしてなく それまでの論考は『源氏物語と鎌倉』第二章に三本載せました なのに鎌倉下向

 

についての論考は『源氏物語と鎌倉』の出版後だったので入れてなく惜しく思っていたのでした 光行は徳子さんの章でなぜ源氏物語に生涯を賭けることになったか辺りの若いときの人脈を書き 正式に光行の章を設けて鎌倉下向についてまとめます 華鏡に鎌倉下向を書く気持ちのなかったこと自体驚きです

 

文学は深いところを揺り動かす作業だから 自分自身の深いところが揺り動かされてなくて書けるわけがない それは自分が一番よく知っていました

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